前回に引き続き、亀田ファミリークリニック館山 副院長・岩間秀幸さんにお話を伺います。
今回は、普段どのように過ごされているのか、ということからお聞きします。
亀田ファミリークリニック館山:https://medical.kameda.com/kfct/
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https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
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サマリー
亀田ファミリークリニック館山の副院長、岩間秀幸さんが家庭医の視点から診療や患者との対話について話します。彼は医者としての役割を重視しながら、プライベートな時間に料理を楽しむことで人とのつながりを持ち、生活と仕事を融合させています。さらに、家庭医学の重要性とその可能性についても語ります。医療における患者との関係や家庭医による支援の重要性を強調し、より多くの家庭医を育成したいと考えています。
医師としての役割と日常
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、亀田ファミリークリニック館山副院長 岩間秀幸さんにお話を伺います。今回は、普段どのように過ごされているのか、ということからお伺いしていきます。
普段は何をしているのですか? 仕事じゃない時間ですか?
日々どういうふうに過ごしているのか? 診療している様子とか、例えば1日のスケジュール。当然、スケジュールは決まっているので、ある程度、この時間は診療していますとか、そうじゃない時間は、例えば教育とか、そういうのを総合的に自分で組んでいくんですか?
いや、これは基本的には、そこは勝手に言うと難しいところで、僕たちは何でもやるんですよ。何でもやるというのはどういうことかというと、外来の診療もやりますし、訪問診療でお家に行く日もありますし、
透析もやっているので、透析の診療もやりますし、妊婦検診でもやるので、普通に妊婦さんを見る時間があって、
だから、私は外来を週に2コマ固定しているんですけど、他の先生たちはほとんど固定していなくて、今日は何々、明日は何々、そんな暮らしをしているんです。
次、明後日何をするか分からないみたいな?
分かります。3ヶ月先まで予定を組んでいるんですけど、その組み方が固定できないというか、曜日固定できなくて、日々、なんで僕は明日はこれだなとか、予定を見ながらというか、
午前中指導してというか、外来をして、たくさんの先生たちが診療しているので、難しいご病気だったりとか、対応が大変だという時にはサポートできるような役割をするという時間に当たっている場合もありますし、訪問診療に行って患者さんの診察をしてみたいなこともありますし、
訪問診療も定期的に行っているやつと、緊急ですと呼ばれる場合もあるので、緊急で呼び出された時に行くポジションで働いている時もありますし、本当に日々ですね。僕は多分そういう意味ではちょっと管理する仕事とか、教育をする時間がちょっと多めで、実の診療の部分というのは半分ちょっとぐらいですかね。
減らしたくないんですよ。診療をするところを減らしたくなくて。楽しいので。
医学と料理のつながり
実際、患者さんとお話しするのが好きってさっきもおっしゃったんですけど、なぜって言ったら変ですけど、そこの月は何がそうなのか。
聞く人の皆さんに聞いていただいてるから、あれなんですけど、本当に僕も42で、人生としてはまだまだこれからですけど、医者であるってことだったりとか家庭であるってことで、かかってくださっている方のいろんな人生を見せていただくっていう感じなんですね。
だから、おそらく医者じゃなければこんな話を伺うことはなかっただろうっていうようなことを治療を決定する上だったりとか、これからどうしようかって時に話を伺うんですよね。
その方の一人一人の人生というか、生き様がかっこよかったりとか、素敵だったりとかっていうのを感じながら、じゃあ医学的に考えたらどういう風な提案ができるだろうかみたいなことを一緒に考えさせてもらえるというか。
その結果、いろんな変化を生んだりとか、人生の大事な意思決定を一緒にするみたいなことがあると思うんですけど、誰かでも一人の人生の転換期だったり大変な時に支えられたりとか、一緒にいてくれてよかったって思える機会があったらすごい幸せだと思っていて、その打率がすごいんですよ。
割合が。
それがこの過程になってから出会う遭遇率がすごい高いって思っていて、なので外来のお話を伺って、全然自分とは価値観が違うとか、なぜそう考えるんだろうみたいな。
僕がこの方に仮説を立てて、こういう方かなとか、こういう家族でとか、そういう雰囲気で認識したものと全然違う答えを出されるときに、なんでってなるんですよ。どうしてそのようにおっしゃるんですかとか、どうしてそういうふうにお考えになったんでしょうみたいなところが、やっぱり理由があるんですよ。
そこに歴史があって理由があるから、変な小説を読むよりというか、それに逆にお話を伺って、だからかって納得して、じゃあ自分が何が一緒に考えられるだろうってまたできるのが日々新鮮なので、一人として同じ人はいないので。
確かに、そういうことか。僕が聞く人やるのと結構近いというか、そんな気がします。僕もやっぱり聞く人、おもむろに始めたんですけど、やり続けてると、これやめられないなと思ってしまうぐらいに、やっぱりその方が持っている物語というかお話ってすごいじゃないですか。
やっぱりそういうのをどんどんお話してくださると、ああ面白いなあっていうのって、もうそんな感じだと思います。
私は医者ということで信頼してくださって、お話をするっていう機会だと思います。聞く人っていうポジションが、衝撃のポジション、僕にとってはすごいなと思います。
聞く人って名前の名称自体はそのままなんですけど、ちょっとうさん臭いんですよね。自分でわかってるんですけど。それをもってしてやっぱり行くと、中には何聞かれるのみたいな不審感みたいな感じがありながら、こんな感じで聞くと皆さんだんだん開いてくるというか、そういうのを感じながらやってるんですが。
そんな話を聞く中で、さっきお仕事ともう一つ好きなことを聞くっていうのがあるんですけど、岩間さんは好きなことは何ですかって言ったら何ですか?
何ですかね、こと。でも結局人とつながってることが好きで、それに何かのスパイスをつけるとすると料理が好きなんですよ。ご飯作ることとかがすごい好きで。
なので、自分がおいしいご飯を作って、カウンター越しにそれうまいって言って食べて喋ってる人たちを見ながら、ちょっとチャチャ入れるのが好きです。
面白い、そうなんですね。その感じ。じゃあ実際そういう時もあるというか。
お家に人を招いてとか、職場の後輩たちとか、同僚を招くときもありますけど、結構パパともママともというか、つながった人たちで、立山に縁した人たち、いろんな方とご飯を一緒にさせてもらって。
その時間がすごい。自分も医者を下りるっていう感覚があんまりなくて、生活と仕事が結構混ざってる感じなので、もうアイデンティティの一つになっちゃってるところがあって、
完全に自分個人でみたいなところがわけわかんなくなってますけど、でも父としてとか家族の一人としてみたいな感覚の話を、そういう仲間たちとお酒を飲みながらしたりとかっていうのがいい時間だなって。
そうか、それは幸福な空間というか時間に見えるというか、素晴らしいことですよね。実際自分が作って、もてなして、気のおけの良い仲間たちとお話しするっていうのってすごく幸せですし、そういうのを。料理。
料理、奥深いですからやっぱり。
そうですね、それは。じゃあ普段も料理をよくされるっていう。
そうですね、夫婦共働きで妻は小児科医なので、今はどっちか先に帰った方がご飯を作るみたいな、そういうハイグリッドな感じになってて。
医療の挑戦と成長
僕3年くらい主婦してたんですよ。で、妻が働く関係もあって、子育てと生活を全部、その時は医者の仕事を半分以下にくった減らして、ほぼ5年中だけ働いて週4勤務みたいな感じで子育てしてたので。
そういう家事、家事好き。たぶん家事好きなんですよね。家事にこだわりがちょっとあったりとか、楽しむ場面があって。嫌いな家事もいっぱいあるんですけど。そういうそれを全部やるみたいな経験だったりとかもさせてもらったっていう背景もあって、今はハイグリッドの生活もちょっと楽しんでる。
じゃあ料理、これ特にもう店で出せますよ?
たぶんあれなんですよね。ネタ元はほとんど料理アプリとかもあったりするので、そんなに軍を抜いてうまいとかではなくて、楽しいのは出張とか公演とか外に行かせてもらった時に、その土地の美味しいものってあるじゃないですか。それをどうコピーできるかみたいな。
分かります。
出張先で食べたものを家族とか仲間と分け合いたいんですよ。
分かる。めっちゃ分かる、それ。
なんで自分だけこんなうまいものを食わせてもらってるんだって思うと、その場はいい回だしあれなんだけど、これを例えばみんなと食べたいと思うんで、食べてる時は一生懸命、狼さんとか大将にこうやってどうやって作るんですかって話を聞いて、隠し味は?とか言って、知らねえよとか言いながら、それをお家でコピーして作るとか。違うなとか思いながらも。
確かに分かります。それめっちゃ僕もします。
そうなんだ、その楽しさありますよね。それが再現度が高くなってきたりとか、何回も繰り返して、これかなみたいなところに置くと、自分の料理が。
分かります。
料理が好きとおっしゃる岩間さんは、仲間たちと食卓を囲む時間を大切にされています。その姿勢は、患者や仲間とのつながりを重視する医療スタイルにも通じているように思います。
大変なこともあるんです。医療機関で仕事をしている中では、解決できないような問題を病院に持ってこられる方ってやっぱりいらっしゃって。
これは多分、医者になって最初みんな経験することなんですけど、6年生で医学部卒業して、初期研修行って最初の見習いの2年間があって、その研修をやってる頃って救急外来が主戦場になるんですけど、そこに今まで見たことのなかったような生活背景で一番つらい状態で来る人たちの心臓に当たるんですよ。
これは医者の洗礼じゃないですけど、生活環境的に薬代がないからどうにかしてほしいみたいな話であったりとか、家族の中がめちゃくちゃで家に帰るわけにはいかないみたいなことだったりとか、福祉のレベルのことがいっぱいありますけど、でもその時その方は痛いとかつらいとかって思いで病院に駆け込んできてくださるというか、そういう状況で何ができるかみたいなことってやっぱりあるので。
それは医療である限り生命の最終ラインというか、ライフラインとして支える場所だったりするので、やっぱり大変なことはありますし、今クリニックとして100人の職員を支える立場なので、そうすると仲間もいろんな思いがあったり葛藤があったりしながら働いているので、
そういう意味では大変さみたいなこととか、ハッピーハッピーというか難しいなとか悩むなみたいなこととかはやっぱり増えた気がしますけど、でもやっていることは変わらないんですよ。患者さんの生活とかどうやったらサポートできるかということは職員に対しても一緒だし、
年を重ねて役をもらって立場が変わって、守れる、カバーできる範囲がどんどん変化していくんですけど、その度にやっていることは多分一緒のことをやっているんだけど、やる幅とか質が変わっているだけだよね。
だから自分と家族と同じように守れる人の幅をどのくらい広げられるだろうかみたいなことを考えながら仕事をしているので、結構やむんですよ。
研修院の頃とかは口内炎できまくりとかで、不眠というか寝不足ですよね。睡眠時間を削らないと学べない、勉強できないというのがあったので、睡眠時間を削ると口内炎が一周できたことがあって、唇に。
めちゃくちゃ痛くて、さすがにまずいって言って、地びっかに行ったんですけど、のども痛かったら地びっかに行ったら、のどの奥まで全部海洋ができていて、みたいなこともありましたし、ビタミンを定期的に20代、30代は結構摂っていて。
岩間のビタミンで言われていて、あいつがビタミンを飲んでいると、あいつは多分言わないけど口の中がおかしいなって、みたいなこともありますし、これは痛いなと思って、本当に胃薬を飲んでみたいなことを1、2週間続けながら悩んで考えてみたいなことはもちろんありますけど、
そうですね。でも悩んでいることにはすごい幸せを感じているかもしれないみたいなのは。
やっぱり年齢が重ねてきて、医者としての経験値を積んでくる中で、今のおっしゃった話とか、見れる範囲を広げていきたいみたいなのは思うようになってきたことなのかね。
思うですかね。学生の頃とかは目の前の困っている人に突っ込みたいなところがあったと思うんですよね。
一番大変な現場に行きたいみたいな。それってもしかしたらヒーロー幻想みたいな、やってる自分が好きみたいなところもあの頃はあったのかなとか思ったりして。
今はどっちかというと、どう持続させるかとか、その場をとりあえずヨシナにするというか解決するんじゃなくて、その関わった人たち一人一人が幸せになるためのステップを踏むためにどうしたらいいかみたいなことを考えるみたいなことがあるので、
その感情って自分の子供には育ってほしいというか、自立して生きる力をつけてほしいと思うんですけど、子育てをしている中で変化してきたものの中に、本当に家族のように思える人の幅が広がったら幸せだみたいな感覚が途中で出てきて。
なので、患者さんをみんな家族ですみたいな言うほど、そんなに親くん立ててるかってわかんないですけど、誰かが誰かのことをちょっと心配している距離感というか、みたいなことは地域とか町にとってすごく必要だと思うので、自分もそういう心配できる範囲を広げたいというか、そういう感覚がありますね。
実際広がっている感じもある?
そうですね。なんか泣いたり笑ったりみたいな、中年差し掛かりの涙もろとろになったりして。
死と生に関する考察
なんか嬉しい悲しいとか心配みたいなことも増えたりしながら、ちょっとずつ広げられているのかなって思うと、それはありがたいことだなって。
僕たち見取りをするじゃないですか。人生の最後って丸裸なんですよ。だからお金とか権力とか地位とか、そういうのはどんどん剥ぎ取られていってというか、本質的なものしか残らないなって思うんですよね。
なので死ぬときにどういう感情でいたいかみたいなこととかやっぱり考えますし、僕はできるだけ穏やかに安らかないい亡くなり方をしてほしいっていうふうには思うし、そのためにいろんな努力もするんですけど、
昔、内会だった頃に指導の先生に、岩本、死は美談じゃないぞって言われたことがあって、みんなそうはありたいと思うけど、総決算だから必ずしもそうならないっていうことも人の生き死にだと言われたことがあって、厳しいなぁと思うんですよね。
でもどう生きたかみたいなことかどう死ぬかみたいなことにつながるってことは確かに感じるし、そうなったときに自分自身の人生の終え方としては、あの人に会えてよかったなとか、あの人がいたから自分がいれるなみたいな気持ちで終えたいなみたいなこともいろんな方と接すると教えてもらうので、そういうふうに幅が広がっていることは自分自身のいいことなのかなって。
そっかそっか。すごい。今のお言葉みたいなのは教えてくださった方から、そして岩本さんの体を通して言葉として出てきたことですから、実際深くちゃんとそう思われているっていうことですので。
そうですね。
なるほど。実際現場も見取りの場っていうのにいらっしゃるわけですし、一般の人に比べれば空気というか空間にいることでの思いがあるってことですもんね。
そうですね。
なるほど、そうですね。
なんかこれからこうしたいみたいなことってあります?
そうですね。なんかいろいろやりたいことはあって、後輩を育ててみたいなことはもちろんそうですし、日本の業界全体を考えると、そもそも家庭祝とか相互診療祝みたいなお話ってやっぱり僕たち、なんか自分でも言いましたけど、ちょっと説明が難しいんですよとか言っちゃったりしてるんですよね。
それはすごい不幸だなと思っていて、それは自分の友達ですね、医者じゃない友達と話した時に、これどこにかかったらいいのよとか、誰に相談したらいいのよってみんな悩んでるんですよね、困ってて。
で、病院受診した時にこれはうちじゃないですって言われちゃうみたいな問題っていうのがあって、これから20年ぐらいするともっと高齢層の増えて、多疾患併存って言いますけど、あの病気もあるしこの病気もあるしみたいな、あっちもこっちも悪いみたいなことがあったりとか、受診できないみたいなことが起きたりするんですけど、
僕たちってそういういろんな条件が制限されればされるほどパフォーマンスを発揮しやすい医者なんですね。お話を伺って、自分たちで診察をして、検査は少なくても当たりをつけて治療しちゃうみたいなことだったりとか、病院に来れないんだったらじゃあお家に行っちゃえみたいなことを含めて、制限されればされるほど何でもできるっていうことを活かしやすいので、
もっと自分たちができることとか自分たちの仲間が活躍できるようにみたいなことをしたいと思っていて、東京とか首都圏の方が実は大変で、首都圏はスペシャリストというか本当にスーパー専門家がいっぱいいて、何たら外来みたいな、区切って人口がいるので、この先生に行ってあの先生に行って、月曜日はこの先生、火曜日はこの先生って選んで医療が受けれるっていうのが今の都会ですけど、
それをやってた人たちが全く受診できなくなってきているんです。足が悪くなったりとか、状態が悪くなって、そもそも医療を受けられないみたいなことが起きてたりとか、あとは人間の身体って面白いので、どれか一個を良くしたら健康になるかっていうわけではなくて、バランスがあるんですよね。
この最新の最高の治療をどっかに、例えば心臓にやりましたって言ったら、腎臓が悪くなるみたいなことがあったりとか、っていう風に部分最適が全体最適ではないみたいな、僕たち考え方するんですけど、バランスを見てみたいなことで、ただの臓器の中だけの関係性だけでも結構複雑ですし、一人の個人とかだとこの人の生き方と家族の考え方とか社会の支え方みたいな、結構いろんなレイヤーにわたって一人の人の生き方とか、
健康には複雑に絡み合っているものがあって、それを意識して一番大変なところをやっちゃうっていうのが僕たちのスタイルなので、そういう仕組みで健康を支えられるような、この人が私の主治医ですとか、かかりつけ医ですって思ってもらえるようなものをもっと日本に広げたいと思っていて、
それがこの日本がチャレンジできる医療の革新的なチャレンジだと思っているので、それを立山から発信して、ここで学びたいって言ってくれる先生が本当に今たくさんいて、本当におこがましいんですけど、セレクションしてるんですよね。
家庭医の育成と展望
セレクション?
入社試験してるんですよ。
そうなんですか。みんなが取れるわけじゃないんだ。
そうなんです。医者ってもうどこも旗を振って、いい環境ですよとか、給料こんなにお願いしますみたいな感じで、どうやって医者を集めるかみたいな話をしてるんですけど、立山はまだこの、すいませんって言って、来たいって言ってる人を断っちゃってて。
そうなんですね。
なので、もっと僕らが本当は診療の幅広げて学びたいっていう人を受け入れることができれば、それでこの講座室をもって、新しくいろんな地域でより人を健康にできるみたいなこともできるので、その意味では家庭になりたい人を増やしたいとか、家庭になって社会で活躍する人を増やしたいっていうのは、それで日本とか街の健康に寄与できたらみたいな気持ちでは思っているっていう。
じゃあそこに向けて動いているというか、行動をしている。
そうですね。いろんなチャレンジをして、もう本当にでも事業規模はどんどん増やしているので。
そっかそっか。
はい。
じゃあ何年か経ったら、その辺りはもっと大きくなっていったろう、していくっていう。
していきたいと、はい。
それはすごい、していただきたいですし。
ありがとうございます。
いや本当に、それは家庭っていう言葉自体が、もっとみんなが当たり前に知っているような状態、社会みたいなのが。
少なからず立山は、もうそれはなってますみたいな。
そうですね。そうなってほしいなって。
守れる人の幅をどれくらい広げられるだろうかという言葉。
人生の最後は丸裸であり、死ぬ時にどういう感情でいたいかというお話。
家庭員の可能性を広げ、家庭員になって社会で活躍する人を増やしたいという思いが、その言葉から伝わっていきました。
そして次回、第3回目となります。
どうぞお楽しみに。
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