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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
今回は千葉県立山市で新級員ハリスタンドを営んでいる 富田慧さんにお話を伺いました。
高校の担任の先生の言葉がきっかけで、新級の専門学校に進み、現在は地元立山市で新級員を営んでいる富田さん。
まずは、今に至る経緯について伺いました。
お仕事は?って言ったら何になるか?
お仕事は、新級士、ハリサスの仕事と、お給をする、合わせて新級士というジャンルの仕事を今していて、
今、自分のハリスタンドという新級員の経営をしているような形ですね。
それじゃあ、ハリ、お給の勉強をされて、学校とかに行かれて?
はい、専門学校で3年間行って、国家試験を受けて。
それは高校を卒業してすぐ、東京、高田のババアまで3年間勉強して、
それじゃあ、もともとやりたかったんですか?
正直な話、全然興味なかったジャンルの仕事ですね。
そうなんですか。
でも、高校を卒業してすぐ専門学校に行かれる?
行きました。
ってことは、高校の段階で行こうという思いはあった?
行くことになった。
行くことになった。
一番分かりやすい、分かりやすいというか、特にそうですね。
それは何でというか?
まず結論から言うと、遊びたかったので高校を早く決めて、早く遊びたい。
だから就職なり、総合高校なんで就職もできる。
就職なのか、そっち学校また進むのか、早く決めたかったので、決めたという。
それでも選択肢はいろいろあるじゃないですか。
いろいろありますね。
ある中で、そこを選ぶっていうのは?
まず、遊びたかったからという話で言うと、ずっと中学・高校で剣道をしていて、
やっぱり土日も全部遠征とか、高校行くと土日は全部1日練習、遠征とか。
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本当に休みはほとんどなかった。
なのでやっぱり高校っぽいこと、高校っぽいことというか、ちょっと遊びたいな、
引退したら遊べるっていう頭があったので。
でもやっぱり先を決めないと遊べなかったので、そこで決めてしまえとありましたね。
で、ちょうど高校3年生、最後の大会前らへんの時に腰を骨折してて、
それでたまたまメンタルが落ちる時に助けてくれたのがお医者さんなんですよ。
よくある話なんですけど、それで結構助けてもらったので、
やるんだったらそういう、医者にはなれないから看護師になるかっていうのが浮かんだんですよ。
その時にはもう頭本当に悪かったので、偏差値とかないぐらいの人だったので、
受けられない大学もあるし、受けたとしても全然受からない。
自暴自棄になりかけてて、なんでもいいや、ときに当時の担任があなたでも行けるところを見つけた。
それを持ってきてくれたのが新級の学校だけだったっていう。
じゃあその担任の先生が別のものを持ってきたら、もしかしたらそっちになったかもしれないし。
じゃあそこで新級っていう選択肢がポンと出てきて、それか、みたいな感じで、もう行こうみたいな。
それだけ内心で、先生がいいこと書いてくれたら行けるぐらいの感じだったと思う。
それでオープンキャンパス行って。
僕本当に良い方の馬鹿だったのかわからないですけど、知識が方法ないんですよね。数学にしろ。
ってことは、新しい医療っていうものが来たときに、入るスペースあるなと思って。
ちょっと変な自信になった。これやったら行ける。そこで速決して、じゃあ行きます。
でも全く未知じゃないですか。
未知でしたね。
もともと、例えば看護師とか、人を助ける的なことの文脈で言えば、そりゃそうだと思うんですけど、
全く未知である新級みたいなものをパッて目に、選択肢がバッてきたときは、それは特に抵抗なくも。
多分そういうのがないんですよね。未知になるものの方が面白いかなっていうのは、昔からの多分性格上、多分考えてないんですよね。
でもまあ、じゃあそれで行こうってなって。
安いですね。
じゃあもう行っちゃうんですね。
行きました。
東京出て住まいを見つけて、通うみたいな学校に行ってましたね。
3年間?
3年間。
専門学校。専門学校ってなると、やっぱりそれなりにきっちりやる感じですね。
僕が行った学校が半日だったんですよね。2年までしかないんです。昼過ぎには終わってる。
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そうなんだ。
自由時間が結構ある学校だったので、それは結構助かってましたね。
助かってたって言うとあれですけど、自分やりたいことが割と多い人間だったんで。
その当時は、路上に座って字を書いて、どうですかみたいな。
そういうこともされてて。
昼に終わって、路上出てみたいなことができたので、それ良かったです。
じゃあ午前中はカリキュラム授業を受けて、新級の勉強をして、ここはそういう活動とか、いろんな好きなことを。
学校にキャリーバッグ持って行って、そのまま新宿行く。
はいはいはい。
そっち火災に住んでたんで、火災に路上座るか、川崎行こうかみたいな。
そうなんですか。
そうですね。
行く場所はその時々で変わる感じ?
普通、感覚で。
感覚で。
あそこ行こうかな。
じゃあ、その字を書くっていうのは、それはやろうと思ってた?やりたかった?
そうなんですよ。結局それはやりたいことがあるって感じですね。
でも、そっちに行かなかったというか、ライフワークに近かったんですよね。
今も?
今も本当にスローペースなんですけど、ちょいちょい書いたりはしていますね。
それでご飯を食べてるかって言われたら、そういうわけじゃないんですけど。
それをやろう。じゃあ、その字を書いて、よく何て言うんですか?
もうすごい、ジャンル分けすると、たぶん路上詩人っていう。
路上詩人?
はい。直感で言葉を書いたりとか、作品作ったりとかそういう形になります。
あれは高校3年生、2年生、3年生、2011年の3月ですね。震災があった時に始めた活動ですよね。
もともと何かで見たりとか、何か知って?
人は知ってて、字を書いてもらったりとか、やっぱり助けてもらってたんですよね。
すぐ腰骨折した時とかに、字で助けてもらってたっていうのは、記憶に残ってて。
震災があって、その時僕、包丁小学校に避難をしてて、1日2日くらいですかね。
当時って携帯電話は使えないけど、公衆電話が使えたじゃないですか。
自分に何かできることはないかと思って、当時、字を書いてくれた路上支援の電話番号がちょうどあったんで、電話したんです。
何か僕、できることありませんか?避難先から。
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そしたら千葉は任せた、みたいなことを言われて、切られちゃったんですね。
向こうも大変だったんで。
それで本当に、さっき言った通り良い方のお母さんなんで、千葉は自分が何とかしなきゃいけないのか。
そこでスイッチが入ったんですよ。たぶん人生の中でスイッチが入る瞬間って、よく語る方っていらっしゃるじゃないですか。
本当かよ、みたいな。思ったんですけど、まさにそれがスイッチが入った瞬間なんですね。
小学校?
避難したのは小女子校で、高校の時にそれがあって、そこからですね。
へぇー。だって任されたわけですよね。千葉を任せた、みたいな言葉をかけられて。
ニュアンスは全然違うんですけど、そう捉えちゃったんですね。
自分の中に解釈しちゃってた。その言葉を強烈に覚えてるんで。
で、次の日、たぶん避難所から出れなかったんですけど、やっぱり僕の実家って沿岸部だったんで、でも何か取りに行きたいものがあったのかわからないんですけど。
それでここを飼いくぐって、飼いくぐって行って取りに行って帰ってきた時に、ちょうど何かLINE、当時メール?LINEかわかんないですけど、連絡手段が使えたんで。
仲間が、いろいろやってる仲間2人いるんですけど、それに連絡を送って、何かしないとヤバくない?って言う。
そしたらすぐ帰ってきて、いや同じ気持ちなんだけど、みたいなから募金活動を始めるっていう。
へぇー。
その時に字を書き始めたんですよね。募金活動とかなんか、言葉を書いて、こうやって持って、みたいなことを。
あれがきっかけですね、本当に。
それ最初なんだ。
一番最初ですね、字を書くっていうと。
募金活動もされて、
募金活動も結局警察に怒られて、やっぱり危ないですよね。
知らない学生たちが募金してくださいって言って、確かに今思えば結構なかなかなことをしたんで、許可を取るわけでもなく。
あ、そっかそっか、やっちゃうんだね。
その時、警察署の交番の前で怒られて、泣きながら帰ってきて、いろんな人に相談をして、
募金活動を促す活動をするっていう。
募金活動を促す活動。
募金をしてくださいって言って、確かに震災の募金もあるんで、やってください。
へぇー。
そこからでも、立山市役所の方が見つけてくれて、脱兵とコラボしたりとか。
へぇー。
活動がちょっとあったり。そこでまた字を書き始めたり。
あ、そっかそっか。
それで字を書いて、僕がお金をもらって、それを募金に使うっていう活動ですね。
うーん。
そっか、それが高校生の時に立山でされて、今東京へ行って。
12:04
それが東京までこう行ったって感じ。
東京で勉強しながら、そういう活動をしながら。
で、ずっと東京じゃないんですよね。
東京じゃないですね。
で、卒業するじゃないですか。
勉強はして、
資格を取って。
あ、高科試験受けて資格を取って。
ってなると、そうすると仕事していくって感じなんですかね。
そっから、次は山梨に行こう。
そこで山梨行くんですか。
一回立山、東京から立山地元に戻ってきてから、すぐに山梨っていう。
山梨は何かあったんですか。
山梨、これもなんか、いろいろギュッとしてる話なんですけど。
たまたまいろんなことが重なって、こっち帰ってきて、新給。
その新給紙の仕事をしようとなったんですけど、なかなかちょっとうまくいかないことがあって。
そのお給料もない状態で。
字もちょっと書いたんですけど、道の駅とかをお借りして。
だからうまくいかないわけですよ。
で、今実家には住んでるけど、このままと。
人としてダメになるし。
で、たまたまいろんなご縁で、化粧品会社の一番偉い人に会う機会があったんです。
それで、その時はの秩父、埼玉の秩父で会って、会話をしようかなって挨拶したら、
そんなことより、君は土は好きかっていうことを。
土?
急に?
土か。
土は人並みに好きかどうかはわからないけど。
その質問すごいけど。
茶遊びはしてました。
話をして、そうか。
じゃあ、ついで来なさいと。
秩父からそのまま荷物の持ってない状態で、山梨の北都市、小淵沢に連れて行ってもらってですね。
誰も住んでない一軒家に2泊3日くらい滞在しながら、畑を見に行ったりとか、会社が持っている畑を見たりとか。
これ何を僕はするんだろうと思って。
で、最後にそのまま2泊3日が終わって、僕住んでるのが立山だったんですけど、
車はハイエースで帰りましょうと。
で、なぜか八王子で降ろされてですね。
八王子とどっか駐車場か何かで。
どうするって聞かれて。
どうする?
そうなんですよね。本当に詳しいことないんですよ。
どうするって。
お給料はもらえるんですかと聞いたんですね。
仕事みたいな。
それはもちろん。
じゃあ行きます。
というので、八王子に行きました。
仕事をするってことで。
仕事をしなきゃいけない。
15:00
申求じゃないですよね。
その化粧品会社の方が連れてってくれた土が好きかっていうことで、行ったとこ。
大塚は。
で、農業をやることになった。
急にそこで農業。
そうなんですよね。
生きなきゃいけなかった。
そうかそうか。
当時の僕の一年間の行動指針みたいな。
即答する。
考えないでやるんだったりやる。
そうなるとやらない理由が出てこないんで。
農っていうこともできたはできたんでしょうね。
多分できたと思うんですよ。
でもそこはイエスになった?
全くなかったです。
未知なことに対する恐怖心ってそんなに強くなかったんで。
やったほうがいいだろうって。
やったほうがいいだろうってなかったですね。
口だけやります。
それが結果、
農業の世界に足を踏み入れました。
山梨。
山梨に行きました。
山梨で生活を。
2年間くらい農業をして。
農業もいろいろあるじゃないですか。
農薬。
有機農業と自然農業。
基本農薬は一切使いません。
そこの会社の理念がそういう理念なので。
化粧品の会社で農業は?
これ面白いのが
今僕の中でも結構軸にはなってるんですけど。
美容の化粧品の会社なんで
綺麗にする。
見た目って何から?
内側から。
内側って何かって言ったら
食事。
でも食事って何?って言ったら
野菜とか。
それはどこからできるの?土じゃないですか。
そこをちゃんと理念を
ちゃんとするために
土から作ってる部署が
農業の部署だったんですよ。
結果そこだったっていう。
それ聞かされてなくてそこにいるって。
そうです。
そうなんですね。
何も考えてなかった。
飛行中の災害。
そこではなかったんです。
困って変な人だったらね。
どこ連れてかれちゃうか分からないけど。
人を信じやすいんですよ。
そこで農業されて
2年間して
やろうと思ったらずっとやることもできた?
できたと思います。
環境は見つけても小淵沢って
別荘地だし
自然もすごい。
空気もいいし
最高な場所なんですけど
いろいろなこともあって
自分が資格を持ってるし
野菜と
野菜と会話してても
もしかしたら
人と喋れなくなる。
危ないなと。
下山しなきゃいけない。
下海に降りたいなと。
そこに連れてきてくれた
ありがとうございました。
本当にちゃんと学びたかと。
たくさん学ばせてもらいました。
18:02
で下海に
降りてきた。
2年山の中にいて。
標高1000mなんで。
まさに下海に降りる感じですね。
そんな感じでしたね。
23死。
で降りて
どこ行くんですか?
次は笠井に住みながら
成虎杖に
ついにこの
新旧の業界に。
笠井は元々住んでたから
学校行ってる時に
だから笠井に。
で笠井に戻って
普通にまた暮らし始めて
成虎杖に。
それを普通に自分で
探しましたね。
あの時
よくある媒体使いながら
探してやって
やっと見つかったところでした。
結構探されて。
大変でした。
クライアントさんと
喧嘩になるみたいな。
早く見つけてください。
見つけて。
そこに今度は勤めるようになる。
それは横浜ですね。
笠井から横浜。
通勤したんですか?
1時間半かかんないくらいですかね。
そうですね。
すごかったですね。
でも未知なる
世界なんで。
もしかしたらそれこそ
社会全体で見たら
大丈夫なのっていう。
朝6時に起きて
8時出勤。
帰ってくるのは
夜中12時とか12時過ぎ。
遠いからってなるんですけど。
10時過ぎに退勤。
10時半とか退勤だったんで。
業界的に
新旧整骨院って長いんですか?
長いですね。
今はちょっとずつこうなってる。
良くなってるって言い方ありですけど。
当時は
基本的にそれが当たり前で
収録勤務とか。
収録勤務。
でも本当僕業界初めてだったんで。
これが当たり前だと思ってたんで。
それが良かったんですよね。
キラキラした
世界を想像しなかったんで。
これしかできない。
これをやりに来てるから。
こんなもんなんだ。
それに楽しさを見つけるしかない。
っていう感じだったので
全然いけましたけど。
そこで実際に
学んできたことを実践。
高校の時に
見つけてもらった
学校。
5、6年越しに
その業界に行って。
大変でしたけどね。
どんな感じなんですか?
初めてやる時もあるわけだし
実際にお客さんが目の前にいて
やるっていうのは
どうしたらいいか
分かんないですよね。
最初は練習というか
技術を学んで
その会社のテストを
合格しないと
21:01
デビューできなかった。
2月に入社して
いつデビューしたの?
6月ぐらい?
なるほど。
やってはいたんですけど
ちゃんと入れって
それぐらいだったんじゃないですかね。
初めて担当した方が
レスラーみたいな
すっごいでかい人だった。
汗だくになりながら
すっごいもんで
走って
わけ分かんなかったですよ。
わけ分かんないまま
ガムシャラでした。
ガムシャラになってましたね。
お忙しく働きもするし
学ばなきゃいけない。
実践しなきゃいけない。
新規のトムシさんで
最初分かんなかったです。
それしかできない。
何とかやってましたけど。
お客さんとお話とかも
流れを作っていったり
1回30分とか1時間とか
そういうのがあって
それを自分で
2人じゃないですか
1対1
時間性を作って
流れを作っていくみたいな
もともとそういう仕事
苦手だと思ったんですよ。
人と喋る
字書いてるわけなんで
リハビリかもしれないですね。
コミュニケーションとか
苦手かなと思ったんですけど
なんだかんだ
人と喋るのがすごく面白くて
人が変わっていく瞬間が
するんだし
距離がグッと近くなった時って
いろんな話をしてくれるんです。
そこから
仲良くなるっていうことは難しいですけど
仲良くなって
さらにその
奥さんも来てくれて
そこから仲良くなって
すっごい仲良くなって
その旦那さんと
コーヒー飲みに行ったりとか
移動する時も
すっごい高い
洋服いっぱいくれたり
それは嬉しいですね
治療をしながら
人との繋がりっていうのは
あるんだな
まだその時は
神経の楽しさというか
当事者の人との繋がりは
楽しいなと思って
治療の楽しさは必死だったんで
治せるかどうか
やっぱり
治る時は
もちろん治すというか
治らない時もある
ありますね
なんじゃこの症状は
全然張り合っても痛み取れない
それは経験を重ねると
いけるようになるものですか
経験値だとは思いますね
センスだけじゃ
無理だと思いますね
勉強で知識はあるけど
実践を通さないと
わかんないし
お客さんそれぞれで
症状が違うし
原因が違うとか
同じ症例
でもその人によっては
24:01
体の硬さが違うので
全然合わなかったり
張り合ったり
みたいなのを繰り返しやって
当時の先輩の
考え方が
すごい良かったんですよね
今だとパワハラとかになるかもしれないですけど
治るまで返したらダメ
え?
ハードルが高いんですよね
1回だけ今でも覚えてるんですけど
微妙に治んなくて
時間もひとつくん持ってるんで
次回よろしくお願いしますって言ったのを
先輩切れて止められて
返すのか
すいませんって言って
もう止まっていいですかって言って
自動再開して
それなんとか取れて
これで取れるんだっていうのを
患者さんで試してみて
良いのか悪いのか言ってたら
人から見ては悪いですけど
結果論で考えたらすごく良くなってるんで
それが良かった
だと思います
それを横浜で
その経験というか
ずっとそれをされて
横浜は
2ヶ月とか
次は
高円寺に新店舗できると
高円寺大好きなんで
よくババから高円寺
学生時代遊びに行ったんで
高円寺できるんだったら
自分でしょっていうのを社長に直接
行かせてもらって
近くにあるし
立ち上げから高円寺に行かせてもらって
立ち上げから
そこが良かったんですよね
運命的なまた更に
新旧市としてのスイッチが入る
場所だったっていう
そこで来た
お客様患者様が
たしか50方
あと肘が
骨が折れてから
伸ばせなくなっちゃったっていう
何年も10年くらい
治療してるけど
一切治らない
最後の砦だと思って
来ました
これはただ事じゃないな
自分が担当したんです
僕デビューして
2、3ヶ月
なんか変な自信があったんです
この人治せるかもしれない
よくできるかもしれない
女性だったんですけど
治療させてもらったら
肩が上がったんです
初めて上がったらしいんです
良かったなと思って
それから
1週間後くらい
通ってくれたんです
私新旧市になることは
決めました
え?
本当ですか?
先生が行った学校教えてください
僕が行った学校
入らないだろう
お子さんもいたんで
その方
そしたら1年後
入ってたんですよね
初めてゲームを始めたんで
すごい
27:01
嬉しいのと
責任感
この10分で変えてしまった
怖さもあって
嬉しさもあって
その時に新旧とか
この仕事の楽しさというか
素晴らしさを知って
スイッチが入ってからが
めちゃくちゃ好きになった
あの出来事がなかったら
普通に仕事をして
お金を受け入れてもらって
繰り返している日々だった
それから考え方が
一気に変わった
だから良かったですね
そこからの
新旧への思い
スピード感が違うと思います
学びたい
そこのレベル感もあるけど
そこからまだまだ奥深い世界
学ぶことがいっぱいある
そしたら腕も上がっていく
収録勤だし
いい先輩いるし
これを1年間マジでやったら
すごいことになるな
見て学ぶ
盗んで
委員長のお客さん奪って
っていうことを
やってましたね
それはすごい
良かったです
感謝ですね
公園寺でしばらく
ずっと公園寺
そこから公園寺でも
人と人の繋がりが強い
お店同士
紛れ込んで
新旧以外の場所でも
成長させてもらったり
飲みに次いで
めっちゃしましたね
そこから仙川
に移動になって
そこで初めて
先輩がいない状態
委員長じゃないんですけど
一番年が上で
これは聞くこともできないし
自分で何とかしなきゃいけない
ラッキーぐらい
邪魔するものは
いらないので
そこでまたさらに
いろんな治療させてもらったり
っていうのが
整骨院時代
最後は仙川だったんで
仙川で
ずっとやってって
仙川が終わって
その時に
回数券を
いっぱい売る
整骨院業界って保険以外の
ものをいっぱい売らない
っていう状況だったので
ちょっと面白くなくなってきちゃった
やばいこのままだと整骨院好きじゃなくなる
そうかそうか
でいろんなことがあって
やめようと決めて
次はもうちょっと
コンパクトに週5勤務で
ちゃんとした時間で働いてみようかなって
それのお金をもらえたらいいな
でまた
そういう媒体を
介して
ウェブの授業の方が
訪問治療
30:00
おじいちゃんおばあちゃんの訪問治療を
申求立ち上げる
面白そうな
それと土日休みとか
しかも勤務時間も短い
ラッキー
行ったんですけど
そしたら僕の仲間もそこ受けてて
あれ?
嘘やんみたいな
なんだよと思ったら
先行された
俺辞退するから
大丈夫だよ
じゃあ俺行っていい?
行っていいよ
僕が行って
僕が受かって
ということで
訪問の申求
をスタートさせる
っていうのが
2019年の
12月に決まった
で整骨院辞めるのが
2020年の3月だったんで
ちょっと期間があったんですけど
その期間の中で
コロナが
始まり
で
ちょうど2020年3月ですよね
本当にヤバくなってきて
そうなるとおじいちゃんおばあちゃん会えなくなる
そういう施設とかも
閉鎖というか
なってしまうんで
あれ?このまま
辞めてそこに入って
できないんじゃない?
そこの新しいところの
人と
1対1だったんで
どうしますか
ってなった時に
最初はダメだったらウェブの方を手伝ってもらう
はいって言うしかなかった
生きるためにやめちゃうし
もう一回辞めるって言ってもう一回やります
っていうのが僕の性格上嫌だったので
でもそれって意味ないよな
ちょっと一回考えていいですか
ここからちょっと
面白い話というか
僕の中ではよくやったなと思うんですけど
美容針
美容針
顔に針打って顔を引き上げます
あんまりやったことなかったんですよ
生骨に月に2人ぐらいいるぐらいで
でももしかしたら
いけるかもと思って
そこの社長に
美容針めっちゃ上手いですよ
顔を上げられます
めっちゃいいじゃん
って言うので
美容針のサロンにしましょう
って言うので
2020年の4月から
準備が始まり
2020年の6月に
吉祥寺で
美容針のサロンをオープンする
コロナ禍の時に
させてもらいました
youtubeで学んだりとか
そんなにやってない?
治療としてだから針刺して
ちゃんと医学的根拠
ちゃんと見つければできるだろう
嘘ついちゃいました
嘘ついちゃったら
できるようになっちゃった
そういうのありますよね
あえて自分の高いハードルというか
届いてないけどやるみたいな
33:01
そこを勉強して
そこから
最初個室サロン
ビルの中のアンションの一室で始めて
そこから
うまくいったんですよね
サーフとか入ったり
おーすごい
1店舗2店舗
3店舗4店舗
あとフランチャイズ化してみたいな
僕はもうやるだけなんで
教えたりとか
そっか
2,3年
させてもらったんですよね
っていうのが
おー
2,3年はそれをずっとやってた
美容割と
生体と
あと治療する方もいらっしゃった
最初の1年とか
立ち上げって
パワーありますし
初めて休みないっていう
政策をしましたね
へー
あれがなかったら今はないと思う
うーん
とあるきっかけで
そして治療した方が
神給師になるということで
さらに神給の楽しさ
そして素晴らしさに気付いた
というお話
そんな富田さん
今は地元立山で神給院を開業され
針を通して幸せになってもらいたい
という思いを
お持ちでいらっしゃいます
そっか
今は立山にいるわけですね
はい
去年の
9月
10月にオープン
へー
それまでは美容割をやってた
いつまでいたんだろうな
そこのサロンは
2009年の9月の
1週目まで
ということは立山に来よう
という思いとともに帰って
ここでやることを
決めた状態で
そうです
でもあれはスピーディな
話だったんで
去年の7月
5月6月ぐらいに
6月ぐらいに
ちゃんと帰ってくる
決めたのに
結婚ですね
結婚が
100%
その次に開業ですね
そっかそっか
6月に
プロポーズさせてもらって
帰ることが
決まって
それは帰らない選択肢は
ありましたよね
全然ありました
でももともと
根本的には
立山に帰ってくる
ことは僕は
なかったんですよ頭の中に
帰ってくる場所じゃない
規制はしますけど
36:01
帰ってきて何かする場所じゃない
面白くない
みたいなぐらいだったんですけど
去年の4月に
初めて彼女
立山に連れてきた時に
いいなと
立山
ここでもいいねぐらいの
髪のりで言われたんですけど
僕本気で捉えちゃって
山地かそっか立山か
帰るか
お付き合いしていく中で
一緒に結婚する
決めたら
本気で帰ってこないといけない
そっかそっか
今奥さんは本気度は
100%じゃなかったかもしれないですけど
いいよと
言ってくれたので
やばい帰らなきゃ
仕事どうしよう
最初は調べたんですよ
でもやっぱり
自分がピンとくる
動くようなものが
やっぱり新旧か
選択肢そういうしかないじゃん
今思えば
前も誰か言ったんですけど
新旧しやるっていう
選択肢のない強さの方が
圧倒的に強かったんですよ
そういうしかできない
それでやるしかない
というのが6月ですね
7月にいろいろ物件
見て回ったんですけど
7月の中旬
後半ぐらいにやっと
今のサロンを
見つけて
お借りして
7月に思いついて
1月にオープン
相当な速度というか
開業とかも
数ヶ月前まで頭になかった
開業だみたいな
そこからスタートして
開業もちょっと大変じゃないですか
日本ではすごいですよね
一番最初に作ったのは
ロゴでしたからね
そうなんですね
形から入る人間
好きなアーティストにロゴを
お願いして
それができると
もはや逃げはない
そこから内装デザイン
じゃないですけど
やることも
何やったらいいか分からないじゃないですか
開業するって言って
その前のビオバリサロン
いろいろ立ち上げたから
その経験があるから
ある程度は把握してるんで
あれはいけるだろう
そっかそっか
なんとか
開業までこぎつけて
見ました
開業に至ると
まだ1年経ってないですけど
半年ちょっと経ちましたね
どんな感じですか
開業して
大変ですよ
大変なんですけど
自分で決めたこと
やっぱり
楽しいですよね
39:01
なるほど
やるべきことは山のように
あるじゃないですか
そこは
全然いいとして
向き良くしていきたいな
っていうのは
新旧委員としては
あるんですけど
名前もハリースタンドっていう名前があって
誰でも立ち寄れる場所
そっかそっか
新旧を受ける
治療を受けるって
痛みがないといけない
私って受けていいのかな
多いみたい
そっかそっか
そうなるともったいないな
新旧仕事も前に出ないといけない
全然箱があるだけで
意味ないな
ハリースタンドっていう名前にもなったし
内装も
楽しい感じにして
パワードルを下げようと
誰でも来ていいですよ
一応通い放題とか
通いやすいようなプランを作って
来てもらっているような
それが新旧市
ハリースタンドとして
いろんなお客さん
ハリの良さを知ってもらいたいとか
健康になってもらいたい
シンプルなんですけど
ハリーを通して幸せになってもらいたい
っていうのが一番大きいので
幸せにいてもらいたい
豊かになってもらいたい
気づいてほしいなって
今もやってますね
やっとできたって感じですかね
自分の力で
自分の力って言うとちょっと違うかもしれない
内装とか
いろんなことを含めたらたくさんの人が
そろそろ看板とか張ってくれたり
奥さんがやってくれたし
美品とか組み立ては全部奥さんだし
何もしないです
下の床も奥さんがやってくれたし
内装大工さんがやってます
家族ですね母
兄貴とかみんな
やってくれたんで
僕本日はやってるわけですもんね
ハリさんサイトさん治療するんで
ぐらいの
今はステージに立たせてもらってる
みんなが
やってくれたものの上に立ってるんで
やるしかないな
実際は
立山って意味で
帰ってきて立山に
久々に住むっていう感じ
その感じはどうですか
一回出て東京
東京というか中心に出て
戻ってUターン
の感じ
良いものも悪いものも
いっぱいあるな
悪いって言ったら
悪いも甘いもある
変わんないなーって思う
変わんない
空気とか
そういうものは
変わらないなーと思うんですけど
変わんないとなー
変わんないとなー
って思う部分がたくさんあります
どういうとこが変わんないと
みんな楽しいのかな
なるほど
42:01
みんな多分
ずっと地元に住んでるから
ローカルなこの場所で
生きててくれるから
成り立ってるものがあるし
でもやっぱり
遊ぶ場所
遊ぶ場所って
公園とかもそうなんですけど
コミュニケーションに通って
ワイワイやりながら
街として成長して
生きる場所っていうものが
どんどん無くなってるのかな
とか思ったりして
そこあれが
自分なんかできるかな
一つでもあるんですけど
うーん
いやー
難しいっすね
沖縄とか
僕湘南住んでたんで
千ヶ崎とか辻堂
あの辺ってローカル
じゃないですか
観光地だけど
ローカルとしてすごい強い場所
地元民が
地元民のためにワーってやってる
千ヶ崎もそうだし
地元の人たちもいるし
移住者なくしてもいるし
でもすごい盛り上がってる
だといって都会か
田舎すっごくいろいろあるんですよ
でも熱いものがあって
立山帰ってくる理由ってそれだったんですよね
地元で
地元を盛り上げないと
意味ないだろう
っていうのがあったので
僕個人の思いなんですけど
地元の人は絶対
盛り上がってるよって思うんで
僕の中では
もうちょっといけるような
っていうのがあったんで
それ持って帰ってきたと思うんですけど
なるほどなるほど
じゃあそういうこともこれからされていきたい
そうですね
自分の中ではこれができる
っていうのが1つあるんです
なるほど
そうかそうかね
一応この今お聞きしていく中で
お仕事の話いっぱいいただいたんですけど
好きなことも伺ってるんですけど
好きなことは
好きなことは
音楽
音楽
音楽はい
いろいろジャンルというか
僕何でも好きですね
好きなんで
人に知ってもらいたがりなんですよ
人に知ってもらいたがり
これを聞いてくれる
これめっちゃいいぞみたいな
かといって誰も聞いてくれないから
なんで自分でイベントを
今企画してます
音楽っていう感じですかね
あれはご自身でやるって決めて
そうです
20歳からやってるんですけど
20歳からやってる
20歳から音楽のイベントは立山で
東京でやったり山梨でやったり
そうなんですね
20周年なんですけど
そっか
じゃあそういうイベントというか
音楽のやるっていうのは自分の中にあって
ありますね大変なんですけど
45:01
そうですよね
いっぱいあるし
そうなんですよ
やっちゃうんですよね
やりたいからやるんですね
結果が分かってるからってありますね
結果が分かってる
すげー楽しいから
大変だけど結果その日は
めっちゃ楽しい
絶対忘れないだろうな
日を作れる自信があるので
はいはい
また全然新旧とは
違う路線の
人を幸せにできる
1個のツールだと思ってやってる
好きでやってますね
そっかじゃあ今は
お仕事もしながらそっちもあって
やることいっぱい
そうですねグッズとか初めて
作ったりとか
グッズも作って
それを売り上げの
利益
今回のノトハントの
支援金額にするとか
つながってつながって
1人独立したから
コスなんか
そこありますよね
当時は会社勤めだと
バレたら怒られるんじゃないかな
そこそこしながらやったんですけど
まあやってはいたんですけど
今回は何も気酔いせずに
自分でやろう
例えば呼ぶアーティストの方とかも
つながりというか
そうですね
僕の動画聞いてたアーティスト
これもご縁でつながらせてもらった
その人治療させてもらった
つながりです
呼ばせてもらって
っていう感じ
ただ好きだから呼ぶとかじゃなく
ちゃんとつながりがある人だけ呼ぶ
今もアーティストの
ライブの態度とかはしてるんですけど
そういうことをやったりとか
それが好きなことですよね
とて山で
10年前にもやったことがある
また改めてやるっていうと
でも1人じゃできないじゃないですか
仲間とも
とて山で動いてるのは
僕1人
あと1人
上のほう
基本僕がメインで
箱探して
そこの人と交渉して
アーティストブッキングして
グッズを
あとは予約とか
そうですよね
ほぼ全部
呼ばなきゃいけないし
その宣伝
告知もしなきゃいけない
好きってすごいですよね
今思えば好きってすごい
やんなくていいことなんですもん
そうですよね
新規もそうですけど
やんなくていいことではあるんですよ
生きれるんで
針がなくたって生きれるし
マッサージがなくたって生きれる
音楽がなくたって人は生きれる
そうか
でもやりたい
それってやっぱり
人が豊かになるとか
48:00
幸せになるっていうのを知ってる
わがままな感じです
自分のわがままで全部やってる感じです
富田さんの中にある好きが
動かしてる
苦情してるみたいな
好きなことってすごいです
好きな人のために
何かするっていうのは
同じだと思うんですよね
客観的に考えたらやんなくてもいいかも
すべてにおいて
なくてもいいことを
作っちゃってるんだ
ワクワクするな
そこにはワクワクがあるんですよね
常に
ライブの当日の
こうなったらいいな
言いながら
全部やりたいこと変わってます
だからもう一人の
スタッフの人には
迷惑かけて
全然違うじゃん
そっかそっか
メインは僕が考えてるんで
いいですやってください
そっか
それは楽しみですね
音楽は
音楽やるっていうのは
音楽はちょっとやってました
ギター弾いて
やっぱり
できないこともある
できないこともある
自分の好きなアーティスト
バレないですよね
そういう気持ちが出るんだ
自分はこっちやるから
そのライブを後ろから
こうやってみんなが
手上がってる
心動いてる
針も音楽も
やらなくていいことですよね
とおっしゃる富田さん
そこには好きという思いがあり
だからこそやる
好きってすごいですよね
とおっしゃる富田さんの
熱い思いが伝わってくる
お話をいただきました
富田さんありがとうございました
それではまた次回
ユイナワさんの
キクヒトラジオでお会いしましょう