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2025-02-03 24:59

v140-1 亀田ファミリークリニック館山 副院長・岩間秀幸さん~祖父の足を…

今回は、亀田ファミリークリニック館山 副院長・岩間秀幸さんにお話を伺いました。
千葉県館山市で家庭医として、日々お仕事をされている岩間さん。
まずはその「家庭医」について、そして家庭医になられた経緯について、伺いました。

亀田ファミリークリニック館山:https://medical.kameda.com/kfct/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、亀田ファミリークリニック館山 副院長・岩間秀幸さんにお話を伺いました。
千葉県館山市で家庭医として日々お仕事をされている岩間さん。
まずはその家庭医について、そして家庭医になられた経緯について伺いました。
まず、岩間さんはお仕事は何ですか?
仕事は家庭医です。
家庭医と言うと、どういう…。
そうですね、これが結構説明が大変なんですけど。
僕らは家庭医診療科というところで、そこの部長を今させてもらっているんですけど、
家庭医はアメリカとかイギリスとかだと、基本的に一番多い者の種類。
イギリスとかも制度上、何かあったらこの地域の人たちはこの家庭医にかかりましょう、みたいなことが決まっていて、
どんな病気の相談とか健康相談とか、日常的な健康診断なんかもそこの先生に行くって決まってるんです。
なので、いろんな相談に乗るみたいな、ありとあらゆる眼科の相談だって乗るっていう。
その先生を通していないと専門医には受診できない仕組みに。
仕組み自体がそんな。
なので、そういうふうにありとあらゆる問題を質高くやるというか、責任持ってやるみたいなところが家庭医っていうのがあって、
日本の中では新しく内科とか小児科に並んで総合診療科っていうのが最近できたんです。
それはまさに日本の中での家庭医を作ろうというか、何でもできる人を作ろうみたいなところがあって、
私たちはそういうことをやりたくて、結構前から集まっていて、
全国でどんなことでも、よくあることに関しては何でも相談に乗って、
必要なものを専門の先生につなげる仕事をしようみたいなのをやりたくて、家庭医というのをしてます。
そういうことですね。
それはじゃあ、もともと居山さんがそういうふうにしたいっていう思いがあって、その方向性に進んでいった。
立山に来た理由が、家庭医になりたかったからという理由ですね。
それはなぜ立山なんですか?
日本の中で家庭医になれるための教育がちゃんとできる場所って、本当に数箇所ぐらいしかないんです。
ここはメッカというか。
メッカ?
メッカです。
こういう言い方をすると、自分が今入っているのであれですけど、
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後輩たちというか、今の新しい先生、これから研修になってとか、医者になっていく途中の先生たちは、
聖地巡礼とかって言って立山に来てくれる。
そうなんですね。
一度はここの診療を見て、自分がどんな医者になりたいかを考えるみたいなことをしてくれるので、
毎週というか、ほぼ毎日ぐらいのレベルで見学に来る。
そうなんですね。
医者さんが来てくれて。
そうなんですね。
立山をそれによって知ったから来たっていうのは、もともと居山さんは医者になりたかった?
医者になりたいは、もう中学生ぐらいから医者になりたくて。
それは何でですか?
それは、おじいちゃんの足を生やしたかったっていうのが一番の理由で、
自分の祖父は事故で片足を亡くしていて、
僕の遊び場っていうのは、空いた片足のスペースで一緒に車椅子に乗って、
おじいちゃんはもともと工業系の会社の社長さんをやってたんですけど、
小さい会社の社長なんですけど、
メッカがすごい得意で、電動車椅子を改造しちゃうんですよね。
すごいですね。
むっちゃ速い電動車椅子におじいちゃん乗ってて、
むっちゃ速いかも聞いたことがない。
リミッターを外したんだと思うんですけど、
病院のリハビリにいつも行くときに、
僕を無い足の方に座面に乗せてくれて、
爆走して病院に行って、
そこで日常的にリハビリをしている方を見てたんですよね。
おじいちゃんもその時は大変そうしながら片足のリハビリ頑張ってたし、
他にお病気をされている方も若い人もいたりとか、
いろんな方がいる中でリハビリをしてて、
その人たちに手助けになることができるみたいなのが、
子供心にもすごい楽しみだったというか、
当たり前のようにこういう風になりたいと思って、
おじいちゃん足が生えればいいじゃんって思ってたので、
足を生やすための工夫というか、
ことをしたいと思ったのが多分きっかけですね。
そうなんですね。
それをもう中学くらいの時には、
医者なのかな、医師なのかなという思いがあって。
そうですね。ほぼ文集にはそんなことを書いていて、
夢と言われたら、多分一貫して医者って答えたかもしれないですね。
そうなんですね。
でもそれで医者になろうということで、
多分医学部に行って、選択していくじゃないですか。
そうなんです。
そこで家庭医の方を。
全然知らなかったんですよ、最初家庭医をそもそも。
祖父の思いは、大体高校くらいまでは、
医者になるということは決まったけど、
足を生やすの無理かってちょっと気づいてきて。
というのもあって、
医者になるって気持ちは変わらなかったけど、
何かになるみたいなイメージはあんまりいなくてですね。
人を助けができるというか、
06:00
誰かのために役に立つみたいなことができたらいいなと思って、
高校の終わりくらいにやりたかったのは、
難民キャンプとか、
長崎医師団みたいなところでの医療をやろうといつもは思っていて、
そういう人たちにいろんな話を聞く機会をもらって、
最終的には産婦人会員になろうと思ってたんですよ。
それは貧困でしょうがないから、
子供を産んで人出を作る。
でもその状況が悪いから早くに子供を亡くしてしまって、
みたいなことがあって、
村の祭祀は亡くなっても笑ってるみたいな街の様子を追いかかって、
同じ命なのに何でこんなに格差があるんだろうみたいなことに葛藤があったので、
女性を助けるみたいなことをしながら、
世界に何か貢献できないかなみたいなのを持って、
産婦人会になろうと思ってて。
お産もすごいんですよね。
お産ってめちゃくちゃすごくて。
自分も2人子供いますけど、
産まれる瞬間って大変ですし、
いっぱい困難が伴うし、リスクもあるんですけど、
産まれた瞬間のお母さんの顔っていうのは、
世界の中で一番美しいと思って。
すごい。はいはいはい。
トツキとかお腹の中にいていろいろ心配しながら大変な思いをして出産して、
抱いた時の顔っていうのはすごい綺麗なんですよ。
聖母マリア像をいっぱい絵を描く人たちが、
気持ちがわかるというか、美しいと思って。
こんなところに貢献できたら一番楽しいんじゃないかと思って。
自分のやりたいことと、世界の貢献みたいなことが一致したのが産婦人会だったので。
初期研修医って最初の2年の研修期間は、
産婦人会になりますって言ってたんです。
はいはいはい。
産婦人会先生にはお前見込みがあるって言われて、
たくさん焼肉に連れて行ってもらってですね。
たくさん焼肉?
医者ってどのかに進んでもらうかどうかってやっぱり引っ張り合いなので、
だからこんなに産婦人会やりたいって言ってて、
お前いいじゃないかって言って、ご飯たくさん連れて行ってもらって。
だったんですけど、途中で産婦人会一生懸命研修させてもらったりとか、
自分も勉強して、自分の子供も自分で取り上げたので、
研修医2年目の時に自分の娘が生まれたんですけど、
それもお前やれって言ってもらって、自分で取り上げて。
母子手帳には取り上げ医が自分の父親の名前で、
こんなにいいことないじゃないかって思ってたんですけど、
そこで生まれた後どうしようかみたいな問題にちょっと気になり始めて、
産なら産婦人会は終わりなんですよね。
そうかそうか。
生まれた後は産職検診で、1ヶ月後の検診をして、
その後は小児科に子供は行くし、
09:00
お母さんは基本的には産婦人会の手を離れるっていうことになるんですけど、
その時に産後鬱だったりとか、
子供の病気が大変で悩むお母さんがいたりとか、
みたいなことのお話を伺うことがあって、
僕、患者と喋るのがすごい好きなので、
研修の頃からたくさん話をすることが多くて、
その人たちが自分の手から離れてしまうんだみたいなことを感じて、
それをやりたいって言ったら、
なかなか産婦人会っていう枠の中では、
その当時の上司の先生からは、
それは任せるべきところで任せた方がいいって言われてしまって、
お前はそれよりも手術の勉強した方がいい。
良いお産をするためには良い手術ができるようになった方がいいので、
ガンの手術とかをいっぱい勉強して、
ガンの手術をやればいいんだよって言われたんですけど、
僕、ガンの手術をいっぱいしたわけではない。
そうかそうか、思いとしてはそうですよね。
お母さんたちの生活を支えたいとか、
生まれることが悲しみに繋がることがないようにしたいが思いだったので、
あれ、これもしかしたら違うかもしれない。
そっか、その現場をちょっと通して気づいてしまったんですね。
今まで食べた焼肉はどうするんだっていう。
そこがめっちゃ気になりますけど。
そこで気持ちとしてはちょっと違う方向に。
違うなって思って。
それでその時は一番患者さんに近い場所って言ったら内科かなと思って、
内科医を選択したっていう。
それが最初のきっかけだったんですね。
家庭もその時知らなくて。
その段階ではまだ知らない。
全然知らなくて。
研修した中で一番患者さんの話を聞いたりとか、
単位スタートのケアとかにも主体的に関われるなと思って、
じゃあ内科医かなと思って。
それから内科医を2年間やってたんですね。
その医者4年目の時に石垣島に行かせてもらって、
石垣島はその時内科医がすごい大量離職して、
県の中での事業なんですけど回らないって話で、
その時に応援でって言っていただいたので、
僕がやりたかった医療に近かったのでやろうと思って、
石垣島に貸してもらって。
そしたら小児も高齢者も、
何ならその時は女性、産後時間制度が少なかったので、
妊婦さんの緊急とか対応とか一緒にみたいな話を聞いたりとかして、
やりたかったというか、
全部できるってなったんですよ。
これだと思ったんですけど。
そしたら質高く全部やるってことが、
こんなにも難しいんだってことに気づいちゃったんですね。
大きい病院に行って内科医としてやってたら、
なんとなく自分がいろんなことできてるつもりだったんですけど、
独り身になって離島に行って夜中一人で、
緊急があったら自衛隊機を呼んで一緒に搬送していくとか、
そのジャッジもしなきゃいけないとかってことを任せられた時に、
12:02
これやばいと思って。
年齢経齢の子どもを見ながら、
100歳のおじいちゃんが島で死にたいみたいな話をしている中で、
誰を助けるかとか、そういう判断をするのに、
自分の勉強量じゃ足んないと思ったんですよね。
そこでアイデンティティクライスを起こして、
誰でも助けられるとか、何でも見られるってことと、
その質を担保するというか、命を助けるってことを両立させる方向が
自分にはないって思って、結構ショックだったんですよ。
その時にいろいろ海外の話とか聞いたりとか、
いろんな先生と相談しながら、
その時会ったのが今のここの岡田委員長に会って、
それ多分家庭だよって言ってもらって、
何でも見れるトレーニングをちゃんとやるんだって言って、
もうドンピシャというか、雷が落ちたような。
雷が落ちたような。
そこで家庭医というものに初めて出会って。
すみません、一息で喋っちゃいました。
今のストーリーがものすごい。
そういうことで、そういう経緯で家庭医に出会って、
それが立山で。
そうなんです。いろんなところ、今200カ所ぐらいあるんですよ。
研修できる場所ってのがあるんですけど、
本当に日常的に当たり前にどんな人も見るみたいなことを
できているところってまだたくさんではなくて、
そういう意味では、本当に興奮して沖縄に帰ったことをとても覚えていて、
やりたいことがここにあったって言って。
最初はおそらくモヤモヤとやりたいなみたいなのがある中で、
それを実際現場経験を通していく中で、
実際にこれだっていうものに至って、
それで立山に来てという。
立山に来たのはいつなんですか?
2011年、震災の後に来たんですよ。
もう十数年経って、実際ずっと立山にいらっしゃる。
そうですね。今もたぶん楽しくてしょうがないというか、
やりたいことができているって。
じゃあその気持ちみたいなものはずっと続いて、
やりたいことをやり続けている状態。
それはひとつ幸せなことというか。
めっちゃありがたいですよね。こんなことはないなって思いますし。
海外医療って思っていた気持ちもあって、
本当はここで育ったら、5年くらいしたら東京拠点とかにしながら、
時期に合わせて海外のボランティアだったりとか、
そういうことをしようって思っていたんですよ。
だからまさかこんなに長く立山にいるとも思っていなくて。
家も建てようとしちゃったりして。
住み着いちゃおうかなと思っているんですけど。
後輩がいっぱい育っていて、
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家庭になりたい後輩たちが今27人ここにいるんですけど、
その子たちの中から国境なし禁止団に行った子だったりとか、
同僚が南極に行ったりとか、離島に行ったりとかというので、
一緒に学んだ仲間だったり後輩たちが家庭の力を使って、
自分がやりたかったことをどんどん実現したりとかチャレンジしているので、
それを支えたりとか支援するのも一つ自分の喜びだったりするので、
結構今本当に子供の頃からやりたかったことがいっぱいできています。
おじいちゃんの足を生やしたかったという思いから医師を志し、
様々な経験を経て家庭医との出会いに
雷が落ちたような体験をされたとおっしゃる岩間さん。
まさにやりたかったことに出会ったという感覚を得たそうです。
実際立山で住まわれて長くたって、立山ってどうですか?
立山、表向きには超いいところってまず言いますね。
表向きには、はい。
意図的に言ったのは、惜しいと思っていて。
こんなにいいところがいっぱいあるのに、もっと栄えてもいいだろうと思ったりとか、
こんなにいい人たちいるのに、もっとつながった方がいいだろうとかっていうのがあって、
この町にいる人たちはすごいいい人だし、能力もいろんなポテンシャルがあったりとかして、
海岸から見る富士山とか雪とか、これは結構な財産だぞって思うんですけど、
もっと流行ってもいいんじゃないって。
そういう意味での、パッと言われたらいいとこですって言いますけど、もっといいとこって推したいというか。
そんな気持ちです。
僕、生まれ育ちが立山で、高校は来さらず行ったので、
中学一杯くらいまでは住んでたっていう感じなんですよ。
思えば住んでると、生まれ育って住むと海とか全然行かないみたいな。
地元だと夏とか泳ぎますけど、普通の冬場とかは行かないしみたいな。
やっぱり東大元暮らし的な近いから行かないみたいなのがあるのかなって、
最近いろんな方とお話ししてるとそういうのを気づいて、
例えば移住してきた方とかって立山の魅力がある。
自然に惹かれてやってくるみたいなところはあるんですけど、
そういう方は立山の魅力をたくさんいただくんですよね。
そこだよなって改めて思うんですよ。
やっぱり岩本さんおっしゃったように、惜しいっていうのって、そうだなってすごく思うんですけど、
ただ数年前に比べて観光で来る方とかは増えてる印象があるんですよね。
夏場とかのゴールデンウィークとか、人結構いますよね。
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そういうのって少しずつ、例えばテレビとかメディアでも盛り上げられるように、
立山の皆さんが頑張っているところはあるなと思いながら、まだまだポテンシャル高い。
移住者の方とか旅行で来てくださる方と話してると、
あんまり言わないで、穴場なんだからって。
その心情もわかる。でもそれもわかります。
岩本さん的にはもっと盛り上がるというか、伝わってほしいという思いがある?
そうですね。できれば若手世代の仕事がたくさんある町に乗ってほしいというのは一番で。
そうですね。やっぱり今移住される方も、ある程度仕事を終えてから来る方もたくさんいますけど、
やっぱり若い人がもっと来てほしいというのは思いとしてはありますし、
それには何が必要ですか?
いやー、まずそれすごい行政的な話題になっちゃうと思う。
学校と職場だとは思うんですけど、
子と教育を受けようと思うとやっぱり外に出るっていうのは、
うちの子供も東京に出しちゃったので、
そういう意味では建間でずっと育ってっていう環境もいいなと思ってますけど、
やっぱりそこはちょっと課題感があると思っているので、
その後帰ってきたいみたいな時にどんな仕事があるかみたいなところを作れるかどうかは、
大きいなあって。
例えば大学が一つありますだけでも全然違うでしょうし、
その世代の方がいるみたいな。
その辺とかは確かにあるなとは思いつつ。
そうですよね。
なるほど、そっか。
実際岩本さんは建山に医療に関わっていらっしゃるということで、
この地域の医療みたいな感じはどういう思い?
そうですね。
この地域は多分結構恵まれていると僕は思っていて、
その医者の数にしても千葉県全体は医者の数少ないんですけど、
この建山地域はやっぱりめちゃくちゃいるんですよね、医者が。
そうなんですね。めちゃくちゃいるぐらい?
めちゃくちゃいるんですよ。
それはやっぱり大きい病院もあったりとかいますし、
それこそ私たちの無償診療所って全く別途を持っていない。
有意設を持っていない診療所なので、
いわゆる一般的に何とかいいみたいな形でかかるクリニックの体制なんですけど、
そこに26人医者を要していて、
みんなが全国からここで力をつけてというので、
一気一気やりたいと思ってきてくれるので、
そういうふうに医者がまだ集まるみたいなところがすごくいいところなのかなと。
他の町に行かなくても治療が受けられたりとかするっていうのは、
地域の医療の質というかボリュームでいうとすごく安心してもらえるというか。
建山って自分が困った時に東京と同じレベルの標準的な医療がちゃんとできるってことだったりとか、
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最後まで医療を受けられるとかだったりすることに関しては結構群を抜いてると思うので、
これは移住してもらうときのポイントになるだろうなって。
確かにそれはそうですね。
僕今聞いて、そうなんだって感じだったんですけど、知らなかったんですけど。
かもしれない。
それがどこまで伝わってるんだろうみたいなのはあるのかなって思ってしまったんですけど、
当然やっぱり現場の人は発信とかもしてるでしょうけど、
やっぱりそれが地民というか、
あと地民の方もそこに情報を入れようとしてるのかみたいなところもあるだろうから、
そういうのもあるかもしれないですよね。
そうですね。地元の方にとっては受信が本当に全部快適かっていうと、
やっぱり国家しづらいとか不満をきってあると思うんですよね。
それって多分医療って比較がしづらいっていうのもあって、
この町ではこう、あの町ではこうみたいな、僕もいくつか点々としてみたいなところがあるので、
逆にすごい制限された環境で働いてると、
今この状況で受信が困った時に受信ができるみたいなことだったりとか、
そういうのはすごいレベルでは高いと思いますし、
さっきイギリスの話をちらっとしましたけど、
イギリスはすごいちゃんと整ってるとかっていうイメージなんですけど、
全然で、今日受信したいなんてほぼできないですよね。
そうなんですか。
調子悪いから受信したいって言っても、
医者にかかるまですごいいろんな道のりがあって、
通常の受信だとじゃあ3日後が最初の予約の時間ですみたいな。
そんな感じになっちゃったりするのは当たり前な世の中だったりするので、
日本って多分困って受信したいんだけどって言って受信できないなんてことほぼないじゃないですか。
だけどこの年末年始とか特にインフルエンザの方とかすごく多かったみたいな背景があって、
千葉県の中のある市とかでも朝10時に受信したけど審査届けたのが午後5時とかみたいなことが起きてて。
そういう街もあるというか。
そんなことは多分立山では起き得ないというか。
そうなんですね。
すごく恵まれていると思うんですよ。
それは聞いて、そうなんだっていう。
そうなんです。そこは推しポイントだと思うんですけど。
でも多分情報の受け方が難しいんですよ。
移住してくる、例えば高齢者の方がお住まいになる施設だったりすると、どこどこ病院と連携してますみたいな。
パンフレット見たときに、その医療の受けやすさとか幅とか先生の雰囲気とかみたいなのって、
良さそうに書いてますけど、実際どうなのみたいなのって、そこ比較するのすごい難しいので。
我々が発信するとすると、そういう感じをもうちょっと具体的に発信しないとダメかなみたいなのは、確かに移住している方と話をしているときに話になって。
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でもそこでも言われるんですよ。あんまり押しちゃうとさ、みたいな。
そっか、そこはそうですね。
でもそうなんですね。
なるほどな。ちょっと難しいことではあるんですね。
課題感としてはあるけども、どう出していくとか。
そうですね。
当然伝わるのはいいんだろうけど伝え方もあるんでしょうね。
そうですね。
立山は家庭医療の聖地と語る岩間さんは、地域医療の発展に尽力しながら、後輩たちとともに新しい挑戦を続けています。
立山には医者はたくさんいるという立山の医療環境は私も知りませんでした。
そんな岩間さんのお話は全3回でお届けします。
次回第2回目をお楽しみに。
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