発酵と文化人類学の緊密な関係
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、本好きな人たちがふらっと集まり、みんなが友達になれる喫茶店をコンセプトに、店員たちが気ままにゆるーく話してまいります。
4月21日、第92回の配信です。本日は、おはぎさんなしーの2名で配信いたします。
今回は、発酵×文化人類学のその2ということで、発酵文化人類学という小倉ヒラクさんの本を話していこうと思います。
おはぎさんよろしく。
よろしくー。
前回は、菌によって食文化が作られている話や、手前味噌ムーブメント、そして地域による制限が発酵文化の多様性を乱している話などをしてたんだけど、
前回振り返って、発酵または文化人類学について、おはぎさんの中でちょっとは理解が深まったなっていう時間はありますか?
めちゃめちゃあります。楽しく学ばせていただいた回だなと思ってて、
特に前回のお話の中で塩が使いませんっていう環境の中でも、いろんな偶然が重なって奇跡的な発酵ができました。
その発酵が食文化を豊かにしてくれて、すごい栄えたよみたいな話があって、すごい感動って思ったのと、
あと菌によって地域の食文化も左右されているのではって、こっちが思わされる発酵と文化の歩みを初心者ながらも楽しんだ前回だったから、
今日をめちゃめちゃ楽しみにしてました。
ありがとう。あそこの印象が強かったんだなっていうのがナッシーとしては嬉しいんですけれど、
でもさ、菌による食文化の多様性が制限によって生み出されている話って、
ストッパーがあるとか不自由さがあることによって、それを乗り越えるために新しいものを作り出すみたいな商品開発のプロセスとかとちょっと似通っているところもあって、
そういう意味でも本当に面白いなってナッシーも思ってます。
ただね、もしかしたらリスナーの方の中には、あれ?あんまり文化人類学要素感じないぞっていうふうに思った人もいるかもしれないなって思ってて、
結構発酵の話とかはすごいしたし、文化の話っていうのも出てきたんだけど、
あれ?ブリコラージュっていう概念とかそういう言葉は出てきたけど、文化人類学と発酵が掛け合わさっているのか?みたいな疑問を持たれたと思うんですが、
そういうあなたに今日は、まさに発酵と文化人類学の交差点を考えるというとても面白い第4章を紹介したいと思います。
で、これちょっと説明が長くなっちゃうから、おはぎさん分からないところがあったら是非突っ込んで欲しいし、
ちょっとそんな感じで、今から第4章の部分を紹介していこうと思います。
倶楽という交換ゲームの理解
お願いします。
この発酵文化人類学の第4章では、文化人類学でよく話が出てくる交換と贈与というのをテーマに積んでいきます。
で、ニューギニア島っていう小さな島、いろんな小さい島がたくさんあるところで、倶楽っていう交換文化があるんだよね。
で、これ、その小さな島の一つ一つにそれぞれの部族が住んでいるんだけど、
その部族同士での交換が行われていて、その中で赤い貝の首飾りとか白い腕輪を使って、部族間でぶつぶつ交換をしていく交換ゲームが倶楽っていう交換ゲームです。
この倶楽にはポイントが3つあって、
1、この腕輪や首飾りには価値がない。
2、このアクセサリーに対するお返しは各部族がこれが妥当だろうと考えるものを贈らなければいけない。
3、このゲームは一度参加したら抜けることはできない。
っていう、なんとも不思議な交換ゲームなんだけど、おはぎさんこれどう思う?
これって果たして参加するメリットはあるのかって最初思って。
交換ゲームってある程度価値があったり、優劣だったり、算数組みたいなルールがあって楽しめるかなって自分は思うから、
価値がないものを渡し合うゲームで、なおかつ一度参加したら抜けることはできないっていう途中離脱不可能みたいなのって果たして面白いのかっていうのが、
正直なところではあります。
そうですよね。本当にそうだと思っていて、
今の私たち大金と品物を交換している今の私たちからすると、まずその一つ目のルールでつまづくわけだよね。
価値がないもの、しかも抜けられない、みたいな。
っていうことが思ったと思うし、それを思ってもらいたかったんだけど、
このゲームのポイントとしては、決まった日に決められた場所に向かう交易ルートに乗っ取った2人1組の交換を可能にするっていうことが前提に置いてあるんだよね。
さっき言ったように、この島っていうのはすごい小さい島がそれぞれあるんですけど、
みんなが交換をしようってなったら、ある場所にみんな部族が集まらないといけないっていうことがあるんだけれど、
この蔵をやるぞってなったら、じゃあこの日にみんな集まるぞって言って、決まった日に蔵をやりに各部族がそれぞれ来るっていう、
異なる人々がコミュニケーションを円滑にするための装置になっているんだっていうふうに思ってほしいと思います。
特にこのゲームで大事なのが、決まれの良さで、交換するものは2であったように自分で決めるんだけど、
あまりにも不釣り合いなものを持ってきたら、ブッブー、ダメ、NGってなってしまう。
だから交換するものっていうのはインフレ傾向になるっていうのも、この蔵という交換ゲームの特徴です。
で、文化人類学的に考えたときに、この交換ゲームってどんな意味があるのかなっていうふうに考えたら、
人間がコミュニケーションをしているっていうよりは、コミュニケーションのために人間が使われているんじゃないかっていうふうに考えます。
ここ、すごい、ん?ってなると思うんだけど、
このコミュニケーション、仏族で送り物 をし合って、そのコミュニケーションが途切れないにために人間がいる。
人間がなぜコミュニケーションするかじゃなくて、コミュニケーションするからに人間がいるっていうことを考える。
はい。。。
このコミュニケーション、部族で贈り物をしあって、そのコミュニケーションが途切れないために、人間がいる。
人間がなぜコミュニケーションするかじゃなくて、コミュニケーションするから人間なんだっていう考え方をすることで、
この主体が人じゃなくて、交換が行われているその島の文化圏そのものっていうふうに捉えることができるようになるんだよね。
はいはいはいはいはいはい。
そう、主語が変わった。人間じゃなくて、コミュニケーションになった。
人間のためのコミュニケーションじゃなくて、コミュニケーションのための人間みたいな逆転の発想。
そう、逆転の発想がここで起こります。
文化人類学的には逆転の発想をしました。
ここで行われるそのコミュニケーション自体には、その気前の良さとか優しさっていうものがあれば、
この文化圏に良い循環を生み出すコミュニケーションになるんだよね。
逆に、例えば、憎しみとかずる賢さみたいなちょっとマイナスの感情。
例えば、相手よりもほんのちょっと劣るくらいの品物でいいかみたいな。
気前が良い方じゃなくて、ちょっとずるして、ちょっと劣る品物を贈ろうかみたいなふうに考えると、
逆にそのコミュニケーションは、悪い循環の方にはまっていってしまうっていうふうになっていくっていうのが、
このクラっていう交換ゲームがオークスタイルとして考えたときに起こることかなって思うんだよね。
なるほどね。
このクラの中では、気前の良さというか気持ち、お気持ち程度ですがみたいな感じで、ちょっと良いものがどんどん交換されていって、
ちょっとケチケチした交換じゃなくて、ちょっと良いものになっていく交換がずっとじゅんぐりに続いていくっていうのが、このクラっていう交換の文化ってことで大丈夫?
そう、それで大丈夫。
そう、みんな気前が良いことをしていくから、どんどんインフェ傾向になっていくような循環が実際に起こっているっていうのが、
この文化人類学で見たときに、実際にそれで見たときに事実として起こってたことかな。
発酵と微生物の交差点
なるほど、はいはいはい。
初め聞いたときに、なんてメリットのない、みたいなマイナスから入ったんだけど、
コミュニケーションを途切れさせないために強制的に仕組みを作りましたっていうのは、一周回って面白いかもなって、今感じ始めてて。
一周回って面白い。
例えがちょっと合ってるかわかんないけど、現代でいうと恋愛リアリティショーとかデスゲームとかも、形は違えど交流という目的のために人間を動かすルールがあったりするから。
あーそうだね。
参加している人間の気配りとか気持ちの大きさで、ゲーム全体の流れも変わったりするから、このクラっていう交換の文化も、ちょっとした不自由さがある中でも交換ゲームを強制的にさせるっていうのは、ちょっと納得感あるなって思った。
ちょっとでも納得感をいただけてよかった。
クラっていう交換ゲームはそういうもんなんだっていうふうに、一旦頭の中でイメージしておいていただければよくて、文化人類学ではそういう交換のクラっていうものがありますよっていうふうに考えていて、
で、今まで交換の和、コミュニケーションっていうのを主体にして考えるっていう話をしたんだけど、この循環の和のところは、この私たちと微生物との関係にも当てはまるんじゃないかっていう話に続いていくんだよね。やっとここで交差点の話です。
で、私もさ、おはぎさんも大好きな、前回お話ししたもやしもん。今ここでもやしもんが出てくるんだけど、あれのラストにしゃべるキンたちがさ、主人公や教授にみんなみんなで一つの和なんだよっていうふうに語りかけるシーンがあるんだよね。
で、さっきの交換ゲームでは、人間同士の贈り物の話なんだけど、このもやしもんとか微生物って考えたときに、生物の種という壁を乗り越えても贈り物は交換されて一つの和なんだよっていうのが、この発行っていう言葉って文化人類学の交差点なんだよってことをフィッシャー言いたいんだとナッシーは解釈しました。
人間と微生物の関わりってさ、もうさ、一言では言えないぐらいさ、多様な働きをさ、特に微生物が主に分解してくれたりとかさ、してくれることで一つの和のような働きができるんだけど、
一旦その部分は省略したとして、改めて発行っていう人間に有用な微生物の働きに絞って考えてみます。なんか前回もその話をしたと思うんだけど、発行っていうのは人間に有用な微生物の働きを発行と言いますっていう前提があったから、そこに絞って考えてみようってことなんだよね。
たとえとしてあげるなら、乳酸発行があります。乳酸菌が糖を分解して、自分が使うエネルギーと乳酸を作るのが、この乳酸発行っていうプロセスなんだけど、乳酸菌にとってさ、生きるために必要なのはエネルギーの方で、できちゃった乳酸って、いわゆるゴミなんだよね。
乳酸菌自体にはいらないもの。
でも、この乳酸を私たち人間はヨーグルトとしておいしくいただいているわけですよね。
確かに。
微生物と人間の関係
そういう意味では、私たちは微生物のゴミを、ある意味宝物として受け取っているっていう構成になっているわけです。
しかも微生物自体は、それを贈り物とは全く思っていません。一生懸命生きた結果、乳酸が生成されるだけで、特に乳酸菌自体は見返りも求めていないわけですよね。
で、これって、この微生物と人間の関係のあって、さっきのさ、きまいがよくて、あんまり見返りも求めていないクラっていうものと、構造的には似てるんじゃない?っていうのが、気づいてほしいポイントなんだよね。
はい、なるほど。
いや、だいぶね。
きた?
初めクラから始まって、メリットがほぼないルールの中、交換しなきゃいけません、みたいなのが始まった時に、果てと思ったけど、この乳酸菌の乳酸発酵の話をしてくれた時に、
見返りを求めず、菌たちのありのままの活動の中で生まれたものの恩恵を人間がもらってきたことで、文化の形成と人類の発展に貢献してきたんだよっていう話だったんだなーって思って、ようやく合致した。カチンって合致した。
あ、きた。おー、よかったよかった。
結構深いから、これ歴史の授業とか家庭科とか、何かしらで入れたほうがいいんじゃないか?もうちょっと詳しく見たいぞって。
教科書に。
そう、思った、今。
面白いよね、ここ。
面白い。
すごい面白いポイントだと思ってて、私たちって、いかに私たちが、それって自分にとってメリットがある?みたいなさ、頭で見ちゃってるのかっていうのも、すごいよくわかったなと思ってて、
で、今まで言ってる、クラとか微生物のやってる、みんなが一つの輪になってる交換っていうのは、今私たちが社会の中でしている交換と違うっていうのは、感覚的にも多分、おはぎさんわかってきたと思うんだけど、
この通常のお金とかをおかえして行われる交換っていうのはさ、1対1とかさ、フェアっていうことが前提として必要なんだけど、クラで行われている交換っていうのは、不等価交換なんだよね。
で、しかも、どっちかがさ、ほぼさ、もうなんかあげてるというかさ、贈り物してるみたいな、でも別に見返り求めてないから、交換としては不等価な交換になるっていう話なんだよね。
だからこそ、ほかの副産物も生まれるっていう話になります。
で、ここでマルセルモースという、贈与論で有名な文化人類学者が出てくるんですけれど、このコミュニケー全体で気前よく交換していくっていうことで生まれる、この不等価交換の原理を、全体的給付っていうふうに名前をつけたんだよね。
この全体的給付っていう名前自体は、ちょっと難しいので置いとくし、すごいやっぱこの概念の説明難しいから、本の筆者が超予約してくれたところ、要するにコミュニティ全体で不等価交換をすると、副産物がいっぱいついてくる。
この副産物が社会の秩序に役立っているっていうことだそうです。
つまり、今我々が現代で行われている交換は1対1だったり、例えば1000円のものもらったから1000円を返ししなきゃみたいなフェアだけど、マルセルモースさんが言っている全体的給付は、
不等価交換じゃなくても、その不等価交換じゃない中で生まれた、別のところで生まれた副産物がまたいい味を出しているよっていうことを言いたいみたいな感じであってる?
うん、あってるあってる。
あってる?
そうだね。不等価交換だからこそ、副産物がついてくるみたいなイメージかな。
はいはいはいはい、OKです。
じゃあちょっとやっぱり難しかったかなと思うので、例をあげてみるんだけど、例えばクリスマスパーティーでの交換会みたいなのを思い浮かべてほしいんだけどさ、あれってプレゼントの予算とか決まってて、みんなたぶん同じ価値のものを持ってくるっちゃ持ってくるじゃん。
でも欲しいものが確実に来るわけじゃなくない?
そうだね。
1000円だったらさ、本当はもっとこういうのも欲しかったかなみたいなのもあるけど、実は違うもの来ちゃったみたいなこともあると思うんだよね。
あるある。
でも、だったら普通1000円のものが欲しかったら1000円買ってくればいいじゃんっていう話にはなるんだけど、
でもさ、そのパーティーに参加すること自体で、そこでのマナーとか人との付き合い方とか、そういう社会性みたいなのも学べるわけで、
そういう部分は交換の副産物だっていう話なんだよね。
確かに。
でしょ?
そうかも。
別にクリスマスパーティーに参加しなくても、1000円で1000円のものを買えば、自分としては自分の本当に欲しいものが買えたかもしれない。
でも、もしかしたら1000円よりも価値が自分にとってはないものがもらえちゃったかもしれないけど、クリスマスパーティーに参加したことで、人との距離との取り方とかさ、
こういうところではこういうふるまいをしなきゃいけないなっていう社会性とかさ、そういうのも身につくのは、ある意味そういう副産物を私は手に入れたっていうことになるってことなんだよね。
確かに。
で、さっき例に挙げた乳酸発酵っていうのも、乳酸の部分は副産物に当たるわけだよね。
だって、本来輪の中で循環しているのは、その微生物がさ、頑張って獲得したエネルギーの方で、生物っていうのはエネルギーをいろんな形で交換しているっていう話なんだけど、
その副産物であるものが私たちにも贈られてるわけです。
もっとちょっと話を広げると、この前さ、その前回その1で挙げた手前味噌の話とかも、
発酵そのもので得られる味噌だけじゃなくて、やっぱりそのプロセスとかも楽しんでるから、やっぱりその部分は、
私たちが楽しみを享受するっていう意味では、その副産物を得ているっていうものなのかなって思ってて、
確かにそういう見方ができるね。
そうそうそう。
私たちが微生物とつながっていく輪の中には、たくさんの副産物が生まれているんだと思うし、
それがより社会を良くしていくみたいな効果もあると思うんだよね。
確かにメインのために頑張ってたけど、そのメインじゃない、このサブが結構重要だなっていう話は結構ある。
あるでしょ。
そうそうそうそう。
そこ結構、おーってなるんだよね。
今ナッシーの話聞いて思ったのが、家畜の糞が実は肥料になってますよみたいな話聞いたことあって、
家畜の副産物じゃない、主産物は牛の乳だったりとか肉だったりっていうのがあるけど、
じゃあその副産物は何かなって考えた時には、家畜の糞、ゴミだよね。
さっきのね、ゴミの例。
そう、ゴミの例。
でもそれをうまく再利用することで、植物の成長を促してくれる肥料になりますよみたいなのっていうのは、
まさにこの例に当てはまるなとも思ってて、
この糞も微生物とかで分解とか発酵とかをすることで、堆肥っていう良質な肥料にもなるよっていう話を聞いたことがあって、
それで微生物ここでも関わってくるじゃんと思って、
自分がパッて思いついた、思い出した糞の肥料の話も微生物関わってくるし、
ナッシーが今日してくれてる話も微生物めちゃめちゃ関わってるし、
微生物関わってることめっちゃあるなって思って、
そうだよね。
ちょっと感動してる。
おほげさんが今言ってくれた時点はまさにその、ちょっとナッシーがはしょっちゃった微生物って実はその、
みんなみんなが一つの輪なんだよって言ってる輪の中ですごいいろんな役割をしているよっていう話にももちろんつながってきて、
分解もしてくれるし、その粉を再利用してうまく使えるような形にしてくれるのも微生物だったりするし、
みたいなことをもちろんしてくれてるってのもあるけど、
やっぱりでもそれをやってくれてる微生物がいるから私たちは生物という輪の中で生きていられるわけで、
その輪の中に私たちはやっぱり入っているんだなっていうことも実感していて、
なんかすごい本当に微生物目線で考えても、やっぱり交換と増揚の輪の中に私たちはいるんだなっていうのを感じられて面白いなっていうのを思います。
不等価交換の重要性
思いますってなんかちょっと、ちょっと改まっちゃったんだけど。
いやでも思う、確かに思う。
でも微生物関わってないことないんじゃないって思うくらい、結構身近かもって思う。
ね。
そう、説明してくれないだけで、あれもこれもそれも微生物だよって言われたら、あーってなってしちゃいそう全部。
ね、なんか目に見えないだけで、でそれはさ微生物が私たちに役に立つこと、私たち人間に役に立つ働きをすることが発行だから、
え、じゃああれもこれも全て私たちの役に立ってるから発行なんじゃない?みたいな視点で見ると、
本当に発行は私たちの身の回りにいっぱいあるんだなっていう気づきにもなるよね。
なる。
ここまでは、クランを例にした増揚で回る輪と微生物の輪っていうのを対比させて話をしてきたんだけど、
こういうふうに増揚の仕組みで動く世界を増揚経済っていう呼び方もするらしくて、
で実際に増揚経済っていうのはいろいろあるんだけど、
例えばボランティアとか地域コミュニティとかそういうところでの活動っていうのもそれに当てはまるというふうに筆者は紹介してくれていて、
増揚を起点とした経済だと、それがコミュニケーションを流して他の人と仲良くなるみたいな副産物が生まれて、
文化人類学の視点
さらに秩序を生み出していくっていうことを考えていくと、さっきマルセルモンさんの言った増揚みたいな、
その副産物が社会の秩序を成り立たせるみたいな話につながってくるのかなって思うんだよね。
一方で、私は今の社会を作っている、投下交換の社会が嫌だとか、そういうふうに言いたいわけじゃなくて、
なんかでも、平等を前提にした交換と気前の良さを前提にした交換っていうのは、そこで交換されるものが違ってくるっていうのが、
今まで話してきた話で分かったと思うので、そういうふうに視点が変わるのが面白いし、
そういう視点の変換みたいなのをさせてくれるところが、この文化人類学の面白さだと思う。
っていうのを、ちょっと最後、今まとめに入ってるんですけど、言いたくて。
私、この話を読んでて、すごい、昔ってさ、どちらかっていうと、今みたいな貨幣経済じゃなくてさ、
ブツブツ交換とかさ、贈り物を贈り合うみたいな交換のほうが主流だったわけで、
私たちが発行に惹かれるのって、やっぱさ、現代の等価交換の社会だとちょっと疲れたりとか、
シビアだなって思うときに、そういう関係性の憧れみたいなのもあるのかなっていうのは思ったりもして、
そういうふうにもまとめている筆者の考えにちょっと共感したっていう感じになります。
確かに、今の生活って、これやってくれたから、今度お返ししないといけないなとか、
贈り物と感情の交流
何か贈り物一つするにしても、値段チェックして、これじゃあちょっと安いかなとか、
この人にこれはちょっと高いかなとか、
自分だったり、世の中の基準値になるものを気にかけていかないといけないポイントが大人になると多くなってくるなと思ってて、
贈り物自体は自分も好きだから、やっていきたいけど、
時にはそういうお金とか、金銭的な基準とか、
そういう物差しを取っ払って、何事も気持ちだけで気持ちのいいやり取りができたらいいなって思う瞬間は、私もめちゃめちゃある。
なんかね、そういう気持ちの根幹にあるのはそういうとこなのかなとか、
もちろん、基準がないとさ、かといって物も選びにくいとかもあるじゃん。
これって、この品物に対して気前がいいとしても、どれぐらいの物を払えばいいんだっていうのをさ、
毎回悩んでたらさ、結構もう私たちの日々の生活回っていかないと思うんだよねとかって。
っていうのもあって、絶対等価交換は等価交換でやっぱりいいところがあるなっていうのももちろん思うし、
そういう不等価交換のところで、そういう気持ちのところでやり取りしたいみたいな、おはぎさんの気持ちにも私もすごく共感するから、
やっぱりでもそういうふうに輪がつながっていくときに、自分もそういう気前の良さみたいなのはさ、
使って副産物を生み出せてくれるようなコミュニティでの働きとかそういうのができたらいいのかなみたいなのが、
この本を得て、読んで気づいたことになるのかなと思ったかな。
で、今回私はすごいこの第4章が、すごい自分の中で思うところも多かったし、面白いなと思ったので、
発行文化人類学の第4章を主に取り上げて、あれやこれやとこの回を話させていただきました。
本はこの後、実は5章とか6章っていうふうにちょっと続いていくんだけど、
この後は醸造家の話とか続いてくるので、もし気になる方はこの続きもぜひ読んでみてください。
次回予告
という形で、この発行文化人類学その2を終わらせていただこうと思います。
おはぎさん聞いてくれてありがとう。
いやでもめちゃめちゃ面白かった。
2週に分けて、発行文化人類学について、発行のこともそうだし、文化人類学のことについてもそうだし、
ラッシーの熱量も乗っかって、大学の授業みたいな感じですごい楽しく学べたなって思ったから、
また何か機会あれば5章6章とかその続きがあるんだったら、全然聞きたいなって思う。
ほんとありがとう。
ここもまとめようかどうしようかっていうのを悩んだんだけど、
たぶんここをいったんここでまとめてきっとかないとっていう気持ちなので、
じゃあもしかしたらそのうちやるかもしれません。
分かりませんって感じかな。
ご縁があればまた読んでください。
よろしくお願いします。
お願いします。
じゃあ、あとは次回予告をしていこうと思います。
来週はそらやんが、欲望の見つけ方という本について話してくれます。
私たちの心にゆずまく欲望はどこからくるのか、
どうやってうまいこと付き合っていけばいいのか、
ということがわかるかもしれない本です。
すごい、なんかちょっとおもしろそう。
ということで、お楽しみにしてください。
ここまででトークテーマは終了ですが、
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バイバイ。