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2025-09-08 43:31

#110 【格差の”格”ってなんですか?/勅使河原真衣】無意識に自分や周囲を「能力主義的」に見てる!?

「レンタルなんもしない人」回に感銘をうけたそらやん/日本社会は「能力を高める」ことに邁進しすぎじゃないか/コミュニケーションやリーダーシップって「個人の能力」なのかな/「なにもしない」ことでしか見えないその人のらしさはあるよね/無意識に能力主義のフィルターで眼の前を見ていないか振り返りたいね


▼今日紹介した作品

格差の“格”ってなんですか?



▼キサクロではおたよりを大募集中!あなたの好きな本教えてね

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サマリー

勅使河原真衣さんの著書『格差の”格”ってなんですか?』に関する議論が展開されており、特に日本の能力主義への批判とその影響について論じられています。このエピソードでは、教育システムにおける能力の定義や、個々の能力の評価方法にも触れられています。また、教育や企業採用における能力主義の問題について語られ、特にコミュニケーションやリーダーシップ能力が個人の責任とされることの不合理さが指摘されています。さらに、手志川原さんが提唱する多様な人材の活用について考察がなされます。このエピソードでは、無意識のうちに能力主義的な視点を持ちながら生きることが幸せに繋がるのかについても考えが展開され、著者の『格差の”格”ってなんですか?』を通じて、特権性や能力の理解が深掘りされます。最後に、無意識のうちに能力主義的な見方をしていることについての考察が行われ、自己理解や周囲の人々との関係に焦点が当てられています。

勅使河原真衣の作品
スピーカー 2
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
音好きが集まり、みんなが友達になれる音声配信【喫茶クロ】。
9月8日、第110回の配信です。 本日も3名で配信いたします。
よろしくお願いします。 3人いまーす。
で、今日はですね、勅使河原真衣さんの【格差の”格„ってなんですか】っていう本について話したいなっていうふうに思ってて、
すごい話したいなって思ってて、すごい話したいなってなんでかっていうと、
喫茶クロ夏休みに入る直前の第107回で、レンタルなんもしない人の本を、おはぎさんが紹介して売れたじゃないですか。
あの回で、レンタルなんもしない人さんは、人間って何もしなくても価値あるんじゃないかっていう信念のもと、
レンタルなんもしない業をしているっていう。 おはぎさんそれにすごい感銘受けたっていう話をしてたよね。
スピーカー 1
しました。
スピーカー 2
で、私それを聞いて、編集しててすごい感動して、
いやだったら、この勅使河原真衣さんの考え方に触れてほしいなっていうふうに思って、
今日はお二人をお呼び立てしているんですけども、
はい、お呼び立てられました。
お呼び立てしまして、はい。
スピーカー 1
私、この人の働くということっていう本が去年確か出てて、
スピーカー 2
出てた。
ちょうど復職、ちょうど復職したタイミングだったから、
この本は読まなきゃいけないか、いやでもちょっと今無理だなみたいな感じで、
その本が目にとまった記憶があったなっていうのを、今思い出しました。
能力主義の概念
スピーカー 1
私も同じく、勅使河原真衣さんの本でまだ読んだことなくて、
でも今回レンタル何もしない人回のアンサー回的な感じと聞いてて、楽しみにしてきました。
スピーカー 2
じゃあ早速、まずネッチャ社の方のご紹介からしていきたいなっていうふうに思うんですけど、
この勅使河原真衣さんはどういう人だっていう話で、
組織開発専門家っていう肩書きをお持ちの方で、
元々外資系でコンサルやってたようなもうバリバリのキャリアウーマンの方で、
現在独立されて企業とか学校とか病院とかで組織開発を支援する取り組みをやられている感じで、
大学でもずっとその組織開発について研究をしていて、
人間が組織でのびのびと力を発揮するにはみたいなことについてずっと取り組んでいて、
勅使河原さんは以前からこの組織と人間の関係性についてずっと問題意識を抱いていて、
この問題意識を自分の中に留めておくことはできないっていう強い気持ちで、
近年超ハイペースで本を書いています。
それ何なのかっていうと、日本の能力主義って、
ちょっとこのままの方向性で突き進んでいくのやばいんじゃないかっていう危機感があるんだよね。
急に出てきたこの能力主義という言葉、2人は聞いたことありますか?
聞いたことあるかなっていうぐらいの感じなんだけど、
なんかイメージとしては、自分の能力磨いていかないと社会では生き残っていきませんよ。
スピーカー 1
だから能力を高めていきましょうね、みたいな話なのかなって思っています。
スピーカー 2
私も単語としては聞いたことある気がするし、単語そのものも見たことあるような気がするんだけど、
スピーカー 1
でもちゃんとした認識というか知識はなくて、イメージとしては能力ないもの食うべからず的な厳しい印象を持っています。
スピーカー 2
厳しい。
厳しい。
能力主義、メリット暮らしは、一応定義としては個人の能力、努力、成果に基づいて、
社会的な地位や報酬が決定されるべきであるっていう考え方なんだよね。
この社会的な地位や報酬ってとこがね、ミソかなっていう。
これだけ聞くと、厳しいけど意味はかなってるかなっていうような印象があるようなないような気がするんだけど、
そもそもこの能力主義が定義してる能力って、何なんですかね?ずっと質問してる。
ずっと質問されてる?
今日ずっと質問してる。
スピーカー 1
その能力は何かというと、
スピーカー 2
能力主義の能力。
組織の中で役に立つものかなとナッシーは考えました。
イメージとしてはやっぱりコミュニケーション能力とか管理能力とか、そういう系?
今パッと思いついたのはそんな感じかな。
私もナッシーとかぶっちゃうけど、やっぱコミュニケーション能力とか共感力みたいなのは、割とマストかなと思ってて。
スピーカー 1
あとはその時代を担う機器の操作能力、パソコンの作業だったりとか、操作の能力っていうのも能力主義の一つかなって思う。
スピーカー 2
なるほどね。
能力主義って、社会的なツイート報酬と紐づく能力っていう考え方だから、
このメリット暮らし、能力主義っていう考え方自体は古くからあるから、その能力とみなされているものってやっぱその時代とか国によって全然違う。
ああそうか、その社会によって変わるからってことね。
教育における実態
スピーカー 2
社会によって必要なもの変わるから全然違うんだけど、じゃあ現代日本はどうなのかっていうところで、
現代日本で能力ってされてるものをどうやって我々が獲得していくかっていうと、やっぱ教育になっていくと思うんだけど、
この本の中でね、紹介されてるんだけど、2013年から2021年に政府で組織されていた教育再生実行会議っていう、
日本の教育を見直しましょうっていう取り組みがあって、そこでこれからの時代を生きる人たちに必要とされる資質、能力、求められる人材像っていう、なんかパワポみたいなのがあるのね。
そこ見てみましょう。政府が現代日本人に必要な能力ってこれなんじゃないですかって一応言ってるパワポがあるから見てみようと。
まず基礎があるのね。基礎となる学力、体力。学力は結構厳しいなって思って、まず文系理系問わない幅広い教養。
日本人としてのアイデンティティ、国語力、英語力、情報活用能力。文系理系問わない幅広い教養って結構厳しいな。
幅広いよね。それがもうすでに幅広い。
幅広すぎるって言うと、でもここ基礎だから。基礎の上にまだあるの。
課題発見、解決力、志し、リーダーシップ、創造性、チャレンジ精神、忍耐力、自己肯定感、感性、思いやり、コミュニケーション能力、多様性を需要する力。
どうですか?
スピーカー 1
感性とか思いやりとかさ、出てきたけどさ、感性思いやりの前に国語力とか英語力が来るんだね。
その基礎となる部分に最初大事ですよって提示されるのが、国語力とか英語力とか情報活用能力とかって、
私の感覚だと、基礎っていう観点だったら、英語力とかよりも感性とか思いやりの方が優先度高い気がするなって思って、
なんかいまいち私の感覚とそのここに書かれているものと、なんかちょっと大事ポイントがちょっと違うなって思った。
スピーカー 2
なるほど。
確かに。もっとそこは人間として根本的に必要な能力みたいな。
能力と言っていいのかわかんないけど、そうだね、能力を提起してるから。
確かにね、確かにね。
でもなんか、その上に乗っかってくるのもさ、想像性とかチャレンジ精神とか、自己肯定感とかもさ、
あーなんか、いや、まあもちろんあったらいいと思いますけど、全部伸ばしていくのはやっぱ大変なんじゃないっていうのは思ったりしたかな。
ね、やること多くない?
そうそうそうそう。
なんかそれはそんなに。
やること多くない?っていう。
いや全部大事だけどさ、全部大事だけど、全部大事だしさっき見てたさ、おはぎさん言ってた通りってさ、やっぱこう精神的な部分と学力を、このパワポのせいなのかもしれないけど、そもそもこれ上下関係にあるのかなみたいなところもそうだなっていうのもそうなんだけど、
私はもうとにかく、完全無欠な人間を生み出そうとしてるのかみたいな、それは無理だろうみたいな、やることが多いみたいに思っちゃって。
でね、ちょっと話変わっちゃうんだけど、
今年の5月に和世田アカデミーが、和世赤が中学受験の広告で鬼滅の刃を使っていて、電車でよく見たんだけど、メインメッセージが強き者になるっていうやつなんだけど、受験までの道のりで、
中学受験の受験生が直面する悩みや不安を鬼殺隊の大使が切る、みたいな交通広告があるんだけど、鬼滅ってさ、結構それぞれの登場人物がさ、何かこう一つ克服するみたいなメインテーマみたいなのがあって進むお話だったから、
それでこう彼らの人となりが表現されるような単語二文字が、その単語二文字を彼らが切るみたいなビジュアルなんだけど、多いのよそれもとにかく、数が。
弱点、臆病、躊躇、限界、孤独、焦燥、嫉妬、試練、葛藤、重圧とか、めっちゃあるの。なんか、わって。でもさ、大人でもこれ克服しきってる人います?みたいなさ。
- 全部は難しいかもね。
- 私鬼滅の刃めっちゃ好きなの。で、彼らが取り組んでる姿に励まされることもいっぱいあったけど、でもやっぱり炭治郎たち幼いから、そんなに背負わせないでくれよってずっと思ってたし、
それを中学受験の広告にすると、そんなものを小学5、6年生に背負わせないでくれよ、みたいな。だからちょっとこの広告は、私はちょっと辛いって思っちゃったんだよね、正直なところ。
で、なんか実際その教育現場で、今のね、小学生らがこういう精神的なね、成長を求められているんじゃないかみたいな、結構政府のさ、なんか能力としてこれですみたいに出してるのも結構量多いしさ。
- 私はなんかあんまり教育に熱心な学校にいたことがなかったから、小中は。そういうのなかったな、放置されてたなっていうか、むしろ荒れてたなみたいな感じだから、あんまり実感がないんだけど、いや2人はどうですか?なんかこの政府のメッセージを受けた教育を施されましたか?
スピーカー 1
- 施されたかどうかで言うと、施されたっていう自覚はないんだけど、でも今の中学受験の広告の話で思い出したのは、自分が小学生の時、担任の先生が自分たち、私たち生徒を何の能力が引い出ている生徒なのか、みたいな視点でずっと見ていることに、
なんとなく気づいてて、自分、小学校1年とか2年とかのタイミングで、もうこれは確実に気づいてて、その能力のあるなしで、先生とかの接し方が違うのを直に肌で感じてたのね。これは間違いなく勘違いとかではなくて、これはもう絶対的に言えるんだけど、
私の小学生の時は、それこそ身長高い方が良くて、足が速い方が良くて、ピアノが弾けてた方が良くて、お話が上手な方が良くて、勉強ができた方がいい、みたいな、そういう能力がある子には先生気使ったりとか、敬意をなんとなく払ってたりというか、そういうのを感じてたけど、
能力ない子にはそれがなかったり、なんかちょっと雑に扱われてる感っていうのを、もう感じててひしひしと。
スピーカー 2
なので、そういうのが悪いこととか良いこととかっていうその物心がつく前に、そういうのを見てきた記憶があるから、私も含めてみんな能力主義前提でものを見ているんだろうなっていうのを思って、今日まで生活してたかもなっていうのはなんかあるかもしれない。
子供時代の経験
スピーカー 1
ちなみに私は能力ができない子だったので、能力がない子だったんですよ。私は身長もちびで足も遅くて、ピアノは弾けなくて、お話が下手くそで、頭も良くなかったので、そこに対しての先生の扱いがちょっと雑っていうのを小1の時から気づいてて、それも私の母親が気づいてて、あの先生良くないよねっていうのを小1だからに言われてて、
でも先生の扱いって私に対して雑なんだよ、良くないんだっていうのを聞いて、それに対して悲しいとかじゃなくて、その時は物心がつかなかったから、でも私は何もできないからみたいな、マイナス的にダメなやつなんだって意味じゃなくて、私は何もできないからでもそうなんだよねっていうスタンスで小1とかは結構過ごしてたかもしれない。
スピーカー 2
大人になるとさ、社会ってやっぱさ、仕事が一番大きくなるけど、そうだよね、小学生にとってはさ、社会は学校だよね。
それはそうだよね。
えー!こんなに良いところがいっぱいあるのに、おはぎさんには。
スピーカー 1
うれしい。
スピーカー 2
でもまあその時の先生の尺度だと、火出てないっていう風になってしまって、でもそれにお母さんが気づいてとか、
うん、そっかー。
なんかちょっと、でも聞いてて確かに私も切なくなっちゃったし、
スピーカー 1
でもこの時は本当に悲しい思い出として持ってなくて、
そういう世の中というか仕組みなんだなって、小1の時は思いかけてた。
私は何も持ってない、できないから。
で、あの子は能力があって、すぐ先生に対してもはいって手を挙げて、大きな声で返事できて、私はできないからみたいなのがあったから、
それはもうそういう世の中の成り立ちの一つなのかな、みたいなのを感覚的に感じていた小学校1年、2年の時でしたって感じ。
企業採用における能力の重要性
スピーカー 2
いやでも、手志川原さんはそこにすごい危機感を、そういう風に感じてしまう子どもたちへの危機感をものすごい強く感じてて、
今本を書きまくってるっていうのはあるから、やっぱね、ここからね、もうちょっと、
何がじゃあ、日本における能力主義行き過ぎなんじゃないかっていう風に志川さん考えてるかっていう話をちょっとかぼりしていきたいなっていう風に思うんだけど、
一回その教育っていうところの話がね、今出たんだけど、その話は一旦置かせていただいて、
教育的にもその能力主義っていうところで、もう本当にさ、完全無欠な人間みたいなところを政府頑張って作っていきましょうみたいな教育にしていこうみたいな
のなんだけど、企業の採用とかもある程度成熟した大人たちの現場では、もうものにこの完全無欠な人間を取っていこうってする傾向が激しいっていう実感をね、抱いてるんだって。
手志川さんはこう、企業の採用の手伝いとか、組織開発の手伝いをするってことは、採用の手伝いというか、採用の考え方とか、
ところにも入っていくっていうところがお仕事の一つだから、その現場の感覚をすごい感じているっていうのがあって。
特にその基礎、基礎って言ってた学力みたいなものの上にあったコミュニケーション能力とかリーダーシップみたいな部分を能力として人材採用とか評価の場面で活用していることに
強い問題意識を持たれている。
そうさっきさ、ナッシーもさ、その能力って何が必要だと思うみたいな話して、ナッシーも萩さんもコミュニケーション能力とか共感力って大事だよねみたいな。
私たちもさ、そのコミュニケーション能力っていう言葉をさ、採用の場面で使ったり使われたりしたことってめっちゃあると思う。
だけど、私からさ、そもそもコミュニケーションうまくいっていかないとか、リーダーシップ発揮するか否かみたいなところって、
その人との関わりにおいて結果として生じるものなのに、自分の能力次第でどうにかなるから自分の能力を高めましょうみたいに個人の責任みたいに押し付けていくのおかしいんじゃないみたいな。
っていう主張があって、これ私はね、すごいわかる。
そうなんだ。
多様な人材の価値
スピーカー 2
うん、すごいわかるんだけど、そのコミュニケーションって自分の能力だけではないっていうのは、
コミュニケーションがうまくいくこともうまくいかないことも、個人の能力だけじゃないっていうことはすごいね、わかるっていうか、
私、今の仕事に着くまでに実は3回転職をしているんだけど、今4社目なんだよね。
で、新卒の1社目から2社目に行った時のカルチャーショックがすごい大きくって、
ここで、さっき言ってた能力、コミュニケーション能力、リーダーシップ能力みたいなところで、すごいね、大きな考え方の変化があって、
で、1社目の時って東京日本社のあるIT企業に勤めてて、
で、2社目は関西日本社のある会社の東京支店で、で、業界も小売に近いところで、
で、1社目は1000人ぐらいの会社だったのかな、全部で、全体で。
2社目はめっちゃちっちゃい、30人ぐらいあったかな。
で、私1社目で、同じ職の、私最初企業の広報の仕事をしてたんだけど、
1社目も2社目も全く同じ仕事をしたの。
で、1社目の時、めっちゃ頑張ったの。
めっちゃ頑張ってた。
いろいろあって、結構大変な立場になって、1人で結構頑張んなきゃいけないみたいな状態になって、
めっちゃ頑張って、結果、めっちゃ頑張った結果、結果は出たんだけど、
ちょっと天狗になっちゃったんだよね。
結構、いろいろなプロジェクトのリーダーとかやることも多かったし、
すごいみんなも評価してもらえるから、自分にはコミュニケーション能力があって、リーダーシップがあるって思っちゃったんだよね。
で、2社目に行って、全然社風の雰囲気の違う会社に行って、
同じ仕事をしてるのに、全然できなくなっちゃった。
本当につらくって、本当に何を同じことをしてるのに、全然うまくいかなくて、
なんで私こんなにうまくいかないんだろうって思ったんだけど、
もうね、環境が全然違って、
1社目は、IT企業だから、合理的であることが仕事においてとにかく大事。
だから、あんまり電話しない、ちゃんと文面に残しましょうみたいな、非同期コミュニケーションが大事。
会議も少ないほうが理想。
で、2社目は、もう全然規模が小さいし、人とのつながりが仕事において結構重要だから、
逆に文章とかじゃなくて、口頭で話してみたいな。
対面がすごい大事だし、たくさん会議することも大事だし、飲み会も大事だし、
論理的に正しいことももちろん大事だけど、それよりも目の前の人の心を動かすほうが大事みたいな。
で、合理的であることがうまくいくときと、感情的な部分での取り組みがうまくいく部分って、
やっぱその企業のフードとか、企業の置かれている状況とか、そのプロジェクトの性質とかで全然違うのを、
当時私はわからなかったんだよね。まだ社会人。3年目ぐらいだったから。
どっちが良い悪いとかじゃなくて、環境において、その求められるコミュニケーション能力とかリーダーシップのやり方って、
全然違うっていうのをすごい感じて、
でもさ、それどっちもできる人なんているわけないじゃん。
そうだね。
それ思ったときに、片方ではコミュニケーション能力めっちゃあるよねって言われてるけど、
もう片方ではコミュニケーション能力全然ないよねって言われてるって状態だったんだよね、当時は。
それを個人の能力として自己責任的に押し付けるのは、やっぱ違うかなって私は思ったっていうか、
そう思わないとちょっとやってけないぐらい、カルチャーが違いすぎてさ。
でもすごいわかりやすい。
私がコミュニケーションうまくやれてたっていうのは、やっぱり周りの支えがきっと絶対にあったし、
似たような価値観の人が揃ってたからっていうのもあったんだと思うっていうのも、
気づかなくて、私は自分に能力があるからこのプロジェクトはうまく回ってるんだって本当に思っちゃってたんだよね。
あら恥ずかしい。恥ずかしいです。
だからその良い悪いじゃなくて環境において違うっていうのはそうなんだなって。
私はその時に自分のおごりたかぶりをものすごい恥じたし、
コミュニケーション能力っていう言葉に対してはものすごい懐疑的な気持ちになって、
この本読んでそうだよなって、みんなで作っていくものだよなコミュニケーションって思った。
そう考えるとでもコミュニケーション能力ってもう測るのも難しいよね。
全然さ、文化が違うところでは求められるコミュニケーションが違うんだからさ、
その時、コミュニケーション能力を高めてくださいって言ってもさ、
その2つの文化の場所では高める能力が違うわけじゃん。そこですでに。
すごくわかりやすかったし、
確かにコミュニケーション能力に懐疑的になったってのもすごいよくわかったなって思ったかな。
リーダーシップもさ、やっぱこう、なんだろう、俺についてこいや!みたいなのがリーダーシップとして正義っていう場面もあれば、
サーバントリーダーシップみたいな、みんなを支えていくみたいな方が良いっていうのもさ、
それはさ、本当企業の状態もあるし、時代もあるだろうしみたいに。
どっちもできる人なんてさ、おらんからさ、それをね、能力っていう風に言うのもまた違うかなっていう。
やっぱそういう、何でもかんでも個人の能力に全部全部押し付けて、
でさ、その教育もすごい苦しいしさ、
おはぎさんの小1、小2の時の結構びっくりするような経験みたいなことをさ、
経験しながらさ、今の子供たちは大人になり、大人になってもなお、こんな息苦しい働き方をさせられ続けてるのって、
それはさ、ちょっとおかしいんじゃない?っていうのがまあ、てしがらさんのずっと主張で。
で、てしがらさんの主張は、もうそうではなくて、人材をレゴブロックのように例えて、
としきの大きな船を作っていこうっていうもので、なんかこれ聞くとなんかね、人がのびのび働いてる感なくなっちゃってるかもしれないんだけど、
レゴブロックって色も形も様々だけど、色も形も様々だから、いろんな作品が作れるわけじゃないですか。
全部同じ色で同じ形だったら船はできないよね。
スピーカー 1
なんかただ、ただ積み上がっていく。
スピーカー 2
壁。
ただ同じものがね、積み上がっていっちゃうね。
ただ同じものがね。
だから人間も一緒で、基本的に全く同じスキルセットの人間なんていないし、長所があれば短所もあると。
だから、このポジションで働くためにはこういう能力が必要、こういう能力を持ってる人を探そう、いないな、採用厳しいっていう風に考えるんじゃなくて、
この人がこのポジションで働くためにはどういうチーム編成やフォローをしたらいいかな、みたいに考えて、
自分の能力を活かす組織
スピーカー 2
そういう感じでこの人は逆にその、この人はこのポジションも仕事もできるけど、もしかしてこっちもちょっといけるんじゃないみたいな感じでちょっとこう、
ブロックを認識してまた別のブロックを持ってくるみたいな感じで、
自分の長所を生かして支え合える組織を作るっていう形を取っていけば、もっと採用とか人の成長も柔軟に考えられるようになるし、
この能力を身につけなければ、食べていけないみたいな生きづらさもなくなっていくんじゃないっていうことを、
すごい、すごい危機感の上にずっと発信してるみたいな。
スピーカー 1
今の話聞いて思い出した会社があって、水産の加工業者があるんだけど、
そこの会社って苦手な作業は一切しなくていいですっていう方針を取ってる会社なのね。
仕事の内容としては、エビの殻を剥いたりとか、測ったりとか、袋に詰めたりとか、
あとはエビフライを作って売れるように準備するとかあるんだけど、
そういういろんな仕事がある中で、絶対やりたくない仕事っていうのを初めに聞いて、
それをアンケートを取るんだって。絶対にやりたくない仕事は絶対にしなくていいんだって。
その従業員の得意分野に合わせて、もうエビの殻剥くのだけは嫌ですっていう人は、そこの仕事はしなくていい。
他の仕事はお願いねみたいになるし、エビフライ作るのは絶対嫌ですっていう人は、
じゃあその仕事は絶対しなくていいっていう感じで仕事を割り振ってるんだって。
その得意分野に合わせて仕事を振るから、能力主義に依存せずに生活もしていけるし、
ストレスフリーで仕事も続くからみんな幸せっていう会社をニュースで見たことがあって、
そらやんが話しつき話してくれた作者の主張とちょっと近いものがあるのかなって思って、
今ちょっと思い出した、そう思い出しました。
無意識の能力主義
スピーカー 2
だってそっちの方が生産性は上がるもんね。
そうだね。
こういう会社があるのはすごい素敵なことだし、
でもそうだよねって思うし、別にみんな得意なことを活かし合ってやっていきましょうって思ってるっていうか、
それに対してそんなことはありませんみたいに言う人そんなに多くないと思っているんだけど、
私生前説にのっとって生きてます。
自分の個性や長所を生かそうっていう考え方に賛同していると思うし、
それを否定する人ってそんなにいないかなって思うけど、
実際はこうなってなくて、
ただただ私たちは自分の能力のなさとか他人の能力のなさにずっと苦しんでるみたいな感じだのが、
今の社会の雰囲気かなみたいなところはあるかなって思うんだけど、
ここまで来てやっと今日紹介する本の話になるんだけど、
この本、格差の核って何ですかっていう本なんだけど、
サブタイトルが無自覚な能力主義と特権性っていうふうにあって、
無自覚っていう言葉にちょっと私はぞっとしたというか、
一番最初のおはぎさんの小学校時代のお話は聞いてみると衝撃的だけど、
もしその先生は無自覚だったとしたらって思うとなんかすごいぞっとした。
スピーカー 1
それはそうだね。
スピーカー 2
怖いなって思ったし、
もし自分にもその一面があったらって思ったらちょっとぞっとしたの。
スピーカー 1
確かに確かに確かに確かに。
スピーカー 2
だってさ、私だってさ、自分みんなの長所を生かして何とかしたいと思ってるはずなのにさ、
自分は自分でさ、こう苦しんでるところもそれはあるなみたいな。
多分みんなそうだと思う。みんな自分は別に完全無欠な人間では決してなくて、
それは周りもそうで、おりぎないながらやっていくのがいいっていうふうにわかってるんだけど、
それは個人の能力を漏れなく高めていく方向に進んでいるのは本当にそうだなっていうふうに思ってる。
もしかして、それって無意識に能力主義的に社会を見て、みんなが行動した結果そうなっているんじゃない?っていう問いかけが、
この本の主張なんですね。
この本って、やっとこの本の話に入るんだけど。
入ってください。
この本って、20個の日常的によく使われている言葉を例にあげて、
この言葉を使っているその裏には、私たちは能力主義前提で物を見ていませんか?とか、
人を優劣ありきで接していませんか?っていうことを考えさせてくれるっていう本で、
そのよく使われている言葉って何かっていうと、タイトルにもある格差とか潰しがきくとか、
自己責任、大破、本当に困っている人、自己肯定感とか。
確かにさ、めっちゃ使ってるし、使ってるの聞くけど、
まあ確かにその手志がわらさんの文章を読むと、
これを使っている意図の裏には確かに自分とか人を能力の上下で無意識に見ているかもしれないなっていう気持ち。
それ前提の会話だなーみたいな気持ちになったりはしたっていう。
価値の再評価
スピーカー 2
で、私ここで急にね、レンタルなんもしない人の回の話に急に戻りたいんですけど、
今日もうしっちゃかめっちゃかで、すいません、私の話したい話をしてるって感じなんだけど。
いや私ね、あの回の何もしなくても人って価値があるっていうくだり、
すごい感動して、そうだよなって。そうだよなって思ったし、
それでこの本のことすっごい思い出したんだよね。すごい能力、能力って。
で、私たちって能力で武装することをひたすらに今求められているけど、
その結果、だから完全無欠な人間になろうとすると、自分らしさはどんどん失っているんだろうなみたいな。
今の方向性だとね。
で、何もしなくても人って価値があるって思った時に、
何もしないことで、その人本来の良さ見えてくるのかなって思って。
何もしないにしてもさ、私がもうすごい感銘を受けたので、
私もレンタル何もしないソライアンやりますみたいな。
なったとしても、今やられているレンタル何もしない人とは、
一緒な感じになるわけでは絶対ないと思うんだよね。
ソライアンがやったらね。
そうそうそう。多分違う依頼が来るだろうし、
依頼を受けても多分全然違う感じになるだろうし、みたいな。
それすごい面白いなっていうか、いいなって思って。
何もしないことで、その人の本来の良さみたいなものも見えてくるのかなって思ったりして。
スピーカー 1
そういう能力、能力っていう風に、能力だけで自分の価値のこととかを考えるのをやめたいって思った。
スピーカー 2
やめたい。
それがソライアンのおはぎ3回のアンサーなのね。
そうそう、やめたいって思って。
私、こういう話する時って、いつも私はこう思ったけど、
この思いを自分一人で持ったまま生きていくのはなかなか難しいから、
配信を通じて賛同者を増やすっていうやり方をいつもとる。
ダイエット幻想の時もそうだったし、
パスト教養の時もそうだったと思うんですけど。
スピーカー 1
何もしないは、みんな憧れがあると思ってて、勝手にみんなでくくっちゃうけど、
私、もういい年齢の大人なんだけど、
いろいろやってみたいっていう欲求と同じくらい、何もしたくない欲求が未だにあるのよ。
それはもう本当にいい意味で何も気にしなくて、
もう自由気ままに何かに焦燥感を感じることもなく、
気ままに生きていけたらなって思うことがあるので、
今回の配信も通じてレンタル何もしない人の本も読んだ上で、
来年はいい意味で何も頑張らない1年にしようかなとか、
ぼんやり思いながら、そらやんの話を聞いてた。
スピーカー 2
何もしなくても、きっと何か生み出してるんだろうね。
何も頑張らないけど、どんどん何かは生み出せるということに、
っていう自分への信頼って大事かもしれないなって思った。
てしがわらさんの能力主義に関する主張って、
もっとしっかり掘り下げてる本って他にもたくさんあるんだけど、
さっき冒頭でなっしーが言ってた働くということとか、
まさに結構はそれがすごいヘビーに書いてあるんだけど、
スピーカー 1
やっぱそうなんだ。
スピーカー 2
ヘビーなので、結構分厚かったじゃん。あれ新書だよね。
そう、新書。
結構分厚かったじゃん。
分厚かった。
てしがわらさんのこの考え方に興味を持ったら、
格差の格って何ですか?とかから読んでいくといいのかなって思って、
文体はすごい軽いし、そこで何か、私無意識にとらわれているって思ったら、
他の著書を読んでみて、
現代の日本の能力主義、ちょっときつすぎませんみたいなところに、
みんなで足を踏み入れて、こうやっていけたらなという。
今日そんな感じです。ちょっとしっちゃかめっちゃかなっちゃったんだけど、
それぐらい私はレンタル何もしない人会、感銘を受けたっていう。
読んでね、レンタル何もしない人というサービスを始めた。
すごいでもそらやんとおはぎさんが熱く語ってるのがめっちゃいいなって思いながら、
すごいなっしーは聞いてたけど、今日の話はな、今の私にはちょっと刺さるというかさ、
なっしーは今ちょっと昇格試験のタイミングで、まさにさ、
まさに。
まさにこのあなたに必要な能力はこれでとかさ、
こういう部分が足りなくてみたいなところを上司からフィードバックを受けるとかさ、
そういうところじゃん。だから、その話と今日の話とすごい混在して、
どうやってこう、私は会社という組織で、
そうだよね。
でもてしがわらさんの言うこともすごくよくわかるなっていう、
なんかすごい今ちょっともやもやした気持ちを抱えながら、
もやもやするよね、だってね。
受け止めているよ。
急に組織は変わってくれないもん。
そうなんだよね。私がもう長所だけを発揮して生きていきたいですって言ってもさ、
いやいやってなっちゃうからさ。
いやいやってなっちゃう。
だからなんか、こうやって3人で話したりして、ちょっとずつこうね、和をね、
てしがわらの和をね、広げていきたい。
スピーカー 1
今回の話で、私の中でソラヤンって体力あってタフで何でもできる人のイメージがめちゃめちゃ強くて、
普通に過ごしている中でも能力主義の一面をめちゃめちゃ強く感じることが多かったから、
今日の話聞いてすっごい意外で、
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
キサクロでもそうだし、一緒に朗読のレッスンとかも通ってるんだけど、
何でもいつもストイックに物事に取り組む姿勢とかを見てきたから、
能力主義ばっかりはしんどいよねっていうソラヤンを見て、
ソラヤンもそういうこと思うんだと思って、新しい一面を見た気がしました。
スピーカー 2
じゃあ能力主義に適応した人間に見えてたってこと?
能力主義の考察
スピーカー 1
めちゃめちゃ見えてた。めっちゃ見えてるよ。
スピーカー 2
できないことしかないね。
でも、たぶんもしかしたら、だから私も無意識に
行き過ぎた能力主義おかしいって本当に思ってるけど、
もしかしたらその無意識に能力主義前提の社会として、
何かしらの言葉をおはぎさんに投げかけていたから、
おはぎさんが能力主義的な一面を感じてしまったのかもしれないなって思って、
もしそういう言葉使いをしていたらごめんって。申し訳ねえ。
スピーカー 1
でも今日はソラヤンを知るっていう回で、
私はとてもいい回だったなっていう。
めちゃめちゃ満足感が高い。
スピーカー 2
すごい。いいね。
今日はそんな感じでしたから、
この本読んでハッて思わされたり、
今のおはぎさんのやりとりでハッとしたりとか、
いろんなことがあったから、皆さんも読んでみて、
自分と自分の周りについて理解ってみたりしてもらえたらと思います。
トークテーマの終了
スピーカー 2
ではここまででトークテーマは終了ですが、
キサクロではいつでもお便りを大募集しています。
トークのご感想や本にまつわるお悩みなど、ぜひご投稿ください。
ポッドキャストやノートにお便り投稿フォームのリンクをご用意しておりますので、
そちらからご投函いただけると嬉しいです。
今後もキッサクロスロードは、毎週月曜日夜21時よりゆるゆる営業していきます。
いやー本日は、
なんか、すいません。
なんでそんな、最後に。
いやなんか、私の喋りたい回になっちゃったな。
という感じで、そういう時もあるんですけど、
本当にいつも聞いてくださってありがとうございます。
お越しいただきありがとうございました。
またお待ちしております。
バイバーイ。
43:31

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