新しい充電器の登場
ポックンのレトロ三面記事
例半導体最大手インテルが、未来のスマート充電器を披露した。
まだ試作品だが、眼鏡型や腕時計型など様々なウェアラブル、
身に付けられる端末が普及するのを睨み、
異なる充電器を持ち運ぶ煩わしさを解消する狙いだ。
ウェアラブル端末を持つにつれ、どうやって全てを充電するのか、
充電コードはどこに置くのか、という問題が出てくる。
その答えがこれだ。
インテルのブライアン・クルザニッチ最高経営責任者 は、
5日夜の貴重講演でそう語った。
金属の接点などがなくても、電力を伝えるワイヤレス充電の技術を生かした。
すでに電動歯ブラシやコードレス電話などでも実用化されているが、
インテルが開発中の方式は、端末と充電器に多少の隙間があっても、
複数の端末を同時に置いても充電可能だ。
端末側もインテルの方式に対応する必要がある。
はい、ポックンです。
ポックンのレトロ三面記事。
ポックンのレトロ三面記事
このコーナーは何年か前の今日、
どこかの新聞に書かれたとある記事に衝突した。
ある記事に焦点を当てて、そのレトロを味わうコーナーです。
今月は2014年、平成26年にタイムスリップしてみました。
年が明けて、ポックンも3年目に入りました。
昨年末の大晦日に、家の大掃除を前日までに終えて、
ゆったりした気分でいつもの図書館に行きました。
そして、年初の放送で、
年初の放送だし、レトロというより、
10年前というわかりやすい単位の過去を振り返るのがいいんじゃないかと思い、
10年前の今日の記事を取り上げてみました。
10年一昔とよく言われますよね。
しかし、体感的には、昔じゃなくて、あっという間でした。
でも、細かくは覚えてないことも多くて、
そういう意味では、
そういう意味では、一昔かもしれません。
それで、日記を開いてみました。
ポックンは、5年日記をつけています。
その日に食べたものを記す日記です。
そこに、その日の天気や、
ちょっとしたその日思ったことも、
合わせて記しています。
現在、この日記帳が3冊目。
そこで、
10年前の1月10日を見てみました。
2014年金曜日、晴れ。
テアトル台本作り。
A、ワイと玉ねぎ。
トースト。
H、巻き寿司。
Y、チーズ牛丼。
AとかHとかYは、
Aは朝、
Hは昼、
Yは夜のことです。
それで、この日、
ほとんどいつもは、
朝食を食べないんですが、
食べてますね。
ホワイト玉ねぎに、
トースト。
うーん。
パンに乗せたんでしょうけど、
昼と夜は、
どちらも買ってきたものと、
外食ですね、これはきっと。
この日は、ご飯を作らなかったようです。
台本作りはですね、
当時、子供たちに演劇を教えていたので、
この日は、
そのための作業をしていたことを、
表しているんだと思います。
これくらいしか思い出せないですね。
ご飯日記をたどっても、
2014年の1月10日は、
しかし、ピンポイントで1月10日、
具体的に何があったか、
それは思い出せないですが、
2014年自体は、
無職で過ごしていた1年でした。
全職を2013年の年末でやめて、
失業保険で暮らした1年でした。
実質、自分都合でやめたんですが、
派遣会社の計らいで、
会社都合にしてもらって、
やめてすぐに保険が支払われたので、
最低限の暮らしに不自由はありませんでした。
が、そのうち、
失業しているときに、
一定期間、家賃を払ってくれる、
区のサービスがあることを知り、
区役所へ申請しました。
失業保険を受けるために行ったハローワークでは、
そんなこと、教えてくれませんでした。
自分でアクションを起こさないと、
基本的に行政はしてくれない、
教えてくれないということを学びました。
全職をやめたのは、
もう働きたくなくなったんですね。
お芝居のためだけに働くことに、
もう、うんざりしてしまったんです。
何甘えたこと言ってるんだと思われるでしょうが、
好きでもないことをやり続けてきて、
消耗しきってしまったのです。
だから、2014年は、
自分がこれからどうするのか、
考えたかったのです。
同時に、次は芝居で、
もしくは、その分野で食えるようにしたい、
と思いました。
でも、それはかなわず、
補償と受給の期限が近づいてきたので、
やむなく次の職を得る方法として、
職業訓練校に通うことにしました。
さて、じゃあ、
どんな訓練を受けようかと考えました。
最初は、
庭師の訓練校を考えました。
なんだか、自分に合ってる気がしたんです。
でも、自分の年齢を理由に、
その考えを捨て、
もっと現実的な職をと思い直し、
介護士の訓練を受けようと、
介護士の訓練校を選びました。
小学生の頃、短い間でしたが、
祖母の介護を少しだけしたこともありましたから、
それで学校に通い、資格を取り、
翌年の春から、
介護士の生活をスタートさせました。
やり始めた頃は、
錬金で週3日介護し、
1日を演劇の先生、
残り3日を休みとする生活を基本にしました。
派遣でなく、
パートの身分を選びました。
それでこの10年、
途中演劇の先生を辞めてからは、
錬金で介護士週4日、
残り3日は休みのパターンで、
お呼びがかかった時は、
舞台に出るのは変わらずでやってきました。
まずは、
こんな生活を許してくれてる奥さんに、
感謝しなければなりません。
そして、
振り返ると2014年は、
僕にとって大切な1年でした。
役者として今でも食えてませんが、
芝居を辞めようと思わなくなりました。
逆に、
やり続けなければならないと、
強く思えるようになりました。
介護士も、
とても疲れますが、
消耗はしてません。
利用者さんは、
身をもって生きることは、
どういうことなのか、
というのを、
週4日、
必ず教えてくれてます。
2014年、
平成26年は、
僕に自分を見つめ直す年だったようです。
聞いている皆さんにとっては、
どういう年でしたでしょうか?
というわけで、
今回は2014年、
平成26年の1月10日に戻ってみました。
次は5日の2月7日に、
タイムスリップしてみたいと思います。
また今年も一緒にスリップしてください。
それでは来月まで、
さようなら。