現在は、この後の変化したところもあると思うんですけど、現在はどういった立場でお仕事されているんでしょうか。
そうですね、ハイブの翌年ですね、再雇用期間を3ヶ月ぐらい残して転職しまして、株式会社ジョイゾーというところで現在働いております。
いいですね、ありがとうございます。その辺の繋がりもこの後お聞きしたいですが、では次の質問として、kintone ハイブに登壇したきっかけって、どんなきっかけで登壇されたことになったんですか。
はい、このモニターに映っていらっしゃいます。余平さん以外何もないですよ。きっかけは本当に。
余平さんからちょうどアプリが、内部の会社、会社というか社内で使うアプリを作ってたんですけど、そのアプリが外のお客様から譲ってほしいというか売ってほしいということを言われて、
すごい嬉しくて、余平さんにすぐに報告したんですよね。
だけど、結局、あともう半年、1年もないぐらいで再雇用期間終わっちゃうので、いつも私人生こんななんですよね、みたいなことを口言ってたら、余平さんが何を思ったか。
とりあえず出てみたらって。本当に目が合ってんっていうか、この人何言っちゃってんのって感じだったんですけど、なんかそれがまさかのきっかけですね。
なんで余平さんそう言ったんですか、あの時。
僕ね、キントンハイブ行くっていうよりも、その経緯で根崎さんにすごい怒られたのを覚えてて。
だから今の話、22年ですよね、22年のたぶんゴールデンウィークぐらい。
3月とか4月ぐらいにこういうことあって、根崎さんからもう再雇用もそろそろカウントダウンですよって言ったら、
僕がめちゃくちゃいいじゃないですかってお気楽に言って、何者にでもなれますねって言ったら、何言っちゃってんですかって。
もうこの先何もないんですよって、なんだったら大好きなキントンも触れなくなるしぐらいな感じで、なんかチャットのやり取りですごい怒られて。
何も元気なこと言っちゃってんの、この人。
怒った記憶あります。
全然なんかテンション違うじゃんみたいな。
で、ちょっと待って、ズームしましょうよっていうところから、
なんかあなたの未来はこんだけ色々明るい未来をあるでしょっていうところから始まった。
あー、そうでした、そうでした。思い出した。そうでしたね。
そう、いっぱい書いてくださったんですよね。
そうそう。
そうでした、そうでした。
なんかもう定年終わって、もう再雇用も終わっちゃったら、もうあとは何にも残んないなって、なんかあの時本気でそう思ってましたもんね。
多分、当時もね、ズームでずっとミーティングしてたから、どこかにレコーディングでは残ってると思うんですけど。
あー、私もあります。送っていただいたんです。
そうですよね。で、ミーティング終わる頃には、キントンハイブの話が盛り上がりだして、多分当時朝ドラでやってたんでしょうね。
あの根崎さんの口からチムドンドンしてきましたっていう言葉でその場がね。
そうだ、チムドンドンが朝ドラでやってるときが。
チムドンドンしてきましたんで、よし、よかった、元気になったっていうところから。
だから結構ね、当時ギリギリで何月だったかちょっと覚えて、正確に覚えてないですけど、多分例年だと5月ぐらいがエントリーの期限だから、多分ゴールデンウィーク後半で僕ら会話してたと思う。
本当にギリギリ、もうまずは手を挙げてエントリーしてとか、それぐらいな感じで。
ギリギリでしたね、確かね。
いやー、怖いですね、そそのかされて。
なんか思い出しました。
そうでした、そうでした。
ここにそういう、そういうの、そういう過程があったのを今思い出します。
そうですよ、めっちゃ怒られました。
なんか、本当にあの頃って退職しちゃったら、仕事やめちゃって、リタイアしちゃったら、何にも残んないって。
何が残るかとか何も考えてなくて何も残らないって思い込んでたんですよね。
朝起きたら何すりゃいいんだろうみたいな。
そうですよね。
なんかそんなこと、本当に本気で思ってましたね。
だって当時、僕覚えてるのは娘さんから、もう根崎さんがもう4、6時中パソコンに向かってるから。
で、朝起きたらパッとパソコン開いて、あのキントンを触れてる根崎さんを見て、もう顔ぐらい洗ってからパソコン開きなさいって娘に怒られたとかね。
エピソードとか僕大好きでよくお話してたんですけど。
それぐらいですもんね。
それがね、もちろん当時は仕事に関わるところ、最高要で仕事に関わるところのキントンに触れてたわけだから。
もしそこから何かしらで本当にお仕事離れたら、ご自身で何かしらキントンを、普通にアカウントすらないわけですもんね、考えたら。
本当にね、なんか、
同世代の人には悪いけど、やっぱ昭和の働き方をしている人間にとったら、
なんか本当に、朝起きて会社行って仕事して、
単業して帰ってって、それがもうなんかメインみたいになっちゃって、だからそれ以外のことって考えられない。
今のような生活なんか、とても想像もできないから。
実際、党団を決めてから、党団準備として苦労した点とか工夫した点とかを思い出せるところはありますか?
いやー、この洋平さんには苦労させられましたよね。ご存知かと思いますけどね。
あと、松田さんとの全問答のようなやりとりも、本当にいつか夢の中で何回お二人をぶん殴ったかって感じですよ。
ぶん殴ってたんですけど、ダメですよ、暴力って。
本当にね、今、あの時感じたのが、やっぱりこう、自分の言葉の中の整理とか、
考えてることの原理化って言うんですかね。
本当に下手くそっていうか、そういう機会が今までなかったっていうか。
働いてきた、そこまでの40数年間を全部書き出してみてって洋平さんに言われて、うわーって書き出して、
もうそしたら何か思い、自分の思いがもうボラッと吹き出てきてしまって、
それをこうまとめて各の部分を絞り込んでいくみたいな作業がすごいきつくて、
なんとかパーポにしたんですけど、そこから先の洋平さんとか松田さんのツッコミが激しくて、
本当に真剣に、真剣にすごいツッコんでくださいましたよね。
本当に泣きながら修正したり作り直した。
ここだけで300強を数えてみたんですけど、300スライド以上は作ってますよね。
ファイルのアップデートってことですよね。
スライドね。差し替え差し替えで。すごい。
だからちょっと松田さんにも仲間に入ってもらったなと。
実際エントリーした後に、僕からヒントエヴァンジェリスト仲間である松田翔太郎さんに、
根崎さんエントリーさせることになった。
一緒に東京チャンプ支援しようよという声をかけた。
面白そうだね、ぜひって乗ってきてくれて。
3人チャットでね、多分探してあると思うんですけども、
超大なエントリーを、本当によなよなですよね。
よなよな、本当に。
でも思えば、お二人はお仕事大丈夫だったのかなって。
翌日、夜泣くまでやってましたよね。
本当になんか、配分のためっていうよりもなんかもう、
私、おばちゃんの自分の何て言うんですかね、
何を探すって言うんだろう、こういうのって。
本当に自分探しじゃないけど、
そういうのに本当にお付き合いいただいたって感じでしたね。
配分が目的じゃなくなってたような気がしますね。
だから根崎さんの場合、何だろうな、
絶対最後は投げ出さないっていうような、
僕らも自信っていうか確信があったっていうのはあったと思うんですよね。
半分、何だろう、あのチャット上半分喧嘩みたいになってたじゃないですか、もう。
そうそう、私がもう。
すぐふてくされるし。
そうそうそうそう。
もう腐っちゃって、腐っちゃってね。
松田さんと僕は、ひき裏合わせてるわけじゃないんですけど、
ふてくされてる根崎さんを完全に放置して、
かまってっていうぐらいかまって。
どっちかがかまってくれなきゃ。
根崎さんがいるのに、
誰とも何も言ってくれない。
どっちもかまってくれないっていう。
なんでこの人たち同じこと言うんだろうと思っちゃって。
結局そこが自分の一番の問題だったんですよね。
っていうのをすごい指摘していただいて、本当にありがたいことに、
今思えばめちゃくちゃ本当に贅沢な時間だったと思います。
どうでした?その時、本当に夜中やってるのを、
ご主人とかご家族からも心配されたり、
どうしたのって言われたりとか。
物まで一人でこっそりやってましたから、誰も気づいてない。
もともと夜中に私行動する。
じゃあ、キントンハイブにここに出るんだよって初めて、
ことの重大さっていうか、
えーっていうのがご家族に知れ渡るってことですか?
見てから初めてびっくりしたみたいです。
あんなの出ると思わなかったって言って。
あの時はオンラインで流してくださってたんでね。
ちょうどコロナの時だったので、オンラインと両方だった、ハイブリッドだったので。
で、家のものは何だかわかんないけど、
パソコン見たらなんかすごいことになってるって言って、
びっくりしちゃったみたいです。
なんか本当に、ママが東京ガールズショーに出てるみたいです。
そうですよね。だって、
ハイブでしたっけ、デイズでしたっけ、
応援隊みたいな形で出ていただきましたよね。
あの、みどりさんとか?
いや、じゃなくて、あの王子たち。
うちの後ろの画面にね、
そうです、白河の王子と、
そうですね、生まれたばかりの姫と。
そうね、生まれたばかりの姫。
社会への愚痴をひたすら聞いてるような感じから、
多分スタートしてたわけじゃないですか。
すみません。
もう、もうっていう形で。
そうですよね。
その一つ手前には、多分当時思ってた、
もともと僕に文句言ってた、
年齢だけで人を値踏みする、やたらフィルターかけたがる社会へっていう言葉も入っていたりとかして、
そこから自分に矢印を向けるようなメッセージを持ってきたとか、
すごいですよね。
すごくはないんですけれども、
グチグチグチグチ言ってたのは確かで。
じゃあ実際、ヒントン5にも出て、
ヒントンアワード、タイフォードレイズにも出て、
その後、5後に起きた変化とか、
ご本人の変化とか、周りの環境、
どんな風に変わってきたかっていうのをちょっとご紹介いただけますか。
そうですね。
一番変わったのは、
お先真っ暗みたいな考え方しかできなかったのが、
5でいろんな方と知り合って、いろんな方に背中を押していただいて、
特にサイボーズさんには大変ご迷惑をかけたんですけど、
でも、そういう応援してくださった方とか、
本当に自分はお先真っ暗って思ってた自分が、
なんでそんなことを考えたんだろうって思うぐらいに、
前に出れば、一歩前に踏み出したら、
こんなに違う世界があるんだっていう気持ちになって、
その時は結構、配布登壇からすぐの時が調子に乗って、
自分、なんでもできるようなすごい気持ちになっちゃってました。
僕は、ジョイゾーさん入られるきっかけになったと思うんですけど、
配布終わった後に、ジョイゾーの当時、
会場にいた多くの社員の方、社長含めて、
ガッと根崎さんを取り囲んだあの場面って、
僕からはすごい感動的で、
みんなに認められて嬉しかったなっていう印象が残ってるんですけど。
ありがとうございます。
あの時は正直、頭の中真っ白だったんですけど、
本当にありがたかったですね。
何が起こったんだろうって感じだったんですよ、正直。
本当にありがたかったですね。
その時はまだ何も考えてなかったんですけど、
すごい嬉しくて、もともとジョイゾーっていう名前は知っていたし、
本もすごい何度も読んでいたので、
一回、なんか尋ねていきたいなと思って、
セミナーに申し込んで、
東洋庁のジョイゾーオフィスに行ってみたんですよね。
ちょうど今、私の後ろ。
こんな会社あるんだと思って、
そしたら、フラッと私行っただけなのに、
オフィスにその時いらした社員さん、
みんなで見送ってくださって、
本当にありがたいな、
温かいなってすごい思いました。
で、翌年でしたっけ、ジョイゾーさんの仲間に。
そうですね。
ちょっと一人でいろいろ退職した後、やってみたんですけど、
うまくいかないっていうか、
やっぱり一人で、個人事業にして活動していらっしゃる方って、
本当にすごいなと思ったんですけど、
結局、自分一人じゃ何もできなくて、
当時副社長だっていらした、
ジョイゾーの琴江さんに相談に行ったっていう感じです。
そこからどうですか、もう数年経ちますけど。
働き方であったりとか、生活サイクルとか、家族との。
全然変わりましたね。
本当に会社の中では、
したともに認める、好き勝手、社員になっています。
各地飛び回ってますよね。
はい、飛び回ってます。
もう本当にそれが今楽しくて楽しくてしょうがないので、
思いつくままに、何箇所ぐらい地域の名前いったらどうですか。
まずは、もともとキントンハイブ出た時に、
白馬でキントンカフェとかやりたいんだっていうのを実現しましたよね。
そうですね。
白馬は1回しか2ヶ月に1回は行ってますね。
いろんな方とお会いできるようになって、
ハイブに出てなかったら、
娘のところに行って、孫の面倒を見て帰ってくるだけだったんですけど、
今、家にいる暇がないぐらい、
白馬でいろんな方とお会いしてます。
そうですよね。
地域の高校とかともコラボされたりしてますもんね。
そうなんですよね。ありがたいことに。
きっかけになったのは、ハイブの時の記事を地元の方が見てくださって、
ご連絡いただいて、
白馬から。
本当にびっくりしました。
そこからずっと広がっていって。
地域のLINEでしたっけ?
LINEグループ、オープンチャットか何かで、
記事が急に流れて、
この人、白馬にいるらしいよって、
三崎さんの気づきがシェアされだしたみたいな。
本当に、白馬にいないんですけど、
横浜にいるんですけど、
あつかましく、
白馬、白馬って言ってたもんですからね。
白馬以外はどんなところに行かれました?
白馬以外は、キントンカフェ神奈川やらせていただいたり、
こないだの土曜日はマナズルの方で、
3回目なんですけど、
マナズルのCASOっていう、
コミュニティというか、ワークショップがあって、
それに毎回参加してて、
ちょっとマナズルラブが大きい。
あとは、白馬からちょうど塩の道っていう、
148号線で1本でつながっている伊東川の方で、
ここは森本さんの拠点なんですけど、
伊東川も好きで、
しょっちゅうお邪魔させていただいています。
何かあるたびに。
白馬と伊東川を結ぼうっていうプロジェクトもあって、
そちらも参加させていただいていますし、
あとは、
キントンハイブ大阪に行ったときには、
アワードでご一緒した、
ニュアステックの藤原さんがいつも待っててくださって、
そこでお会いして、