1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v.85 元海外法人社長・長谷川..
2024-04-04 54:27

v.85 元海外法人社長・長谷川隆さんに聞く「今の私は何者?」

今回は、元海外法人社長・長谷川隆さんにお話を伺いました。
「自分が何者かわからない」という言葉からお話をはじめられた長谷川さん。小さい頃から海外に行きたい思いが強かった、というお話からお聞きしていきます。
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
今回は、元海外法人社長・長谷川隆さんにお話を伺いました。
自分が何者かわからないという言葉からお話を始められた長谷川さん。
小さい頃から海外に行きたい思いが強かったというお話からお聞きしていきます。
実際、長谷川さんが今さっきおっしゃったような
自分が何者なのかというのは、なかなか不思議だったんですけど。
やっぱり自分が何者かわからないですよ。
小さい時に思っていたことで、僕はずっと海外に行きたかったんだけど
海外に行きたいという気持ちがすごく強かった。
俺、自分をリビューした時に、何で海外に行きたかったっていうのは
もうすぐ思ったんだけど、この間も考えたら
昔、花戸小箱さんという、大阪の花戸小箱って言うんですね。
芸名ですけど、吉本の全身という、あの中の脚本を書いたり
デッチ暴行とかっていうのがあったじゃないですか。
ああいうのは、デッチ暴行の方の脚本家で
いろんな物語も作ってる、ストーリーも作るんだろうけど
脚本家なんですけど、彼がラジオで言った言葉が
私、清賀県生まれなんですけど
琵琶湖の愛は、琵琶湖では大きくならない。
琵琶湖から外に出すと大きくなる。
というのが、その人が言った言葉がエレジーした時に
頭にグサッと刺さって
いや、俺は琵琶湖、清賀県の彦根なんですけど
生まれたんだけど、花戸小箱さんっていうのは
彦根の長浜出身の方だったんですね。
それを聞いた時に、ああ、そうなんだと。
琵琶湖の愛は確かに、自分が小さい時に
川行って撮ってた、小さい時に。
時折、何かで見る外行って
塩焼きとか描いてるやつが大きい。
そうですよね。
そうなんだと、これ外へ出すと大きくなるんだ
というのが、その時に話がすごくあって
俺はもう絶対にここから出なきゃダメだと
いうのがすごくインパクトがあって
それが、外へ出るという
自分の一番の動機ですよね。
だから、もともと
清賀県から出たいのもあったし
03:00
それから途中で人に会ったりしたから
僕の時代は
何でも見てやろうと、織田誠さん
織田誠さんという、世界何でも見てやろうとか
という本を書いて
バックパックで世界を回る本が結構売れた時代で
そういうものがちょうど
高校時代かな
非常に流行ってて
ベトナムに平和連合というのが作った人ですけど
ベトナム戦争があった頃まで
そこらへんとの兼ね合いで
世界を見てやろうというのが自分の中で
どんどん清賀県から日本に行って
日本から世界を見てやろうという
最初にそれがあって
そこから自分の人生観というか
自分の人生観みたいなのがあって
外に出て海外で活躍したいというのが
一つの使命ってあったんだけど
実際にそれは自分なりに実現してやってきたんだけど
ふっと今見て
こんな時代に立ち止まって
いろんな人と喋ってたもんだけど
まだ分からない
何が自分の中にあって
自分の出せるものって何なのかってのは分からなくて
それは非常に
年から感じることなのか
何なんですかね
やっぱり暇だから感じる
結構忙しくずっと仕事を
解説とも60歳で辞めてから
インドで会社立ち上げをやってて
その後また帰ってきて
中国の会社のコンサルをやったりしながら
ほとんどその後はコンサル業務です
ずっと来たんですけど
海外はどうしても自分が昔いたとこがあったもんで
それで海外行くのは非常に苦にならないし
刺激があっていいので
それで続けては来てるんですけど
でもやっぱり
自分が持ってる
自分の本体持ってるものって
いくら考えてもよく分からない
だからこういう話をするときに
一体俺の中のどこを出すんだろう
いうのがよく分からない
そういうような疑問っていうのは
例えば若い頃というか
30代40代50代みたいなところで
思ってたことはなかったんですね
やっぱり走ってたのね
忙しくというか
なんか
こまねずみたいなもんですね
走ってる
仕事で一生懸命いろいろ考えて
06:01
やはり年なんでしょうね
人と話すと
若い人と話すと余計に感じるものが
ありましたね
若い人と話してると
俺はこの人に対して
何がアドバイスできることって何なんだろう
でも自分の経験のやつをそのまま話したって
経験を持ってる人に話すのと
持ってない人に話すのと
話し方が違ってくるわけですよね
どんな形で話していいのか
分からなくなってくる時があって
俺って何を持ってないのかがよく分からないね
だから年いくと余計に
持ってると思ってるんだけど
持ってると思ってるのにいないと
持ってないんじゃないの本当は
思うようになってきたってことですね
走り続けてる時はなかなか思えないじゃないですか
結構走ってる時って
今やるべきことに向かってる
仕事が好きです
趣味なんだって言われれば
よく昔から言われたんだけど
分かんないっていう
何が楽しいっていうか
仕事って言うと何をしてたって言うと
何になるんですか
仕事の
会社の名前言うといいの?
差し支えなければ
本田基建で
国内営業やって海外行って
営業ですけど
国内営業完全に営業で
本田とヤマハ戦争の
ヤマハが戦争したことがあって
価格競争で
昭和50年
54年ぐらいだと思うんですけど
その時に現場で一生懸命販売店を
攻略するようなことやってたから
営業をやってましたね
営業で販売店を攻略するには
あの時にすごく勉強になったのは
人を見て話す方法を
分かんなくて
アプローチする方法を始める
会社でいろんな研修ってあるんですよね
戦略とか
難しいこと言うんだけど
実際に原発して教えてほしいのは
このオッサン見たら
どういうアプローチしたらいいか
顔を見て分かるとか
態度をこういう人は
09:00
教えてくれたら
戦略なんて聞いたって
本読めばいいからでも
喋ってはいけないなと
いい質問でもいい質問でもいい質問でも
それをしてほしいと思ったことがあるぐらいに
実際の機場の上では
攻略するのがエッジの当然で
僕らはメーカーですから
直接お客さんに売ってなくて
販売店として売るもので
販売店を作っていかなきゃダメなんですよ
エッジバイオセンスの時は
販売店でやるのに
全然付き合いがない人に
アプローチしてくれる
こういう性格のオッサンが
こういうアプローチしたらいいか
現実には戦略じゃないよね
実践を通して目の前で
その辺の勉強は
そこでさせてもらったと思いますよ
社長って営業です
営業収支を国内でやったり
海外は国ごとに社長をやっていたので
国ごとに社長をやっている?
例えばマレーシアとかフリピンとか
ホンダの会社があって
ホンダの会社の社長をやっていたんですよ
フリピンホンダの社長とかタイの社長とか
経営的なことのほうが多かったり
現場とかじゃなくて
営業をずっとされてきて
社長業としていろんなところで経営
そうすると使う頭というか
国内で少し営業収支をやったので
海外に行ったんですけど
海外は異文化の中で
人を使っていかなければならないから
文化の人の使い方というのは
すごく勉強になりましたね
文化が違うんだから
やはり会社の体制自体も
日本と同じように考えちゃダメですし
そこで一番キーだったというか
会社ケースの中でキーだったのは
現地の国の人の
良い参法をつかまないと
なかなか会社ってうまくいかない
販売会社ですから
工場もあったんですけど
工場は工場長が社長でやってて
やっぱりそうすると売っていかなきゃならない
工場は工場長で任せておけばいいんだろう
それは日本から応援もらったりできるけど
実際に売るとなるとやっぱり
販売店攻略をやっていかないと
そうなってくるとやっぱり
現地の人がきっちりつかんでいくと
それがうまく見つかるとうまくいったら
12:01
失敗した結果もありますから
もう絶対成功しましたよ
その人に出会うか出会わないかでしょ
フィリピンであれば
フィリピン人の肝になる方
肝になる自分が会う意志が通じて
それで彼の言うことが理解できる
うまくそこで見つけていかないとダメだし
それが下のもっと暗い
従来暗いが下であろうが上であろうも関係なくて
その人たちをつかんでピッてあげて
でも自分の考え方なり
分かってもらえる人を作らなきゃダメ
変な話ですけど
平然の付き合いも結構厳密にやって
やっぱりその人の性格つかんだりして
いまだに昔の人と付き合いがありますから
もう20年か30年
それ自体は出会いじゃないですか
捕まえたくてもいるかいないか分からないし
いいと思ってもいいのかどうか
付き合っていかないと分からないし
付き合っていく中でこの人ならとか
そういうのは見てくる
いろんな人と攻略する中で
いろんな人とお話しさせてもらって
それが現地に行ったときもやっぱり
人をどう見るかっていうのは
すごく勉強になったことはありますね
いまだに友達作りだけは上手いと思ってるんだけど
そうですね
見るっていう人を守る
人を見る
自分で経験を通して
教科書だけじゃないとか研修じゃなくて
知ってきたこれみたいなのってあったりするんですかね
最終的には人
自分と上手く合うかっていうのはあるんですよ
ロンリーじゃない
相性があるから
自分の考えが分かってくれる人
それと
変な話っていうか
善良で素直ですよ
その人が善良さと素直さ
例えば優秀な方
多分たくさんいると思うんですけど
決してその方が善良で素直かってのは
そうと限らない
どこをもって優秀とするかっていうのは
どこをもって優秀がするかっていうのは
非常に難しいです
この時代の優秀さで使える人
この時代の優秀さで使える人
これは時代と関係によってだいぶ違ってきますよ
それはそうですね
昔言った学生さんが受験勉強して
15:01
記憶力がものすごいいいとかっていう優秀さも当然あるわけだし
今の時代の優秀さって全然そことは
それもありますけど違う形になってきてるでしょうし
そこをどう時代に即して自分がこう
あと自分との相性もあるって方に
いかに出会えて対話して
じゃあそこで一緒にやれるかみたいな
出会えないと失敗しますわ
失敗しますわって言うかもしれない
うまくいかない自分で悶々する
ああそうか
どっか探すんだけどね
悶々しながら探してるよ
そういう人いないと動けないもん 実際には現地の中で
そっかそっか
長谷川さんは現地で社長業としてやられるんですけど
実際に動いていくという方は現地の方?
日本人が
英語なりツールは何でもいいけど
言葉を通じて彼に話す
彼は文化を知ってて
文化の中で話す
これはもう全然ここのワンクッション
俺はここに直接話しても
日本人知らない俺が分かんない
どんな人間か分かんない
俺はどんなにうるさいけど
どんな話を言おうとしてるのか
やっぱり自分の分かるやつを
一人置いておかないと話できない
そうですよね
いらっしゃったらいらっしゃった?
今までの中でいない時もあったけど
いらっしゃる時は
2カ国はいらっしゃいましたね
そうなんですね
そうなるとすごく思いが通じて
やっぱり
選挙率上げて一応
会社クロージングしたり
やっぱりそんな出会いの中で
できたなという感じがあるよね
あれがなかったらできてないですよね
出会い自体がそればっかり
巡り合わせじゃないですか
人は巡り合わせですね
誰が巡らせてくれるんだろうね
そこは本当にそうだと思います
またそこにも
肝になる方に出会わせてくれる方もいるじゃないですか
長谷川さんとの間にきっと
それもご縁ですね
答えはない
ちょうど僕らの時代は
88年から90年代全部ぐらいが
アジアでごちゃごちゃいた時代ですけど
その辺はちょうどまだ
本田が海外展開をこれからやっていて
まだ二輪の会社を作っていて
18:02
それから四輪の会社を作っていた
そのような時代で
他のアメリカとかヨーロッパは結構
初めにやったんですけど
パートナーで商売
パートナーは現地の人に販売任せて
そういう形だったんですよね
それが僕らになったら工場作って施設も作って人も入れて
という話になった時代だったから
その中での
時代の中でのシチュエーションがみんな違うから
なんていうのかな
僕の性格も逆に言えば
開拓の方の性格で
さっきの国内でH5Sを経験した関係があって
海外でまだまだ浸透しなくて
本田が負けてるというか
これからもっと伸ばしていかないといけない
赤地を黒にしていかないといけない
こういうところでは自分は本当に力発揮できるというか
そういうような性格ですから
突っ込んでいく方ですよね
守りがうまい人もいる
守りはこんなにうまくない
黒地にずっとしてる会社がポンと行って
何かしろって言われても
黒地以外に何をするんだ
黒地を白にするのかどっちにするんだ
という感覚しかないから
ミッションが赤地の会社を黒にするというのは
自分としては攻撃型だと思ってるけどね
逆に
こんなこと言っていいかも
タイの社長だったときに
タイは黒地だったんですよ
こういうところに来ると
前任社の社長さんが選んでくれたのはいいんだけど
こういうところで何をしていいんだろう
というのが
私はもう
黒地の会社をどう伸ばしていくか
という話になってくると
前任社で日本人が部長さんで一人いたもんだから
彼がずっと前任社長からやってると
彼に任せたほうがいいと思って完全に引いちゃって
タイのロータリークラブとか
そういう社会になって
会社の経営よりかは
もっとソサイティに組み込んでいきたいな
ソサイティというのは国の中ですよね
そういうのがあってやってましたけど
それは会社にとっては評価されませんから
そこはそうですね
そういうのも行ってみて実際分かることだったりもしますよね
行ってみてというか
その場合は行った黒地というか
21:01
黒地というのはタイは結構大きいマーケットだって
これこそ日本に何億くらいの配当金払ってた会社だから
だからそういうところの社長というのは
行く前から知ってました
そういう状況とかはもちろんご存知
知ってるんですけど
事例を受けた時に行きたくないって
さっさと断ったんですよね
行きたくないそういうところ
攻撃的でないとダメだと言ったんですけど
いまだにその上司がいらっしゃいますので
それは断っても行かざるを得ない
断ってもダメだと言われたらしょうがない
当時はね
そういう形で
一応ここに行ってくださいということで
そこで一応お仕事されて
次はこっちに行ってみたいな形で
行ったんですけど
途中で
次に行ったんですけど
会社の役員とだいぶ喧嘩しまして
それで飛ばされまして
営業クビって言われまして
クビになりまして
新事業推進室というのが本台にありまして
新事業推進室長というところで
本台県におりまして
そこでそこの経験の方が
今の方に生きてますね逆に言えばね
日本に帰って
日本で新事業で
いろんなこと
私の成果とは言いませんし
ジェット機なんかの契約とかごちゃごちゃ
あれなんかは一番初め
ごちゃごちゃ携わってて
やめとけと言われたけど続けていった
プロジェクトの中で
イネもやったり水もやったり
いわゆる本体とは関係なくて
今後やっぱり必要なものが長いと思っているので
人と出会うか出会わないか
人は巡り合わせ
誰が巡り合わせてくれるんだろうねという言葉
そしてお話は本田県に入った経緯について
伺っていきます
お話としてすごく最初の方といったらあれですけど
昭和22年というのは就職なんでね
段階の世代で
めためた人口が多い
私はどうしようか迷ったんです
結局どこも就職しなくて
ぶらぶらして
本田県の駿河政策社で
24:01
大学に入って
大学に入って
本田県の駿河政策社で
季節コンビニみたいな募集があったんですよ
そこで金を貯めて
ちょっと金を貯めて
海外行こうとばっかり
それが一番初め
季節コンビニから正社員になっちゃった
そういう感じなんですね
私はね
大卒ばっかり通って
中間作業なかったんだけど
昔の本田っていうのはすごくそこら辺が良くて
ガラガラ飛んで
大卒であろうが何であろうが
良くて
あんまりガグ歴を問わないという風に良くて
僕は完全にそこから工場でやってて
金を貯めて辞めようと思った時に
親父が金が要る話になったのと
それと
これは金出すと向こうに行くか
切符買ってたんですけどね
シベリア鉄道を通って
ベルギーへ抜ける道があって
名古屋にティルズビルドっていうのがあって
そこでチケット売ってるんですよ
家で金が要るって話があったもんだから
どうしようかなと思って
絶対工場の仕事向かないかなと思って
当時
辞表を出したんですよ
どこか別の所で働こうと思って
その時の課長さんが
急に呼ばれて
俺の家へ来いって言われて
なんで俺は課長なんて
200か300くらいの人がいるんですよ
この中のまだ1年の人間じゃない
それが班長さん、係長さんがあって
大分上の方ですね
班長さんに辞表を出したら
係長さんに行って
呼ばれてきたら
辞表を持ってて辞めたいかというか
世界一周したいんですけど
金貯めていいやと思って
海外に行きたいんだったら
こんな所でも行けるよと言われて
そうそうですか
私は工場なんて嫌なんですけど
聞いてあるから待てって言われて
1年待てと言われて
1年だけ我慢してくれて
1年後に願い叶えてやるからと言われて
1年一応延長していたんです
課長さんすごくそこの時に
27:01
1年経ったら
本社転勤って言われて
本田家の本社ヤイスだったんですけど
ヤイスの本社へ転勤したんです
海外行くのかなと思ったら
国内の営業に行かされたんです
面白かったんですけど
先所からヤイスまで行けって言われて
本社に行ったら受付行って
ちょっと待ってくださいって言われて
連れて帰ったのが喫茶店
喫茶店で10時頃からだと思うんだけど
座ってて人が来るんですよ
何聞かれたか覚えてないけど
また人が来てまた聞かれるんですよ
昼飯ここで食うやって
4人か5人かなんか言われたけど
3時頃とか帰っていいよって言われて帰った
その日本社転勤決まったよって
なんすかそれ
知らずに
本田さん自身は人と会うってだけなんで
課長もこういう奴がいるけどどうやって
本社の人間はどんな奴か会いたいって話で
事前に会いたかったんでしょ
死後に何か降りてきて
その中の一人が後から上司になります
本社でね
変な話ですね人間ってね
それでずっと本田にそのまんま
そういうことなんですね
本田は当時ガラガラポンって言うか
いろんな人を入れてて中途採用なりの人も結構
入れたもんですけど
そういう意味では学歴があまり関係ないところだったから
学抜もないし
そういう意味では良かったんですけどね
どうしてもね今の人とちょっと違うんだけど
その時にやっぱり普通高卒とか中進で入ってるわけですよ
職これこそあれは
大層で入ってる人と平等と言いながら
聞いたら給料違うんですよ
大層入ってると高いんだよ
お前年一緒なんでお前高いんか
平等ちゃうじゃないかと
これに負けたくなかったっていうのが一番あったね
一番最初は
負けたくないって思うってことですね
じゃあそこでも頑張るというか安心するっていうところが
動かしてやろうと思って
課長に彼が先になったから俺もどんどん
すごい
その間のなんか負けたくないっていう
大層で入ってるやつなんで給料差がないって言ってる
学院が関係ないって言ってるわけには
ちょっと頭から入ってると違うっていうのは
抜かせたら抜かせるんだろうなと思ってたし
今の人ガッツないじゃん
今も聞いたら大変ですよねみんなね
30:00
こんなに出世したくないとか
そういう方もいらっしゃいますよね
上に上がると楽できるっていうのがあったから
今上に上がるとしんどいって言うでしょ
そこもありますねそれが若くして知ってしまうと
それはいらないみたいな
僕らの時は実際に上の人遊んでたんですよ
営業所行った時なんか営業所長なんて会社来ないもんね
そうなんですね
だから俺ほんと今の中で
みんななんかこう
給料がよく上がった
上の方ってこんなに上がってるっていうか
上の方は余計仕事きつくなるだけで
もっとなんていうの
本田総長よく言ったんだけど
本社って役員がみんな
個室がなくて全然バラバラなんですよ
大部屋なんですよ真ん中にテーブルがあるんですけど
気が向いた時にそこに座って誰かと話をするっていうのがあって
本田役員って事務所の中に必ず丸いテーブルがどっかにいくもあるんですよ
それは気が向いた時にそこに座って
誰か座ってきたらここで話をして
そんな時間が必要遊びの時間が必要だっていうのを
散々言われたんですよ
こんなことばっかりやっててアイデアなんか出てこないし
これはねすごくいい話だと思ってて
なんか今どんどんどんどん
コンピューターのせいもあると思うんだよ
ソフト開発ってのはこっちでやるから
でももう少し僕人の遊びっていうのが
もっとあってもいいようには思うんですけどね
それは正確かどうかわからないから
あれだけですけど
今の日本の会社っていうのは結構
真っ直ぐでそっちの方で仕事だけ
この時間まで仕事とか決めてやってるけど
仕事って本当は
事務的な作業とか能力の作業っていうのが
本人だけじゃなくてやはり掛け合わせ
操縦効果 人との結びつきの中で
この人同じこと考えてるんだったら
この人も考えられるよとか
上手く上位とできるもんないよっていう
こういうものが即されがつながりで
物って出来上がるものが多いじゃないですか
何かこう一本で
横等とつながりがどこで
ジョインしていくのかというのがちょっと見えなくて
それだけ今の人はコンピューターとかやってる人が優秀で
ずっと自分進んでいくのかもしれません
僕ら時代が違うのかもしれないけど
このあたりの高校生の話は
あの人たちの発表でいくともう少し
私たちの横のつながりみたいなものがうまく出てくれば
なんか話がもうちょっと盛り上がっていくのかな
と思ったりするのがあったから
授業って結構自分だけじゃなくて
横等のジョインとつながっていくものがないと
33:01
なかなか伸びないよね
そうだと思います僕も
やっぱり一人で全部は当然できないので
どなたかのお力借りるとか
やっぱりそこには対話をすることとか一緒に仕事をしていくこと
そういう時に別のメンバーが加わってきたりとか
やっていく中で生まれてくるものだと思うので
なんか今聞いてると
皆さん大変だなと思うけどね
余計に悩むよね一人でやってたら
そうだと思いますねもんもんとしちゃうし
できたら外に出しちゃって
もっと遊ぶ時間がね
昔が良い遊びなのかどうかちょっと分からないですけど
遊びって多分選択肢はいっぱいあると思うんですよ
でも結構閉じる遊びと言いますか
家に帰る遊び
もっと自分を放り出すみたいな遊びっていうのは
健康的でもあったりする
昔結構ダーティーなこととかもいっぱいあったと思うんですけど
今はクリーンになりすぎちゃってるような
個人的な思いとしてはあるんですが
ただそれが自分の知らないところに
自分を放り出すとか
そういうところで発見していくこととかも
それが見つかって自分がじゃあなんだみたいな
っていうのは思ってしまいますね
どうしてもすごく大切に育ってきてる感じもあるので
痛みに弱かったりとか
タフじゃないところとかもあるので
どうなんだろうなというのは思ってしまいますけど
やっぱりタフじゃないから
人とのフリクションを起こすと
それが嫌だからもうやめるという感じ
そんな感じがしてしまいます
それがあるからデリケートに何か使わなきゃいけない
っていう方に社会としても動いていってる感じですね
だからこそ生まれることもきっとあると思う
自分たち社会みたいな感じはあると思うんですけど
そっちにちょっと今行き過ぎちゃってるので
ちょっと反動みたいな脅しはあってもいいのかなという気はします
分断の社会でさ
日本がそういう形でいってて
どうなるんだろうなっていう
テレビ見てていくらでも死んでる人がボンボン出てくる時代で
彼らと今ここはテレビだからテレビなんだけど
どうなるんだろうね
よくわからないけどそうなんでしょうね
難しいですね
精神的な問題っていうのがね
長谷川さんが新規事業に行ったことで
今につながってるっていう
いわゆるずっと車なりオートバイだけ売ってるんじゃなくて
36:05
新規事業って一番大変だったのはネタ探しですよね
種を探してくる
会社の中にある種を探せっていうのもあるんですよ
こんな種があったんですよ
新モスカメラって今すごく多いけど
あの頃本田家の新モスカメラがあって
それを製品化しようということでいろいろやったんですけど
なかなか難しいよね
水中カメラなんか新モスカメラ作ってないんだけど
あれはもうやってたんですよ
アメリカに海潜らして
オーストラリアに行って海潜ってこいって
フィリピンだったかな
オーストラリアは水か
日本国内よりはなくて外へ行くやつだから
地熱発電もやってましたけどね
地熱発電ってまだこれからちょっと必要になってくる
地熱で冷蔵庫
地熱で冷蔵庫?
ワイングラをぐるぐる回ったのも
ワイングラをぐるぐる回る?
ワインって長い間寝かしておくじゃないですか
一定の温度で
あれを地熱でやる
電気でやれへん
ワイングラっていうのはどういう形で管理しとって
世界に売れるものやないとあかんから
どこで見つけたって自分が飲むワイン好きやった
これはワイングラ売れるじゃないか
ワイングラ巡りして
ワインというのは貯蔵庫はどう雇って
どんなものを雇って
どれで管理しとるのかっていうのを見に行ったんですよ
ワイングラは全部巡ってるわけじゃないけど
ちょこちょこそれで回ったりね
そんなのがあるわけじゃないですか
やり方はちょっと違うからね
いろいろ調査して
これがどういう形で使えるのかなって話でやってたんですけど
これは彼が
俺やってる途中で
こっちはやってたんやけど
彼の上司からお前飛ばされたみたいで
この仕事これが種がドーンと無くなってもたら
なんでお前無くなれて
それもやられてて
ジェット機は
GEと組んでるんですけど
エジソンの作った会社と
39:01
日本の会社が
飛行機産業に入ってくることを
アメリカの航空業界が嫌ったもんだから
そうなんですね
だからやっぱりどうしてもね
GEとある程度組んで
アメリカの企業とやっていかないといけない
そんなことで交渉でだいぶ
飛行部を勉強させてもらいました
アメリカの飛行場のメンテナンス設備はどんなんとかね
なるほど
そういうお仕事がまずあって
それに伴って
外に行ったのはね
駐屯したのはアジアが多いですけど
その関係で外をだいぶ回ってきてました
実際その
何もないの?
リアコを前にして
アユが外に出てっていうお話は
実際大きくなってきて
あれ?
何が大きくなった?
ほんまに自分は知識はできたよ
だけど
それで成功って何が成功かっていうのは
人生の何が成功かっていうのはよくわからんけど
幸せに生きてることが成功やって言われたらそれもええ
幸せに生きてます
だからそれはそれでいいんでしょう
別にそんなことしなくても
人生で楽しんでる人はいかにもいません
自分の欲望の中でやっただけで
だから
一番初めの原点に戻っていくと
知識はようけ増えた
それが太った原因かもわからんけど
人間として成長してるかどうかっていうのは
これは疑問があるなと
アユはデコになったけど
やっぱり
何もないっていうのはそういう意味だね
何があるんだろうね
何もないね俺こそ
成長したいっていう思いは思ってたんですか?
成長したいというか何が成長やっていうのはわからなくて
やっぱり目の前のことで意思組みだね
若い時は
初めのうちは金貯めることやったし
あとは代償金負けへんことやったし
あとは外に
国内やってたら他社に負けへんことに
何やったらええんやってのがあったし
外に行ったら会社黒字にしたいってのがあったし
自分なりその時期に
自分なりのタスクっていうか
目標みたいなものを作って
42:01
できたんでしょう
人生って難しいですね
お聞きしてる話だけでもすごく
わーとかいろいろ動いたものがあったので
長谷川さんじゃなきゃ喋れない
語れない話って絶対あると思いますし
さっきの本当にもっと海外に目を向けるとか
っていうのはできるんだよっていうのを
それだけでも一つヒントとして教えることで
それが些細なきっかけになって
開いたこともあるかもしれないですし
長谷川さん自身も上の方から何かを聞いて
どれが刺さるかわからないんですけど
何かしらは自分の中に入ってきて
それで少しずつ何かこう
変わってくるのかなとは思いますし
確かに何もないっていうのは
何もないって何もないね
今何が本当にあるのかと思ったら
本当にないよね
年寄りってやっぱり自分の過去だけ
語る話みたいな時代に合わないこと
いくらでもあるわけよ
今の時代にそれをどう落とし込むっていうのは
現実の時代にどう落とし込むのか
今の時代にそれをどう落とし込むっていうのは
現実には今の時代の生活っていうのが
彼らが思ってることを知らへんとできひん
だからここら辺はわからへんから
理解しようとしてないのか理解してないのか
自分の問題がこれはあるんだろうね
落としも込めへんし
どう喋ってるのかわからない
そうか
どうなんだろうそれは
個人としてはそれでも喋るとかがいい
それは全然そう思われるのは多分思うだろうし
自分も今の段階で20歳くらいの人に
俺が何言えるんだろうって思うんですけど
でも言うみたいな
僕にしか語れないことしか言えないし
それはもうみんなそれぞれなので
そこはそれでももし聞きたいのであれば
伝えてほしいのであれば伝えることは
したいなとは個人的に思いますけど
孫にはね
友達をどうして作るかって話はしたんです
友達の作り方
友達の作り方ってどうするんですか
結構変なんですよ
言葉の問題はあるんですけど
海外でも友達コミュニケーションするのに
中国語が非常に難しいのは
英語はできるけど
英語圏のところに行って友達作りは
ものすごい用意があるんです
誰でもポンポン喋るから
45:00
相手の反応を見て自分に合うなと思ったら
喋り続けるし
相手のことを見てまず褒めることから始めるわけ
褒めて相手がどんな反応をするのか
フンと言われればもう分かる
あとは顔を見て
人層によって人がどう違うのか
同じ話が自分の中には完全にあってて
この人の人層ならば
いけるとかね
雰囲気ね
特に現物が立ってると
人って雰囲気絶対出るんよ
オーラみたいな漫画で
あれなもんはあるんよ
これ見てこの人いけると思ったら
ポンと行くから
一緒にある人と一緒に
誰でも喋るなって
声かけて喋るっていうのは
友達ができるっていうのがある
続く続かんで別に
今の人は余計難しくてさ
住所どこですかとかね
聞けへんですよ
友達になることはできます
話がぽんぽんっと思いついて
うまいこと話に慣れかけたやつもあるしね
何やってもあんねんって話が
こっちが何やってもあんねんって話が
そういうのだけは
雰囲気しか喋れへんけど
褒めることを見つける
相手の仕事だから
知らん人やから
この人は褒めることないや
見つけてそれから話が繋がったらいけるし
褒めること見つけることを先や
っていうのは孫に言ったことある
褒めること見つかるもんですか
見つけるようにするってことですよね
見つかった人しか喋らへんのかもしれない
全部の全部の人に見つかるわけない
そっかそりゃそうだよな
もしかしたら長谷川さんは
そういうアンテナをちゃんと持っていて
自分でね
人の仕草を見てて
キャッチしようっていうのはあれやろうね
あれはね
あれはさっきの営業所の時に
販売店を攻略するのに
あの時にものすごい勉強したなと思う
最初に教科書研修で言われても
なんなんもみたいなことですよ
自分でそれも得得していかないといけないじゃないですか
経験通して失敗も当然するでしょうし
48:00
間違っちゃうこともあるし
怒られてね
そうですよね
これはある
出てくる雰囲気っていうのは
勘やもね
自分の経験やもね
少なくともちょっとしゃべったら
この人俺に合うか合わへんかって
人間ってだいたい外で雰囲気で俺はしゃべるけど
ちょっと本当にしゃべりだしたら
合わへんか合うかっていうのはしゃべり方でだいたい
わかるわかるよね
そこでもう判断はできますし
行かなくてもいいわけですし
今回こうやって受けるのも
ユイネさんにやっぱり一番初めて
雰囲気パッと見てこの人がええなとしゃべれるなと
いう感じはやっぱありますもんね
そっか
初対面って当たり前ですけど初めてじゃないですか
すごく大事じゃないですか
でもふと訪れるじゃないですか急に来たりとか
ある時にどう交代できるかとかって
ありますよね
油断してるとそのままだし
でも仲良くなりたいとか
気持ちを通じさせたいとかっていう思いが手前にあって
そこでいい出会いにつながっていくとか
っていうのがあると思うので
すごくそこは思いますね
そうするとどんどん出会いが少なくなるから
出会いは大事にしていきたいよね
新規事業のお話
そして人生の何が成功か
人として成長しているかどうかということ
嫁さんを満足させて死なすためにはどうすればいいか
という言葉が印象的です
年にいくほど可愛くなったわけね
そこって若い時ってちょっとこうなんか
張るじゃないですか
やっぱりだんだんそこが
そこですね
やっぱりそう思うんですか
ご自身もそうしてますか
できるだけ可愛くなろう
可愛くなろうというか憎まれなくならないようにしなきゃならないというか
いわゆる
自分の昔と比べたら
昔なんてやっぱりこうやってるよ
虚勢張るとか強く見せるとか
今それを
自分がわかるから
虚勢張ったりしてもわかんないよ
頑張ってさ年からいくとか
一生懸命やってんだ張ってんだなというのもある
51:01
それはやっぱりこんな年になってくると
もう可愛くならないと誰も喋ってくれないから
そっか
そりゃもうだめよ
誰が声かけてくれるか
もう声かけてくれへんね
中にはずっとやっぱりそれが抜けずに
って人もいらっしゃるじゃないですか
そうやって生きてきちゃってると
柔らかくなれないという
いらっしゃいますよね
もちろんその方がそうやっていきたいってことであれば
こうやって生きられたらいいじゃないですか
僕はもうやっぱり生きられへんと思うだからね
同じ形では
今って生きられる年というかある程度
やっぱり変なんですけど
昔は本来一応大きい会社やで
そこである程度張っててやってる人って
やっぱりこんなにやってるんや
出てからも抜けへん
そっかそっか
だって本当俺なんかもう
フリッピンなんかすごいスキャンダルに
何回もチンプに乗って
キッドナップもやられるとかね
キッドナップっていうのは誘拐な
誘拐で金取りとか
マレーシアの王さんとゴルフやったりとか
いろんなことやってるわけだもんやってること言ったら
自分がペロだったように思うよ
所詮サラリーマンやんか
やめて思ったら何もあらへんねん
何もあらへんのにやっぱりみんな
なかなかそれはね
取れたってそげたっていうか
もともとほんのりないかもしれんけど
自分の気持ちの中でやっぱり歳いって
こんなことやってたらアホやなって思ったのは
3、4年してやっぱり思ったね
もうこんなあれちゃうやなと思って
やっぱりこの昔の子
みんなほらどうしてもね
悪いことは忘れて英読の覚えてるやん
はいはいはいそうですね
だからどうしてもそんなの出てくるわけで
可愛くならない年いったら
もう年いったらダメよ
今までだって誰も言うこと聞いてくれて
友達になってくれて
そこは何か
年齢を重ねるほど
可愛くなった方がいいということ
そして善良で素直な人なのかどうか
その人の本質を見抜くこと
たくさんの経験を通して
54:01
自分には何もないとおっしゃいながらも
短い時間でとても多くのことを教えいただきました
長谷川さんありがとうございました
それではまた次回
ユイナワさんの聞く人ラジオでお会いしましょう
54:27

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