【40】30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。 パーソナリティの子ども未来株式会社の千葉です。
今日、毎週やっている【きっかけインタビュー】の第15人目となるゲストの方に来ていただいておりまして、今回は15人目にして、初めての20代のゲストの方に来ていただいております。
【40】30代、40代の生き方、働き方を応援するという部分なんですけど、結構最近20代後半の方とかのライフステージが変わる方だったりとかの問い合わせも増えてきたことがあって、
少し20代の方々のインタビューとかもしたいなと思ったときに、先日、合宿でちょっと行かせていただいた素敵な
左右の音域施設をやっている支配人の方に出会うことができたので、今日はその方のインタビューを撮れるようなと思っておりまして、パーソナリティもですね、ちょっといつもと違って
スペシャルパーソナリティが来ておりますので、じゃ、七川さん、ちょっと簡単な自己紹介をお願いします。
【七川】はい、初めまして。子どもの未来の加納七川と申します。私、子どもの未来と一緒に合宿陣という活動もさせていただいているんですけれども、今回このこちらの合宿陣のご縁で、
今日のゲストの山田さんが支配人をされている施設のサーマルクライムスタジオに千葉さんも一緒にこの前一緒に行かせていただいて、
もう施設といい山田さんのストーリーという素晴らしすぎて、その場で山田さんをナンパさせていただいて、今回の収録が決まったということで、とても楽しみにしております。よろしくお願いします。
【佐藤】よろしくお願いします。じゃあ、サーマルクライムスタジオの山田さんも今来ていますので、山田さん、改めてよろしくお願いいたします。
【山田】よろしくお願いします。
【山田】よろしくお願いします。
【佐藤】いやー、嬉しいですね。合宿に行ったのがまだ1ヶ月経ってないんですね。
【山田】2週間くらいですね。
【佐藤】2週間くらいですよね。後でそのサーマルクライムの話もいろいろ聞ければと思うんですけど、結構初めての体験でしたね。
サウナの入り方の概念が変わったりとかっていう風になったので、めちゃめちゃ良かったなと思っているので、ちょっと山田さんがなぜそこで支配人をやっているとかみたいなストーリーを、ぜひきっかけインタビューのフォーマットに載せていければなと思っているので、聞かせていただければと思います。
最初にいろいろこれから聞いていくんですけども、簡単なプロフィールというか自己紹介だけお願いしてもよろしいですか。
【山田】はい。現在26歳の山田英介と申します。今はサーマルクライムスタジオ富士という静岡の須藤の市にある下院製のサウナ施設で支配人として働いております。
僕の将来の夢がお風呂を世界共通語にするというのが夢を持って、日本の音楽文化を世界に広めるような活動を施設を通して行っているのが自分のやっていることとやりたいことの両軸でございます。よろしくお願いします。
【佐藤】よろしくお願いします。
すごくないですか、26歳で日本のお風呂、音楽を世界に広めるとかって俺一日にも思ったことがなかったですよ。
【佐藤】本当です。自分の26歳の時思い出すと恥ずかしい限りですね。
【佐藤】そんなことはなかった。
なぜそうなってきたのかというと、僕らは体験もさせてもらって感動もあるんですけど、普通に興味があるのでぜひ聞いていければなと思うんですけど、
きっかけインタビューだと、社会人になったぐらいから聞くケースが起こったりするんですけど、山本さんの場合はそもそも正式に就職はせずに企業をされているみたいなパターンだと思うので、
価値観も含めて学生時代も少し深め合わせていただければなと思うんですけども、26歳だから、例えば10年前ぐらいの高校時代、
高校時代って何だろうな、具体名とかなくてもいいんですけど、どういう高校生活を過ごしてたんですか?
【佐藤】とにかく勉強が嫌いな学生だったのは自分の中で覚えていて、
でも昔ずっとサッカーやったんですけども、サッカーは本当に大好きで、毎日朝7時から夜まで大学でサッカーをすることを目指して、
サッカー部に入って大学でも続けることを目指して、ずっとサッカーやったなっていうのが思い出としてありますね。
ほぼ勉強せずにサッカーをしていた学生時代みたいな感じですね。
【佐藤】サッカー少年会、いいですね。サッカーでも推薦とかも含めて大学を考えたりとかそういうことですか?
【佐藤】そうですね。小学生の頃からプロサッカー選手になるのが夢で、
高校はサッカー推薦に入って、大学もサッカーを続けてプロになれればいいなっていうふうに思っていたので、
とにかくサッカーだけやっていればいいっていうような生活をしていましたね。
【佐藤】面白いですね。高校時代とかですよ。前過ぎて僕は全然思い出せないですけど。
【佐藤】高校時代ですかね。これまた高校時代、自分の高校時代と重ねると違いすぎて、輝きすぎてて、お話楽しみなんですけど。サッカーなんですね。
それで結局推薦もらえずに勉強してなかったんで、大学に入ることが、1個しか入ることができなくて、自分の志望校じゃなかったので、仮面ローニングを1年間していましたね。
【佐藤】大学は地域で言うと東京の大学の方ですかね?
【佐藤】はい、東京の大学です。
【佐藤】僕も高校までサッカーをやってたくちで、そんなに推薦まで全然できなかったんですけど、大学に行ってサイクルとかをやって、少し新しいことをやったな、みたいなことをやってるんですけど。
大学時代は山田さんどんな感じだったんですか?それまではサッカー一筋って感じだったと思うんですけど。ある種、よくも悪くも世界が変わってきたのかな?
大学入って仮面ローニングを経て、次の大学に入ったときに、初めてサッカーしかやってなかったんで、遊びを覚えたんですよね。
3年間毎日毎日朝までほとんど本当に遊び続けて、
それで最後、ハロウィン、10月31日のハロウィンの時に、自分の中で大きな事件が起きて、このままじゃダメっていうように、本当に酔い潰れた事件があったのを覚えています。
それが19歳の時でしたね。
【佐藤】19歳くらいの時、いいですね。ちょっといいじゃないですか。若者っぽい人と回りつつで、素晴らしい感じで。
【佐藤】そうですね。
【佐藤】3年間なかなかやり切るってのは、そこ結構やり切ってる感じがまた素晴らしいなって。
いや、本当に今思っても遊びすぎてたなって思うぐらいに、本当に遊ぶことに特化して、映画館で最初の方は働いてたんですけど、
20時から4時まで働いて、そこから朝の4時まで働いてから、次の日の16時ぐらい前、友達とまた遊んでから、またそれを続けるみたいな生活をずっとしてたんで。
とにかく遊びに遊んだ半年で、そうでしたね。
【佐藤】今言った、大きな事件が1個あったって話があったと思うんですけど、本に触れるようだったら聞けないんですけど、本に触れなかった?
【佐藤】いやもう、渋谷のハロウィンで本当に友達友達10人ぐらいで飲んだんですけど、それでみんな乱れ始めて、それを見てると自分が感じたんですけど、
こんなことをしてて本当にいいのかみたいな、周りの人もひどいし、自分たちもひどいし、自分は大学に何しに来たんだっていうのをすごくハッとさせられまして、
いい意味で一生行かないなって思ったんですけど、でもその時に自分って何がしたいんだろうっていうのを、酔い潰れた朝、結構真剣に考える時間がありまして、
そこから自分の中で大学の中で一つ心に残るような出来事をやっていこうっていうふうに思い始めたきっかけでもありました。
【佐藤】面白いですね、すごい。僕らのこのインタビューのきっかけのインタビューって言っていて、人はきっかけがあれば変われるっていうところで、いろんな人のこういうストーリーを聞くんですけど、
それが人との出会いだったりとか、あるいは仕事だったりとか、あるいは一冊の本だったりとかっていう、これまでも重要にいろいろ聞いてきたんですけど、いいですね。山本さんの映画のワンシーンみたいな感じですね。朝方の渋谷でハロウィンやりきったふとした瞬間に自分で考え込んだっていうパターンですよね、きっと。
【佐藤】その時に、ちょうどそれから1週間ぐらいの時に、もともと遊びながら、ジャガリコのカルビーっていう会社で僕がアルバイトをしていて、東京駅とかにある駅中のビジネスですね。
カルビープラスっていうお土産のカルビーの事業でアルバイトをしていて、そこの中で僕の師匠みたいな人がいて、全部1から10までいろいろな社会のことであったりとか、カルビーのことであったりとか、仕事に関してとか、ずっとずっと教えてくれた師匠みたいな方がいらっしゃったんですよね。
その方が他の部署に配属されるっていうふうになって、その人がいなくなった時に、店の売上も下がってきて、その人が教えられたことを現場がやってないなっていうふうに自分自身で感じて、なんかちょっと自分でアクション起こしたいなって思った時に、部長や課長さんとの飲み会があって、
その時に、ここがこうこうこうだから絶対売上が上がってないんだよ、みたいなのを1週間前まで遊んでた自分がちょっと調子に乗って言ってみて、でもそれは僕は確かなと思ってたんで、そうしたら部長さんに、そういうふうに思うなら自分自身で意見を言って、どんどんどんどんやってみればっていう話になって、
ちょうどその時期にカルビーで期間限定ショップ、西路っていうのがいろいろ全国各地でやられてるんですけども、そこの秋葉原の西路をちょっと山田君やってみなよみたいな、もともと1年ぐらい働いてたんで、インターンしてちょっとそれをやってみてよみたいな話になって、そういうような企画を始めることになりました。
これもすごいきっかけストーリーが満載ですね。師匠みたいな人がいたっていうのもやっぱり一つの出会いが大きかったなと思う。その人が部門を移動されたっていうタイミングで、逆にいろいろ環境が変わって、でも山田さんの一方でハロウィンの夜を経て自分で行動しようと思ったみたいなところで、自分がきっかけを出したから、すごいですね、インターンでなかなかサイズを任されるなんて聞いたことがない。
特に大きい会社はすごいなと思ったりしましたし。
三月がサイズだったんで、10月から3月なので、結構5ヶ月ぐらいあったんですよ。5ヶ月間のうちに本当にあの時は必死に努力してたなって自分でも今でも思うんですけど、学生15人ぐらい僕が集めて、どうやってサイズの販売の売上げを目標を達成するために頑張っていくかみたいなことを半年間ずっと準備して、1週間のサイズだったんですけど、本当にもう学生だけで設営から戦略からすべてやって、
1日最高日判が314万という、秋葉原の駅前でカルビー市場最高の売り上げを出すことができて、1週間で1800万売ったというじゃがりことかを。
すごい!
というようなことをやりました。
野中さんヤバいですね。めちゃめちゃ高いものを売ってるわけじゃないじゃないですか。カルビー市場でやがりことかの商品を売って、1日最高日判で。
客単価は1000円ぐらいなんですけど、1000円ぐらいの商品を売ってるんで、お土産商品なんで。
でも、今までではない経験ができて、それがすごく自信になりましたね。数字として現れたので。
でもその半年間はもうほぼ毎日の師匠のとこにアドバイスをもらいに行ったりとか、あとは自分なりに全部計算をしたりとか、あとその半年間で働いてくれるスタッフに対してちょっとカルビーのメソッドを
少し吹き込んだりとか、結構できることをとにかくしたっていうような半年間でした。
すごいですね。
普通の人が下手すると20代でも経験できなかったことを、この期間に山田さんは経験されたのかなっていう気がしますね。
マネージャーみたいなこともやったってことですもんね。マネージャーというかね、事業部長レベルのことやってますよね。
本当に変な綺麗な話じゃないですけど、僕自身大学も自分の志望校に行けなかったので、でも学歴じゃないなっていうのは本当に自分の中で思っていて、そこを見返してやりたいという気持ちと、
あとは自分を変えたいっていうふうに半年間、その半年間は人生で一番思った日で、本当に毎日毎日それを自分を変えたいっていうことだけを考えて行動してたなっていうふうに思いますね。
この気持ちすごいですね。まだたぶん20歳ぐらいのエピソードですね。
19歳ですね。
19歳か。何ていうか、周りを見渡すと同年代の大学の友人はまだたぶん遊んでる。
やってるとしても授業出てるとか、アルバイトしてるとかっていうのは多分多かったような気がするんだけど、周りにそういうのってあんまり左右されなかったんですか?自分が変わりたいっていう気持ちが先あったと思うんですけど。
そうですね。その半年間は本当に周りを誰も見なかったと思います。本当に。
あの半年前に戻りたいぐらいですけど、あんだけ頑張った時。
でもその時は本当にそうで、でもなんか周りに一人二人応援してくれる友達がいて、そんなこと一緒にやりながらっていうようなイメージで、
本当にこの時期、いろんなことを自分の中でやってみようっていうふうに思って行動してたなっていうふうに思いますね。
僕の6校位くらいです。韓国人の方だったんですよ。
日本に高校生の時に来て、日本語もわからないままいろいろ努力されて、
本当になんて言うんだろう、ハングリー精神というか、生え上がってやるぞっていうような人生を歩んできた方だったので、
普通の会社員のサラリーマンの人ではなくて、本当に一つ一つ自分の信念を持っているような方が師匠でした。
いいですね。いつかその人にも会いたくなっちゃいましたもんね、話を聞いてると。
ありがとうございます。
ちょっと沢山聞いてるので、前半もう1エピソードぐらいぜひ聞かせていただいて、後半にいろいろサーマルクライムスタジオの話を伺えればなと思ってるんですけども、
そしたらその師匠とのお風呂っていうキーワードが生まれた人よ。そこからどういう行動をされていたのか話をしたら。
そうですね。そこからまずは音楽のことを知らないといけないというふうに思って、
でもまずは世界にお風呂を広めるために、自分が世界のお風呂文化を知りに行かないといけないというふうに思ったんですよ。
なので、音楽を知るための世界の旅に出たっていうのが次のストーリーとしてありますね。
すごい。世界を旅するシーンの山田さんの人生もあったんですね、そこで。
そうです。そこが結構自分の中ででかい大きなきっかけになったと思います。
まだ大学生のときですか。大学には大学中かな。
大学中に一人旅でいろんな国のお風呂文化を見に行くっていうのをファーストステップとしてやったっていうのがあります。
いいですね。ますますやってることが企業界やんっていう感じで僕は聞いておりますけど。
いやいや。
いわゆる本当に、世界のソースでまず現場を見に行くというのは、いいですね。
僕も子育て芸能会社をやっていてベビーテックをやろうと思って、ベビーテックを見るためにアメリカにバッと行ったりするんですけど、
本当同じようになっているとあれかもしれないけど、素晴らしい行動しているというのがあって。
世界を旅してきて、なるほどな世界のお風呂文化こうだっていう話をなんとなく自分でつかんだ後に、
その後っていうのはもう就職せずに会社を作ろうという感じになったんですか?
そうですね。もともとはそれをもう少し研究したくて、インターで飛び立て留学制度っていう日本語文化省の留学制度を使って、
それに行くつもりだったんですけど、世界の音楽文化を研究するために。
コロナでちょうどそれがいけなくなってしまって、何をするかというときに企業をして、
自分の中で少しずつやっていった方が面白いんじゃないかっていうふうに思って、
株式会社じゃなかったんですけど、一般社団法人フローバルシップっていう会社を設立しました。
そうなんですね。そういう感じだったのか。なるほど。
いやーすごいな。そういうことですね。だからこれもやっぱりタイミングですよね。2020年から2021年かわからないですけど、
コロナがあったんで海外には出づらいタイミングとかもあったので。逆にそうでなかったら、
留学をしていた可能性もあったって感じですかね。それでいうと。
そうですね。結構留学をして、ドイツのサウナの文化であったりとか、もしくはイタリアの音楽文化であったりとかっていうのを
自分の中でちょっと体験をしながら研究をしたかったなっていうのはありますね。
いやーちょっとこれですね。オフのサウナの方に聞きたいなと思っているので、その辺はちょっと後編に回していければなと思っております。
はい。
前編のところでね、高校時代からの価値観、大学に行って、カルビーでの、カルビーのエピソードいいですね。
本当に人生をかけた1週間の最初の最初のエピソードを聞かせてもらって、そこから師匠との飲み分かした夜を決めて、
お風呂、温浴ってキーワードにたどり着くのをちょっと聞かせていただいたかなと思っているので、
ちょっとじゃあ、おきっかけインタビューの今15人目の山田さんのインタビュー、前編ちょっとここまでとさせていただいて、後編はじゃあその後ですね、
いわゆる起用ですね。社団法人を作った後にどういうアクションをしていったかみたいなことを聞かせていただければなと思いますので。
はい。
前編どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。