2025-09-24 1:12:14

season2-2 哲学者から学ぶ人生【ゲスト:のぞみさん】ソクラテスの無知の知

群馬を盛り上げるPodcast「ぐんもり」のSeason2が始まります。
これからは不定期に長尺インタビューをお届けします。

インタビュー内容はインタビューさせてもらった人の許可をもらえたら、文字起こししたものをNotebookLMに入れて誰でも情報にアクセス可能な状態にします。

これを使うことで「今までインタビューした人と私が挑戦する○○とシナジーが生まれそうな人はいますか?」と質問するとAIが回答してくれます。ご活用頂けたら幸いです。

<NotebookLM>
GUNMA VOICE
https://notebooklm.google.com/notebook/37b7050b-a0d8-4d0c-822a-84b17f910afc

 

<問い合わせ>

ご意見、ご要望、話してほしいテーマ、インタビューしてほしい人など連絡もらえたら物凄い喜びます。
メールアドレス:press.gunma@gmail.com

サマリー

このエピソードで、中村のぞみさんは自身の職業や断食に対する考え方を語りながら、人生観についての哲学的な議論を展開しています。さらに、地球の歴史や宇宙の起源についての深い思索が行われ、存在について考えるきっかけを提供しています。 このエピソードでは、哲学の深淵についての考察が行われ、ソクラテスや仏教の視点から人間の存在や苦しみについて語られています。特に、無知の知や生老病死に伴う苦しみを受け入れること、生きる意味を探求する姿勢が強調されています。 このエピソードで、人生の感覚や豊かさについての哲学的考察が展開され、心の平安とその感情のコントロールについて深く掘り下げられています。また、情報の選択と自分の価値観をどう形成するかについての考察もなされています。 このエピソードでは、中村のぞみさんが哲学の視点から人生についての考察を深め、ショーペンハウアーの孤独に関する思想や、医療の進化が人類に与える影響について語っています。また、情報の取り入れ方や生きる喜びについても考えています。 このエピソードでは、幸せや長寿についての哲学的な視点が語られ、特に狩猟民族の生き方から得られる教訓について触れています。さらに、ソクラテスや老子などの哲学者の思想を通じて、死や生き方に対する見解が深まります。 このエピソードでは、プラトンやソクラテスの哲学を通じて人生観を深めることの重要性が語られています。特に、吉田松陰の生き方を取り上げ、自身の人生哲学を築くことの意義について考察されています。

中村のぞみの職業と趣味
はい、始まりました。群馬を盛り上げるPodcast、ぐんもりパーソナリティーの小路です。
本日は、のぞみさんをゲストに呼んでいます。のぞみさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ここからはごゆるく。
お気軽に。
話していきたいと思うんですけど、
最初、自己紹介を簡単にお願いしてもいいでしょうか。
名前と仕事と趣味、最近ハマっていることなど。
名前は中村のぞみと言います。
仕事は議員秘書をやったりとか、
あとは保険の仕事をやったりとか。
あとは何だろうな。
あと断食の資格も持っているんで。
そうです、断食も。
そうです。
なので、個人、断食のライダーじゃないですけど、
パーソナルトレーナーじゃないですけど、
そんなのをやってたりとか。
議員秘書と保険は同じ会社の中ですか。
そうです、そうです。
断食の方は同じ会社の中というよりは個人という感じですか。
そうですね。
うちの会社で健康に関する商材も扱っていて、
その関係で、それから断食も使えるという。
じゃあ、今話した3つは、
全部会社の事業の中に入っているものなんですね。
そうです、そうです。
だいぶ経路違いますね。
そうですね。
改めて聞いてみたら。
いたところでたまたまそういう動きがあって、
そこにそってやっていったらこういう仕上がりになったりとか。
普段の仕事の中だと割合はどのくらいでやっているんですか。
議員秘書、保険、断食。
うーんと、もう保険が80%くらいですかね。
80%。
保険が営業みたいな感じですか。
そうです、そうです。
営業事務みたいな立場なんですけど。
営業する人のサポート。
内部、保険でも書類とか事務作業とかが結構割合とした方が多いので、
そこは全部中村が対応して、
社長は案件を持ってきて、そこを持ってきた案件を処理するとか。
ああ、社長が取ってくるんですか。
そうです。
会社としては社長がいて、野住さんがいて、他にも何人がいるんですか。
家族経営でもあれですね。
実質動いてるのは社長と中村、自分だけですね。
それで成り立っているビジネスが凄い。
断食のプロセス
社長の営業力もあるんですか。
そうですね。銀でもあるんで。
銀。
一手の長い人も。
一手の長い人も。
書類作成は結構普段やって、時間を使って、それ以外の2割のところで、
砂漠支所と断食もやっていて。
そうですね。
断食は勝手に趣味だと思ってたんですけど、趣味要素も強いんですかね。
そうですね。
仕事の要素が強いんですか。
自分はきっかけとしては、やったことないものに対してはできる限り突っ込んでいきたいなと思っていて、
全然後悔することめちゃくちゃあるんですけど。
やってみたら違ったみたいな。
断食はいや、そういう仕事のきっかけで、そういう講師の方に出会って、
そこでちょっと興味本位あってみたら、体感として凄く良かったんですよ。
体をやった方がいいなと。
で、そのきっかけに先生になれるよって話になって、
俺はちょっと人のお勧めしていきたいなと思って、それで始めたという感じです。
断食、最初どうやって始めたらいいんですか。
最初何から。
断食は。
1日とかですか、最初まず。
逆にお勧めなのは、9日間くらい時間を持ってやってもらう。
9日?長くないですか。
そうなんですけど。
食べないんですか、全く。
断食に体を慣れさせるという感じですか。
最初の食事というよりは準備期になります。
断食を準備する食事みたいなので。
例えば自分だったら日頃コーヒーとか砂糖とか、
あとアルコールとか結構刺激物を摂ってると思うんですけど、
そこからいきなり次がひたんじきになると、
なんですかね、楽さが半端ないんですよ。
断食までいけないけど、健康な生活をこの中について。
甘いのもダメなんですか。
甘いのもダメだし、アルコールもダメだし、コーヒーもダメだし。
肉類もダメなんですよ。
魚はいいんですか。
魚はOKです。
甘いのはそのレベルダメなんですか、チョコとかダメなんですか、砂漬けだしとか。
もう全然ダメです。
あんこダメですか。
あんこもダメです。
砂糖がダメなんですね。
果物もダメですか。
果物もダメです。
何日までとれば。
9日、9日、9日間やって。
準備期っていうんですけど、食事を制限する期間。
それを3日間やって。
そうすると準備期の段階で日頃摂ってるカフェインとかそういうのが立つんで、
結構反動が出る人が出るんですよ。
頭痛が起こったりとか、体のダウンが出たりとか。
出るんですけど、そこからちょっと体に良いものっていうのを摂っていって、
それで断食に身体を準備していくっていう。
それを3日間やった後に断食期っていうのが始まって、
そこはもう完全に固形物を摂らないっていう。
断食のポイントで固形物を摂らないっていうところが基本大事なんですけど。
固形じゃない飲み物とかはいいし、スムージーとかいいんですかね。
ちょっとグレーとか。
微妙ですね。
でも咀嚼して噛む必要がないものだったら、
噛む必要がないもの。
昆布茶とかはいいですね。
OKです。
昆布茶とか梅ジュースって言われたらダメだよね。
糖分が入ってるから。
そうですね。
ジュースって言われたらダメだよね。
パスティングショーはパスティングドリンクで決められたドリンクがあるんだよね。
それを飲めば。
それを飲んでればだいたいお腹がそんなに空かないんだ。
これそうなんですよ。
ちゃんと空かないのにも理由があるんですけど。
なんで?
体の仕組みって言うと、
お腹が空くっていうのは、
お腹に物がなくなってるからお腹が空いてるんじゃなくて、
脳みそが空腹感を感じてるからお腹が空くっていう現象らしいんです。
脳の栄養素って言うのはブドウ糖って言われてるんですけど、
いつも我々が食事をする時にブドウ糖っていうのを摂取して、
脳に栄養が入ってるジュース的なもの。
そこに対してブドウ糖っていうのが爆発していくんですよね。
食べてないから。
そうなると脳みそは栄養を欲するんで、
体の中にある何かで栄養を作り出そうとするんですよ。
それが脂肪が燃焼することによって増えるケトンタイっていうコルモンがあって、
それがブドウ糖の代わりにケトンタイが脳みそに行くんですよ。
ブドウが脳みそに行って、
人生観と宇宙の起源
ブドウ糖が枯渇する。
身分と体で何かで作ろうとする。
脂肪が燃焼することによって発生するケトンタイっていうコルモンが出てくる。
それが脳の栄養、ブドウ糖の代わりに栄養になるんです。
脂肪が燃焼されるんですね。
脂肪が燃焼されます。
脂肪っていうのは備蓄費用か。
脳が枯渇した時に、ドドッと枯渇した時に使える。
そうです。
へぇー。
これプラス、
現代の食事って血糖値の乱高減っていうのがすごい激しいものが多いんですよね。
糖量もそうだし、量が多いっていうのも血糖値を上げる要因なんですけど、
血糖値の乱高減によって空腹感とかそういうのを感じるので、
ファスティング中は脂肪燃焼によるケトンタイと、
あと血糖値が上下しない、安定していく。
これによって空腹感が全然感じなくなる。
じゃあ辛くないんですか?そこまで。
全然辛くない。
そうなんですね。
それね、気になる人多いと思うんですよね。きついとか。
そうですよね。
意外とそんなに苦しくなるわけじゃなくて。
はい。
逆に準備期の方が頭痛がするとか、
体がだるいとか、
普段食べても食べなくなるから。
結構反動っていうんですかね。
そうなんですね。
すごい。
断食の理解度が掴まったのと、
仕事というよりもだいぶ自分の好きなものとして学んでる感じですね。
そうなんですね。
だから最近ハマってるものとか、
関心あるものとかありますか?
最近ハマってる関心あることか。
うーん、なんですかね。
最近考えてることとかでもいいですし。
考えてることで言ったら、
人生観というか、
そういうの聞きたいです。
そういうの聞かせてください。
なんですかね。
だから、
なんだろう。
この前は酒飲みながらそんな話したんですけど、
地球は46億年なんですかね。
46億年。
ビッグバンから誕生して。
地球ができてからかな。
地球って何歳?
46億歳らしいんですよ。
地球が生まれてから46億年。
ビッグバンもあったの前?
130億年ぐらいで確か。
でしたっけ?
確か。
そんなイメージでした。
そっか。
130億年で46億年に地球ができて、
そっから人類、誕生まで結構時間ありますよね。
単細胞生物から多細胞生物になってって、
最初はバクテリアとかって言いますけど、
そこからどんどんどんどんできてきてるわけじゃないですか。
もっと言ったら、ビッグバンが始まる前。
始まりって何なのかなとか、
そういう空想を繰り広げたりするんですよ。
最初の爆発がビッグバンだけど、
この前があったのかどうなのかとか。
すごくないですか、この世界って。
僕らがいる地球、ちっぽけですよね。
っていうのは、
今音を出したんです。
この音が始まったわけですよね。
だけど、この始まった音っていうのは、
自分が手を叩いたことによって始まったわけじゃないですか。
でもこの手はどこから出てきたかって言ったら、
中村はどこから出てきたかって言ったら、
親父と母が。
これ遡っていくじゃないですか。
生物の誕生まで遡るじゃないですか。
そういう地球環境の要因とか水とかの要因でできたと。
地球っていうのは何でできたかって言ったら、
鉱石とかそういうものになってくると思うんですけど。
遡っていったらビッグバンが出てきました。
最近すごい、
これは本当に哲学というか、
この世界とはって思うところがあるんですけど、
ビッグバンも始まりがあるわけじゃないですか。
始まりっていう現象ってなんだと思います?
ビッグバンのさらに始まり。
始まりって、
さっき言いましたね。
音が鳴ってるのは音を鳴らすものがあったから始まってるわけじゃないですか。
始まるってなんだと思います?
最初の始まりですよね。むずいですね。
始まるって何かがあって始まったってことだから、
あるっていうその要は何ですかね。
それがよく西洋の方でヨーロッパとかアメリカとかでは、
キリスト教文化がより根付いてますけど、
そっちだったら、
初めに光があったっていう、
最初の初めの創世紀の第一章みたいなところから始まって、
初めに光があった。
そのため光がビッグバンのことを表してて、
それを起こしたのは神っていう、
そういう文化の中でヨーロッパ圏は生きて考えてると思うんですよ、哲学的には。
一方で日本ってなったら、
そういうヨーロッパアメリカの神じゃなくて、
多種多様な神とか、
ヨロズの神ってなった場合は、
説明が難しいですよね。
神の始まりは何ですか。
その神の始まり、
日本でいうとこのヨロズの神の始まりは何だったのかとか。
さっきの光があった。
光を作ったのが神。
作った神がどこから始まったのか。
辿れば辿るほどどこだったのかわからないですよね。
だし、今後先もそうですよね。
だってどうやら自分たちが生まれる前から、
親はいて、文献もあって、
時っていうものが存在したと思います。
ってことは、我々が死んで、
地球の寿命もあと50億年と言われてますよね。
太陽が今使っているものを、水素か何か、
エネルギーを使い果たして、
膨張していくフェーズに入ると、
地球を飲み込むらしいんですよ。
太陽にやられちゃうんですかね。
飲み込まれるっていう話らしくて、
それがあと50億年と言われてます。
でも、数字の単位、長とか径とか、
あるわけじゃないですか。
だから時っていう概念が、
このままずっと続くのであれば、
50億なんてあっという間に過ぎるわけじゃないですか。
だけど我々は、
ここ70年、80年、90年という、
この世界からしたら、
存在と無の探求
存在すらしてない。
確かに全体から見たら、
図にしたら超点あるかないかぐらいですよね。
点すらも見えないかもしれない。
白紙の上にポツンって、
存在すらないかもしれないですね。
白紙の紙にインクが落ちてるってのもわからない。
インクじゃわからない。大きすぎますね。
インクがやっと人類みたいなものなんですかね。
インクの落ちた一粒が。
人類なんてものはもう、
存在してないんじゃないかなと思うんですよ。
この世界で考えるのを思ったら。
逆に?存在してないってのはどういうことですか。
地球、だって、
存在はするんですよ。
存在はするんですけど、
この世界っていう、
スケールで見たら、
地球だって存在してないんじゃないかな。
ソクラテスと無知の知
存在はしてます。
存在が見えないぐらいでかい。
じゃあ、時っていう概念を永遠だとするんだったら、
永遠っていうものに対して、
地球っていうものは、
果たしてあったのかなっていうぐらい。
さっきの、
宇宙誕生130億年から見たときに、
地球46億年ってなると、
それだけでも短いですし、
それが今後、地球が消滅した後の
スタートになった場合は、
もっと地球の割合がどんどん
少なくなってくるわけですよね。
地球が存在した期間っていうのが。
じゃあ、結果我々は何だったのかなって思うわけですよ。
すごい哲学の最終奥義みたいなところまで行き着いてますね。
行き着くところまで行き着いた的な。
哲学なんて、
なんでしょうね。
自分が一番好きな哲学者はソクラテスなんですけど、
前に山本さんの死についてっていうので、
少し話したかもしれないですけど、
ソクラテスが言ってたのは、
多分ですけどね、
自分の解釈なんですけど、
知らないことを知ったというか、
自覚した人の気がするんですよ、ソクラテスが。
無知の知。
無知の自覚とかって感じですね。
だから、
人なんてものは、
何にも知らずに、
自分がいなくなるんだろうなって思う。
知ってることなんて何一つないというか、
って思うんですよ。
だから、
そこをずっと、
この世界って何なんかなとか、
俺って一体何だったんかなとか。
虚無にはなってる。
虚無になるというよりは、どちらかというと、
知的好奇心の方により動かされる感じなんですけど、
今の細見さんの心理状態としては。
心理状態としては。
どうやっても結局大きな世界からしたら無駄じゃないかっていう、
虚無により引っ張られてる感じなのか。
それとも、
いわゆるソクラテスというよりはどちらかというと、
地蔵説とか、
この世界の本当の真理を知りたいみたいな感じなのかというと。
いや、真理なんてものは多分知れないと思うんですよ。
反射をかかっても。
真理は知れないから。
自分はあるものをあるって認めることをしてるのかもしれないですね。
今あるものを、
自分が見てるものをあると信じてというか。
仏教も本当なんですよ。
一丁紙じゃないけど、
本当に軽い感じというか、
本当に深いところまで見てるわけじゃないんですけど、
自分が見聞きした感じだと、
この世界は苦しみの世界というふうに言ってるんです。
生老病死とか、
四苦八苦ってことは仏教の言葉なんですけど、
その苦しみっていうのを表してるんですね。
この世の苦しみっていうのは。
よくその仏教の話をするときに、
この世の苦しみの世界って仏教は定義してるんですって言うと、
それは悲しい見方だねとかって言う人もいるんですよ。
この世界がもっと希望に満ち上げて、
ポジティブでいいかっていうふうに言うんですけど、
仏教は悲観してるわけじゃなくて、
苦しみを認めてるというか。
受け入れる?
そうですそうです。
そうは言っても、あるものはあると。
あると認めた上で、生きていこうっていう感じだったんですよ。
共に生きよう的な感じですね。
生老病死っていうと、生きること。
まず生まれること、生きることが苦しみだって言うわけです。
老、老いること。
生老病、病。
死、死ぬこと。
そこからさらに4つくらいつくんですけど、
その苦しみっていうものを人は避けようとする。
生きたいって思う。老いたくないと思う。
病にかかりたくないと思う。死にたくないと思う。
この欲せる心こそ、これ執着としてるんですけど、
これを受け入れずに否定して避けようとするから、
人は苦しむっていう考えです。
だけどあると、それは。
それがこの世に必ず存在して、
自分にもどこかで出会うものであるっていう。
それを自分の中に受け入れることによって、
心の苦しみから解放されるっていう考えだなと。
それでいうと、さっきの宇宙があまりにも広大大きくて、
苦しみの受容
存在なんてちっぽけだっていうのも、
ある意味、それはあるものとしてあるから
受け入れるっていうスタンスがある。
そうですね。
だからそれに足掻いてもしょうがないし。
それを否定するとか、恐怖に感じるとか、
その心が、
自分の心を不幸にしてしまう考え方というか。
だから、
抗うのではなくて。
そうですね。
あるものはあると認めた上で、
しょうがないとか、
認めた上でじゃあどう生きようかなと。
ポジティブですね。
受け入れ方というか、否定的でも不安的でもなく、
どちらかというとそれを分かった上で、
それを共に分かった上で生きていこうという。
今もそういう生き方をしていく中で、
逆に、
すごい嬉しいことってどういう時にあるんですか?
のどりさんの中で。
めっちゃ嬉しいみたいな。
普段できるタイプだと思うんですよ。
いろんな物事。
客観視できるだけズームアウトして。
なると、
今度逆にめっちゃ嬉しいみたいな瞬間を、
どういうタイミングで来るのかなと思って。
めっちゃ嬉しい瞬間で言ったら、
こういう時じゃないですか。
こういう時。
今、
この瞬間。
この瞬間めっちゃ嬉しい。
嬉しいな、これは。
だからそれは誰やらの魅力だったりするんですけど、
もっと若い時ですね。
もっと若い時っていうのは、
今もゼロじゃないですけど、
現実に起こった現象に対して、
一騎一御してたんですよ。
うまくいって、うまくいかない。
仕事もそうだし、プライベートもそうだし。
決められたとか。
いろいろあると思うんですけど、
目の前に起きる現象に対して思っておいてたんですけど、
だけど、
さっき言ったみたいな。
自分のこの世の捉え方ですね。
時っていうものが永遠っていうものであれば、
自分でいう人間っていうのは、
もうこの世に存在してなかったんじゃないかなっていう。
今は確実に言うんですけど、
この永遠。
46億とか何億っていう、
この規模の単位の世界観で見たら、
たぶん自分でいう人間は、
もう無に等しいんだろうなって思うわけですよ。
そうした時に、
目の前で起こった現象に何の価値があるんだろうなって思うわけなんですよ。
そこに色をつけるのは自分だからあれなんですけど、
その現象に重きを置いて生きるって、
結構幸福ポイントってそんなに多いわけじゃないなって思うわけですよ。
だから、
この何の気ない毎日に対して、
面白みをどれだけつけて生きていくかっていうのは、
僕はこういう話が好きだから、
こういう話ができる人っていうのもなかなか不思議だったり、
僕は山本さん勝手に鉄ともっていう、
鉄学の友達みたいな。
鉄ともにしてるもんか。
こういう話なかなか普段性格だと、
立ち止まって話さないとできないですね。
目の前に追われちゃう日々があると思う。
日本って資本主義社会っていうか、
どうしてもお金っていうものに対して、
重きを置かざるを得ない環境だったりするじゃないですか。
生きていくために。
教育、社会もそうだし。
評価もされますしね、そこでの成果が。
でも自分の世界観で見ると、
資本主義すらもない気がするんですよ。
廃歴してみたら一時のルールですもんね。
地球だってあとたった50億ですよ。
1兆っていう数字もあるし、
もっと先の数字もあるのに、
数えられる年数の存在って、
無に等しいような気がするんですよ。
宇宙とかのあり方に比べたら。
そう考えたら資本主義とか、
人間が作った文化なんて、
そんなに価値のあるものなのかなと思う。
出来事には悲観しない、落ち込まないような、
ある意味マインドをだんだん身につけてきている中で、
でも一方で実際嫌な生活をすると、
ガツンと落ち込む瞬間がありますよね。
全然あります。
それはやっぱり普段の生活の中では起こりますか?
そうですね。
ただ自分が一番気分的に落ちるのって、
身体的な心身が不安定な時というか、
例えば寝不足がいたり、
お酒飲んで疲れちゃったり。
結構身体と心が連動している感じですね。
そうしようとしているかもしれないですね。
身体と体調がいい時は心も輝かせるか。
だから変な例がしますけど、
例えば僕今40ちょうどくらいで、
家族もいるわけじゃないし、子供もいるわけじゃないし、
もう知恵があるわけないじゃないですか。
だけど一般的にちょっと昔だったら、
それがステータスであって幸福の象徴だったかもしれないですね。
もしそういう世界観で自分が生きているとしたら、
恥ずかしくて、危険を感じて、
昔の価値観で。
自分は社会的信頼もなくて、
どうしようもない人間なんてひかして生きていると思うんですけど、
だけど今自分は何に重きを置いているかといったら、
自分の内面をどれだけ整えて生きていけるか。
そうすると何がいいかって、
まずステータスというものに対してあんまり左右されないというか、
自分の内面に重きを置いているから。
だからどんな人に会っても、
それはもう社長さんに会おうが、
僕がさっき言った全てを手にしている人であろうが、
自分と同じ人間だし、
欲もあるし、
その人にはその人の悩みもあるし、
同じ人間だし、同じ寿命で生きるし。
ちっぽけ。お互いちっぽけと思えば。
まあそうですよね。
下に見たらそういうことじゃないけどね。
お互いに。
自分もそうかしら。
大きく見えすぎというか、
お互いのことを人間らしく。
そういう意味では年齢を重ねてきた方が、
自分的には生きやすくなったかなというのはあるかもしれません。
この世の生きる心持ちというか、
心相もにかく年を重ねるごとに、
中村の生き方というのはだんだん少し定まってきたかなという。
内面の安定性に重きを置いて。
僕もどっちかというと内面の方を重視するタイプなんですけど、
内面の方を大事にする自分がよく落ち込むのは、
自分の内面を高く生きさせようという、
その水準を高く高くしていくので、
本当に内面的な強さを高いレベルで求めた中で、
生活の中ではそんなに高い内面じゃない、
ダメダメな自分が出ちゃう瞬間に落ち込みますね。
具体的に言うと、
よく生きたいし、
仙人のようにというか、
精神のようにとか、
生きたいレベルを持ちつつ、
実際生活の中では子どもがスープをこぼしたりしたら、
やっぱり怒りが湧いてくるし、
無視されたら悲しくなるし、
そんなちっぽけな自分を見たときに、
多分自分は内面を重視しているからこそ、
その落差を感じちゃって、
自分はこれだけ内面にいっぱいになったと思い込んでいたのに、
そんな大変な日常のことで、
こんなに心が動くのかっていう、
結構そこに落胆、
結構心の浮き沈みは、
ただ自分はありますけど、
ノドメタンあそいのどうですか?
その大和さんが言っている、
差?
差を感じることは、
大和さんにとって、
人生の感覚と豊かさ
すごい面白い話だなって思うというか、
自分語としても聞いたんですけど、
大和さんの人生にとって、
その差を感じる感性って、
どうですか?感想として。
さらに人生レベルじゃないですね。
その時の瞬間を。
というのは、
我々にはあるもの、
さっきの仏教じゃないですけど、
あるものはある。
認めるのであれば、
見えているものってあるじゃないですか。
確かに。
この人生というか、
本当なんか中病みたいですね。
生まれて死ぬまでっていう、
死亡しかもしれないですからね。
何があるかわからないですから。
ということは、
限られた時間を生きているっていう、
決められたものがあるんですね。
我々にできることって、
決められた範囲の中を、
どう生きていくかっていうことは、
ありますよね。
その中の、
この限られた中で、
その差を感じる感性っていうのは、
山本さんにとって、
どう、感想はいかがですか。
感想。
人生の中で。
はいはい。
この毎日の日常生活の中で、
その差を感じる。
差を感じること。
人生をより豊かに生きたいなら、
やっぱり、
差というか、
こうありたいなっていうのはあった方が、
高くは、
高くというか、
人生をより豊かに生きるとは思っているんですよ。
もしなんか、
毎日怒ってもいいし、
ずっと落ち込んでてもいいって思って生きてたら、
たぶん人生が、
なんか、
そこまで、
なんですかね、
内面的な痛かさにならないと思うんですよ。
感情により、
なんていうんですかね、
コントロールできない状態が続くというか、
より人生を豊かに楽しめないって自分は思っているんですね。
でも、
それをコントロールしようとするが、
あまりできない自分に落ち込むのは、
それも本末戦闘だなと思っていて。
もうちょっと深掘りしたいなというのが、
高く、
豊かに生きる。
何があると高くて、
何がないと低いんですか。
確かに何があると高いか。
山本さんの豊かっていうのは何のことを言っているのかな。
それで言うと、自分の豊かさは、
心の平安って言葉にもなるかなと思っているんですけど、
心が平安で、
自分の中で自分が今幸せな状態だって、
思える状態を作れたら、
有利坂だし幸せだなって思うんですけど、
それを阻害するものが多々あるなと。
日常生活の中で、
子供だったり、仕事だったり、
いろんな出来事で、
心の平安が崩れてしまいそうな瞬間みたいなのが。
感情のコントロール
今、豊かさは平安っていう表現がありましたね。
平安っていうものがもし豊かさで求めているのであれば、
その差を感じる歓声っていうのは、
平安なのがリコールなのかなって思ったんですよ。
山本さんに対して、僕は何の意見もしないんですよ。
上からとかじゃなくて、
好奇心で深まったんですけど、
これどうなのかなと思ったのは、
この世界の、いまだにこの現代の主導民族となりるわけで、
ある部族が、アメリカの言語学者だったかな、
がそこに行った時に、
いろいろ文化、概念とかも全然違う環境で、
すごくそこの概念が幸福感に近かったみたいなところで、
本とかも出てるんですけど、
そこで一つエピソードがあって、
カポかハエを嫌っちゃいけないよって言うらしいんですよ。
そこの民族では。
で、例えば我々日本に住んでて、
ゴキブリが出たりとか、
なんかゴキブリってすごいですよね。
いい意味で言うんだけど、
虫っていうより人ぐらいの存在感はやばいんですよ。
インパクトが半端ない。
俺一人暮らしなんですけど、
ゴキブリが出た時は他人が来たぐらいの存在感。
やばいんですよね。虫じゃないですね。
予感すぎちゃった。
で、嫌っちゃいけないかっていうと、
嫌うっていうレッテルを張っちゃいけないっていう。
そこにカモハエもこっちに害をなすんじゃなくて、
ただ存在してるだけだから、
そこに善も悪もないっていう価値観なんですよね。
つまりその民族っていうのは、
嫌いっていう概念を作り出しちゃいけないという考え方なんですよね。
概念すらなくす。
例えば、この人嫌いだなって思ったら、
自分で嫌い、この人はその場に存在していて、
自分が正義だと思って、
こっちに攻撃をしようというよりは、
自分が正しいと思って行動してるだけだから、
それをこっちが勝手に、
この人嫌いだなっていう概念を作り出したっていう考え方なんですね。
ゴキブリが嫌いだな。
ゴキブリはただ臭いを感じて、
餌があるところにいて、
ただそこに存在してるだけなのに、
我々が嫌いなものとして作り上げてるっていう。
ってことは、
ちょっとヤマトさんの話に戻すと、
子供がこうした、
何やってんのっていうのは、
子供がそれをヤマトさんにそう思わせようとしてやってるんじゃなくて、
ヤマトさんがそれをそういう風に、
価値観として作り出したっていう。
だからこうしてもいいっていうか、
相手はまだ大丈夫だと受け入れてれば、
残り必要ないし。
そこには色がなくて、
子供が何かを、
スープをこぼしたっていう現象だけなんです。
だからそこをもしかしたら、
違う家庭だったら、
この年齢の時はあらな、
っていう人もいるだろうし、
大きくなったら変わるだろうと。
さすがに年齢を重ねて、
5歳も6歳も、
小学生になっていけばパシャッとやらないじゃないですか。
このぐらいの年齢だからしょうがないか、
っていう風に、
こぼさないように仕組み作っておくか、
っていう人もいるだろうし。
奥さんに無視されたっていうのも、
まぁ、
今日はあれなんかな、
生理とかも色々あったりとか、
女性理由があったのかなって、
ホルモンバランスかな、
こういう日もあれだね、
っていう風に、
現象に対して、
自分がどういう感情をそこに張るか。
認識をそこで、
ある意味、
作るというか、
自分の中で納得いくもの。
っていうのを、
中村が中村に言ってるんですよ。
山本さんに言ってるよりは。
自分に対処して。
山本さんに言ってるようで、
自分自身も、
完全になることなんてないから、
自分が大事だなって、
山本さんに言いながら、
言い切ってたじゃないですか。
自分の中で、
日々新しく認識を、
アップデートしていきながら、
リアル出来事に対して、
対処していき。
そうですね。
アップデートって、
うるせえなって思いますね。
成田裕介っていうじゃないですか。
あの人が演説で、
投げられた石が、
上にとこが下にとこが、
投げられた石ってのは、
関係ないことなんですよね、
みたいな演説だったんです。
だから、
成長ってことは、
もちろんいい言葉だと思うんですけども、
でも、さっきの概念と同じですよね。
無に等しい存在があれば、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
無に等しい存在があれば、
自分がいいと思う色を、
自分がいいと思う色を、
自分がいいと思う色を、
安定するというか、
安定するというか、
自分がこれでいいかって思える、
自分がこれでいいかって思える、
色が付けられれば、
どんな時にいくのか。
成長とか、さらに良くとかってなると、
さらに良くなってない状況は、
悪いことなのかとか、
そこに対して、
悲観というか、
自己嫌悪になってしまうのであれば、
そういった価値観すらもいらないんじゃないかと。
そういった価値観すらもいらないんじゃないかと。
確かに。
だいぶ深いですね、テーマが。
これ、深掘り深掘りほどの
のぞみさんの思想思考もそうだし、
緊急試合がある意味なんですよ。
緊急試合がある意味なんですよ。
これは続けて緊急しましょうぜ、一緒に。
これは続けて緊急しましょうぜ、一緒に。
ちょっと今日最後、
前回インタビューさせてもらった、
大沢さんという、
情報の選択と価値観
一年生がいるんですけど、
この人が悩んでた内容に、
テーマとしてここにボンって持ってきてもいいですか。
その話ちょっと聞いてみたいなと思って。
その人が思ってたのは、
今SNS時代でいろんな選択肢が
YouTubeとかで動画とか見ると、
いろんな人がノウハウを教えてくれたりとか、
こういうことやったらこうやって成功するよとか、
道シルベーがいろんな風に見えちゃって、
道シルベーがいろんな風に見えちゃって、
これやったらこうなるんだろうな、
みたいなのがわかるからこそ、
選択肢が多すぎて選べない。
自分がこういう道行ったら
こうなるんだろうなっていうのが
見えちゃうからこそ、
選びづらいし、
どれを選んだら正解なんだろう、
みたいなのを考えちゃって悩むことがあるっていうのを、
阿部真さんが言っていて、
この悩みに対して、
いろんな人に
自分も聞いてみたいなと思っているのは、
その人一人で
こうやっていろんな情報を
たくさん上げた社会の中で、
取捨選択したりとか、
自分の行動を、
自身を決めたりとか、
この情報は取る、
この情報はいらないとか、
そういうのをやっているのかっていうのを、
個人ページでいいので、
話し聞いてみたいです。
普段。
まず、情報は普段どんな風に取りますか?
いろんなSMSなのか、
テレビなのか、
新聞なのかとかで言うと。
何で取るかですか?
新しい情報は?
テレビのニュースとかも
見たりするんですよ。
テレビのニュースも見たりするし、
YouTube聴いたりとか、
ラジオとか、
ラジオ聴いたりとか、
人と話す。
新しい情報に触れて。
そんな感じですよね。
だいたい。
生きてて見聞きするものは、
全部情報源として。
それらを今度は
全部受け入れちゃうと
大変じゃないですか。
情報も多いし、
選択も間違って悩んじゃうし、
あの人はこう言ったら
この人はこう言うみたいな。
どうやって選んでますか?
やっぱり、
さっきの話にもなるんですけど、
自分自身というのは
無に等しいなって
思ってるわけじゃないですか。
存在はしてるけど、
この世、この世界っていう
価値観で考えたら、
存在してないだろうなって
思う部分もあるんですよ。
だから、
自分が結構好きな、
モットーに結局なっちゃってるのが、
対極図ってあるよね。
黒い玉と白い玉。
同じ割合なんてきっとある。
人生っていうのも、
結局は、
白と黒のバランスを
いかに50%、50%で
バランスを取って生きていくか。
そのバランスを取って生きていくってことが
本当に人生の
人生として生きる
一番難しい。
黒に寄りすぎてもだめだし、
白に寄りすぎてもだめだし。
これが一番難易度が高くて、
攻略しがいのある
人生の価値観じゃないかなって
自分は思ってるんです。
中立中庸って感じです。
情報の取り方とか、
人の話もそうなんですけど、
あるかもしれないし、ないかもしれないなって。
中立中庸で基本的に取ってるんです。
すごいですね、バランス感覚が。
なんとなく。
ってことは、
応用品みたいになっちゃうんですけど、
YouTuberとかにも、
見た目もかっこよくて、
言ってることも素晴らしい人がいるじゃないですか。
ただそれだけを見たら
すごいってなっちゃうけど、
そうは受け取らないってことも
哲学と孤独
やってるってことなんですかね。
その人との周り、裏側とかも
思いはかるというか。
肯定もできるし、
否定もできるっていう。
その両方を
価値観として
乗せてるのかもしれないです。
逆もじゃあありますか。
例えばニュースで
人を殺しましたとか、
あとは
詐欺を行いましたみたいなニュースって
多々あるじゃないですか。
でもその人たちも年に
パーセントとしては少ないかもしれないですけど、
やっぱり間違いだったって事件も
多々あるじゃないですか。
本当犯罪者じゃないのに
犯罪者としてある意味
仕立てられてしまったとか。
そういうのも中立的に
見ようとするってことですかね。
なかなか難しいと思うんですけど。
これに関しては。
自分がやっぱり
哲学を好きになって
いろんな哲学者の
話とかを聞くんですけど、
そこですごい
やっぱり哲学って面白いな
って思うのは
極論がない
ところがやっぱりすごく
例えば人と
みんなと一緒にいる方が
いいよねっていう価値観が
世の中であったりすると思うんですよ。
洋客じゃないけど
仲間がたくさんいた方がいいとか。
だけどドイツの哲学者
ショーペンハウアーって今200年前の哲学者かな。
哲学としたら
獣人みたいになったんですけど。
このショーペンハウアーは
群れる人間は
なんていう表現かな。
群れる人間は
人として質が
悪すぎると言われるわけですよ。
孤独になれない人間なんて
幸福なんて
味わえるわけがない
って言うわけですよ。
でもその哲学界では
獣人と呼ばれて
俺は陰虚の大魔王だと思ってるんですけど
だけどなぜか
ショーペンハウアーの
哲学、幸福に対しての考え方には
共感できるところが
すごくあったりするわけなんですよ。
だから
もし自分が
医療の進化と遺伝
群れる方がいいなって
思ってる価値観だけだったら
きっと
もっと
幸福感は感じられてなかったんですよ。
今の時点で肯定できてなかったんですよ。
だけどショーペンハウアーの
本当の幸福になれる
人間というのは
人を殺したって言ってくれることによって
自分は幸福感を感じられたわけなんですよ。
だから
人を殺しを
しましたってなった時に
熊ヶ谷で
確か6人ぐらいを
包丁を持って
殺してて
っていう
事件があったんですよ。
窓に血の付いたやつ
ピッピッと
生産の事件があったんですね。
殺しちゃった人が
精神異常があったとかですか?
同業失調症とか
あったんですけど
外国人で
奥さんが家で
専業職の奥さんが泊まってて
入って殺しちゃって
小学生の子供2人が帰ってきて
それも待ち伏せして殺しちゃって
お父さん帰ってきたら家族死んでました
みたいなのがあったんですけど
でも
それは間違いなく
なんだけど
外国で
言語も繋がらなくて
もし
ひもじい思いして
っていう
精神状態になってしまう時に
自分が
極限の状態になった時に
そんな行動を
道徳心を持って止められたのかな
っていう風に思う
そういう心もあるんですよ
もし自分だったらっていう
自分が絶対犯罪者にならないな
っていう
そんな価値観は自分はなくて
環境が環境だったり
極限で追い詰められたら
人の肉を食うこともあるだろうし
と思うわけですよね
話が長くなっちゃうんですけど
例えば
病院とか医療って
先生って呼ばれる医者って
あると思うんですけど
性を医学っていうものも
良くないっていう
考え方もあって
なんでかっていうと
性を医学って烈性遺伝子を
救うっていう
業界というか
なわけじゃないですか
例えば帝王石灰
これは自然分辨ができない人を
帝王石灰という術式を用いて
生むわけじゃないですか
だけど人類の進化の歴史を見ていったら
有性遺伝子が生き残ってきた
わけなんですよ
性を医学が出てきたことによって
烈性遺伝子を救う
それは命に重きを置いたら
もちろん正しいことなんだけど
人類が進化の歴史を見ていったときに
烈性遺伝子が生き残るってことは
遺伝子的に弱い
そういう人も増えていくわけじゃないですか
人の進化論というところで
見たときに
烈性遺伝子が入ることで
人類の長い進化の歴史の中で
もしかしたら進化の歴史を
止めてしまったという価値観も
考えられるわけですよね
科学という力を用いることで
という考え方もできるというか
両面があるということですね
情報の受け入れと生きる喜び
うまくいっている反面
別の角度から見たら
それによって悪いことも起こっているかもしれない
山で言えば両線を歩くというか
両方を見ながら
あらゆる物事について
例えば
人殺しというのも
地球規模で考えたら
もしかしたら人間というのは
ガン細胞かもしれないなと思うわけです
地球環境を破壊して
自分の尻尻浴のために生きて
自然災害が多くなって
野蔵物とか文明とかあるじゃないですか
南極の氷が溶けてとか
洋の水が出たりとか
水質が悪くしたりとか
それは人間が全て行っていることじゃないですか
そう考えたときに
人を殺す人口が人を殺して減るということは
地球にとっては
ガン細胞が減るという考え方もあるのか
寄生獣だ
寄生獣でできた
って思ったり
考えさせられますよね
人間が世話をしているな
そういう
多角的な視点で見ているんですね
今日の問いのSNSで
どう選ぶかというときに
自分の多角的視点
行政を見るというか
一個だけの情報を飲みにしない
必要なんだろうなって
そんな話を聞きながら思ったのと
あとは
野蔵物さんは
何か間違いを出した人も
受け入れてくれそうだなという
自分まだ何か大きな
常にいたるほどの間違いを出していないんですけど
もし本当なんか
例えばちょっと気が狂って
前橋の街中で
うわーって叫びながら
走り回ったとするんじゃないか
多分それから翌日に
多分僕と話してくれる人も
来て思いやすくなると思うんです
野蔵物さんは
近寄ってきてくれて
ヤマトくん大丈夫かって
言ってくれそうだなって
自分も死にたくないという
細胞レベルのプログラマーが
求まれているから
一定の安全確保をした中で
自分の命の期限
及ばない範囲で
あれですよね
あのー
露苑入った人とかが
会う
ああいう安全確保されることが
全部入ってくる
それが確保されないとね
気が狂ってたんじゃないかってやつと会うのは
ちょっと怖い
よかったのかわからないですけど
お互いに安全性を保ちながら
あとは
自分の心の
反応を見てみるというのは
結構大事かなと思います
確かに
今触れた情報が自分にとって
心地いいものなのかどうか
っていうところ
それ大事ですね
不快に思うなら
理由は自分の中にあると思うし
そうですね
だから自分は
情報に埋もれて
いや同じなんですよ
自分も情報型の中で
苦しむことは未だに全然あるんですけど
今一番
その時間を過ごしてて
いい時間だったなって思うのは
どうでもいいな
って思って
バカな話してる時が
一番
楽しい人生を送れてるなって思う
この時間
そう
雑談だけどお互い
考えつかめていけるような
くだらないことの話が出て
じゃあそのくだらないことをやってみましょうか
なんでもなったら
なおのこと面白いと思うし
出たアイディアを
実際やってみたらどうなるのか
面白いですよね
与えられた時間をどう楽しく過ごすのか
っていうことに
目を向けてる時が
一番あるかな
心は喜んでる気がする
そういう意味だと
情報をどう取り入れるかというよりは
インプットだけじゃなくて
自分がやってみるってところの方に
より幸せを感じるのかもしれないですね
受け取ってばかりやると
飽きちゃったりとか
刺激もなくなっちゃったりとか
自分は動画とか大好きだから
ずっと見てますけど
途中でやっぱ飽きますね
もういっぱい見れたなとか
YouTubeの映画も
自分の実生活というか
何かしらの活動・行動に
つなげていかないと
エンタメだけを接種し続けると
飽きが来るなっていう
そうですね
でも飽きって
これ
穴がち悪いもんじゃないな
もう20代
30歳入ってますね
ギャンブルぐらいだったので
パステロだったんですかね
やってて
なんだろうな
なんか
苦痛になるぐらいやってたんですよ
嫌がりに続ける
なんかもう引けなくなって
なんだけど
一時
もうやったなみたいな
もうやりまくったな
ってなって
あの労働感を
味わうんだったら
もういいかなみたいなことになったので
卒業できたので
飽きるまでやるって
結構違うものに目が行く
いいきっかけかなって
そうか
上手くできてるのかもしれないですね
人間のそういう
それが機能しないでもう
依存症になっちゃう人もいると思うんですけど
ギャンブル依存症とか
野辻さんの場合は上手くそこが
はまらずというか
依存症まで行かずに
いけだした感じですね
依存症とかも
あと死についてもそうなんですね
別に悪いもんじゃん
悪いものとされてる
そういう側面も分かるんですね
だけどまあ
なんだろうな
自殺とかですか
自殺も悲観的に
見る人もいると思うし
それは確かにそうなんだけど
だけどまあ
辛い現実から逃げるっていう手段として
それで解放されるんだったら
それはそれで
死ねないより死ねたほうが
いいなって思ったりとか
漫画とかアニメで
死ねない体の
苦しみみたいなの描かれたり
しますけど
そういうのもありそうですよね
だって
生きるのに辛ければ
辛いんだったら
死んで何もかもないほうが
麻痺とか結局そうですよね
そういうのをね
苦しみで病気で苦しんでる人もやっぱり
麻痺させていく体を
それでだんだん死が
体柄として
痛みではなく麻痺させていく
っていうのは
モルキネか
体には悪いけどやっぱ
愛を使って痛みから解放されていくってのは
大事ですもんね
確かに確かに
ドキュメンタリーで癌の麻痺の
痛みに耐えられなくて
睡眠で安楽死するとか
あれもあるけど
だからなんだろうな
まあ
好きなように生きたらいいよ
って思うんですよ
死もただ長く生きれば
幸せと長寿の哲学
幸せとは限らないと思うんで
その本人ももしかしたら
衰えがすごい長い時間
長寿命100年かけてくるよりは
もしかしたら
多文明の寿命のほうが
幸せにこの人生を終えられるかもしれないし
あと100年ってなったら
家族も大変ですよね
周りの人が残りの
80から120年くらいで
相当苦労するって思うと
自分自身が母親を
64くらいで亡くして
早く亡くなってしまって
悲しみはもちろん大きかったけれど
でも
母の最後を見てると
凝縮された人生を
幸せに生きてたし
もちろん長く生きたい人で
幸せだったと思うんですけど
短かったからこそ得られた幸せとか
周りとの思い出を
いい意味で
汚さずに
綺麗なままでっていうのが
すごい感じたんですよね
長く生きたら
認知症とかが起こって
本当に仲良かった夫婦が
なんか悪くなっちゃって
最後を迎えるってこともあると思うんですよ
そうですよね
親子関係も
最後の中で関係性が悪くなってしまうとか
本当にただ長く
みんな早く死ぬとかそんなメッセージしては
全くないんですけど
むしろ長く幸せに生きてほしいけれど
死を恐れる
生き方は
自分の違うかなって思いますね
狩猟民族の生き方
狩猟民族の
話とかを聞いてると
科学も発展してないし
治療もないと思うんですけど
病気に対しても
特に処置とか手段も
そこまであるわけじゃないんで
子供とかも
10歳になる前に2人のうち1人が死んじゃうみたいな
老後っていう概念が
基本的にないらしいんですよね
狩猟民族っていうのは
でもその人たちと話すと
今の自分がどれだけ幸せかっていう話を
よくするらしいんですよ
狩猟民族っていうのは
今あるものっていうのは
今しかないから
そこに対してどれだけ
精一杯生きるかっていうところを
人生の目的として
っていう種目らしいんですけど
自分保険の仕事とかしてて
やっぱり思うのは
多分日本人っていうのは
絶対どこかで老後が来るっていう
老後が来る
確定してるような
ビジョンをみんな見てると思うんですよ
そこに対して
まだ現実に遭遇してない不安を
作り出してると
自分が思うんですよね
でもまだ目の前にないじゃないですか
だけど
未来とか
成功とかにもしましょうが
そこに対して
不安要素を感じたりとか
面白い表現するかって
別の方が言ってたのは
成功とか目的の
奴隷になってるとか
そうなんですけど
そういうのを聞いたときに
ソクラテスの教え
そうだよなって
あるものって今なんだから
今をどれだけ楽しく
転換して
生きていけるかっていうのは
生き方として
それを全てってことじゃないんだけど
今の日本で
幸福感を感じられないんであれば
その考え方も一つあるかなって思ったり
保険の営業マンから出て
こなさそうな人が来ましたね
今を生きろって
保険とは真逆の
え?え?え?
メッセージというか
悩みで言ったら
日本の資本主義が合ってないなって思った
それを
受け入れてる
それを自分で分かって受け入れてるのが
ありがとうございます
1時間くらいで色々話を聞かせてもらっちゃって
聞きたい話
こういう話だったんですよね
このグーモリティポットキャットで
今一旦
シーズン150回やったんですよ
これは一旦卒業して
今度シーズン2これから始めて
今日の収録もシーズン2で流すんですけど
これは
癖の強さを出していこうと思って
僕自身の癖も出し
のぞみさんが
インタビューするシーンの人生の癖を
どれだけ出せるかみたいなところで
逆に最後まで聞いてくれる人は
相当な変人だと思います
褒めたたえでいいで
変人が聞いてくれると思うんですけど
僕たちが最後まで聞いてくれる人は
一人でもいいから
仲間というか
色々と話し合いたいし
発信していこうと思ってるんで
逆に今日のはめっちゃよかった
最初のインタビューとして
一番いい感じの
深みと変態さを
出してくれました
加工するのに大変だろうな
ほぼ加工しないで出します
マジで聞かないで
もちろんおぞみさんがカットしちゃって
全然カットするんですけど
ほぼほぼ聞きたい人が
これホットレフトなんで
作業しながらとか聞けたり
移動しながらとか聞けたりするんで
全部聞いちゃってください
この場にもう一人いましたぐらい
人にとっては不快でしょうね
ほんとに
最後まで聞いた人すごいと思う
うるせえな
ほんとに全部含めて
ほんと最後まで
一人でも聞いてくれたら嬉しいですし
逆に途中で
聞かないってなった人だとしても
途中まで聞いてくれるだけでも
嬉しいですね
最初の5分だけ聞いてくれるだけでも
嬉しいし
っていう感じの
最後にじゃあ
次のインタビューの人に聞いてみたいこと
問題定義というか
こんな質問を次の人に聞いてみてください
っていうのをもらってもいいです
それでもいいですよ
今日の話の中で出てきたものでもいいですし
全然関係ないものでもいいですし
それで言ったら
やっぱり
日本人っていうのは
豊かすぎる兵衛でもあったりするのかな
と思うんですけど
例えば幸福度ランキングっていうのは
上位になったりしないわけではないです
幸福感っていうのを感じられてるから
イメージがないわけですよ
だから
幸福感
幸せに生きるためには
じゃないけど
っていうのは
聞いてみたいかもしれない
その人がどうやって幸せに
生きているか
幸せに生きるためには
何をしているのか
何でもいいですよね
ガリガリ君食べてるとか
好きな買い物食べてるとかでもいいし
具体的なアクションプランでもいいし
価値観
リフレイニングじゃないけど
物事をどういう風に見てるとかでもいいし
物の見方を組み合わせてるとか
あとは
収入を上げて
年収800万までは幸福度が上がるから
そういう戦略的なところでもいいし
経済的な戦略
じゃあ次の人に聞いてみたいと思います
ありがとうございます
最後もう一個
個人的に聞いてみたいこと
モデルにしている人物とか
娘さんが
あとはモデルにしている
こんな人生いいなみたいな
人物的に
この人みたいな人
いたりしますか
昔の人でもいいし
今最近の人でもいいし
この人の生き方
この人の生き方
モデルになりそうだなというか
その方にすること多そうだな
みたいな人がもしいれば
うーん
それでいうとやっぱり
なんでしょうね
老子っていう人がいたりとか
老子
よく中国の
戦略で出てくるんですよね老子は
戦略じゃない
どちらかというと
先生でもないんだけど
まあとにかくその
生き方考え方っていうのが
すごいな
って認められて
ちょっと本にしませんかって言われて
えーみたいな
本にすることでもないけど
みたいな感じで
出したのが老子っていう
自分の本だったと
自分の名前の本
老子とかブッダもそうですね
ブッダも
ゴーダマシッダラタっていう
王様だったんです
それがブッダって悟りを開いたことで
ブッダって
あとはサクラテスとか
四大聖人と言われる
部類ですね
あの部類ですね
ローマの時代というか
その時代ですね
紀元前か
今から2000年前
2000年前に
哲学を
そういう奴たちのことが
ものすごい影響を
起こしてるってことですよね
前にヤマトさんに
少し話したと思うんですけど
3歳とか4歳くらいの時に
自殺の描写がある
ドラマを見て
死っていう
死って
死ぬのが怖いって最初言ってて
そしたらおばあちゃんが
ガキの言ってることなんで
病院行けば死なないよ
完全嘘じゃないですか
そっかそっかって言って
病院行ったら死なないんだ
学校通いながら
でも死なないって何なんだろう
って思うわけですよ
永遠に生きるって何なんだろう
終わりがないって何なんだろう
って思うわけですよ
死ぬのも怖い
死なないのも怖い
でも自分はどっちか
でそれ以外は
答えが出ない
なんか自分っていう存在は
意志で生まれた
自分っていう存在は
その時に感じたのは
出口のない迷路に
落とされた
存在だなって思ったんですよ
4歳くらいの時
本当に怖くなって
想像できないじゃないですか
死んだ後ってどうなんだろう
怖いですよね3歳4歳で
それがその感情
っていうのが
30代半ばまで
死について
考えた時に湧き出る
本当に解決できない
ものすごい大きい概念に
押しつぶされそうになる
この恐怖っていうものが
30代半ばまで
まともな時はいいんですよ
ちょっと意識が弱ってて
朦朧としてる時とか
寝不足とか
心が油断してる時に
頭の片隅で
ふわーって出てくる
大きい声出して
起きるみたいな
悪夢みたいな感じ
それが30代半ばまで
未だにその概念について
自分の存在について
解決できない
ものではあるんですけど
その時に
ちょっと
面倒くさい話
前にも
ソクラペスの話しましたけど
ソクラペスって
国家反逆が
行って罪に問われて
最終的に処刑されるんですけど
処刑される時に
弟子のプラトンが来るんですよ
統獄されて
死刑執行待つ間
プラトンは
ソクラペスに何を言いたかったか
死ぬなって言いたかったんですよ
って言ったんですね
ソクラペスは
死を免れることができたんですよ
それは自分の罪を認めることと
お金を払うことによって
死から
免れることができたんですよ
なんですけど
ソクラペスはそれをしなかったんです
なんでかというと
プラトンが
そうすれば免れるじゃないかと
まだ生きられるよ
って言ったんですけど
ソクラペスは
死についてそこまで悲観的になるんだと
ソクラペスは
我々が学んでいる
哲学というのは
賢者の学問
本当に賢い人間になろうとする
賢かろう
賢者であろうとする学問だ
本当の賢い人間というのは
分からないものに対して
良いも悪いも
レッテルを付けないだろうと
分かってるのかと死について
死んだことがないのかと
もしかしたらこの世の
哲学の重要性
この世界で
この世界にあるあらゆる現象の中で
死っていうものが
最上の学問かもしれないだろう
ってプラトンに言うわけです
それを見たときに
ああ俺は
愚か者だったんだなと思ったわけですよ
経験してないものに対して
勝手に怖いというレッテルを張って
訳も分からないものに
ネガティブな情報を
貼り付けて
30年近く悩んだわけで
賢者じゃなかったんだなと思った
何歳の時に出会ったんですか
35歳
そこから悪夢みたいなのも
見たくなった
この
圧倒的な概念に押しつぶされる
この虚偽というのは
完全には残えてないんです
だけど
現代に生きている人の
どんな回答よりも
自分にその根幹にある
悩みについて
ソクラペスが
自分の心の深くまで
向き合ってくれた感じがしたんですよ
それすごいですよね
2000年前で
そこに行き着いてて
ソクラペスが
すごかったし
それが今残っているので影響を受けるところもあるし
もし
ポッドでのユーチューバーが
同じことを言ったとしても
ソクラペスが説得力
それが2000年間
語り継がれてきたというのは
説得力がありますし
生き方もあったと思うんです
最後に死んでまで残した
そこから哲学者の
いろんな哲学者を
興味を持って
いろいろ聞いていくと
今の人たちと
話しているよりも
深い話をしている感じが
生き方について
吉田松陰とかも
好きだったりしますか?
吉田松陰ね、全然詳しくないですけど
吉田松陰の生き方は
本当に素晴らしいですよね
死に間際も
死を受け入れて
言うべきことを
言って死んでいったわけですけど
その人によって明治維新を起こす
モサどもが
立ち上がったと思うと
吉田松陰の死にも
ものすごい力と意味があったと思うんですけど
しかもだいぶ若く
30だった
29か30だった
すごいですね
あまりそういう生き方に
憧れだったり
参考にしたりするんですかね
さっきのソクラベスとか
共通しているのは
人生哲学
そう言ってるんですけど
人生哲学を感じる人に
興味じゃないけど
人生哲学を
それぞれいろんな哲学を持ってるんですよ
哲学者って
自分の理論とかそういうものを持ってて
自分で持とうとしているものが
みんなあるわけじゃないですか
そこに対して
自分自身のオリジナリティを
作り上げているところに
力を感じるというか
生き方をデザインしている
自分ならではの
自分はこうだよ
っていう
そこですかね
吉田松陰と人生哲学
だから資本主義って
軽視しているわけでもなくて
でも一定の法則はあると思うんですよ
おそらく
収益が集まるとか
なんだけど
人の感性っていうのは
だから
自分の人生哲学を
作り上げることに対して
芸術性を感じたり
人の生き方を感じたり
作品ですね
一人一人が
アートじゃないけど
野沢さんも作品として生きているんですよ
見習いじゃないですよね
ありがとうございます
だいぶ詳しく聞けたのと
この配信を最後まで
聞いてくださった方々に
ありがたいなという思いと
これはもう
作品なので
じっくり
聞いてもらえたらと思うので
これは良くないですよ
最後まで
聞いてくださった方々は
本当にありがたい思いと
今後
こういう配信が続いていくので
こういうのが好きな人が
聞いてもらえたらと思うので
よろしくお願いします
最後までご視聴いただきありがとうございました
ありがとうございました
またよろしくお願いします
ありがとうございます
01:12:14

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