それをずっとやられてる。
呉服のお仕事っていうと、やっぱりいろんなお客さんがいらっしゃって、
そういった方がどういうのが欲しいとか、なんかそんな感じなんですかね。
最近は着物バラでがね、多いから、洋品扱うとかさ、昔は洋品なんか扱ってなかったんだけど。
ああ、そういうことですね。
時代としてね、着物バラでもあるからさ。
じゃあ、今は洋品も扱いながら、でもお着物もしっかりあって。
着物もある。
呉服っていうと、もう、なんていうんだろう、短物からやる。
仕立て上がるんですよね。
仕立てからもやる。
仕立てもやるし、仕立て上がったりするのもあるですね。
じゃあ、それはお客さんによって、ご要望によって、本当に短物で選んでっていう方もいらっしゃって。
短物から着物にするっていうのは、どんな工程を経てくるんですか。
どんな工程っていうのも、要するに、下著作に出すんです。
仕立てのやるところ。
それは別にあって。
そうです。
じゃあ、そちらにお願いして。この立山にあるんですか。
昔はかなりあったんだけど、今、なかなか地元ではやる人がいなくなっちゃったんで。
ああ、そうなんですね。
昔やってた人たちみんな高齢化しちゃって。
その後、昔はお城さんって、弟子をとって教える人がいたわけよ。
で、そういうお弟子さんが立山市内にいたんだけど。
教わった人たちも、お城さんで教わった人たちも高齢化で、みんなもう縫うのやめちゃったりとか。
そっかそっか。今はどうされてるんですか。
東京へ出すとかね。
需要自体も少なくなってきたけどね。
さっき言ったように、着物バランスもあるしさ。
着物はされながら、今お店の中に甲冑がいくつもある。
その話聞きたいんですけど、甲冑はお作りになっているというか。
あれは私が作った。
あ、そういうことですね。
これはどういう経緯で作ることになったんですか。
立山市っていうのは、戦国じゃないよね。
里見市っていう足利家の結構勇者の家があるんです。
里見市が初代から、9代だっけ10代だっけ。続いて収めた。
滝沢均の南総里見八天寺の舞台にもなってたんですね。
そういうこともあって、商店街の活性化になるんじゃないかっていうこともあって、
手作り甲冑っていうのを出かけた。
それは秋山さんがやろうっていう。発案した感じ。
他の人がやったんだけれども。
うちの子供は今39歳なんだけど、その子は小学校入ったときに、
小学校で手作り甲冑を学んできた、元は関川だったの。
初めた人が。その人がそのとこへ立山市で持って習いに行ったわけ。
そういって今、里見市とか南総里見八天寺の市でもあるからってことで持って習いに行ったわけ。
それをどうして市民に広めようかっていうときに、
工場小学校で親子で作る手作り甲冑っていうのを教わった人たちが、
もっと広めようとしたわけ。
そのときにうちの息子がちょうど小学校に入っていたわけですよ。
今、うちの子供で参加しますってことで参加したんだけど、
親子ですって、子供じゃないけど、小学生の子供に作れるようなもんだよね。
そうですよね。結局親が作った。
それは一応終わった。
だけどその次の展開をどうしたらいいか。
じゃあ商店街で、私そのとき商店街の販卓委員長ってのをやったんだけど、
商店街の販売促進もつながるからって。
前の建物もシャッターが。
これは市の建物なんだけど商店街で管理してるわけ。
なんもなければシャッター全部閉めちゃうわけですよ。
そうか。
そうやってイベントっていうか、調子があればシャッター開けて、
それは街のにぎわいにもなるしねってことで、
じゃあ商店街でやりましょうってことで。
で、また始めていった。
で、この手作りカッチュー教室を商店街主催でやり始めた。
そういうことですね。
それでずっと今は何十年。
結構そうですよね。何十年と。
実際これ作るのって結構なものですけど、どれくらいかかるんですか?
だいたい教室としては半年間。
半年間!?
うん。毎週土曜日。
だいたい教室としては3時間やるんだけど、
教室だけの3時間じゃとてもできるものではないから、
1週間かけて宿題っていうか、
来週の土曜日までここまでやってきてくださいって感じでやって半年間。
結構やる工程というか、やることがいっぱいあるじゃないですか。
でも最初秋山さん知らなかったけど、勉強していって。
それで私は自分でも作ったんだけども、
実際に教えるようになったのはうちの家内が。
ああ、そうなんですね。
俺も彼女にそういうあれがあったのかなってびっくりしたんだけど。
奥様もそこからスタートしてやるようになっていったら、どんどんこう自分で。
じゃあそこから始まって、ずっと作り続けてるというか。
ただ作り続けてきたんだけども、
商店街も今年この年度をもって、
うちだけの着物ってばっかりじゃなくて、商店街自体が。
そうか。
人の流れ的に、例えば言ったら駅の利用とかもあるでしょうし。
僕も今日東京から帰ってきたんですけど、バスに乗って帰ってくる。
車はやっぱりあんまり使わなくなったりとかそういうこともあるので、
そこで人の流れが変わってしまったりとか、
立山のお店の感じ、車社会になっている状態でっていうのはありますよね。
そっかそっか、なるほど。
この立山っていう街自体はどんな印象ですか?立山というここの場所?
印象?
生まれ育ったところで言ったらあれですけど、僕もそうなんですけど。
印象って昔は青軍の中心だったんだけどさ。
だから私なんか若い時は巨難届物行ったり鴨川届物行ったり。
青軍市がある立山の商店街っていうのは、やっぱり青軍市からお客さん来たけどね。
鴨川は鴨川でイオンもできちゃってるしさ。
巨難の人たちはすぐ、キミ突き刺らず。
人間の心理って下がるよりも上がるのがあるのかな。
立山がやっぱりちょっとずつは変化してる。
立山だけの問題じゃなくて、いろいろな周りとの要素というか。
僕は結構立山好きで、今東京に住んでるんですけど、時々帰ってきてはみたいな感じなんですけど、
以前に比べて、例えば観光の人がちょっと増えてる印象があるとか、そういう感じはあります?
うちのお客さんっていうのはあれはもうないけど、なんとなく外を見てると、他県ナンバーというか、かなり多いよね。
だからそれは来てるのかなとは思う。
以前はもっと少ないって言ったりですけど、そんなに観光地としても、
例えば伊豆とか熱海とかあっちの方に行ってた印象があるんですけど、今は結構立山って、
例えばテレビとかにも出るし、そういう感じがしていて。
そう、テレビでもよく取り上げられるよね。
そうですよね。
ただね、いいんだか悪いんだかアクアラインができたわけで便利になっているとなるけど、
逆に首都圏から思うと日帰りコースになっちゃいますよね。
そうなんですよね。それは結構立山の多くの方がいて、日帰りできちゃうから止まらないというか。
止まらない。
あとキャンプ場がいっぱいできたじゃないですか。キャンプしちゃうみたいなところもあったりとかで、そこは確かに。
だから昔もうちなんかの取引先の富山も、県南回るときは一泊コースだったからね。
ああ、そっか。一泊しないと回れない。
そう、回れない。
ああ、そっか。
だから、そういう商人宿、そういうのもなくなっちゃったからね。
昔はもっといっぱいあった?
うん、商人宿あったよ。
へえ、なるほど。
立山ばっかりじゃなくて浪原のあたりにやってたりしてね。
そういうことですね。
やっぱりそういった意味で、時代とともに、例えば漁業とかもそうですけど、
白浜とかあちの天の文化みたいなのが昔はあったところが、そこはちょっと時代とともに変わっていってるなみたいな感じで、
なんか昔のことですごく印象に残ってたりとか、そういうことあったりとかってあります?
まあいろいろあるんだけど。
特に何?って言われても。
パッと浮かんだやつとかっていうと?
パッと浮かぶのはにぎやかだったよ。
ああ、にぎやかさ。やっぱり人がたくさんいて、
人口自体は当然ちょっと下がっているんですけど、でもすごく下がってるわけじゃないですか。
一定の人数はいながらも、でも昔のほうがにぎやかだったっていう感じ。
だから要するに中心商店街としてかなり力があったからね。
そうですよね。
さっきもお店の数も多かったし、後輩って言わなかったし。
みんながここに来て、買い物するならこの辺でするっていう感じだったんですよね。
今もやっぱりだから、買い物どこでします?
秋山さん自身は買い物って普段どこでします?
買い物は、俺あんまり買い物しないけど、うちの方が買い物。
ああ、そういうことですね。車を乗ってどっか行ったりとかそういう感じですかね。
その辺の感じ?
そうですね。やっぱり郊外に行っちまうよね、どうしてもね。
さて、商店街力がなくなってきたっていうのを具体的に言うと、やっぱり先生が扱うお店も。
昔は丸太さんっていうお魚屋さん、かなり力があったお店もあったけどね。
みんなっていうか、そういうところももうなくなっちゃったしね。
もう電気屋さんもないでしょ、商店街。
たとえば銀座商店街の中で生活っていうか、昔はできたんだけど、今はもうほら。
そっかそっか。
お店がない業種ができてきたからね。
何かいるって言ったときに、昔だったらこの中で。
全部まかないだけどね。
ああ、そういうことですね。今ちょっとそこは不足してるところがないところがある。
電気屋さんはないしさ、魚屋さんだって、今カーナさんっていう、向こうの通りにあの、なんだっけ。
昭和通りにやっぱあるけども、うちの近くであったら丸太さんがもうなくなっちゃったし。
で、そこにおぞやがあったんだよね。
ああ、ありましたね。
じゃあそこで買い物をしてみて。
で、おぞやさんだってとうとう。
車で行くところになっちゃいますよね。
おぞやさんここは創業の地だからさ。
ここ創業だったんですか。ああ、そうなんだ。
昔金森屋さんから始まったんだよね。
ああ、そうなんですね。
初代の人はさ、ここは発祥の地だからなくさないって、初代の人は言ってたってさ。
やっぱり大学かって若い人、次の世代になればさ、やっぱり経営の効率考えれば。
五福町のお仕事や甲冑作りのお話。
淡地域の中心だった立山、かつてにぎやかだった商店街。
やっぱり最初のときって何やるか分かんないじゃないですか。
もちろんここで育ってるから、なんとなくは分かるかもしれないですけど、
実際、修行3年間ってなると、一からというか、一通りやらせてもらって、
それを学びながら、こういうふうにご福の仕事っていうのはやるんだなっていうのを、
そこで学んで、で、帰ってくるんですか。
そうです。
じゃあ3年間高校卒業して、20代前半でこちらに戻ってきて、そこからここで。
そう、ずっと。
ああ、そういうことですね。そっかそっか。
やっぱりその頃って、20いくつか。
ってなると、何年ですか、70年とか80年とかそのくらいですか、1900?
ん?
1900。
ああ、そうだね、えっと、何年なんだ、昭和、昭和、ん?
50、60とかですかね。
もっと前だよね。
もっと前、40年代とか。
だから俺、だからあの、ちょうどね、商売でもバブルがあったんだよね。
ああ、そうですよね。
で、黒の染料がなくなるとかさ。
何ですかそれ。黒の染料がなくなる。
染料って染める。
ああ、染料、はいはい、染める。
とか、そんなような噂も出て、これは大変だって、着物なんかだよ、売れるみたいなのがあったの。
で、だから俺が、もし大学行ってれば、自分がその経験はできなかったわけよ、その。
ああ、そうか。
着物がえらい売れたバブルみたいなのがあったと、経験できなかったんだけど、
俺はそのとき間に合って、自分でその売れる商売はやれた。
だから、そういう意味じゃあ、商売だけで言えば、そういう意味で、まあ良かったかなと。
そういうことですね。まさに売れるときにそこにいて、実際すごく売れてる状態をご存知で。
その時代、僕分かんないんですけど、どんな感じというか。
曲線なんかで言うとさ、昔は入選行式、着物着てたわけ。
ああ、そっかそっか。
で、特に黒い羽織と、水色の着物が。
はいはいはい。
無地の着物と、黒の羽織っていうのがエヴァの羽織なんだけどさ。
まあそれが、ユニフォーム。ユニフォームっておかしいな。
みんなそれを着て。
そういうあれ着て、それで入学式と卒業式と同じ着物は着ていけないから、買うんですね。
っていう時代だったんだ。
うわあ、そうか。だからそれだけ売れるというか。
売れる。
で、みんなが買うから。
大忙しいですよね、そうすると。
4月?
3月、2月、3月、4月。
で、それでまた3月、4月が一つの山で、もう一つはお正月の着物が山なんだわけですよ。
はいはいはい。
ずっと紅白高瀬行きながら着物を届けた。
え?
頑端に間に合えばいいんだから。
頑端に間に合えば買いますよ。
じゃあ紅白がまさにやってる時に。
やってる時に。
秋山さん自身が届けに行くんですか。
そう。日立屋さんがそこまで頑張ってくれて。
やってくれたから。
そっかそっか。であればちゃんと売れて。で、みんな買うから。
そっか。
それは本当の古き良き時代だよ。
ああ、でもそういうことがあったわけですね。
卒業式、入学式も違うし、正月も違ったりするんですか。
正月は正月の着物ですもんね。
正月の着物ですもんね。
みんなそれぞれ買って。
そこは忙しいですよね。年末なんかではすごく忙しい。
そうです。
ずっと注文が入って、それをやっていって。
人口が昔、10時だか10時だかに就勤に来るんだ。
え?
それを預金に欲しいから。
ああ、そうなんですか。
人口大晦日は休みでしょ、たぶん。
やってないと思います。
そうだよね。
昔は大晦日に10時に来るんですか。
10時だか11時だかわかって忘れてたけどさ。
ギリギリのとこに。
そういう遅い時間に、今日の売り上げ預金してくださいって。
で、預金するんですか。
そうそう。そういう時代もあった。
そうなんですね。
黒の染料がなくなるくらいに着物が飛ぶように売れた時代。
卒業式と入学式でそれぞれ違う着物が売れたというお話や、
紅白歌合戦を聞きながら着物の配達をしていたというお話をいただきました。