1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v.101 ダンスの先生・石黒裕美..
2024-06-06 54:58

v.101 ダンスの先生・石黒裕美さんに聞く「海、そして犬」

今回は、千葉県館山市でダンスの先生をされている石黒裕美さんにお話を伺いました。
館山に移住して6年になる石黒さん。ダンスを教える道がそのままお仕事として、今に至るそうです。
そんなダンスのこと、そして館山に移住されてきた経緯について、お伺いしました。
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00:04
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は千葉県立山市でダンスの先生をされている、石黒裕美さんにお話を伺いました。
立山に移住して6年になる石黒さん。
ダンスを教える道がそのままお仕事として今に至るそうです。
そんなダンスのこと、そして立山に移住されてきた経緯についてお伺いしました。
東京も行ってるんですけど、東京は月2回だけ行ってて。
まだもっと行ってたんですけど、コロナもあったし、あともういい加減そろそろこっち側に。
移住して6年目なんですけど、ちょっとずつっていうので。
ただスクールだけが抜けられなくて、抜けられないというか抜けられないので、院際だけ残してるって感じですかね。
もともとダンスを教えてられてるっていうお仕事をしてる長く。
ってことはもともとダンスをやってたんですよね。
そうですね。最初からダンスの先生なんですけど、ダンスの先生というか、私バリバリダンス講師園世代で。
普通にダンスを学校でもやってたしみたいな、習いに行くというよりも。
そこからたまたま、全然進学した先行が音楽なのでそれ関係ないんですけど。
そこで時にスポーツクラブでバイトしてて。
ダンスのレッスンとかをやって、お金もらえるならロッキーみたいな感じがもともとのスタートだったんです。
そういう感じなんですね。そもそもダンスをずっとやってて、じゃなくて。
じゃなくてです。私はたまたまダンスの方が成功したっていう。
音楽をやってて、ダンス。
オンラインに行ってたんですけど、オンラインに行ってた時にたまたまスポーツクラブに。
なんとなくダンスがスポーツクラブに入り出したときに。
そっかそっか。
そのまま、踊れるなら教えるかみたいな感じがスタートですね。
音楽はどんなことをやってたんですか。
大学専攻は声楽です。
声楽なんだ。すごい。
全然関係ない仕事なんですよ。
ちょっとそうですね。
でもそれできっかけとしてはそういうきっかけでダンスをされて、教えるようになって。
03:03
そうです。
教えること自体、ダンス自体はそこから学び始めてみたいな感じですか。
学び始めるのは、学んでから続けてやったのは高校生の時とかもテレビで流れて。
あの当時はダンススクールって都内の一部しかなかったし、そんな身近じゃなかったので。
確実に拾い上げですよね。映像を見て拾って。
なるほど。自分でやっていくみたいな感じ。
そっか。
そのベースのところなので。
そっから、今はいっぱいいろんなジャンルが習いに行けるので。
ダンスをやりながらも、別に自分でスタジオに習いに行ったりとかはしてましたけど。
それがだんだんと職業というか教えることになったんですか。
そうです。最初からですね。
私、一回も就職ってことはしたことないです。
そうなんだ。
ずっとフリーナンスで。
すごい。
ダンスを教えながら、あとはトレーニングのトレーナーをやって。
ずっとそのまま、今に至るって感じ。
そうなんですね。ってなると結構自分で切り開いてる感じしますよね。
そうなんですかね。
その道があるわけじゃないじゃないですか。そもそも元々。
そうなんですけど、そこからは予防のつながりとかね。
テレビの仕事とか、ああいう仕事とかもそれなりに話はあったんですけど。
結構高速時間やら何やらすごいカットしっていうので。
別に今はダンスで仕事したいっていう人は多分ああいうのをやりたいんですけど。
私、元々それがないので。
教えてお金をもらえた方がお金がもらえるじゃないですか。
仕事を習いだすなら、そっちのほうがいいやっていう感じで。
ほとんど本当にセンスを教えるっていうところから。
途中から子どものスクールですね。子どもたちのスクールにやり始めて。
本当に今に至るって感じです。
別に特に何かをしたわけでもなく。
オーディションとか受けましたけど。
オーディションとか受けましたけど。
自分の中でこういうビジョンがあって。
そこにじゃなくて、やってるうちに見えてきた道を進んできたら。
そうです。
たまたまあったというか。
要は2番目に好きだったものが仕事になったっていう感じですか。
もともとは聖ガス。
歌の仕事をしたかったので。
いろいろあって。
別に仕事として成り立つにはちょっと難しかったりもするし。
音楽業界に知り合いが多いんですけど。
その時間はちょっと持ってなかった。
そこからそれとダンスの方が仕事として成り立ちやすかった。
今は結構難しいと思うんですけど。
でもそれでも立山に移住して来られて。
千葉の方とか東京に教えにも。
そうです。最初はそこと。
06:00
去年、一昨年の7月にこっちで立ち上げた。
DDSっていうチームのダンスサークルを立ち上げて。
今、何人かな。
35人?
すごい。
35人?
立山で週に何回?
月2回です。
どこか場所を買って。
コミセンを借りて。
場所を借りて、そこで来てみたいな感じで。
来週のビーチマーケットも踊りますし。
去年一昨年そうですね。
ちょうどコロナ禍だったので。
引っ越した時が令和3年台風だったんですよ。
あの時にもう移住するっていうのは決めてたんですけど。
大阪の方でこの家見に来るって言った日の
2日前が台風15号で。
なるほど。
そんな見に行ってる場合じゃないなって話になって。
まず最初に災害支援に入りますって言って。
災害支援に入って。
そのうち災害支援でこっちに通ってるので。
そのうちに見つかればいいやと思ったんですけど。
結構割と荒れた近で。
今のお家なんですけど。
娘さんが東京にいて。
もともと東京の人で。
もう東京に戻ってきてくれって言われて。
家に入れられるの怖いので。
で言うとお節介にその話があって。
今の家を誰かに譲りたいんですけどっていう話から。
結局9月にあれが台風があって。
10月に今のお家が決まったっていう。
だからもうその際の中に引っ越している。
そうなんですね。
あんなことがあったときに言ってた。
周りの人もあんなことがあったところに
引っ越してくるの?みたいな。
京北のお客さんたちはみんなあれを聞き
移住はやめたんでしょう?みたいな感じで
言われたんですけど。
いや移住します。
で引っ越してきたので。
そのうちすぐコロナになったじゃないですか。
そうですよね。
だからだんだんだんだんこっちで
もともと立ち上がる予定だったのが
ちょっと後ろ倒しになって。
で2年前に立ち上げて
今やってる。
そっかそっか。
そのときに藤浦さんと知り合いに。
あーそうなんですね。
ヤシロさん通じてなんですけど。
そういうダンスカルチャーを広めたいっていう人がいるんだけど
お客さんちょっと繋がってみる?
繋がってみない?みたいな話で。
なるほど。そういうことですね。
そうなんですよ。
でビーチマーケットじゃ踊りません?みたいな話になって
イベント的にもビーチマーケットで
そのときはこっち立ち上げてなかったので
印座の子供たちに
ちょっと浜辺で踊る?みたいな話で
連れてきて
そこがキレイ
それ見た人がちょっとやりたい
みたいになったところがスタートだったんです。
そこもまたそれをアクション起こしたことで
09:01
そうですそうです。
そこからこう
インスタ
でもインスタが結構大きくて
インスタでの問い合わせから入ったこと
あとその横の繋がり
大人もやってるんですけど
そうなんですね。
ジャンルヒップホップでしょ?
そうです。
もともとずっとヒップホップをやっているっていう感じ?
そうなんですよ。
それなんでですか?
そのときの世代ですよね。
ダンス高校でやっぱりヒップホップだったので
私はヒップホップが一番しっくりきたという
なるほどなるほど。
同世代だと一番多いのは
ずっと小さい頃からバレエをやってて
ジャズダンスをやっててっていう
バレエの子が割と多いんですけど
ダンスってそういうものしかあまりなかったので
それで
そこはちょっと違うなみたいなところで
そんなにクチッとやりたくもないし
遊びの延長上で
その辺で踊れるんだったら
そっちのほうがいいっていう感じがスタート
ですけど
まさかそのときは
それが仕事になるとは思ってない
そうですよね。
それでずっとやってるんですよね。
そうですね。
大変は大変ですけどね。
やっぱり教えられている
もともとやるのと
教えるのって違うじゃないですか。
そうです。
だから
ダンスが上手な人が
教えるのが上手いかっていうと
それはまたちょっと別で
できないところをできるようにしたところから
スタートだったので
割とそこは伝えやすかったですね。
そっかそっかそっか。ご自身のこともあるから。
最初からずっとダンスで
やってた人ではないので
だからそれで
そうですね。
結局
好きな振り
先生の振りとか
動きとかで
人が変わってくるので
そんな感じで
長くやられていると
教え方みたいなのも変わってきたりとか
変わります。変わりますというか
変わります。やっぱりその分の経験値も
溜まってくるわけだから
割と
どんな人でも
大丈夫です。今で言うと
発達障害とか
障害者の
方とかも
生徒にもちろんいたし
そういう子も今現在いるので
別にそういう子が来て
どうしようどうしようってことはないんですよね。
そういうところは。
じゃあもうそれで
なるほどね。で、立山に来て
そうです。立山に来て
やれることは
ダンスしかないので
っていうのと
今現在牧場でも
働いてはいるんですよ。
そうなんですか?牧場?
そうなんです。動物に関わる仕事が
したくて
そうなんですね。
犬の保護活動をしていて
その関連で
牧場はたまたま
知り合いが
12:00
ラップのお興味ありますか?って来て
いろんな
趣味なくはないけど
割と
そういうのに乗っかるタイプで
自分で別に
やりたいっていうところじゃないところから
繋がると
もしかしたら楽しいかもって
なるほど
ハマったんですよね。楽能は。
そうなんですね。
結局
ダンスの仕事を減らして
楽能の仕事を
最初週1回だったのを
週3回いってるんですけど
半分いってるくらいですね。
な感じで
引っ越して生活したいのは
コロナがいても一番大きいですよね。
そうですね。いろんなことが変わって
あの時に
東京の仕事はずっと
やってはいたんですけど
彼らの某有名な
マッチョがいっぱいいる
ゴールドジムのスタジオのディレクターを
ずっとやってて
コロナになって
こっちに引っ越した時に
実はやめようと思ってて
1年くらいやってから
東京に毎週2回3回も
通えないし
だけどコロナになって
みんながパニックで知らせたので
3年くらい続けたんですけど
2年くらい前に
16年くらいやったんですけど
ほとんどほぼ
あと委員さんの仕事がなければ
全部こっちに
先ではそういう感じ
残しながら
そういうのって
意外と
ちょっとずつ
こっちに
と言っても
行進をそどってないといけないので
そこはもう長いんですか
そこは長いです
東日本大震災の
あの日からです
あの日そこに行った時から
13、14年くらいですかね
あーそうなんだ
そこはずっと長らくやっていて
生徒さんも
そうですね
ちょっとずつ
まあいいんですけど
距離が
120kmあるんですよ片道
そんなにあるんだ
結構あるんです
東京の方が近いです
そうですよね
千葉県ってやっぱり広いんですよね
あーそうですね
最終的には立山で
目標は
80歳以上のおばあちゃんたちのヒップホップのチームを
作りたいっていう
おーすごい
それが最終目標なんですけど
なんかダンスを
教えてらっしゃるのと
別にそういう
年寄りの方の
やってますやってます
運動教室みたいなの
1個一番の被害が大きかったの
メラのチームと
手前のカンベと
2つやってるんですけど
一応ストレッチって言った
運動教室っていう名の
ところで
15:00
騙して最初の方にダンスをやらせたんですよ
言っちゃった
運動教室ね
でもだいぶノリが良くて
えーいいですね
最初からヒップホップをお手伝いましょう
って言うと全然やらないんですけど
音楽に合わせて体を動かす
楽しいよねみたいな
楽しいみたいな
なので
それをもう本当に
すごいこだしにこだしに騙して
その80歳代以上の
ヒップホップ曲を
やりたいっていうのは何ですか
えーと
どこだっけ海外の
ドキュメンタリー映画があって
OGホームとか
施設で
職員さんが
お年寄りたちを元気つけるために
ストリートダンスのチームを作ろうって
言ってそれを世界大会に出たんですよ
あれなんてタイトル
なんかそれちょっとね
今あれって思ったんですよね
結構有名です
それ見て
それいいよなと思って
子供たちは変なのし
別に黙ってても
ダンスするので
その親たちも結局
私たちの世代だとやりやすいんですけど
さらにうちの親たちになると
ダンスホール世代なので
昔の
だけど踊ることに
そんなに抵抗はないんですよね
好きな人はすごい好きだし
それで
書きづく
だったら書きづくし
あとは横のつながりも
家から外に出したいっていう
確かに確かに
コミュニティ作りみたいなものにも
なってくるし
やりたいって言ったきっかけは
令和元年台風で
やっぱり中に入っちゃった人たちも
結構いて
家も雨漏りも
すごかったし
このドヨンとした空気が
変えられるといいなっていうところで
じゃあお年寄りの
ダンスチーム作ったら楽しいかなっていう
ところから
が最終目標ですけど
そこはちょっとなかなか
すぐには間に合うので
切り崩して
私を知ってもらえれば
やりやすいじゃないですか
最初は少しですね
せららないうちに
ステップ踏んじゃってるみたいな
どう始めていったんですか
それはですね
富崎の地区に
西風の時に
ボランティアでずっと入ってきて
むしろさっき言ったら
吉野さんとか
まだ森さんが市議会議員だったので
森さんとかも
ボランティアやってて
森さんは来れない日は
結構水の差し入れや
スポーツの差し入れとかしてくれて
あそこの
お家たちの屋根とかに
めっちゃ登ってブルーシート履いて
それで
吉野さんの方から
この雰囲気を打破するために
体も動かしてないし
18:00
ストレッチみたいなのを
あの時は
補助金みたいな形で
やったんですよ
それを機に
富崎の方でやりだして
やっぱり
外に出るっていうきっかけのひとつで
そこから
体動かすってやっぱ気持ちいいね
みたいなところで
それをやっていったら
そこからそこに出入りしてた
福岡支援センターの保健師さんから
富崎公民館の方で
定期的に
そういう運動教室をやりたいっていう声がある
っていう話で
もう紹介したんですけど
いいですかって言われたので
ぜひぜひ
その月1回そこでやり始めて
なるほど
看護は
看護公民館というか
旧看護小学の
鏡がある
職員室のところにあるんですけど
そこが結局
動くものとかで
施設を利用する率がすごく低い
なるほど
ちょうど後輩がそこで
子どもたちのダンスをやってたんですよ
そういえばそういう話が
あって
子どもがこっちでやってるので
そんなに広げたくもないわけじゃないんですけど
大人もやりたいって言ってましたよね
みたいな話から
そこの館長さんと繋げてくれて
運動教室みたいな感じで
月に最初3回教室みたいなので
やります?みたいなところで
そのまま
繋げてくれたというか
それはもう本当にそこの
そっか
館長さんのおかげで
それでこの場所も
活性化する
はいはいはいそうですよね
ところですかね
自分からやるやるって言ったわけじゃなくて
なんかファーっとやってきたものは
一応やるっていうタネは巻いといて
タネは巻いといて
そっから来たのを全部捕まえた
そっか
それいいですよねそういう流れって
そうですね
やっぱり活動繰り返して続けていけば
だんだんとそれも認知も広がってきて
その地区から
別に他の地区でもいいんですけど
広がって
なんか
要は体を動かしてくれれば
その時に音楽流れて体動いて楽しければ
それでいいなって
そんなにダンスってそんな難しい
式が高いもんじゃないよっていう
心を広められれば
いいなって
実際じゃあ
東京とかいいんじゃない
そういうとこでやられてて
こっちに来てなんか違いがあったりします
それはそんなない
それはね子供に関しては
ないですかね
むしろこっちの子の方が
ストレスは少ない気がします
それを感じますか
おお
ちょっと県北とか東京に近いとこが
ストレスを感じる子が
多く感じる
本人はそういう感じではないんですけど
21:00
感情的に
多分安定してるのはこっちの子の方が
安定するもちろん
どこの地域も
やっぱり不登校だったりとか
建物すごい多いっていうし
そういうところは別としても
やっぱり自然が多いところって
あと
中学が少ないじゃないですか
やっぱそうですよね
確かにそうですね
中学生とかになっても
なんか素朴だなっていう
それは肌で感じる
道歩いてても近所の子たちも
知ってる子じゃなくても
ちゃんと挨拶する子が多い
こんにちはっていう子は
多いですね
東京は
多分皆無だと思います
なるほど
生徒とかだったら
言うと思うんですけど私に
あんまりないですかね
5年の前は市川に住んでたので
市川に住んでた時は
いや
近所の小学生に挨拶されたっていう
記憶はあんまりない
むしろ東京とか
県北って知らない人に
声をかけられても返事しない
っていう教育をされてるので
だから
ちょっとだから
昔の日本っぽい
っていうのがまだあるっていう感じですよね
なるほどな
ここで育ってる人とかはそこまで
感じてはないんですよね
そういうことには
気づかないんですけど
それか
これが普通のことだとだんだん
普通じゃなくなるし
横のつながりがなくなるじゃないですか
むしろ隣に住んでる人すら
わからないし
知りたくもないみたいな感じなので
こっちはそうもいかないというか
こっちは普通に
自然とつながっていく
やっぱり災害もあったり
台風が多い地域とか
何かあった時に助け合えないと困る
っていうので
わりとそれを無理やり
コミュニティをつくる文化があるじゃないですか
市の市役所からもそうですけど
だから
私わりとちっちゃい時が
もともと出身は
埼玉県の伊里市なんですけど
伊里ってわりとそういう地域です
多分東京の下町の
流れ物がいっぱいたどり着いた
区域だったら
近所付き合いしないって
何?っていう感じの人たちばっかりだったので
幼稚園も
全然知らない子のお母さんが
近所のおばちゃんが持たれたいとか
送りまいしたり
そういうところで育ってて
そういう感じだったので
居心地よかったんですよね
私的に
だからさっきおっしゃられたように
立山に来る玉倉とか
選択を
移住しようって思ったのは何ですかね
海のそばに住みたかったんです
スポーツをやってたってのもあるんですけど
やってたのもあるし
多分相性が良くて海と
そっかそっか
自分で感じてて
前足とアトピーが生まれつきずと前足とアトピーで
24:00
今も現在もそうなんですけど
海に入るとちょっと調子いいんですよ
なるほど
海なのかなみたいな感じで
場所はいくつか候補がある中で
玉倉は結局小さい時に育って
母の実家が
おばちゃんたちが玉倉だったので
親しんでいた地域というか
お墓も向こうだし
あるし
そうなるとそうですよね
思ってたんですけど
やっぱり海汚いので
そうなんですね
よいが浜とか
汚いですね
立山も昔は
汚かったんですよ
僕は
小学生とか中学生くらいに来て
北条海岸とかって
日本でも有数の汚いっていうのは
聞いたことがあったんですけど
検査をすると水質検査も
あんまり良くない
北条はさすがに砂浜なので
そこまできれいではないんですけど
沖ノ島とか
下が見えるし
あの海に
立山は来たのっていつ?
10年前ですかね
最近でもないけど
10年以上前
11年前くらい
最初のビーチ
エレーズのツアーガイドをやったのが
それくらいなので
11年くらい前で
そうですね
海がきれいっていうのと
あとは人が良かった
人が良かった
人が良かった
その時出会った方々なのか
移住者の人ももちろん
いっぱいいたんですけど
何て言うんですかね
よそ者はっていう感じの
壁がなかったというか
別のところだと感じられるような
鎌倉はすごい強いんです
そうなんだ
鎌倉と移住してきた人
っていうのと壁がすごい厚い
区域で
ああいうお土地柄だったりもするので
歴史がちゃんと古い
なんかこう
全て良い人だったんですよ
って言ったらいいんだろう
それもしかしたら石黒さんが何か
よせるような
相性は良かったのかもしれないですね
それで立山は良いなってなった
ってことですよね
ありだなって
それでもありだなって言って
その時はまだサーフィンをしてたので
鎌倉って言うてもあるかって
それはそうですね
鎌倉だったら真ん中だし
サーフィンもできるしやりたかったら
こっち来ればいいしみたいな感じだったんですけど
でも
そうですね後輩がいた
っていうのもあるし
でもやっぱり
立山は良かったですね
そこを何か
行かせる何かみたいなのってあるじゃないですか
一歩踏み出させるみたいな
移住したいなと思ってて
海のそばで立山に移住しよう
って学んだんですけど
さて入ってこの仕事たちはどうしよう
っていうところに口当たるので
27:00
それをちょっとずつ
整理しようかなとは思ったんですけど
そんなことしてたら
もう移住できないなと思って
そっかそっか
先方に全部
契約してる会社たちに全部話して
立山に移住しようと思うんですけど
交通費で出してもらえますかって
言ったんですよ
そうなんだ
出してくれると
立山?
なんで?
みたいなことなんですけど
片道とか往復でも
3000円以上かかるので
芝原の人も
なんですけど
一応それをオッケーってしてもらえるように
仕事はしてたっていうか
要は私が抜けたら困る
っていうような感じには
多分してたというか
抜けられたら困りますよね
そこで本当にいいよって
みんなそう言ってくれたので
じゃあ別に
壁はなくなったし
私がその通勤の時間を
頑張ればいいだけの話なので
そしたら移住してから考えようと思って
で移住したんです
じゃあ来ちゃおう
本当はコロナは予想外でした
そこはそうですね
あれでちょろっと計画が狂ったんです
そこはありますね
あると思います
結構
いい街ですよ
生まれ育ったところは
そうですよね
そうなんですよ
それはすごく
もっと声を大にしていたらいいのにって思う
ここで育った人は
そこって
僕も子供の頃
毎日海行ってたような感じ
父親が船乗りだったんですよ
外国とかの船乗り
そっちの船乗り
半年いなくて半年いるみたいな
夏休みとかって
休暇が合うとずっといるんです
ずっといるから
とにかく毎日海行くみたいなのが日常になってて
それが一応体に染み付いているので
東京とかに住んでいると
それ行けないのが
ちょっと
ずっとあったはあったんですけど
小さい時のって大きいですよね
大きいと思います
前職もあったっていうのもあって
三里がそんなに環境がいいわけではないんで
鎌倉のおばあちゃんの家に行ったほうが
いいんじゃないっていうところで
結構長時間預けられて
毎日海行ってたんですよ
そうなんですね
それがやっぱりあるんですね
そうです
すごく海行って楽しいし
泣きもしないし
溺れても泣きもしないし
みたいな感じで
うちひいおばあちゃんが
図志で
漁師さんの
お家なんですけど
だから漁業権がある
いわゆる佐島なんですけど
佐島のところで
漁業権が持ってないと入れない海みたいな
ところで
貸切じゃないんですけど
そこの海と割と似てたんですよね
30:00
ちょっと波がなくて
佐島もやっぱ綺麗だし
なんか
懐かしいっていうのも
ちょっとあって
ちっちゃい時の経験って
すごい大きいと思います
東京とか行くと
すぐ帰りたいです
すぐ高速バス乗りたい
もう無理
3時間くらいでもう無理だなって
たまには行くようで
行きます月2回伊田橋まで
伊田橋行くんですね
仕事して夜
帰ってきますけど
あーやっぱそうなのか
ちょっとなんか
体が暗いなっていう
あーそうか
そうなりますよね
私も地元が
埼玉県三里市なんですけど
今埼玉県で住みたい町ランキング
1位なんですよ
私からすれば
どうしてって感じなんですけど
はいはいはい
だいぶ治安はよろしくない
私が育ってた時はですけど
今はだいぶ
どうですかね
大きくなって
うちの地元って結構やばかったんだな
ってことに気がついたんですけど
当時は危険な地域に
いるんですけど
身を守るのも
大変だったし
小学生でも身を守らなきゃいけなかったし
別にそれが
普通だと思っていたので
人はいいんですけど
犯罪的なことが結構勃発する
地域だったので
だからそれが普通だと思っていたら
意外とうちやばかったんだな
ってことに気がついて
はいはいはい
今そんなすごい
むしろそれこそ
三里に引っ越したいっていう人とか
いって
なんでみたいな
一番は交通の便なので
つくばエクスペルスって電車が通って
東京に
通いやすくなったし
そうなんだっていうのも
たぶん同じことなんだろうな
まあまあそうですよね
だからやっぱりずっと
同級生とか出たことない同級生も
いるわけですし
そういう人にするとそんなに別に
立山でしょって当たり前だから
当たり前すぎちゃって
海にも特に行かないし
そこはいろんなところ見てると
その魅力ってあると思う
技術者も
基本的に先生
そういう時に
おせっかいのyoutubeに出たんですけど
あーそっかそっか
ヤシロさんに移住者ってすごい増えてますよね
やっぱりすっごい増えてるんですよ
ヤシロさんはやっぱり
それでやられてるじゃないですか
実感としてそれを感じられてるだろうから
不動産発見がものすごく上がったんですよ
そうなんだ
でも
おせっかいのyoutubeにも
すぐ生まれって
言ってて
私もあれすごく好きよく見るんですけど
だからやっぱり
すごい増えてるし
33:00
移住相談の数も
結構だいぶ変わったっていう
コロナが結構
あの時は本当に多かったみたいで
話聞きたいですこうですみたいな
多分あそこ
ここ数年でおせっかいが
手がけた実験はすごい多く増えたんだと思う
そうだと思います
コロナは一つ大きな流れもあるし
あとリモートアートが
それの延長前兆にあって
コロナでどこでも
仕事ができるようになった
立山にもできるみたいな
そうですそうです
あれは多かったですね
立山にもともといた人にとってしたら
空き家大作とか
そこで繋がっていって
以前と比べて立山の色味が変わってきてるような
風には思います
昔やっぱり観光の方って
もちろん来るけど
こんな混んでなかったし
工場海岸って別に普通に
のんびり行くようなとこだった
っていうイメージがあるんです
それに比べたら今は
例えばキャンプとか
バーベキューとか
それもあるし
東京からの距離もあるし
みんな来やすいんですよね
子供ってテレビもものすごく放送特集される
そうなんです
ゴールデンウィークすごかったんですよ
本当に
そうなると同級生地元の人は
来ないみたいなことも起こってくるんですけど
立山自体が盛り上がってきてるな
っていう感じが感じられるので
外国人の観光客も多かったです
そうですか
工場海岸とかも外国の方も多かったし
朝とかでもすごい人で
朝私も早朝
サップで海に出たんですけど
だから8時とか回っちゃうと
本当にすごい人がいっぱいいるので
6時半とかに出て
じゃないと
快適じゃなくなって
この間ダイヤモンド富士あったじゃないですか
あの時帰ってきたんですよ
母が行くって言ったから
イオンのところ行ったらめっちゃ人がいる
こんなに人いる
有機産物とかもすごいんですよ
あれは昔には考えられなかったので
今はやっぱり
インスタ的なこととか
みんながああいうの撮ったりとか
確かにそういうのって昔からあったけど
それを再発見しているというか
みんなにSNSで広まりやすくなっているから
余計に
インスタはでも大きいですね
引っ越した時はそうでもなかったんですけど
最近よく
沖縄島に行くと洞窟どこですかって
すごい聞かれるんですよ
みんながそう言うんだったら
看板噛んでしゃべりなさいって思うんだけど
すごくわかりづらいので
確かに
そこのみたいな獣道みたいなところに
入って行ってみたら
すごい聞かれるので
あそこですそこそこ入ってそのところで
みたいな
原岡の桟橋
あそこだって全然人なんか行くところじゃなかったし
行きづらいじゃないですか
あそここっちから帰る道が
勇気いりますよね
前から来たらどうしようって毎回思うんですけど
36:00
今なんか
すごいですよ
観光ボスが
どこだっけな
多分神奈川に泊まれて
泊むのかな
来てたよって誰かが言ってて
そうなんですよ
前からあったじゃん
当たり前じゃんってところを
最近作ったわけじゃない
前からあるわけだから
そういうのは今っぽいと言いますか
ここの現代だから
なせるようなこと
面白いなと
確かに原岡しかも海水もきれいだし
穏やかだし
いいとこだけど
聞かれますもん
桟橋で
写真で有名なところってどこ
原岡ね
なるほどね
あれは本当ここ数年
私引っ越したときはそれなかったです
本当最近ですよね
3年ぐらいかな
みんなコロナで
東京で集まれなくなった
地方の自然なところに
行きましょう
キャンプが流行ってたじゃないですか
そこでこのところに来ました
多分ああいうので
挙げ出した人がいたんだろうな
って思いましたね
そこからこれを取りに
自然があるところに行こう
みたいなところで
うまくマッチングした結果だろうな
結構立山はそういうところが
意外とあるっていうのが
どうやら分かってきたというか
本当
沖ノ島と
阿波神社
沖ノ島と混んでました
浜松の原岡と
それぞれの道の駅や
本当に
あとでも釣り客ですね
ゴールデンウィークは本当釣り客がすごい
浜辺から
桟橋から
今テトラのところから
全員人がいて
浜辺からガンガン投げてるし
そう
釣りはね昔から多分
やられてはいらないんですけど
そういう意味で本当に
いろんなポテンシャルがすごく高い
高いです
それにみんなが気づき始めて
バスで一本で行けるんだ
東京からみたいなところが
あと高速道路がある
市内にはないですけどね
その辺の
二次交通的な部分の難しさは
当然あるんだけど
課題はきっといっぱいあるけども
まずこれからっていうところに
いるかなっていう感じがします
私の知り合いも
二拠点で家を借りた
友達はいました
私が引っ越したからっていうところもあって
いろんなところ悩んだ結果
立山にしたっていう
人がいて
こんな近くで来れるなら
そうなんですよね
その辺をみんなが分かってもらえれば
こないだお話聞いた方は
もともと和田に
サーフィンに来てたらしいんですよ
ずっとサーフィンに来てて
下回ってくるから
39:00
ちょっと遠いなっていうイメージ持ってたらしいんですよ
ある時
直で立山行ってみようって言ったら
地下って思って
実は近いんだみたいなことを発見すると
立山いいなって立山には住んでる
こともあるんで
わかります
サーフィンは外望でやってたんですけど
いい丘とか
寒くて冬場が
鴨川に来るぐらい
海水温が
実際最初に
サーフィンのツアーガイド
やらないって言われる時も
いいよって言ったんですけど
後輩が最初に地域引っ越した時に
内部は
全然土地感なかったんですよ
だから外望がすごい良くて
立山か
立山
行くわって言って
私の中では立山って
すごい遠いイメージがあって
外望の方が
多分距離は遠いんですけど
道路の関係で行きやすいんですよね
そっかそっか
終点まで行くんでしょみたいな
立山の
終点ってさ
みたいな感じだったので
学生とか
時は
まず富浦のインターンもなくて
途中までですよね
そこから立山に行くって言うと
ものすごい遠い
海の道をこうやって
インターンも通ってるし
行ったら
あ、意外と近いんだね
っていう感じでした
そこの認識ができればってことですか
そうです
やっぱり私が引っ越してきてから
友達が遊びに来てってことが
すごい増えて
千葉県でこんなに
海が綺麗なところがあるんだね
そこですよね
そこがみんなの外望の
こういう海
海が強いし
上から下が見えるなんて
千葉県ではないと思ってたけど
あるんだっていう
静岡とかまで行かなくていいんだよみたいな感じで
ちょっとあるよね静岡
全然あるよっていうところで
なんか意外と
確かに知らなかったかもね
一番南っていうところがやっぱり
そうですね
本当に土地勘というか
知恵もなければ全然知らなかったら
本当に分かんないじゃないですか
そこに対してちょっとずつ
建物の人たちという観光的には
もっと知らせていくことができれば
魅力があるんだよ
できつつ十分やってると思うんですけど
もっとやれれば
地元の人が押すよりも
他から来て
こんだけいいとこなんだよっていうことが
広めた方が多分早いですよね
そうなんです
やっぱり地元民はそこ見えづらくなっちゃってる
もう知りすぎちゃってるから
私も三里ちょっとアピールできないですね
何がいいかなって
うんと
みたいなコストコとイケアが
ララコートがあって
電車が便利以上っていうぐらい
客観的に見れないですね
そこはやっぱり
42:00
魅力を感じてきてくれた人の方が
たくさん語れる感じが
するんです
確かに
一番はやっぱり海だと思うんですけど
海と人ですかね
海と人
人も一部の地域によっては
やっぱりちょっと閉鎖的なところが
あるとは言ってました
ヤシロさんも
私も災害支援入った時に
同じ地区でも
ここのこっち側とこっち側と
全然やっぱり
カラーが違うなっていうのも
あったんですけど
相対的に
うちの近所も
うちが今白山の前なんですけど
一応竹山地区の
白墨っていうところの地域なんですけど
そこの人たちは
やっぱりすごいみんないい人で
そっか
犬を飼ってて犬を散歩してるから
みんな犬割と好きが多くて
そこで話すようになったのが
一番なんですけど
私の場合
前の住民さんが
20年だからその家に住んでて
ご主人が
8年
引っ越す前に
亡くなって
でも一人で暮らしてた
その一人で残った理由は
やっぱり周りの人が良かった
近所の人がすごいいい人で
この人たちがいたから
そこに一人でもいたって
それめっちゃいい話ですね
その人も結局
20年以上竹山に住んでた
もともと東京の下町
葛飾なんですけど
たまたま私が
三里って言っても
東京の下町鎌町駅
鎌町が
鎌町に生まれて
その人が
民塾って
隣の地区なんですね
それがすごい話があったって
思って
みたいなところだったんですけど
その人も
本当に
すごいいい人で
だからここにずっと
ご主人が亡くなっても
多分このコミュニティも
いっぱいあるし
そこに参加してたっていうのもあるし
それでいたって
引っ越す前に
どういう人が来るんだよっていうのも
一応話をしてくれたみたいで
それはありがたいですね
一番ラッキーな例だと思う
そうですよね
それは必ずあるわけじゃないし
そうやって巡り合わせで
出会えたから
本当に偶然に
80歳以上のおばあちゃんたちの
ヒップホップチームを作りたい
という思い
そして立山を移住先に選んだのは
人が良かったからとのこと
そんな石黒さん
好きなことについても
伺っていきます
好きなことは海ですかね
45:00
おー海
海に
いること
いることそうですね
海でやるっていうか
今はサップやってるんですけど
サップ教えてるんですか
教えてはいないです
教えてるっていうか
観光客来た人で体験にさせるために
ヒップホップ体験を
サップを教えるっていうのは
教えれるものなんですか
こうやって乗って
海の上に立つ経験って
あんまないじゃないですか
楽しいですよねっていうのを伝える仕事です
元々やってたんですか
元々はサーフィンだけです
じゃあサップもやって
サップは多分できるかなって言われて
やってみたら
じゃあ一緒に
ツアーガイドでいきましょう
まじで
ヤシロさんの無茶ぶりです
そのシリーズ
が夏の期間
すごく忙しくなるので
ヤシロさんがサップだけに
携われないから
ちょうどうちの後輩が先に
シリーズのレッスンやってたので
夏休みの間だけ
手伝いませんみたいな
海に関わる感じだったら
いくらでもどうぞ
そういうことですね
やったことないけどねみたいな
そこが
でもできちゃう
楽しかったっていうのもあって
好きなことは
海ですか
一番最初に挙げるとしたら
生活地域の一番
一番てっぺんは
私は犬です
犬はもう飼われてない?
最優先です
犬がいるから仕事してる
ってのもあるんですけど
それをなぜって聞くのは
疑問ですけど
なんでそこは犬なの
小っちゃい頃から犬がいたっていうのもあるんですけど
大人になって
今結婚してるんですけど
拠点がバラバラなんですよ
結婚した後に
犬飼うきっかけがあって
問題児のフレンチブル族だったんですけど
今もいますけど
大変で
それで犬の勉強を
しようと思って
そこからいわゆる保護犬っていう
人たちの
あれもあって
できることからやろう
っていうところで
結局最終的に3匹になってるんですけど
犬が一番かな
最優先としては犬ですね
犬のいない生活は考えられない
考えられないし
一応レスキューするっていう案件も
実際はやりはします
今ちょっと預かることができなくて
前は預かって
犬を探して
48:00
里親を見つけてっていうことをやってて
今ちょっと預かれができないので
預かる
ところは
うちの幼馴染が
東京の立井市で動物病院やってるんですね
本当に犬
猫ばかなんで
里親募集するから
病院で預かって
いいよって
そこに
この間もそこにお世話になってて
それで里親を見つけて
っていうのを
やってるので
犬が一番
犬が一番ですね
なるほど
海と同等ですけど
あれがいるからやっぱそういう
海と犬と
海と犬とダンスで
うちのセンサークル名がDDSっていう
頭文字で
ダンスドックシーで
私を構成する
3つのものっていうので
犬とダンスと海
犬とダンスと海
っていうのをつけたんですけど
それが今始められて
生徒さんもだんだんと
いっぱい増えてきて
楽しいですね
楽しいですね
これからいろんなことがまたやれるというか
子どもたちも
あんまりガチガチやる
ダンススタイルももちろんあるんですけど
そんなことよりも
ダンスを習って
人前で踊る
そこでできるような友達とかも
いるし
楽しければ良くないっていう
あんまりきっちり
やりたくはないというか
やりたい子がいたら
それはそれで拾いますけど
なるほど
すごい
すごい
結構
何もないし
移住してたぶん
飽きるんじゃんって言われたんですけど
忙しいんじゃないですか
やることいっぱい
忙しくはない
やることはいっぱい
やりたいこともあるし
何ですかね
自然があるから
あんまりそんな感じもない
人前でやるときは
そうした方がいいと思います
やっぱり
あそこの
東京でもどちらですか
文京
建物が
いっぱいあるじゃないですか
あの中にいると息苦しくなるんですか
娘がいて
今中一なんですけど
立山に住みたいって言うんですよ
和子を行きたいって言うんですよ
もし本気で受験してやるなら
それはそれで
いいと思うので
中一だからあと2年とか
考えないこともないんですけど
生まれも育ちも
そっちで育っているので
でもやっぱりちょっと窮屈な生活
窮屈な生活
51:00
もちろんこっちに来てればいるじゃないですか
だからたぶんそれで
私もたぶん
鎌倉はどっちかというと
あの当時も観光地ではあったんですけど
やっぱり今ほどすごい
あんなにどこ見ても人っていうこと
外でもなかったというか
あったというかなかったというか
あんなに海の家もすごい
夏はなかったですし
山もあった
鎌倉っていいところは山と
海と両方あるんですよ
山もあって海もあって
というところに普通にいたので
たぶん私はそっちの生活のほうが
合ってたんだなっていう
今となれば
東京に近いところでも生活していて
そう生活していて
外部圏内は全部都内で
渋谷とか新宿とかで
住んでいましたけど
なんか
何が楽しかった
っていう
ちょっと飽きちゃったっていうのもあるんですけど
若い時は当然僕も新宿とか
渋谷行って色々やるじゃないですか
楽しすぎてその時に
渋谷は6年前ぐらいに
仕事で行った時に
渋谷は個人的に来ることはたぶんないな
わかる
来るんですけどすごいんですよ
渋谷が
何ここみたいな
私この渋谷知らないと思う
ここに来なきゃいけない理由がもうないな
そうか
別にクラブで踊るイベントも
ないし
特に別に
ここに来なきゃ
食べれないものとかはあるかもしれないんですけど
そこまでしなくても
いいかなと
新宿も同じ理由で
でも新宿はまだ
昔からのゴールデン街とかも
あるし
あそこはあそこで嫌いじゃないんですけど
大好きなんですよ
あそこは好きなんですけど
だけど
あまりにも渋谷が変わりすぎて
まずもう
私ここいらないっていう
六本木もいらないです
六本木あの辺もいらないんですけど
唯一銀座だけは
あんまり変わらないので
そっかそっか
分かりやすいし
まあ居てもいいかな
住みたいとは思わないですけど
そっか
あの辺は変わります
そうですね
東京はちょっと目まぐるしいところがあるので
だからやっぱこう生活に疲れた人は
こっちに来たらいいと思います
確かに
こっちが引っ越してきて一番大きく変わったのは
お金が使わなくなりました
そうなんだ
お金がかからない
移住した人はみんな言うと思います
あそっか
外食も変なんだし
お酒屋ってお店ないじゃないですかそんなに
まあまあそうですね
夜中の23時までやってるお店もないし
ということは
もともと飲まないんですけど
飲みに行こう
ここに何時に仕事終わったらおいでよみたいな
夜中に帰るとかってことが
確かに
54:00
それも確かにお金を使わなくなることだし
お金がなくなったのと
別に着るものも
そんなに
でもないし
圧倒的に
変わったのはそこですね
なるほど
だからお金をいっぱい使う
東京人は
こっちに引っ越してきたらいいと思います
海があること
そして犬と生活すること
海と犬とダンスを中心に
立山での生活を
満喫されている石浦さん
やりたいことはたくさんあるようですが
自然があるから
苦ではないという言葉が
印象的でした
石浦さんありがとうございました
それではまた次回
ユイナオさんの聞く人ラジオで
お会いしましょう
54:58

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