で、こないだちょっといろいろあって、エッセイをノートに書いてみたんですよ。
エッセイを書くみたいなのは、昔からやっていることではあるんで、あんまりそんなに書いてみたんですよってほど新しいことではないんですけども、ちょっと気をつけたというか、過去にあたって考えたこと、ルールを課したみたいなことがありまして、
それはなんかエッセイっぽくしないみたいなそういうことなんですけど、エッセイっぽいエッセイみたいなのって結構書けば書けるわけですよね。
それっぽい感じっていうのは。なんですけど、そういうのを書くっていうよりは本当にパーソナルな自分が感じたことをとか、あるいはその時思い出したことをそのまま書くみたいなことをちょっとやってみようみたいなことを思って。
これ逆に言うと、書けば書けるんですよねみたいなのが逆に良くないなと思っていて、それをある種取り払うためにちょっとした練習みたいな感じでやってみたっていうことがありました。
それは浮きぐらしていた頃みたいな名前で書いたんですけど、それは本当に自分の子供の頃の記憶とかその時のことを今振り返るとこうだったなみたいな話を書いたんですけどね。
それで、自分的にはやっぱりちょっとそこそこ書けたところもあるんですけど、どうしても作っちゃう感じがあって、文章として精細を整えようみたいな感じにしちゃったんで、まだ満足いく感じじゃないんですけど。
ただ久しぶりにそういうのを書いてみて、結構普段あんまり別に反応をくださるわけでもない方々が良かったねみたいなことを言ってくださるんで、何かしら思っていただけるようなこともあるのかなとは思うんですけれども、それは非常に大変ありがたいなと思っております。
そういうことを書く練習を若干してみようかなみたいなことを思ってやってみたりしていたわけでした。
まあでも難しいですね。
エッセイみたいなのは、何ですかね、書こうと思えばそこそこちゃんと書けるんだと思うんですよね。
だけど別にそういうことを書きたいわけじゃないんで、難しいですね。
何て言うのかちょっとわかんないですけど、もちろんウェルメイドのエッセイっていうのが非常にいっぱいあって、本当に全然僕なんかは全く手の届かないような素晴らしいものっていっぱいあるわけですけど、
何かそういうことを書きたいっていうよりは、最近本当のことを書く練習っていう本があって、ドモン・ランさんっていう方が書いたんですけど、言ったらその延長線上みたいなことであるんですが、
でも本当のことって何ですかね、あんまり何か、いやその本は素晴らしいんですよ。非常に素晴らしい本でぜひ読んでほしいんですけど、自分的には本当のことっていうのはその本読んでもわかるけどちょっと違うかなって思いましたかね。
本当のことは本当のことなんですよ。その本は素晴らしいんですけど、本当のことみたいなのがそもそもあるのかみたいな話ですよ、簡単に言うと。
なので別に本当のことを書けないみたいなのは、もちろん現代的ないろいろあって、人の言葉を借りてしか表現できないとか、何かいろんな抑圧があって、
よく見られるみたいな、そういうことで取り繕っちゃうとか、そういうことはあるんだと思いますよ。
だけど、僕が思っているのは、もちろん僕にもそういうことはいっぱいあるんで、簡単には本当のことみたいなのは書けないんですけど、
そういうのを取り払った上で、なお本当のことってなんだろうなみたいなことを言い出すと、逆の意味で本当のことを書くというのと逆の意味で本当のことってなんだろうなみたいなことを言うのは、
それはそれで青臭いなみたいなことはあるわけですけど、やっぱりこれは世代的なものなのかもしれないですけど、自分的には本当のことが自分にあるかと言われると、どうなんだろうなという気はしますかね、そもそも論として。
本当のことを書く練習といっても、そもそも練習して書けるとか、そういう水準の話ではないんじゃないかなという気はしておるわけですが、非常にいい本で、その本に触発されたということもあって、できるだけ本当っぽい感じで書いてみる練習みたいなことはしてみた。
というのがそのエッセイなわけですね。
いや、結構書いてる気がする。書いてる。Xとかでちょこちょこ書くとかも含めると、割とそんなにあんまり読発されてないかなという気はするんですが、ただまあ、そのエッセイとかで、どっちかっていうと技巧的な問題なんですよね。
技巧的についなんか、いい感じにしちゃうんですよね。だから、いい感じにしちゃうっていうのはどういうことかというと、エッセイとしての体裁みたいな、そういうことなんですけど、それをやるとちょっと嘘くさいというか、文章としては形になるんでしょうけど、
別になんか文章として形になることをやりたいわけじゃないかなとか、あるいはその文章としての形にならなさが、むしろその文章としてのインパクトを結果として与えるみたいな、そういうことがもちろんあるわけで、
本当はそういうことができると、より本当さみたいなことが出るのかなと思ったりもしたりしつつ、まあでもそういうのをうまくいい感じにしようみたいなのが、僕にとって読発なのかなとは思いますけどね。
なんで、できるだけそういうのをなしでやろうと思ったんですけど、そのエッセイは結構しっかり希少点決みたいな、そういう感じでついつい書いちゃうんで、本当さというところでは個人的にはそこまで満足してないですが、
ただ、あんまりなんか僕と人間がそういうことを書くってことは、これまで、これまでというか少なくとも最近はそんなになかったと思うんで、ちょっと周りの自分の知っている人とかからあれはよかったよって言われることはあったりしたんで、まあよかったなと思ったりはしておるし、大変ありがたいなと思うわけです。
今日は最近結構またお酒を飲むようになって、これは別に良くも悪くもあるんですけど、お酒はあんまり飲まない方がいいかなとは思ってるんですが、美味しいんで飲みますよ。
僕は結構お酒に対してはそんなにお酒だったらなんでもいいっていうわけでは全くなくて、美味しいお酒以外は本当に飲みたくないっていうぐらいの感じなんで、飲むときは自分が好きなお酒しか飲まないみたいな感じで、
一番お酒の味を楽しむという意味では、何か美味しいお酒を自分で買ってそれをお家で飲むっていうのが相対的に良いことになることが多い。
それはもちろん外で美味しいお酒を飲めることはあるわけですけど、それは高かったりとか、なかなかそういうことにならない場合が多かったりするんで、あんまりそんなに美味しいなみたいな感じになることはないわけですけど、
普通にお店で、自分の知ってるいくつかのお店に行けば間違いなく非常に美味しいお酒っていうのは買うことができるんで、非常に意味も大変楽しんでおるわけです。
そうやってお酒を飲んだりも最近はよくしておりまして、ただ一方でそんなには飲めないなというか、飲むこと自体はずっとできるんですけど、いろいろ考えると時間的な問題でずっと飲んでるわけにはいかないですからね。
それでそんなに、いや結構飲んではいますが、自分がそうしたいなって思うほどは飲めないわけであります。
このフォトキャストを再開しようというのも、今もう赤太いお酒を4号瓶を夕方から飲んで、その後それで足りなくてまた別のお酒を出してきて、それを続けて飲んでおるんで、そういうこともあってやってるわけですけど、そうですね。
でも本当の事性ってのはどうなんですかね。
いやわかりますよ。僕もそういうのは非常に大事だなと思ってるし、
例えばAI時代以降、そういう自分自身の本当性みたいなのがより大事になってくるよねみたいなこともあるんだと思っています。
一方で、すごくわかりやすく言うと、フリッパーズ・ギター的な話というか、あるいはそれを準備した80年代ポストモダン的な話と言いますか、
本当のことというものがないとは言わないですけど、ある種のネットワークの中にたまさか浮かんでくることがパチパチとたまに出てくるけど、それは点滅してすぐに消えていって、またあるときにパチパチと出てきて、
本当性がこうやって事故とか他者のいろんな関係性の中でたまに見えたり見えなかったりするんだみたいな、そういうことが本当のことなんだみたいなのが、もう30年以上そういう感じでやってきておりますので、
それを今、自分を掘り下げると何か本当なことがあるんだみたいな話になると、ちょっとそれは若干反動的というか、そういうものなんですかねみたいな気持ちにはなるわけです。
ただでも、どうなんですかね、こうやってゴダゴダ言っていること自体が自分にとってのきっと本当性があるんでしょうね。
本当性ってなんですかねみたいなことをゴダゴダ言っているっていうのが自分にとっての本当性ということなんだろうなという気持ちがするわけですが、別にそれでそうだなという感じもないんですよね。
本当性ってあると思うんですよ本当は。
っていうのはプリミティブな形で、例えばなんか叩かれたら痛いとか、そういうのって本当じゃないですか。
で、叩かれたら痛いってのはもちろん僕も叩かれたら痛いとか嫌なことだったら嫌だなとか、そういうことがいっぱいあるわけですよね。
だけど本当っていうときに、たぶんそのレベルの話をしているんだとは思わないわけですよ。
別に叩かれたら痛いとか、大体の人がそうだと思うんで、だったら別に本当だどうとか言う人ないじゃないですか。
だからそのレベルではないけど、本当のこととか別にないんじゃないですかみたいな、そういう開き直りみたいなところでもないみたいな、
そのどこかの間のところに何らかの本当性の落とし所みたいなのがあるみたいな、そういう話だとは思うんですよね。
なんですけど、ちょっと落とし所がプリミティブすぎるというか、
いやいやわかりますよ。僕ももちろんあるんですけど、そこが本当なのかなみたいな。
それはちょっとプリミティブすぎるっていうわけでもないのかもしれないですね。
ちょっとわかんないですけど、もちろん本当のことってあるわけですが、
本当のことっていうと、どっちかっていうとすごいプリミティブな感じに捉えちゃうんで、
それは当然ありますよね。でも別にそれは叩かれたり痛いとかって普通じゃないですかみたいな感じになっちゃうんですよね。
という意味で、その辺の落とし所というかバランスみたいなのがまだ見えてないので、
それもあって、こうやっていろいろ喋ることによって自分がどういうことを思っているのかなというのをあえて引き出してみようと思って、
ゴジャゴジャゴジャゴジャ言っておったりするわけです。