泉沢奈々恵のデザイン経歴
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回はグラフィックデザイナー・泉沢奈々恵さんにお話を伺いました。
現在は紙媒体のデザイナーとして独立され、お仕事をされている泉沢さん。
まずは、今のお仕事をするに至った経緯からお伺いしました。
まず最初に、泉沢さん、お仕事は何ですか?
グラフィックデザイナーです。
いろんな幅があると思うんですけど、主にこういうことをしている?
主に紙媒体の会社員でデザイン会社に勤めていたので、
それで独立して、そのまま同じ領域のお仕事を続けているという感じです。
独立されてどのくらいですか?
ちょうど2年くらいですね。
それまでは会社員のお勤めで、同会社が勤めていて、
ずっと社会人になられてからそういう感じですか?
そうですね。社会に出るのもちょっと遅かったんですけど、
老人とか就職老人とかもあったので、
最初にデザイン会社に入ってから、
多分17年くらいかな、会社でデザイナーとして勤めていました。
もともと勉強としても、デザインの勉強とか学生とかそういう感じですか?
美術大学は出てるんですけど、そこで油絵の勉強を。
そうなんですね。
そうなんです、油絵家で。
絵が好きという感じですか?
そうですね。みんなそうなんですけど、
小さい頃から絵を描くのが好きで、
他にやることとかできることもなかったので、
絵を描くのが好きだけで。
小さい頃から絵は好きという感じで、たくさん描いて、
学校もそっちに行こうという感じですね。
そうなんですね。
受験とかも当然絵とか描いたりとか?
描きます、描きます。
普通の受験と違うというか、
当然デッサンとかありますよね。
何枚も何枚も描いてってやったと。
そうですね。今はもうどんなのかわからないんですけど、
木炭デッサン。
木炭を中の芯を抜いてとか、
今はほとんどいないと。
よくパンとかで消すとか。
パンってあるんですね。
布でこすってとか、練りゴムで消してとか、
油絵家は基本木炭デッサンとかで基礎を作って、
もちろん鉛筆で描いたりもするんですけど、
デザイン家とかはもう少し構造を捉えるとか、
そういうデザインなんですけど、
油絵家ってそのまとっている空気とか、
距離とか、
だから本当に同じものを描いているけど、
全然違うものになったりとか、
人によって背景が真っ暗だったりとか、
白の中にボワーッと浮いてきているデッサンとか、
だからデッサンと言っても、
デザインと油絵家とかは結構違うなと思っているんですけど。
そこで勉強をされて、
卒業してそういう方向に進んでいく。
デザイン的な。
そんなにスムーズでもなくて、
まだ1年浪人しているので、
その後に結局、
サービス精神とデザイン
卒業して何しようというのがすごく不明瞭だったんですよ。
何をするんだろう。
周りでは就職活動をしている子もいるんですけど、
たぶん熱意のある人は大学院に行く人が多くて、
そこで自分に作品を作り続けるという意味とか意義とかが、
なかなか見つけ出せなくて、
課題とか授業とか、
今まで何年間かそういうふうに作品を作ってきてしまったというのもあると思うんですけど、
その時に1年間卒業してから、
就職浪人というものをしたんですよね。
フリーターというか。
それで1年間、
ビジネスホテルのフロントのアルバイトをして、
何の気なしに浅草のビジネスホテルだったんですけど、
観光地で働くのが楽しいとか、
それぐらいの気持ちで働いてて、
ビジネスホテルの仕事がすごく楽しかったんですよ。
もともと勤労少女というか、いろんなアルバイトをしていて、
学生時代から。
だから働くのとかはすごく好きだったんですけど、
ビジネスホテルの仕事で、
その人におてなすというか、
ホスピタリティというか、
それを対お客様とできるということがすごく楽しくて、
私サービスしたいなと思って。
サービスがしたいんだと思って。
その時にホテルなのかっていうよりも、
卒業して1年経ってましたけど、
やっぱり絵を描いてくる力とか、
そういうもので、
人に何かおてなしをもたらすことができる仕事が何かなと思ったら、
デザインになったんですよ。
そうなんですね。
そうなんです。
だから本当にデザインがしたいっていうんじゃなくて、
サービスがしたくて。
そっか。
そうなんです。
それが自分の思いとして入っていって、
デザインだなということで就職していくという感じ。
そうですね。
なるほど。
デザインするにおいても、そういう思いがあるという感じなのか。
ありますね。
人にっていう感じ。
もちろん人にという気持ちは大前提であるんですけど、
それでもやっぱり自我というものはどうしてもついてくるので、
そうですね。
そういうものは半々ぐらいなのかなって。
こういうお仕事って、
あれじゃないですか、
お客様がいて、お客様の先にもまたお客様がいて、
だから何かをして差し上げたいとか、
幸せとか利益とか何でもいいんですけど、
そういう差し上げたいなっていう対象があって、
やっぱりみんなが幸せにならないと意味がないというか。
むなさん、何の話してるんですか?
大丈夫です。
どういう形でデザインをされているのかな、重いというか。
全然大丈夫じゃないですか。
重い、そうですね。
これは会社員時代には思えなかったんですけど、
一緒に仕事をしているお客様、クライアントと呼ばれる人と、
その先にいる人、
みんなが幸せになるお仕事をしたいなとは思っていて、
カスタマーと呼ばれる人が幸せになるのはもちろん当たり前なんですけど、
一緒にお仕事をするクライアントとか代理店とか、
そういう方も一緒に幸せになっていきたいと思うと、
一緒に幸せになっていきたいなと思うと、
一緒に話し合って深めていって、
それで見つかってくる価値観とか、
もとはAをしたいって言ってたんだけど、
よく話してみると、それってAじゃ伝わらないかもしれなくて、
Bっていう方法の方がもしかしたらいいんじゃないですかっていうのがあったりとかして、
そういうのって皆さんと話し合っていって、
見つけた時、AがBだったとか、
この人の心の中にあるのは全然違うものだったんだとか、
そういうのを見つかる時にすごい感動するっていうか、
ここにあったんだみたいな、この価値は。
もちろん会社員の時もそういう風に思ってやってましたけど、
フリーになってお客様と子と子で向き合うことがある時に、
その喜びがすごく大きいというか。
それは本当に最近感じられるようになってきたんですよね。
直で向き合うからですかね。
クライアントとの共創
会社にいると仕事は自分で取ってくるというよりも、来るみたいな感じなんですかね。
もちろん場所によると思いますけど、
進んだ方がいいんじゃないかって流れができちゃった時に、
関わる人が多いんで、それを修正するのってちょっと難しい。
大きな波とか、個人でやってると最小単位で進められたり、
その分大変なことももちろんあるんですけど、
例えば代理店さんとかがいないものとかは、
代理店さんがやってくれたこととかを自分もやらなきゃいけなくて、
もちろんそういうところで大変なところはあるんですけど、
そういう喜びっていうのはあるなっていう風に思いますね。
今は直接やり取りして、一通り全部やらなきゃいけないし。
でも仕事自体はそういう意味で言うと2つに分けられていて、
本当にデザイナーとしていただくお仕事と、
あとそういう企業様とかからいただいて、
ロゴとかブランド作るものを一緒にしようよっていうものとかあるので、
ちょっと多分私の中ではどっちかだけだと疲れちゃうかなって思っていて。
なるほど。両方バランスよくというかマナーの中で。
結果的にはですけど、
一緒に根っこから考えて、グッと深めていくものもあるし、
デザイナーとしてお仕事をいただけている人を
どういうふうに満足させるのかっていうのもありますし。
そっかそっか。
だからそこがいいとこどりじゃないですけど、
自分の中ではそういう風にしてきているかなって。
大学で油絵を学んだ経験と、ビジネスホテルでの仕事を通じて、
人をもてなすサービスへの関心を持つようになった。
そのことがきっかけで、
泉沢さんはデザインの仕事に進まれたとのことです。
なんかデザイン的な仕事をしたときって、
皆さん違うのかもしれないけど、
どう出すんですか?出すっていうか、考えるというか、考える手順。
前に聞いていただいたグラフィックデザイナーさんは、
自分の中にブラックボックスみたいなものがあって、
そこに入れると、ここって何か出てくるみたいな表現をされたんですけど、
どういう風にしてアウトプットが生じるのか?
そうですね。
まず、たぶんそもそも自分にすごい遠いお仕事ってあんまり来なくて、
来るときもあるんですけど、
自分の中に2人用意するじゃないですけど、
本当に消費者みたいな自分。
こんなんだったら手に取るなとか、こんなんだったらかわいいなとか。
そうは言っても、どういうものが目立つんだろうとか。
例えばパッケージの話だとすると、
たくさん商品がある中で、どうやって手に取ってもらうのか。
それが文字なのか、ビジュアルなのか。
本当にそういう構造的なものと、
あと本当に素の自分。
そういう何人かの人格がいて、
それでこれがいいんじゃない、あれがいいんじゃないって言って、
たぶん自分の人格AとBがいたときに、
人格Aが支持してる案、
Bが支持してる案。
Cはどっちにも属さないけどとか、
どっちも属してるとか。
AとBをできなかったことをするみたいなのがC案みたいな。
私の中ではそうですかね。
だからあんまり普通の人の感覚をすごく残しておこうとは思ってます。
そっかそっか。大事ですよね。
それがやっぱりなくなると、
独りよがりになるとか、わけわかんなくなっちゃうというか。
やっぱり一般的な視点、自分だったらこれを手に取るみたいなので、
僕も動画作るので、それって忘れがちというか、
作っていくとどんどん深みに入っていって、
わかんなくなっちゃうんですよね。
やって思っても、いやいやこれって、ということが起こりますよね。
たぶん私自身が、結局サービス主体の手段がたまたまデザインだっただけなので、
そこのサービスされる側の気持ちっていうのは、すごく大事にしたいというか。
言葉で言えないですけど、なんか可愛いとか、なんか綺麗とか、
なんか気になるとか、なんかのところ。
そこらへんがやっぱり大事になってくるのかなとは。
サービスから入っていくっていうところをおっしゃってましたから、
やっぱりデザイン、アートと対比されることがある気がするんですけど、
アートだと自分が作りたいとか、そっちを。
デザインだとユーザー力みたいなところ。
サービスってなるとやっぱりお相手がいるというか、そこに向かってやるものなので、
どっちかというとデザイン的なこと。
油絵の勉強をずっとされていて、アート的な感じというのは体に入っていたりするから、
両方なんですかね。
それを聞いてて、どっちなのかなとか、
あるいはもう自分でうまく両方に足を重心を置かれてて、
デザイン感覚と言語化の重要性
感覚的に使い分けられているのかもしれないし。
でもやっぱりそういうデザイン的感覚は全くない状態で、
社会に出たので。
だからもうそれを埋めることの方が、
社会人が大きかったんですよね。
なんでこの案がいいのかっていうのを、言語化するっていうのが。
そうですね。言語化って非常に重要な要素ですよね。
最初は言えないんですか?
言えないんです。だっていいじゃんとか言っちゃうんですよ。
そっか、そうだよな。
そう思うと、自分で獲得しなきゃいけないんですね、言語を。
それは勉強していくというか。
先輩とか上司とかのプレゼンを聞いて、
こうやって他の余地をなくしていくんだとか、
お客様に対して迷わせないようにしているんだとか。
そういうところの方が自分にはちょっと大きかったかもしれないですね。
でもそれをやって、プレゼンとかの大事なところで、
お話の仕方を見て、なおやっぱり戻ってきたのは、
やっぱりなんかいいとか、なんかかわいいとか、
なんか気になるが大きいってことが分かりました。
人が物を選ぶときに、どんなにどんなに話をして、
選択しやすい状態にしても、
選ぶのは結局そういうとこなんだな、みたいな。
そっか、いずみ沢さんが勉強をちゃんとされてきて、
いろいろやってきたけど、結局そこみたいな。
最初に自分はそこにいたりしたけど。
人間ってそうなんじゃないかな、みたいな。
でもなんかわかる気がします、それは。
でもやっぱりデザインとかしっかりされてる方は、
なんかいいに対しても、もちろんみんな消費者というか、
みなさんはそれでいいんだけど、
自分はこんだけの言語を持っていて、
その上のなんかいいみたいな。
そうですね。
なんかいいだけで、選んでいい状態にして持っていくってことですよね。
他はもう押さえたから。
そっかそっかそっか、なるほどね。
あとはもう好きに選んでください、みたいな。
リスク管理と新しい働き方
それすごく面白いですね。
なんか僕も動画作ったりとか、
たまにじゃあサムネイルとかバナー的なものを作ったりするんですけど、
どうしても素人の意気を出せない感が自分にすごくあって、
作ってやってるときはいいんだけど、
なんかもうちょっとこれどうにかならないかなってときの、
それ以上の引き出しとかがないので、
上に行かないんですよね。
で、それを誰かに見せると、
これはこうやってこうやったらいいよって言ったら、
あ、確かにみたいなことって。
やっぱりその方がデザイン的な目を持ってたりとか、
批判的なものを持ってる。
大三者だからパッと見たものに対して言いたいこと言えるみたいな感じはあると思うんですけど、
もう修行なんですかね、そこに上がってくるって。
私はそうだと思います。
やっぱりその環境に身を置いたから、
それで自分にはそれが圧倒的に足りないっていうのが分かってたんで、
そうですね、それをもう必死に身につけたというか、
どういうふうに話してるんだろうって。
なんでこの人の案が通るんだろうとか、
なんで納得しちゃうんだろうとか。
そうかそうか。
でももう今ではそれができると言えばできる状態なんですかね。
もちろん完璧とかではないけど、
でも以前に比べれば、
そうですね。
ですよね。
なんか多分、こんなことができる、こんなことができるっていうことも大事なんですけど、
こういう危険性がないとかっていうことも大事で。
こういう危険性がない。
はい。
っていうのかな。
ごめんなさい、ちょっとうまく言葉にできないかも。
できるできるのキャンみたいな感じはなくて、
なんていうんですかね。
こういうことは起きないとか。
そう、不安とかリスクみたいなものを取っていくっていうことも大事だなみたいな。
ごめんなさい、具体的なあれが思い浮かばなかったです。
確かに表現、言語化においてはそういうのって、
これできますよ、これできますよだけだと薄っぺらいというか。
そうですね。
側面としてこっち側もあるっていう、こういうことはないですとか。
そうですね。
だからこの案はこれこれこれでこういうことが良くて、こういうことが良くて。
でもこういうふうに思われることもあるかもしれないとか。
正直、企業に勤めている会社にいるときはそれが言えなかったんですよ。
ネガティブじゃないですけど、この案がいいってことしか言えなかった。
それはなんでしょうね、会社だから。
だと思います。
ネガティブなことが結局会社の評価を落とすことになるかなと思って。
そっかそっか、言いづらいですし空気感として、
それ言っちゃうと会社がちょっとみたいなのを自分で帯びてしまっているんですよね。
だから何かこれがもし良いことではないのかもしれないですけど、
それが持っている可能性とかは私は伝えたいとは思っていて、
何でもいいよいいよっていうんじゃなくて、
自分の持つリスクみたいなものも含めて一緒に考えてほしいというか。
そっかそっか。
だから、営業としてそれではダメだという人がいるかもしれないですけど、
自分の方は一人の人としてその方が腑に落ちて精神衛生もよく働けるんで、
精神衛生というのはすごく大事にしているかもしれない。
そっかそっか。
何かどこかで嘘というわけでもないけど、
自分の思いとは違うことを言ったりとかしちゃうと、
後々モヤモヤしてしまうとか。
それは精神衛生上、良くないですから。
そこはそうしないように、できるだけ正直に。
ちょっと不に感じる部分とかあれば、
それはそれで言っちゃうみたいなこともあるんですけど、
それはそれですみたいなことで表現した方が相手も分かるし。
そっかそっか。
それすごい大事なことですよね。
ついついふたしちゃうみたいな。
そうなんです。
より子として、どこの会社の誰々じゃなくて、
泉沢七江としてどう仕事したいのっていう方が強くなってきて、
年齢もあるのかもしれないんですけど、
やっぱり今まで世の中とか社会とかで、
どんなふうに自分が力を発揮できるのかってことを、
多分すごく重きを置いていたと思うんですけど、
40とかで、昔より体力とかも落ちるし、
いろんなもの見えてくるし、
今私は子供3人いて、大事なものもいろいろ増えてきてるし、
そうなるとやっぱりそこの心の在り方みたいなのが複雑になると、
すごく疲れちゃうんですよね。
昔みたいに社会とどうコミットしてとか、子育ててとか、結果も出してとか、
それでやっていけた時期はあったんですけど、
そんなに全て社会とコミットしなきゃいけないのかなとか、
もちろん子供とか家族とか、40を超えた自分とかって、
どうやって生きていきたいんだろうみたいな、
そういうのを考えた時に会社を辞めるという選択があったんですけど、
もっとシンプルにいたいみたいな、そう思うところが多かったなって。
実際会社を辞められて2年ほど経って、シンプルにいたいっていうのはある程度シンプルになりましたか?
なったと思います。
働き方、一つの提案の仕方をとっても、
今言ったようにネガティブなこともお伝えしていくなとか、
あと何となく他に人がいた時に言えなかったこととか、
一人だったんで、空気を読んでたり、余計な空気を読んでたりしたことがなくなってきたみたいなのもあって、
それでお客様が離れてしまっても、それは別に自分の責任だし、
誰も会社に迷惑がかかるわけでもないし、
そういう意味ではすっきりはしてます。
それは良いですね。
直感とデザインの関係
それによって自分が今やられているデザインの仕事とかも、
自分により合うというか、フィットするというかっていうお仕事になっていく。
自分が研ぎ澄まされていくというか、
そういう肝心の方向に自分の環境もそこに持っている。
それで今やられているってことですね。
それは素晴らしいですね。
デザインをアウトプットする際に大切にしているのは、
最初に感じる何か可愛い、何か綺麗という直感。
様々なデザイン経験を積んだからこそ理解できる何か良いという感覚には、
何か重要なものが含まれているように感じます。
このお話の続きは次回にお届けします。