1. Kibidangoは10周年でした
  2. Goromanゲスト回前半、Goroman..
2023-12-12 37:32

Goromanゲスト回前半、GoromanとKibidangoの馴れ初め(Goromanさんは車移動しながらの収録) #Kibidango04 01

ゲストに車で京都から移動中のGoromanさん登場。その前半。

Goromanさんの音声がたまに途切れたりするのは、車中だから、、、ということです。

話の中身は、GoromanさんとKibidangoの馴れ初めの話を中心。でも、ミクラスの話とかいい話だなあ(笑)。

#Kibidango04 01

サマリー

10周年を迎えたKibidangoのゲストには、Goromanさんが登場しています。彼は10年前の出来事や共同プロジェクトについて話しています。具体的には、ゴロマンさんの経歴やMN1ニッパー送報についての話があります。また、起業の経緯や技術に関するディスカッションや、浅田会長との出会いについても述べられています。さらに、カバン作りに関するエピソードでは、カバンの制作プロセスや持ち方についての話が展開されます。

00:00
中村優子
はい、皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんはの人もいるかと思いますが、今日もよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
Kibidangoは10周年でした。
4回目ですね。
Goromanさんの自動運転車の旅
いしたにまさき
今回、ゲストをGoromanさん来てもらってるんですが、今、車で移動中の中。
Goroman
京丹後から自宅に帰るという途中ですね。京都の上のほうですね。
600キロほど走って、一気に帰ってきます。
650キロの旅をして。
僕自動運転なんで。
いしたにまさき
いや、運転してないだけですよ。
Goroman
僕から見ると自動運転ですよ。フルタニンドライブって呼んでるんで、FTDって呼んでるんですけど。
フルタニンドライブに、寝てても家に着くっていう。
しかも会話機能もある。会話機能も。
中村優子
家の前まで届けてもらえるんですか?
Goroman
そうです。
Googleマップに自宅って入れれば、自動で帰れます。
中村優子
自動で。
Goroman
自動です。
いしたにまさき
他動ね。
Goroman
全部食費がかかるんで、ガソリン代以外にすべてのご飯をおごるっていう、そういうシステムなんですよ。
なるほど。
すげえ額使いましたね、結局。
浜名湖でうなぎ食べて、そのあと夜の津でうなぎ食べたんで。
なんか結構、燃費は悪いかもしれない。
Ryota Matsuzaki
燃費悪いAIですね。
いしたにまさき
浜名湖と津だと、たぶん結構うなぎの焼き方違いますよね。
Goroman
そうなんですよ。おっしゃるとおりで。
なんとなく1日目のお昼に浜名湖に行って、Facebookにあげたんですよ。
うなぎ食べたって言って。
そしたら、ぜひ津のうなぎも食べてくださいって言われたから、じゃあ行きますって言ったんです。
でも浜名湖の方がうまかったです。
中村優子
そういうこと言っちゃダメですよ。
いしたにまさき
いや、あれはね、結局好みなんですよね。焼き方が全く違うので。
Goroman
パリパリしてるんですよね。
いしたにまさき
西のほうは皮をパリパリに焼くので。
Goroman
関西風みたいな。
いしたにまさき
関西って言い切れないんだけど、岐阜とか名古屋も皮パリパリ側なんですよ。
その境界線がどこにあるかっていうとフォッサマグナなんですよ。
Goroman
フォッサマグナ。
いしたにまさき
フォッサマグナの境界線とうなぎの焼き方の境界線はほぼ一致してるっていう。
なぜか。
Ryota Matsuzaki
糸魚川
Goroman
糸魚川行きましたよ。
いしたにまさき
僕は西側の人間なので、もともとは。東京のうなぎは結構、、、
Ryota Matsuzaki
食えない。
いしたにまさき
食えないまで行かないですけど、あんまり好きではない。
中村優子
私も祖父母が岐阜だったんで、西のほうだったんですね、タレにたっぷりつけた
いしたにまさき
簡単に言うと風味というか、当たり前に焼いてるからより焦げに近いんですよね、皮が。
東京とか、東のうなぎは完全に一回蒸すので、ふっくらしてるので。
Goroman
違いますよね。
いしたにまさき
その違いがありますけど。
Goroman
僕は出身が愛知県の豊橋市なんで。
中村優子
何か事件ですか?
Goroman
今あれですよ。停止してるだけです。
いしたにまさき
映像止まってるのは単に赤信号だけで止まってるんですか。
Goroman
映像は止まってないです。
車は自動運転がちゃんと信号認識してる。
これ発信しますね。
こんな感じです。
裏の話は置いといて。
いしたにまさき
あ、豊橋ですね。名古屋ではないです。
Goroman
三河です。
なので浜松が隣なんですよ。チャリンコで行けるんです。
いしたにまさき
だから浜名湖側のうなぎのほうが多分合うっていう。さっきの話ですね。
Goroman
出身地に近いほうがよりインプリンティングされてる。
じゃあ本題に戻りますか。
10年前の出会い
Goroman
本題は、Kibidangoと私みたいなですね。出会いみたいな。
いしたにまさき
そうです。
Goroman
これはあれですね。10年前にさかのぼります。
いしたにまさき
どの年なんですか?10年前。
Ryota Matsuzaki
もうKibidangoできてホヤホヤぐらいのときですね。
Goroman
2013年、できたてのときに全く面識がなかったんですけど、松崎さんと僕は。
僕がちょうど自称VRエヴァンジェストみたいなのを始めて、
オキュラスリフトDK1でね。勝手にエヴァンジェストを名乗って、
あとミクラスっていうのを作って、初音ミクに会えるみたいなのをVRで作ったんです。
ミクラスを作った後に、ミクミク握手っていうのを作ったんですよ。
初音ミクと握手ができる。これググったら出てくると思うんですけど。
ミクミク握手っていって。
中村優子
いろいろちょっと頭がバグる。
Goroman
ミクミク握手。
VRゴーグルつけて、ネイルアート練習用の手をつけて、アームデバイスみたいなの作って、握手できる。
ねとらぼさんにのって、出ました。ミクミク握手。
そういうのを作ったらバズってねとらぼさんとかにのって、体験会みたいなのをやったんですよ。いろんなところでね。
そしたら松崎さんから連絡が来て、クラウドファンディングのKibidangoですみたいな感じで、
ミクミク握手をクラウドファンディングで出せませんか?っていうのが来たんですよ。
こんなもん買うやついねーだろうと思ったんで、確か断ったんですよ。
こんなもんは無理ですよ。でも会いに来てくれて話して、松崎さんと。
それがほんと10年前の今頃ですね。記憶の中だと。
Ryota Matsuzaki
VRのイベントとかゲームのイベントとかに行くと必ずGoromanさんいるみたいな。
Goroman
それこそVR系のコミュニティ作ってたんで、オキュフェスっていうのを作ってて、
オキュラスフェスティバルですね
オキュフェスで大体僕が作ったのが体験できるみたいな。
いしたにまさき
多分説明しないと全く分かんないと思うんですけど、
ミクラスは、要はVRかぶったときの弱点って、
なんかチャットルームとかにでも入れない限り孤独なんですよ。
Goroman
そうそう、孤独なんですよ。
いしたにまさき
誰かいてほしいじゃないですか。
Goroman
そうそう。
いしたにまさき
常に初音ミクがこの辺にいるんですよ。
横を向くと、おお!いる!みたいな。
Goroman
目があったり、見つめてくれますね。
全部ローマ字でMIKULUSですね。
ミクラスってやればめっちゃ出てくると。
だからVRとか、今でこそVRチャットとか流行ってますけど、
VRチャットとかなかったし、
そもそもVRは一人で遊ぶし、
寂しいみたいなのを解消すべく作ったんです。
最初のバージョンは隣にいなくて正面にしかいないバージョンだったんですけど、
進化してって、
最終的には隣に行ってみたいなあったんですけど。
その初期バージョンの延長で、
初音ミクと握手しよう!みたいなものを作ったんですね。
それで松崎さんが凸ってきて、
これを売りましょうみたいな。
うちのKibidangoというクラファンのサイトでこれを売りたいですって言って、
確か言って、全力で断りました。
いやー、こんなん買う人いないですよ。
Ryota Matsuzaki
全力で断った。
冷静ですね。
中村優子
覚えてます?松崎さんそのときの。
Ryota Matsuzaki
覚えてます覚えてます。
Goroman
その後もちょいちょい松崎さんがクラファンで出すものを、
僕がもらって広めたりするみたいなのをしてたんですよ。
それこそスティッキーボーンズとか、あと枕のやつですよね。
枕から音が出るみたいな。
Ryota Matsuzaki
HUMU(フム)っていう。
Goroman
HUMUですね。
Ryota Matsuzaki
HUMUっていう。
今ここに見えてるやつですね。
Goroman
あるんだ。
だからガジェットを松崎さんが持ってきてくれて、
僕がTwitterとかでオモレ〜とかいうのをやってたんです。
別にお金もらってるわけでもなんでもなくて、
単に面白いガジェットあったら。
あとコネクターとしていろんな人を紹介したりして、
これだったらこの人がすごい喜ぶと思いますよみたいな人と繋いで。
(きびだんごスタッフの)青井さんとかもそこで繋がってて。
一番最近というか、ちょっと前だと、
ZUIKIさんのX68000Zっていうプロジェクトですね。
だから元々ZUIKIさんがそれを東京ゲームショーで発表するってなってて。
僕はX68000っていうパソコンにものすごい思い入れがあるので、
小学校6年のときに使ったパソコンなので、
このプロジェクト絶対失敗してほしくないなと思って。
でもそのままだと大ゴケするビジョンしか見えなかったです。
全力でコケて叩かれて、二度とX68000が復活できないと思って。
それは嫌だなと思って。で、なんか凸って行ったんですよね。
いしたにまさき
だって東京ゲームショーで発表されたとき、何もなかったですもんね。
Goroman
そうそうそうそう。何もなくて。
モックしかなくて中身ないみたいな。
みんな不安がってて、これ何なの?みたいな。
それで社長に会いに行って、ZUIKIさんの。
たまたまカバンにオシロスコープが入ったんですよね。
たまたまオシロスコープっていう機械が、
オシロスコープっていう電気工作とかで使うクソでかいものが入ってて。
いしたにまさき
まあよく波形を見るものですね。
Goroman
本当たまたまで会社にあったオシロスコープを家に持って帰りたくて、
一緒に働いてた五十嵐さんって人に、会社から持ってきてって言ったんですよ。
パシリみたいな感じで持ってきてもらって。
たまたま持ってて、五十嵐さんと僕で横浜のZUIKIさんの本社に行ったんですよね。
そしたら社長出てきてくれて、たまたまカバンの中見せてボコボコ出してたら、
オシロスコープが見つかって、それでバカ受けしたんですよ。
この人オシロスコープ持ってんの?みたいな。
ZUIKIの社長さんって、もう完全に技術者上がりなんですよ。電気とかメカとか電子設計とか。
中国のオールウィナーっていうSOCの代理店をやられてるんで、完全に半導体側の方で。
で、カバンの中にバカでかいオシロスコープが入っててバカ受けして、
そうそう、それは僕の奥さんのやつです(手書きの基盤イラストを見せている)。
そこで受けてすごい距離が縮まって、
飲み会に呼ばれたら全部いくみたいな。
中村優子
みんな手元に音声だから伝わらないはずなんだけど、基盤とかモノとかが。
Goroman
そうなんですよ。
それきっかけで社長さんとかZUIKIの米内さんっていうプロデューサー、今は取締役になりましたけど、
クラファンの活用
Goroman
それで交流を深めて、このままじゃあやばいですっていう企画書を書いてプレゼンしたんです、僕が。
そしたら、よし、発売をやめようって。
受注開始3日前ぐらいに。
やめようって社長が辞めてくれて、それでプロジェクトを全部やり直すっていう。
今思うとめちゃくちゃなことをやってくれてるんですね。
それで問題があって、やっぱりお金面どうするみたいな。
そこから本来のが受注だったから。
やり直したら(お金)終わる。
そこでひらめいたのが、クラファンはどうですかって言ったんですね。
米内さんってもともとZUIKIのプロデューサーの方なんですけど、
そのZUIKIの米内さんって、前職はタニタでバーチャロンスティックのクラファンをやってた方なんですよ。
バーチャロンスティックで。
Ryota Matsuzaki
伝説のクラファンですよね。
Goroman
伝説のクラファンですね。
タニタっていういわゆる医療系の会社が、
突然社長がバーチャロンというゲームが好きだから、ゲームスティックを出すみたいになって。
話が早くて。
それで社長をプレゼンして通ったみたいで。
その前に、松崎さんがテスラ新しいの買った?みたいなの言ってたから。
松崎さんに会いに行ったんですよ。そしたらこの時、なぜか僕の奥さんもいて、3人でしゃぶしゃぶして。
いしたにまさき
ちょっと途切れ。
はい、どうぞどうぞ。
Ryota Matsuzaki
私がちょうど4代目のテスラを納車するみたいな話をしてたのか、
そんな話が進んでる時に、
GOROmanさんがテスラ買いたいとかっていうのをつぶやいてて、
ちょうど納車するんで見に来ます?とかいう感じでお声掛けをして。
納車式じゃない、普通の会社の車の納車って結構大々的なイベントじゃないですか。
テスラの納車って本当にしょぼいというかあっさりしてて。
駐車場に停まってるところで、アプリ立ち上げると乗れるようになりますからみたいな。
Goroman
終わり、みたいな。
Ryota Matsuzaki
そこで、もともと乗ってたテスラをそこの駐車場に置いて、
アプリから車を乗り換えて去るみたいな。
Goroman
そう。
中村優子
えー。
もうちょっとなんていうんですか、ぎょうぎょうしい、鍵とか写真とかないんですか。
Ryota Matsuzaki
写真とか赤い絨毯とか一切なくて。
Goroman
何もないですよね。
Ryota Matsuzaki
駐車場の3番に止まってるんで持ってってください。
Goroman
はい、どうぞ。すごい無慈悲な。
Ryota Matsuzaki
アプリからドア開けると開きますからみたいな。
ゴロマンさんの経歴とMN1ニッパー送報
Goroman
無慈悲な。
Ryota Matsuzaki
そういうのも結構面白くて。
Goroman
それで見せてもらって。
Ryota Matsuzaki
お付き合いいただいて。
Goroman
それで見せてくれて、そのまま家まで送ってくれて、
僕と奥さんは新車のテスラで家まで送ってもらうっていう体験をしました。
Ryota Matsuzaki
処女航海ならぬ処女走行をね。
Goroman
そう。
それで、そのときにしゃぶしゃぶ食いながら、クラファンの話したんすよ。
Ryota Matsuzaki
そうでした。
Goroman
ぜひぜひって松崎さんが言ってくれて、
青井さんと米内さんが繋がったんですね、その後。
これでプロジェクトが始まるっていう。
本来なら僕の仕事はこれで終わりかなと思ったんですけど。
そこからが怒涛のクラファン立ち上げが始まるっていうね。
朝5時から米内さんと青井さんと僕が会議して、
僕がDiscord立ち上げて、そこで全部やり取りするみたいな。
あとスケジュール切ったりとか。戦略をめちゃめちゃ立てて。
青井さんが叩き台作って僕がダメ出ししまくって。
そんなのをずっとやってましたよね。
それ全部、松崎さん見てるはずなんで。
すごいドラマチックな。
いしたにまさき
どこかで見たような光景ですね。
Ryota Matsuzaki
クラウドファンディングってやっぱりそういうのありますよね、常に。
ViXionのときもそうですし。
あとGOROmanさんがすごい気に入って、今もお手伝いされてるインスタコードの。
Goroman
そうですね、インスタコードも。
だから結構Kibidangoが縁で。
それこそインスタコードのゆ〜いちさんとか、今まさに新しいプロジェクト一緒に立ち上げましたし、
それこそViXion01も、まさに青井さんがフェイスブックに書いてて、
僕が青井さんのフェイスブックにコメントで、
これ体験してみたいんですよねって書いただけなんですよ。
こうしたらなんか青井さんから、すぐ手配しますんで!ていうDMが来て
僕、無職だったんで、いいっすよって言って。
いしたにさんもいて、青井さんもいて、松崎さんもいて、南部さん(ViXion社長)もいて、話してて。
結構1時間半ぐらい、いろいろディスカッションして。
で、帰ったんだけど、その後しばらくしたら、
今度は(ViXionの)浅田会長が来るからランチ来ませんか、というのが南部さんから来て。
僕で豚カツ食いに行って
すごい高い
豚カツをおごってもらって。
そこで浅田会長と南部さんと僕でとんかつを食ってて。
これめちゃめちゃ面白いエピソードなんですけど、浅田会長って…。
いしたにまさき
止まったかな?
Goroman
あ、大丈夫ですか。
Ryota Matsuzaki
いいところで止まりましたね。
中村優子
とんかつ食べて…。
いしたにまさき
とんかつ食べて、たぶん次の日には入社が決まってたんだよね。
という話。
Goroman
今聞こえてますか?
Ryota Matsuzaki
見事に威力を発揮したというか。
いしたにまさき
高いとんかつは威力あるな。
中村優子
うなぎじゃなくてとんかつですかね、その時は。
Goroman
どこまで来ました?
とんかつの辺り。
中村優子
とんかつ食べる前で止まりました。
Goroman
はい、じゃあとんかつを3人で食べて、高い、おごってもらって。
昼からビール飲んだんですけど。
いしたにまさき
それで浅田会長が昔札幌のBUGって会社にいた話があるんですけど。
Goroman
僕が、学生時代にMN128のシェアウェアを作ったんですね。
いしたにまさき
まずMN128の説明をしないといけないですね。
多分ゆうこさんわかってないですね。
Goroman
じゃあいしたにさんから。
いしたにまさき
いや、要は昔、今みたいなダイヤルアップルーターみたいなやつってなかったんですよ。
中村優子
ダイヤルアップルーター?
いしたにまさき
要するに、外から線を引っ張ってきて、家の中にインターネット引き込むためには機械があるじゃないですか。
中村優子
あります。
いしたにまさき
今みたいにあんな簡単なものはなかったんですよ、昔は。
大昔は本当にそれこそ電話をかけて、それをルーター繋いで、みたいなことが必要だったんですよ。
だから普通に電話をかけてたわけですよ。
中村優子
うん、電話でしたよね。私も初期の頃そうだった。
いしたにまさき
それが繋ぎっぱなしになる手前ぐらいの時代があって。
Goroman
テレホーダイ。
いしたにまさき
で、その時に、そういったもの、テレホーダイっていう、11時からね、2時からまでの時間をサポートするためにルーター側がいろんなことをやってくれるとクッソ便利じゃないですか。
中村優子
確かに。
いしたにまさき
で、そういうのをサポートするルーターというものが、要はこの世になかったんですよ。
中村優子
大事だ。
いしたにまさき
で、それの本当に初期の大名作の一つが、そのMN128っていうやつで、あの頃のインターネット老人会はみんなとりあえず持ってたっていうやつです。
ていうかそれしかなかった。
中村優子
3名はみなさん持ってたんですか?
いしたにまさき
僕はね、それの後に出た違うやつを買いましたね、僕は。
Ryota Matsuzaki
僕も持ってなかった気がしますけど、でもモデムカプラだとかは使ってました。
中村優子
初期の頃に。
Ryota Matsuzaki
インターネット老人会は多分、末席に加えていただけるんじゃないかと。
いしたにまさき
で、要は大事なポイントは、プログラムできるルーターだったってポイントなんですよ。
要は何かをさせることができるルーターだったっていうところがポイントで、そうするとそのタイミングでGoromanさん登場になるわけですよ。
という感じでいいですか?
中村優子
説明は?
Ryota Matsuzaki
Goromanさんの音声が聞こえてない。
Goroman
聞こえてますか?どうでしょうか。
いしたにまさき
今大丈夫です。
Goroman
ちょっとカメラ切っときますね。
回線のために。
これで。
いしたにまさき
なるほど。
Goroman
そのBUGっていう札幌の会社が開発して、NTTMEってとこが売ったMN128っていうダイヤルアップルーターが爆発的に売れて、
ただそれの不満点みたいなのって、
当時テレホーダイっていう、さっきいしたにさんもおっしゃってましたけど、
テレホーダイって夜中だけかけ放題になる、テレホって言ってたんですけど、
テレホタイムだけ繋がると電話代がかからないんですよね。
そのテレホーダイだけ。
それ以外は重量課金制なので3分10円とか、遠くかけると本当に高かったんですけど、
市内通話だけテレホーダイ使えば夜間かけ放題になるんですよ。
繋ぎっぱなしでもいい。
つまり常時接続。
今でこそ当たり前ですけど、昔はだめだったので。
それでMN128の弱点が、まさにそれでテレホーダイタイムだけ繋げられないんですよ。
っていうペインポイントを、僕がSOHOmanっていう、GOROmanみたいな名前なんですけど、
MN128SOHOだからSOHOmanっていうシェアウェアをつくって解決したんですよね。
浅田会長との出会い
Goroman
1本1000円で売ったんですよ、SOHOman。
そしたらめちゃくちゃ売れて、大学生なのに金が300万ぐらい入ってきて。
3000本売れたんですね、たしか。
インターネットマガジンとかにも載ったから、収録されたから、ほとんどの人が買ってくれたみたいで。
今までコンビニバイトで時給650円で働いてたのに、金がめちゃくちゃ入ってきちゃって。
そしたらバイト行くのやめて放置して、バイトも全部行かなくなってブッチして、
その金持って上京しちゃったんですよ。300万入ったっていって。
下宿もそのまま放置して、カバン持って上京しちゃって、ゲーム業界に行くんですけど。
だからそういう自分の人生の転機になったデバイスをつくったのが実は浅田会長だったっていう。
その話がまさにトンカツ屋でくり広げられ、マジっすかって言って。
で、そのまま帰ったんですけど、トンカツ食って。
しばらくしたら浅田会長と南部さんと僕のFacebookのメッセンジャーグループがつくられてて、
ぜひGOROmanさんに来てほしいです。南部さんからジョインしませんかみたいな。
今なんもしてないんでいいですよって言って。秒でいいですよって言って。
で、そのまま入社することになりました。
中村優子
秒で!早い。
Goroman
うん。判断は早い。なんもしてないんでいいですよ。
で、一応そのときに資料を作って、自分の今やってることと、
ViXionに入ったらできそうなことを書いて、南部さんと話して入ることになったんですね。
本当に。肩書何がいいですかって言うから、エヴァンジェリスト的なのが向いてると思いますって言って、
じゃあ技術もわかるからテクノロジーエヴァンジェリストにしますか?みたいになって、役割が決まったんですよ。
それで、Kibidangoを超えてViXionにジョインするっていう。
めっちゃ面白いですよね。
ご縁で言うと浅田さんのおかげで、上京もできたしっていう。
そんな感じです。
中村優子
そうなんだー。知らなかった。
いしたにまさき
テクノロジーエヴァンジェリストの肩書きで行きますって聞いたときは、うーんってなりましたけどね。
いや絶対それじゃ済まないでしょって思って。
中村優子
そういうことか。
Ryota Matsuzaki
テクノロジーエヴァンジェリストってファームウェアのコード見ませんよね、たぶんね。
いしたにまさき
エヴァンジェリストはファームウェアのコード見ない。
中村優子
肩書き考え直します?
Goroman
いや別にいいんですけど、それで9月1日か何かで行って、
その日浅田会長がいたので、アプリ回りで困ってるとか言って、
僕が、、、いきなりソースコードアクセス権をくれたんですよ。
GitHubとかの。
どこの馬の骨かわからんはずのものがいきなり全面的に信用されて、
浅田会長からブリブリブリブリプログラムが送られてきて。
そのあとCTOの内海さんが、今度はファームウェアのソースを送ってきて。
これ俺が読めってことかなって。
ああ、いいですよみたいな。
ソースを直したいですみたいな。
ダイヤルの処理が回しても回してもなかなか決まんない。
そこにイライラしてたんで。
で僕がこれちょっと直していいですか?みたいな。
内海さんが本当はそうしたかったんですよみたいなことを言って、
ソースコードをすぐSlackで送ってきて、ボーンって。
エヴァンジェリストのはずなのにまずファームウェアのソースを全部読むって。
一応3日ぐらいで理解して、3日後ぐらいには自分用に書き換え出して、全部。
それを浅田会長に、それこそいしたにさんにも
こっちのほうがよくないですか?って言ったら、
全然いいですよって採用ってなって。
ああなんだ、こういうのやっていいんだってことで、どんどんどんどんやりだして。
どんどん改善してったって感じですかね。
自分で使うことをドックフーディングって言うんですけど、
僕前のFacebook Japanとかで働いてたから、ドックフーディングってやらされるんですよ。
これ何かって解説すると、
ドックフードを売ってたセールスマンがドックフードを食ってたらしいんですよね。
自社で作ってた。
自分たちで作ってるものを自分たちで食えっていうのがドックフーディングっていう文化で、
結構アメリカのIT企業だと当たり前の。
要はベータテストを社員がやらされるっていう。
Facebookのときもベータテストのアプリを強制的に入れられるんですよね、自分のスマホに。
Facebookとかメッセンジャーのアプリが2個入ってて、色が違うんで。
ドックフーディングしろって言って、強制的にさせられるんですよ。
その文化は結構僕は好きだった。
ViXionも、じゃあドックフーディングしましょうみたいな。
南部さんと僕とかは結構ドックフーディングしてて。
普段使いとかしたり、電車の中で使ったりとか。
南部さんはトレイルランでつけて、これは無理だって言ってましたけどね。
ちゃんとドックフーディングしたほうがいいですよってやって、足りてないみたいな。
だからいしたにさんとかは結構フィードバックをくれたので、それでだいぶ直したりしたと思うんですけど。
ここでは言えない致命的なバグが結構ブリブリ出て、ラスト3日とかでまじで徹夜して直したんですけど。
本当に。
いしたにまさき
知らなかったんですか。
Goroman
会社傾くレベルの。
中村優子
過去っていう。過去完了みたいな感じで。
カバン作りのプロセス
Goroman
Slackを見ればすごい繰り広げられてると思うんですけど、まあそれは置いといて。
そういうことがあったりはしました。面白い話です。
いしたにまさき
まあでもそこは本当に大事です。
僕も自分のカバンでやってたことってそれなので。
自分で使って、ダメなところをとにかく洗い出して。
最初のアイディアなんてそれこそ5分ぐらいで出るんですよ。
問題はそれを製品に、みんなが使うものにするときに、何度も何度もテストして、
まずいところを潰していくっていうことのほうがはるかに時間がかかるので。
Goroman
いわゆるPDCAみたいなね。
そういうぐるぐる、アジャイル的に回すっていうか。
フィードバックして。
僕もやっぱり最初に作ったSOHOmanでそれができたんで。
だから自分の初めて持ったビジネスがツールビジネスなんですね。
だから自分でも使いますし、人からフィードバックもあって、
自分で使って改善していく。
みんなから聞いたのも改善していくっていうのを。
最初はこれやってたんですよ。
ツールビジネスを30年くらいやってたんで。
この経験が生きてますね、間違いなく。
いしたにまさき
そこはソフトウェアのいいとこですよね。すぐに直せるから。
カバンがつらいのは改善点出すと2ヶ月ぐらいかえってこないんですよ。
Goroman
リードタイムがね、どうしても。
いしたにまさき
内容を出して、これでいいですかって確認してもらって、
試作をしてもらわなきゃいけないんで。
試作の職人さんって当たり前なんですけど、
要はその工場で一番腕がいい職人さんにやってもらうんですよ、試作って。
そうするとその人は基本的にいつも案件を抱えてるんですよ。
逆に案件を抱えていない試作の職人さんはまずいので。
その腕のいい試作の人だと、改善点も直してくれるし、向こうからの提案もあるし、
なおかつ量産した時にこれじゃまずいですよってとこまで入れてくれるんですよ。
そうするとそれは2ヶ月ぐらいかかるんですよ。
このテスト、何がつらいって、3回やったら半年かかっちゃうっていうことなんですよ。
Ryota Matsuzaki
一番いいのはインハウスでそれぐらいできる人を抱えられたら一番いいんでしょうね。
いしたにまさき
本当はそれが理想的ですね。
でもちょっとなかなか難しいと思います。
まずそもそも人がほとんどいないっていうのと、
稼働し続けさせるのがとても大変なので。
Ryota Matsuzaki
カバンだけを作るってことが難しいでしょうね。
いしたにまさき
難しいので。
なので僕は最長で3年やったことあります。
3年かかっちゃったってことですね。
そうなんですよ。
Goroman
まあでもそれは本当にいいものを作る大事なことですよね。
いしたにまさき
そうなんですよね。
Goroman
妥協しない。
いしたにまさき
妥協してもしょうがないっていう。
それは本当にそうですね。
Goroman
本当にKibidangoさんがご縁で面白い展開ですよね。
まさに2つぐらい仕込んでますし。
はいどうぞ。
いしたにまさき
共通してるのはとりあえず、
凸るっていうところが似てますよね。
松崎さんもGOROmanさんも。
Ryota Matsuzaki
ここにいる人たちみんな。
Goroman
僕がオキュラスJAPANを立ち上げるときも凸っただけだから。
パルマー・ラッキーという創業者に会いに行って、
いいよってなってできましたし。
凸るのは得意ですね。
ZUIKIの社長さんも凸ってたし、
パルマーも凸ったし。
みんな凸ってったみたいな。
一番偉い人に会えば話が早いっていうのが現体験としてある。
ボトムアップだとすごい時間がかかるからトップダウンで攻めるみたいな。
いしたにまさき
それで言うと僕は実は逆で、
僕は割と凸られる人なんですよ。
中村優子
一番いい立場よね。
いしたにまさき
いやーどうなんすか。
例えば僕、カバンもそうで、
僕はカバン作る気全くなかったんですよ。
で、一緒にやってる南さんという社長が本当にある日いきなり、
いしたにさんそろそろなんか作りませんって。
は?みたいな。
中村優子
確かに。
いしたにまさき
は?みたいな。
でもなんか作らせてくれるって言うんだったら、
南さんとかもともと薄い財布とかで成功してる会社さんなので。
そうそう。だから、なんか作れって言うんだったら、
じゃあなんか作ります?みたいな。
カバンの持ち方
いしたにまさき
で、いろいろ、要は財布は南さんがやってるから、
僕は作ってもしょうがないじゃないですか。
あと手帳とか僕興味ないんで。
手帳とかって僕字汚いから全部電子なので、
いらないじゃないですか。
で、あと当たり前だけどいきなりデジカメとか作れないわけですよ。
ロットの問題があるんで。
そうすると、でも捕らぬ狸の皮算用はしたいから、
売れたらスケールアップしたいじゃないですか。
そうすると、もう選択肢って実は洋服かカバンぐらいしかないんですよ。
要するに型がいらないもの。
当時も立派なおじさんだったので、
おじさんが発案者である時点で、もうアパレルはないんですよ。
で、あとアパレルはとにかく何がまずいって、
サイズがあるんで在庫リスクが非常に高い。
Ryota Matsuzaki
そうですね。サイズも色もあるしね。
いしたにまさき
そうそう。ってことも考えると、
とりあえず1種類出せば、とりあえず何か出したって形になるカバンはちょうどよかったわけですよ。
全部切り捨てって、最後カバンがポンって残ったから、
あー、カバンならいいかなって思って、
最初にカメラバッグを僕が最も失敗してた、
買ってはもう使えない、買っては使えないってこんなものをって買って捨ててたカメラバッグが一番不満が高かったので、
最初にカメラバッグを作ったっていう感じです。
Goroman
ああ、そういう経緯だったんですか。
いしたにまさき
そうなんです。だから僕は全然カバンを作りたいって一回も言ったことない。
中村優子
でも、できちゃうんですね。今までにないプロダクトは。
いしたにまさき
ただこれが面白かったのが、僕はそんなつもりなかったんですって実際話の流れはそうなんですよ。
でもある日家の中を掃除してみたんですよ。
カバン50個ぐらい出てきたんですよ。
Ryota Matsuzaki
わかる気がしますね。
中村優子
潜在的に興味はあったっていうか。
いしたにまさき
俺カバン結構好きだったのって初めて気づく、、、
中村優子
ありそう。
いしたにまさき
そのとき、フェイスブックだったかなにみんなに、特に男。
カバンって何個ぐらい持ってます?って言うと、みんないいとこ5、6個ぐらいなんですよ。多い人でも。
あれ、俺桁が違うと思って。
中村優子
私でもそんな持ってないもん。
Ryota Matsuzaki
毎回1年に1回持ってるカバン全部バザーに出す(笑)
いしたにまさき
そう、そういう感じになりますよね。
中村優子
そんなに?松崎さん?
Ryota Matsuzaki
先日もスタッフ向けにバザーに出しましたんで、20個ぐらいあったかもしれない。
中村優子
なにその共通点。GOROmanさんは?
Ryota Matsuzaki
どうしても気になっちゃうから。
Goroman
持たない。というか奥さんがいつも買ってくれたやつ。
だからいわゆるADHD的なやつなんで、荷物を他のにすると全部忘れてっちゃうんですよ。
なので一つのリュックに全て入れて常に持ち歩くスタンス。
この前誕生日プレゼントでうちの奥さんがめちゃくちゃ入るリュックを買ってくれて、
古いのはメルカリに出されてましたけど。
そんな感じで。だから1個しかないですね。
中村優子
1個にしまいなよってね。
Goroman
ドナドナされていって。
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