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#049 時代を超えて、世界へ響く歌声 前編
2026-08-10 1:00:55

#049 時代を超えて、世界へ響く歌声 前編

今回のゲストは、アニソン界を代表するレジェンド・影山ヒロノブさん。


LAZYとしてデビューするまでの意外な経緯や、当時の音楽シーン、バンド活動を経て迎えた転機について振り返ります。


さらに、『ドラゴンボールZ』の主題歌『CHA-LA HEAD-CHA-LA』や、『聖闘士星矢』の『ソルジャードリーム』など、今なお愛され続ける名曲にまつわるエピソードも。


そして舞台は日本から世界へ。

海外で初めてアニソンを歌った時のことや、世界各地で感じた日本のアニソン人気など、長年にわたり音楽の第一線を走り続けてきた影山さんだからこそ語れるエピソードをたっぷりと伺いました。


LAZYからアニソン、そして世界へ。

影山ヒロノブさんの音楽人生を辿る前編🎙️


ぜひお聴きください🎧

~ クラスメートはタッカンさん

~ じゃあ、歌ってみる?

~ かまやつさんが楽屋へ!?

~ 思い出作りの東京行き

~ 当時の音楽シーン

~ 全くブレない!?

~ 毎年150本ライブ!?そして...

~ 運良く解散!?

~ 主題歌が決まった時

~ ぶっ飛んだアレンジ

~ CHA-LA HEAD-CHA-LAの反響

~ コロちゃんパック

~ ブラジルの空港にて

~ ドンちゃんの愛

~ 初めて海外でアニソンを歌った国

~ グラナダのライブ打ち上げ後に...

~ 世界でのアニソン人気

~ 影山さんに似てる奴がいる!?

感想

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00:21
おだしょー はいはい、やってまいりました。
おだしょー ドンチャン、緊張しすぎでしょ。 ドンチャン 緊張しすぎですよ、これ。
ドンチャン 心臓が上に上がっているのよ。
おだしょー ということで、ドンチャンのすごい憧れている、全てといってもいいドンチャンのゲストに来ていただいています。
おだしょー 影山博信さんです。 影山 よろしくお願いします。
おだしょー どうもどうも。 ありがとうございます。
おだしょー ありがとうございます。 いやぁ、ドンチャン、前回のドッキリやって、そこで終わって、このゲスト会になっていると思うんで。
おだしょー よろしくお願いします。 影山さんの紹介をまず。
影山 誕生日来ましたね、これは。これを読むわけですね、俺が。
おだしょー そうです。お願いします。
おだしょー 今回のゲストは、日本を代表するシンガー、影山博信さん。
ロックバンドレイジーのボーカルとしてデビュー後、ドラゴンボールZのチャラヘッチャラや、セイントセイヤーのソルジャードリームなど、世代を超えて愛される数々の名曲を歌唱。
さらにジャンププロジェクトのリーダーとして、世界中のステージで日本のアニソン文化を届け続けています。
今回は来年デビュー50周年という節目を迎える影山さんに、ロックからアニメソングへと歩んできた奇跡、世界で活躍する現在、そして半世紀にわたり歌い続ける理由まで、じっくりとお話を伺います。
おだしょー 勢いがすごいな。
今日のテンションすごいですよね。
どうしていくかわかんないですから。
ドンちゃんの。
いやいや、ずっと笑ってます。
最近、久しぶりに会ってなかったんです。
どのくらいぶりなんですか、2人は。
たまに、俺ライブやるとき、クリスマスとかに、前日くらいにメッセージが来て、入れてもらえないですか?って来るんですよ。
なるほど。
じゃあマネージャーに聞いてみるよ、つって来るけど、その時なぜか会わないんで、会うのはめちゃくちゃ久しぶりだよね。
そうです。挨拶すぐらいは行くんですけど、忙しい中じゃないですか、バタバタ。ちゃんと話してなかったです。
それこそ、二子玉川でライブ見に行ったら、上半身裸でベース弾いてたぐらい。
奈々ちゃん。
うちの娘がね。
ライブを一緒にやった時に、見に来ていただいて、その時はもう瞑想期に入ってたんで、ほぼ裸の衣装でベース弾いてました。
なるほど。
そうなんです。だからちゃんと話しなくて、それこそ、いろいろお世話になってたあたりから、ちゃんと俺も何か一個行かないとダメだなと思って。
03:10
なるほど。話せないなと。
ちゃんとした仕事を。
じゃあ一生無理だよね。
結構あれだよな。パンツの歌とか。
パンパカパンツとかね。
千葉ロッテの。
千葉ロッテマリンズとか。
あの時とかもね。千葉ロッテマリンズのスタジアムで歌った時があって。
歌った後にニコニコ長会議でジャムプロジェクトがやってた時があって、隣だったじゃないですか。
俺歌ってから挨拶させてもらいに行こうと思って、自分がスタジアムで歌った後に香山さんに挨拶行くぞってやった時があって。
そんな時があった時がありました。ニコニコ長会議の時に。
そうなんだ。
そういうことだよ。
俺は一回、どんちゃんと一緒にジャンプロジェクトのライブに、ヨカマリーナだったよね。
モンスター。
ジャンモンだった時ですね。
後に一回挨拶だけはさせてもらったんですけど。
そうなんですよ。人生をかけて憧れ続けてる人ですから。
知ってる。だからサプライズだよ。
久しぶりです。
香山さんの色々聞いていきたいなと思うんですけど、香山さんって最初音楽ってどういう感じで好きになったっていうか。
小学校の時のクラスメイトに今のラウドニスのギターの高崎がいて、めちゃめちゃ仲良かったんですよ。
同級生だったんですか。
同級生で普通に音楽、2人とも結構背が低くて、高崎が前から2番目で俺が前から3番目だったんです。
なのでそれで結構気が合ったので仲良くしてたら、小学校6年の時に結構年上の兄貴と姉貴がいるんですよ。
2人ともめっちゃロック好きだったんで、その影響で最初フォークギターをやり始めたんですよ。
仲良い俺ともう1人、伊賀っていうやつがいて。
タッカンがやるんだったら俺たちもやりたいよーみたいになってフォークソングをやり始めたのが最初です。
そうなんですね。てかその2人が同級生って凄すぎる。
伝説ですからこれ。
すごいですね。
それで最初から歌ってたってことなんですか?
最初はね、なんか簡単なコードを覚えて、明星とか平凡の歌本見ながら、簡単なオープンコードを書き慣らすぐらい。
で自分これ歌だなーっていうのはいつあれだったんですか?
小学6年生の時のお楽しみ会みたいなとこで、ちょっと何曲か一緒にやったような気がしますね。
多分曲は吉田卓郎とかだったんじゃないかな。
06:03
その時に結構歌だな俺はってなってたんですか?
全然。
どこでバッて歌やろうみたいな。
小学校と中学、メンツ変わんないじゃないですか。
変わんないですね。
で中学に入って、だんだんフォークギターからエレキとかに分かれていって、ベースやるやつドラムやるやつとか出てきて、
俺ギターのまんまだったんですよ。高崎と2人で。高崎がリードギターで俺がなんか。
セカンドギター的な。
やってて、それで中学中その感じで、洋楽のコピーとか、日本のバンドだとキャロルとかチューリップのカバーやってた。
で高校に入って、もうちょっとハードロックやろうぜってなった時に、それまでのボーカリストより俺の方がちょっと声が高かったんですよ。キーが。
で当時レインボーとかのカバーやるとなると、ディーパープルも第3期のカバーやるとなると、ちょっと前のボーカルのやつだと上が出なかったんですよ。
でなんか俺が歌ってみたら出ちゃって。じゃあ影山が歌うかみたいな。
でも最初そういうあれなんですね。
そんな感じです。
そんな感じから伝説の神官になっていくってすごいよ。そいつが声出なくてよかった。
確かに。
出ちゃってたらずっとギターやってたかもしれない。ずっとサイドギターやってた。
なるほど。でも高崎さんもその頃からギターかなり上手かったんです。
めちゃめちゃ上手かった。
その頃から言うこともどっか変だった。
だからタッカンガーって弾くじゃないですか。リハとかで。
カッコええわタッカン今のアドリブカッコええわ。もう一回やったよって言ったら、
アホー最高のアドリブは人生に一回しかできへんのかよ。とか言うようなやつだったんです。
なるほど。
初っ端から。
そうなんですね。どっちはもちろんご存知だよね。今のエピソードも。
こういうのは後から聞くけど本当だったんだというか。
なるほどね。雑誌で知ってるみたいなね。
そっからプロを目指そうってなったのはどっからのきっかけとかあったんですか。
それこそ高校1年でそのメンバーになって、
大阪でその当時アマチュア界でハローヤングポップスっていう番組があったんですよ。
鎌田さんが司会やってて。
週に一回オーディションで勝ち残ったアマチュアバンドもテレビで一曲やれるっていう。
09:06
それに出たいねって受けたんだけど落ちたんですよ。
落ちたんですね。なるほど。
でもその時に高崎くんの進んで行った高校の県音楽部の先輩のドラムの樋口宗隆が見に来てたんですよオーディション。
落ちてしょんぼりしてたら樋口さんが
お前らなメンバー変えてやったら絶対いけるぞって。
ドラムは俺がやるって。
なるほど。
それで女の子のキーボードがいたんですよ。
樋口さんがキーボードもなぁやっぱりデビューするんやったら男の方がええわって言って
今度は俺が進んで行った高校の県音楽部で友達になってたポッキー井上俊二を誘ったんです。
それで同じオーディション次受けたんですよ。
そしたら通ったんです。
テレビで収録やったら釜井さんが楽屋訪ねてきて
君ら東京来てプロになる気はないかって言ってくれたのが
1977年の2月ぐらいだったんですよ。
なるほど。まさに進路があれなってくる。
2月に言われて4月にみんなで引っ越しました。大阪から。
それで7月にデビューしました。
そうなんすか!すご!スーパーエリートな。やっぱりエピソードが。
すごいっすね。その時に迷いとかそういうあれはなかったんですか?
ありましたね。俺とかキーボードの井上俊二、ベースの田中裕之の3人はわりとのんびりしてる方だし
まさか自分がプロのミュージシャンになるとか思ってなかったんで
本当に東京行くの?ぐらいな感じだったんですけど
高崎と樋口さんがもう暴走列車みたいに火がついちゃって
お前ら黙ってついてこいよ!みたいな
樋口高崎列車に乗せられた一般人みたいな。
そうなんすね!
そのままもう人生がどんどん進んでいきましたね。
そうなんすね!イメージだと影山さんも一緒に行くぞ!みたいになってんのかなと思ってました。
そういうわけじゃなかった?最初は。
それ心配だったっすね。最初は。
結構親も大反対したんですけどね。
それこそ釜矢さんとか東京のレコード会社のスタッフの人とかが大阪まで説得に来てくれて
12:01
なるほど。確実に将来有望だからそこまで説得するっていう感じなんすね。
昔の昭和の聞く話ですよね。
すごいそれは。
ちょうどね、だから日本でベイシティ・ローラーズっていうイギリスのバンドがむちゃくちゃ人気だったんですよ。
しかも初めて若いティーネイジャーの女の子たちに
そんなのビートルズ以来じゃないですか。
ビートルズからベイシティ・ローラーズまで簡単に期間は
あったと思うんですけど
そんな社会現象になるような海外の若いロックバンドはいなかったんですよ。
なのでレコード会社がみんな
日本でこういう動きが出ればいいのにねって言ってた時に
釜矢さんが見つけたと。
なるほど。
そういうことなんですね。
いやすごいね。
どんちゃん何も喋ってないけど。
VHSのインタビューで見てたやつだと思いながら。
どういう視点だよ。
一人だけ視点変わっちゃってんじゃん。
決戦の時の。
浜松で。
うなぎ食いながら。
そうなんですよ。しょっちゅううなぎ食いますから。
ふざけんなよ。
いい暮らししてやがんだよ。
本当だよどんちゃん。
ふざけんなよ。
あと3日後で聞きながらダンボールから出してくれてますよ。
すごいですね。そんなデビューは際なんですよ。
でもプロになるからって
音楽だけで生きていこうってもうすでに思ってたのか
それともやりながら
もう俺はもう音楽だけなのか
どういう最初気持ちだったんですか。
それこそさっきの話と重なるんですけど
もう絶対この世界でプロになって
そのまま一生プロでい続けようと思ってたのは
ぶっちゃけ樋口さんと高崎だけだと思います。
今の流れの話だと最初そうですよね。
残りの3人はどこかっていうとちょっと思い出作りの東京行きみたいな。
あと若さもありますしね。
まだ16だったんで仕事とかっていう感覚じゃなかったですよね。
その年齢若いもんねだいぶ。
4月7日、16の春。
え?
4月7日です。
その日付は何なんだい?
それなに?
143…
あれ?
どうしたどうした?
歌詞なんだよ!
歌詞なんだよ!
歌詞の中にそれがあるから
4月7日?
って言ってなかったっけ?
そんなのあったっけ?
あれ?
4月7日、16の春。夢の一歩踏み出したのです。
なんだっけそれ?
31,31…
ご本人が忘れちゃったじゃん。
7日までは出てこないだろそれ。
15:01
そうでしたっけ?
あれ?
どうでしたっけ?
ご本人が忘れてる可能性を。
31,31その歌詞?
そうです。
だった気がすんな。
だってなってるよ。
後で確認します。
余計なこと言っちゃうかもしれない。
うちのマネージャーが知りたい。
余計なこと言っちゃうかもしれない。
状況記念日は4月16日なんですよ。
そうなんですね。
デビューが7月24日。
半ばだよ。
ドンちゃんがミスりました。
ファンなのに。
半ば。
似てるな。
半ばとなのか。
ちょっと記憶が。
韻踏んじゃった。
ラッパーなんで。
すみません。
カットしてもいいんだよ。
カットしてほしいんだよ。
恥ずかしい。
そんなもんな。
機械音程を後で直すシンガーみたいなもんだぞ。
確かにそうっすね。
俺も絶対直さない。
絶対直さない。
ドンちゃん直さないよね。
直さない。
デビューするじゃないですか。
音楽シーンその時どんなあれだったんですか。
自分たちだけ浮いてんなみたいな感じだったんですか。
ぼちぼちそういうちょっとロック系の人たちも出始めてた。
俺たちがデビューした時すでにいたのは
チャー。
俺たちのすぐ後。
翌年ぐらいに
サザンオルサーズ。
セナマサノリとツイスト。
あと原田真嗣とかその辺り。
結構黄金期が始まるんすねちょうど。
でもなんか俺たちってめちゃめちゃアイドル的な立ち位置だったんで。
やっぱりチャーとか
セナマサノリとかサザンもそうですけど
もうちょっと本物っぽい立ち位置だったんですよ。
だからそれもやっぱり
俺たち16だったんで
ちょっとまだ曲作りのクオリティとかも低かったんで
そこまでは行かなかったんだけど
ちょっと横目で
あっちの方がいいなと思ってましたね。
やっぱり当時の音楽業界っていうかレコード会社とかって結構そういうの強いんですか。
こういう風にやれとか髪型こうだとか。
俺たちもちょうどクイーンとかすごい好きだったんですよ初期に。
だからもう大阪行ってた
大阪は公立の学校だったんで髪も伸ばしてたし
あとなんかベルボトムのやつにロンドンブーツとか
ジーンズにロンドンブーツとか。
そんなやつだったんですよ。
でレコード会社はもう絶対ダメだこれはって
そんなお前、サイケロックみたいな
ダメに決まってんだろって
18:01
髪切られてロンドンブーツ禁止になりました。
やっぱ当時のレコード会社そんな感じなんですね。
なるほど。
確かにそれだったら多分売れてなかったと思う。
それはそれ正解じゃないかと。なるほど。
ちゃんと大人の言うことを聞いて。
イメージだと最初の初期の頃ってちょっとアイドルっぽい感じのリアルあるじゃないですか。
そっか高崎さんのロックな感じとか影山さんもそういう感じどんどんなっていくじゃないですか。
どこでどういう風に変換していくのかなっていうのは。
それもやっぱり樋口高崎先行型なんですけど
あいつらは本当に小さいことから会社と対立を繰り返して戦い続けましたね。
なるほど。
ロックとは。
今から振り返ればあの二人がいなかったらレイジも最後宇宙戦地9号っていうアルバム出したんですけど
あの二人がいなかったら出せなかったと思う。
そうなんですね。
あいつらも子供なんですよ。タッカンなんか俺より4日若いんで。
4日違いなんですね。
そうなんですよ。僕2月18日であいつ2月22日なんですよ。
なるほど。
だからあいつらってやっぱり俺他のメンバーとかよりもずっとやっぱりハードロックが好きだったんですよね。
だって今見たってもう分かるじゃないですか。
分かります分かります。
ブレがないにも。
ブレなさすぎます。
普通さちょっとぐらい大人になったらちょっとぐらい静かな音楽聴きたいなとかって思っちゃう。酒飲んだりしたら。
タカサキないっすよ。
確かに。もうイメージ通りですよね。全く変わらないですもんね。
今も聞いてますか?そういうヘビーなやつを。どうですかね。
やっぱり好きなんじゃないかな。
よく関西なんかで飲んだ時、俺なんか普通に飲みに行くのどこでもいいやとかって思うんだけど、タッカンは6番行こうや。
6番は疲れるなみたいな。
すごいブレなさっすね。
もう年に1,2回沖縄とかでタカサキアキラwithフレンズっていうので、
ジョージ紫さんとかがやってる小座のライブハウスでセッションを2日間ぐらいやるイベントで誘ってもらっていくんですけど、
未だにディープアップルとかもやるんですよ。
それが楽しいんですけどね。
なるほど。
でもタッカン相変わらずすごいなと思いますね。ステージの上であいつが弾いてるの見てると、
マジ変わんねえわこいつって思いますよ。
そうなんすね。
オーラっていうか圧もすごいし、あとはやっぱり実力も本当にいい音って、
21:03
タカサキの音って本当にまじれっけなしのハードロックギターのいい音なんだろうなと思いますね。
ブレなさが操作してるんですよね。
なるほど。レジをやって自分の中で変化とかってあったんですか?
いろんな音楽を、やっぱりタッカンとかも一生懸命やってるんで、他のメンバーもいろんなもん聴くじゃないですか。
どんよくにメンバー全員いろんなその当時の洋楽、
例えばタカサキたちはやっぱりバンヘレンとかギターメインのハードロックのやつをどんどん聴き漁ってたんですよね。
でもキーボードの井上くんとかベースのヒロイキなんかはトトとかジャーニーとか、
もうちょっとキーボードが痛いしてガチガチのメタルじゃないのとかも聴き始めて、僕もどっちかというとそういう方を聴き始めましたね。
そうなんですね、なるほど。
だからレジを最後20歳の時に解散するってなった時は、やっぱりタッカンとヒグチさんはその後やったラウドネスが本当に自分たちのやりたいこともろだったと思いますよね。
なるほど。
僕とか、あとネバーランドに進んだ井上田中組も、もうちょっとAOR入ってるようなことの方がやりたかった組っていう感じですね。
なるほど、もうスタートのその感じから変わらずそういう感じにいろんなもの吸収しながら進んでいったって感じなんですね。
あとやっぱり俺も、まあ声はキーは高めなんですけど、メタルまでのキーじゃないんですよ。
なるほど、なるほど。
ちょっと辛いわっていう。こんなことやってたら死ぬわみたいなのもあったんで。
確かに、そうなんですね。
もともとちょっとハスキーだったりもするので、その後に世界的に来るメタルムーブメントの頃とかは全然聴かなかったですね。
ジューダス・プリストとかアイアンメンテとかその辺はあんまりよく。
そうなんですね。
言い過ぎるのはちょっと。
もともと自分の中の三大ボーカリストみたいなのがいて、ロッド・シュワートとデイビッド・カバーデイルとポール・ロジャースだったんですよ。
甘い系だ。
そこまで影響を受けたら全部聴いてますから。そういう聴き方します。甘い系。
そっちなんですね。
だからもうちょっと、ブロスまで行かないんだけど、ちょっとソウルフルなロックシンガーが好きだったんです。
そうなんですね。俺はもう普段全然聴いてるのかと思ってました。
24:01
すごかったでしょ、あの頃の。
あの頃のベビーメタルが。
すごい聴いてるのかとイメージしてました。違うんですね。
なるほど。そこからアニソンとか行く方向ってどういう天気だったんですか?
僕20歳の時にソロになったんですけど、そこから一番苦しい頃が4年くらい続くんですけど、
その間出会ったプロダクションの社長とかと、
もう一回一からやり直せお前はって。曲もそんなに書けないしみたいなことで、
じゃとにかくライブやりますみたいな。
で、毎年150本くらい。
そんなにやってたんですか?
4年くらい続けたんです。22、23、24、25あたりまで。
そうしてるうちに、日本コロンビアの木村デルクターっていう人から、
1985年のスーパー戦隊の電撃戦隊チェンジ版っていうのを作るんだけど、
オタ君に所属してる影山君に頼みたいんだけどって電話をもらったんですよ。
なるほど。
で、社長がどうする影山?
最初抵抗あったんですか?
全然なく。もうやりたい。社長よかったねって。
そうなんですね。
コロンビアの方が気を使ってくれて、やっぱり子供向けじゃないですか。
普段影山君がやってる世界観とぶつかったりするんだったら、
うちの方は声さえあればいいんで。って言って影っていう名前を変えて。
そっちの機能あるじゃないですか。
そういう。
俺最初に、ちなみに子供の時に最初に戦隊モノの歌好きになったのはチェンジ版なんですよ。
チェンジ版で目覚めるんですよ。
電撃戦隊チェンジ版ね。
正解です。
ですよね。まさに。
シャッフルの曲がテーマ曲になるなんてね。
あの頃、知らなかったけどシャッフルとか。
なんかわかんないけどワクワクする。
跳ねてるね。
跳ねてる。
そうなんですね。
チェンジ版の時にマネージャーさん、吉岡さんいたじゃないですか。
俺の?その頃は違うけどね。
その頃に最初のレコーディングでめちゃめちゃ苦労された。
そうなんですか?
COを俺聞いて。
いやもうね、その当時のコロンビアのアニメセクションって言わないんですよ。
もうめちゃくちゃ昭和で。
コロンビア学芸部って言ったんですよ。
学芸部の。だからアニソンも作るけど、童謡とか民謡とか。
27:05
子供のそういう向けのやつの。
子供だけじゃない。なんとか音頭。
そういうのを全部ひっくるめてやってる。
そういう部署だったんですか。
ディレクターなんで。
特に木村さんっていうのはもうずっと戦隊シリーズとかやってて。
王道の子供の元気のある人を作らせたら右に出る者はいないみたいな。
なるほど。
もうあのめちゃめちゃ張り切ってレコーディング行ったら全然ダメだなって。
もうそんなね。安澤英ちゃんじゃないけど。
そんなこううるれーみたいに歌われても子供たちには伝わんないんだよーって言われて。
めっちゃもう一日中やり直しさせられて。
最後もう全然ダメだな。
あの歌わなくていいからちょっとそのマイクの前でC読んでみてって言われて。
もう泣きそうになりながらハートに火がつくぜ。燃え上がるぜとか言って。
そうしたらそれでもダメだな。
じゃあちょっと家帰って頭冷やしてこいって言われて。
次の日またやったんですよ。
すごい時代。
でやっと撮れて。
それをその吉岡さんに聞いて。
僕初めてのそういうキングレコードで一回レコーディングしたことがあって。
影山さんに頼めない曲を僕が歌うっていうのがあったんですよ。
下ネタすぎて。
吉岡さんがこれちょっと影山に歌わせられないんでドンちゃん歌ってみたいな。
似た声でやってほしいみたいなパロディーソングだったんですけど。
すごいな。
それで僕がキングレコード行って初めてそういうちゃんとしたとこで歌った時に。
僕もそのロックでやってきてライブハウスでしかやってきてなかったんで。
そのレコーディングの歌い方っていうのができてなくて。
でまさにそういうことが起きまして。
吉岡さんにめちゃくちゃ同じこと言われました。
ほんと?
なんだお前今のって言われて。
でびっくりして。
でもなんとか収まったんですけど。
パロディーソングだったんで。
なんとか収まったんですけど。
下ネタだしね。
その後もうすぐ泣きそうになりながら。
怒られたんだ。
怒られて。
そっから全部見つめ直しました。
でもあれですね。
当時その1日やってダメだったら次の日って予算もあったんですね。
あのね予算というかね。
コロンビアとかってスタジオとかも会社の中にあった。
でもねすっごい最初の頃そのコロンビアのディレクターの人たちと
例えば飲んだりした時にどのくらいでレコーディングするんですかって。
いやアニソンは予算ないから1曲40分で撮れれば嬉しいなって。
40分って。
30:01
当時とかって今って結構すごい市民権得てるじゃないですかアニソンショーの話を。
でも当時だってなんかありそうですよねちょっとやっぱり。
でやっぱりあのまだ多分アニソンってねロックとかが俺が走りぐらいだったんですよ。
やっぱりもうちょっとなんていうかそれこそ水木さんとか佐々木さんとかその後の人たちもどっちかっていうと本当に
なんかこうスタンダードを歌う歌手。
そういう人がアニメも歌ってますみたいな感じが多かったんじゃないかなと思いますね。
だからサウンドとかもやっぱり同じロボットモンでもやっぱり兄貴が歌ってたマジンガーZって
やっぱり普通にホーンセクションとかバリバリ入っててっていうねビッグバンドの感じなんで
やっぱり全然こうなんかね違うかったと思いますよ。
ですよね。当時のアニソンとか作ってる作曲家の人たちも調べると結構芸大とかの作曲家出てくる人も多いですよね。
なんか有名な作曲家がそのままやってる人も多かったです。
アレンジとか結構すごいなって聞いてるとびっくりするじゃないですか。
なるほど。
そっからドラゴンボールにチャラチャラいく流れってどういう風にあれなんですか?
やっぱりコロンビアの中なんですけど担当が3人くらいいて
例えば木村ディレクターのところでジェンジマン歌いましたって。
ああなんか勢いあるね。じゃあこっちでも使おうかな。こっちでも。僕もじゃあ使おうかなっていう中で
ドラゴンボールがあってその翌年にサジタリウスっていうアニメがあったんですよ。
でそれも割とエンディングの夢高年っていう歌とか
割と業界の中であれいいねとかっていう割と好評家なんですよ。
そういう流れの中でセントセイヤーが来て
その翌年ぐらいにドラゴンボールが。
セントセイヤーの方が先でしたっけ?
セントセイヤーの方が先で最初はメイクアップがやって
僕が歌って大成功してたんですよ。
で多分ディレクターはシーズン2もメイクアップでやりたいと思ってたと思うんですけど
運良く解散しちゃったんですよ。
運良くですね。
短かったですもんね。メイクアップとかね。
確かに。あれ以降何も聞かないですもんね。
解散しちゃったんでね。
でディレクターが
そうかじゃあいないならしょうがないから
香山くん歌ってくんね。
そこで。
なるほど。じゃあチェンジマンから結構どんどん話題を呼んで
いいねいいねみたいな感じでどんどん進んでいくっていう
33:02
スター街道マッシュグラスでもその4年間だけですね。
数多かったですよ。レコーディングの数がめちゃめちゃ多かった。
そうなんですね。
じゃあもう意外にドラゴンボール行くまでに結構な数の曲をやってたって感じですかね。
やってましたね。
そうなんですね。
他にもいくつかのアニメと
すっごい。
ボックスセットで持ってます。
そうなんですね。
だからドラゴンボールもその中で
そういう流れの中で
とあるディレクターから
次からドラゴンボールがZっていうシリーズに入るんだけど
香山くん頼むよみたいな。
あ、まじっすか。
あざーす。
頑張ります。
ドラゴンボールだからやったーみたいな感じやっぱありましたか当時から。
俺ね。
あんま分かってなかった。
めちゃめちゃジャンプ読んでる人だったんですよ。
だからセントセイヤもドラゴンボールもめちゃめちゃ毎週楽しみにしてたんで。
わー嬉しいなーって。
それ嬉しいっすよね。そうっすよね。
初回なんか自分の歌が流れる初回とか
めっちゃ本当にテレビの前で正座して見てました。
そうなんですね。
じゃあ結構そのやったやつのテレビで流れる時に
第1回はかなりこう待ってみる感じですね。
そうっすか。
影山さんでもそうなんだ。
もういいやってなってるかなって。
もういっぱいやってるし。
作品への思い入れとか
結構そのどうなのかなと思ってて。
数もやってるし
自分の好きな、僕とかだともう貴重なんで
作品の主題歌とかそうなると
めちゃくちゃもう
自分の声が一緒になって流れてくる時とかに
感動しちゃうんですけど
あんのかなって。
いやいやあるある。
あるし
あのZのチャラヘチャラ初めてテレビで見た時
我ながら感動しました。
こんなにアニメと
チャラヘチャラって。
あーなるほど。
うわーすご!みたいな。
ちなみにレコーディングはどうだったんですか?
あのチャラヘチャラに関しては。
苦労したんですか?してないんですか?
うーんとね
すんなりはいったと思います。
そうなんですね。
あのーなんかね
えーっと
あの作詞が出る前も
ちょっとデモ作りとか
でも仮歌とか歌ってたんですよ。
あーじゃあもう結構準備の段階から一緒にやってたんですね。
なるほど。
まずあのー
えーとアレンジに
だからえーっと
ドラゴンボールZで本番レコーディングした時に
すごいなと思ったのは
あの山本賢治さんのアレンジと
あと森行雄さんの作詞ですよ。
曲だけの時の
100倍ぶっ飛びました。
どっちも。
なるほど!
アレンジはこんな風にロックってできるんだなと思った。
36:03
最初のバージョンってどんな感じだったんですか?
普通にあのー
もうちょっとデモの段階は
普通のなんかヴォンジョビとかみたいな
8ビートのロックだったんですよね。
そうなんすね!
だからギターもガンガンガンガンガンガンガンガン
それを超聞きたい。
確かに。
それ超聞いてみたいですね。
元の。
だから普通にベースも
ガンガンガンガンガンって
普通にまあ8ビートのロック
アメリカンロックみたいな。それがあの山本賢治さんのアレンジのチャラヘッチャラって
ベースがちょっとファンキーなんですよ。
ちょっとこう、躍動感も違うし、バフバフ言ってます。
ギターも、ギターはずっとそういうのをやらないんですよ。
ですよね。あとカッティングとか。
なんかすっごい変わってるんですよ。
空間がありますね。
なんでこんなにぶっ飛んでるんだ。と思って、シワもぶっ飛び。
でもやけに歌っていると気持ちいいなと思いました。
じゃあフィット感が最初からも結構高かったんですかね。
最初、地面だけ見た時、なんかふざけ作かなって。
コミカル系かなっていう。
でもレコーディングの時、ちゃんと歌うと、
なんだろうこの何とも言えない突き抜けてる感じはっていうか。
あれがマジックなんです。
あれってもう最初からフル版でレコーディングしてるんですか?
それともテレビサイズで撮って、後でその時にフルにしてるんですか?
フルです。
フルから撮ってるんですね。
大抵アニソンってフルで撮って、それを編集で90秒にするパターンが多いと思います。
生で聞けてよかった。情報で知ってるけど。
全部知ってるけど。
そのドラゴンマンへちゃらへちゃらやって、その反響どうでしたか?
もう最初から結構みんなからすごいいいねって。
凄かったですか?
セイントセイヤーとかセイントセイヤーやった時にね。
当時毎月のように渋谷のエッグマンでライブやってたんですよ。
それまではレイジーファンの流れの女の子たちが9割。
100%女性ファンだったんです。
それがセイントセイヤー歌った頃からすごい前揺れを頑張って撮ってくれた男の子がすごく来てくれるようにどんどん増えていって。
ドラゴンボールの時はそのライブというよりもやっぱりなんか急に
全国のいろんなところから呼ばれたり。
そのままそれが2000年ぐらい近づいてくると海外からのファンにもつながっていった感じはあります。
39:08
あの曲をこの世で何回聴いてるんだって話。
そうなんですよね。
凄いですよね。
DNAレベルで。
みんな影山さんの歌を。
もう体中にDNAとして吸い込まれてるよね。
染み込んでる。
凄いっすよね。
国家の次ぐらいですもんね。
確かに。国家の次ぐらい凄くないですか?
本当に。それはあり得るぐらいの曲だよね。
海外の人も知ってるしね。
でももう今ずっと歌ってるじゃないですか。
この歌っている中でシンガーじゃないのも全然わかんないですけど、変化あるんですか?曲に対するこの変化。
だからね、一時つまんない頃もやっぱり。
どこ行ってもジャラジャラみたいな。
でも一回りして、やっぱり自分がフレッシュな気持ちで歌わないといいことは何一つないし、自分も楽しくないと思うようになってから、
やっぱり一番大切なのはどれだけ自分をフレッシュにさせるかっていうこと。
ジャラジャラのイントロとかは、
ドッパーンの瞬間フレッシュになってくる。
そうなんですね。
毎回フレッシュになってくる。
だってあの曲を今、何十年と凄い回数ですもんね。
凄いな。
ドッパーンで。
聴いてる方も多分一緒です。
どこで聴いても僕は鳥肌立つし、
CDとかで聴いた時、コロチャンパックで聴いて。
何コロチャンパックって?
知らないんですか?
コロンビアにしかない売り物なんですけど、
塗り絵とカセットテープが付いたパックなんですよ。
あれ?これベキベキってめくられる?
ありましたね、昔。
売ってるところはおもちゃ屋か文房具屋かガソリンスタンド。
俺子供の頃以来知ってない。
最初に思い出したよコロチャンパック。
あれで七子玉、チェンジマン、チャネチャマン聴いて、
あれでチェンジマンも聴いた俺も。
その瞬間で鳥肌立つわけじゃないですか。
これテレビの方がカセットで聴けるみたいな。
なるほど。
ライブで聴いて鳥肌立って、
こうやって知り合えて色々喋ってからまたライブ行ってもその都度なんですよ。
その都度鳥肌立つんですよ。
そういうね、そういうことだよ。
間違いない。
海外でYouTubeか何かで見たんですけど、
メキシコかラテン系の南米の方。
ブラジルかな?
ブラジルとかすごいじゃないですか。
あれって最初に行った時ってどうだったんですか?
影山さん的にそんなになってるだろうなって思ってなかったのか、
ある程度すごいことになってるよっていう話だったのか。
全くなってないと思って、ただ行ったんです。
42:03
盛り上がるといいなとか、お客さん来てくれるといいなとか思って。
そしたら一番最初にブラジル行った時、
串田明先輩と行ったんですよ。
で、ブラジルの空港に早朝着くんですよ。
そしたらこう、すんごい出迎えの。
早朝の段階からですか?
ファンの人がいて、最初クッシーと、
俺たちじゃねえよな、影なあれ、俺たちじゃねえよな、
ロナウジーノでもいるんじゃないか。
一緒の飛行機なんじゃないか。
ぐらい、そしたら俺たちだったんですよ。
びっくりしました。
で、ライブも普通に5000人も6000人も来てくれてて。
あの映像すっごいっすもんね。熱狂ぶりが半端ないっす。
外国人のフェスみたいな。
ちょうどYouTubeもちゃんと一般的になり始めた頃で、
すごいことが海外で起こってるっていうのが、
すごい日本で知れたみたいな感じがあったんですよ。
インターネットがすごく伸びていった頃に、
日本のアニソンも海外に行って、
多分それまでは日本で何かあっても、
しばらくしてから向こうに伝わってたのは、
もう同じリアルタイムの情報が、
世界中に拡散するようになってからは、
どこ行ってもめちゃめちゃ、
よく知ってんな。お前らよく知ってんな。っていう。
世界のアニソンの火付け役は、
確実に影山さんっすもんね。
その当時の人たちみんな、びっくりしながら言ってました。
本当ですか?
すごいっすね。なるほど。
ちょっと戻っちゃうんですけど、
セントセイヤはさっきみたいな流れで、
第2シーズンお願いしますみたいな流れでやる感じだったんですか?
そうですね。
最初にセントセイヤのソルジャードリームを歌った時、
どんな感じなんですか?
ギターが松沢で作曲だったんですよ。
メイクアップの。
一緒なんですね。なるほど。
うちに混じって、うちのバンドと松沢でレコーディングもやりました。
だから、アニソンって普通はスタジオミュージシャンがアレンジャーがいて、
でもそのメイクアップでやった感じが良かったディレクターが、
影山くんのバンドに松沢くん入れて、
全部アルバムからセントセイヤはバンド形式でレコーディングしたいって言ってくれたんです。
なるほど。
その当時、英福町のELKっていう楽器メーカー、分かります?
分かんないです。ELKっていうのなんですか?
今ちょっとあるのかないのか分かんないんだけど、
アンプとか作ってた日本のELKっていう。
45:01
グレートーンとか分かる?
グレートーン?
グレートーンも分かんない。
聞いたことある?
そういう日本のメーカーのやってたスタジオがあったんですよ。
そこでレコーディングしました。
チャラヘッチャラはちなみにどこで撮ったんですか?
チャラヘッチャラはね、大歓山のゼロスタジオっていうところで撮りました。
そうなんですね。
こういうちょっとマニアな人が喜びそうになっちゃう。聞いとかないとなと思って。
あの、アレンジャーの山本賢治さんの娘のカノンちゃんっていう子がいて、
チャラヘッチャラ歌に行った時ね、カノンちゃん幼稚園で来て天丼食ってたんですよ。
スタジオで。
今もうね、バリバリで作詞やってて、
それこそ、韓国のストレイキッズとかにも書いたりしたりっていうアーティストに育っちゃって。
これは俺はジジになるわけだわとか思います。
すごいですね。
天丼食ってたのに、そこで俺がチャーラーって歌ってて。
すごい。これマニアです。
これ知らない。
マニアでも知らないよね。
港未来スタジオで撮ってる時より前は知らないですから。
かげちゃん秘密日記読み始めてる以前は知らないです。
港未来ってことは、ランドマークタワーの中にスタジオが。
あそこよく使いましたね。ジャムとかレイジーとか。再決戦後のレイジーとかね。
あの頃から日記ずっと読んでますから。
これキモいかもしれないですけど、日記プリントアウトして通りに貼ってたんですよ。
キモいわ。
すごい。
セットリストとパワーライブのセットリスト。
セットリストも貼ってたの?
かげやまさんになりたいから。
同化したいからね。
だってどんちゃんのバンドさ、スターダストボーイズ。
スターダストボーイズ。
サリッチャリウスのね。
オープニングテーマが。
何かとスターダストボーイズ。
すごいね。どんちゃんの愛はやっぱり。
最初にアニソンを海外で歌ったのっていつなんですか?
一番最初はね、2000年より前かもね。フィリピンとか。
フィリピンなんですか。それもやっぱり盛り上がったんですか?
それはカラオケでドラゴンボールのぬいぐるみショーと一緒に行きました。
48:01
最初はそんな感じなんですね。
でも人が何千人も集まってて。
やっぱり最初から。
飢えてるんですよね。
びっくりするもんね。ドラゴンボールの人来るよって。
来るよってなるよね。
びっくりしますもんね。
一番最初はそれかな。
それで2000年くらいにスペインのバルセロナに歌いに行って。
それは体育館みたいなところでジャパン博みたいなのやったんですよ。
サドウとか。
あとはイヤイギリショー。
その中でカラオケ、アニソンのカラオケコンテストのゲストで。
それもむちゃくちゃ人がいました。
でも今でも結構ありますよね。ジャパンエキスポみたいな。
やってるよね。
そういうあれだな。
その頃は向こうから、ブラジルもそうなんだけどリクエストが事前に何々歌ってほしいって。
こんな曲知っとんかい。
やっぱりそんなマニアックなやつもオーダー食うんですよね。
ありましたね。
そうなんですね。すっごいな。
髪短かった頃ですよね。
俺?かもね。
ひもいわ。
ちょいちょいオタクみたいな。
合わせて伸ばしてるし合わせて切ってるんですから。
陰山さん切ったなと思って。俺もつんつんしようみたいな。
だったら今日陰山さんみたいな格好してこないと。
言っといてくんないと。
俺言ったからYouTubeだからさ。
言ったから少し綺麗な格好してこいって。
知ってるドンちゃんはいつもこんな感じ。
伝えたい。
それか裸ね。
そうですね。
海外で忘れられないエピソードはあるんですか?
ファンとの交流について。
別に何でもいいんですけど。
トラブルでもいいですけど。
音めちゃくちゃここ悪いなとか。
イベントで。
イベントっていうか
チリかメキシコかテレビ番組出た時に
1曲歌ってくださいって言われて
いいですよって言ったら
5人いるのにマイク2本渡されたことありますか?
無理無理無理無理。
それヤバいっすね。
せめて5本。
こんなのって。
アイマイクで撮っちゃったりして。
ファンがすっごい追っかけてきたりとか
最後までとかそういうのあるんですか?
熱狂的な人はすごそうじゃないですか海外のファンは。
でもねひどいのはそんなにないですよね。
心がたまるやつで言えば
スペインのグラナダっていうところで
前の日観光だけやってたんですよ。
向こうのオーガナイザーの人が
51:00
よく知ってる
フラメンコ酒場。洞窟でフラメンコ酒場があるんだけど
そこでアコギで歌ったりとかやってみたいって言うから
やれるんならそんなとこで歌えるんだってやってみたいって言ったら
ネットで募集かけるからやろうかって。
急に行って次の日。
そしたらもう普通に50人くらい来てくれて。
ていうか50人くらいしか入れないようなフラメンコ酒場。
そこはパンパンで。
めっちゃ楽しかった。
でもそれでもファンは絶対次にそれを聞きつけていきますよね。
その時に夜遅く
川の横にある渓谷みたいな川の横にある
ホラーなみたいなところに入った酒場だったんですよ。
歌い終わって打ち上げでもやろうかって出た時に
入った時はまだ夕方だったんで気づかなかったんだけど
目の前にアルハンブラ宮殿がある。
ライトアップされて上からのっしりかかるように見えたんですよ。
その時にもう涙が出るくらい綺麗で。
これはもう旅。
人間は旅をたくさんすればたくさんしたほど
心が豊かになれるなと思いましたね。
めちゃくちゃいい言葉聞けた。
どんちゃん旅しなきゃダメだよ。
ナポリですられそうになってる場合じゃない。
すりにめちゃくちゃあった。
ナポリ一人行ったんですけど。
あんま情報なくて行ったんで。
何しに行っとんねん。
青の洞窟行きたくて。
青の洞窟ってあれを見たくて行ったんですけど。
HISのツアーで。
青の洞窟って俺沖縄かと思ってた。
ナポリにあって。
いいね。
ツアーで行かないと危険だよっていう場所だったらしくて。
普通に行ったんだ。
オープンチケットで。
行ってみたら。
券売機で買おうとしてる時に
めちゃくちゃ親切な人が来るんですけど。
親切をした時にチップをもらいたい人たちで
ブワーって来ると。
大丈夫だから。
親切しないでって言いながら行きました。
それもっとたくさん経験しないと影山さんになれないよ。
スペイン、グラナダ行かないと。
そういう良い経験じゃなさそう。
城で涙しないと同じく。
でもそういうヤバいやつも
自分のためになるよね。
ヤバいのもね。
自分がと思うとヤダけど。
特にドンちゃんのはもうどんなになってもいいと思う。
54:00
スペインでは愛に愛を歌いました。
歌わねえよ。
マニアックな。
アルバムの中でね
愛に愛をのスペイニッシュバージョンみたいなのを入れてるから
それを知ってるから言ったんですよ。
聞いてる人なんか誰も分からないんです。
この男は。
分かると思いますよみんなは。
みんな好きですから。
ファンの人たちも多分聞いてて
歌ったのかなと思ってる可能性あると思う。
ファン目線で言うと。
やっぱあれかなって。
これからアニソンとかって
世界でどのように広がっていくなっていう感じがありますか?
広がってるなって感じはしてますか?
作品もどんどん変わっていくじゃないですか。
それもみんな世界の人たちも
日本と同じように
ヒット作とかにすごく敏感だし
フローっていうバンド友達なんですよ。
サイクリング友達なんですよ。
ギターの竹ちゃんっていうのが。
しょっちゅう
あれよりも回ってて
ナルトとかの
一番有名な曲歌ってるんですけど
すっごい
どこの国行っても
ウェルカムで受け入れられてて。
フロー好きなんで
インスタとか見てるじゃないですか。
こんなとこまで行ってるわ。
こいつらみたいな。
ロックバンドはアニソンやらないと。
アニソンやりたいんですけど。
アニソンばっかりは選んでいただかないと。
そうなんだよな。
自分でやりたいって言っても
漫画家にならないと無理だもん。
アニメから作っちゃえ。
プロデューサーになっちゃえ。
やっと自分が歌える。
自分で全部設定しちゃう。
鳥山明になれば。
それしかねえ。
明日から線を描く練習を
そっからです。
シンガーじゃなくて。
かけままさん。
ここで告知とかってありますか。
そろそろ前半の方終わらせて。
告知ですか。
いつ頃ですか。
公開ですか。
月に2本
アコースティックの
ギター、バイオリン、パーカッション
3人で
僕はギターなんですけど
その月に2本
日本全国いろんなとこ飛び回ってるんで
それはぜひ
見かけたら来てほしいなと。
次いつなんですか。
次ですか。
今月は福島と
新潟です。
いいですね。
バイオリンが友達だったんですよ。
そうなんだよ。
俺の知り合いが
かけままさんと共演してて。
ドラムの岡地も
友達だよな。
57:05
例えばゲームの
音楽だけのイベントとかで
1曲だけ歌いに行ったりした
イベントがあったんですよ。
それも
すっごい動員なんですよ。
もう1日2回回しで
2千何百人
ソウルドアウトみたいな。
そこの
来てたバンドのメンバー
めちゃめちゃみんないいミュージシャンなんですよ。
で、終わってから話したら
ドンちゃんとかと学校?
学校で一緒で
同じバンドもやってたんですよ。
全国ツアーも一緒にやったりしてた。
レコーディングも一回やってもらってるよ。
岡地?
あの辺の子たちがみんな仲間で入ってて
神倉君と
そうなんすね。
なのにドンちゃんは
俺だけいないんですよ。
歌だからね。
周りみんなすごいやつ。
俺も周りみんなすごいやつ。
俺は笑っとくわ。
最後に笑うかも。
アニメ自分で制作すんだもんな。
そりゃもうすごいよ。
1個嬉しかったのが
世紀末の
ジェイル大橋さんのツアーで
ボーカルツアーでやったことあるんですけど
それで回ってた時に
ジャムのスタッフの方が
当日のセッティング、ローディーとかついてくれて
影山さんに似てるやつがいるって写真撮って
影山さんに送ったっぽいんですよ。
なんかあったかもな。
それで
俺はその人知らないんだけど
スタッフの人が影山さんっぽいぞって言わせて送って
そしたらお前こんな写真きてるぞって言ってきて
あれはちょっと嬉しかったですね。
洋楽を歌いに行ってたんで
全然どう歌っていいかわからなくて
ファンの人たちも
どんな人が来るんだって状態だったんで
影山さんっぽく行けばインパクト残せるかなと思って
ACDCとかだったんですよ。
影山さんっぽく歌って
お前ミッションか!みたいな
ACDCで俺全然
どんなんやらーん
どんな曲も影山さんっぽいけどね。
全部やってるけどね。
でもめちゃくちゃ盛り上がったなっていうのがありました。
そういうのがありました。
そのライブは是非あれですね。
本当にいろんなとこ行ってます。
9月はどこだっけ
京都?
京都と
熊本
とか
どっちかっていうと東京以外が多いですね。
旅が
やっぱどんちゃんもやった方がいいんじゃない?
ついてかないと
ついてた
コーヒー巻きに行きます。
ゲンを
分かりました。
ということで今回のゲストは影山さんで
次回もまたよろしくお願いします。
番組の方は
http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http://www.http.comまで
お問い合わせとか
ご感想の方をお願いします。
1:00:00
影山さん出たからには
俺の知ってるやつ全員フォローしてください。
SNSのフォローお願いします。
これ締めの挨拶だね。
これいつも
全部2枚重ねで行きますって言ってるんですけど
ゲストが来てくれた時は
全部3枚重ねで行きますっていうのを
みんなで言うんですね。
それは合わせて言うの?
そうなんです。
全部3枚重ねで行きましょう。
3人で。
揃うかな?
ちょっと元気よくやってもらっていいですか?
元気よくで。
日本を元気にする3枚重ねを
分かりました。
今日はありがとうございました。
せーのって言ったらお願いします。
今日はありがとうございました。
せーの
全部3枚重ねで行きます。
01:00:55

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