1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v.103 よこすかなかながや・和..
2024-06-13 1:09:08

v.103 よこすかなかながや・和田信一さん「こどもの「今」に寄り添う」

今回は、NPO法人・よこすかなかながやの理事長をされている、和田信一さんにお話しを伺いました。
現在、神奈川県横須賀市でこども食堂の運営をされている和田さん。
どういった経緯で「こどもの居場所」としてのこども食堂をするに至ったか、そして運営する上での思いについて、伺っていきます。
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、NPO法人よこすかなかながやの理事長をされている 和田信一さんにお話を伺いました。
現在、神奈川県横須賀市で子ども食堂の運営をされている和田さん。 まずはどういった経緯で子どもの居場所としての子ども食堂を運営するに至ったか
について伺っていきます。 和田さんはお仕事は何ですか?という質問だとするとどういう感じですか?
そうですね、子ども食堂を運営している。 子ども食堂っていうのが
知ってはいるんですけど、じゃあ何だって言ったら何なんですか?子ども食堂。 そこですよね。子ども食堂ってそれこそ2012年に生まれてるんですよ。
2012年。
これは東京大田区の八百屋さんのダンダンをやっている近藤博子さん、女性の方が始めたんですよ。
そこから今、なんと2023年の末ぐらいで9000いくつ。
え、9000?
10年ちょっと。
毎年増えてるんですよ。このコロナ禍があっても増え続けている。子ども食堂。やっぱりそれだけ必要性があるっていうことだと思うんですよね。
中には辞めてしまったところもあるんですけど、それ以上に増え続けている。
でも9000いくつってどんな数字かっていうと、日本全国の中学校の数と一緒なんですよ。
そこまで増えている。
そうなんですね。
小学校はその倍ぐらいまだあるんですけど、中学校と同じぐらいの数。
そんだけ必要性がある。
ただ、言ってもその中の多くの子ども食堂っていうのは一番多く、どんなところかっていうと、たくさんのボランティアさんでたくさんの子どもたちを集めて、月に1回。
ああ、はいはいはい。
っていうところがほとんど。
開催日を告知しておいたりとか、それからこの日にみんな来てねみたいな。
なので、それがごくごく一般的なというか、子ども食堂。
誰が来てもいいとか。
安い値段とか無料でご飯が食べられる。
そんなところですね。
ただうちはちょっと違って、朝もやっている。
03:03
朝昼晩やっていて。
3食。
朝は学校のやっている平日。
毎日。
なので、夏休みとか祝日とかは学校に合わせてお休みになるんですけど。
学校行く前に子どもたちが来て、ご飯を食べて学校に行く。
夜は今、月曜日から土曜日まで、毎日。
これは学校がやっててもやってなくても、祝日でも子どもが来るのであれば毎日やってます。
今年からお昼も始めたんですけど、これは何かっていうと。
別棟に子ども食堂があって、ここはフリースクールフリースペースなんですよ。
うちに来ていたりとか携わっている子どもたちの中で、不登校生すごく多いんですよね。
なので、うちに携わっている子から優先的に声をかけて、少しずつ。
昼間の居場所。
うちに子どもたちだけでいるっていうのはやっぱり。
不安だし、お母さんなんかも不健全だし、将来変な方向に行ってしまうっていう心配もあったりとかして。
なので、ここで居場所をやろうっていうことになって。
ここは月、火、金でやってます。
月、火、金。
ちょっと人手が足りないので。
水木はちょっと他の事業というか、フードパントリーというもの。
食材を配ってるんですよね。
なので、それがあるので、そこはちょっと今開催できてないんですけど。
月、火、金。
で、お昼も提供して。
で、金曜日に関しては子どもたちでみんなでご飯作ろうよっていう。
そんな無理には言わないので。
やらない時もあるし、やらない子もいたりするんですけど。
基本、子どもたちが主体となってご飯の主体。
簡単なものですけどね、パスタ作ったりとか。
そんな感じなんですけど。
そんな感じで子ども食堂、朝昼晩やってますね。
子どもさんは結構たくさんいらっしゃる?
たくさん来ないです、うちは。
たくさん来ない。
朝も多くて5人ぐらいですかね、今ね。
もう本当にやり始めた時は20人ぐらい来てたりとかした時もあったんですけど。
やっぱり子ども、朝起きるの大変だったりとか。
朝ごはん食べない習慣が身についちゃってるので。
あざあざ行く必要ないでしょみたいなこともあって。
で、昼は今ここ登録してもらってるんですけど、4人ですかね。
来ても4人っていうところですね。
夜は曜日ごとに来る子どもたちが今違うんです。
そうなんですね。
毎日っていうか、週に何回も来る子もいれば、週に1回の子もいたりとかして。
06:03
それ事前に来ますとかって言っておくみたいな感じなんですか、子どもたちは。
そうなんです。うちは登録制の予約制みたいになってる。
じゃないと食材とかがありますよね、人数何人来るみたいな。
そうなんです。
ただ、そうは言っても子どもなので。
そうですよね。ちょっとずれるというか。
来るって言ってて来なかった。来ないって言ってて来たり。全然あるんですよ。
もうすごくその辺は困るんだけど。
でもやっぱりいろんなことを抱えてる子どもたちばっかりうちには来てるので。
そこはあんまり強く言ってもしょうがないのかな。
いじめだったりとか、人に傷つけるようなことを言ったりとか、暴力とかっていうのは絶対ダメだよ。
そこだけは和田さんも怒るよって言ってます。
その他のことはもう大概もう許す感じですね。
なので逆に子どもたちはもう許してくれるの知ってるので、もう舐められ放題ですね。
舐められてます。
和田さんの作ったご飯はもう重たいよとか。
重たい。そんなこと言うんですか。
朝ご飯重たいよとか。
この世なんかもうまずいから振りかけ出してくれとか。
何?
駅で言いますから。
それはちょっとなかなか舐められちゃう。
でもそこまで行けてるのがいいのかなと。
心を許してるというか、家みたいな居場所というか。
そうですね。
でもそれでやっぱりボランティアさん、私もそうですけど心を痛めたりとかはするんですよね。
なのでそれはぶつけるときもあります。
本当ですか。
反撃したりとかね。
そういうときもある。
それはそれで彼らは勉強になって学んでることだと思うし。
ボランティアさんに叱られてるときもありますけどね。
そうなんですね。
ここはどれくらいやってるんですか。
今7年やってます。
7年。
オープンしてそういう形、子ども食堂としてやって7年。
そうですね。
途中2022年にNPOにしてますけど。
そういうことですね。
じゃあ和田さんはなぜ今これをやってるのかっていうのはお聞きしたいんですか。
もともと昔トラックの運転手をやってたんです。長距離の大型のトラックで。
本当に立神川川崎で青森に行ったり九州に行ったり大阪に行ったり。
なかなかうちに帰れなかったんです。
最初はもう帰れるよ。
確かに例えば大阪から茨城県とかなんとか県、横浜も通るから。
帰ろうと思えば寄れる。
確かになんですけど時間がないのでほぼうちに帰ることもできずに。
家庭を壊してしまったんですよね。離婚をして。
09:00
ただやっぱり子供が2人いたので養育費を払いながらトラックの運転手をやってたんですけど。
2015年、子供たちは2人とも成人して養育費いらなくなったっていうところで大変なトラックの仕事を下りて
もうちょっと楽な仕事についてゆっくり趣味でも見つけて暮らそうかなと思ってたんです。
その頃にちょうど子供食堂っていうキーワードが聞こえるようになって。
テレビとかラジオとか新聞とかに。
貧困の子供を救うところ。
子供の貧困率は6人に1人相対的な貧困だって当時そう言われていて。
新聞とかでもそういうふうに子供食堂は貧困の子供を守るところだっていう。
実は違いますよ。
2012年に始めた近藤さんも他の団体の方も本当は違うんですよって言ってるんだけど
どうもその辺が上手く伝わらないというか
やっぱりどうしても先歩きしていることでしょうか。
貧困の子供を救うところ。
私もそれで、それだったら趣味を見つけてゆっくり暮らすのはちょっと先延ばしにして
少し手伝いでも自分の子供の子育てには参加できなかったけど
大変な子供がいるならちょっとお手伝いしてもいいかなと思って
横須賀に手伝いに来たんですよ。
もともと私は横浜の金沢区っていう。すぐ近くなんです。隣なんですけど。
そこでずっと暮らして金沢区から住処が出たことはなかったんですけど
50歳の坂井にこっちに来て手伝い始めて
その会がなくなることになってしまったんですよ。
もともと入ったというか。
手伝ってたところが。
なので新しく子供食堂をやろうよっていうところで決まったんです。
そこにいたボランティアさんがみんな行政の人だったりとか
大変な仕事とか忙しい人ばっかりで
私は仕事を辞めて人材派遣に登録して
夜の仕事を発展してもらったんですよね。
なるほど。夜勤みたいな。
夜勤。コンビニのお弁当工場とかパン工場とか
トラックも乗ったりとかしてましたけど
昼間空いてるから和田さん代表になってくださいって言われて
本当すごく嫌なんですけどそういうの苦手なんですよ。
だけどしょうがないな。みんなサポートしてくれるから
名前だけでもみたいな感じで代表になったのが運の月というか。
そういうことですね。
そうですね。
じゃあやるよっていう形になって。
始めたのがコミュニティセンターの調理室を借りて
12:02
2カ所のコミュニティセンターで月に1回ずつやったんです。
そこで見えてきた子供っていうか
やっぱりお母さんに暴力を売られてるとか
学校に行けてないとか
自分のスマホで自殺の検索をしたりとかしてる子供に出会ったりとか
これは月に1回で借りてる場所でやってて
この子たち相談も来れないし助けても言えないから
って思い始めるようになったんですよね。
そこをやったんですけど
もうちょっと昼間私空いてるので
もうちょっと寄り添いたいなと思っちゃったんですよね。
なのでそこの子供食堂の方向性を変えるのではなく
そこの代表シリーズを活かしてもらって
新しくここで始めたのが2017年。
子供食堂やっぱり少しでも多い方がいいだろうしっていうところで
今もやってて
そこから和田さんはちょっと別で始められて
毎日と言ったら毎日のような形
最初は3日でしたね。
最初は3日でやっていくうちにやり方が見えてきて
そうですね。なんで3日かっていうと
向こうの家、ここもそうですけど
家賃払わなきゃいけないんですよ。
家賃、水道、光熱費、食材費
だから月水金で老人ホームの夜勤で働いて
その給料で賄えるだけの活動をしようと思って始めたんです。
じゃあ今もそちらお仕事は普通にされていて
してません。
してない?
途中から辞めて今毎日やってるんですけど
そうなんです。
なので当時は週に3日だったけど
今は月曜日から土曜日まで毎日やっていて
朝もやっていて
昼も週に3日やっているみたいな
今の形が和田さんとしてはちょうどいい?
まだこうしようこうしようみたいなのある?
あります。昼はとにかく毎日までやりたいし
実は働いていた老人ホーム
上はお年寄りが住んでいるんですけど
下はデイサービスになっていて
夕方から開くんですよね。
今うちに生きている子どもたちって
行政の生活福祉課さんとか
スクールソーシャルワーカーさんとか保健所とか
から紹介された大変な子どもたちなんですよ。
ピンポイントでみんな大変なんですよ。
登録制の予約制になっちゃって
誰でもってわけでもないし
本当にオーソドックスなというか
15:00
普通の子ども食堂
誰でも来てもいい子ども食堂もやりたいと思って
実は6月22日から月に1回
そこの老人ホームを借りて
学生の力を借りて
和田さんも一応関わりながら
学生さんをそこに一緒にやるみたいな
今日の朝来た県立大学の生徒さんではなくて
また別のグループ
シーラボさんといって
食育サークルなんですよね。
色々バランスのいい食事を考えたりとか
手伝いたいっていうのと
ここから歩いていけるところに
三浦学園高校っていうのがあって
そこの生徒さんたちも携わってくれる。
なので大人目線じゃない
大人が満足して
子どもだからこれが必要だとか
じゃなくて子ども目線の
子どもが楽しめる子ども食堂を
やりたいなと思って
こういう形でやりましょう
というところで今話が進んでいるところです。
それは来月から取り組みが始まって
そちらの方にも行くようになって
どんどん和田さんは色々忙しいというか
やりたいんですよね
そうですね
ここでやりながらそちらもやって
本当は去年一昨年か
全部無償でやってるんですよ
食材の配達も結局
横須賀市から紹介されるということは
横須賀市全体なんですよ
大変な子どもを紹介される
横須賀市大きいですよね
だからみんなが来れるわけではなく
遠いからじゃなくて近くても
やっぱり行ったことないから
行きづらいとかっていうのもあるし
来れる子っていうのは本当にごく一部なんです
経済的に貧困な家庭もあるし
そうじゃないところも実はあるんです
でもそこも食材ちょっともらってくださいよ
いっぱいもらえすぎちゃって
せるのもったいないからもらってくださいよ
切り込んでいって
結局は生活福祉課さんにしても
スクールソーシャルワーカーさんにも
会えないところが多いらしいんですよ
アポイント取っても
実際には許す
自分も確かに嫌だなとかって思ったり
どうせ何か言われるじゃないですか
だけど食材持ってくると
だいたい玄関開けてくれるんですよ
そしたら中の様子が分かったりとかするので
それはちょっと報告をさせてもらったりとか
そういう子どもたち
横須賀市内でもそれ今28件あります
食材配っているの
それが水曜日木曜日に配って
水曜日に食材を集める
18:00
だから昼間ちょっと動けないんです
それをやるから
いわゆるお仕事としては
今おっしゃっていただいたようなことが
仕事になっている?
今NPOにして
一応自分の給料をそこからもらうという形にはしているんですけど
入ってくるものはないので
去年一昨年お弁当屋さんを始めたんですよ
これは何でかって言ったら
横須賀市役所の地下で
ただで売ってもいいよって
場所代はいらないよって
横須賀市役所の職員向けに配達してもらってもいいよ
あと横須賀市の一番高いタワーマンションがあって
その1階で場所代いらないから売っていいよ
ハチンク屋さんの前でもいいよって
ゼロからの出発じゃないからいいやと思って
それで始めたんですよ
ただやってみるんですけど
昼間めっちゃ忙しいので
そこの買い出しとか仕込みとか
夜中しかできなかったんですよね
夜中買い物に行って仕込みをして
朝5時とかになっちゃうんですよ
お店の前で車の中で寝て
6時になると従業員が来るので
申し送りをして
この付き合わせはこのお弁当に使ってねとか
ここまでやったから後は引き続きやってくれとか
申し送りをして急いでこっちに帰ってきて
今度朝の子供食堂の準備をして
もう1年間寝れなかったんですよね
寝る時間がかかってきないんですよね
それでちょっと体壊してしまって
心臓に来ちゃったんですよね
検査したり入院したりとかして
今は騙し騙し夜は寝るようにして
だからこれもオシャレじゃなくて
ニトロが入ってるんですよ
ネックレス自体に
この中に薬が入ってるんですニトロ
何か発作が起きた時に
でも発作は起きたことないです
ご信用というか安心のためにつけているので
そんなことがあったので
丸1年間やったお弁当屋さんは閉鎖してあったんです
今結構金銭的にかなり厳しい状態ではあるんですけど
でも大変な子供たちがいるし
何とかしてやっていかなきゃいけないというところで
それこそだからいろんな人に話を聞いてもらうのも
その活動の一つで知ってもらうとか
あとテレビの取材とかも結構来てくれて
それでお金の寄付も少し入ったりとか
お米とか食材も送ってくれたりとか
っていうのがあって何とか細々とできているところなんですよね
21:02
大の大人がそんな先の見えないような
アホがって言われちゃうんですけど
言ったらゼロからというかスタートしてやろうと思って
思いでやり始めて今に至っているじゃないですか
もしかしたら辞めようと思ったら辞めてもいいのかもしれないじゃないですか
確かにね
でも横須賀に移り住んできてやろうと思った時に
やっぱりある程度覚悟したんですよね
その覚悟の上にいろんな人の助けとかが乗っかってきて
もうこれは維持でもやめられないなって
そういうことですね
そっか、じゃあ今はその思い
皆さんのお力とかそういったもので
そうですね、それもすごく大きな部分ですね
でもやっぱり岡田さんがやりたいって思っているものがあるから
どこですかね
もともとそんな大それたことを全然考えていなくて
大変な子供に寄り添いたいなっていうだけで
当時からの理念っていうのも
子供の心と命を守るなんですよ
なんかすごい大きなこと言ってるなと思うかもしれないですけど
今の心の方が大切だと思うんです
本当に苦しんでいる子供たちって
しつけとか将来に勉強とか
必要なのかもしれないけど
苦しんでいる子供たちはそこではなくて
今の気持ちを分かってくれるとか
まさに今の今ということですね
それと命って言っても死ぬ生きる
今の死ぬ生きるだけではなくて
やっぱり今寄り添ってあげることによって
命を絶たないことも大切だけれども
幸せに暮らしていく人生も命の一つだと思うんですよね
なのでそこも含めて
なかなかそうは言っても難しいですね
何が正解かというのも分からないし
抱えているものは人それぞれ
全員違うので
みんなそれぞれの思いというか
表現の仕方というか
そういうのと全部違うから
それに対しての答えがあるわけでもないし
その時で相対していくみたいな
実際にいらっしゃるお子さんとかは
日も経ってきても
例えば卒業みたいなこともある?
ありますあります
今年もどんどん離れていく子もいるんですけど
最後まで携わっていた子どももいて
4人今年は送別会をしました
みんなで送り出すみたいな
年齢って言ったらどのくらいの幅なんですか?
幅は最初は小中学生から始めたんですけど
中学生が今度高校生になって
その時も送り出す会
送別会みたいにやったんだけど
結局ご飯食べられなくて戻ってきて
そうこうしていると
行政から紹介される大変な子どもたちって
24:02
高校生も結構いたんです
小中高まで入れたんです
去年は保健師さんからの紹介で
未就学児どころか
本当に生まれたばっかりというか
1歳児くらいから紹介されたので
18歳以下全部
プラスお母さんみたいな
お母さんも今2組子ども連れて
一緒に来てますね
例えば本当に小さい子さん
生まれたばっかりみたいな子って
またちょっと話が違うじゃないですか
全然違いますよね
いったい離乳食とかそういうところとか
いわゆる普段作ってるご飯とは
違う話になってくる
世話の仕方も変わってくるし
行ってやるんですね
そうですね
ただうちのボランティアさんなんかは
子育て終わってる人ばっかりなので
離乳食とか対応できないですね
私全然できないですけど
ボランティアさんが結構何人か
そうですね
曜日によっては夜は入ってくれてますので
すごく助かります
でもやっぱりやってることに対するというか
ボランティアさんの数は全然足りてないですよね
そうするとやっぱり
ここまでやれば十分みたいなところは
もしかしたらあるかもしれないですけど
それに加えてまた
いろんな次の課題
そうなんです
そういう感じですよねきっと
追いつかないみたいな
そうですね
まだちょっとお金が十分にあって
それこそ来てくれた人に
少し賃金払うとか
できればまたちょっと違うんでしょうけど
そこが今できてないですね
学生さんに対しても
交通費しか払えてないので
そこをちょっと何とかしたいな
とは思いますね
さっきの学生さんが
自分たちが食事を作るみたいな
やりたいことがあって
そことマッチしてっていうのは
すごくいいなと思いますし
そういうことをやってることと繋がっていくと
すごいいいですし
そこにちゃんと行政が見てて
交渉しようという感じ
どうなんでしょう
行政が入ってくるかどうかはちょっと分からないですけどね
だからこう
子どもたちを何とかしようと思って
いろいろ増えてきている
だから本当は
今今年4人
卒業していったじゃないですか
そのうち何人かはもう
方向性が変わっちゃってるんですよね
方向性が変わってるっていうのは
一人の女の子は
介護の世界に行きたい
って言ってたんだけど
結局は今辞めちゃって
介護の方向を辞めちゃって
飲み屋さんで
バイトエンダーやってますね
なるほど
一人は大学受かったんだけど
事業料が払えなくて
結局辞めて
27:00
友達の家に走路しながら
ファミリーマートでアルバイトして
将来が見えないみたいな
そういう感じの子が
結構やっぱり今まで離れていった子も
アルバイトしてもすぐ辞めちゃったりとか
建設で落とされたりとか
っていう子もたくさんいますね
そういう子たちが
さっき言った夜の
お弁当工場だったり
みんな行くんじゃないかな
そういう子ども
昼間働けない若者が
そこにたくさんいたんですよ
だからそういう子たちも
そういうところがあるって知れば
行く可能性はあるかな
そっかそっか
本当
実際始められた時もそうですし
今もですけど
未知なところにずっと行ってる感じ
ですよね
そうですね
だから本当はお弁当屋さんやってる時に
ちょっとやりたかったのは
そういう子どもたちを受け入れる
そういう子どもたちのお母さんも
引きこもりというか長い間
仕事につけてなかった
でも面接とか行くと
月曜日から金曜日まで
週に8時間
働いてくださいと
ハードル高いんですよね
だからお弁当屋さんで週に1回
2時間から始めてみませんか
そういうこともやりたかった
そっかそっか
いつかそういうこともできればいいな
と思うんですよね
子どもだったりお母さんたちが
社会に出ていくために
ワンステップでちょっと鳴らすみたいな
そういうことか
それができたらいいな
今すぐにはできないですけどね
はいはい
でもその思いはちゃんとある
なるほど
やっぱりさっきもちょっと
話したっていうか横須賀市内のある
NPOの
理事長に呼ばれて
食材あげるからって言ったんですけど
その中で
横須賀市に通されて
お宅
無償でやってるって
どういうことなの
ちゃんと運営成り立ってるのか
いや実は成り立ってないんですよっていうところから
いやいやそれはね
親の責任だから親に何とかさせろ
って言うんだけど
親が何とかなんないから大変だし
例えば
親が生活保護を受けていて
それがギャンブルで使っちゃって
子供がご飯食べられない
それでもうちは支援しますと
子供には何の責任もないし
この子たちはちゃんと色々学んでいったり
とかする権利もあるので
って言うんだけど
それは親にやらせろ
子供からもしやるんだったら
子供からお金を取れ
それが運営だって言われたんだけど
確かにそうなんですけど
運営をしたいのではなくて
30:00
子供たちに寄り添えてくれる
そこはちょっと違うんですね
はいはいはい
そういう風に言って
あまりにも言われたんで
その時に言ったことっていうのが
今本当に大変な子供たちって
たくさんいて
この子たちに寄り添うところが
何もなく
この子たちだけで
大人になっていくと
道を踏み外したりとか
っていう子供たち
若者になってしまうと思うんです
適合じゃないけど働いたりとか
道を踏み外して事件を起こしたりとか
人に迷惑をかけたりとか
刑務所に入ったり
施設に入ったり
それこそ生活保護を受けたり
これって税金を使ってるんですよね
みんな
でも今小さい子供の頃から
一人に孤立させないで
いろんなところを経験させたり
見せたりとかして
いろいろ導いてあげると
この子は昼間仕事にできるようになる
子供を産んで
幸せな家庭を持ってる
負の連鎖も断ち切れてるし
この人たちは税金を払う側なんです
っていう話をしたんだけど
結局分かってくれなかったんですけど
でも子供たちの
今に寄り添うってことは
長期的に
社会の役に立てる
ことなんだろうな
っていう風にこの間気がつきました
この間気がついたんですか?
理事長に言って
そういえばそういうことだな
理事長さんとお話しして
改めて思い返して
自分が喋って
気がついた
今までは本当に子供に寄り添う
そっかそっか
そっから少しずつ
あれしてきたんだけど
それがお話ししたことによって
自分も気がついたみたい
そっか
それは良かったって言い方あるんですけど
結局そこに
全部今やってることが繋がってるな
最初小中学生から
でもやっぱりもっと小さい子から
高校生で高校卒業した子も
やっぱり今も連絡を取ってて
就職が厳しい
ってなれば
ワンステップ
何かこう
社会に適合するような
仕事って初めてつくじゃないですか
最初そうですよね
失敗しながら
でもやっぱりさっき言ったように
人を傷つけるようなことを
言ったりとか
自分本位の考えだと
社会は受け入れてもらえない
っていうのをワンステップ
ここで教えていかないと
長く続けられない
その辺までできたらいいな
やっぱり最初にやられたことが
長くやってくることによって
だんだんとやりたかったことの
形みたいなものが
33:00
見出していくみたいなこと
それをさっきもおっしゃったように
喋っていくことで自分も
気づいていく
やってることは
同じかもしれないですけど
思いみたいなものは
徐々に変化
同じなんですかね
思いというか
一番最初に
思ってたことから
ブレてはないと思います
でもやっぱり必要なものが
肉付けされて
今に至るのかなとは思うんですけどね
やり方自体も
例えば運営とかも
ご自身でやっていくから
より洗練はされていくというか
そうですね
一番最初の頃は
街の子どもたちが来て
結構飛行に走ってる
虐待に会ってる子どもたち
結構その頃は
一緒に警察に行ったりとか
今は行政からの
紹介の子どもたちが
たくさんいるので
経済的な貧困だったり
心の貧困だったり
そういう子どもたちが多いので
学校とのやりとりとか
時相とのやりとりとか
そういうところのやりとりが
増えてますね
それは確かに最初にはなかったことですね
そうですね
実際
子どもさんの変化
って感じたりしますか
小さな変化は
いろいろあったり
とかしますね
例えば小さな
例えば
何かができるようになったりとか
学校に行けるようになったりとか
朝の子ども食堂を始めて
友達と朝来て
そのまま学校に行けるようになったり
なるほど
それはいい形
そういう小さな
気づきはたくさんあったりとか
するんですけどね
そうなるとやっぱり
嬉しいという感じ
そうですね
あとはちょっとした報告ですね
報告
例えば
夜中にLINEが来て
ちょっと障害のある子だったり
とかするんだけど
私の好きな子ができたんだ
告白した
めっちゃ嬉しかった
今までそんなことも
その子は
小学生からずっと見てて
高校生になって
ちょっと来たり来なかったり
アルバイトしたりとかして
なんですけど
でもフラれちゃった
恋ができた
それを報告してくれたっていうのが
すごく嬉しかった
それもまた小学校の子が
見てる子だったから
その子はちょっと
発達障害的なものも
身体障害的なものも
あって
手帳も持ってる子なんですよね
高校生に入って
36:00
アルバイトをしたい
でもやっぱり落とされるんです
行ってもすぐ
もう1日打つからクビになっちゃう
マクドナルドさん
フランチャイズでやっていて
金沢文庫からこっちの30店舗くらい
一気にやっている会社が
長屋枠っていうのを
作ってくれて
うちから紹介した子は
100%取りますよって
この長屋枠
何にも紹介してるんですけど
ただ担当者から連絡がかかってきて
かなり厳しいですと
言ったことが理解できないし
覚えられない
なので
普通には無理です
ただ辞めてもらうのもいいんだけど
辞めても他行っても絶対に
務まらないし
この3年後に
就職もできないですよって
言われたんですよ
そこでよかったら
考えながら
できることをやってもらうことを
提案したいんですけど
その担当者と
私とお母さんで学校に行って
担当者が
バイトの
承諾書みたいな
申請もしてくれて
マックで働くよ
その子は何をしたかっていうと
土日だけなんですけど
ひたすらポテトを揚げるだけ
ポテトを揚げるだけ
ひたすらやったら
それは覚えられるんですよね
でも最初の頃は手やけどして
私は辞めたいよって
友達と同じバイトやりたいから
飽きたからとか
結構来るんだけど
もうちょっと頑張ってみる
もうちょっと続けてみる
結局3年間続いた
そんで彼は
コロッケ屋さんに就職
ポテトを揚げ続けて
当時就職できないですよ
ぐらいのことまで言われたけど
とにかく油揚げるものを
3年間続けて
コロッケ屋さんに就職
嬉しかったですね
それはまた
すごい
嬉しいですよね
今年の4月から働きに行って
昨日一昨日ぐらいか
LINEして
頑張ってるよって
嬉しいですね
そういう
嬉しさも
あったりとかもしますね
これからも
引き続き続けていって
いろいろ課題はありながらも
課題はありますね
子どもたちの
今っていうところに向き合いながら
そうですね
卒業した後も
さっきの大学がダメになった子も
生活福祉課に相談に
39:01
生活福祉課さんは
うちが携わっているの知ってたから
うちに連絡くれて
うちが知っていることを全部
アドバイスをして
話聞けてよかったです
結局は
大学にもう一回行きたい
お金を貯めて
でも今の状態だと
無理じゃないですか
お世話になっているところから
出なきゃいけないらしいんですよね
一人暮らしをしながら
大学の資金を貯めるって
それで勉強しながら
大変なので
今までの
あれも
伝えて
今できることを
確実にやるように
進めてください
と伝えたんですけど
その子はそうやっていくのを
見守りというか
力を稼いだときは
どうなっていくのか
わからないですけど
でも和田さんはやるんですよね
そうですね
まだ今はやめられないですね
体が
持てば
でしょうけどね
まずは体には
ちゃんと寝る
寝るっていうところ
とか
寝れないときもあるし
夜中動かなきゃいけないときも
あるし
でもやっぱり夜中寝るっていうのは
頭の中に入れとけば
ずっと働くのは無理だけど
1日ぐらいなら
というところで
行政のできないことを
プラスアルファなんかしてあげる
それこそ
老人ホームでやる子ども食堂
誰が来てもいい
そこにはおそらく行政の目の届いてない
大変な子どもたちが来てると
そこは
父の目とか大人の目で
見つけてあげられる
子どもからやっぱりSOSは
なかなか出せないし
親から
暴力振られてるって言っても
じゃああざみしてみな
と隠すんですよ
親をかばおうとするんですよね
そっか
こっちから見つけてあげないと
っていうところですね
そっちは結構深い意味が
2本立てで
子ども食堂と
行政の目の届いてない子どもたちを
発見するっていうのを
2本立てでできればな
と思ってますね
それが始まると
いろいろ見えてくるものが出てくる
そうですね
いろいろやりすぎですけどね
そこは学生さんの力を借りて
やるので
42:01
こっちは口だけ出していれば
それこそ買い物から
何からやってくれる
ということなので
いろんな方の力は
自分一人じゃ
何もできないんですけどね
いろんな人の力を借りながら
助けてもらいながら
助言してもらいながら
以前はトラックの運転手をされていた和田さん
2015年に
そのお仕事をおやめになり
その後子ども食堂の運営をされ
現在は毎日無償で
子ども食堂を開いているそうです
和田さんは
子ども食堂をやろうという覚悟があり
維持でもやめられないと
おっしゃいます
じゃあ
お話として
お仕事のことは聞いたんですけど
好きなことは
何ですかって質問だとしたら
特にないです
特にない
もう本当に横須賀に移り住んできて
これがもう全てですね
朝から晩まで
そうですよね
お話をお聞きしているとそうだなと思うんですけど
もともとやめられて
ご自身で
何かゆっくり
っていう思いはあったわけじゃないですか
あったですね
どっか行っちゃいましたね
その時これやろうかなって
あったりしたんですか
全然わからないですけど
それこそゴルフやったりとか
マレージャー的なことというか
そう
キャンプしたりとか
DIYをやったりとか
わからないですよ
そんな風に
イメージは知ってた
でも今はもう全然
こっちのことは
全くですね
そっか
そうですよね
全部1日中
ずっとそれですもんね
夜は本当に寝落ちして
みたいな感じになっちゃいますね
結構やっぱり
昼間終わって車運転したり
子供たちと一緒にいると電話も出れなかったりとか
それこそメールの返信なんて
全然できないんですよ
だから子供たち送って
帰ってきて
買い物して帰ってきて
なるべくすぐ家に帰るようにする
仕事が残っちゃうと
資料作ったりとか
しょうがないんですけど
基本的には帰るようにしたり
自宅にね
それでメールをチェックして
返信しながら
もう横になっていると
そのうち寝ちゃって
実際関わってらっしゃるというか
いろんな方と
ご一緒しているでしょうから
やりとりもその分多いわけじゃないですか
しかも返信したらまた帰ってきたり
そうですね
1回返信したら終わりじゃないですよね
45:00
だからどうしても夜に回しちゃうんですよね
そうか
いっぱい
いっぱい
でもやるんです
やりたい
やる状況
やりたい
だから子供たちっていう
イメージではなく
一つの命なので
さっきもちょっと
学生さんに言われたんだけど
子供たちとの約束だから
すっぽかしてもいいとか
軽く見てもいいとかではなく
そこはあえて
一つの命としての約束なので
必ず守れなかったら
ちゃんと前もって
言うとか謝るとか
これは子供じゃなくても
やるべきことだと思うので
そういう意味で
もともと私
子供嫌いだったので
ちょっと待ってください
そうなんですか
そうなんです
明確に私
避けてきたものが
3つあるんです
それは子供と
人前で話すことと音楽
避けてきました
なのでトラックの運転しても
それ全部避けられるんです
そっか
子供は自分の子供が小さい頃に
例えば学校の保育に入ってて迎えに行ったりすると
他の子供たちも
来て
おじさんデブだとか
言いたいこと言いますよね
本当に心が傷ついて
嫌だなって
子供たちは避けてきたんです
人前で話すことっていうのも
苦手なんです
とにかく人が苦手だったんです
だからもう
子供の授業参加にも出たことないし
町内から掃除とかも
出たことない
人と関わるみたいなところ
へえ
そうなんですね
音楽って
音痴だしリズム感ないし
だけど
昔中学校の時に
バレーボール部だったんです
でも私性低いから
レギュラーにはなれない
AチームBチームCチームDチームって
たくさんいて
私Dチームだったんです
いつも荷物持ち
そこそこ強い学校だったので
元旦から練習
大晦日まで1日も休み
でも多少熱が出ても
一旦休まずに
いつも荷物持ちしながら
練習しに行ったり
とかしてて
先生が全国大会の入場行進
プラカード持って
歩かしてやる
でもそれ
練習するんです
練習分が合わない
降ろされたんです
そこから
48:00
人前で手拍子もしなくなりました
だから明確に
3つは避けて生きてきた
トラック長距離の
運転手を選んだのは
それだけじゃなくて
そこそこ結構いい
お金になったので
当時はやればやるだけ
その前に
いろいろ借金があったり
騙されたり
ある程度稼げないと
というところで
トラックの運転手を始めたんですけど
そう終わって
子供食堂に携わるようになって
子供がっつり向き合って
子供っていう感覚は
ないんですけど
一つの命というか
人前で話すこと
あるんじゃないですか
めっちゃあるんですよ
とにかく2017年に
始めて2015年ぐらいから
横須賀に来て
子供食堂って広まってないんですよ
誰も知らないから
広めるためにいろいろやるんです
やっぱり話を
特に
ここの長屋を始める
長屋を始めると
毎日のように始めるじゃないですか
テレビの取材が来たり
いろんな取材が来たり
あといろんなところに呼ばれるんですよ
子供食堂と言っても
ちょっと違うから
話を聞かせてくれる
本当に大きいところは
神奈川電気連合みたいな
これはどんなところかというと
富士通とか
大手の
組合が
集まったよ
その先には何千人もいるんですよ
その人たちが集まって
聞きに来てくれたりとか
コロナ禍になったらリモートで
向こうには何千人いるところで
話を
ギュロ吐きそうなくらいやだった
でもやるんですね
だから横須賀に来て
覚悟を決めて
死ぬと命をかけたと
思えば
1時間2時間くらいで終わるので
でも汗かきながら
ギュロ吐きそうなくらいやで
前日なんか最悪ですよね
このままどっか行っちゃうかな
神奈川経済同友会
とか呼ばれたんです
何かというと
京急電鉄の社長会長
東電とか
超大手の神奈川県
その人たちがいる
ところで
話をさせてもらったり
もっと長規模で
100人とか50人とか
もっとありますよね
それが横須賀
横浜だけじゃなくて
他のところからも
51:00
呼ばれたりした
めっちゃ嫌でしたけどね
もう慣れたんじゃないですか
全然慣れないです
多分そういう機会あるでしょうけど
今日もだから学生が
8人くらい来た
それも本当に実は嫌でしたね
でもこれは
自分のことをこの活動を
知ってもらうために
ボランティアも必要だし
お金も必要だし
聞いてもらうことはなるべく
さすがに去年
今年初めの方に
平塚の方で講演してください
って言った時に
お断りしたんですけど
そういう
呼ばれて自分がいけなかった時のことを
考えたから
ちょっとそういうのは
遠慮させてもらったんですけど
ここに来て話を聞いてくれるレベルだと
今は再開してます
もともとそんなに苦手なのに
めっちゃ避けてきたのに
子どもと人前で話すこと
あと音楽も
やっぱり
イベントをやったんですよ
知ってもらうために
その時に子ども食堂の歌を
私作ってCDにして
歌は歌ってないですよ
歌は別の人に
作詞をして
CDに
音楽も多少
携わっているので
だって嫌だったらやらない感じがするんですけど
それ結構やってますよね
結構やってますね
結局歌う人に
選択もらうんですけど
呼ばれたりとか歌に挙げられたり
手拍子とか
一緒に参加しなきゃいけないですよね
すっごい嫌なんですよね
それは流石に逃げたりしますけど
でも自分発信じゃないですか
そっかじゃあ子どもと人前での
音楽は嫌だけど
どうやら今までも
避けてきたのに50を境に
この子ども食堂を横須賀に来て
なんかやっちゃってるなみたいな
これねすごく
なんだろう
変な話があって
子ども食堂やろうかやらないか
っていう時に
トラックの仕事を下りてすぐぐらいの時かな
ある機会があって
タロット占い
ありますねタロット占い
あるでしょ
3枚選んでくださいって言って3枚選んだんですよ
なんかの機会に
トランプみたいなのがあって
タロット占い
3枚選んでください
子ども
発信音楽
が出てます
これを
発展すればやれば
発展して成功します
でもその時は
子ども食堂やろうなと思ってないんですよ
いやいやそんなわけないでしょ
避けてきてる
よく当てたね
3つみたいな感じだったんですけど
まさか
今思い返してみれば
54:00
あの時そんなこと言われたなって
もうその時に言われてたんですね
そこに行くってことが
すごいなタロット占い
その時はだって
思いなかった
子ども食堂あるなとか
手伝ってみようかなぐらいな感じ
やろうなんて
全然思ってなかったですね
そう思うと今はがっつり
それと
成功してるってことは
開けて良くなってきますよってところに
身を投じてるってことですよね
その占い通りであれば
でも成功っていうのは
多分ないとは思うんですけど
ああそうですか
なんか不思議な
仕事がありましたね
面白い
そこにまるで導かれている
だから50前に
トラックの運転をしたりとか
昔はやんちゃだった時も
あったりとか
人のために何でやらなきゃいけないの
お金ちょうだい
いくらくれるのみたいな感じだったんですよね
それが今では
お金をもらうどころか
タダでやるどころか
もっと自分の
命を削ってじゃないですけど
自ら捧げるぐらいに
人のために
自分を費やしてるっていう感じですよね
そうですね
だから昔を知ってる友達なんか
やってるのって話なんですよ
全然違う
やってることがまた違うわけだから
それこそさっきもちょっと言ったんですけど
昭和58年
私が高校
1年生の時なんですけど
その時ってデータを見ると
世の中の
若者の歩道率が
最高にピークなんですよ
はいはいはい
昭和58年
今は大きさなんですか
1年生です
その頃ってやっぱりもう
不良が流行ってた
イメージとしては
そういう悪い学校に
私行ってたんですよ
みんな
それこそ
長卵とか
土管とか
カバンには
ナイフ入れたり
そういう時代だったんですよ
コンビニとか行くと
みんな普通に万引きするんですよ
どうよろうと当時なんて
コソコソじゃないんですよ
でも私は
万引きってこの方
生まれてこの方一回もしたことないんですよ
見てて
いいなとは思ったけど
そういう環境というかみんなやってる中で
自分だけはしたことない
それがちょっと自慢になったんですよ
今度横須賀に来て
そんな話をすると
当たり前でしょ
って
昔は自慢だったけど横須賀に来たら
もう自慢じゃなくなりましたね
確かに
57:00
当たり前だけど
当時はやることが当たり前だったのにな
って思いながら
時代としてはそうですよね
悪いっていう
そんな時代を経験してるので
悪い子供たちの
気持ちも分かるし
大人からこう言われたりとか
警察に捕まれたら
どういうふうに思うかとか
どういうふうに対応するかとか
っていうのが分かったり
ご自身の思いが
そこを照らして
今子供がこう思ってるだろうな
みたいなことに
それとか本当に殴り合いの喧嘩で
顔がこんなに腫れちゃったりとか
そういうのを見てるし
暴走族で
事故を起こして死んじゃったり
する友達もいるので
ちょっとやそっとの事件だと
そんな動揺しなくて
冷静に判断できるとか
そうかそうか
体制がついてるわけですね
そういう経験は
今のためになってるな
って思いますね
そうか
なるほど
本当にいろんな経験をされてきてる
っていうのも
確かに
やっぱりトラックの前は
色々職を転々としてたり
やっぱりその仲間とか
っていうのは未だに
つながりがあったりとかして
その経験っていうのも
今生きてるなっていうのは
ありますね
長く働くっていうのは
夢だったし
長く働ける人ってすごく尊敬するんですよ
だって長く働くってことは
絶対何か大変なことって
乗り越えてきてるじゃないですか
はい
なので尊敬するんですけど
当時は
もう職を転々として
マイナスなイメージ
しかなかったけど
今考えてみれば色んな経験ができてるから
それが生きてるし
色んな人が助けてくれる
っていうのは
あるので
色々な今までの人生の経験の中で
何か役に立ってるな
ありますね
今思えばこれはあの時の
あれかなみたいなこととか
営業した時もあって
MSシュレッダーとかね
知ってます?MSシュレッダー
シュレッダーは分かりますけど
MSシュレッダーっていうのは
今もそうなんでしょうけど
大手の
メーカーなんですよ
そこから色んな所に
OEMで出して
やってて
当時私が行った時は
株式上場するとかしないとか
次の年にしたのかな
持株制度があって
みんなお金が
バブルのちょっと
尻尾の頃だったんですよね
その頃もね
当時
アフロとこんなでっかいパーマ
1:00:00
かけてて
そうなんですね
でもそんな所が
中途採用で募集して
冷やかしじゃないけど
10人くらいいて
2人だけ雇ってくれた
そのうちの1人なんですよ
アフロで髭で行って
ただその支店長は
髪の毛と髭を落として
髪の毛ちゃんと
できるかって言われて
明日までにやってきますって言ったら
採用してくれて
そんな義理もあって一生懸命営業して
川崎の中原区担当になったんですよ
そこにね
富士冊子っていう
冊子屋さんの本社が
そこにあって
本当はそういう大手の本社っていうのは
言っちゃいけないんですよ
うちの本社の担当が
必ずいるんです
でも1回潰れてるんです
何年か前に
だから担当者いなかったんですよ
そっかそっか
でもまあ言っても
大きな会社なので
門で門前払いなんですよね
でも毎日
そこ通ってたので
主役さんと話ししながら
少しずつ情報聞けるんです
担当は
総務課の
太坂課長だっていうところまで聞いて
太坂課長って
そんなに名前いないじゃないですか
北に住んでるってのも聞いて
当時電話帳があったんで
電話帳知らなかった
一件しかなかったんですよ
日曜日に
貸し売り持って行ったんですよね
あったこともない
そしたら
ゴルフに行ってますって
奥さんが出てきて
クッキー置いて帰ってきたら
次の日めっちゃ怒られて
電話かかってきた
お前来いと
めっちゃ怒られたんですけど
中に入れたんですよね
ああそうか
直接行って
入れてくれて
すごい特徴があって
目が固めなくて
自分がいるだけでも
二箱ぐらい吸ってるんですよ
ヘビースモーカー
すげえ
叱られて
でもその時は
また来いみたいなことを言ってくれて
次の時にマイルドセブンを
2カートン買って
昨日パチンコで出たから
課長は
タバコ取ってきましたよ
何回か行くんだけど
営業マンだろう
なんで営業しないんだと
ああそうか
怒られたから営業する気持ちが全然なかった
そのこと言ってくれたから
じゃあ
いいんですか営業して
MSシュレッダーやって
いやいやうちは全国に
シュレッダー入ってるんだよ
そうですか
じゃあもし
いろんな工場とか営業所とかから
1:03:00
申請があったら
考えてもらえますか
うちも全国
展開していたので
全部支店を探して
工場探してここに行ってくれ
あそこに行ってくれってやったら
全部から
とにかくみんな機械が古い
新しくしたい
その申請が全国から
すごい
課長もすごくびっくりして
次の年の予算で
全部に入っちゃいました
それすごいですね
はあ
当時ボーナスも
年に2回だったところ
もう1個増やしていくかなって
っていう経験も
今だったりとかいろんなところで
ちょっとだから言ったら
独自のやり方であんまないやり方で
本当は若いからできたんでしょうね
そうですよね
そんなこともありましたね
へえ面白い
それが今にも
諦めちゃいけない
っていう
靴の営業マン
先輩から靴の営業マンの話を教えられたんですよ
何かっていうと
ある年に新人で靴屋さんに
新人が
2人入りました
アフリカに
出張で行ってきなさいって
2人に命じられて
で帰ってきてどうだったかって聞いたらしいんですよ
で1人の人は
いやアフリカ無理ですね
だって
誰も靴履いてない
はいはいはい
でB君は
いやめっちゃいいんじゃないですか
誰も靴履いてない
っていう
発想を持ちなさい
っていう先輩
それもちょっと生きてる
なるほどなるほど
そういうことですね
視点の持ちようで全然違いますもんね
そっか
それが今も和田さんが何か普段されてることでも
どっかこう
諦められないんですよ
何かこう見つけちゃうのかな
何かもうちょっと
変なツキがあるんですよね
何かこう困ったことがあると
助けてくれる人が現れたりとか
お金がどうしようもなくなった時に
寄付がポンって入ってきたり
何か
でもそんなの綱渡りだから
よくはないんですけど
今まで本当に何とかなっちゃってるな
みたいなところはありますね
そっか
不思議それは何でしょう
分かんないほうがいいのかもしれない
何かでしょうね
何か持ってるんですね
ずっとそれが続くっていうのは
あり得ないので
やっぱ何とかしなきゃいけないなとは
思っていますけど
昔からだから
寝ないで遊んだりとかしてたので
ちょっと大丈夫な
っていう自分の感じがあるんですかね
今までずっと
1:06:00
だからそうなんですよね
もうそれで慣れちゃってるので
そっかそっか
人が寝てる時にこう動いたりとか
全然苦にもならないし
トラックの時も
寝ないで走ってましたからね
そうか
そうなんです
こんな奴がいても
いいかな
自分の一つの命で
たくさんの命を何とか
導いてあげることができれば
っていうような感じです
そっか
子供は嫌いっていうのが
途中で衝撃できちゃった
そうですね
今だってほんとにもう
なめきなこと言ってますし
普通に普段毎日付き合ってるのに
嫌いって言っちゃうのか
でも付き合うんですね
逆にどうなんでしょう
好きだとまたちょっと違うんですかね
分かんないな
その距離感というか
今はね
嫌い
言われた時はすごく嫌な気持ちがあるし
でもやっぱ
そういう子だからうちが必要なんだ
っていうことも
あるし
だから
嫌いって跳ね抜ける
のではなくなっては
嫌だけど
何とかしてあげなきゃ
そういうことをするってことは
何とかしてあげなきゃ
でもそういうふうにするってことは
それで大きくなって他の人たちにやったら
みんな離れていっちゃう
そっか
嫌だって言って
距離というか跳ね抜ける
だとそれ以上に
それは嫌なんだけど
しっかりと受け止めて
一緒にいてみたいな
今に向き合うみたいな
めっちゃ心痛みますけど
大丈夫ですかって感じですけど
本当には
でもそんな人が
たまにいたっていいんじゃないですか
そうですねって言っていいのか分かんないけど
そうだと思う
実は子供が嫌いという
驚きの事実を
お話しくださった和田さん
本当は避けてきた
子供、人前に出ること
そして音楽
その3つに思いがけず
今は向き合っています
子供の今に寄り添いたい
子供の心と命を
守りたいという思い
どうぞお体には
気をつけながら運営を続けていただければ
と思います
和田さんありがとうございました
それではまた次回
ユイナワさんのキクヒトラジオで
お会いしましょう
01:09:08

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