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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、株式会社JIT Founder VFX Supervisorの神田剛志さんにお話を伺います。
大学時代の先輩で、現在はVFX制作のお仕事をされている神田さん。
お話は、どのように映像業界に入り、どのような思いで、その仕事に携わってきたのか、について伺っていきます。
ゆいなわさんは、30年近く前になりますね。
逆に、俺から質問してもいいですか?
ゆいなわさんは、良い感じで、自由主義者な感じで生きているなと思うんだけど、
例えばさ、俺より学年が2つ下だけど、
例えば、学生の頃のゆいなわは全然知ってるんだけど、
俺が知らないゆいなわの時代があるんだけど、
大学からみんなが社会人になっていく、自分も社会人にならねばっていうタイミングがあるじゃない。
どんなことを思ってた?
その時って、僕は大学卒業して友達共同生活を始めたんじゃなかったかな?
違うな、でもそうだ。
あれ、宮崎君のこと?
そうそう。なので、バイトしながら芝居してたんですよ。
なんで芝居に入っていったかもよく分からないんですけど、知り合いがいて、多分やってみたかったんですよ。
芝居する時にみんなはスーツを着てリクルート活動してるわけで、その時の心境ってどうだった?
でも、そういうのに対しての危機感は全然なかったです。
やりたいことをやるみたいな思いが強くて、
やっぱり芝居、多分大学の時もやりたかったんだろうと思うんですよ。
でもやっぱり貢献面白かったですし、
卒業して仲間と共同生活すること自体が面白い。
そこでまた芝居の仲間に出会ってて、一回出してって言って出させてもらって、
これは面白いなって思ったら、お声がかかって次に出て、お声がかかって次に出て、
っていうのがずっと続いていった感じなんですけど、
そこは迷いなく芝居をただやればいいみたいなことを思ってたんですよね。
ずっとブレなかった?例えば周りが初任給とかもらうわけじゃん。
そういう仲間があんまりいなかったんです、周りに。
もちろんいましたけど、どっちかというとバイトな人たちとか、
芝居仲間が増えてくるとそっちなので、
多分スーツ着てって人はいたけど、あんまり別に羨ましいとか思わなかったし、
そこはそうですね、今やりたいことはそっちだからそっちでやれればいいみたいな。
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例えば親が頑張って私立大学も出してくれたっていうことを思ったりしなかった?
それもあんまり思わなかったですね。申し訳ないなと思うけど、
親もそこまでそれについて強く言わなかったので、好きにすれば的な感じは、
思えばちょっとすげえなと思いますけど、そんな感じでしたね、本当に。
いや、なんかそれで言うとさ、例えば、
俺は言いながら二つ上だからさ、先に社会に出なきゃいけないわけ。
大学生活がたまらなく俺に向いてたわけ。
このさ、初めての一人暮らしっていうのは。
もう夜な夜なさ、飲んでさ、遊んでさ、何も考えずにさ。
でさ、特に夢を語ったりもしなかったじゃない、俺たち。
なんか、夢を語ってる関係の方がまだ飛び立ちやすかったのかもしれない。
この夢も特に語らず、ダラダラした関係が好きなまま、
これでいざ社会に俺だけ出なきゃいけない、勝手に卒業しなきゃみたいな、
この楽しい生活から出なきゃいけないみたいな時に、
なんかその時の心境がね、すごい不安というかね。
なんだけど、結局俺もすごい迷ったんだけど、
まあ俺、工学部で研究室とかも入ってたし、
普通で言ったら、周りはSEとかになるのだろうな、シスコのエンジニア。
で、俺もなるのかと思って、一応理系だし。
一応そういうとこも何社か受けたんだけど、もうね、やっぱダメでね。
あ、そうなんですか。ダメっていうのは何がダメなのか。
なんかね。
受からないとかのダメじゃない?
いやいやいやいや。
これは、一応スーツ着て行ったんだけど、SEの面接とか行った。
SEは違うなと思って。まず何の興味もね。
ほんのちょっと、なんかTDKとかも受けたりしたんだけど。
で言ったら、唯一俺の好きな音楽に携わるカセットテープみたいな。
あ、そっかそっかそっか。
でもこれもダメだと思った。
だから、やっぱり俺が好きなものは、エアロでありレッチリであり、
これは、俺もなんかエアロのレッチリで仕事できる気しねえぞってことを、
やっぱ普通普通とあって。
ほんで、まあこういう業界、せめて映像。
やっぱり俺には、絵と音しかなかったと思ってね。
どっちかというと音楽のほうが好きだったけど、
やっぱり何かそれに携わる仕事じゃないと、なんか自分が潰れそうっていうか。
その代わり、逆に絵とか音楽に関係あれば、自分はそこそこやっていけるみたいな、変な自信もあった。
で、やっぱり、俺レコード屋でバイトしてたの。
立花でバイトしてた。
ああ、立花。ああ、そうか。
立花って言って。
で、俺あの時にさ、俺がまともに続いた唯一のバイトだったんだけど、
あの時に、俺、あそこの店主の奥さんから気に入られて、
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いや、かんちゃんは音楽の知識が19歳とは思えない。
ほんで、最後就職の時になったら、もう俺バイト特にやめてたんだけど、
かんちゃんは、レーベルに話をしようと思ってたって言って、レコード屋に行って。
で、いやあ、あんた詳しいし、で、どう思うって言ったんだけど、
まあ、俺も、その時ね、もう内定決まりましたっていうのを言いに行ったのよ。
もしあんたがもうどうせ就職とかしないんだろうから、その私が、みたいなこと言って、ありがたいんだけど。
で、まあ結果、こういう映像を作る仕事に入ったんだけど、
やっぱり、周りはね、芸大とか美大とか、専学をだらけで、
俺みたいに当時、マックも触ったことないみたいな人がいなくて、
で、それがやっぱりすごい苦労したんだけど、
すごい苦労したんだけど、やっぱり支えてくれたのは、
俺やっぱり、そのユイナーと一緒にいたサークル時代の人間関係とか、
やっぱり俺、人が好きだし、
年下も年上もと一緒に話したり話すのも嫌いじゃないし、っていうのが一つと、
あとやっぱり圧倒的な映像と音楽の知識とかかな。
なんかそれが、やっぱり自分に向いてたっていうか。
だから、やっぱり芸大美大で学ぶような美術センスもないし、
CGのソフトも触れないんだけど、
やっぱりそれだけで、やっぱりなんとなくついていけたんだよね。
やっぱりやってるうちに、最初はCMなんて全く興味なかったけど、
どっちかというと、もっとパンクなものが作りたいと思ったくらいだから、
こんな潜在のCMとか作ってる場合じゃねえと思ってたんだけど、
やっぱりそのうちにCMも好きになって、
で、ゆくゆく考えると、やっぱり俺、このCMみたいなカルチャーも好きで、
昔の資生堂のCMとかすごい好きだし、
で、やっぱり幼心にああいう映像もかっこいいと思ってたし、
昔のソニーとかね、昔のサントリーとか、
あと昔のタバコのCMとかね、
いろいろ好きなものがあったりしても、
分かりやすく単純に没頭していっても、
その後もうCM大好き人間になったりとかね。
まだその話を返すけどさ、
で、芝居を続けていくじゃない?
で、どこでターニングポイントが来るわけ?
そうですね、なんか僕は一回うつ病みたいになっちゃったので、
芝居を続けて20代後半ぐらいで、
なんかもう芝居もよく分かんないし、
何したらいいか分かんないみたいな感じになっちゃったんですよ。
で、しばらく何もできない状態になったんですけど、
そこでまた別の劇団の人、
このキクヒトラジオに出てくださっている演出家の人に、
みんなもう一回やろうぜみたいなこと言われて、
またそこに参加して、
で、そこからまた芝居をしばらくやる感じにはなっていったんですけど、
ただ、結構体を使う芝居だったので、
身体表現みたいな。
だんだん30代に入ってきて、
ちょっとすると体がついていけなくなる。
で、尿痛持ちだったので、
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なかなか厳しいってなった時に、
六本木の仕事があって、
じゃあ芝居は一回、
いっかと思って、で六本木に行って、
で、その辺りで結婚してる子供みたいな、
多分そんな感じだったんですよね。
ねえ、あんまりさ、
俺結構遠慮せずに聞いちゃうんだけど、
うつ病ってさ、
あ、今になってみればさ、
何か原因になってうつになっていくんでしょ?
例えばさ、職場での対人関係とか嫌だとかさ、
なんか家族でのなんていうとさ、
何も考えてみたらさ、何が原因?
多分芝居ずっとやってて、
そのスパイラル、負のスパイラルにどんどん入っていって、
やってもやっても何にもならないみたいな。
例えば、じゃあ大きな舞台立つとか、
もっと稼げるようになるみたいなのが、
多分その当時は思ったと思うんですけど、
そうではないっていう感じ?
そういう危機感とか不安とか、
多分そういうものだけじゃないと思うんですけど、
でもそれはすごくあったと思うんですよね。
もう何か立ち行かないとか、
芝居も難しい感じのことやってたりとかもしたので、
わけわかんないみたいな。
で、やってる仲間もだんだんこう、
いなくなっていくみたいなこともあったりとか、
芝居の世界ってやっぱりそういうのって、
芝居だけじゃないと思うんですけど、
音楽とかもあると思うんですけど、
やっぱそういうので30代入ってくると、
スパッと辞めていく人もいるし、
ずっとやっていくけど疲弊していく人もいるし、
上の世代でもっと疲弊してるけど、
やり続けてる人もいるみたいな中で、
どうするんだっていう状態はありましたね。
でももう何かわけわかんないみたいな感じで、
芝居がちょっとできなくなっちゃって、
舞台降りてみたいな時がありましたね。
大変な時があったんだな。
そうですね。
だから多分その頃芝居やってる時って、
あまり大学の皆さんと会ってないし、
そっちにずっといたので、
そうですそうです。
そんな感じのこと。
今思うと、
その頃のやってたことが今に生きてることがすごくやっぱ、
聴く人がやってるとすごく感じることがあるんですよ。
人の話聞いてて、芝居やってることでの愛の取り方とか、
あんまり頭で聞いてないから体で聞いてるみたいな感じとかは、
芝居やってたからだろうなっていうのを感じたりとか、
相手のことを察したりとか、
思うことはあります。
でも今聞いたらさ、
いや今聞いたらよ、
今の50歳の俺が聞いたらだからさ、
言うのかわいそうやと思って何度かしてやらなあかん、
ご飯食べてるかどうか思ってたけどさ、
当時で言ったらさ、
俺2つ上だからさ、俺も余裕でーし。
俺も余裕なかったしね。
みんな余裕なかったもんね。
みんな必死だしね。
独立するじゃないですか。
それはやっぱ何かあって独立するんですよね。
あるよ。
ずっと会社に勤めてて。
勤めてて、
前にいた会社は結構大きい会社で、
映像業界では相当有名な会社で、
大きい会社なんだけど、
なんかね、
俺そこでね、結構いい仕事やらせてもらってた。
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いい仕事やらせてもらったんだけど、
やっぱりね、
俺いつも思うんだけど、
自分も幸せになりたいし、
自分も金持ちになりたい、
自分も成功したいけど、
同じように、
自分の好きな人みんな一緒に上がっていきたいっていう気持ちがあるから、
未だに今の元の会社好きだし、
元の会社に行くこともあるんだけど、
未だに俺が一番好きだって言って、
今でも俺が好きなはず。
俺を超える人はいないはずだって言うんだけど、
最終手段じゃないけど、
やっぱり、
元にいた会社が良くなるのが一番嬉しいから、
だとしたら、
俺が独立して、
俺が理想郷みたいなものを作る。
反面じゃないけど、
本当に理想的な会社ができれば、
この会社もそれを見て、
みんな神田さんの会社に行きたいとか言うと、
じゃあ神田さんの会社は何がいいんだ、
みたいなことになったりしたら、
前の会社が良くなるんじゃないかって思っちゃったっていう、
変な愛情の裏返しだったんだけど、
それくらいのことを思って、
独立しちゃったんだよね。
多分みんなにも伝わってて、
この会社好きなの神田さんだよね。
でも俺肩書きも何もないんだけど、
俺普通に、
その会社で偉くなりたかったんだけど、
肩書きもそんなにもらえないし、
偉くはなれないし、
ただ仕事だけで、
指名だけで言ったら、
一番やってるんだよ。
辞めるって言ったら、
みんなびっくりしちゃった。
当時で言うと、
独立して会社を作ったのは
2010年なんだけど、
昔この業界、映画業界もそうなんだけど、
よく売れると、
売れるとその会社を出て、
フリーでやっていくっていうのが
当たり前だった。
そうすると、急に年収が
10倍とかになったりするみたいな
世界だったりするから。
最初は誰かの下にいて、
会社にいて、お客さんがついたら
独立していくっていうのが当たり前だった。
俺それに全く興味なくて、
会社を作りたくて。
その会社を作りたい意味っていうのは、
やっぱり、
当然俺は幸せになりたいし、
編集王にもなりたいし、
金持ち、
金持ちとは言わないけど、
ある程度、
お刺身でビールが飲めるくらいの生活だし。
でも、
それをみんなで一緒にやっていきたいっていうのは、
ユイナーといた頃の、
これらしいというか、
あの頃の変わらないから。
昔から損失があって、
みんなで一緒に上がっていきたいっていうのがあったし、
いつかは、さっき話した、
日本を映像タイムにしたい
っていうのがあるから、
それは俺一人の力じゃ無理で、
会社で動いた方が、
もしかしたらチャンスがめぐってくるかもしれないし、
この国自体っていうかね、
東京の映像文化すら変えられるかもしれない
っていうのがあったから、
やっぱり会社を作るしかない。
どのような経緯で
独立をしていったのか。
その当時の思いや、
多くの人と話をしていったこと。
そこにはやはり、
人が好きで、
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みんなで一緒にやっていきたいという思いが
あったからと神田さんは
おっしゃいます。
そしてお話は、
映像の創造力について伺っていきます。
映像の話で、
僕映像編集も
大したことは全然大したことはしないですけど、
その創造力みたいなもの。
これはこうしようみたいな
イメージとか、
神田さんの中にいっぱいあるのか、
都度都度探していくのか。
でいうとね、
俺ラッキーなのは、
そこまでじゃないか。
そこまでイメージ、
漠然としたイメージを
求められるところじゃないから、
どっちかというと、
俺はスキルの、もっとテック寄りっていうか、
スキルの積み重ねで出せるものだから、
でも時々例えば、
例えばモーションタイプみたいな、
文字がブワッと動くデザインとかは、
やっぱり凝り固まっていくわけ。
昔よりも、
なんかやっぱ、
昔の引き出しのまんまやってるっていうか、
それはね、やっぱね、
自分の中でつらいなと思うね。
そっかそっかそっか。
もしかしたらもうそろそろ
20何年間いたら、
もう一重して、カッコイイとか思われるかもしれないし、
の可能性はあるけど、
やっぱそこのインプットとかはね、
やっぱそれきついなと思うね。
やっぱそこの
クリエイティブ力っていうのはやっぱどんどん落ちていくから。
だからやっぱその
撮影に関するスキルとか、
あとどんどん新しいカメラが出てくるんだけど、
俺そういう
技術も好きだから、
カメラをどんどん勉強していれば、
楽しくなるし、
なんかさ、
ちょっと前だけどさ、
一時期さ、
全然この話してもいいと思うんだけど、
俺ずっとさ、キャリーちゃんの仕事を
ずっとやってたわけ。
そうですよね。
キャリーちゃんをずっとやってて、
俺とずっと一緒に
電気グループとかスマップの仕事をした人が
流れで、その人がキャリーちゃんをやることになったから、
俺ずっとキャリーちゃんをやることになったんだけど、
スマップの時もそんなに思わなかったし、
電気グループなんで、
その人作ってるのがすげえ楽しくて、
みんながたぶん
今回も最高ですねって言って、
あとグループ魂とかやってると
いいですね今回もって言われてたんだけど、
キャリーちゃんの時に結構みんな
可愛いって言われるわけ。
可愛いを作ってるのが、
45歳くらいの人、
それより年上の監督さんで、
可愛いものを作ってたわけ。
はいはいはい。
結構、
そこのPVだけの世界に
収まらないから、
全部のアートディレクションも関わってくるんですけど、
もう、
自分で言うと、その監督もいい歳だし、
俺もいい歳だし、
俺のアシスタントの、うちの会社のデザイナーたちも結構いい歳だし、
みんなおっさんたちで、
この可愛いの分、
これちょっと面白いよね。
わかります。
可愛いって言われるんだと思って。
キャリーちゃんって可愛いの象徴みたいな。
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原宿といえば、
でも実は作ってるのは、
こんなおっさんっていうのが結構。
面白い、それ。
そうか。
で、言うと、
言うのに逆に聞きたいとこもあるけど、
そういう感覚ってどう思う?
例えば、
俺たち年取っていくじゃない?
可愛いもの、かっこいいものっていうのを
判断するのは、
25歳から35歳くらいの人が、
可愛いと思うものが可愛くて、
かっこいいと思うものがかっこいいって、
勝手に定義してるわけ。
でもだいたいそんなもんじゃない?
そうだと思います、それは。
でも実はその、
可愛いもかっこいいものをプロデュースしてるのって、
あんまりその上の人だったり、
そうか、そうか、そうか。
だから、
自分を慰めてるわけじゃないんだけど、
あんまりそんなもんじゃないかと思ってるわけ。
だから、自分は25歳じゃないけど、
あんまりそんなもんじゃない。
なるほど。
その話に今パッと浮かんだのは、
可愛いっていうのの、
僕多分子供生まれるまで
可愛いってあんまりよく分かってなかった。
可愛いっていう感覚?
感覚。
子供が生まれてすごく柔らかいものというか、
柔らかいってこういうことかみたいな、
例えば初めて持った時とかの壊れものというような感じ。
生まれたばかりの時は
可愛いってあんまり思わないけど、
だんだん成長してきて、
1歳とか2歳になるとやっぱり可愛いっていう。
可愛いって俺の中に
初めて芽生えたかもみたいな感覚があったんですよ。
だからそれまでってどっちかというと
かっこいいとかのほうが好きだったから、
そっちは結構ガンガン言ってたけど、
可愛いってあんまりよく分かってなかったし、
女性的なというか
女の子的な可愛いってどっちかというと
ちょっと苦手だとか、
俺の中にないから、
フリフリとか言われてもよく分かんないみたいな感じだったと思うんです。
若い頃って。
子供生まれてから、
かわいいかもしれないってところから
可愛さが開拓されていったみたいな。
でも結局それなんだよ。
例えばさ、
今さ、
可愛いを語る中でさ、
ぷにぷにとか、
柔らかいとかさ、
もしかして色もあったかもしれないけど、
実はそれでいいのよ。
それを今度映像化できるのよ。
そうすると案外、
ハマる場合によっちゃハマる。
それが可愛いとして作ってるのが、
オッサンであろうが、
その可愛いがちゃんとした、
多分可愛いの、
そこ自体は普遍であって、
だからそれが時々ハマれば、
別にそれをおじさんが作ってるものでも。
例えばさ、かっこいいだったらさ、
俺もイノもかっこいいもの好きだからさ、
グワッと語られるじゃん。
でもさ、
可愛いは俺も考えたことなかったんだけど、
俺が思う可愛いは、確かに俺も一緒。
柔らかい、ぷにぷにして。
やっぱり色は薄いピンクか黄色かな。
それか白かなみたいな。
そういうのをだんだんやっていったら、
それがたまたまハマれば、
それを可愛いとして、
若い人も受け入れてくれる。
はいはいはい。
その感じはすごい。
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神田さんとちゃんと腰を据えて
お話をしたのは、
ずいぶんと久しぶりのことでしたが、
お互いに流れる空気は、
学生の時そのままのように思われました。
この日は夜中までご一緒し、
それでも話をしながら
またあらためてお話をお聞かせいただければ
と思ったのでした。
神田さん、ありがとうございました。
それではまた次回、
ユイナオさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。