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2026-10-21 1:09:18

episode.87 もみのき食堂 又野寛さん 後編

今週のゲストはもみのき食堂の又野寛さんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


紀美野町へ/マルイチ農園さんとの出会い/暮らしを仕事にしたい/くらとくり/もみのき食堂オープン/星のほとり


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


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サマリー

又野寛さんが和歌山県紀美野町へ移住し、鉄工所での仕事を経てマルイチ農園に出会い、栗・柿・梅・タケノコなどの農作業と加工を経験した経緯を語ります。農園の蔵を残すプロジェクトから、神谷さん夫妻のコーヒースタンドとともに「くらとくり」を始め、2014年に「もみの木食堂」を開業しました。飲食経験のない状態で取材が相次ぎ、料理の提供時間に苦労しながらも、独学や料理教室、大阪の料理人の厳しい支援を通じて提供数を増やしていきました。玄米菜食や植物性料理を軸にしつつ、制限を押しつけず、誰でも「何かわからないけど美味しい」と感じられる料理を目指しています。京都の器店や和歌山の店巡りから空間づくりの感覚を培い、蔵や家具を少しずつ整えてきたことも話します。水害をきっかけに所有者から家を借り、「星のほとり」という宿泊施設を始め、夜のコース料理や川辺の自然を楽しめる滞在を構想しています。家族が大阪と和歌山に分かれて暮らした6年間の寂しさや、コロナ禍に入れ替え制へ変えて料理の幅が広がった経験も振り返ります。今後は地域の魅力を伝え、訪れた人が良い時間を過ごせる場所と、移住を考える人にも届く場を育てたいと語り、隣の離れでのヨガやイベントも紹介します。

紀美野町とマルイチ農園との出会い
本場というか。
やっとですよ。この辺ちょっといっぱい削ってくださいね。
えー、じゃあ、君の町に来て、何も決めずに来たっていう感じですか?
一応、その、当てにして、あのー、農業に興味あるんやったら、
うちとこでちょっと働いたらいいよって言ってくださった人がいて、
その方は町内で鉄鋼所と農機具屋さんをやってるんですけど、
その農機具も扱ってるし、あのー、うちも米作ってるし、
あのー、ちょっとおいでよって言ってくださって、
で、そこに2ヶ月半ぐらいバイトさせてもらったんですね。
で、溶接とかもされてたし、
あのー、その人、ほんますごい何でもできて、
バイクもエンジンばらいてまた組み上げるみたいな感じだったんで、
ほんと、あのー、素晴らしい環境だったんですけど、
僕、メカ系全然ダメだったんです。
やり始めて。
あっ、これ、あの、草刈り機の歯一つ変えるの、
ウルトラドン臭かったですし、
草刈り機止まってしも、エンジンかけるのももうほんまなかなかやったんですよ。
これまずいなーと思って。
ほんで、やっぱりね、時間いるとたくさん教えていただくことも多くなるし、
まあ、少なからず期待もかけていただく状況になるので、
これはやばいと思って、ちょっと早めに、
もうちょっと農業に近い、ちょっと機械が苦手すぎたので、
また違う場所にしようと思って、
いったんそのお仕事はやめさせてもらって、
それが引っ越してきた春の6月中だったので、
そこからちょっと引っ越す前から丸市農園さんっていう農園さんが
君の町に存在することはしてたんですね。
それこそブログとか発信されてて、
君の町発信で栗作ってます、こんなんしてますっていうのをずっと見続けてたんです。
興味あるなーと思ってたんですけど、
そこ、仕事いったんバイトやめさせてもらったのを機に、
ちょっと調べてみたんですね。
ちょうど求人募集してやったんです。
ハローワーク窓口だったんですけど、
すぐ職場に行って面接してもらって、
8月から採用してもらえることになったんですね。
仕事内容がお百姓見習い、
お百姓さんとしてのお仕事のサポートプラス、
6次化人材育成事業といって、
農業の6次化といって、
農家さんも作って生で売るだけではなくて、
加工して付加価値をつけて、
商品にして収益力を高めていきましょうっていう方向性なんですけど、
そういう人材を育成するための事業ということで、
和歌山県のサポートも入って雇われる、
1年間限定のお仕事だったんですけど、
晴れたらお百姓さんのお仕事を行って、
その作業がない時とか、
天候悪い時は加工場で、
農作物を使った商品を考えるっていう、
もう僕やないかみたいな、
僕のための仕事やないかみたいな、
お仕事に張り付けたんですね。
結局そこが全てだったというか、
そのお仕事と巡り会えたことが、
今に繋がる最高の出会いでした。
当時その丸市農園さんはどんな農園やったんですか?
栗中心です。栗農家って言っても、
農村の一年と暮らしを仕事にする思い
今ちょっと収量だいぶ落ちてきたんですけど、
当時は栗農家ですって言い切って張った、
すごい量の栗落ちてました。
栗、他にも少量多品種っていうのを掲げておられるので、
栗が終わったら柿の収穫になって、
赤土で育つおいしいジャガイモも、
特産にされているので、
そこから年に2回ジャガイモ作るので、
ジャガイモのジャガイモ掘り、
ジャガイモ植えみたいな作業になって、
冬場は梅もされているので剪定作業になって、
春になったら山菜取りが始まって、
タケノコ掘ったりして、
5月が来ると梅取り、
タケノコ掘りから梅取りになって、
また栗になっていくっていう、
最高の1年間過ごさせてもらったなと思って、
ケバラ引っ越してすぐ、
衝撃的に楽しい田舎の年中行事と言いますか、
4月に越してからお茶摘みするって、
近所のおばあちゃんに声かけてもらって、
田舎のお家で大体、
お家の近くにお茶の木を植えてて、
自分の家のお茶は、
それで1年分作っちゃうよみたいな文化とか、
みんなおばあちゃん、
近所にちっちゃい畑で、
自分食べる分ぐらい自分で作るよみたいな、
自給する年配の、
本当にいつまでも元気に過ごされる人たちを見たり、
君の町で過ごす1年間年中行事、
全てに魅了されてました。
ほんまに豊かやな、素晴らしいなと思って、
その時間に、
田んぼの世話もそれぞれ挟まってくる、
僕は直接田んぼにはほとんど関わってきてない、
ほんま田植え体験とか、
ちょっとした体験レベルでしかしてないんですけど、
そうやって田んぼに懸命に向き合われてる人たちを、
目の当たりにというか、
身近にずっと見てきて、
その君の町で過ごす1年間が、
衝撃的に刺激的でしたね。
なんとかこの暮らしを仕事にしたいみたいな、
イメージで過ごしてました。
楽しかったです。
そうなんですね。
あるうちの応援さんの、
北さんっておっしゃるんですけど、
北家の皆さんと共に過ごす毎日が、
ほんまに面白かったです。
タケノコもどんだけ取んねえっていうくらい、
コンテナに何倍も取ってきて、
その日に湯沸かなきゃっていう、
その日に湯沸くのがやっぱり美味しいポイントらしいんですけど、
何本か剥くねえっていうくらい剥いて、
薪で炊いて、
大きい薪でタケノコ炊いてっていう作業とか、
永遠くり拾い続ける作業とか、
牡蠣の受粉とか、
撤化的雷門、
ほんまに地道な作業だったけど、
それを僕は仕事として長年はやってないので、
一年体験っていうレベルでしか分かってないんですけど、
それでもほんまに、
自分の食べるものが手元に届くまでの、
一連の流れを、
少しだけ分かれたような気がして、
めちゃくちゃ良い体験でした。
蔵を残すプロジェクトとくらとくり
それが一年間限定って決まってましたんで、
延長とかないって決まってたので、
次どうしようってなった時に、
たまたま丸一農園さんが、
このクラとクリをやっている、
このクラをね、再生させるっていう、
プロジェクトに取り組んでる真っ只中やったんで、
どうリフォームしようかみたいな、
で、何しようかみたいな。
そこもまだ決まってない状態で、
丸一農園さんはとにかく、
このクラがあまりに素敵やから、
とにかく残したい。
農協さんから借りてる状況だったので、
さっき見て、おトイレの建物が旧農協さん。
へー、そうなんですね。
昔の金融機関みたいな作りになって、
農協さんだったんです。
鴨子さんとかも農協さんじゃないですか。
あんな雰囲気の同じ建物なんですけど、
そこを借りて、
加工場県事務所として活動されてたんですけど、
農協さんから通知が来て、
ここ壊しますって、
このクラは壊しますっていう通知が来た時に、
いやー壊さんといて、みたいな。
んだ、もう土地ごと買って、みたいな話になって、
それぐらい情熱持って、
ここを残すことに取り組まれるタイミングやったんです。
で、あの、丸一農園さんは、
本業がそもそも忙しいので、
カフェを自分でやるとか、
そこまでは考えてらっしゃらなかったんですね。
で、場所としては残して、綺麗にして、
じゃあちょっと野菜でも売ろうかとか、
地域の人と絡んでどうにか使おうかって、
まだ模索中の段階やったんで、
またのさん、何回下手かったらやってくれたらええで、
って言われてくれたんですよ。
えーいいですかって。
僕ご飯作るのが好きなんで、
とりあえずご飯作りたいですって言って、
ほんなら一緒にやろうやってなって、
ここに今スタートに至る感じなんですけど、
すごいなんかタイミングが。
もう恐ろしいぐらい、
人と人とのご縁に恵まれてる感じです。
で、しかもその時に、
ロースター、今のロースターズさんですね、
神谷くん夫妻にも絡んでくれることになって、
一緒にコーヒースタンドも、
3社で合同でしましょうって最終形に。
それはどういう形で一緒にやろうっていう流れになったんですか。
最初ね、結局、神谷くんが、
ドーシェルの戸田さんのお仕事を少しさせてもらったご縁で、
ドーシェルの戸田さんがすごい素敵な若者がいてるから、
北さん一緒に何かしたかったらやったらいいんじゃないって、
紹介してくださったんですよ。
で、神谷くんもこの蔵気に入って、
売選所最終的には、
いだき草の大川家のとこでされるんですけど、
週末ここにも出店しようかなみたいな感じで、
最終そこに落ち着く感じで決断してくれて、
ロースターズとザ・スタンドっていう感じで、
3年ぐらいはそのまま活動したと思うんですけど、
週末営業でもありましたし、
で、その戸田さんの紹介で神谷くんも絡んでくれることになって、
僕は一切飲食経験なかったんで、
食べることで精一杯やったんですね。
で、ドリンク担当で、しかもスペシャルティーコーヒー出してくれる人がいてるってなったら、
もうほんまにありがとうございます。
嬉しいってなりました。
で、しかもなんかめちゃくちゃかっこいいし、
何持ってきてもめっちゃセンスいいし、
めっちゃオシャレやなと思ってポケット見てました。
で、当時も自分で神谷くんがスタンドのコーヒースタンド、
自分自作で作って据え付けてくれたりしたんですけど、
ほんとかっこよくて、
この蔵のスタートアップの中心というかね、
なんか花形というか、すごいオシャレな場所にしてくれたなって今でも感謝してます。
場所作りもそのみんなで一緒に考えてってことですか?
そうですね、一緒にというか寄せ集めな、
神谷くんの思うようにはいかなかったと思うんですけど、
でも神谷くんエリアはすごいかっこよかったですし、
僕は自分で持ってた家具、家で買い集めてたの全部持ってきて、
家から管理してっていう感じで協力して、
まあまあなんとなく多分調和する感じで、
スタート、今から思えばまだまだ幼い場所だったなとも思うんですけど、
寄せ集めでスタートした感じでしたね。
もみの木食堂の開業と最初の苦労
それが2014年の8月に、
クラ得利としてオープンっていう感じですか?
それまで僕1年間だけ仕事だったんで、
その間は役場の臨時職員のバイトとか行って繋いでました。
なるほど。
そうやったんですね。
この場所作りなんかこだわったこととか、
なんかもうめっちゃ素敵な場所なんですけど。
それほんまちょっとずつですね。
最初は神谷くんが作ってくれた雰囲気もやっぱりあったし、
僕はただ持ってた家具置いただけっていう感じですね。
で少しずつやっぱり場所としてはブラッシュアップしていけてるんかなっていう感じにはなります。
なるほど。
このクラのリフォームも北さんが全部やってくれたので、
ほとんど外周りにやっぱり屋根を直したりとか、
外の漆喰をちょっと綺麗にしたりとかいうのでお金かかってるんで、
中は床はそのまんまでちょっと揺れもあるような感じの床でしたし、
壁も白く塗っただけだったりとか、
大工さんのほんまに協力でなんとか低予算で仕上げてもらった感じでした。
結構その元のままっていう感じなんですね。
めっちゃいいですね。
もみの木食堂がスタートして、最初どうでした?
もう偉いことやるって言うてもたなと思って、
最初お茶出すって震えました。
ほんまに僕作ったご飯知らん人に食べてもらおうやなと思って、
ほんまに偉いことでした。
今と結構スタイルも変わってる感じなんですか?
そうですね。最初はワンプレートの中にお味噌汁のご飯も入ってて、
小鉢3つとごすん皿に少しっていう感じで小さく始めた感じでした。
そのスタイルって何かを参考にしたとかそういうなんてあるんですか?
そうですよね。
そこまで全く飲食とかがっつりはやってない?
好きなお店はいろいろあったので、
そこのお店で使ってるトレイでやろうとかは思ってましたし、
器は好きだったので買い集めた器でとにかく始めましたね。
小鉢もいろいろ持ってたので、
一旦小鉢でスタートしようって何かを参考にしたっていう、
今具体的にちょっとわからないんですけど、
インプットしてたまってきたものをなんとなく出したのかなっていう感じですね。
最初から結構お客さん来た感じなんですか?
8月オープンだったんですけど、
5月下旬からプレイオープンといって、
なんとなく当時のもみのき食堂のブログで言う範囲とか、
届く範囲とか、
お弁当のせたブログ。
ちょっと続く範囲とか、
あと神谷くんの知り合いで来てくれるとかもちろんありますし、
北山の丸一農園の知り合いで何や何や言って来てくれるっていうのもありますし、
何やかんやと最初は知り合いのお食事をご提供してるだけでアップアップでしたね。
だからもちろんバイトしながらでしたし、
それで収入額上げなきゃいけない状況でもなかったので、
コツコツやってました。
5月はプレイオープン、6月7月でやって、
8月オープンって言って、
一応オープンしたんですけど、
幸運なことに、
8月の雑誌、8月号の雑誌に紹介してもらえることになったんです。
当時、もう今配管で、エルマガシャンのリシェっていう雑誌があって、
多分笠手茶さんが表紙の、
多分、その号覚えてるっておっしゃる方、何人か知ってるんですけど、
その表紙のところに結構デーンって紹介してもらったんです。
8月号だったので、結構その効果が大きかったのかなっていう感じで、
僕も見た記憶がありますね。
結構インパクト、表紙素敵でした。
笠手茶さんとの、源次郎さんの素敵な場所の表紙だったんで。
そんな本格的に始まってないのに、
その取材がいきなり来たっていうのは何やったんですか?
僕、でもね、エルマガさんの知り合いはいたんですね。
なるほど。
で、うちの奥さんのお姉ちゃんは、
そういうメイクとかされてるお仕事、ヘアメイクのお仕事されてるんで、
雑誌のお仕事とか要されてて、
そのお知り合いとかは、そういう界隈の人が、
カメラマンさんやとか、ライターさんやとか、
雑誌の編集の人らとかが、
いつの間に妹を引っ越したんよ、遊びに行ったってみたいな感じで、
やんやと遊びに来てくれたんですね。
で、店しますねっていう話したら、
面白いやん面白いやんとか言ってくれて遊びに来てくれて、
知らずにその会社の人らが食べに来てくれてたみたいです。
すごい。
で、8月号で取材してくれることになって、
そういうご縁があったのかなと思います。
スタート当初から結構いい感じでスタートできたっていう。
もう全然追いついてなかったです。
技量が僕の大問題でした。
技量がってその料理の。
料理の。だから初め10人分用意しようとか思って、
10人分でどないやねんって感じですけど今から思えば。
で、そこからじゃあ明日今週は20人しようとか、
30人出せるかなとか、だんだんステップアップしてる状況だったんで。
前の日に予約の電話とかバーってなると、
どうしようどうしようってなってました。
で、その立政を皮切りに9月にはおはようあさひさんが来たりとか、
なんかその立政の取材を追いかけるような企画だったんです。
タレントさんが来てくれたりとか、
そこからフリーペーパーの取材が来てくださったりとか、
それを契機に取材っていうのはトントンと何ヶ月かおきに来てくださる感じで、
スタートダッシュとしては技量に追いつかないほどのペースで来てくださったかなっていう感じでした。
技量っていうのはもうその純粋に料理人としての?
はい、カフェを運営する人としての技術が足りてないなと思います。
なんか味的にとか?
いやいや、こういうのを作りたいっていうのはあるんですけど、
それを時間に、決めた時間に、お客様がここに来られるっていう時間にちゃんと整えて、
何食分って決めつけて、最後まで出し切る。
時間内に出し切る。主に時間ですね。要は要を待たせたっていうことです。
平田くん言うとめっちゃ待たせたみたいなカフェやったんだよなって、
僕はちょっと恥ずかしくなってるんですけど。
味に問題があったらちょっと問題だと思うんですけど、
味ももちろんブラッシュアップずっとしなくちゃいけないと思って取り組んでますけど、
こういう料理を出したいっていうのは初めからやっぱりありました。
そうやって5年6年積み重ねてきた自分らしい料理っていうのは自分の頭の中であって、
それをきちんと時間内に準備して提供するっていうことと、
家族に提供するっていうのは全然やっぱり違うので、
そこをやっぱり分かってないので大変でした。
なるほど。
独学の料理とプロからの学び
味に関してもみどき食堂のご飯ってめっちゃ美味しいと聞かれてますけど、
これがなんで美味しいもの作れるんですか?
最初の1年に無我夢中で本を読んで料理を作って、
恐ろしい量の本買って、台所で寝てしまってました。
ドナイアネンっていうぐらいのめり込んでました。
自然食品店行ったり、
この人や表見つけた料理人さんとかいて料理教室とかやってて、
そのお兄さんと通い詰めたりしたりしました。
それで、料理教室行ってもやっぱり自分流にはどうしてもなってくるじゃないですか。
で、単発の料理教室と本を頼りにただただ、
最初の35から40まで料理を自分で計算した感じです。
マルチ農園に来てからは1年間の中で、
その授業の中から大阪の玄米採植の料理教室に通わせてもらったりもしました。
だからいろんな要素が入ってます。
独学ですけど、めっちゃストイックにずっと積んできて。
自己流というか、自分で取り組んできたっていう感じです。
なるほど、すげえ。
オープンして最初は別の仕事しながら農民の食堂やってて。
週末だけだったんで、月勤は役場の地席のお仕事とか行かせて。
それもすごい楽しかったんです。
山の境界線を決めるお仕事で、山にくまなく歩いて杭を打つお仕事で、
僕はリュックを背負って杭いっぱい背負ってるっていうジャンルがあったんですけど。
楽しそう。
楽しかった、むちゃくちゃ。ほんまに楽しかったです。
君野町のことよく知れたし、どこに昔田んぼあったんかとか家もあって、
ここも集落やったんかとか、すごい良い経験でした。
めちゃくちゃ面白かったです。
じゃあその両方仕事しててみたいな生活はどれぐらい続くんですか?
えっとね、でも早々に飲み時に絞っていくんです。
2015年にはもうバイト辞めてました。
週末営業だけで一応家族を養ってました。
すごいっすね。
それでも大変というか、今住んでるのは店の近くなんですけど、
当時はまだケバラに住んでいたので、子供もまだ小さいですし、
送迎とかも多少ありましたし、
ただ家の年寿行事とか、地域の年寿行事とか、草刈りとか、
そういうので忙しいなと思って過ごしてました。
なるほど。
でも料理に関して経験の無さを埋めるのにすごい救われたのが、
その妻のお姉ちゃんの友達の料理人の男の子がいたんですけど、
その子も全然肉食の普通の料理人で、
パーティーとかにケータリングですごい素敵なフィンガーフードを提供する
大阪の料理人さんなんですけど、その子が僕の料理を気に入ってくれて、
レストランプロデュースとか、そういうお仕事も将来やっていきたいから、
ぜひ運営に関わらない、全然力貸すよみたいにめっちゃ言ってくれて、
ゴリゴリ仕込みから関わってくれるようになって、
その子の存在はめちゃくちゃ大きいです。
どういう部分で大きい?
単純に、明日何食仕込むの?みたいな感じで声かけてくれて、
ここまではやっとけるんじゃないの?今日のうちに。
明日はもうこの盛り付けだけでいいでしょう。
こういうことは先に終わらせて、こういうことからやっといたらいいんじゃないの?
みたいな感じで、割と今優しく言ってますけど、めちゃくちゃスパルタで、
何その無駄な動き何なの?みたいな感じで結構しごいてもらって、
一緒に30食出すにはこれぐらいやったらできるから、
じゃあ40食、50食、60食、絶対いけるから頑張れみたいな感じで励ましてもらいながら、
自分のキャッパを広げていきました。
その子おれへんかったら絶対できてないと思います。
なるほど、じゃあもうその後、もみのき食堂一本でずっとっていう。
そうですね、その子のサポートも受けながら、大阪で一家店を持ってたのでその子は、
僕もケータリングのお仕事の手伝いとか行かせてもらって、
一緒に仕込みを体験させてもらったり、
実際にケータリングのお仕事もご一緒させてもらったりとかしました。
すごい、じゃあそこで今まで独学やったのがプロと一緒に仕事することで。
そうですね、料理の見せ方出し方、盛り付け一つで、
そのテーブルのあつらいですね。
すごいとにかく素晴らしかったので、一緒にお仕事できてめちゃくちゃよかったです。
なるほど、じゃあもうめっちゃ順調ですね。
そうですね。
今のところね、もう見方上がりで。
お仕事としてはね、すごいほんまに恵まれて生きてきてます。
とにかく人の力での仕事。
でもそこの表に出ない圧倒的な量というか、県産というかね。
ほんまに料理に関してはめぐり合えてよかったな。
自分で何回やりたい、何回やりたい。
もし娘に何もなくただ平和、平穏に過ごせていれば料理やってないですし、
何回やりたいって一生言ってる人やったらなって思いますけど。
料理にはまった時に、これから多分これ中心にしていけるかなって。
1年続き、2年続き、まだ飽きへんなと思ってやってる時にはすごい嬉しかったですね。
楽しいがずっと続くなみたいな。
どういうところが料理の楽しいところですか。
僕多分、玄米採植とか野菜植物性に限るっていう制限が多分楽しいんやと思います。
何に使ってもいいよみたいな状況やったら広すぎて何にも用決めやんかったかなと思うんですけど、
野菜っていう植物性っていう縛りの中でどうやったら満足感が。
僕も実際1年半ぐらいほぼほぼベジタリアンで過ごしてみたんですね。
結局味分にはちょっと合わへんなっていうのがあって、今はバランス良くなんでも食べてます。
だからそういう経験とか、そうやってベジタリアンのレストラン食べ歩いた時の印象とか、
僕やったらこうしたいなとか、ベジタリアンの人がやんやと集まってくる店とか言うんじゃなくて、
何にも考えんとポカンと食べに来て、何か美味しいな、何か楽しいなみたいな、
食べることについてあんまり難しいうんちくみたいなのとか、できればあんまり僕話したくないな、
ただただ楽しい美味しいみたいな感じ。
どうしてもベジタリアンの世界って、これは食べちゃえ。
自然食品の世界ってこういうの食べたらあかんでみたいな感じになりがちになっちゃうんですけど、
そういうのをちょっと避けたいなみたいなのがあって、
何か分かれへんけど美味しいっていうのを目指したいなと思うのがありましたね。
たしかに。この間食べさせてもらった時に、何か分からんけど美味しかったです。
うち店もややこしい場所に、ドライブとか車運転苦手な人やったら来れなくて、
彼氏に運転してもらってきたとか、お父さん運転手でついてきたとかやっぱりありがちなんですけど、
そういうなんとなく連れてこられた人も、何か分からんけど美味しいな、
お腹いっぱいやなみたいな感じにはなってほしいなって思ってて、
何か分からん時は男性が満足して帰って行かれたりすると、すごい喜びあったりするんです。
だから、そういう、何の話でしたっけ、料理は。
料理、なんでそんなにハマってるんですかっていう。
ハマってるってなると、やっぱりそういうところかな。
これが、イタリアンとかフレンチとかお蕎麦屋さんとかやったらちゃんと修行しなきゃと思ったと思うんですけど、
ベジタリアンの店で修行できるとかもそんなにその当時は考えられなかったし、
人生のステージ的にもまだ子供小さいしっていうのがあって、
何か経験は詰めなかったんですけど、
お料理、何で料理ってなると、やっぱりそういうところですかね。
玄米再熟の世界が面白いな、ベジタリアンの世界って面白いな、
モトキ料理の世界にちょっと近づくじゃないですか。
唐揚げみたいな大豆とか、
うなぎみたいな何かとか、そういうのがちょっと面白いなと思ったのがありますね。
他に店やってて、この人に出会ったのがターニングポイントとか、
このお店がとか、そんなんってありますかね。
めっちゃあるんですけど、今ちょっとそれね、朝から考えてたんですけど、
ありすぎてって感じですね、ほんまに。
出会いとしては、料理楽にしてくれたのは、
当時大阪相山市でくらし屋さんっていう自然食品店があって、
隣にレストランがあって、その料理人さん、
今は富田林でくらし屋さんっていうお店をされてると、
今もされてると思うんですけど、
その方に料理を教えてもらったのはすごい大きかったですね。
同年代、同世代の男性で、その方が作る料理もとにかく美味しくて、
とにかくストイックで、
僕、今の職場でも小麦も一応使わないんですけど、
小麦を使わないっていうことに関してもその方の影響で、
小麦使わなく、パン食べます。パン大好きですけど。
お楽しみにいただいてますけど、
お料理では一応使わない感じで言ってるんですけど、
その方のお料理、教えてもらったのもやっぱ大きかったなって思います。
どういう部分が大きかったんですか?
とにかく、すいません、話めちゃめちゃ長くなってきます。
割と素材の良さを生かすために、
例えばかぼちゃだったら、
土鍋で、弱火で、塩だけして蓋をして、
2時間そっと置いておくんですみたいな、
すごい、そうやって素材の良さを引き出しましょう。
とにかく皮ごと何もかも使ってっていうのが、
玄米採植とかマクロビオティックとか、
そういう丁寧なお料理みたいな部分が重要やなというか、
そういうところを大切にされているお料理やなと思うんですけど、
その方結構、僕は強火でちゃうですとか言っちゃったりとか、
甘くしたかったらちょっと砂糖入れたらいいんですとか、
その砂糖の質が問題なだけで、
それは気楽にやったらいいんですよ。
甘くしたかったら甘い素材を少し足せばいいし、
酸っぱくしたかったらもうお酢を足せばいいし、
料理は差し支えそうです。
それでそれを中心に自分が思い描いた味に使い付けるように、
ただ素直にやればいいだけですよみたいな、
軽く言ってくださったんですよ。
かぼちゃ炊くには2時間かけなきゃって思ってたのが、
強火でちゃうで、ぼーって炊いて、
これ強火でやったやつですけど、美味しいですよねってやって、
そうしなきゃいけないっていうところから、
ちょっと解いてくれたみたいな、
皮ごと使わなきゃいけない。
あかんことないですよ。
口当たり良くしようと思ったら皮剥いたらいいんです。
その皮は皮でまた料理に使いますし、
だしにもできるし、
生かす方法はいくらでもありますから、
皮ごと調理にこだわらなくて、
色を良く仕上げたかったら皮剥いたら水に晒してもいいし、
悪取らないとか、
玄米菜色の料理に惹かれたのって皮剥かなくていいとか、
皮ごと調理で皮に一番栄養があるからみたいな感じで、
教えて、本を読んで学んで、
それは楽だよなみたいな、
初めは楽できるっていう発想から、
そういうお料理の取り組み方になったんですけど、
皮使うからにはやっぱり勇気がいいよねとか、
いう話になってオーガニックの世界にもやっぱり興味を持ち始めるんですけど、
でもそういう料理の世界の中から、
いやもっと自由でいいよみたいに
引き出してくれたのがそのお料理の料理人さん、
牧野さんって言って、
まだトムダバヤシでお見せされてると思うんですけど、
その方にはすごい気持ちを楽にしてもらったなっていうのは、
こうじゃなきゃいけないってことはないよみたいな、
概念があるね。
玄米菜色の丁寧なご飯作りっていう世界から、
丁寧は丁寧でやったらいいし、
手抜きは手抜いてもいいよ、
手抜きじゃなんかじゃないよみたいな感じでは教わりましたね。
器・家具・空間づくりの感覚
この牧野さんのセンス的な部分っていうか、
そういうのってどこで培われていったっていうか、
最初収録前に見せてもらった、
野戸これからやるとことかもむっちゃかっこよくって、
もみの木食堂ももちろんなんですけど、
この辺は何があったんですかね。
今まで話聞かせていただいて、
ビーチバレー。
本当に結婚されてからの、
この短い期間で一気にギュッとなってるのか。
ギュッとなってます。
そんなことってあるんですかね。
子供の頃からそういう素敵なお家が好きでとか、
全くないです。
ずっとつるぴかの家に住みたいと思ってました。
ずっと古い長屋で住んでたので、
アルミサッシのお家には憧れてましたし、
水泉トイレにも憧れてましたし、
つるぴかのお家に住みたいなと思ってましたし、
買ったマンションも新築マンションだったし、
食事変えてから、野菜中心に変えてから、
ずいぶん思考が変わってきたのかなっていう。
結婚して2年でそういう食の世界に目覚めるんですけど、
そっからは自然なものがいいなみたいな感じになって、
なんででしょうね。
自然なものがいいなの人でも、
もうちょっともっちゃりしてる人もいるじゃないですか。
そうですね。そうやと思います。
なんていうんですかね。シュッとしてるっていうか。
それほんまちょっと自分でもちょっと分からんですね。
そうやって自分で一から生活しようと思った時に、
もの選びからですかね。
ほんまにあちこちのインテリアショップ、
神戸も奈良も京都も好きで好きであちこち行ってました。
器なんか京都に好きな器屋さんがあって、
器を選びも本当になんか最初全然定まらんかったんですけど、
でもそうそう好きなお店のセレクトに盲目についていくと、
自分のセンスが育った気がします。
その器屋さんで選んだ器に後悔はないっていう器屋さんがあって、
京都のってどこですか。
草干さんっていう器屋さん、小さい器屋さんなんですけど、
個性的な店主さん。
最近ちょっと長らく行けてないんですけど、
京都の法務局に行くときに、
ちょうど法務局の近くだったりしたんですね。
そっち行ったら絶対ちょっと寄って行こうって決めたりして、
当時は何ヶ月に1回かは顔出せる感じで、
行くたびにほんまにここで選ぶ器は間違いないなと思って、
そこで好きな作家さんとか、
そこはね、作家さんのお名前とか一切書いてないんですよ。
で、金額だけそっと置いてあって、
手に取ったら、
それはどこそこで作刀されてるなんとかさんっていう人で、
こうでこうでって説明してくださるんですけど、
そういううんちく聞くのもすごい楽しくて、
で、そのお店のなんていうんですか、
雰囲気も古い家具っていいなとか思ったりして、
自分の家の水屋はこんな水屋に変えたいなとかはやっぱりありましたね。
で、古道具屋さんをどんどん巡るようになりましたし、
そうですね、そういう店巡りですかね。
和歌山来てからはノルムさんが大好きで、
あのノルムさんに行って、
どんだけ照明買うねんって、
坂上さんに、もう渡野さん照明はええんじゃいます?
いやもうちょっとこれはちょっともらっていくわー言うてやる感じ。
いやでも素敵な照明がいっぱいありましたもんね。
で、和歌山来てからノルムさんに救われてますね。
ほんまに素晴らしいなと思うし、
それに関わってるホマレ君が作る世界も、
なんて素敵なんやと思うし、
そうはいったらため息しか出れへんしみたいな。
そういう刺激、和歌山では、
あと源二郎さんが作るお店、
全部素晴らしい、和歌山ってほんまに素晴らしいなと思って、
そういう刺激は受けてますんで、
ありとあらゆる刺激をいただいて、
今自分も何らかの何らかを絞り出してる感じですね。
なるほど。
料理と同じくそっちの方もグーッと集中して、
ハマってっていう感じですかね。
そうですね。
すごい場所の写真見たり雑誌見たり、
インスタ見たり、そういうのは好きですね。
どうしても目がずっと行っちゃいます。
ありがとうございます。
全然答えになるかないか。
すみません。
星のほとりと宿泊事業への挑戦
ちらちら宿の話も出てるんですけども、
今後のもみの木食堂というか、
今後の的野さんなんかどうしていく感じなんですか。
最初もちょっと言ってしまったんですけど、
24時間、春夏秋冬のこの場所の魅力を伝えたいっていうのが、
次の野望というか、ステップにちょうどなりました。
それが宿っていうことで。
そうですね、宿で。
ここ何ヶ月かいろんなゲストをお迎えしていく中で、
その飲食をやっていくのと、
最初に感じた経験のなさの焦りみたいな。
うちランチにしかやってないお店なので、
11時ぐらいから4時ぐらいまでの、5時ぐらいまでの気遣いしか僕の中でないんですね。
ここで、この場所で過ごしていただくしかなくて、
それが滞在時間が15、6時間になるんですね。
その間のお客、来ていただくゲストの快適性とか、
何とか保つっていうことに対するエネルギーがこんなに大変なのかっていうところに、
今直面してて、
各となるのは僕はやっぱり料理かなと思ってて、
もちろん巣どまりで使っていただくことも想定してて、
それはそれで楽しんでいただきたいんですけど、
やっぱり料理を通して伝わることもあるなと思って、
しかも夜ご飯ということで、
違う雰囲気で出していきたいなっていう、
チャレンジしてみたいなっていうのはあって、
今だったらランチでいっぺんに出すっていうスタイルしかできないけど、
コース料理にして一皿ずつを出しできるような、
また宿で食べていただいたらまた素敵なディナータイムになれへんかな、
なんかいい夜やったなっていうのを過ごしてほしいなっていう希望、
やってみたいことがありますね。
そもそもきっかけというか、
あの場所は何で始めようと思ったんですか?
長いですよ、この話。
もうショートでいきますけど、
3年前に水害にあったんです、この地域。
ボケットを僕店開けてしまってたんですけど、
陸のことレベルに道が塞がるレベルの海内液が使っちゃったときの水害なんですけど、
あの時に今先ほどご案内したお宿も大きな被害で、
今5年ぐらいそこは空き家で、
住まれてたご夫婦はお亡くなりになってて、
娘さんと息子さんがいてあって、
娘さんは君の町内でお住まいになってて、
息子さんは東京で建築のお仕事をされてるんですけど、
片付けにこっちに、水害の後の片付けに来られてたんです。
もともとそのお家は移住してきた人へ向けて、
稼げないかなって検討中のお家だったんです。
移住のお家バンクじゃないですけど、
そういうところに登録しようかなぐらいな感じで予定されてたんですね。
それが水害にあってしまったので、
1回水害にあってしまったお家を居住用として、
用と考え入れ張る人あまり居てはれへんちゃうかなっていう懸念を持ち張って、
うちの店の賑わい、駐車場えらい車居は止まってるなって認知してくださって、
直接お店に来てくださって、
いっぺん僕のうち見てくれへんか、
なんかできへんかな思ってんねけどって言って、
見せてくださったんですね。
案内してもらって、
リッチとかは素晴らしいなと思って、
あれ見せられて、
僕日常的にインスタグラムとかで上げてる動画とかは、
あの辺から撮った写真が中心なんですね。
あのエリアが好きで、あの田んぼらへんが好きで、
ずっとカメラ向けてきた被写体だったので、
いやもうこんな最高の場所ないと思いますって言って、
なんかやりたいことある?って言ったら、
僕やったら宿ってやってみたいですって正直に、
今まで取材とかで次どんなことやりたいですかって言われた時に、
宿ですって何の根拠もなく、
やってみたいことって言われた時に宿って言ってたので、
でもお金もないし場所もないし、
いつになるかわかりませんみたいなことで、
あのお話はしてたんですけど、
そんなノリで宿やってみたいですって言ったら、
僕ちょっとリフォームするから、
使ってみませんか?みたいな感じで、
どういうこと?って思いながら、
ぜひぜひって軽い感じでお答えしてたら、
本当に本気で進めてくださって、
東京のヤヌシさんが、
自分がやりたいことをリフォームするので、
その後好きに使っていいんでって言ってくださったんで、
っていう感じで一応賃貸という形でお預かりすることになりました。
なるほど、そういう流れやったんですね。
それもヤヌシさんがうちにご飯食べに来てくださって、
ここの雰囲気とか好きなんで、
この雰囲気でしてくださったら嬉しい、ありがたいです、
みたいな感じで言ってくださって、
本当によろしくお願いしますって感じで。
すごいですね。
ちょっとありえない感じで。
離れの方はヤヌシさんが、
もうここを取り壊して駐車場にしようかなと思ってるんだけどって、
言ってくださったんですけど、
ここあんまり素晴らしい建物なんで、
ちょっとそのままにしといてもらえませんか、
僕で何とか使えるようにしたいんで、
っていう形でお願いして了解もらって、
使わせてもらえるようになったっていう経緯です。
なるほど。
そして今の形に、
建物もめちゃくちゃかっこよくて、
ロケーションもよくて、最高ですよね。
大きい建物の方は、
ヤヌシさんのお父さんが建てたお家で、
決して古民家とかいう年代のものではなくて、
四十五年程度の、
そんなに古い建物ではないんですけど、
昔ながらの建て方で、
地元の大工さんとお話ししながら建てられた、
昔ながらのお家なので、
そのまま使わなくなって、
朽ちていくのはもったいないなっていう印象には、
どうしてもなる素敵なお家ですね。
それがもうすぐ宿に。
そうですね。
もう一応、告知というか、
予約できるサイトはっきりと作ってないので、
まだ完全にオープンな感じではないんですけども、
お知り合いの方に今は、
口コミで使っていただいてて、
近々もしっかりオープンしたいなと、
思ってます。
これオンエアされてる頃には、
動いてるといいなと思って、
予約できる状況にやったらいいなと思ってるんですけど。
このもみの木食堂の場所ができた流れとか、
その後のこともそうなんですけど、
今回の宿の流れとかもそうなんですけど、
こんなに、なんていうんですかね、
順調なことを呼び寄せてるのは何なんですかね。
本当にお恥ずかしい話で、
本当に人のご縁と、
どこにも足向けて寝られへん状況です。
本当にラッキーやなっていう感じで。
引き寄せてるというか。
引き寄せて言っちゃうとね、
ちょっとスピッチャー感じになるんで。
でもなんかその、
人と接するときに、
心がけてることとか、
なんか。
ないです。
でも、
そういうことを伝えるようにされてるとか、
そうでもないですかね。
でもね、感謝しかないと思います。
そこは自分の中で、
あり続けるというか、
和歌山に引っ越させていただいて、
受け入れて、
ケバラでもまず最初に、
僕たちを受け入れてくれてありがとうございますって
すごい強く思ってます。
わざわざお家、
その時も空き家探していただいて、
開けてもらって、
単純なわがままなので田舎に住みたいっていう、
そこを受け入れてもらって、
暖かく迎え入れてもらって、
本当にケバラで過ごした時間も、
ほんまにご近所さんに恵まれて、
ほんまにいい時間でした。
だからここでも本当に、
ご近所さんの理解があってですし、
繋いでくれてるのは丸内農園さん。
全部お膳立てしてくださって、
今のこの運営できてる状況があるので、
一生恩返しやなみたいな。
このエリアの豊かさ伝えるっていうところの
使命みたいなものとか、
良さを伝えることができる何か自分の役割、
みたいなのを果たしていけたら、
僕にとってはそれはひょっとしたら、
すごい幸せなことじゃないかなと思って、
伝えて誰かを喜ばせたり、
満足してもらったりっていうところを目標にして、
今生きてます。
なので、もしそういうチャンスに恵まれたら、
こういう意識の中で恵まれると、
恵まれたことって、そういう意識の持ち方もあるかな。
これめちゃくちゃ厚かましい言い方なんですけど、
ありがたいチャンスにほんと巡り合ったなっていう感じで、
次のステップ踏むとしたらそこしかないっていう。
しかもこの距離感で。
家族との別居とコロナ禍の営業変化
夢のようなお話でした。
なんとかいい形に収めて、
ここに訪れた人がめっちゃいい場所やったなって、
思ってもらえた時間にするっていう
使命すらあるんだと思ってて、
それはいつも思ってます。
僕もまたのさんと同じく周りの人のおかげで、
すごいやれてるなって感じがあって、
感謝しかないんですけど、
それでも凹むタイミングとか、
毎日凹んでます。
そういうのまたのさんも。
毎日もう至らない目に
大きい出来事というか、
大きいへこみとかピンチとかそんなのは
ここでは言えないですね。
ここでは言えないですけど、
でもね、大きいへこみは、
基本的には普通に、
ほんまあかんとこはカットしてくださいね。
単純に今、
家族とバラバラに今住んでるんですね。
それは最初すごいへこみましたね。
家族ですごいハードな出職場だったので、
子供小さい時も割と奥さんはオペで
みたいな状況だったので、
朝はご飯こそ作りましたけど、
お風呂とか全部奥さん一人で入れてましたし、
そんなべったり子育てしてきたわけじゃなかったので、
やっと7歳2歳の時に田舎に場所移して、
毎日一緒にご飯食べれて、
お風呂入れてっていう日常を手にして、
なんていい人生なんやと思いながら
過ごしてはいたんですけど、
娘が6年暮らし始めた時点で、
大阪の小学校に行きたいって言って、
大阪に行きました。
それもすごい単純に寂しかったんですね。
寂しい。せっかく一緒におれたのに。
それに伴って最初は奥さんの妹の家で
ちょっと居候させてもらってたんですけど、
妹に子育てさせてるみたいで嫌やなって
だんだん申し訳ないなってなってきて、
大阪にも家を借りて、
奥さんは大阪に引っ越して、
女子チームは大阪、
男子チームは和歌山。
男子は息子ね。
息子は小3から小4のタイミングだったんですけど、
友達と離れたくない、大阪にはいかんって言って、
和歌山でいたいって言って、
小4の息子と2人が和歌山で、
娘と嫁は大阪っていう生活が
6年間続いたんです。
それのタイミングでも
僕すごい落ち込んでました。
仕事面とはちょっと離れるんですけど、
家族面で離れて暮らすことに関して
すごい凹んでました。
でも、英語にもらわないし、
息子は僕言ってるやんみたいなこと言ってくるし、
だから頑張らなあかんなあって、
頑張ってきた感じですし、
その時寂しかったですね。
息子とうとう高校からは
僕も大阪行くわって言って、
今高3なんですけど、2年半前に
お姉ちゃんのところから大阪の高校行くわって言って、
単身お兄みたいになっちゃって、
一人ぼっちなんですけど、
やるべきことが今こっちに
やることがたくさんあるので、
寂しがってはいられないんでいるんですけど、
週に1回奥さんが日曜日手伝いに来てくれて、
僕は定休日に大阪に帰って、
あっちでご飯作ってみたいな感じで、
今はバランスとってやって落ち着いてる感じですけど、
そういうことではへこみますね。
それは辛い。
寂しかったですね。
息子と2人の6年間もグダグダでしたけど、
僕もだらしないんで、
生活習慣も相当だらしなくて、奥さんに支えられてきたので、
洗濯なんかも全然やってこなかったので、
ちょっと大変でしたけど、
息子に言わせたら、
今の丁寧な奥さんの世話焼きが、
もうそんなんじゃなくて、
放ったらかされてるんで良かったって言われたら、
いや放ったらかしたつもりはないんだけど、
丁寧にやってきたつもりはないんだけど、
あの放置にされてた時間の方が良かったわみたいな、
そんなこと言われて、頑張ってきたんですよ。
っていう感じで、
そういうのも経験があったなと思ったり、
寂しい。
実際このお店の運営に関しても良いことばっかり。
コロナも大変でしたし、
コロナの時期もすごい苦しんだ。
でもね、コロナでは一応業績的には全然伸びた方なんですよ。
田舎やったらいいんちゃう?
頑張って来てくれた人とかいらっしゃったりとか、
入れ替え生にしたのもコロナきっかけで、
お料理出せる幅が格段に変わりました。
ずっとお客様、
ずっと誰かお待たせしてる状況ではなくて、
完全に入れ替えてやったことによって、
お料理もずいぶん出せる幅が広がりました。
だから、
大変なこともやっぱりありましたし、
重い悩み生きてきても、
この和歌山来てからも来てますけど、
地域の魅力を伝える未来と告知
なんとか、
サンモッパンプラスに変わる時もあるなと思ってますね。
ありがとうございます。
今、マタノさんって、
どこに向かってやってるっていうか、
最終どういう形を目指してやってるんですか?
そうですね。
この場所に一台リゾート。
パークを。
マタノリゾート。
スパとか。
スパ。
あって、
何十万人てくる一台リゾートに。
嘘です。
もうちょっと小さい。
急に癒やしがすごいのが出てきたなと思って。
特に二組の方が、
静かな良い夜だったなっていうのを
すごしてもらう人もいれば、
広く使ってほしいですね。
さっきご案内したお宿の近くも川が近くて、
ちょっと川の近くまで少し降りていけて、
田舎ってなかなか川見れる場所ってありそうでないんですよね。
特に川遊びなんて絞っていくと、
車どこに停めんねんっていう。
素敵な川遊びスポットはあるものの、
駐車場とかトイレがないとか、
やっぱりあるので、
ちょっと田舎に来て自然感じて、
リフレッシュして帰ってもらうなっていう場所を、
もっと磨き上げていきたいというか、
いろんな仕掛け作れたらなとは思いますね。
いろんな仕掛け作れたらなとは思いますね。
この場所もっともっと、まだまだ、
このクラットクリーンに関しては、
13年、12年かけて、
ここまで来たって感じなんですけど、
まだまだスタートラインっていうか、
そういう飲食店する人間としても、
やっと10年過ぎた頃に、
やっとスタートラインに立ったんかなっていう印象は、
自分の中で持ってて、
まだまだどこに向かっていくかって、
なかなか難しいですけど、
ただこの場所を、
たくさんの人に知ってもらって、
いい時間過ごしてもらえる場所になりたいなと思うし、
僕は移住してきてる人間っていう側面があるので、
ここで暮らしたいなって思ってくれる人が増えたら嬉しいなっていう、
野心も少しあります。
なんかここで、
こういうとこで子育てもいいよねとか、
夫婦2人でこういうとこでのんびり暮らすのもいいよねとか、
年いったらこういう地域に引っ越そうかとか、
なんかそういう目で見てもらったりしても嬉しいなって思う、
ちっちゃい野心もあります。
めちゃめちゃいいですね。
こういった言葉がね、僕多いから、
なんかなかなか伝わりにくいかもしれないですけど。
ありがとうございます。
それで、いろんな側面から、
知っていただけたらなぁと思ってます。
Qさん何か聞き逃したことないですか?
まとまったんかなこれ。
めちゃくちゃまとまって、
すごい。
長い。ごめんなさい。悲しい。
けどそのね、生活の、
一触十の触と、
次は十という。
そうなんですよ。
またその、たなさんの表現される、
ステージというか、
なんていうんですかね、
表現の仕方がまた変わって、
今後またあの場所がどうなっていくとかもすごい楽しみで。
ほんま。
ちょっと時間を置いて来ていただくたびに、
こここんなんなったんやって、
ちょっとでもなんか成長してる場所でありたいなぁとは思いますね。
ありがとうございます。
すみません。
まとまさんもお疲れのところ、お時間ありがとうございます。
めちゃくちゃ。
もう2時間近いじゃないですか。
倍速で再生してください。
1.75倍ぐらいで。
2倍はちょっとね、
聞く方がしんどいかもしれないんで。
毎回ゲストの方にお伺いしてるんですけども、
またのさんが今和歌山で気になってる人とか、
この人のこういうルーツ的な話を聞いてみたいなって人とかっていますか?
僕まだね、
直接聞いてなくてもいいですか?
なんか僕、
前取材してもらった、
あのね、
君の町に素敵なカメラマンがいるんですよ。
東京ですごいちゃんと活躍されて、
で、君の気に入ってくれて、
その子が、
君の町にもともとある教会をリノベーションして、
写真家を作ってくれたんです。
僕、カメラすごい好きで、
いろんな写真家さんも好きなんですけど、
そういう文化が根付くといいなと思って、
西村君っていうカメラマンさんなんですけど、
ぜひこんなマイクセットして、
教会で喋ってきてほしいなっていうのが、
ぜひそういう風景見てみたいなっていうのがあって、
ちょっと西村君気になります。
ありがとうございます。
じゃあ次回ちょっと西村さんの話が聞けるかもっていうことで。
何やったら僕からオファーします。
ありがとうございます。
そして最後に的野さんから何か告知とかありますか。
あー告知。
クラットクリームよろしくお願いします。
いつもおいしいラインで作ってるんでよろしくお願いします。
さっきからお話にある宿泊施設、
星のほとりという名前で、
宿泊施設をぼちぼち始めてます。
また告知とかで見るチャンスあったら覗いてみてください。
そしてその隣に離れという場所があって、
今はヨガも、
ヨガのアーカー社ヨガっていう
舞妓先生にいつもお願いしてるんですけど、
そちらから申し込んで、
離れでヨガも既に体験していただくことできますし、
10月も少しずつイベントをしていく予定なので、
まだこんな言い方になってしまいますけど、
そちらのイベントもよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
各種情報はSNSなどチェックしていただいてという感じで、
よろしくお願いします。
では最後に事務連絡させていただきます。
キセンラジオはSpotifyやApple Podcastなど、
各種音声配信サービスで配信しています。
Spotifyで番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
この人の話を聞いてみたいというリクエストや、
番組改善のためのフィードバックも募集中です。
SpotifyのコメントかInstagramのDMからよろしくお願いします。
番組のオープニングとエンディングの楽曲は、
お寿司のともみさんのOur Youngです。
お寿司のともみさんの楽曲はSpotifyで聴けるほか、
お寿司のともみ通販サイトでCDも購入可能です。
こちらも是非チェックしてみてください。
というわけで本日は、
もみの木食堂の的野さんにご出演いただきました。
またのさんありがとうございました。
ありがとうございました。
長時間ありがとうございます。
すみません。
いや、めっちゃ面白かったです。
21時間51分ですよ。
やばいやばいやばい。
01:09:18

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