設楽町のポッドキャストの紹介
始まりました、したLab、したら研究所。
matchbox代表のフランク・ナッパです。
同じく、matchboxのいもこです。
この番組は、私たちが住む、設楽町の魅力を発見し、
深掘り、皆さんと共有していくためのポッドキャストです。
今日はですね、ずいぶん前に、
ポッドキャストのイベントがありまして、
ポッドキャスト協会というね、
集まり団体があるんですけども、
前日出ていただいたポトフさんが、
初代会長を立ち上げなんですよ、ポトフさんのメンバーでね。
レジェンドだね。
やっていただいた協会の、
9月にポッドキャストがスタート、
世界的にスタートした記念で、
ポッドキャストデイというのがありまして、
それに伴ってですね、毎年ポッドキャスト協会の方で、
いろんなポッドキャストの番組さんを、
リレー形式でYouTubeを使って配信して、
リアルタイムでね、やり取りするっていう企画に乗っかって、
乗っかりましたね。
30分の音源を出しましたので、
聴いてくださった方もいるかと思います。
聴いてくださった方からは、
なんかちょっと楽しかったよとか言って、
いかにか好評でね。
そうそう聞いたよ。
そうそう。
その時のゲストが、
当時の設楽町長であった、
土屋浩さん。
来ていただきました。
噛みすぎじゃね?
いただきまして。
で、撮らせていただいた。
30分という枠があったので、
1時間ぐらい喋ったかね。
たぶんね、1時間ぐらいかな。
町長室まで行って、
写真も撮って、
喋ってきましたけど、
それを30分にしたんですけど、
したらぶでは、
フルバージョンでお届けした。
だいぶはしょったもんね。
町長土屋博史の紹介
だいぶはしょった。
いろいろ聞いたことあったもんね。
流してあかんところとか、
だいぶカットした。
それはカットしよう。
公の方ですので。
偉い人ですのでね。
面白いところをピックアップしたんですが、
他にもまだ面白いところもいっぱいあったので、
あったよ。
もったいない。
もったいないよね、せっかく。
フルバージョンでですね、
今日流させていただきたいと思いますが、
1つお断りしておきますけど、
真面目な制作の話はしておりません。
聞いてあげてほしかった。
思いは聞いた。
思いは聞いたけどね。
一切触れんかったね。
それが例えば9月。
なんやかんやあって、
大変ちさらちょう、
微妙な時期に突入しましてですね、
この本源流すタイミングがなくて。
一応町長さんの選挙があったっていう。
変なタイミングで流すと。
いろいろなものに影響するといけないんでね。
我々はあくまで中立、
完全にフラットな形でおりますので、
あんまり変なタイミングで流すのも良くないだろうと。
ちょっと間を寝かした感じがあったね。
場合によってはですね、
この本源を遅らいりする可能性もあったわけですけど、
なんやかんやありまして、
流せる状況になりましたので、
流させていただきたいと思います。
おめでとうございました。
また今後ともよろしくお願いします。
しっかり補助金いただいて。
やめなさい。
言い方悪いぞ。
応援をしていただきたいと思っています。
そういうことです。
我々も頑張りたいと思いますのでね。
そんな土屋長々となんやかんやおしゃべりでした。
土屋さんの割と素の部分。
皆さんが知らない一面。
私たちも知らないこと多かったもんね。
全然。まさかあんなことやこんなことしてるとは。
まさかね。
言い方だよね。
そんな隠すことでもないけど。
ただ、普段知らないよね。
おそらくそんなことをしゃべれる機会はないんじゃない?
長々さんに制作以外のことあんまり聞かないっていうのが、
そういう機会はないじゃん。
興味ないよね、そんなね。
確かに。
土屋さんのプライベートを誰が聞くっていう話ね。
なんで聞いたんだろうね。
俺は興味ある。
よかったよかった。
設楽町の歴史と現在
むしろ政策よりそっちの方が興味がある。
そうだね。お人柄とかね。
どんな人なのかとかさ、
どういうふうな生活を送ってきたのかとか聞いたら、
意外と。
なんか普通に政治家みたいな感じではなかったね。
近所のおじさんだった。
そうそうそうそう。
若い頃の話とかね。
非常に面白かったですよ。
面白かったね。
宝箱があったような感じでね。
いっぱい宝物を拾って帰ってきたので。
ぜひ聞いて、
町の中で土屋さんに会うことが興味の方あれば、
聞いたぞん。
ね、言ってほしいね。
町の外の人にはね、
あ、設楽町の町長ってこういう人なのかと。
それがいいかわからんけど。
でも人からは伝わると。
設楽町の雰囲気も伝わるといいかなと思いますので。
そうね。
実際に配信リレーの時に、
すごい好意的なコメントが山のように。
あ、ほんと。
リアルタイムでいただきまして。
すいません、ちょっと私は見てませんでした。
すいませんでした。
ほんとですか。
楽しかったみたいな。
よかった。
人柄が伝わりますとかですね。
いいじゃないですか。
すごく前向きな言葉をたくさん言われたので。
やってよかったなと。
思った。
思いましたね。
聞いてもらうか。
聞いていただきましょう。
ということで、音源ぜひ聞いていただきたいと思います。
はい。
はい、ということでですね。
今日は、
はい。
日本ポッドキャスト協会の配信リレーということで、
9月がですね、
ポッドキャストが始まったと言われているのが9月。
なので、毎年日本ポッドキャスト協会の方で、
この配信リレー。
去年は20周年ということで、
大きなイベントでやってたんですけど、
今年は通常の配信リレーという形のイベントをやるということで、
我々もついに初めて参加をしてみようじゃないかと。
やっほーい。
ということでやっております。
時間が30分というふうに限られておりますので、
早く本題に入りましょう。
早く本題に入っていきましょう。
地域との連携と活動
ということで、
今日我々2人だけでお話をしてもいいんですが、
せっかくこんな大きなイベントで、
いろんな人に聞いていただけるので、
設楽町で一番強い人を、
呼んできてみましたので、
超ビッグゲストですね。
緊張してますね。
もう小声が。
今。
ということで早速紹介したいと思います。
設楽町長の土屋浩さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
なかなかポッドキャストでこういう首長さんが出るというのは、
おそらくないんじゃないかと思っております。
ありがとうございます。
こちらこそ。
ということで今日はせっかく町長さんに来ていただいておりますので、
この設楽町の施策だとか、
未来の姿だとか、
真面目な話をいろいろ深掘っていきたいところなんですが、
面白くないのです。
私たちのあらが出ちゃうね。
ボロが出る。
今日は町長さんの人柄だとか、
親しみやすさ。
設楽町の町長さんだなというところで、
町長の話を聞くことで、
設楽町の雰囲気というものを皆さんに感じてほしいなと。
だいたいこういう番組に出てくれる段階で、
とても距離が近いんだなということは、
皆さん分かってくださっているかと思いますので。
気づいていると思いますよ。
そのね、町長さんの魅力を、
今日は皆さんにも味わっていただきたいと思います。
早速ですけど、
町長さんのまずは、
子供の頃の話ですね。
聞いていきたいと思うわけですけれども、
ちなみに町長さん、
何年生まれになります?
昭和の35年。
1960年生まれです。
僕らよりも二回り。
二回りも言ってないか。
そんなに言ってない。
だいぶ若くした。
その頃というと、
今とだいぶ違いますかね、町の雰囲気も。
全然違いますね。
お店ももっと、
立派なお店はなかったですけど、
ちっちゃなお店がたくさんありましたよ。
そうなんですか。
僕の家の近所にも、
3軒ぐらいお店はあったので、
今はもう一軒も、
家の近所にはなくなってしまったですけど、
僕の家の近所にも3軒ぐらいお店がありました。
よろず屋さんみたいなんですか。
そうですね。
いろんなものを、
日曜雑貨から、
魚であったり、肉であったり。
昔なので、
言い方が難しいです。
少し、ちょっとね。
腐りかけの隣のようなものまで売ってましたよ。
ギリギリのやつとかね。
そう、ギリギリのやつを売ってました。
僕らの時代でもまだその空気は残ってましたけどね。
私たちの地区でも、
3軒ぐらいはね、
3、4軒ありました。
でもいい時代なので、
暗黙の了解みたいのがあって、
それでどうだという雰囲気はなかったですよね、
昔はね。
そういうものを売ったら、
多分大変なんだろうなと。
昔はね、やっぱり穏やかな時代だったですよね。
今はね、どこのスーパーさんも、
お店屋さんも、
ちゃんとして見えて、
田口にもありますけどね。
とても綺麗な商品が並んでますからね。
昔の人と違う。
雰囲気もあったのかなと思いますけど。
大きな違いで言うと、
ちょちょさんのご出身が、
津具ということです。
津具村ですね。
いつ、
設楽町は津具村と設楽町、
旧津具村と旧設楽町の合併があったのが、
20年前なので、
2005年ですね。
2005年。
平成17年。
17年ですね。
今年がちょうど、
20周年ですよ。
ポッドキャストが21年ですから。
負けてるけどね。
ほぼ2割と。
実は舌頭町、
新しい設楽町になってから20周年ということで、
なおのこと、
今日出ていただいた意味があるんじゃないかと思いますが、
今話しているのは、
そんな20年どこじゃない前の話ね。
設楽町の歴史と教育
旧津具村と旧設楽町の話なので。
津具村は、
今と比べると、
人口というか、
学校の人数ってどれくらいあったんですか。
人口が、
僕が生まれた頃は、
よくわからないですけど、
1600人くらいはいたと思います。
僕、小学校は2つあったんですが、
2つもあったんですか。
上津具小学校と下津具小学校というのがあって、
僕は下津具小学校だったですが、
中学校は1つになって、
津具中学校という中学校だったんです。
僕、同級生が
44人。
そんなにおったんですか。
その2つある小学校の同級生が
44人ですか。
中学校は
1つになるので、
1つになった時の同級生が44人。
僕ら5校集まって
12人でした。
すごい。
44人いましたよ。
44人で、
部活もそうすると
いろいろあったんですか。
部活は、男の子は
剣道と卓球とバスケット。
バスケットまでやったんですか。
やってましたね。
女の子はバレーと
テニスと
テニスもあったような
気がするけどな。
バレーとテニスと
バスケットもあったような
気がするんだけどな。
当時から津具というと
剣道というね、今でも文化が
すごい続いてますけど、
当時から剣道は盛んだんですか。
僕らより少し
先輩の時の
先生が、すごく指導の
熱心な先生で、その頃強かった
っていうのもあって、
割と強いは強かったですけど、
今ほど、どうしても
すぐ優勝してしまうというような
程の強さは
なかったです。
まだ昔は他にもね、僕らの
清嶺中学校も、
剣道部は、
剣道部はありましたね。
いろんな部活があったんですよね。
そうだね、
バスケットもあったし、卓球も
あったし、でもどこも
同じで、夏は陸上やって、
冬は駅伝やって、
そこは変わらないですね。
いろんな競技をね、
町場と違って。
今の
僕の体型を見るとみなさん
信じられないと思いますけど、
僕中学校の時、
愛知県中学校
駅伝大会、
愛知県で優勝ですよ。
すごーい。
一応選手だったんですよ。
今でも走れる感じですかね。
今でも、どうして僕を
愛知駅伝に
エントリーしてくれないのかって
いつも思ってます。
じゃあ今年もしかすると、
最終兵器として。
走ってる可能性があるという。
知らなかった。
体調悪くせんようにしてもらって、
えー。
そしたらあれですか、
遊びは走り回ったりとかばっかりしてたんですか。
子供の頃って、
夏は
毎日川で
魚取り。
本当に毎日してた。
今のこうやらないので。
魚取りをやったり、
魚取り、夏は本当にそうだったね。
冬は
山に行って、
そりを滑ったり。
滑った頃だ。
雪なくても枯葉の上で滑る。
山の中行って、
秘密基地を作ったり。
そんなのばっかりだったんですよ。
今でもそういうのに憧れる
町場の人もやっぱりいて、
この間僕らも
川遊びをイベントとしてやったんですけど、
いっぱい来てくれましたよ。
すごい喜んでくれて。
この仕事をやってて、
すごく不思議に思うのが、
どこへ行っても子どもたちもそうだけど、
公園を作ってくれって言われるんですよ。
公園を作ってくれって。
こんなに自然があるところで
公園がいるのかなっていうのは
すごく心にあるんだけど、
今の子どもを育てる人って、
目の届く、安心したところで
遊ばせたいっていう思いが
いつもあるのかなっていう。
公園で遊ばせるよりもっと面白いこと
いっぱいあるのになって
いつも思ってて。
昔はほら、
今と違って
子どもたちもたくさんいたじゃないですか。
だからお兄さんお姉さんが必ずいて、
川行っても誰か見てる人がいたけど、
遊び方を教えてくれたもんね、上の子たちが。
大体プールがなかったので、
泳ぐところは川に場所が決められてて、
川で場所が決められてて、
それこそ上級生の人が
監視員みたいなのをやっててくれて、
そこの中で泳ぎなさいねっていう
時代だったですよ。
子どもの中で
人と社会があったり、
国があったっていうのが
昔ならでは、
今との違いなのかなと
思いますけど、
そんな少年時代を楽しく過ごした
土屋少年だったと思うんですけども、
そこがだんだん大きくなってきてですね、
青年期というかですね、
ちょっと大きくなってきて、
将来のことを考えるような
ところになってくると思うんですけど、
どんな若い頃というか、
お若い頃ですね、子どもじゃなくて、
もう少し大きくなってきた頃の
土屋さんはどんな青年で
どんなことを考えてたり
してたんですかね。
僕はこの立場になって、
若い頃の思い出
成人式に毎年行くんですけど、
今の人たちって、
将来の目標を
明確に定めてて、
20歳の頃には何になりたい
っていうのがしっかりあるのに、
すごく
びっくりするんですよ。
20歳の頃に、
振り返って20歳の頃に
何を思ってたのかなって
考えるんだけど、
何かになりたい
とか何を
しようとかっていうのは
正直なかったです。
そうですか。
漠然と
僕洋服好きだったので、洋服やりたいな
っていうのはあったし、
あと名古屋で
高校時代から名古屋でずっといたので、
友達をとにかくたくさん作りたい
っていうのがあって、
友達を一生懸命
たくさん作るということは
やってました。
その中で有名になりたいな
というのもあったので、
そんなことは一生懸命やってました。
ただ、
何て言えばいいのかな、
将来を考えた時に、
何とかなるだろう
ってくらいにしか
思ってなかったですよ。
なるほど。
その日を楽しく
本当にそんな感じです。
名古屋にいたんですか?
僕は中学を卒業して、
高校から名古屋だったので、
相当勉強できたじゃないですか。
そんなことはないですけどね。
名古屋に行ったらね、
綺麗なお姉さんもいっぱいいますからね。
だいぶ違いますよね。
当時、余計今よりもまた
違うじゃないですか。
街の人たち、女の人に限らず、
田舎の人たちと
名古屋の人たちって、
今でこそ、いろいろだいぶ
文化がインターネットとかで
同じようになってきましたけど、
当時って相当なんか
全然違うですよね、本当に。
そうだね。
何をしてたんだろうね。
それこそ、
高校出た時分は、
ディスコみたいのが
流行った頃で、
毎週、
毎週ディスコ行ってたり、
楽しそうですね。
毎週ディスコに
行ってたりというような
時だったですよ。
あと、
働くことも面白くて、
お金を稼ぐという意味じゃなくて、
仕事自体が面白くて、
何をされると?
僕は、友達がカレー屋を
開店して、
任せてくれたので、
カレーをやってました。
店長がやってたんですか?
カレーを作ってました。
今でもカレーを作れるんですか?
忘れてはいないのですが、
小麦粉を炒めて、玉ねぎも炒めて、
そこから作るんですか?
そうです。
いいですね。
今度はちょうちょうカレーで。
カレー会。
なので、
大学も一応入ったんですけど、
大学届を出しに行くときまでに、
3日しか
行ってなかったです。
試験の日と。
オリエンテーション。
最初のやつですよね。
その人、大学届を出しに。
全然行ってないじゃないですか。
一応、学費は親が払ってくれてたので。
かわいそう。
一応、いろんなところで話題になってますけど、
一応中退だとは思ってますが、
最終学歴を聞かれたときは、
高校卒業ですということにしてます。
証明書を出せとか言われたり。
一応、中退という意識はありますが、
高校卒業ということにしてます。
正直が一番だと思います。
修業と帰郷
本当に。
学歴じゃないので。
カレーとは。
カレー屋さんだったとは。
カレー屋さんも面白くて、
お客さんとお話をするのが、
人と話をするのが好きなので、
意外と客商売好きだったですね。
面白いなと思いながらやってました。
どのタイムで下田町に戻ってくるんですか?
僕は本当は洋服屋をやりたかったんですよ。
洋服すごく好きだったので。
それこそ、
15歳から名古屋にいて、
高校生のときは親戚の家に
下宿をさせてもらってたんだけど、
その後ずっと一人暮らしをしてたので、
冬に家に帰ると寒くて暗いというのが、
たまらなく嫌で、
町が全体が暗くて、
結婚したいなという思いがあって、
そんな話をしてたら、
親が、
4年間、
人が大学を出る歳になったでも、
やめて家の商売をやらないかと
言われたので、
それじゃあ頑張ってみるかということで、
それから10年間修業に行きました。
ちなみにご実家は何の商売をされていたんですか?
僕は材木屋です。
それから10年間修業に行って、
修業の最中に結婚をして、
それで32歳のときに
確か帰ってきたと思います。
一回じゃあ修業に出られてたんですか?
10年間行ってたと思います。
どちらに出てたんですか?
小牧市です。
また向こうの方ですね。
市場があったので、
木材の市場があったので、
小牧市に行ったんです。
小牧市に行ったんですか?
はい。
木材の市場があったので、
そこへ修業に行ってました。
今は倉庫街とか、
ああいうところが昔の市場だったりしたんですか?
今はなくなっちゃったですね。
昔、高速道路の
春日井インターと小牧インターの間に
原木の市場があったんですけど、
それがなくなっちゃったので、
僕はそこにいたんですけど。
そうなんですね。
全然知らない。
意外にこの経歴が。
奥さんはすごい綺麗な方です。
奥さんはって何?
知っているところを出そうと思って。
奥さんは綺麗なんですね。
奥さんも。
奥さんは小牧の方ってことですか?
違います。
奥さんは、僕が知り合ったときは
岡崎に住んでましたね。
名古屋にいたときに、
友達の女の子がいて、
その子と同じ
名古屋の会社に勤めていて、
女の子を紹介してあげるよって言うので、
あそこが今の彼女さんです。
お綺麗な方です。
ぜひ今度お邪魔しに。
やめなさい。
ぜひ。
こないだ奥さん見ましたよ。
本当ですか。
お綺麗な方ですよね。
そんなこと言って怒られるのかな。
道の駅のとこで出会ったときに、
娘さんかと思った。
言い過ぎですよ。
冗談じゃなくて、本当にそう思った。
私もいつも間違えちゃうんですよ。
娘さんなのかなと思って、
全然くっつかなかったですよ。
本当ですか。
今日お帰りに報告しましょう。
大変失礼なんだけど。
付き合った時から、
どうやって付き合ってもらったの?とかね。
どうやって結婚してもらったの?
っていうことがよく言われてました。
一番の謎だもんね。
設楽町の歴史と変化
僕が設楽町に貢献できたのは、
唯一、うちの奥さんと結婚して
こちらに戻ってきただけですから。
ということで、
次の話題に移ろうと思いますけれども、
設楽町はこれで20年、
くっついて20年、
新しい設楽町として、
設楽町がくっついて、
新しい設楽町になっていますけれども、
新しい設楽町ということで、
何か昔と大きく変わったりだとか、
町長さんの目から見て、
新しくなったな、
というような感じがすることは、
あるわけですか?
地域の活動と楽しさ
僕は津具に帰ってきた頃から、
毎日楽しく過ごしたいな、
というのがあって、
本当にいろんなことをやったです。
別にお金儲けとかではなくて、
別に地域のために何かをしよう、
なんていう思いもなかったですけど、
自分たちが楽しかったらいいな、
というので、
2000年の、
ミレニアムの時には、
友達みんなで集まって、
花火をあげよう、
という話をして、
みんなで寄付を集めようと、
みんなで200万円くらい寄付を集めて、
みんなで花火屋さんをお願いして、
あげていただいて、
そういうのができたときは、
本当に嬉しくて、
別に集めたお金をどうかしたわけではない、
花火を使って持ち出しもかなりあったんだけど、
いろんなことを楽しくやって、
昔は自分たちも一生懸命、
遊びも仕事も一生懸命やるんだ、
という思いでやってきたんだけど、
僕らがずっと一番最前線でやっていると、
続かなくなってしまうと困ると思ったので、
次の世代の人にバトンを渡して、
僕らが立ち上げたもののバトンを渡すんだけど、
世代感ってすごく違っていて、
やめてしまうのね。
大変だからとか。
すぐに続かなくなってしまう。
渡したものだからしょうがないねということで、
やってたんだけど、
今、僕、
皆さんのマッチボックスの
読ませてもらったんだけど、
やっぱり基本は自分たちが楽しくって。
そうです。
今聞いてて一緒だと思う。
そこが基本でないと
続かないと思いますよ。
ですよね。
僕らはずっと
やってる人が楽しい
と思えるものを、
何でも、遊びも何でも
真剣にやったんですよ。
わかっちゃうよね。
真剣に遊んでるもんね。
いかに僕らが楽しいかっていうことが
まずあって、
何がやりたいかがあって、
次に周りの人はどうかっていう
スタンスでいるんで、
それがいいか悪いかわからんけどね。
でも一緒ですね。
なので、
また最近こういう動きがあって、
例えば田口の中でも、
なんていうんだったかね。
TCCさんですね。
そうだね。
カルチャークラブさんが、
自分たちが楽しいということを
やってくれてるのはすごくいいな
と思ってて。
今度またね、TCCさんのイベントで
例年通り
ガッツナイターということで、
町長ョさんも
参加されてやられてますけど。
ポスターとかにもね、
町長さん登場するんですよ。
自分たちが楽しく
というところを
基本に始めたものって、
割と続くんですよね。
お金ではない
感じでしょ?
そうですね。
僕らもいろんなことやったけど、
お金ではないので。
僕仮想大賞も
20年ぐらいやってますけど。
そうですよ。
この前だって
万博会場で
仮装大賞も出ましたけど、
賞を受賞されてました。
そうなんですか。
見てないの?
見てなかった。
それって残ってないの?
多分あるかな。
あったら概要欄に貼って
見ていただきたい。
今19回連続出場中だと思います。
欽ちゃんの仮装大賞。
僕は選挙があったりするので、
そのうち3回か4回は
出られない時があったんですけど、
仲間はずっと同じ仲間で
やってますけど、今19回連続
出場中だと思います。
すごいですよね。
自分たちが楽しく
こんな山の中に住んでいても、
毎晩楽しく過ごしたいね
というところだけなので。
僕らがやっている
このポッドキャストも
ポッドキャストの公認と今後
そんなようなもんで、
僕がやりたいから
喋りやすい同級生捕まえて
その先に
日本全国、
世界中に飛んできますので、
誰か1人か2人
聞いてもらった人が
興味を持ってくれて
遊びに来てくれたり
移住してくれたらいいな
という大義名分を掲げつつ、
楽しんでおります。
いいじゃないですか。
立場が長々なので、
長々らしいことを
言うんであれば、
そういう人を
応援していくのが
役場の仕事だと
思ってますけどね。
ありがとうございます。
そういう人を応援して、
田舎の人でも
そうなんだけど、
役場が何かをしてくれるのを
待ってる人が多くて、
何でもそうで、
役場がこんなことを
したらどうっていうのを
待ってる人が多くて、
僕はそうじゃないと思っていて、
自分たちでいろんなことをやって、
それをもっと広げたいので、
役場に支援がない
って言われたときに、
助けてあげられるのが
行政の仕事だと思っているので、
こういう動きは
すごく大歓迎ですね。
ありがとうございます。
今、公認をいただいたということで、
よろしいですかね。
いいですよ、大丈夫です。
このポッドキャストが、
設楽町の町長さんから
お墨付きをいただいたということで、
設楽町公認ポッドキャストとして、
やっていきたいと思いますので、
ありがとうございます。
お墨付きをいただきました。
ちなみに今、とてもお忙しくて、
先日ちょっと体調を崩されたりして、
激務だと思うんですよ。
ストレスが本当にかかるお仕事ですね。
どこからストレスがあるのか、
分からないんですけども。
大変な毎日を
過ごしていたとは思うんですが、
その中で、やっぱり
気分をリフレッシュすることも
必要なのかなということで、
大変遊びには、
造形の深い町長さんだと思うんですけども、
普段、お休みの日は
どんな過ごし方をされています?
普段、僕は
おいしいものを食べることと、
歴史のある建物を見るのが
趣味なので、
見に行ったり、
おいしいものを探して、
食べに行ったりしていますが、
あんまり
仕事が続いたときは、
何もしなく、
家で一日、
ゴロゴロゴロゴロ。
それが一番、
今は至福のとき。
リフレッシュ。
家で何もせずに、
テレビの前に寝転がって、
ゴロゴロゴロゴロ一日過ごす
というのが、
なかなかそういうことが
できる日がないので。
休日のお父さんって感じですね。
それが今は一番、至福のときだね。
よっぽどストレスが。
ちなみに、
テレビをゴロゴロ見るテレビで、
どんなテレビが好きなんですか?
僕は2時間ドラマが大好き。
一緒です。
2時間ドラマを語らせたら、
しばらく語れますよ。
じゃあ今度その回に。
あれですか、
船越英一郎だったり。
僕は浅見光彦が一番好きです。
私も好きです。
内田康夫先生の。
だいぶ浅見光彦さんも、
いろんな役者さんがやられるんですよね。
変わってきたよね。
昔の人とね。
みなさんバトンタッチして。
あれ、昔って
渡瀬恒彦さん?
違ったっけ。
浅見さんって違ったか。
いろんな人だった。水谷豊もやったし。
やってましたよね。
水谷豊もやったし。
なんていう人だったね。
中村?
中村俊介もやってる。
今は
がんちゃん。
そう!この前そうだったんですよ。
がんちゃんって誰?
岩本?
京生?
違う。
古い。
エグザイル系の三代目さん。
聞いたことはあるよ。
この前変わってて、
びっくりした。
浅見光彦やってるんですか。
浅見光彦やってるんですか。
そう。
あれ、もこみちさんがやってなかったっけ。
やってた。
私も大好きでよく出た。
浅見光彦。
そうそう。
共通点。
設楽町のポッドキャスト認定
まさか視聴者の口から
エグザイルのがんちゃんの名前が出るとは思わなかった。
エグザイルじゃないよね。
エグザイルじゃない。
親さんなので。
三代目。
何?
クラシックしか弾かない。
嘘つけ。
ジャズとか聴いてるでしょ。
聴いてる。おしゃれなね。
おしゃれなやつをね。
そうか、休日そういうことで遊んでるんですね。
なるほど。
遊んでるというか、ゴロゴロされてるということで。
奥さんとどっか出かけないですか。
一緒によく出かけますよ。
どこ行かれるんですか。
美味しいものを食べに行ったり、見に行ったり。
この辺りで、したらちょいじゃなくてもなんですけど、
おすすめのお店とかあるんですか。
ご飯ですか。
美味しいものですよね。
違う美味しいものを食べに。
美味しいものはいろいろあって、
最近好きなのは、
串揚げ屋さんに行くのが好きで。
地域とのコミュニケーション
いっぱいやりながらですか。
そうだね。
一緒に行くと、いっぱい飲めないので。
かみさん孝行でかみさんにいっぱい飲んでいただいて、
やってますけど、
名古屋にも美味しいところいっぱいあるし。
そうなんですね。
名古屋って関谷さんもお店出してる?
出してますね。
まだ僕行けてないんで。
僕も行ったことないんで。
じゃあ今度一緒に。
お任せください。
じゃあ今日の打ち上げを。
やりましょうね。
むちゃくちゃ言っとる。
ということで、いろんな休日の過ごし方。
いろいろストレスがある中で、
そんな風にリフレッシュをさせていただいて。
まさかの浅見光彦好きとは。
思わなかった。
これからはですね、
時々そういう時に、
我々のポッドキャスト聞いていただいて。
ストレスたまんないかな。
地域協力隊。
地域おこし協力隊の
アミちゃんにもちょっと出ていただいて。
我々のこのポッドキャストのイラストを
描いていただいているのも
アミちゃんにお願いしているので。
オール設楽町で
頑張っております。
いろんな人が
来てくれて、
だんだん面白くなってきたなと思っています。
昔もそうかもしれないですけど、
僕らがこういうことをやり始めたというのは
特にそうなんですけど、
いろんな方が
設楽町に関わってくれるようになったし、
いろんな方が
移り住んできてくれているなという実感が
最近少しずつ湧いていますけど、どうですか。
それはそうですね。
だんだん数の上では
たくさんと言っていいのかどうかは
分からないですけど、
移住して、
町づくりの基本は
移住、定住って
力を入れていないわけではないんだけど、
やっぱり
まず興味を
知ってもらうことから始まって、
興味を持ってもらって
何でも来ていただいて、
ファンになっていただいた上で
住んでいただくのが
移住の促進と町づくり
基本だと思っていて、
一時、
表現が悪いけど、
お金で移住者を
みたいな動きが
一時はあったんだけど、
僕はそれはやっぱり
ちょっと違うなと思っていて、
本当に今皆さんがやられている
こういう取り組みの中で、
一人でもね、
面白そうと思って住んでいただけるのが
本来の姿だと
僕は思っているので、
いい傾向だなと思っていますよ。
ありがたいと思いますね。
そのね、
少しでもきっかけづくりを
僕らもこうやって
ポッドキャストでできれば。
楽しさを伝えたいです。
中身なんかなくてもいいので。
楽しいことがたくさん。
でも楽しいとね、
興味が湧きますもんね。
設楽町に来ると、
こうやって町長さんとも
話をできるぐらいフレンドリー。
僕町長さんに
お話をするときに、
これ僕、
すごいなっていうか、
いいなって思ったことが一個。
一個ばかりじゃないんだけど、
一個あって、
今地域に回られているじゃないですか。
住民。
地区懇談会。
なかなかさ、
町長さんが
いろんな町の周りの地区を回って、
そこの住民の人と
お話をしたり、
意見を聞いたり、
説明をしたりっていうことを、
僕は過去、設楽町にいたけど、
土屋さんの前はそういうのって
あんまりなかった。
なんか大きなね、
ダムの説明とかってことがあれば、
あったかもしれないけど、
定期的にこうやって回って来られるってのは
なかったんじゃないのかなと思うんですけど、
そのあたりは。
僕は町長になる前に
14年間議会議員をやってたんですけど、
まさに
住民の皆さんとの
話を聞く機会がこの町はないな
っていうのを
ずっと感じてて、
それはやっぱり
ダムを受け入れる、受け入れないという
問題があったので、なかなか
やりにくかった部分は
正直あったと思うので、
できなかったのかな
というのは
感じてたんだけど、
僕、町長をやろうと思って
一番やりたかったのが
この学校の住民の皆さんと
懇談をしたいというのが
一番だったので、
さっきもちょっとそんな話を
したんだけど、
待ってると役場が
やってくれると思っている人が、
田舎の自治体ってやっぱり
行政が
いろんなことを助けるので、
町に比べたら
結構手厚いと、
いろんなことが手厚いと思っているんだけど、
そうではなくて、
やっぱり
住民の皆さんにも
頑張ってもらわなきゃいけないし、
もっと言うと、
毎年懇談会の時に、
くどいぐらい将来の
予算の話をさせてもらうんだけど、
別に
暗い話をしているつもりは
全くなくて、
現状をきちんと理解した上で、
住民の皆さんにも
分かってもらった上で、
どんな町をつくりたいかという
話を一緒にしたいなと思って
懇談会をやっているんだけど、
最初の頃、
2年ぐらいは、回っていくと
道路をつくってくれ
という話と、
草を買ってくれという話
ばっかりだったんですよ。
だけど、
ここ2年ぐらいね、
どこの地区行っても、
道路を、
直してくれという話はありますよ。
あそこは水が噴いてしょうがない、
道路を直してくれという話はあるけども、
わりと、
皆さん言わなくなった。
地区ごとに、
お話しする内容とか雰囲気が違うのですか?
そうだね、
今こそ、
名倉、
津具あたりは保育園の話がよく出てくるので、
まあね、
しょうがないなと思って、
ごまかしても
ダメなので。
僕らの地区もね、
お話がたくさん。
まあそういう時も
ありましたけど。
まあ何でにしても、
前に
進んでいくしかないし、
ある中でよく、
よりよくやっていくしかないなという
スタンスで僕らも
お話しさせていただいているので、
なんとなく最近僕も毎回出させてもらっていますけど、
1回目の頃よりも、
だんだん
町長さんが説明される、
役場の担当者の方が説明される
ことに対して、
住民の方もスタンスが
だんだんちょっと変わってきたかな
という感じがしてます。
僕もそうですけど、説明して顔を見て
話をするとやっぱり人と人なので、
親近感も湧くし、
理解も湧くし、
信頼関係もできてくるので、
こうやって説明してくれているのに、
そういうことを言ってもしょうがないじゃん
という人がチラホラ出てきたりだとか、
こうやって言っているんだなと聞くとか、
そういうような雰囲気がやっぱり
その場所に
昔と思うとできてきていて、
なんかちょっと変わってきたなというのは
正直感じるところですね。
そうですよね。
地区懇談会だけじゃなくて、
私たちのビアガーデンとかにも
町長さん顔出してくれたりとか、
毎回来てくれて。
小学校の時の町長さんとかって、
大きな行事にしか
現れないので、
すごい何ていうのかな、
話ができないような感じがするんですけど、
今ビアガーデンとかに
来てくれたりとか、
ちょいちょい行事とかでも、
町長さんの顔を、それでストレスになっていたら
申し訳ないんですけど。
僕の子供の頃の町長さんとかって、
やっぱりどっかちょっとこう、
偉い人。
威張ってないんだけど、
偉い人で近寄りがたい感じがあったけど、
すごいね、土屋さんはね、
僕がこういうこと言うと失礼だけど、
すごく親しみがあるんですよ。
今日もこうやって
ポッドキャストにも出てくださいって言えちゃうんだけど、
すごくすごく
好きなところで、
何かあった時に
相談持ちかけることができるような
近さを感じる。
だから町民と
役場行政と
そのトップのね、ボス。
みんなで一緒になって
設楽町っていう町を
作っていける土壌があるんだなっていうのを
最近すごく感じるので、
まあね、土屋さんのね、
こういうイベントに
遊びに来てもらって、
いつもビール飲んでニコニコしてくれるところを写真撮るんですけど、
さっきのガッツナイターもそうで、
みんな声かけるじゃないですか、
町長さんに。やっぱそれって
人柄なんだろうなって僕は思うんですよね。
僕は人と
お話をするのすごく好きなので、
設楽町庁舎の魅力
いろんな人といろんな話をしたいなって、
いつもそれは思ってるので、
こうやって
お話するの嫌いじゃないですか。
なのでここも
職員の人にも
いつでも来てねって言うし、
住民の人にも会えてるときは
いつでもどうぞって言って、
割と敷居が高いのか。
高いですよね、町長室なんてね。
さすがに僕も今日、
無言でダーッとここまで入ってくることはできなかったので。
そうですか。
さすがに場所もわからなかったし、
ここなんだみたいなね。
でもあれだよね、
設楽町の庁舎は木造で、
今日も初めて僕、実は
町長室に入らせてもらいましたけど、すごく
木がたくさん使ってあって、
雰囲気が
あったかい感じがあるなーって
すごい感じますね。
これ設楽町産の木ばっかりで
作ってあるので、
これは立派なものだと思いますよ。
匂いがね。
これを
作るときに僕は議会議員をしてたんだけど、
当初は
RC、鉄骨の設計
だったんですよ。
僕はそのときに
どうしてこんなに気のあるところなのに
木造でやらないの?
っていうことを質問した覚えがあるんだけど、
そうすると
木造でやったので
2億くらい、1億だったか
2億くらい確か高くなった。
高くなったんだけど、
1年間でね、
ちょうど
公共の建築物の
低層階、低い階のものは
国産材でやりましょう
という法律が整備された
年だったんですよ。
なので、
ここの視察の方が
1年間で
1000人くらい
いろんな日本中の自治体から
この木造の作りの
視察を1000人くらいの方が
確かお見えになって、
で、
僕はもともと商売屋なので、
1000人の方が
興味を持って
この町に来てここを見てくれる
っていうのは
お金に換算すると
僕は2億円どころの話ではないと
思っているので、十分
効果はあったと思うし、
誇れる建物だと思いますよ、これは。
へえ。
僕も、
僕ずっと中学校、
高校から町に出てたり、
帰ってきたのが
30過ぎなんですけど、
その間に
設楽町は合併したし、
庁舎も新しく、
僕が知っている役場っていうと、
山口屋さんの横の
昔の役場。
僕が議員になったときに、
3階に議場があって、
窓を開けると
戸が外れて落ちるだけでは
ダメだって言われましたよ。
雨漏りがする。
窓を開けると
戸が外れて落ちてしまうので、
その窓を開けないでくれって
言われる庁舎だったんです。
古かったですもんね。
それがね、すごい
平屋の
綺麗な木造の
建物になって、びっくりした覚えが
ありましたね。初めて
用事があって、
手続きは奥さんが
大体やってくれるみたいな。
何かの用事で来たときに、
すごい立派で
綺麗な建物になったな
と思いました。すごい温かみがあるし、
すぐ
町場の何階もあってとか
じゃないんで、窓口がすぐ目の
届くところにあるじゃないですか。
行くと大体
関係ないかの人も
何しに来たかとか言って、
話して。次のとこ行くと
何だって言って、話をして。
田舎あるあるっていう。
そういうところがやっぱり
田舎らしさだし、したら町らしさだし、
そうでなきゃいけないなとは思うしね。
もちろん知らない人もたくさんいるよ、設楽町の
役場に。だけど幸い
知ってる人もたくさんいて、
声かけてくれるので、何だとか言って。
それならあそこだよみたいな。
どこ行けばいいって言って。
したらむ。
まだ若いんだ。
ありがとうございます。若いと思います。
したら町のにしたら若い。
町若手ですよ。
46って
19も
違うの。
若いんですよ。
年を感じるな。
本当に年を感じるな。
46の頃何してました?
合併後の行政の歴史
46の頃ちょっと議会議員になりました。
志が違うよ。
46でなりました。
お恥ずかしい。
ちょうど
46だったね。
46の年に議会議員になって
なので
かなり若かったですよ。
中では。
そうですよね。周りだと
もっと上の方ばっかりですもんね。
そうか。新しく設楽町になってからの議会
議員さんですね。
旧津具村じゃなくてね。
合併後第1回目の
選挙だね。
合併時は確か
津具が6人
お互い引き継いで
みんな出たんだよね。
20人ぐらいいたじゃないの。
議員さんが。
津具が6人で
したらが14人ぐらいだったと思うけど
なので
選挙せずにお互い
町長さんだけは
選挙したんだけど
議会はそのまま
出てこられて
2年の任期で
2年やって
改選になって新たに選挙やる。
へー
17年に合併したので
僕らが選挙出たのは
19年
平成19年の選挙
合併後
本当に議会としては初めての
合併後
全町区というの
初めての選挙
本当にあれじゃないですか
新しく生まれ変わった
設楽町の歴史をずーっと
行政の立場で関わられてきて
町づくりに関われてきたっていうのが
土屋さん直ですね。
そうですね
僕は都議なので
ダムのことあれだったんだけど
ちょうど
2年後に調印をするんだけど
なので
毎晩
集まって
ダムの話し合いをした覚えが
2年くらい前晩のようにやった覚えが
議員さん同士ですか
そう議員さんと
地区の人もいたり
県の人がいたり
いろんな説明を受けたり
その中で
やった覚えがあるね
へー
でもねまた
土屋さんのところに来て
改めて設楽町の歴史というかね
町政の歴史みたいなのを聞くと
面白い話が
してきたね
2回目のゲスト決定してました
また日を置いて
年一くらい出ていただきますので
お願いします
地域の温かさと未来へのメッセージ
ということでですね
いろいろお話を聞いていただくんですけど
そろそろまとめにも入っていきたいと思うんですけど
このポッドキャストですね
世界中に
出てます
というのはインターネットの波に乗ってますので
どなたでも
聞けるようなものになってますので
実際にアメリカの人が
聞いてたりとかってこともあるよね
あるよね
ということで
世界中のごくわずかな
リスナーさんに向けて
メッセージを
いただけたらと思いますので
あの
町長の立場で一言を言うんであれば
こんなに
いいところはないので
ぜひ一度遊びに来ていただきたい
僕一番
この町の一番好きなところは
人の暖かさ
だとずっと思ってて
こんなに暖かい
言葉はね
きつい部分があるのかもしれん
特に
私の津具なんていうところは
言葉がすごくきついところなんだけど
その中にもやっぱり
人の暖かさってちゃんと出てる
町で
見ていただきたいところも
あるのでぜひ
多くの方に来ていただきたいと思います
個人で言うんであれば
さっきも
言いましたけど
毎日何か楽しみを
見つけて楽しく
生きていっていただきたいですよね
僕はそれだけが
目標なので
1日とか1年の
目標はとにかく毎日
楽しく過ごすこと
いろんな悩みも
ここの立場になると
悩みもあるけども
くよくよせずに
楽しく
毎日面白おかしく
生きていきましょう
というのが目標なので
どんなことも一生懸命やったら
毎日楽しいですよ
僕この仕事
面白いですもん
辛いこともいっぱいあるけど
いっぱいあるけど
一生懸命やってるつもりはあるので
面白いですよ
僕この仕事どんな仕事も好きですけど
面白いなと思いながら
良かったね
設楽町のトップが楽しんで
町長職をやっていただいてるっていうのが
辛い辛い
口がずっと聞かれた
どうしようかと思ったけど
さすがに言わんと思うけど
目標があって
何でも一生懸命やろうと思ってます
一生懸命やるかわりに
言いたいことを我慢せずに
言おうというのがあるので
この職につくと
言いたいことが言えない時がありますが
それでも多分
よその
首長さん首長さんと比べると
多分僕は言いたいことを
たくさん言ってしまっているんだろうな
と
反省するんですよ
なので県の方にも
国の方にも
ちょっとこう
えーって思われてる
ものがあるのかなと
性格なので
直らないので
直したら僕じゃなくなっちゃう
長所だと思います
一生懸命やるかわりに
言いたいことを言ってしまおう
ありがとうございます
ということで
リスナーへのお言葉もいただきましたので
最後に実は先ほども
言いましたけど
このポッドキャスト配信リレーの
テーマに未来というのが
一個ありますので最後の締めとして
長所さんの夢というか
設楽町の未来への展望
この設楽町への夢
ご自分の夢でもいいんですけど
未来に向けたこと何か一言
言っていただけると思いますが
あの
設楽町はこれからいろんな
可能性があると思ってて
僕は
この町の将来を
考えるときに
もっと民間の方と
いろんなことを一緒に
やっていきたい
そこをやらないと
なかなか未来が見通せないな
と思っているので
ぜひ住民の皆さんも巻き込んで
民間の皆さんとの
連携をいかに図っていくか
というところをやっていきたいなというのが
町長としての
未来の夢です
自分の夢は
僕
なんていうんですかね
車の運転好きなので
本当の夢を言うと
長距離トラックの運転を
一度してみたい
おー意外
九州ぐらいに行く
長距離の
大型トラックの運転を
ぜひ一度してみたいというのがあって
これ本当に思っているんだけど
あのー
免許がないので
まず免許を取るところから
始めなきゃいけない
多分夢のまま終わってしまうのかなと思うんだけど
本当の夢はそれですね
車の運転嫌いじゃないので
ちょっと今の
多分大人だと免許取りに行くのも
大変かもしれない
おそらく合宿免許しかない
個人的にはね
それが一番の夢ですね
ぜひその夢が達成したときには
またゲストで
一回に楽しかったから
聞きたいね
九州まで行った道中の
出来事を
いつも高速道路を乗って
いろんなところに行くんだけど
仕事でも行くけど
見てていいなと思って
トラックが横通りに過ぎると
日本のトラックってきれいじゃん
きれいですよね
本当に快適そうだし
僕らの頃はね
菅原文太と愛川欽也の
デコトラですよね
トラック野郎の
意外な夢を最後に語っていただいたところで
九州さんもお忙しいところも
ありますので
また出ていただくということで
今日はここまでにいたしたいと思います
九州さんありがとうございました
ありがとうございました
ということでですね
フルバージョンで聞いていただきましたけど
意外なね
まさか服屋になりたいとかさ
カレー屋とかね
じゃあカレー作ってもらわないといけない
今度ね
うちの出展の時には
土屋カレーで
カレーのひろしがいい
言い方変えただけだけどね
やってくれるかな
客要請パーティーになってもらって
やめなさい
言い方悪いぞ
何にしても
これからも土屋さんの元で
しばらくは設楽町を頑張っていくということですので
我々もいろんな形で
私たちの活動も応援してくださっているので
理解のある方なのでね
一生懸命私たちもね
みんなと一緒に楽しみましょう
一緒にやりながら
時には支えながら時にはお尻を叩きながらですね
頑張っていきたいと思いますよ
頼むねその辺は
いやいや私じゃないでしょそれは
やめてよちょっと
返事を濁したのにめっちゃひろうじゃん
やめよやめよ
何にしてもですね
こういう人だという意外な一面を
皆さんも知っていただいたと思います
そうそう町外の人も
これを聞いてね面白い人が
町長さんやってるなと
思っていただければですね
それでハッピーかなと
一瞬じゃないや一見
ちょっと近寄りがたい雰囲気とかあるかもしれん
ってご本人さんは
言ってたけど
ご本人さんがちょっとそういうこと
よく町長さんはおっしゃってるけど
そうじゃないよ言葉大変だな
難しいな
日本語って難しいよね
ということでですね
そんなしたらぶですけれども
そういうこと
ということでそんなしたらぶですけれども
現在のところはですね
不定期で配信となっておりますので
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それではまたの機会にお会いいたしましょう
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