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2019-10-15

第145回「死と病にどう向き合うか?」

今まで面と向かい番組内で取り上げていなかった「死」と「病」について。死は人生最大の問題であり大事なテーマでもあります。最愛の人、家族、友人、また自分自身の「死」との向き合い方について話をします。
また病は死とは異なり、考え方や食事、生き方を変えると方向転換できると説きます。生活や身体のクオリティを向上させる秘訣は「腸が喜ぶ生き方!」にあるそうです。

新企画「瞑想の基本と実践」音声プログラムがリリースされました。不安や恐れ、苦しみのさなかにある方、安らかな毎日を送りたい方に向けて北川八郎が音声でしっかりナビゲートします。http://bit.ly/2T38kkj

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北川八郎 人生を変える出会い
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北川先生、一言お願いします。
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北川八郎 人生を変える出会いサポーター制度
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それでは、今週の番組をお聞きください。
こんにちは、早川洋平です。北川八郎 人生を変える出会い、北川先生、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さあ、
今回はですね、最近、僕のちょっとね、周りの友人からもよく話聞いたり、やっぱり、まあね、年代とかもあるのかもしれないですけど、やっぱりこう、自分の家族だったり、友人だったり、親しい人がこう、やっぱり病気になってしまったとか、あと、親しい人が急に亡くなって、なかなかそれを乗り越えられないみたいな、やっぱり病とし、避けられない誰しもかと思いますけど、やっぱりそこをどう向き合うか、どう乗り越えるかっていう、ど真ん中のテーマなんですけど、
意外とこの番組で、多分、そこまでやってなかったかなっていうのがあるので、
まあ、リアリティも含めて、先生にいろいろまた伺いたいなと思うんですけど。
まあ、わずか1回、15分くらいで、
そうですね、もちろん。
とても言い尽くせないと思うんですけど、
まあ、死というのは、こう、私たちの、今生きている人間にとっての、最大の、なんていうか、問題だと思うんですね。
もう、これ以上の問題はないのではないかっていうくらい、あの、
大事な、あれですよね、テーマと。
そうですね。
簡単に。で、自分の死と、こんな親しい者の死と、もっと自分の子供たちの死とかいうのを、いろいろな死がある。
交通事故による死、または自殺による死から、病による死、自分自身の、まあ、ね、老いによる死、いろいろあって、誰もがいくつくんだけど、触りたくない。
そう。
そうなんですよね。
一番、触りたくない。なぜなら、まあ、まあ、誰もが同じなんですけど、婚姓限りっていうかね、この、で、早川君との出会いも、まあ、前回言ったように、あらゆることは、婚姓でしか出会えないっていうかね。
03:00
っていうことを知ってるってことなんですかね、僕らが。
うん。
いや、その、生まれ変わったり、また出会うかもってあるけど、その、わかんないですけどね、やっぱその、記憶が消えちゃうというか、もし、もしそれが、先生すみません、挟んじゃったんですけど。
うん。
ちょっと興奮しちゃったんですけど、あの、なんだろう、今、話しながら伺いたいんですけど、もしそれが、なんか、体感的にというか、本能的に、魂的に、その、婚姓なくなっても、また次で、例えば、この人と出会えるとか、何か繋がるとかって分かってれば、なんか、必ず全ての人に死が訪れるわけだから、なんか、こういう寂しい、悲しい、怖いってないような気がするんですけどね。
うん。
でも、それを、そう、怖いとか寂しいって、基本的には感じるってことは、やっぱり婚姓限り。
そうですね。
うん。
うん。
だから、自分が、寿命というのを与えて、その中で、こう、解決していきなさいって、やってると思うんだけれども。
はい。
人間は欲と本質があるから、なかなか、婚姓だけでは、なんか、こう、解決できないというかね、やっぱ、持ち越すんだよね、宿題として。
うん。
だから、やっぱり、あの、持ち越した宿題っていうの、いっぱいあると思うんですよね。
はい。
前世、前世、成し遂げられなかったことを、婚姓中に、やりたい、やりたいっていう人もいるだろうし。
はい。
で、罪を犯したまま、謝らずに、傷つけたまま、こう、別れてしまったっていうかね。
はい。
何をしてあげられなかったから、婚姓は出会って、その人を幸せにしたいと思ってくるけれども、逆に執着心が強くて、こう、束縛してしまうと。
逆の欲の部分、前と同じように執着して、逆に苦しめてしまうと。
はい。
どうしようもない自分がいたりするっていうことを、こう、いろんな、何回も何回も言われてる。
何回も何回も失敗しながら、少しずつ進化していくような魂の在り方っていうのは、仕組みが最近よく自分自身が感じるんだよね。
そうなんですか。
うん。
うん。
何か、仕組みって話もありましたけど、先生のその姿勢感というか、今まで生きてきて、その20代、30代の頃と今、何か、いろいろね、ご自身の死についても考えることあるかもしれないですし、その近親者でいろんなことも見てきて、何か変わっていったこととか、最近特に気づいたこととかありますか。
10代、20代、30代の頃の、死に対する感覚と、今40代、50代で近親者が、こう、父が失われ、母が死、兄が死に、とかいうので、経験してきて。
だから、自分の、自分の今だ、本当に親しい子どもたちを失ったりとかいう、また別な次元の悲しみ、深い悲しみがあったりすると、死に対する恐怖心とかいうよりも、
死に対するそのものの価値っていうかね
価値
価値があるんやなっていうことに分かってくるよね
死に対する価値があるっていうか
僕は本当まだまだなんて
価値って言われて正直分かんないんですけど
それって言語化なかなかそれこそ体験しないと難しいかもしれないですけど
死いて言うとどういう感じなんですか価値って
06:01
そこに価値という言葉しか言いようないんだけども
なんか今世死があるということは再生があるということにつながるから
今世死ぬことで苦しみを取ったり
悲しみを今世中に終わってしまうというかね
そういうようにしていくことに
死が大きな価値を持ってきている
これがずっと続いていると苦しみだけが
続いてしまうから
死という形で一区切り神がさせてくれていることに対して
すごい僕はすごいなと思うね
もう一つは死んだ人たちがみんな
肉体を失った瞬間
本がいっぱい出てるんだけど
体験者もいっぱい聞いたことあるんだけど
すごい安らぎと喜びと果てしない深い
なんか幸せ感ってものに包まれるっていう
世界
あるみたいなよね
だから結構今世の苦しみは
そこに行けるということをしておくのも悪くないなっていうか
そうですね
他の動物たちはおそらく何も考えないでスポンと行けるんやけれども
人間は記憶と不安と恐れと何かそこに価値を求めたり
理論を求めたり何もないといったり
思想を持ち込むから複雑になってしまうけれども
もっとシンプルに
死にはすごい価値が
再生するから価値があるっていうかね
まあ価値という言葉はちょっとすぐこの15分くらいでは言い尽くせないけれども
さっきの問題何やったっけ
今まじとの
そうですねこう死をなかなか
僕の友人なんですもんなんですけどやっぱりその乗り越えられないというか
まあ乗り越えるそもそもね
ことができるのか必要があるのかっていうとこもあると思いますけど
乗り越えるって言葉は一体は
必要ないと思うよね
まあみんな死は
例えば
あやかくんが20代の時に30代になりたくないと思っても
いつの間か30代になってしまうし
そうですね
今は39だけど
僕のような50代60代70代だって
遥か向こうと言ってると思うんだけど
死と同じで
自然の流れの一つに過ぎないよね
死もその中の自然の流れ
受け入れようとか
恐れようとか言っても
そこに
行かない人はいないよね
必ずつくんですよね
必ずあの水と一緒で
上流になった水は必ず
海に流れていってしまうっていう
まあこの世のどうしようもない
神が作った仕組みをね
水は必ず
下流に行ってしまう
ほっとくてはね
でやるとそれは上流に行くにはどうするかって言ったら
海に行って蒸発して
09:01
またこう上空に行ってまた
綺麗な水浄化されてまた
川上に
そうですね
降りていく
人間も一緒なんやから
いろいろいろやって
結局死という
そこに入って浄化されてまた
天空に行って
また雨
あられ霧となって出てくるように
人間として出てきて
またそこからやり直して
また味わっていくっていう
こういう先生みたいにこうやって穏やかに
里して生まれた時から
あとされてたらなんか
ジタバタしないで生きられそうな気するんですけど
ジタバタするのがやっぱり僕らなんですかね
まあもうちょっと経ったら
実感としてどんどんどんどんみんなが死んでいくからね
あの悪そうも
あの優しかった人も
あんなに親切してくれた人も
こんなに愛しかった人も
どんどんどんどん
亡くなっていく
ああもう言わずに
みんな静かに目をつぶって
あの世に行くんよね
それは確実ですよね
本当は川の水が
中流に入り下流に入り
海に大きくなって
それから
あの太平洋で
海で浄化されて
なんか空に行って
また海に戻ってくるように
彼らもみんな魂として
浄化されて
また人間としてどっかで降りてくる
再生されてくるんやな
と思うと
なんか今世でしかできないことは
やっぱりやっとかなくちゃ
っていうか
ちょっと変な話になってしまう
でもなんかそういう哲学的な話が
ちょっと急に現実的な話になっちゃいますけど
今それこそAIの話とかもありましたけど
先生もご存知だと思いますけど
どんどんその医療とか
いろんな遺伝子の研究が進んでいて
老化の
その遺伝子をですね
逆に止めて逆流させて
一応科学上はその逆に若返らせるように
もう最近ちょっとできるようになってきたとか
ちょっと考えられないじゃないですか
昔じゃっていうものだったり
将来的にはその
魂とか肉体は
終わってしまっても
体の中の記憶とかは
AIと合体させて
また次に生き続けられるみたいな
話も結構まことしやかに
それなりのところが
話してますけど
それは現実になるかの是非はさておいて
やっぱりそれでも今みたいな
必ず死んでいくっていうものは
分かってるけど
人間ってでも
逆で生きたいっていうのは強いし
記録なってる気しますね
自分の死を記録したい
生命を記録したいっていうのはあるけれども
でもそれは
万年単位で考えると不可能な話だよね
ですよね
ひょっとしたら150歳とか
生きられるかもしれないけど
先生がおっしゃってる
千年万年単位だったら
全て
口当て破滅
ボロボロになっていくって
12:01
記憶もそうなんだけどね
全て記録したものさえも
ボロボロになっていくもんね
どんなAIであろうと
不可能な話で
そういう意味で
人の死はどう受け取るか
ちょっと
外れてしまうけど
そういう意味では
死の話からちょっと戻るという表現が
適切か分からないですけど
これだけで話せば
何時間もだと思いますけど
生死に特に関わりそうな
病とかに自分が
病気になったり
他者
近しい人がかかったりっていう時の
受け合い方という
ハウツーじゃないかもしれないですけど
でもそういう精神的なものも
基本的には死と同じですか
どうですか
病に関しては肉体的な部分が
とても強いので
思いと思念っていうか
想念で結構入れ替えられることができる
食べ物を変えたり
断食をしたり
それができるなと
細胞が変わったりするんよね
だからがんが治った人も
いっぱいいるしね
想念で
明るく生きようとしたら
走るだけで
全部治ったっていう人も
いっぱいいるし
人の喜ぶことだけをしてたら
消えてしまいました
実際にあったことあるし
そういう意味では
まさにこの番組でも
ずっとこれまで
百何十回もやってきてることを
活かせば
病っていうのは
早い段階に自分の生活と
原因の根本にある欲やな
外欲っていうか
実はそうですね
欲を浄化して
美味しいもの
下に良いものを
摂り続けるのか
それとも同じものでも
体に良くて
安らぐものを摂るかってなって
変わってくるけど
どうしても美味いものに
行ってしまうよ
先ちょっとランチタイム食べてしまいましたね
それは脳で覚えてるやん
結局脳に騙されるんや
甘い罠ですね
そればっかり食べると
腸が嫌がるんや
下痢したりお腹痛くなったり
腫れ物ができたり
便が柔らかくなってるとか
だけどその辺を考えると
病っていうのは
腸に効けって言いたいね
少し正常に戻るっていうかね
うんうんうん
じゃあ病として近いですけど
そういう意味では
全然捉え方というか
だから病は
生活の質を落とすやん
楽しむことや歩くことや
走ることや
遠くに出かけることや
人と出会うことも
病があれば生活の質が落ちてくる
制約ありますよね
でもそれに気づけば
15:01
生活の質を上げることはできる
病にならないというだけ
なんていうか
同じ死に向かっていく時間であっても
その間のクオリティー
確かに
内容が充実
愚痴と文句と
増えと
辛い人生というよりも
すごく人々と
楽しい時間を過ごしながら
過ごせる時間が
増えてくるっていうか
クオリティーというかね
同じところに最後
同じ駅に着くにしても
だから病っていうのはそこに気づけば
それが気づくのがやっぱり
30代後半くらいからだと思うよね
10代20代はわけやからず
美味しいものを食ってくるっていうか
イタリアンのあれだこうだとか
脂っこいものとか
世界中うまいものを聞こうとか
やってるけれども
ほとんどの人は行き着く病
途中で気づくんじゃないかな
どうせ気づくなら確かに早い方がいいですね
なんか本題から外れるときに
痩せてしまってる
いやいやいや
病と死の話をね
死の話もうちょっとしないといけないと思うけど
次回以降
またその辺の話に伺っていきたいと思います
どうやって死を乗り越えるか
それは次回伺いましょう
はい
さあこの番組では皆様からの
ご質問ご感想を募集しております
詳しくは北川八郎ホームページ
もしくはメールアドレス
kigutas.jpまでお寄せください
さあ
そしてこの番組
聞いてくださる皆様のおかげで
今回も続けることができました
そして何よりサポーター制度
毎月支援してくださる皆様のおかげで
この番組運営することができています
本当に今回もありがとうございます
引き続き
先生と皆さんのお役に立てる番組を
作ってまいりたいと思いますので
今後ともご支援いただけたら幸いです
先生今日はどうもありがとうございました
ありがとうございました

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