1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. vol.2 演出家・扇田拓也さん..
2023-10-02 56:43

vol.2 演出家・扇田拓也さんに聞く「時間や空観、演劇や意味のこと」

今回は、演出家の扇田拓也さんにお話を伺いました。

扇田さんが主宰をしている劇団の名前にもなっている「空観」について。他にも「帽子が似合う」の明確な境界線とは?「もっとも美しいものとは?」などなど、話はさまざまに展開していきます。
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。この番組は、私、聞く人ゆいなわさんが様々な方にお会いし、その方にいろいろなお話を聞くという番組です。
今回は、演出家・扇田拓也さんにお話を伺いました。 扇田さんとは、もう20年近いお付き合いになるんですが、彼は現在、舞台の演出家として活躍をされていらっしゃいます。
古い付き合いなので、お話を伺う際には、せんちゃんと呼んでいますが、思えば今回、改めてじっくりお話を伺ったような気がします。
話は唐突に始まりますが、収録前に少しお話をしていまして、まず時間の流れについての話をしています。
時間は過去から現在、そして未来に向かって直線的に流れているというのが普段の、普通の時間感覚だと思うんですが、扇田さんはどうやらそうではない。
時間は直線ではなく、円で捉える。丸があって、その直径に沿う形として時間を捉えるというあたりから話を始めています。
そこからさらに、現在主催をされる劇団の名前にもなっている空眼という考えについて、他にも帽子が似合うということの明確な境界線って何などなど、話は様々に展開していきます。
でも、実はそれも人間がただ発明しただけで、そこには大きな幻想があるんじゃないかなと思ってるんですよ。要するに、直線状にするんじゃなくて、僕は円だと思ってるんです。
時間は円。 円だ。今という時点が、例えばここにあったとしても、円の場合、未来はこっち側に進むと。逆方向に過去があるわけね。でも、未来も進んでいくと一周してくるから、過去になるわけですよ。
だから、円というふうに考えた時点で、おそらく過去も未来もなくて、要するにそれがある意味、宇宙の仕組みじゃんじゃないかなって思う。
どっちかっていうと、円と考えた場合は、この線上に今も現在も未来もなくて、たぶん真ん中に今がいるんですよ。
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だから、過去も未来もどんどん抜けていくだけで、この三次元に生きてる我々はどうしても未来があって過ぎ去ったところが過去なんだっていう線でどうしても考えるんだけど、
仏教でも、やっぱり円なんですよね。実はものすごくこの地球でどうしても円になっていくものってたぶんあるんですよ。時計も実は円で描くし、ある意味、太陽が昇るっていうのもサイクルですよね。
24時間のサイクル。全部ねサイクル。こういうヒントがあるのに、なぜか直線で考えたがる人間があって、仏教ではこの円を諸行無常の証として、まあこれは空眼という考え方につながりますけど。
要は、物事はすべて円だと。要するに、仏教もね実はそういうところにたぶん至ってて、過去未来がなくて、目の前にある今が溢れ出てるだけだと。
要するに溢れては消えて溢れては消えていくだけなんだけど、それを理屈で考えたいから線にして、過去が消えていって未来が現れるっていう考え方にしたいんだけど、もう目の前。
はい。噴水院なのか、そういう感じ、溢れ出てる感じ。 溢れてるだけっていう。そう考えるとですね、面白いもんで。
あの、要するにね、円で考えると何が良いかっていうことと、直線で考えると何が良くないかっていうことに繋がるんだけど、
直線で考えると、スタートがあって進む方向がベクトルが決まってるから、始まりとゴールっていう考え方にどうしてもなるんですよね。
だから時間もまあそうですよね。今から始めていついつまでに終わらせなきゃいけないっていうゴールがあって、仕事にしてもね、作り始めて、できましたみたいな。
円の場合は、スタートもゴールもないんです。 そこしかないから。ないんです。
で、ある意味、生と死っていう意味で言うと、生がスタートで死がゴールみたいに見えるから、どうしたって世の中は線で考えたくなるようにやっぱりできてるんだけど、
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いや、待て待て待て。
そうね。 そこは円なんだと。
円なんだと。 これはちょっと、
さらによくわかんない話になるかもしれないですけど、
1次元、2次元、3次元、4次元っていう言葉があるじゃないですか。
で、たぶん1次元って点なのかな? で、2次元は線ですよね。
で、点の世界の住人からすると、線の世界って意味わかんないんですよね。 理解できないんですよ。
点の人からすると。 で、さらに線の世界の人からすると、
面の世界。 3次元。 面の世界。
面の世界が理解できないんですよ。 で、面の世界の人からすると、いわゆる立体的な世界。
あ、違う。点と線は同じか。まあいいか。 要するに、面の世界の人からすると立体的な世界の理解ができない。
で、さらに言えば、その、僕らの生きてるのが例えば3次元としましょうか。
で、たぶんね、僕ら3次元に生きてる人からすると、4次元って絶対理解できないんですよ。 あー、そっかそっか。そうだね。
理屈で。 3次元の理屈じゃ4次元って無理なんですよね。
どうしたって。でもたぶん、あるんですよ。
あの、映画の、なんだっけ。
あの映画。 誰が出てるとか、ヒント、タイトルの何かとか。
変なね、ピーナッツ半分割ったようなのがいきなり現れる映画。 メッセージ? メッセージ、メッセージ、メッセージ。
メッセージの映画がまさにそうで。 あれは
すごい面白い映画だと思うけど。 要するに主人公が最終的に過去と未来が
要するに、過去が先に起こって未来が後に起こるっていうのじゃない世界に突入する。
いわゆる異星人がその能力を与える。
で、文字もね、あの、なんていうの。
あいうえおじゃなくて、一気にバンって見せるっていうその世界観。 あれがまさに4次元の感覚だったんですけど。
で、おそらく4次元の人からすると、
えっと、僕らってその、なんていうの。
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生まれて死ぬまでにいろんな人と出会い、いろんな経験をしていく。 未来は見えないじゃないですか、基本的に。
で、過去もまあ見えないっちゃ見えないけど、まあ記憶にあるのかなってこと。
で、それを多分
4次元の人は地図のように バッって見れるんですよ。
真上からなのかわかんないけど。 だから過去も現在も一気にバッって見えるから。
だから、今後起こることと過去に起こったことが同等というか、
要するにこれから何が起こるかも知ってるんだけど、 そうなるみたいな。
みたいなことを考えていたらですよ。
みたいなことをぼんやりずっと考えていたら、 これは面白いぞと。
なんとかこの今の生きている世界でも、ゴールのない考え方って
できないもんかなと。
すると、でもあの、
でもね、その考え方をし始めるとね、 とっても幸せなことが待ってたって気づいたんですよ。
例えば僕、演劇作るんですよね。 まず最初顔合わせがあって、
まあ1ヶ月か1ヶ月半後には本番を迎えて、 そのために作るじゃないですか、まあいわゆる
出発点とゴールが。 直線的な感じがする。 直線的ですよね。やっぱりどうしてもそうなんですけど。
でもじゃあどうせそういう直線的な考え方に するんであれば、
もう集まった時点がゴールだと思おうと。 もうすでに僕たちはゴールしてるんだと。
出会った時に。 出会った時にすでにゴールはしてると。
だからもう何も目指すものはないと。 すでに完成されてますよっていう作品も。
僕らの関係性も。 初めましてだけど関係性ももう完成してるんですっていうことを
だいたい言うようにしてるんですよ。 僕は最初に言うんですよ。
それはそのまあそう思った後にという。 そうそうそうそう。
そういう風に最初に言う。 そうそう最近ここ何年かはそうなんですよ。
なんかできてるんで、何の不安もいらないですって。
それみんな不思議な顔をするよね。 不思議な顔をする。
でも本当だよって言って本当にできてるよ。 もう集まった時点でできてる。
もう何の不安にも回らない。 みんな何?って感じになるだろうし。
じゃあ何したらいいんですか僕たち。 そうだね。
それはね楽しむことだけです。 今を楽しむだけで。
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今を楽しむ。もちろん作品を作ろうっていう目標があるからあれだけど。
今楽しむっていうことをすれば自然と作品もできてるし。
仲良くもなってるし、結局お客さんも喜んでるし。
まずはできてるよっていう。
ゴールをもういつの間にかもうしてると。
今がゴールだでもないし、何キロ先にゴールがあるとかでもないし。
するとねまあ幸せな現場になる。 えーそれ面白い。
みんなもたぶん出る人たちも聞いたことない感覚というかさ、
最初ピンとこないだろうけど、楽しむってことで
あーっていう何か気づきみたいな、そうかみたいな感じにはなるし、
で実際それが現場としても。
今、そうそう今だけなの。
それがね最近ここ何年かで面白いな。
そう思うとね、不安なことがほとんどなくなったんですよ。生きてくる中で。
いや悲しいこととか、きついなーとか、
嬉しいこともいろいろあるんだけど、
でも何かね、その起こるべくして起きてるし、
それを拒否することもできないし、
なんなら成功もなければ失敗もないから、
なら今楽しむしかないでしょうっていう。
これねちょっと不謹慎かもしれないですけど、
人が亡くなることがね悲しくなくなってきたんであんまり。
ああそう。
まあだからもうそれ。
そうそうそうなんだ、そういうもんだって思えたから。
そうか。
あのね、悲しくないって言うと語弊があるから、
あれなんだけど、
なんかね、ものすごく受け入れやすくなったんでしょうね。
坂本隆一もね、昨日この間亡くなったっていう話をニュースでも昨日もやってましたけど。
そうか。
なんかね、
そうだな、それはもう決まってただろうしな。
それはやっぱりどっかで気づきがあったんだけど、
徐々にそういう感じになっていって。
なんかね、いろんな、いやこれも不思議なもんだけど、
結構僕が自分で、自分だけで生み出したもんじゃなくて、
なんかネットやら本やらなんかいろいろしてる時に、
ポンと入ってくる。
この人の言葉、この人の言葉っていうのを全部総合してなんか飛び込んでくるんですよ。
そうするとね、
そうか、そういうことかがね、なんかね、
外側から形作られていくっていうか。
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で、それはセンちゃんの中で言語化されていく。
言語化してきて。
こういうことかっていう気づきになって、
で、それを現場でみんなの前でいうことでみんなもわーってなって。
ここまでのことは言えない。さすがに言えないけど。
でも、何言ってんだろうこの人って多分言われるんだけど、最初は。
そこに至ったっていうのはちょっとすごいなって感じがしちゃうな。
なんだろう。前はそうじゃなかった?
前は多分ね、違ったと思う。全然。
以前は。
以前は違いましたね。
どっかあって、やっぱり演出の仕事を長く続ける中で、
その気づきに至って、で、今はそれを実践してて、
それがなんか革新的になって、こういうことかみたいな。
面白いもんね。
そうするとゴールもなければスタートもないって考えたらね、
評価されることがね、全く気にならなかった。
前は気になってたんだよね。
気になってた。多少やっぱり気になってた。
もちろんお客さんが目の前で喜んでる姿は嬉しいから、
うわ嬉しいってなるんだけど、
別に面白くないって思われた人がいても、
ごめんなさいね、で。
まあそれは人それぞれだよね。
だからね、お客さんを気にするっていうことがそんななくて、
演劇もね、賞を取るとかそういうのもあるんですけど、
そういう人たちと自分を比較することもほぼなくなって、
本当に今だけっていうか、
そうなんですよ。
そうか。
だからね、なんかね、
いろいろ、全部いろいろ繋がるんですよね。
MOMOの話をやった時も、
あ、そうかって。
あ、そうかって思って。
そうか。
MOMOに関してもね、
音楽家の人も作曲してくれた人も、
ちょうどMOMOの依頼が来るほんのちょっと前に
MOMOを読み返しだったところに話が来た。
あと僕去年沖縄で芝居を作ってたんですけど、
沖縄帰る前に、
久高島っていうね、神の島って呼ばれる、
沖縄の人たちが一番大事にしている聖地があるんですけど、
そこの島から考え方として出発して、
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沖縄で一作品作ったんですよ。
そこで出会ったというか、
その繋がりで出会った沖縄の方に、
もう公演終わった後にね、
もうあさって東京に帰るんですよ。
あ、じゃあちょうどいいから沖縄のその久高島に
素晴らしい人がいるから紹介してあげるって言われて行ったんですよ。
そしたらとあるおじいさん、
60代後半ぐらいの方かな。
沖縄にずっと住んでる方で、建築家をやってるから。
沖縄に住んでるんだけど、あちこちいろいろ行くんだと。
僕がその人、東京に帰る前日にその人を訪ねたら、
実は昨日が、前日が台風ですごい嵐だったから、
そのおかげで本当は僕は、
今日と明日は大阪に出張に行ってるはずだった。
だけど昨日台風が起こったことで、
行けなくなったから、
なんで行けなくなったのかをずっと考えてた。
分かりました。あなたが来るからだ。
で、その話をして、いろんな話をして、僕は演劇をやってて。
そしたら、
僕今度来年春に人形劇で、
モモっていう作品をやるんですって言って、最後別れようとしたら、
あー、なるほどね、そういうことですか。
なぜかっていうと、
その人はモモっていう作品をものすごく好きで、
沖縄にカフェを経営してるんだけど、
その店の店の名前がモモ。
おーっと。
なるほどって言って。
そういうことなんですねって言って、
全部その時すごい不思議な話するんですよ。
もう幽霊とか精霊とかが見える人なんですよ、その人はね。
おじさんなんだけど。
そういう。
モモがちょっと繋いでる何かが。
なんかね、なんか繋いでるんですよ。
あるね、ある。だって僕がここに来たのもきっとモモがあって、
じゃあ見に来るしかないし、
あー、その感じって、今もなんか続いてる感じ?
続いてる。
モモが何かちょっと鍵になって、いろんなところを繋がってた感じ?
空眼の考え方ってのもあるんですけども。
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空眼っていうのは今あれだよね。
そう、僕が持ってる劇団の名前ですね。
もともと仏教用語で、いわゆる、
四季即是空、空即是四季でいう、いわゆる空っていう。
空を見るという感じで空眼ですけど、
あれも基本的には仏教の考え方だから、
要するに人間は、人間と動物と、
あとは物と、あと空気と、いろいろその、
自分は自分、自然は自然って分けていくんだけど、
そこにいわゆる境目なんてないのだよっていう。
境目がないということは、個人ということもないし、
すべてが全体だと。
だから本人の意思なんてものはないのです。
だから幸せも不幸もないし、善悪もないし、
すべては全部繋がっている。
それが縁で動いている。
縁にしの縁ですね。
縁で動いている。
で、そこがまた縁で動いているのが、
日本で考えると縁で動いているとも考えるから、
お金の縁でね。
面白いリンクがあるんだけど。
でも、そういうふうに境目がないっていう考え方とも繋がるし、
空間自体はもうあれ何年だっけ?
もう何年だっけ?
講演をやったのって。
でも、これは4、5年前か。
でもその時にも自分の中に空間というものがあって、
もっと前から知ってはいた。
知ってはいたけど、
なんかね、境目について考え始めてたんですよ。
一番最初はもっと10年以上前だけど、
なんか頭の片隅にあった不思議だよなって思うことの日常的な一つに、
例えば帽子が似合うっていうことってあるじゃないですか。
帽子似合うねって。
あれって明確な境目なんだろうと思って。
似合う人と似合わない人っているじゃない?
わかるもん。
わかるじゃん。
この人ちょっとだみたいなのもあるし、似合うって人いるよね。
この人帽子。
この帽子なら似合うしっていうのかもしれないけど。
キャップが似合う、ハットが似合うみたいな。
24:00
あれどこの基準?って思って。
あれ基準、明確なのないじゃない?
なんでだろうっていう。
そこの境目なんだろうって思って。
そういう不思議なところから、
境目ってなんだろうなっていうのはずっと昔からちょっと考えてたんですけど。
でも、僕養老たけしさんがすごい好きなんですけど、解剖学者とか。
この人もよく言うことだけど、
あなたが今例えば40歳、30歳だとしたら、
あなたは生きていく、どうやってそこまで成長したのかって言ったら、
食べ物を食べてきたからですと。
だろ?じゃあお前は田んぼを見て、あれがお前だって思えるかと。
要するに、田んぼはお米ですけど、
全部食べてきたもので構成されてるっていうことは、
お前は田んぼであり、水であり、
すべての豆であり、何であり、
要するに全部繋がってるじゃないかと。
あとは仏教の考え方で言うと、
木は呼吸をして水を吸って生きてるけど、
厳密に分けると、
人間的に言うと根っこがあって空気があって、
そこと木は別々ですって考えるけど、
でも木も土がなきゃダメだし、空気がなきゃ生きていけないし、
水を吸って生きるから。
じゃあどこまでが木でどこまでが木じゃないかと。
境目もないじゃないかと。
そうだね。
そういう、そうなった。
そういう考えから、
もともとやっぱり境目なんだろうっていう疑問から、
どうやらそれがないみたいだぞみたいな。
ない、そうそうそうそう。
空眼になったんですね。
だから、そうするとね、
いろんなことが受け入れられるようになったんですね。
善悪、好きなもの嫌いなものはもちろんあるんですけど、
でも善悪とか、今起こってることは自分にとって、
悪いことなんだ、いいことなんだっていうのも、
あんまり考えなくなってるか。
で今、なんていうんだっけ、
善ってあるじゃないですか。
善ね、はいはいはい。
いわゆる座禅の善ですね。
あれがいわゆる世界で、
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ビジネスマンの間でね、流行って。
ビジネスライフの3つあるよね。
ビジネス善っていったりしますけど。
で、ある何かの対談か何かのあれを見てて、
要するに、いわゆる善をビジネスに取り入れると、
精神的にも安定するし、
ビジネスにとっても有効である。
アメリカの某超有名大企業が、
ジョブズとかそういうの取り入れたりなんかします。
ただ、お坊さんたちが何か集まった対談か何かで、
一人のお坊さんが言ってたのが、
要は、今世界中で善っていうのが流行ってて、
それを生活に取り入れることで、
仕事がうまく流行ってるけど、
でもブッダがもともと言ってたのは、
全然逆なんですよ。
要は、そういう、いわゆる、
そういうビジネスとかそういうしがらみから離れるための善なのに、
何善を活かしてビジネスしてんだよっていう。
そもそも違うよっていう。
取り入れるとかじゃない。
ないんだよっていう風に言ってて。
確かになーと思って。
離れなさい離れなさい。
善を使って金儲け、より金が儲けられるって考えちゃうっていうね。
そこも面白いとこだけど。
ビジネス自体のモンスター感というか、
善さえも飲み込んでお金儲けをしようっていうのはちょっと怖いなと思うんだけど、
そもそも違うっていう。
そもそも。
面白いなー。
練習ずっとやってて、今回もももやってて、
その中でもやっぱりもももやる前とやった後、
顔合わせの時点で。
そうですね。でもね、
そう、やっぱり、
時間に関してはやっぱり改めて、
そうだなって思うことがあったし、
あとなんか稽古中にふっとね、
時間に関してはふっとなったことが、
そうなんですよね。そもそも人間が生まれた時は、
受精卵として小っちゃいじゃないですか。
で、それがどんどんどんどんお母さんから影響、影響というかその養分をもらって、
どんどんどんどん大きくなって、
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生まれ出るんだけど、
結果、死んでいくじゃないですか。
もし世界、この宇宙っていうのかな、世界っていうものにこの境目が本当にあるんだとしたらば、
なんかその、僕の体を構成している分子というか原子の数って多分同じじゃないですか。
で、もちろん出たり入ったり出たり入ったり、
分子が、原子が増えていったり減ったりしつつ、
原子のレベルで考えると、
そっか、原子の、原子にもっと漠然とバラッとして、
見ると、分子原子がどんどん移動していくだけにしか見えない、
そっかそっか、
石みたいなものが、
砂になって、
それが細かい粒が体に入ったりするわけじゃないですか。
でもそれも僕ですよね。
僕の中に入ってもしかしたらその砂がちょっと溶け出す。
石もね、面白いんですよ石も。
例えばこの、
石置いてあるね。
これは庭に埋まってた石なんですよ。
それもそうなんですよね。
掘り起こしたら出てきた。
巨大なのが。
でもこいつよくよく考えたら、
多分1万年前も石なんですよ。
あーそうか、そんなね、すぐにできてるわけじゃないもんね。
30年何百年も。
もっと巨大な岩だったかもしれないけど。
あーそうかそうかそうか。
でも100年200年前にポコッと生まれたものじゃないんですよ。
この大先輩の。
石をね、大先輩って思うようになったら、
面白く戻ってきたでしょ。
そっかこいつ下手すら1万年前から石だった可能性あると思う。
もっと大きく削られて今こんな丸くなってるけど。
そうだね。
これ丸いっていうのは、もしかしたら水の作用で手のひらサイズになってるかもしれないけど。
前はもっともっと。
もっと大きかったかもしれないし。
どこからやってきたかわかんないけど。
どっかから来て砂に埋まった状態になった。
掘り起こして。
人間の中で先輩後輩いるけど、
近くに超大先輩が、桁外れの大先輩がいるって考え方をすると、
それ相当ちょっと。
いっぱいいるよね。
いっぱいいる大先輩いっぱいいるんですよ。
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新人もいるけどね。
新人もいますけど。
普段、例えば一般的な人って言ったら、職場に行って働いてるような人にしたら、
ちょっと普段は考えないような次元の感覚みたいな。
そうするとね、
あんまり小さいことにこだわる必要もなくなってきたり。
だから今思う楽しいことに寄り添うフォーカスしようと。
だからフォーカスするのも自由だし、思いっきりサボるのも自由だし。
そうね。
不思議なもんで、過去も未来もないって思った時からですよ。
過去も未来もなくて、ただ今っていうものが目の前から溢れててるんだって思った時点で、
変な話、もう将来が決まってるっていう感覚にもなるんですよ。
要はもう、僕がどう生きようが未来はもう決まってて、
そうなるようになってるっていう考え方。
そうするともちろん焦りもないし、不安もないんだけど、
サボろうが真面目にやろうが同じっていうことは、
ある意味ね、未来が大丈夫っていう感覚っていうのかな。
要するにこれから起こることは妙な安心感が出てくるんですよ。
なんかね、上手くいかないってことがないっていう気がして。
だからお金がなくても、多分上手いことなるっていう感覚にもなんかなるんですよ。不思議なもんで。
そっか、今までも年を重ねてきた中で、
お金的なものはちょっとないなとかいうのはあるかもしれないけど、大丈夫。
なんとかなってきたっていう過去も見ちゃうんだけど、そういう意味で。
だから未来と過去をないっていうことによって、
未来が大丈夫っていう感覚にもなぜかなるんですよ、不思議と。
そうなんですよ。
不安とかって、例えばお金ない不安とかって生まれてきちゃうんじゃないですか。
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例えば仕事とかでうまくいかないなとか、
あの人、なんかちょっと怒らせたら嫌だなとか、
いろんな不安の要素があるけども、それらがやっぱり意思からしたら大先輩。
大先輩からしたら、そう。
だからお金も、やべ、今月やべって時あるんですよ。
僕なんて特に演劇やってますから、
お金が入らない時、
まさに3ヶ月、1銭も入らない時もあるんですよ。
その限り4ヶ月目でまとまったのがドンって入る時あるんだけど、
本当にやばいって時は、
しまったなって、この2ヶ月、もう入らないってことがわかったと。
どうしようって思ったけど、だから、
それもわかってるから、じゃあやべえなって計算すると、
1日いくらまでしか使えないぞとか。
だからそういう計算でなんとか節約して、
知恵を絞ってね。
そういう生活はもちろんするんだけど、
でもそれもちょっと楽しみながらできるようになって。
そうですね、その瞬間に溢れ出るものを楽しむ。
今はお金はないけど。
ない。だから今は使えない。
使わない楽しみになる。
そうそう、庭なんかね、いじってると。
芝育ててると。
お金かけないでやれることいっぱいある。
雑草抜くのにお金必要ないですから。
クワとかはね、買ったけど。
そうなんですよ。
なんか超越してる感はある気がするんだけど、
大仙者にとってはそういう思いであるから、
それもそうだよねっていう感じ。
死ぬのはね、全く怖くなくなってきましたね。
不思議と。死の不安は。
ある意味悟ってる部分?
かもしれないですね。
だから10年後に死のうと、
あさって死のうが、
そういう運命って言っちゃったら、
そういう流れかって、
なるほどねって思うんじゃないかな。
じゃあ普段、当然不安になったりとか、
やっぱあるんじゃないかなと思うんだけど、
もちろんそんなことは言うけど、
どっかなんか、あ、やべ、みたいな。
あのね、
心配はすごいするかもしれない。
心配はすごいする。
あの人大丈夫かなとか、
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明日伝えると思ってたけど、
今のうちに伝えたかないとまずいかもとか、
そういう危機感はあるの?
それは訪れる。
だし、
やべえぞ、1週間で仕上げないってなると大変だぞとか、
そういう切迫した状況は感じるんだけど、
なんかね、漠然とした不安はなくなった。
もっと広く、なんか地の底に横たわってるような、
なんかでっかい生き物みたいな、
なんかそういう不安はもうそんなになくなってきたかな。
石とか植物とか草とか、
そういうものにちょっと興味が出てきた時に、
まあ変な話だけど、
最も美しいものって、
こういうものじゃないかって気がして、
石とか物とか。
要するに木もそうだけど、
バラの木がね、今にありますけど、
あの幹って計算して描けるものじゃないと思うんですよ。
あれはバラの木の彼らなりの理屈で伸びてるのかもしれないけど、
読めないじゃないですか。
ここからここで生えてとかね。
計算して彼らがそうなったわけじゃないし。
石の模様とかもまあそうなんじゃないですか。
形はね削ったりも人間はできるけど、
自然とそうなってる。
要するに意味のないもの。
これ自体に意味のない。
って考えると、
人間はとかく、
都市がまさにそうだけど、
要するに意味のあるものしか作らない。
意味がないと怖くなっちゃう。
だからここはちゃんと舗装して、
ビルのこの形、デザイン。
で、当たり前だけど、
都市に行くと道端にこんな石は絶対転がってない。
なぜならそこにある意味がないから。
どんどん意味のないものを排除して排除して、
文明が排除して都市ができてると。
だから身近なものに意味のないものを置こうっていう。
要するに、なぜこういう形になってるのか説明できないものを、
ちゃんと置いとこうっていう。
だから、
それを置くことが、
意味のないものをちゃんと考えるきっかけに。
って思い始めたら、
面白いもので、
意味のないものはやっぱりとにかく美しいなって、
42:02
思い始めたのがきっかけなんだけど、
もしかして演劇も意味がないんじゃないかって。
はいはい。
これ言葉で説明するの難しいんですけど、
価値はあるんですけど意味はない。
価値はあるけど意味はない。
価値はあるけど意味はないっていう。
それ価値っていうのは僕にとっての価値ね。
何でなら楽しいからっていう価値はあるんですけど、
楽しいもんだっていうふうに思ってるから、
やればやることを楽しめるっていうのは思ってるんだけど、
ただそこ自体に意味はないし、
要するに彼らと同じなんだっていう風に思いたいんですよね。
なぜなら僕の価値観の中では、
意味のないものほど美しいから。
だから演劇は意味のないものなんだっていう。
そっか。
だから演劇で悩む必要もないし、演劇で苦しむ必要もないし、
なぜなら意味がないことをやってるんだから。
意味のないことをやってるのにそこに苦しみ、悩みは必要ないよねっていう。
なるほど。
この柄すげえと同じ。
何この形っていうのと演劇を作ってるのも同じって考えるんです。
演劇は意味がない。
だから人生もそういう意味では意味はないんですよ。
楽しいから。
個人として、人間としては価値が持つけど。
なんだろう、その話なんだろうな。
ある人にとったら何言ってんだって感じになっちゃう人もいっぱいいるような気がするんだけど、
理解とかでもないのかな。
その感じっていうのは子供の頃とかにも近い。
でもそうかも。
子供の頃に感じてた何かしらに、
通常のような気がした、今聞いてて。
そうかも。
特に意味、理屈で動いてなかったからね。
そうそう。
子供を、例えば保育園とかの子供って何かわかんないけど、
ずっと同じことをただ繰り返すって。
それが楽しいからやってるみたいな。
で、いつの間にか大きくなるにつれて、意味のある世界にどんどん飲み込まれていって、
大人になってくるってそういうことかもしれないけど、今の社会を作り上げてる。
だってなわっちょが、年末にね、新年の時に親子でジャンプするね。
あれがまさにそうですよ。
たぶん意味、理屈で言う意味はないですよ。
でもたぶん楽しいでしょ。
楽しい。あれ楽しい。
見てても楽しい。
でも飛んでる、娘さん大きくなったなとか、あれまさにそうかもしれない。
45:02
そうかそうか。
あれ意味はないですよ。
都市として。文明としては。
あれで、でも楽しいし素敵だし美しいと思う。
説明できないものをちゃんと。
説明できないところに行くっていうのは。
説明できないものをちゃんとね、周りに。
文明が発達すればするほど、理屈で説明できないものをちゃんと覚悟しておかないと。
っていう気がする。
この間、例えばシアターグリーンやったじゃないですか。
あの裏に広場できてたじゃないですか。
すごく。
綺麗なね。
広場いっぱいいたりして。
ああいうのも、例えばせんちゃん、周りはビルバー。
ビルバー。
作られた都市といえば都市の形、今の現代の。
そうね。だから、たまに僕がね、許せない。
許せない?
許せないものは、許せないっていうか。
もう。
もう、のは。
あの、要するに都市ですごい道路が整備されて、ビル、家、マンションが建ってるところに。
あの、並木道。
並木道ってことですよね。樹木を植えるじゃないですか。
植えますね。
それはまあ、せめて人間がそういうのを作ってしまった代わりに樹木を植えてるんですよ。
で、それをね、そこはまだわかるんですよ。
それを、ビルにとって邪魔だからって言って、たまにものすごい切ってる。
ああ、ありますね。
樹木あるでしょ。
もう、枝から枝から全部パッパッパッパッパッパって。
和裁してってあるね。
そうそう。ちゃんとこの、植木屋がやってるレベルじゃなくて、もう区役所の人が切ってる。
あれを、じゃあお前、何のために植えたんだよっていう。
だよって あの木の形が不思議な形で
読めないような こんなこういう風に伸びるんだとか
で葉っぱが咲けばね葉っぱが葉が つけばその葉も落ちてくるんだろうしその
葉の面白さもあるのに もうなんつーの
幹だけの状態で たまにのやってる裸になってる 地区が
痛いたし そう あれを見るときに
ウォーって もう
なんの
何やってんの 何やってんだよ
そこだけ樹木植えたんだったら もう自由に
樹木の自由に左折んかいって
48:03
た小ね伐採するのは分かりますよ
あのあそっかそっか 昨日ねあのその
友達たちとプライアスに行ったんですよ 遊びに
トランポリンやってるじゃん 遊びに行ったんですけど あそこってもともと埋め立て地で
全部埋め立て地で 行ったらすごくリゾート ディズニーが近くにあって
ディズニーランドがあって その近くのエリアでタワマンとか
骨がパパパパパンっていったりとか 凄く整備されてまっすぐな道路
広い道路があって その両脇にやっぱりヤシの木がパーって
おー この南国感というか何このリゾート感って
ちょっとビックリしたなー 確かにね これはもう確実に人が埋まれてたから
埋め立てして人が整備して計画して 立てて
すごく作られた なんか本当南国みたいな楽園みたいな
感じを呈してるんだけど やっぱり生まれ育ったところからしてちょっと不自然感があるなぁ
みていいとこだなぁと思うんだけどなんか ちょっと漠然とした何か
いいのかなぁみたいな そこの一番海岸のところには墓地があるんです
墓地公園っていうのがあって 西洋風のちょっと背の低い
あー墓地ね そうそうか
ファーッと並んでるとこがあって そこで公園でみんなでご飯食べたんだけど
ちょっとこの感じこの不思議 なんか不思議だった 元々海だったんだよね
あーそうね そこを整備して全部きれいにしてビル建てて墓地も作って
人の一生がそこで完結するような そうね
なんかなんだこれみたいな言葉にできない そこに当然住んでる人もいて
そこで生まれ育った子供たちもいて その子たちをとってみたらそこは原風景で
そうね そこが自然って思うとは思うんだけど
なんかなんだろうなぁみたいな 多分ねそういう不思議な意思とかあんま置いてないみたいな
そうね 意味のない感じっていうのはもしかしたらないのかもしれないけど
せめてよくわかんない石が置いてあったり 樹木をなるべくそのままにしておいたり
そう 意味は非常にね
いやー確かに
だからそもそも
人間と自然 自然っていう言い方するけど
人間も自然だからね あーそうかそこはね
そこを繋がってる部分で言ったら境目はなくて 境目なくて
人間も自然だし 自然と人間を分けるっていう考え方から多分スタートして
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人間はなんかいい感じに生かすものみたいな
ちょっと今そういう嫌いはあるね
だからそれは都市に住んでたらしょうがないっちゃしょうがないけど
そうかそう思うと例えば埋め立て地も元々はゴミを
あーそうね
ゴミ処理をして埋め立てて
でゴミもやっぱり人が出した作り上げて
それもでも自然の産物って自然の産物で
大きな流れで言ったらそこも境目はなくて そこはもうそこだし
ただね 生まれた育ったところはちょっと違うところだから
ん?って思うけど
逆にそこのそういうところで生まれ育った子とかが
じゃあちょっと森とか来たら
何これみたいな虫怖いみたいなのは
それどうしてもその人にとっての自然ではないわけだから
そうね だからなるべく
そう 川とか森とかね
そういうのに
子供は連れていけるといい
せめてね
そう 土いじってるとね
わーってびっくりするぐらいでっかいミミズが出てきたりするんですよ
ミミズめっちゃいるんだよね
あーそうか
よくこの太さでいたなっていうぐらい
要するに
タバコ2本分ぐらいのミミズ出てくるんですよ マジでマジで
ソーセージかっていうぐらいのミミズがブワーって出てきて
それもなんつーのかな
でバッタは飛ぶし夏になると
せめてちょっとね
朽ちてく方がちょっと楽しい
それなんか前からせんちゃんにある
なんかそれ感じてる部分はある
朽ちてくのは結局
人間がわざとこうやったもんじゃなくて
自然それも自然な
だから人間がもうガチって作ったものが
ざまみろ人間みたいな感じでどんどんこう
侵食されていくと
ようやく戻ってきて
それも坂本隆一じゃないけど
坂本隆一がなんか言ってたんだよ
それこそ震災の時に
要するに津波に襲われたピアノがあって
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それが小学校かどっかのピアノなんだけど
もう津波でバーッと襲われたことで
要するにもう弦とかもそういうのも錆びちゃったり
鍵盤叩いても鳴らない音もいくつもたくさんあるし
変な音が鳴る
で変な音が鳴るんだけど
それがすごく文明が生み出した楽器から
要するにピアノは木と鉄
ほぼ木と鉄でできてる
木も元々自然
鉄も元々鉱物だから
それで作り上げたものがどんどん自然に変えようとしてる
戻っておいで
戻ってきてるっていう感じがすごいするから
そこに感動したって言ってて
そっかそっか
それが鳴らす音
鳴らす音で出てきて
これが変えろうとしてる音だっていう風に言ってて
その震災当時
すげえいいなと思って
だから人間がどんなに文明として作れば
戻ろうとする動きも
ミハエル・エンデのファンタジー
モモという作品
今回のお話の中でも触れられましたが
ちょうど僕がモモを読んでいる際に
千田さんが演出するモモが上演されるということを知り
池袋のシアターグリーンまで見に行きました
千田さんがモモを演出するに至ったご縁や
僕がその芝居を見るといった
そんな不思議なご縁が
今回のお話を伺うことにつながったのかなと思います
彼が住む家の庭を眺めながら
じっくりお話を伺い
彼が今何を思い
どのように日々を過ごしているのかを聞くことは
とても贅沢な時間だったように思います
また少し時間が経ったら
また彼の元を訪ね
お話を聞いてみようかなと思っています
それではまた次回
ユイナーさんのキクヒトラジオでお会いしましょう
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