8月が散々だったそらやんが運のいい人になりたくて手に取った本/運がいいひとになりたいと考えるのはそもそもの間違い??/利他的な行動を取ると運が良くなる?/「祈る」ことで運がよくなるのには科学的な理由があった?/運がよくなるためには、自分を大切にし自分を理解することが第一歩!
▼今日紹介した作品
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サマリー
中野信子著の「運のいい人」では、運が良い人は自分自身の特性や価値観を理解し、それを活かしていることが重要であると述べています。この本は、運良く生きるためには自分を受け入れ、適切な環境を整えることが運の良さにつながるという科学的な視点を提供しています。このエピソードでは、運の良い人が持つ特徴について探ります。自己主張や他者との関係性が重要であり、自分を大切にすることが他者からの扱いに影響を与えると語られます。また、運の良さを引き寄せるためには、良い影響を与える人々と積極的に関わることが勧められています。このエピソードでは、運の良い人々についての心理学的研究が紹介され、利他的な行動や社会性の重要性が語られます。特に、祈ることが自己理解や他者との良好な関係構築に寄与するという見解に焦点が当てられます。このエピソードでは、運のいい人々の行動や考え方が探求され、科学的な観点からその根拠が解説されています。また、自分を大切にすることの重要性や、文化や宗教、そして人類学の視点がどのように関係しているかについても触れられています。
運の良さとは
カランコロン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
本好きが集まり、みんなが友達になれる音声配信 喫茶クロ。
9月22日、第112回の配信です。
本日は、なっしーとそらやんでやっていきます。
よろしくお願いします。
やっぱさ、ちょっとさ、あれだよね。私の声ガラガラだよね。
うーん、なんか、まあ言われればそうかなとは思うけど、
そんな感じです。
今日はそんな感じでお願いします。
すいません、ご容赦ください。そんな日もあります。
今日は、中野信子著、新版科学がつきとめた、
運のいい人っていう本について話していきたいなと。
最近読んで、これ面白いなって思ったので、持ってきたんですけど、
突然なんだけど、なっしーに聞きたいことがあって、
なっしーは、運がいい方ですか?
難しい質問だな。
まあ、でも今まで生きてきて、
そうじて運はいい方だったんじゃないかなとは思ってるかな。
なるほど、プラマイちょっとプラぐらい。
プラマイちょっとプラぐらい。まあ悪いこともある。
それはね。
まあ、悪いこともあるよね。そらやんどうなの?
私もプラマイプラぐらいの感覚かなっていうのはあるんだけど、
なんか波の激しさを感じることあって、
めっちゃ運いいなみたいな、コンサートのチケットも当たるし、
なんか仕事でもなんかいい感じだし、みたいな、
で、時と何をしてもダメだみたいな、
やることなすことすべてこうさ、悪い方向に向かっていくみたいな、
あるある、それはある。
50%の確率で、いい悪いの時に、全部悪いに倒れていくみたいな、
えーみたいなっていうのがあって、
これ収録しているのが9月の頭なんですけど、
科学的アプローチ
8月の私は本当に、もう何をやってもダメの時期で、
なんかつらかった。
それはつらい。
つらかった。なんかやることなすことうまくいかないみたいな。
ありますね、そういう時。
いや、だからたぶん、8月に幸せになる壺とか売られてたら、買ってたかもしれないぐらい、結構やばい。
やばかった。
それはだいぶやばい。
やばかったなって思って、やだな、やだなって思って、
この本がふっと目に入って買って読んだら、結構おもしろかったっていう話。
なるほど。
いやでも、仕事だけじゃないけど、こうね、生活に波はあるよねっていうのはすごい理解できて、
私の仕事とかも、私は仕事の話になっちゃうけど、こうね、そういう時みんなにお祓い行ったらいいよとか言われるんだよね。
なんかついてるから、お祓い行ったほうがいいよみたいなこと言われるんだけど、
まぁ今回、私はそういう時神に頼んでしまうかもしれないけど、そらやんは本に頼りたくなったってことかな。
そうだね。いやお祓いもさ、大事だけどさ、手っ取り早く買えられるのってさ、自分の考え方じゃん、こういう時に。
そうです。なんかそのヒントになるものがあればいいなみたいな感じで、本を読むことがあります。
で、この本の話したいんだけど、この本の著者の中野信子さんは、農科学者なので、
で、結構著書多いから、知ってる人もいるんじゃないかなって。
他の著書も面白いので、ちょっと探してみると、あと結構メディアにも露出が多い方なので、
この本は、運がいい人ってつまりどういうことなのかっていうことを、できるだけ科学的にアプローチした本で言っていて、
その中野先生の主張としては、運不運、そのランダムで起きる良いこと悪いことは、
人に平等に降りかかっているけど、その運良い方をしっかり受け止められる人と、
それをちゃんと受け止められずに見過ごしてしまう人で、運の良さみたいなものは変わるんじゃないかみたいな仮説があって、
その運をちゃんと受け止められる力みたいなのは、日々の考え方とか行動でちょっとは変えられるんじゃないか、
それを農科学の観点から見ていきましょうっていう本なの。
だから、運が悪いなって人には、もしかしたら、降りかかっているものは変わらないかもしれないけど、
運の良さを受け止めるために、自分はこういう考え方をちょっとしたらいいのかなっていうのがわかるし、
私運いいなっていう人は、自分が今持ってる考え方とか行動で大切にしたほうがいいなってものがわかりますと。
なるほど。
私は運がいい人は無自覚で、運をキャッチする力を使ってるのかなみたいなふうにちょっと捉えてたんだけど、
それっていうよりは、その人の考え方とか行動とかが運を引き寄せている。
だから、そういう考え方のいい方を学んでおいて、悪い人はちょっとそれを真似するといいよみたいなアプローチということだね。
あ、そうそうそう。だからその運の良さっていうか、運不運が重々で自分に降りてくるとするじゃん。
で、それがもうみんなに降りてくる。
でも、その10を受け止める自分のなんかフィルタみたいなのが、どれぐらいそのきめ細かいザルか、ガバガバのザルかみたいな。
だからその10来てるけど、8キャッチできるというか、8受け止められる人はそれは運良くなるし、
4しか受け止められない人は、やっぱその8位の人より2分の1ぐらい運悪いなって、その結果的には感じるみたいな。
そう思うと、ちょっと希望があるなって思わない。
その確率2倍にできた、それだけで運の良さ倍だもんね。
あ、そうそうそうそう。この自分のガバガバのザルをこうね。
ちょっと網目の名刺を細かくできればって話ですね。
網目を、網交換していけたらっていう。
で、これ全部話したら尺いくらあっても足りないから、
今日はこの本の中で私がおおって思ったところをちょっと話したい。
そこに限って話させていただけたらっていうのと、
一応本の中ではその能機能の詳しい説明みたいなところも書いてくれてるんだけど、
ちょっとそれも尺の関係上ちょっとはしょってしまう部分もあると思うので、
いや科学的言うたけど結構科学的じゃなくない?みたいに思っちゃった人は、
自分を生かす
それは私の説明のせいなので、ちょっとそこはご容赦いただきたいと。
ちゃんと本には書いてありますということを。
なるべくなるべく話せるようにしたいんだけどね。
いくつかその運のいい人はこういうことしてる、こういう考え方をしてるっていうので、
いろいろ書いてあるんだけど、私が一番ああって思ったのは、
ああってね、ああじゃなくてああって思ったのは、
まず運のいい人は今の自分を生かす。
自分のことを大切にして自分の価値観好みを優先する人。
まず運のいい人になりたいって思った時に、
その運のいい人っていうものを自分ではない何かとして捉えて考えること自体が間違っていますっていう話なんだよね。
なんかここがちょっとよくわからないので、そのまま説明を続けてください。
そうだよね。
これどういうことかっていうと、
一旦そのここでね、自分っていうものを脳が考えたり判断したりした結果っていうものを、
自分っていうものとして考えてみていきたいんだけど、
前回さ、おはぎさんの友達のお話聞いたじゃん、我々。
そのADHDの本でも人の脳の癖って結構個人差あるっていう話したよね。
一つ遅刻するっていう結果でも、いろんなその人の脳の癖で遅刻の理由もいろいろあるみたいなさ。
だから結構個人差があるみたいな。
残念ながらその脳の癖っていうのは、
遺伝的なものが大きくてガラッと変えることって根本的に難しいらしいのね。
考え方は自分でコントロールできないということ?
考え方、ある程度の調整みたいなことはできなくもないけど、
根本的に楽観的な人と、根本的に悲観的な人といたとして、
でもその考え方でちょっとそのさ、悲観をちょっとポジティブにするとか、楽観をちょっと、
いやもうちょっとこう、慎重というか、悲観的に考えて安全をとるみたいなことに、
社会的な活動の中で調整していくっていうことはできるんだけど、
それでもさ、そのめっちゃ悲観的な人になることはできないみたいな。
そうだね、なんかわかった。
そうだね、考え方の癖で、基本が楽観的考え方の人が、
ものすごく悲観的に考えることができるようになるかって言ったら、そうではないってことだよね。
そうそうそうそう。
だから、根本的にガラッと変える。
このガラッとって言ったら、本当にすごいガラッと変えるってことね。
やっぱさ、その、悲観的に、楽観的な人が悲観的に考えなきゃっていうのは理解したとて、
悲観的に考えては見るが、でもちょっとさ、ちょっと自分としては違和感があったりとかするじゃん。
逆にさ、その悲観的な人もさ、もっと楽観的に考えろよって言われて楽観的に考えてみているけれども、
でもそのみたいなのがあったりするじゃんっていう。
だから、なんか根本的にその、変えることはできなくて、
結論は、自分以外の誰かにはなれない。
まず。
遺伝的なものとかっていうところで、難しい。
なので、そもそも運のいい人になりたいと思って、
運のいい人って言って、パーって思いつくさ、
あの人、なんかいつもいいこと起こってるなぁみたいな思って、
あの子みたいになりたいって思って、自分のことをどんどん変えるっていうよりは、
そういう自分を変えるっていうところをすると、無理が生じてしまうから、
それよりは自分自身の本来の性格とか価値観とか好きなもの、
何に喜びを感じるか、何に不快を感じるかっていうことをしっかり理解して、
その自分のままいられる環境を作っていくっていうことが、
結果として、無理が生じないから、自分らしくいられて、
いい気分になって、運の良さにつながっていくというか、
自分らしくいられればさ、
嫌なことは避けられるし、いいことは受け止められることが増えていくから、
環境が良くなっていくと。
結果として、自分にとって心地いい状態が続いてるなっていうのは、
それって運の良さっていうか、それぞれ重々落ちてくる運風運の、
運いいなっていうことを受け止めやすい状態になれるみたいな。
伝わるかな?
なんかパッと考えて、運の良さと自分らしさが、
普通に考えてたら結びつかないような気がしてたけど、
今の説明だったら、なるほどねっていう感じにはなったかな。
今の自分に合っている環境っていうのを、
要するに自分らしく生きてる人は、
自分に合っている環境っていうのを見つけやすいし、
その中で、過ごしやすいところを自分で見つけられるっていうことだよね。
そういう理解をしたんだけど、そういうことだよね。
仕事が分かりやすい例かなって思うんだけど、
自分に向いてる仕事をしてる時の方が評価はされるし、
自分も楽しく働けるじゃん。
でも、自分の特性をあまり活かせない仕事とかだと、
同じように仕事が来ても、うまくいかないなとか、
困った時に、この手を使えばいいんだみたいなのもさ、
自分に向いてる仕事をしてる時はさ、
この手を使えばいいの、この手が結構信頼における結果が出る、
この手に結びつくけど、
自分に向いてないことをしてる時って、向いてないからさ、
この手を使えばいいんだみたいな、
当たりませんでしたみたいな感じ。
そうなるとさ、結果として、
例えば外から見ててもさ、
あの子、こういう仕事向いてるから、
もしかしたらこれもお願いしたらうまくやってくれるかなっていうふうに、
周りが思って、
なんか私に向いてる好きな仕事が来るみたいな流れってさ、
運がいいっていうふうに捉えることもできるかなみたいな。
確かに、いい仕事が自分向こうからやってきてくれるんだもんね。
そうそうそうそう。
だからなんかすごい思ったんだけど、
でも自分のことを理解するってさ、難しいなって。
そこがまず難しいなって思った。
自己理解と他者との関係
難しいけど、難しいけど、
なんか何か状況を変えたいって思った時に、
ああいうことをすれば変わるんじゃないか、
この考え方を変えたら変わるんじゃないかって、
私は結構思いがちなんだけど、
その前にこの状況で今自分が何を感じているかとか、
今この状況で自分は意外とこういう行動の癖が出やすいんだなとか、
そういう自分にこうフォーカスするっていうことがないものを求めるっていうことじゃなくて、
今あるものをちゃんと見つめ直すっていうことが大事なのかなって思ったんだよね。
それが多分足りないというか、足りない8月だったのかしらって思ってる。
それが足りなかったのかしらと、ソラヤは思い描いたってことですね。
そうそうそうそう。
で、これさらに話が続くんだけど、
自分を大切にしている人を他者は粗末には扱わないそうです。
これさ、割れ窓理論ってさ、聞いたことあるかもしれないんだけど、
割れた窓をそのままにしていると、その街にはさらに犯罪が増えるみたいな、
どんどんゴミが捨ててある場所にはどんどんゴミがたまるみたいな、
それと同じで、自分自身を粗末に扱っている人に対して、
他者は軽率な扱いをしがちらしい。
これ分かりやすい例だと、
私、あれもできなくて、みたいな自虐が多い人に対して、
いじってもいいんだな、みたいな気持ちになりがちみたいなことってあると思うんだけど、
それに似たようなものを、今のは分かりやすいけど、
分かりにくいパターンでも、人間はそういうふうに、
この人にはこういう感じでもいいんだ、みたいに思っちゃうのかなっていう。
なるほど、建物だけじゃなく、人にも割れ窓理論は使えるというか、
そうそうそうそう。
適用されるんだね。
自分を粗末に扱っているってことが、他の人にも伝わって、
粗末に扱われてしまうってことだよね。
え、こわ。
そうそうそうそう。
イメージしづらいけど、無理して仕事いっぱいしちゃってる時とかさ、
無理していろいろ引き受けちゃってる時とか、
そうなるとさ、自分を大切にしていない状態で、
人に大切にされないっていう前提だとすると、
なんか嫌なことふかけられるな、みたいな感じに、
あんぱん半分してくれたけど、私のほうがなんか3分の1ぐらいでしかないのくれるな、みたいな。
でも、その子はいつも、いいよいいよ、私ちょっとで、最後の一口でいいよって言ってるみたいな。
私のさ、たとえ幼稚じゃないけど、
あんぱんはちょっとびっくりしたかな。
でも、なんかそういうのあるかもしれない。
なんか、私最後でいいよ、みたいなさ、優しさでこう言っちゃう時とかに、
でも、何より最後でいいって言ってて、みんな好きなの取って、
自分のあんまり好きじゃないお菓子だけが残ったみたいな。
でも、そこで私これ食べたいとかさ、
私はこれが好きなんだっていうこともできるわけじゃん。
で、別にそれをさ、やがままだよ、みたいな友達いないじゃん、そんな。
あ、分かった分かった、分かりやすくてありがとうって。
分かった分かった、いいよいいよ、みたいな。
かぶったらジョンキンしようぜ、みたいな感じじゃん。
そうね。
っていうことも、運の良さというか、
結果的には、自分にいいことがめぐりめぐってくる回数に影響しているのではないでしょうか、っていう。
はい。
運を引き寄せる行動
どう? ここまで。
すごいでも、最後の例は、ちょっとアンパンのところは最初ちょっと、
ん? どうなったっけ?って思ってたけど、
まあでもさ、いやなんか、
あれだよね、まあそうやって人に譲ってる人よりも、
ちゃんと自分で自己主張する人のほうが、自分の欲しいものは手に入れられるし、
あ、それは運がいいなって思われるのか、
でもいいや、それは自分の望みをちゃんとわかっているから、
ちゃんとそれがまあ、主張できて、それがかなえられているっていう状態だから、
運がいいように見えるっていうことなんだなっていうのは、すごいわかりやすかったかな。
確かにそうだよね。
なんか今ナッシーに説明されて思ったけど、
なんかやっぱ自分の好きなものを理解してるって大事だなって、
なんかなんでもいいよ、みたいにさ、思って、
なんでもいいわけないんだけど、
なんか自分のことわかってないとさ、
なんでもいいよってなっちゃう返答をしたときに、
でもその中でこう自分はチーズケーキが好きだとか、
りんご系のやつが好きだみたいなんだったら、
数あるお菓子の中からこれが自分の好きそうみたいなのを選べるけど、
自分のことわかってなくて、なんでもいいやって思って、
ガバガバのざるの状態で、
ありとあらゆるお菓子の中から、
自分のものを取ろうとしたときに、
全然まずいじゃん、みたいになるのは、そりゃそうだなって思ったし、
別に自分の主張ができるって結構大事っていうか、
それもさ、自分を大事にするっていう。
まあね、そう、なんか、
好意的に受け止められる場面と、そうでない場面ってのはきっとある、
好意ではあると思うけど、
まあでもね、そこで自己主張すてもいいじゃんっていうのは、
今の話は聞いてたほうがいいな。
なんかその社会性を考えたときに、
例えばその、お菓子は譲れるけど、
寿司のネタは譲れないとか、
まあね、
あるじゃん、優先度あるじゃん、自分の中でも、
自分の優先度を理解しておくとかもさ、
旅行先は、旅行先の土地は譲るけど、
宿泊施設の設備のこの点だけは、私は絶対に譲らないみたいな、
なんかそういう取引を、取引というか、
なんかね、しながらうまいことコントロールしていく中で、
それもやっぱりさ、自分のこと理解してればうまくできるという、
なるほど、いいね。
そうそう、前半部分、今すごく理解できました。
ね、まだ他にもいくつかあって、
この後は自分からちょっと離れるんだけど、
積極的に運のいい人と関わることも大事みたいな、
欲望の見つけ方ってさ、本の回あったじゃん、
2人で話してさ、覚えてる?
覚えてる、覚えてる。
欲望もこう真似しちゃうみたいな、
人間には模倣するっていうすごい力があって、
それによって自分の欲望も他人の欲望を真似することで、
こう生み出していくっていう側面がありますみたいな。
で、この模倣する力っていうのは、
脳の中のミラーニューロンっていう神経細胞の働きなんだけど、
めっちゃ真似は得意なんだよね。
多分、意識的・無意識的によく接触する人のことを真似てるみたいな。
だから、運と不運自体は平等に振りかかっていて、
振りかかってはいるんだけど、
運をキャッチしやすい行動をしている人とか、
考え方をしている人がいて、
それが運の良さ悪さを決めているのではないかっていうのを、
この本では仮説としてあるんだけど、
だったら、その運のいい行動がすでにできている人のそばにいて、
その人の行動とか考え方に日々影響を受けていくといいよねっていう。
なんかさ、ここちょっとナッシーでさ、
質問に思ったのは、
その運のいい人の影響を受けたほうがいいっていうのは、
すごいよくわかるんだよね。
そのときに、でもさ、運がいい人にもさ、
好不調あるわけじゃん。
ある。
運がいい人の中でも、不調のときとか好調のときとかがあるわけで、
だから、運がよくてかつ、
好調そうな人のところに近づいていくっていうのが、
一番いいのかなとか思ったんだけど、
なんか、その話とはちょっと違う?
いや、そんなことはなくて、
さっき言った通り、この基本平等に運不運みたいなのは、
降りかかっているっていう前提で、
だから人生にはいいこともあり、悪いこともあり、みたいな。
で、すでにいい人っていないと思うんだけど、
私もナッシーもさ、幸いなことにプラマイプラかなぐらいの感じでいけてるわけじゃん。
そうだね。
で、そのプラマイプラが、私が例えば6とかだとしたら、
0から10段階でね、10段階評価で、
私がプラマイプラだから6ぐらいかなってしたとすると、
8とか9ぐらいの人と一緒にいるみたいな。
で、8とか9の人も、だから10ではないから、
嫌なことは起きるんだけど、人生の基本方針としてはプラスが結構でかいって、
たまにさ、いないなんかさ、私運いいんだよねってはっきり言う人。
おー、あんまりお目にかかったことないかな。
あ、ほんと。私はね、1年に1回ぐらい出会う、そういう人に。
私運いいんだよね、みたいな。
でもやっぱその人はさ、たぶんザルがガバガバじゃないんだよね。
基本方針としてたぶん、この本に書いてあることが大切にできてて、
波はあるとも、プラマイプラのプラがでっかいみたいな。
なるほどね。自分でもはっきり自覚して、
私プラスだなって言えるぐらいの人に近づいてったほうがいいよっていう話ね。
なんだろうな、こう、やっぱさ、本に書いてあることとかで、
ちゃんと言語化して理解することも大事かもしれないんだけど、
すべてを言語化することはできないし、
さっき言ってた脳の癖みたいなところでさ、
完全にその人になれるわけではないんだけど、
その人の日々のちょっとしたこととかを、
自分が真似できることみたいなのを、
吸収していくっていう環境はいいんじゃないかなって。
いや、わかんないけどさ、いつもニコニコしてて、
必ず挨拶するとかさ、
それって別にさ、脳の癖関係なく真似できるじゃん。
報道だからね。その報道を真似することができるからってことね。
うん、とか、なんかそういう、
あ、いいなっていうふうに思って真似もできるだろうし、
社会性と利他行動
なんか自分が勝手に、なんかそうやってね、
挨拶する人のそばにいたら自然と、「おはようございます。」とかさ、
言えるようになってくるみたいなのもあるかもしれないっていう。
で、まだあともうちょっとあるんだけど、
運のいい人は、
独り勝ちを目指さない。
独り勝ち目指さないんです。
これどういうことかっていうと、
そもそも人間は一人で生きていけるようには設計されていなくって、
人類史において。
だからこそ、社会性っていうものが脳に備わっていると。
社会性を大切にするっていうことは、
自分の生存確率を上げているっていうことだから、
本能的に結構喜ぶというか、
喜ぶ方向に行くようにはなっているらしい。
だから、利他的な行動を取るとか、
人間関係を大事にすると、
脳が自分自身に生存の確率を上げる行動をしたっていうので、
いいことをしたねっていうふうに評価するんだって。
へー、おもしろい。
脳が自分自身を。
そうそうそう。
そうすると、でもその生存確率を上げるっていうことだから、
自分の中での、いいことしたねっていう評価は、
すごいね、自分にとってすごい快感なんだって。
喜び物質がめっちゃ出るんだって。
例えばさ、道端でゴミを拾ったときに、
誰も見てなくても、なんかいいことして気分いいなみたいなときないですか?
ありますよ。
あるよね。
あるある。
今年いいことしちゃったなみたいな。
ちょっと誰かに今日親切にできたなみたいなね。
理他的行動の効果
あれはね、自分の生存確率を上げたっていうことへの賞賛らしい。
いやでもさ、すごいよね。
社会性を持つ人間だからこそ、
それについて生存確率を上げたっていうことで、
脳は報酬刑を用意しているってことだもんね。
そうそうそうそう。
本能の話だから。
道端のゴミ拾って生存確率上がりませんけど、今の。
その人類史っていうか、進化の歴史ってさ、
そんな1日2日でさ、ガラッと変わるわけではないから、
もうそれこそ終了とかしてた頃の、
人間の脳のままだいたい今もやっているっていうのが、
今の現代人なわけで、
そんなに変わらないから、そこは本能的に喜ぶみたい。
理他的な行動をとっていい気分になるっていうのは、
すごい自分にとっていいことっていうか、
いい人ぶっちゃってみたいな感じの気持ちになることもあるけど、
基本的には自分にとってはめっちゃいいこと。
さらにその上で人から感謝されると、
社会性が成り立つから、脳がもっと嬉しいみたいな。
社会性が上がって、生存確率が上がってるから、
すごいいいことをしてる、もうそっちの方向に行け、お前は!みたいになるから、
嬉しいみたいな。
だから、理他的な行動をとるっていうことは、
本来人間にとってはめちゃくちゃ快感。
どっちも利己的な行動をとるよりも、
理他的な行動をとっている方が、
報酬系はこう、歓喜される。
で、あとは、
互いに報酬の種に性質の性、
互習性の原理っていうのがあるらしいんだけど、
そもそも人はこう、報酬を交換し合うもの。
社会性維持のために。
で、誰かに何かをしてもらったら、
何かをお返ししたくなるっていう本能がある。
これさ、文化人類学っぽくない?
なんかその話あったよね。
あったあった。私今、文化人類学っぽいなって思って聞いてた。
交換のために交換してるみたいな。
交換という行為をするために物を用意してるみたいな。
発行文化人類学でさ、その話あったよね。
あった。
っていうのがある。
互習性の原理っていうのがあって、
だからその理他的な行動をしたら、
自分も気持ちよくなるし、
そもそもその互習性の原理に準じると、
必ずそのされた方も何かをお返しするっていう本能が喚起されて、
自分じゃないかもしれないけど、何かも返ってくるみたいな。
何かを返そうっていうふうにその人はするみたいな。
だから電車の中でめっちゃ疲れてる時に席譲ってもらってさ、
ありがとうって思ったら、
私も元気な時は人に席を譲ろうっていう気持ちになるとかさ。
そうするとさ、
ちっちゃい輪かもしれないけど、
良い循環に入れる、入りやすいみたいな。
自分のちっちゃい理他的な行動かもしれないけど、
結果としては周りの理他的な行動を増やすきっかけにもなるし、
そもそも理他的な行動をすると気分も良くてみたいな。
何かちゃんとそのね、
理他的行動はつながっていくっていうところが、
やっぱり人間は社会性を重んじている動物なんだなっていうのを思ったよね。
そうなんだねって。
何かだってね、それがお互いの互習性を刺激していくっていうことだよね。
お互いに贈り物を贈り合ってるみたいな感じだもんね。
贈り合ってる。
そうやって理他的な行動をとって、
広く周囲に配慮できる人っていうのは、
そもそもさ、自分も相手のいいことをしてるし、
相手からもそのご習性の原理で帰ってくるし、
みたいなところもあるし、
周りのことをさ、見る力もあるから、
基礎の人間関係がそもそも万弱だと。
自分の周りにいい人が揃っているというか、
安心して過ごせる人間関係があるから、
そもそも論だけど、不運な状況に陥りにくいみたいな。
近くの人から石を投げられることはないみたいな。
そもそもなんだけど。
いろんな人と関わることで、
トラブルの母数はね、増えるとは思うんだけど、
でもやっぱりその身近な人たちとの信頼関係が、
信頼関係というか、基礎の人間関係がしっかりしているってあれば、
壁はさ、厚いから。
ちょっと離れたところから石を投げられても、
近くの人に守ってもらえるみたいな。
そうすると不運を跳ねのける力があるっていうので、
その第一歩として利他的な行動どうですかっていう、
著者はお勧めしている。
そもそもみたいな話で最後になっちゃったけど、
でもそのそもそもを作るためには、
自分のね、道端のゴミを拾うところから、
すべては始まっているのだと思うと、
あーって思うよね。
でもなんかさ、自分の今までの経験からもさ、
困った時に助けてくれる人がいるっていうのはさ、
結構心強いことだったなって、振り返ってみて思うしさ、
運が良かったなって思ったのも、
そういう場面が思い出されて良かったな、
あの人に助けてもらえて良かったな、
みたいなことって多いなって、
ナッシーは今までの経験からも思うから、
やっぱそういう時に助けてもらえる人であるとか、
助けてもらえる環境であるっていう人が、
運が良いってなるのはやっぱりすごくよく分かるし、
やっぱりそれは社会性に繋がってくるんだなとか思って。
祈りの重要性
逆もあるよね。
絶対にいつかこの子に恩を返そうみたいな。
この人に、その子が窮地に陥った時とか、
その人が窮地に陥った時に、
自分がこう駆けつけることができるっていうのは、
その人にとっての運の良さにはなるのかもしれないなって。
ね。
そんな感じで、自分のことと、
ちょっと自分の周りのことの話をして、
最後、最後ね、
運の良い人は、祈る。
祈る。
突然、非科学的になりました。
ほんとだよ。なんかちょっと、
今まですごく科学的に話を進めてきたのになぜここで、
科学的にアプローチしてきた。
いやいやいや、ちょっとまだ最後まで聞いていただきたいんですけど、
聞かせてください。
話ちょっと変わるんですけど、
祈るっていうことについて話すにあたって、
私この章を読んだ時に、
1個すごい思い出した本があって、
仏教徒の僧侶の方の、
アルボム・レ・スマナ・サーラさんっていう方がいるんですけど、
私そんなに詳しくないんですけど、仏教の。
仏教について詳しくないんだけど、初期仏教っていう、
仏教の成り立ちの最初の方の教えに詳しい方らしいんだけど、
その方が、決断するっていうことに関する本を書いていて、
いかに煩悩を捨て去って、正しい決断ができるかっていうことを、
仏教からちょっと学んでみませんか?みたいな。
これは、いろいろある仏教の考え方の、
その人の解釈の一つだと私は思ってるんだけど、
仏教は煩悩を捨て去るために、言語化をいっぱいしましょうみたいな、
教えの側面があるらしいのね。
この話広げると大変なことになってしまうので、
ここまでにしておくんだけど、
運のいい人は祈るの。
祈るって何なのかって話なんだけど、
僧侶の方によると、祈るっていう行為は、
自分の心の中を言語化するもの。
例えば、幸せになりたいみたいな。
私幸せになれますようにって祈られたとしても、
お前にとっての幸せって何や、みたいなことがわからないと、
祈られた側としても何にもできませんよっていう話で、
祈られた側の立場に立って考えてみなさいと。
幸せになりたいって言っても、
お前の幸せが私にはわからんよと。
だから、自分はどういう状態が幸せなのかな?
お金があることかな?
毎日あれこれができてることかな?みたいな。
そういうことをきちんと言葉にしていくっていうことが、
祈るっていうプロセスの中で大事みたいな。
祈るっていうプロセスの中で、
それを獲得していかないと、
結局、自分を理解するって最初の話に戻るけど。
幸せの形は人によって違うから、
自分の幸せは自分で言語化しておかないと、
願いを叶える側も叶えてあげられませんよっていう、
そういう話だよね。
そうそうそうそう。
だから、祈るっていう作業で、
自分の心の中を言葉にしていきましょうみたいな。
この言語化ももちろん大事なんだけど、
さらにね、自分の願いみたいなものが、
自分だけじゃなくて、
より多くの人を対象にしていると、
さっきの利他的行動で得る快感と近いものを脳が得られるそうです。
その社会性、生存確率を上げる願いをした。
いいね、みたいな。
みんなの幸せを祈れる自分、えらいねって脳が判断するみたいな。
また脳が出てきた。
面白くない?これ。
この願いのところで、さっきのまた脳の快感物質が
関係してくるんだなって思って、
ちゃんと科学的だったなって思った。
そうそう、だから宝くじで1億円当たりますようにっていうときに、
宝くじで1億円当たって、
私の友達みんな世界一周旅行に連れて行きたいみたいな方が、
同じ1億円を願うにしても、
利他的行動につながってるからいいねってなって、
脳内の気分がワーって、いい感じになって、
また利他的行動ができるようになって、
で、万弱な人間関係につながってみたいな。
なるほど。
なるほどだよね。
で、これね、嘘とかじゃダメで、
本当に自分の願いに近いものじゃないといけないんだって。
自己理解と願い
だからなんか、表面的に世界が平和になりますようにみたいなことではなくって、
自分はこういうことをして、
その結果世界が平和になる方向に行けますようにみたいな感じの解像度で、
しかも自分が本当にそう思ってるっていう。
そうするといいねってなるらしい。
それってさ、やっぱ結局自分のこと掘り下げないと出てこないから、
そうすると自分をよく知るとか最初の話に戻るし、
やっぱりそういうことを考えるためには、その時間を取らなくてはいけないし、
何かしながら考えるとか難しいから、
そうするとこう、祈るっていう作業時間がこうあるといいんじゃないかみたいな。
はい。
って言うと結構奥の深い、祈るって言っても奥が深いなって思った。
なるほど。
このあたりどうですか?
でも、そう、いや、まあなんか、祈りという行為が言語化につながるっていうのはなんか、
前私も仏教の本紹介したときかなんかにちょっと、
あったよね。
あった気がして、
反応しない。
そうそう反応しない練習のときか、そうだね。
うん、そうだそうだ。
で、そのときとかにもあったから、やっぱりそういう話が、
でも結局その脳の快感物質とつながってきて、
で、やっぱり社会性を、というかそうか、生存確率を上げる社会性のある行動だということがあるから、
結局私たちは本能的にその行動をしたくなるっていうのが結構面白いなって思ったかな。
ね、面白いよね。
めぐりめぐってる感あるよね。
うん。
なんかそう言われてみると確かに、なんか運のいい人の循環に乗っかっていってるような気がするっていう。
うん、なんか自分のこうガバガバのザルがちょっときめ細かくなれそうな感じがあるよね。
あるね。
運のいい人の考え方
で、振り返ってみると私、8月めっちゃ運悪かったなって思ったんだけど、
まず私は確かに自分のこと全然大事にできていなかったっていうのはありました。
ありました。やっぱちょっと無理しちゃったなとか、
あと結構なんか自分ってこんなとこダメだから直さなきゃって思うことすごい多かったなって、とかね。
うんうん。
あの、ちゃんとしたものを食べてないとかさ。
そうだったの?食べようよ。
いやそう、ほんとに。
ご飯を大切にしている私としてはちょっとあるまじき事態だったんですけど、
そうやってこう自分をね粗末にしていって、やっぱ周りからもう無意識的に、
そういうふうに粗末に扱われる、
まあ、そのそういうふうにね、粗末に扱ってやろうっていう気持ちはなかったとしても、
まあこれぐらいだったらこの人大丈夫かなみたいな感じに思わせてしまってた部分もきっとあっただろうし、
まあそういうふうに、でやっぱそういう時ってさ、こう自分のことしか見えてなかったりもするから、
まあそういうふうにすると利他的な行動も取れず、っていう巡り巡ってこう自分にあまり良くない流れができていたなって思って、
9月は自分を大切にすることにね、しっかり取り組みたいなって、
私さ、死ぬほど有給が余りすぎていて、
突然仕事の話に戻るんだけど、
来年のさ1月31日にさ、消えてしまう有給の数がちょっと尋常じゃないことに気づいて、
有給取ろうかなって思った。
自分を大切にしてください、そらやん。
ね、そうだよね。
いやなんかさ、予定がないと有給取らないみたいなとこあって、私。
で、あとその子供のために残しておいたりもするじゃん。
まあそうね。
万一のこと。
幸いなことに、めっちゃ余ってて消えそうだから、
予定がなくても、自分を大事にする予定を作って、
有給カードをちょっと切るとかをしようって思った。
ね。大事にしてよ、そらやん。本当に。
ありがとう。
思ったし、そうだな。
でも今日の話はなんか、すごいその人類学が出てきたりとか、
仏教の話が出てきたりとか、
ナッシーの好きな話だよね。
そう、なんかちょっと私的に、え、そうなってるんだっていう部分が科学的にちょっとつながってきたりして、
まあなんかさ、文化的にさ、文化的にそういう行動をするとかはさ、なんかわかるし、
まあ宗教としてそういう話をするっていうこともわかるんだけど、
それが科学的にも本能の部分で、そういうところに脳が喜びを感じてるっていうところに、
まさかそこもつながってくるのか、みたいなちょっと感動があって、
すごい。
それはあった、私も。
そう、なんかそういう視点でも見られるのかっていう、
ナッシーは面白さと驚きを感じられた今回の本でした。
今日紹介できなかった部分も、紹介できなかったその運のいい人の行動考え方みたいなのもいっぱい載ってるので、
発泡ふさがりだなって人は読んでみるといいかなって思いました。
文化的視点と科学
しかも結構サクッと読めるから、
あ、そうなんだ。
しかも気分はいいから、うんうん、そんな難しくないし、
もちろんその科学的な説明とかもあるけど、そこもだいぶ噛み砕いて説明されてるから、
元気になります。サクッと読めて。おすすめです。
ありがとうございました。
では今日はこの辺でトークテーマ終了なんですけども、
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バイバイ。
47:05
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