それが2014年の8月に、
クラ得利としてオープンっていう感じですか?
それまで僕1年間だけ仕事だったんで、
その間は役場の臨時職員のバイトとか行って繋いでました。
なるほど。
そうやったんですね。
この場所作りなんかこだわったこととか、
なんかもうめっちゃ素敵な場所なんですけど。
それほんまちょっとずつですね。
最初は神谷くんが作ってくれた雰囲気もやっぱりあったし、
僕はただ持ってた家具置いただけっていう感じですね。
で少しずつやっぱり場所としてはブラッシュアップしていけてるんかなっていう感じにはなります。
なるほど。
このクラのリフォームも北さんが全部やってくれたので、
ほとんど外周りにやっぱり屋根を直したりとか、
外の漆喰をちょっと綺麗にしたりとかいうのでお金かかってるんで、
中は床はそのまんまでちょっと揺れもあるような感じの床でしたし、
壁も白く塗っただけだったりとか、
大工さんのほんまに協力でなんとか低予算で仕上げてもらった感じでした。
結構その元のままっていう感じなんですね。
めっちゃいいですね。
もみの木食堂がスタートして、最初どうでした?
もう偉いことやるって言うてもたなと思って、
最初お茶出すって震えました。
ほんまに僕作ったご飯知らん人に食べてもらおうやなと思って、
ほんまに偉いことでした。
今と結構スタイルも変わってる感じなんですか?
そうですね。最初はワンプレートの中にお味噌汁のご飯も入ってて、
小鉢3つとごすん皿に少しっていう感じで小さく始めた感じでした。
そのスタイルって何かを参考にしたとかそういうなんてあるんですか?
そうですよね。
そこまで全く飲食とかがっつりはやってない?
好きなお店はいろいろあったので、
そこのお店で使ってるトレイでやろうとかは思ってましたし、
器は好きだったので買い集めた器でとにかく始めましたね。
小鉢もいろいろ持ってたので、
一旦小鉢でスタートしようって何かを参考にしたっていう、
今具体的にちょっとわからないんですけど、
インプットしてたまってきたものをなんとなく出したのかなっていう感じですね。
最初から結構お客さん来た感じなんですか?
8月オープンだったんですけど、
5月下旬からプレイオープンといって、
なんとなく当時のもみのき食堂のブログで言う範囲とか、
届く範囲とか、
お弁当のせたブログ。
ちょっと続く範囲とか、
あと神谷くんの知り合いで来てくれるとかもちろんありますし、
北山の丸一農園の知り合いで何や何や言って来てくれるっていうのもありますし、
何やかんやと最初は知り合いのお食事をご提供してるだけでアップアップでしたね。
だからもちろんバイトしながらでしたし、
それで収入額上げなきゃいけない状況でもなかったので、
コツコツやってました。
5月はプレイオープン、6月7月でやって、
8月オープンって言って、
一応オープンしたんですけど、
幸運なことに、
8月の雑誌、8月号の雑誌に紹介してもらえることになったんです。
当時、もう今配管で、エルマガシャンのリシェっていう雑誌があって、
多分笠手茶さんが表紙の、
多分、その号覚えてるっておっしゃる方、何人か知ってるんですけど、
その表紙のところに結構デーンって紹介してもらったんです。
8月号だったので、結構その効果が大きかったのかなっていう感じで、
僕も見た記憶がありますね。
結構インパクト、表紙素敵でした。
笠手茶さんとの、源次郎さんの素敵な場所の表紙だったんで。
そんな本格的に始まってないのに、
その取材がいきなり来たっていうのは何やったんですか?
僕、でもね、エルマガさんの知り合いはいたんですね。
なるほど。
で、うちの奥さんのお姉ちゃんは、
そういうメイクとかされてるお仕事、ヘアメイクのお仕事されてるんで、
雑誌のお仕事とか要されてて、
そのお知り合いとかは、そういう界隈の人が、
カメラマンさんやとか、ライターさんやとか、
雑誌の編集の人らとかが、
いつの間に妹を引っ越したんよ、遊びに行ったってみたいな感じで、
やんやと遊びに来てくれたんですね。
で、店しますねっていう話したら、
面白いやん面白いやんとか言ってくれて遊びに来てくれて、
知らずにその会社の人らが食べに来てくれてたみたいです。
すごい。
で、8月号で取材してくれることになって、
そういうご縁があったのかなと思います。
スタート当初から結構いい感じでスタートできたっていう。
もう全然追いついてなかったです。
技量が僕の大問題でした。
技量がってその料理の。
料理の。だから初め10人分用意しようとか思って、
10人分でどないやねんって感じですけど今から思えば。
で、そこからじゃあ明日今週は20人しようとか、
30人出せるかなとか、だんだんステップアップしてる状況だったんで。
前の日に予約の電話とかバーってなると、
どうしようどうしようってなってました。
で、その立政を皮切りに9月にはおはようあさひさんが来たりとか、
なんかその立政の取材を追いかけるような企画だったんです。
タレントさんが来てくれたりとか、
そこからフリーペーパーの取材が来てくださったりとか、
それを契機に取材っていうのはトントンと何ヶ月かおきに来てくださる感じで、
スタートダッシュとしては技量に追いつかないほどのペースで来てくださったかなっていう感じでした。
技量っていうのはもうその純粋に料理人としての?
はい、カフェを運営する人としての技術が足りてないなと思います。
なんか味的にとか?
いやいや、こういうのを作りたいっていうのはあるんですけど、
それを時間に、決めた時間に、お客様がここに来られるっていう時間にちゃんと整えて、
何食分って決めつけて、最後まで出し切る。
時間内に出し切る。主に時間ですね。要は要を待たせたっていうことです。
平田くん言うとめっちゃ待たせたみたいなカフェやったんだよなって、
僕はちょっと恥ずかしくなってるんですけど。
味に問題があったらちょっと問題だと思うんですけど、
味ももちろんブラッシュアップずっとしなくちゃいけないと思って取り組んでますけど、
こういう料理を出したいっていうのは初めからやっぱりありました。
そうやって5年6年積み重ねてきた自分らしい料理っていうのは自分の頭の中であって、
それをきちんと時間内に準備して提供するっていうことと、
家族に提供するっていうのは全然やっぱり違うので、
そこをやっぱり分かってないので大変でした。
なるほど。
味に関してもみどき食堂のご飯ってめっちゃ美味しいと聞かれてますけど、
これがなんで美味しいもの作れるんですか?
最初の1年に無我夢中で本を読んで料理を作って、
恐ろしい量の本買って、台所で寝てしまってました。
ドナイアネンっていうぐらいのめり込んでました。
自然食品店行ったり、
この人や表見つけた料理人さんとかいて料理教室とかやってて、
そのお兄さんと通い詰めたりしたりしました。
それで、料理教室行ってもやっぱり自分流にはどうしてもなってくるじゃないですか。
で、単発の料理教室と本を頼りにただただ、
最初の35から40まで料理を自分で計算した感じです。
マルチ農園に来てからは1年間の中で、
その授業の中から大阪の玄米採植の料理教室に通わせてもらったりもしました。
だからいろんな要素が入ってます。
独学ですけど、めっちゃストイックにずっと積んできて。
自己流というか、自分で取り組んできたっていう感じです。
なるほど、すげえ。
オープンして最初は別の仕事しながら農民の食堂やってて。
週末だけだったんで、月勤は役場の地席のお仕事とか行かせて。
それもすごい楽しかったんです。
山の境界線を決めるお仕事で、山にくまなく歩いて杭を打つお仕事で、
僕はリュックを背負って杭いっぱい背負ってるっていうジャンルがあったんですけど。
楽しそう。
楽しかった、むちゃくちゃ。ほんまに楽しかったです。
君野町のことよく知れたし、どこに昔田んぼあったんかとか家もあって、
ここも集落やったんかとか、すごい良い経験でした。
めちゃくちゃ面白かったです。
じゃあその両方仕事しててみたいな生活はどれぐらい続くんですか?
えっとね、でも早々に飲み時に絞っていくんです。
2015年にはもうバイト辞めてました。
週末営業だけで一応家族を養ってました。
すごいっすね。
それでも大変というか、今住んでるのは店の近くなんですけど、
当時はまだケバラに住んでいたので、子供もまだ小さいですし、
送迎とかも多少ありましたし、
ただ家の年寿行事とか、地域の年寿行事とか、草刈りとか、
そういうので忙しいなと思って過ごしてました。
なるほど。
でも料理に関して経験の無さを埋めるのにすごい救われたのが、
その妻のお姉ちゃんの友達の料理人の男の子がいたんですけど、
その子も全然肉食の普通の料理人で、
パーティーとかにケータリングですごい素敵なフィンガーフードを提供する
大阪の料理人さんなんですけど、その子が僕の料理を気に入ってくれて、
レストランプロデュースとか、そういうお仕事も将来やっていきたいから、
ぜひ運営に関わらない、全然力貸すよみたいにめっちゃ言ってくれて、
ゴリゴリ仕込みから関わってくれるようになって、
その子の存在はめちゃくちゃ大きいです。
どういう部分で大きい?
単純に、明日何食仕込むの?みたいな感じで声かけてくれて、
ここまではやっとけるんじゃないの?今日のうちに。
明日はもうこの盛り付けだけでいいでしょう。
こういうことは先に終わらせて、こういうことからやっといたらいいんじゃないの?
みたいな感じで、割と今優しく言ってますけど、めちゃくちゃスパルタで、
何その無駄な動き何なの?みたいな感じで結構しごいてもらって、
一緒に30食出すにはこれぐらいやったらできるから、
じゃあ40食、50食、60食、絶対いけるから頑張れみたいな感じで励ましてもらいながら、
自分のキャッパを広げていきました。
その子おれへんかったら絶対できてないと思います。
なるほど、じゃあもうその後、もみのき食堂一本でずっとっていう。
そうですね、その子のサポートも受けながら、大阪で一家店を持ってたのでその子は、
僕もケータリングのお仕事の手伝いとか行かせてもらって、
一緒に仕込みを体験させてもらったり、
実際にケータリングのお仕事もご一緒させてもらったりとかしました。
すごい、じゃあそこで今まで独学やったのがプロと一緒に仕事することで。
そうですね、料理の見せ方出し方、盛り付け一つで、
そのテーブルのあつらいですね。
すごいとにかく素晴らしかったので、一緒にお仕事できてめちゃくちゃよかったです。
なるほど、じゃあもうめっちゃ順調ですね。
そうですね。
今のところね、もう見方上がりで。
お仕事としてはね、すごいほんまに恵まれて生きてきてます。
とにかく人の力での仕事。
でもそこの表に出ない圧倒的な量というか、県産というかね。
ほんまに料理に関してはめぐり合えてよかったな。
自分で何回やりたい、何回やりたい。
もし娘に何もなくただ平和、平穏に過ごせていれば料理やってないですし、
何回やりたいって一生言ってる人やったらなって思いますけど。
料理にはまった時に、これから多分これ中心にしていけるかなって。
1年続き、2年続き、まだ飽きへんなと思ってやってる時にはすごい嬉しかったですね。
楽しいがずっと続くなみたいな。
どういうところが料理の楽しいところですか。
僕多分、玄米採植とか野菜植物性に限るっていう制限が多分楽しいんやと思います。
何に使ってもいいよみたいな状況やったら広すぎて何にも用決めやんかったかなと思うんですけど、
野菜っていう植物性っていう縛りの中でどうやったら満足感が。
僕も実際1年半ぐらいほぼほぼベジタリアンで過ごしてみたんですね。
結局味分にはちょっと合わへんなっていうのがあって、今はバランス良くなんでも食べてます。
だからそういう経験とか、そうやってベジタリアンのレストラン食べ歩いた時の印象とか、
僕やったらこうしたいなとか、ベジタリアンの人がやんやと集まってくる店とか言うんじゃなくて、
何にも考えんとポカンと食べに来て、何か美味しいな、何か楽しいなみたいな、
食べることについてあんまり難しいうんちくみたいなのとか、できればあんまり僕話したくないな、
ただただ楽しい美味しいみたいな感じ。
どうしてもベジタリアンの世界って、これは食べちゃえ。
自然食品の世界ってこういうの食べたらあかんでみたいな感じになりがちになっちゃうんですけど、
そういうのをちょっと避けたいなみたいなのがあって、
何か分かれへんけど美味しいっていうのを目指したいなと思うのがありましたね。
たしかに。この間食べさせてもらった時に、何か分からんけど美味しかったです。
うち店もややこしい場所に、ドライブとか車運転苦手な人やったら来れなくて、
彼氏に運転してもらってきたとか、お父さん運転手でついてきたとかやっぱりありがちなんですけど、
そういうなんとなく連れてこられた人も、何か分からんけど美味しいな、
お腹いっぱいやなみたいな感じにはなってほしいなって思ってて、
何か分からん時は男性が満足して帰って行かれたりすると、すごい喜びあったりするんです。
だから、そういう、何の話でしたっけ、料理は。
料理、なんでそんなにハマってるんですかっていう。
ハマってるってなると、やっぱりそういうところかな。
これが、イタリアンとかフレンチとかお蕎麦屋さんとかやったらちゃんと修行しなきゃと思ったと思うんですけど、
ベジタリアンの店で修行できるとかもそんなにその当時は考えられなかったし、
人生のステージ的にもまだ子供小さいしっていうのがあって、
何か経験は詰めなかったんですけど、
お料理、何で料理ってなると、やっぱりそういうところですかね。
玄米再熟の世界が面白いな、ベジタリアンの世界って面白いな、
モトキ料理の世界にちょっと近づくじゃないですか。
唐揚げみたいな大豆とか、
うなぎみたいな何かとか、そういうのがちょっと面白いなと思ったのがありますね。
他に店やってて、この人に出会ったのがターニングポイントとか、
このお店がとか、そんなんってありますかね。
めっちゃあるんですけど、今ちょっとそれね、朝から考えてたんですけど、
ありすぎてって感じですね、ほんまに。
出会いとしては、料理楽にしてくれたのは、
当時大阪相山市でくらし屋さんっていう自然食品店があって、
隣にレストランがあって、その料理人さん、
今は富田林でくらし屋さんっていうお店をされてると、
今もされてると思うんですけど、
その方に料理を教えてもらったのはすごい大きかったですね。
同年代、同世代の男性で、その方が作る料理もとにかく美味しくて、
とにかくストイックで、
僕、今の職場でも小麦も一応使わないんですけど、
小麦を使わないっていうことに関してもその方の影響で、
小麦使わなく、パン食べます。パン大好きですけど。
お楽しみにいただいてますけど、
お料理では一応使わない感じで言ってるんですけど、
その方のお料理、教えてもらったのもやっぱ大きかったなって思います。
どういう部分が大きかったんですか?
とにかく、すいません、話めちゃめちゃ長くなってきます。
割と素材の良さを生かすために、
例えばかぼちゃだったら、
土鍋で、弱火で、塩だけして蓋をして、
2時間そっと置いておくんですみたいな、
すごい、そうやって素材の良さを引き出しましょう。
とにかく皮ごと何もかも使ってっていうのが、
玄米採植とかマクロビオティックとか、
そういう丁寧なお料理みたいな部分が重要やなというか、
そういうところを大切にされているお料理やなと思うんですけど、
その方結構、僕は強火でちゃうですとか言っちゃったりとか、
甘くしたかったらちょっと砂糖入れたらいいんですとか、
その砂糖の質が問題なだけで、
それは気楽にやったらいいんですよ。
甘くしたかったら甘い素材を少し足せばいいし、
酸っぱくしたかったらもうお酢を足せばいいし、
料理は差し支えそうです。
それでそれを中心に自分が思い描いた味に使い付けるように、
ただ素直にやればいいだけですよみたいな、
軽く言ってくださったんですよ。
かぼちゃ炊くには2時間かけなきゃって思ってたのが、
強火でちゃうで、ぼーって炊いて、
これ強火でやったやつですけど、美味しいですよねってやって、
そうしなきゃいけないっていうところから、
ちょっと解いてくれたみたいな、
皮ごと使わなきゃいけない。
あかんことないですよ。
口当たり良くしようと思ったら皮剥いたらいいんです。
その皮は皮でまた料理に使いますし、
だしにもできるし、
生かす方法はいくらでもありますから、
皮ごと調理にこだわらなくて、
色を良く仕上げたかったら皮剥いたら水に晒してもいいし、
悪取らないとか、
玄米菜色の料理に惹かれたのって皮剥かなくていいとか、
皮ごと調理で皮に一番栄養があるからみたいな感じで、
教えて、本を読んで学んで、
それは楽だよなみたいな、
初めは楽できるっていう発想から、
そういうお料理の取り組み方になったんですけど、
皮使うからにはやっぱり勇気がいいよねとか、
いう話になってオーガニックの世界にもやっぱり興味を持ち始めるんですけど、
でもそういう料理の世界の中から、
いやもっと自由でいいよみたいに
引き出してくれたのがそのお料理の料理人さん、
牧野さんって言って、
まだトムダバヤシでお見せされてると思うんですけど、
その方にはすごい気持ちを楽にしてもらったなっていうのは、
こうじゃなきゃいけないってことはないよみたいな、
概念があるね。
玄米菜色の丁寧なご飯作りっていう世界から、
丁寧は丁寧でやったらいいし、
手抜きは手抜いてもいいよ、
手抜きじゃなんかじゃないよみたいな感じでは教わりましたね。
ちらちら宿の話も出てるんですけども、
今後のもみの木食堂というか、
今後の的野さんなんかどうしていく感じなんですか。
最初もちょっと言ってしまったんですけど、
24時間、春夏秋冬のこの場所の魅力を伝えたいっていうのが、
次の野望というか、ステップにちょうどなりました。
それが宿っていうことで。
そうですね、宿で。
ここ何ヶ月かいろんなゲストをお迎えしていく中で、
その飲食をやっていくのと、
最初に感じた経験のなさの焦りみたいな。
うちランチにしかやってないお店なので、
11時ぐらいから4時ぐらいまでの、5時ぐらいまでの気遣いしか僕の中でないんですね。
ここで、この場所で過ごしていただくしかなくて、
それが滞在時間が15、6時間になるんですね。
その間のお客、来ていただくゲストの快適性とか、
何とか保つっていうことに対するエネルギーがこんなに大変なのかっていうところに、
今直面してて、
各となるのは僕はやっぱり料理かなと思ってて、
もちろん巣どまりで使っていただくことも想定してて、
それはそれで楽しんでいただきたいんですけど、
やっぱり料理を通して伝わることもあるなと思って、
しかも夜ご飯ということで、
違う雰囲気で出していきたいなっていう、
チャレンジしてみたいなっていうのはあって、
今だったらランチでいっぺんに出すっていうスタイルしかできないけど、
コース料理にして一皿ずつを出しできるような、
また宿で食べていただいたらまた素敵なディナータイムになれへんかな、
なんかいい夜やったなっていうのを過ごしてほしいなっていう希望、
やってみたいことがありますね。
そもそもきっかけというか、
あの場所は何で始めようと思ったんですか?
長いですよ、この話。
もうショートでいきますけど、
3年前に水害にあったんです、この地域。
ボケットを僕店開けてしまってたんですけど、
陸のことレベルに道が塞がるレベルの海内液が使っちゃったときの水害なんですけど、
あの時に今先ほどご案内したお宿も大きな被害で、
今5年ぐらいそこは空き家で、
住まれてたご夫婦はお亡くなりになってて、
娘さんと息子さんがいてあって、
娘さんは君の町内でお住まいになってて、
息子さんは東京で建築のお仕事をされてるんですけど、
片付けにこっちに、水害の後の片付けに来られてたんです。
もともとそのお家は移住してきた人へ向けて、
稼げないかなって検討中のお家だったんです。
移住のお家バンクじゃないですけど、
そういうところに登録しようかなぐらいな感じで予定されてたんですね。
それが水害にあってしまったので、
1回水害にあってしまったお家を居住用として、
用と考え入れ張る人あまり居てはれへんちゃうかなっていう懸念を持ち張って、
うちの店の賑わい、駐車場えらい車居は止まってるなって認知してくださって、
直接お店に来てくださって、
いっぺん僕のうち見てくれへんか、
なんかできへんかな思ってんねけどって言って、
見せてくださったんですね。
案内してもらって、
リッチとかは素晴らしいなと思って、
あれ見せられて、
僕日常的にインスタグラムとかで上げてる動画とかは、
あの辺から撮った写真が中心なんですね。
あのエリアが好きで、あの田んぼらへんが好きで、
ずっとカメラ向けてきた被写体だったので、
いやもうこんな最高の場所ないと思いますって言って、
なんかやりたいことある?って言ったら、
僕やったら宿ってやってみたいですって正直に、
今まで取材とかで次どんなことやりたいですかって言われた時に、
宿ですって何の根拠もなく、
やってみたいことって言われた時に宿って言ってたので、
でもお金もないし場所もないし、
いつになるかわかりませんみたいなことで、
あのお話はしてたんですけど、
そんなノリで宿やってみたいですって言ったら、
僕ちょっとリフォームするから、
使ってみませんか?みたいな感じで、
どういうこと?って思いながら、
ぜひぜひって軽い感じでお答えしてたら、
本当に本気で進めてくださって、
東京のヤヌシさんが、
自分がやりたいことをリフォームするので、
その後好きに使っていいんでって言ってくださったんで、
っていう感じで一応賃貸という形でお預かりすることになりました。
なるほど、そういう流れやったんですね。
それもヤヌシさんがうちにご飯食べに来てくださって、
ここの雰囲気とか好きなんで、
この雰囲気でしてくださったら嬉しい、ありがたいです、
みたいな感じで言ってくださって、
本当によろしくお願いしますって感じで。
すごいですね。
ちょっとありえない感じで。
離れの方はヤヌシさんが、
もうここを取り壊して駐車場にしようかなと思ってるんだけどって、
言ってくださったんですけど、
ここあんまり素晴らしい建物なんで、
ちょっとそのままにしといてもらえませんか、
僕で何とか使えるようにしたいんで、
っていう形でお願いして了解もらって、
使わせてもらえるようになったっていう経緯です。
なるほど。
そして今の形に、
建物もめちゃくちゃかっこよくて、
ロケーションもよくて、最高ですよね。
大きい建物の方は、
ヤヌシさんのお父さんが建てたお家で、
決して古民家とかいう年代のものではなくて、
四十五年程度の、
そんなに古い建物ではないんですけど、
昔ながらの建て方で、
地元の大工さんとお話ししながら建てられた、
昔ながらのお家なので、
そのまま使わなくなって、
朽ちていくのはもったいないなっていう印象には、
どうしてもなる素敵なお家ですね。
それがもうすぐ宿に。
そうですね。
もう一応、告知というか、
予約できるサイトはっきりと作ってないので、
まだ完全にオープンな感じではないんですけども、
お知り合いの方に今は、
口コミで使っていただいてて、
近々もしっかりオープンしたいなと、
思ってます。
これオンエアされてる頃には、
動いてるといいなと思って、
予約できる状況にやったらいいなと思ってるんですけど。
このもみの木食堂の場所ができた流れとか、
その後のこともそうなんですけど、
今回の宿の流れとかもそうなんですけど、
こんなに、なんていうんですかね、
順調なことを呼び寄せてるのは何なんですかね。
本当にお恥ずかしい話で、
本当に人のご縁と、
どこにも足向けて寝られへん状況です。
本当にラッキーやなっていう感じで。
引き寄せてるというか。
引き寄せて言っちゃうとね、
ちょっとスピッチャー感じになるんで。
でもなんかその、
人と接するときに、
心がけてることとか、
なんか。
ないです。
でも、
そういうことを伝えるようにされてるとか、
そうでもないですかね。
でもね、感謝しかないと思います。
そこは自分の中で、
あり続けるというか、
和歌山に引っ越させていただいて、
受け入れて、
ケバラでもまず最初に、
僕たちを受け入れてくれてありがとうございますって
すごい強く思ってます。
わざわざお家、
その時も空き家探していただいて、
開けてもらって、
単純なわがままなので田舎に住みたいっていう、
そこを受け入れてもらって、
暖かく迎え入れてもらって、
本当にケバラで過ごした時間も、
ほんまにご近所さんに恵まれて、
ほんまにいい時間でした。
だからここでも本当に、
ご近所さんの理解があってですし、
繋いでくれてるのは丸内農園さん。
全部お膳立てしてくださって、
今のこの運営できてる状況があるので、
一生恩返しやなみたいな。
このエリアの豊かさ伝えるっていうところの
使命みたいなものとか、
良さを伝えることができる何か自分の役割、
みたいなのを果たしていけたら、
僕にとってはそれはひょっとしたら、
すごい幸せなことじゃないかなと思って、
伝えて誰かを喜ばせたり、
満足してもらったりっていうところを目標にして、
今生きてます。
なので、もしそういうチャンスに恵まれたら、
こういう意識の中で恵まれると、
恵まれたことって、そういう意識の持ち方もあるかな。
これめちゃくちゃ厚かましい言い方なんですけど、
ありがたいチャンスにほんと巡り合ったなっていう感じで、
次のステップ踏むとしたらそこしかないっていう。
しかもこの距離感で。