1. 学びとつながりとキントーン
  2. vol.50 根崎 由以子さん │kint..
2025-10-25 49:21

vol.50 根崎 由以子さん │kintone hive スピーカーに聴く

今回のゲストは 根崎 由以子さんです。

https://x.com/yui05250422


kintone hive tokyo 2022 登壇

kintone AWARD 2022登壇


Excel運用時の54時間を削減した「たったこれだけ?」の仕組み 定年退職後の再雇用者が「kintoneおばちゃん」になるまで

https://logmi.jp/brandtopics/327890


kintoneおばちゃん、65歳の転職について語る

https://ascii.jp/elem/000/004/137/4137411/

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このポッドキャストは、 kintoneに関わる人たちをつなぎつづける 「学びとつながりとキントーン」です。

MCは、サイボウズ公認kintoneエバンジェリスト/デザインマネジメント講師のよーへーです。 現場で生まれる“リアルな声”や“チームの変化”を通して、 聴く人の中にも小さな一歩が生まれるような、そんな時間を届けていきます。

🔗公式サイト:

⁠https://www.rossoacademy.jp/⁠

📝noteでも「問いかけ」から始まる発信をしています:

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サマリー

今日はキントーンに関するエピソードとして、根崎由以子さんが kintone hive のスピーカーに登壇するきっかけや、その後の転職について語ります。また、登壇準備の苦労や仲間との関わりについても掘り下げられます。根崎由以子さんはキントンハイブでの経験を元に、家族との関係の変化や冠婚葬祭における多忙な日々について語ります。さらに、キントンアワードへの登壇や、地域での活動を通じた自己成長と新たな出会いについても話されます。根崎由以子さんはキントンの仲間と全国各地で交流を深めながら、自らの資格取得に挑戦する姿が描かれています。また、サイボーズデイズや醍醐でのイベント情報も紹介され、多くの人との出会いの喜びが語られます。根崎由以子さんはチャンスを自ら掴むことの重要性を強調し、若い世代と共に働くことへの感謝の意を示しています。さらに、彼女は日々の仕事における楽しさやその中での成長について思いを馳せています。

根崎由以子の自己紹介
kintoneに関わる方をつなぎ続けます、学びとつながりとキントーン。 今日は、kintone hive スピーカーに聴くのコーナーでございます。
実は、kintone 学びとつながりとキントーン、 今日で50回目の放送で、50回目記念ゲストとして、今日のゲストはこの方、根崎由以子さんです。
ばちばちばちばちばちばちー。 では、簡単に自己紹介お願いします。
こんにちは、根崎です。 今日は、映える50回目にお呼びいただいて、大変光栄です。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
じゃあ今日はですね、kintone hive スピーカーに聴くっていうコーナーなんですけども、
お名前はね、今根崎由以子さんでお話しいただきましたけど、登壇されたハイブの年、場所とか、当時の立場とかって、ご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
登壇したハイブは2022年になりますね。
もう3年前です。
もう3年も経ちましたね。なんかずいぶん前のような気もするんですけどね。
まだ3年なのか、もう3年なのか、どっちかわかんないですよね。
場所はkintone hive 東京に登壇させていただきました。
当時は、ちょうど青年号の再雇用という身分でして、会社の方で全職ですけども、kintone でアプリをせっせと作っている時でした。
登壇のきっかけ
現在は、この後の変化したところもあると思うんですけど、現在はどういった立場でお仕事されているんでしょうか。
そうですね、ハイブの翌年ですね、再雇用期間を3ヶ月ぐらい残して転職しまして、株式会社ジョイゾーというところで現在働いております。
いいですね、ありがとうございます。その辺の繋がりもこの後お聞きしたいですが、では次の質問として、kintone ハイブに登壇したきっかけって、どんなきっかけで登壇されたことになったんですか。
はい、このモニターに映っていらっしゃいます。余平さん以外何もないですよ。きっかけは本当に。
余平さんからちょうどアプリが、内部の会社、会社というか社内で使うアプリを作ってたんですけど、そのアプリが外のお客様から譲ってほしいというか売ってほしいということを言われて、
すごい嬉しくて、余平さんにすぐに報告したんですよね。
だけど、結局、あともう半年、1年もないぐらいで再雇用期間終わっちゃうので、いつも私人生こんななんですよね、みたいなことを口言ってたら、余平さんが何を思ったか。
とりあえず出てみたらって。本当に目が合ってんっていうか、この人何言っちゃってんのって感じだったんですけど、なんかそれがまさかのきっかけですね。
なんで余平さんそう言ったんですか、あの時。
僕ね、キントンハイブ行くっていうよりも、その経緯で根崎さんにすごい怒られたのを覚えてて。
だから今の話、22年ですよね、22年のたぶんゴールデンウィークぐらい。
3月とか4月ぐらいにこういうことあって、根崎さんからもう再雇用もそろそろカウントダウンですよって言ったら、
僕がめちゃくちゃいいじゃないですかってお気楽に言って、何者にでもなれますねって言ったら、何言っちゃってんですかって。
もうこの先何もないんですよって、なんだったら大好きなキントンも触れなくなるしぐらいな感じで、なんかチャットのやり取りですごい怒られて。
何も元気なこと言っちゃってんの、この人。
怒った記憶あります。
全然なんかテンション違うじゃんみたいな。
で、ちょっと待って、ズームしましょうよっていうところから、
なんかあなたの未来はこんだけ色々明るい未来をあるでしょっていうところから始まった。
あー、そうでした、そうでした。思い出した。そうでしたね。
そう、いっぱい書いてくださったんですよね。
そうそう。
そうでした、そうでした。
なんかもう定年終わって、もう再雇用も終わっちゃったら、もうあとは何にも残んないなって、なんかあの時本気でそう思ってましたもんね。
多分、当時もね、ズームでずっとミーティングしてたから、どこかにレコーディングでは残ってると思うんですけど。
あー、私もあります。送っていただいたんです。
そうですよね。で、ミーティング終わる頃には、キントンハイブの話が盛り上がりだして、多分当時朝ドラでやってたんでしょうね。
あの根崎さんの口からチムドンドンしてきましたっていう言葉でその場がね。
そうだ、チムドンドンが朝ドラでやってるときが。
チムドンドンしてきましたんで、よし、よかった、元気になったっていうところから。
だから結構ね、当時ギリギリで何月だったかちょっと覚えて、正確に覚えてないですけど、多分例年だと5月ぐらいがエントリーの期限だから、多分ゴールデンウィーク後半で僕ら会話してたと思う。
本当にギリギリ、もうまずは手を挙げてエントリーしてとか、それぐらいな感じで。
登壇準備の苦労
ギリギリでしたね、確かね。
いやー、怖いですね、そそのかされて。
なんか思い出しました。
そうでした、そうでした。
ここにそういう、そういうの、そういう過程があったのを今思い出します。
そうですよ、めっちゃ怒られました。
なんか、本当にあの頃って退職しちゃったら、仕事やめちゃって、リタイアしちゃったら、何にも残んないって。
何が残るかとか何も考えてなくて何も残らないって思い込んでたんですよね。
朝起きたら何すりゃいいんだろうみたいな。
そうですよね。
なんかそんなこと、本当に本気で思ってましたね。
だって当時、僕覚えてるのは娘さんから、もう根崎さんがもう4、6時中パソコンに向かってるから。
で、朝起きたらパッとパソコン開いて、あのキントンを触れてる根崎さんを見て、もう顔ぐらい洗ってからパソコン開きなさいって娘に怒られたとかね。
エピソードとか僕大好きでよくお話してたんですけど。
それぐらいですもんね。
それがね、もちろん当時は仕事に関わるところ、最高要で仕事に関わるところのキントンに触れてたわけだから。
もしそこから何かしらで本当にお仕事離れたら、ご自身で何かしらキントンを、普通にアカウントすらないわけですもんね、考えたら。
本当にね、なんか、
同世代の人には悪いけど、やっぱ昭和の働き方をしている人間にとったら、
なんか本当に、朝起きて会社行って仕事して、
単業して帰ってって、それがもうなんかメインみたいになっちゃって、だからそれ以外のことって考えられない。
今のような生活なんか、とても想像もできないから。
実際、党団を決めてから、党団準備として苦労した点とか工夫した点とかを思い出せるところはありますか?
いやー、この洋平さんには苦労させられましたよね。ご存知かと思いますけどね。
あと、松田さんとの全問答のようなやりとりも、本当にいつか夢の中で何回お二人をぶん殴ったかって感じですよ。
ぶん殴ってたんですけど、ダメですよ、暴力って。
本当にね、今、あの時感じたのが、やっぱりこう、自分の言葉の中の整理とか、
考えてることの原理化って言うんですかね。
本当に下手くそっていうか、そういう機会が今までなかったっていうか。
働いてきた、そこまでの40数年間を全部書き出してみてって洋平さんに言われて、うわーって書き出して、
もうそしたら何か思い、自分の思いがもうボラッと吹き出てきてしまって、
それをこうまとめて各の部分を絞り込んでいくみたいな作業がすごいきつくて、
なんとかパーポにしたんですけど、そこから先の洋平さんとか松田さんのツッコミが激しくて、
本当に真剣に、真剣にすごいツッコんでくださいましたよね。
本当に泣きながら修正したり作り直した。
ここだけで300強を数えてみたんですけど、300スライド以上は作ってますよね。
ファイルのアップデートってことですよね。
スライドね。差し替え差し替えで。すごい。
だからちょっと松田さんにも仲間に入ってもらったなと。
実際エントリーした後に、僕からヒントエヴァンジェリスト仲間である松田翔太郎さんに、
根崎さんエントリーさせることになった。
一緒に東京チャンプ支援しようよという声をかけた。
面白そうだね、ぜひって乗ってきてくれて。
3人チャットでね、多分探してあると思うんですけども、
超大なエントリーを、本当によなよなですよね。
よなよな、本当に。
でも思えば、お二人はお仕事大丈夫だったのかなって。
翌日、夜泣くまでやってましたよね。
本当になんか、配分のためっていうよりもなんかもう、
私、おばちゃんの自分の何て言うんですかね、
何を探すって言うんだろう、こういうのって。
本当に自分探しじゃないけど、
そういうのに本当にお付き合いいただいたって感じでしたね。
配分が目的じゃなくなってたような気がしますね。
だから根崎さんの場合、何だろうな、
絶対最後は投げ出さないっていうような、
僕らも自信っていうか確信があったっていうのはあったと思うんですよね。
半分、何だろう、あのチャット上半分喧嘩みたいになってたじゃないですか、もう。
そうそう、私がもう。
すぐふてくされるし。
そうそうそうそう。
もう腐っちゃって、腐っちゃってね。
松田さんと僕は、ひき裏合わせてるわけじゃないんですけど、
ふてくされてる根崎さんを完全に放置して、
かまってっていうぐらいかまって。
どっちかがかまってくれなきゃ。
根崎さんがいるのに、
誰とも何も言ってくれない。
どっちもかまってくれないっていう。
なんでこの人たち同じこと言うんだろうと思っちゃって。
結局そこが自分の一番の問題だったんですよね。
っていうのをすごい指摘していただいて、本当にありがたいことに、
今思えばめちゃくちゃ本当に贅沢な時間だったと思います。
どうでした?その時、本当に夜中やってるのを、
ご主人とかご家族からも心配されたり、
どうしたのって言われたりとか。
物まで一人でこっそりやってましたから、誰も気づいてない。
もともと夜中に私行動する。
じゃあ、キントンハイブにここに出るんだよって初めて、
ことの重大さっていうか、
えーっていうのがご家族に知れ渡るってことですか?
見てから初めてびっくりしたみたいです。
あんなの出ると思わなかったって言って。
あの時はオンラインで流してくださってたんでね。
ちょうどコロナの時だったので、オンラインと両方だった、ハイブリッドだったので。
で、家のものは何だかわかんないけど、
パソコン見たらなんかすごいことになってるって言って、
びっくりしちゃったみたいです。
なんか本当に、ママが東京ガールズショーに出てるみたいです。
そうですよね。だって、
ハイブでしたっけ、デイズでしたっけ、
応援隊みたいな形で出ていただきましたよね。
あの、みどりさんとか?
いや、じゃなくて、あの王子たち。
うちの後ろの画面にね、
そうです、白河の王子と、
そうですね、生まれたばかりの姫と。
そうね、生まれたばかりの姫。
家族との関係の変化
ありましたね、そうでしたそうでした。
あの時からちょっと、
家族との関わりも変わってきたような気がします。
ほんとですか。
どんなところが変わったんですか?
いやー、なんか初めて、
なんかママがやってることを知ったって言って、
なんか、そうですね、入るきっかけにいろんなことが、
娘の会社の人事から連絡があって、
なんか、あの、旧姓、名前一緒なので、もちろん。
これちょっと珍しい名前なので、
これもしかしたら、お母さんの記事ですかっていうのが、
人事から連絡があって、なんかびっくりしたとか、
あと、嬉しかったのが、
配合終わって、いろんな色々変わってきた時に、
私の顔を見たら、
私の顔を見ても、なんか寝息しかつかないような、
うちの息子が、たまたま無理矢理なんですけど、
冊子で飲むことがあった時に、
ネットで話なんかしたことないんですけど、
なんか、最初は何やってんだろうと思って見てたけど、
なんか、あなたは、あなたの役割っていうのを
果たそうとしてるんじゃないのって言ってくれた時に、
私の役割って仕事、会社で仕事する以外にもあったんだと思って、
それはすっごい嬉しかったですね。
いやー、それ今はもうちょっと、
僕聞いててもうるっとくるぐらいいい話ですね。
いやいや、本当にね、
でももう翌日から朝、話しかけても下打ちしかしませんでしたけどね。
でも、見ててくれてるんだなって思って、
子どもたちも、
すごい雑に育てて迷惑かけた子たちなんですけど、
なんか、すごいそれがありがたかったなと思って。
いやー、いいですよね。
ああいうふうに出なきゃ、
家族に自分の仕事とかって紹介とかする機会なかったから。
キントンアワードと練習の中で
何してるかね、なかなか分かんないですよね。
そうですね。
家で伝えても分からないし。
そんな自分の思いとかって家族になんか言わないじゃないですか。
あとはね、出ることによったりとか、
いろんなところ、記事とかね、SNSとかにも出てきたから、
周りの人からの評判とか、声とかいうのも、
また間接的に家族が見えてるところになってただろうし。
そうですね。だからちょっと関係も、
いい意味で変わったかなって。
いやー、素敵ですね。素敵ですね。いいですね。
実際、キントンハイブからアワードもね、
キントンハイブ東京で代表になられて、
で、キントンアワードですね、
まかわりメッセの細胞ゼーズの方でも登壇されるようになりましたけど、
その間とかも大変でしたか?
そうですね。
あの、何ヶ月あったんだ?
3、4ヶ月あったんですけど、
その間にプライベートで、
次女が結婚式をあげて、
それから、その数週間前に姫が生まれまして、
里帰り出産だったので、コロナの中、
すごい大変だったんですよね。
で、それからまた、
次女の結婚式から数週間後に、
今度、義母が亡くなりまして、
もうなんか根崎家、
普段一緒にあるかないかも、
冠婚葬祭がそのハイブとアワードの間にわった。
それで、練習しながら、アワードの練習しながら、
冠婚葬祭もあったりとかで、
なんか本当にバッタバタでした。
うちのバカ犬がまた騒いでですね。
大丈夫、あんま聞こえない。
夕方になるとね、いろいろ聞こえるみたいなんですよ。
スライドも更新したりとかね、アレンジまた入ってるでしょうし。
またね、夜中までやってましたね。
これ根崎さんの当時の登壇を覚えている方は、
すごい最後のスライド印象に残ってたっていうのを、
皆さん言葉を合わせて言ってくれるんですけど、
マヤアンジェロさんの言葉で、
どうしても我慢ができなければ文句を言う前に、
あなたは行動を起こして変えてみなさい。
どうしても変えられない時は自分を変えてみなさい。
これってすごいですよね。
どんな思いでこのスライドを作ったのかとか、
どんな思いで歌えたのかって、もし覚えてたら。
再雇用になった時に、
カエルの時もお話ししましたけど、
こんなことになるんだっていうぐらいに、
現役の時と再雇用の時ってガラッと、
立場とかいろんな仕事とかが変わった時に、
一番刺さった言葉ですよね。
この時点で自分が変わるんじゃ何も始まらないなって。
だから、ぜひこれからそういう立場になられる方には、
お伝えしたいなと思って。
ここがすごい皆さんを足つかみにしたと思うんですよね。
だって元々はゴールデンウィークの2人での雑談ズームから始まって、
半分会社であったりとか、
地域での活動と人との出会い
社会への愚痴をひたすら聞いてるような感じから、
多分スタートしてたわけじゃないですか。
すみません。
もう、もうっていう形で。
そうですよね。
その一つ手前には、多分当時思ってた、
もともと僕に文句言ってた、
年齢だけで人を値踏みする、やたらフィルターかけたがる社会へっていう言葉も入っていたりとかして、
そこから自分に矢印を向けるようなメッセージを持ってきたとか、
すごいですよね。
すごくはないんですけれども、
グチグチグチグチ言ってたのは確かで。
じゃあ実際、ヒントン5にも出て、
ヒントンアワード、タイフォードレイズにも出て、
その後、5後に起きた変化とか、
ご本人の変化とか、周りの環境、
どんな風に変わってきたかっていうのをちょっとご紹介いただけますか。
そうですね。
一番変わったのは、
お先真っ暗みたいな考え方しかできなかったのが、
5でいろんな方と知り合って、いろんな方に背中を押していただいて、
特にサイボーズさんには大変ご迷惑をかけたんですけど、
でも、そういう応援してくださった方とか、
本当に自分はお先真っ暗って思ってた自分が、
なんでそんなことを考えたんだろうって思うぐらいに、
前に出れば、一歩前に踏み出したら、
こんなに違う世界があるんだっていう気持ちになって、
その時は結構、配布登壇からすぐの時が調子に乗って、
自分、なんでもできるようなすごい気持ちになっちゃってました。
僕は、ジョイゾーさん入られるきっかけになったと思うんですけど、
配布終わった後に、ジョイゾーの当時、
会場にいた多くの社員の方、社長含めて、
ガッと根崎さんを取り囲んだあの場面って、
僕からはすごい感動的で、
みんなに認められて嬉しかったなっていう印象が残ってるんですけど。
ありがとうございます。
あの時は正直、頭の中真っ白だったんですけど、
本当にありがたかったですね。
何が起こったんだろうって感じだったんですよ、正直。
本当にありがたかったですね。
その時はまだ何も考えてなかったんですけど、
すごい嬉しくて、もともとジョイゾーっていう名前は知っていたし、
本もすごい何度も読んでいたので、
一回、なんか尋ねていきたいなと思って、
セミナーに申し込んで、
東洋庁のジョイゾーオフィスに行ってみたんですよね。
ちょうど今、私の後ろ。
こんな会社あるんだと思って、
そしたら、フラッと私行っただけなのに、
オフィスにその時いらした社員さん、
みんなで見送ってくださって、
本当にありがたいな、
温かいなってすごい思いました。
で、翌年でしたっけ、ジョイゾーさんの仲間に。
そうですね。
ちょっと一人でいろいろ退職した後、やってみたんですけど、
うまくいかないっていうか、
やっぱり一人で、個人事業にして活動していらっしゃる方って、
本当にすごいなと思ったんですけど、
結局、自分一人じゃ何もできなくて、
当時副社長だっていらした、
ジョイゾーの琴江さんに相談に行ったっていう感じです。
そこからどうですか、もう数年経ちますけど。
働き方であったりとか、生活サイクルとか、家族との。
全然変わりましたね。
本当に会社の中では、
したともに認める、好き勝手、社員になっています。
各地飛び回ってますよね。
はい、飛び回ってます。
もう本当にそれが今楽しくて楽しくてしょうがないので、
思いつくままに、何箇所ぐらい地域の名前いったらどうですか。
まずは、もともとキントンハイブ出た時に、
白馬でキントンカフェとかやりたいんだっていうのを実現しましたよね。
そうですね。
白馬は1回しか2ヶ月に1回は行ってますね。
いろんな方とお会いできるようになって、
ハイブに出てなかったら、
娘のところに行って、孫の面倒を見て帰ってくるだけだったんですけど、
今、家にいる暇がないぐらい、
白馬でいろんな方とお会いしてます。
そうですよね。
地域の高校とかともコラボされたりしてますもんね。
そうなんですよね。ありがたいことに。
きっかけになったのは、ハイブの時の記事を地元の方が見てくださって、
ご連絡いただいて、
白馬から。
本当にびっくりしました。
そこからずっと広がっていって。
地域のLINEでしたっけ?
LINEグループ、オープンチャットか何かで、
記事が急に流れて、
この人、白馬にいるらしいよって、
三崎さんの気づきがシェアされだしたみたいな。
本当に、白馬にいないんですけど、
横浜にいるんですけど、
あつかましく、
白馬、白馬って言ってたもんですからね。
白馬以外はどんなところに行かれました?
白馬以外は、キントンカフェ神奈川やらせていただいたり、
こないだの土曜日はマナズルの方で、
3回目なんですけど、
マナズルのCASOっていう、
コミュニティというか、ワークショップがあって、
それに毎回参加してて、
ちょっとマナズルラブが大きい。
あとは、白馬からちょうど塩の道っていう、
148号線で1本でつながっている伊東川の方で、
ここは森本さんの拠点なんですけど、
伊東川も好きで、
しょっちゅうお邪魔させていただいています。
何かあるたびに。
白馬と伊東川を結ぼうっていうプロジェクトもあって、
そちらも参加させていただいていますし、
あとは、
キントンハイブ大阪に行ったときには、
アワードでご一緒した、
ニュアステックの藤原さんがいつも待っててくださって、
そこでお会いして、
キントン仲間との交流
あと関西のキントン仲間の人たちと会うのが、
西の方々と会うのがすごい楽しみで、
あと、この間は、
チークラの方、
私、オリオンとかはやってないんですけど、
この間サイン行ってきまして、
松江に、すごくいいとこでした。
去年はチークラの全国大会、福島だったんですけど、
その前の全国大会のくしろで、
知り合った、
チークラ仲間もできちゃいまして、
その方々のところに会いに行くのがまたすごい楽しみで、
あとは、
キントンカフェ若山とか、キントンカフェ三重で、
キー半島の方もお邪魔しております。
すごい。
ハッカソンからは出てませんでした?
出てたのか、イベントに。
あれは、ノーコード推進協会の、
修善寺でしたね。
行きましたね。
賞金5万円に、
聞かれまして、行きまして、
破れて一人で、
最終の修善寺の、
二両編成の修善寺から一人で帰ってきました。
手帰りで行ったってことですか?
手帰りです、もちろん。
修善寺から、東海道も結局、
新幹線も時間がすごい合わなくて、
東海道線で、
三島からかな、ずっと、
本当に終電で帰りましたね、一人で。
すごい。
そういうのがすごい好きになっちゃって。
すごいですよね。
どれだけ、
60歳過ぎてからっていうか、
本当にどんどんなってるんだっていうのは、
だから、本当にこの歳だからですよ。
子育てもないし、
最後の方は、
一晩楽というか、まだ母は残ってるんですけど、
一晩楽して、自分の時間とか、
自分で使えるお金とか、
仕事の方も、
フルタイム、
平日全部っていうわけではないので、
そこは、
すごいフレキシブルにやらせていただいているので、
今だからできるって感じですね。
最高ですよ。
同世代のお友達から、
普通にっていう言い方は悪いですけど、
もうお仕事されてない方とか、
ほとんどの時間を、
家族で過ごされているようなお友達と、
同世代の友達も増えてきてるんじゃないのかなと思うんですけど、
そんな方から見て、根崎さんってどう見られたりとか、
どんな言葉をかけられたりしてるんですか。
忙しそうよねって、
いつも言われます。
そんなに忙しくはないんですけど、
元気だよねとか言われますけど、
どっか行くたびに、
今回もマナズルでちょっと帰ってきてから、
夜都市並みには勝てないんですけど、
次に何かお声掛けていただくと、
もういてもたってもいられなくて、
どっか行っちゃおうってなっちゃいますね。
そこに行った先に、
一人で行っても行った先に、
誰か待っててくれる、
キントンの仲間とか、
シークラーの仲間とかがいて、
結構3年も経ってるんですけど、
どこに行っても声を掛けてくださる方がいらっしゃるんですよ。
ハイブーで、はい、検証したって言ってくださる方。
これ最高ですね。
もう本当に嬉しいです。
もう本当に日本全国まわりたいぐらい。
資格取得の挑戦
いや、今からでも間に合うんじゃないですか。
だから本当に、
それをね、黙認してくださってる会社にも本当に感謝なんですけど。
いや、本当ありがたいです。
でもそれってね、
キントンさん自身がね、その価値として
提供しているものがあるし、
周りに与える良いエネルギーもあると思うからだと思うし。
どうでしょうね。
キントンおばちゃんっていうブランドを持ってますからね。
ブランド。
キントンおばちゃん。
そう、キントンおばちゃんって言い切っていいですかって
許可取りに行ったの覚えてます?
覚えてますよ。
私もね、強行で。
私はもう辞めよう辞めようって言ってたのにも
陽平さんズカズカ言っちゃって。
私も辞めましょうって言いながらも言っちゃったんですけど。
名乗り続けてもいいですか?
キントンおばちゃんって。
青野社長のところに
サイボーゼーズの会場で押しかけて。
スーパーつけてもいいですって言われましたよね。
そう言われました。
スーパーキントンおばちゃんです。
ありがたかったですね。
嬉しかったですよね。
やっぱりああいうのがあると、どこ行ってもキントンおばちゃんって
名乗りやすい。
そうですね、勝手に名乗っております。
まだまだ普通に問い回っている根崎さんですけど
ここからさらにチャレンジしたいこととか
キントン含めてキントン以外でもいいんですけど
なんかあるだろうでとか
年末までにとか来年にはみたいな。
短いスパンで言えばですね。
今2つ取りたい資格があって。
すごい。
2つもあるんですね。
今年も1つ取ってるんですよ。
音声ソムリエを。
次はね、
マナゾル検定1級試験をちょっと。
この間試験用紙もらってきましてね。
マークシートの。
それをちょっと完成させて
11月までに研修しなきゃいけない。
もうすぐじゃないですか。
もう1回行かなきゃいけないんです。
JRでマナゾルに行くっていうのが
前提なので。
もう1つは
まだスポートラインにもこの間立てなかった
何でしたっけ。
改善。
申し込み前当日が勝負だよって。
そうそう。
あれほど言われてたのに
キントンハイブ大阪に向かう新幹線の中で
結局申し込めなくて
あぶれてしまったという業務改善
マネジメントでしたっけ。
改善マネジメントエキスパートです。
そうそう。
勉強始めてたんですけどね。
スタートラインにもつけなかったショックから
投げ出しちゃったんですけど
これちょっと始めなきゃいけないなと思います。
それは
キントンというか
この目の黒いうちには
取りたいなと思ってます。
ここで宣言しちゃいます。
宣言してまたね
このポッドキャストに戻ってきていただいて
キントンエキスパートに聞くところで
出していただきたいですね。
いいですね。ぜひお願いします。
来年の3合格
2月ぐらい申し込みで
3月後半とかが
サイボーズデイズの参加
3月が試験かな。
結構厳しそうですけど
1回出たらちょっと難しいかもしれないですけど
チャレンジしたいなと思ってます。
すごいな。夢がありますよ。
もともとそういう勉強することが得意なんですか?
好きは好きだと。
全然全然得意じゃないですけど
試験勉強とか
やりだすとムキになっちゃう。
負けず嫌いだからね。
負けず嫌いなとこありますね。
でもそういう資格とかを
いっぱい取りたがる人っていうのは
自分に自信がない人っていう風に
昔一緒に働いてた
臨床心理師の人から言われたことがあります。
ちょっとそれあるなって
自分でも思ったんですけど
でも今は結構楽しみながらやってます。
そうですよね。
なかなか白黒つけられるとか
悔しいも嬉しいもなかなかないじゃないですか。
そこが体感できたりとか
達成感を自分の手でつかみにいけるって
大きいですよね。やっぱ資格って。
ああ。
自分の手でつかみにいけるって大きいですよね。
自分の手でつかみにいけるって
嬉しいですね。その言葉。
いただきます。
いただきました。
書いとかなきゃ。
本当にそうなんですよ。
そういうのがカッと出てこないんですよね。言葉でね。
言い返せなかったんですよ。その時も臨床心理師さんに。
そこなんです。そこなんです。
資格試験とかの醍醐味っていうのが。
覚えとこ。書いとこ。
ということで
ちょっと最後の質問になるんですが
どこに行けば皆さんが
根崎さんに会えるんですか。
はい。えっと
醍醐ではですね
毎月金曜日、第3金曜日の夜に
スマック醍醐っていうのをやっています。
フラット来ていただいて、佑平さんも来てくださったことありますけど
みんなで飲みながら何かやりましょう
っていうテーマが毎回あるんですけど
仕事帰りに
第3金曜、お仕事帰りに
醍醐場にフラッと寄っていただければ
カウンターの中で
バスへのスマックのママのようなお店に会えます。
自分で言わないの。
ビール片手にお待ちしております。
ありがとうございます。
これからサイボーズデイズも
行きたいと思っているんですけど
もちろんデイズにもいらっしゃいますよね。
もちろん、あの醍醐ブースにおりますので
言える範囲で
醍醐今年のブース、ここを注目、見に来てほしいみたいな
楽しみほしいとかあったりしますか。
そうですね。
今回すごい
醍醐の中のブースセミナーが充実してまして
割と立ち寄っていただくと
気になっていますので
そこで立ち寄って
お話を聞いてもらえるとありがたいですし
気になったものがあったらその辺の派手な
アルファシャツを着ておりますので
それがスタッフですので
捕まえていろいろ聞いてもらえたらありがたいです。
ブースセミナーを受けてくださった方は
ウテン県用の
傘を
プレゼントしますので
今回ノベルティも充実していますので
ぜひお立ち寄りください。
毎年醍醐さんはコスチュームを綺麗に揃えたり
コンセプトを書いたり
あれ着れなくなったら
引退ですか。
これ着るのって子どもたちから言われるんですけど
頑張って今年も
来ておりますので
派手なアルファです。
一応ハワイアンが
メインのテーマなので
ハワイアンチックになっています。
ぜひ醍醐ブースに寝崎さん会いに来て
一緒に写真でも撮っていただけたら。
ありがとうございます。ぜひお待ちしております。
では最後にこれを聞いているリスナーの方々に
一言メッセージいただきたいと思うんですが
いかがでしょうか。
そうですね。
一言っていうか
私若い頃っていうか
本当にハイブに出るぐらいまでは
座右の銘が出る杭は打たれる
チャンスを掴む重要性
出ない杭は腐れるっていうのが
出ない杭は何?
出ない杭は腐れる。出る杭は打たれる。
北九州の方に行った時に
どっかのお寺さんの門前に
すっごい刺さりましてね
なんかあった時は
会社の上の人といろいろ会って
叩かれた時には
いつもこれを思い出して
打たれてなんぼだって
出てるから打てる分には打たれるのが当たり前だけど
でも出なくて腐れるよりましなくて
いつも自分に言い聞かせてたんです。
だからすごい
若い頃は本当になんか
頑張ればなんかあるとか
チャンスは自分で掴みに行かなきゃとか
そんな感じだったんだけど
最近の座右の銘は変わりまして
若いもんには別れろ
変わりました
なんかねやっぱり
なんかその
自分の考え方がずいぶん変わったなって
なんかこう
前は頑張って頑張って結果が
うまくいかないと
前のせいにしてみたり
なんかいろいろ恨んだりねたんだり
すごい惨めな気持ちになったりしてたんですけど
なんか最近は
なんかコツコツ頑張ってたら
チャンスの方から
なんか結構自分で取りに行かなくても
自分の考え方が
めぐりめぐってくるようなそんな気がするんですよ
今回のハイルにしても
陽平さんと知り合ったことにしろ
ジョイゾートに入る
入れていただいたことにしても
なんかそう
取りに行こうってすごい
なんて言うんですかね
がむしゃらっていうか
でもとにかくコツコツやってれば
なんかチャンスってその辺に結構転がっている
じゃないかなって思うようになって
なんか
結構そのチャンスがなかなかこう
しばらく来なくなったにしても
自分でコツコツやってること自体が
なんかやってきたことっていうのが
なんか自分を守ってくれてるっていうか
なんか
そういうもんなんじゃないかなと思ったら
今はだからそう
もう若い者には巻かれろ
あの周り若い方ばかりなんですけど
日々の仕事の楽しさ
すごいなすごいなと思いながら
そこに一緒に働かせてもらっていることに
すごい幸せだなと思っています
素敵です
なんか今ハイブが終わってからずいぶん
考え方も変わったなと思います
自分の中で
ねざきさん自身が第2のねざきさん第3のねざきさんを
生み出すきっかけみたいなのもね
作ってもらえたら嬉しいですよね
そうですね
あんまりこういくつまで仕事する気なのとかって
目標はとかとか言われるんですけど
あんまりそういうの考えないようにしています
その代わり
明日仕事をして
仕事を辞めても後悔しないような
そんな感じで毎日やっていこうかなと思っています
最高です
そのねざきさんみたいに
言い切れる人がちょっとでも増えてくると
世の中明るくなるよなって改めて思います
言い切ってない言い切ってない
でもね最近あれなんですよ
私の仕事の一つで
ジョイ像の毎朝
ジョイ像の今空っていうのを
Xに上げているんです
メンバーの人たちが
朝見上げた空を切り取って
毎朝送ってくれるんですけど
最初はねそういう今日の1日とか
朝礼で話すこと
今日の話すこととかってサイトで一生懸命調べたりしてたんですけど
なんか今はね
その人が切り取ってくれたその空を見て
なんかコメント考えるのが嬉しくて
朝そんな時間ないはずなのに
なんかでも
この人はどんな気持ちでこれ撮ったのかなとか
なんかそれジョイ像ってメンバー
本当にあちこち飛んでるので
旅先とか自分のところからふって撮った
写真を見るのも楽しみだし
その空を上げるのもすごい
本当にどうってことない
一円にもならない仕事かもしれないんですけど
それすごい今好きなんです
ぜひご覧になってください
よく見ますよく見ております
これを聞いている皆さんも
聞いてねってある意味
ジョイ像さんのXを見ることによって
根崎さんと同じ空を見てるんだということですね
これが写真で言うとね
もしかしたらそうですよね
でも空はつながってますからね
今毎朝のルーティンになっている仕事が
結構好きなんで
ありがとうございます
今回は50回記念ということで
スペシャルゲストの根崎優彦さんに
お越しいただきました
根崎さん改めてありがとうございました
ありがとうございました
49:21

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