日本での文化体験
スピーカー 1
Ryoheiです。 Ayakaです。
スピーカー 2
研エンの仲は、エンジニアのRyoheiと、研究者のAyakaが、その時々で好きなことを話すポッドキャストです。
というわけで、最初は近況文化、それぞれ東京とニューヨークに戻りまして、
この前は多分、ロングトレイルについての回、話したんですけど、
そのトレイル無事に終わりまして、
その感想については、また別の回がもしかしたら出ているかもしれないですね。
一応、その直後に収録したんで、それの音源が出ているかもしれないんですけど。
スピーカー 1
初めて、多分トレイルが終わった後、車を運転しながら、
2人で喋ってて、私がスマホで収録するっていうのを初めてやった。
音質的にちょっと出せるか、わかんないんですけど、という感じで。
スピーカー 2
でも、歩いた直後の生の感想という。
スピーカー 1
そうですね、たしかに。
スピーカー 2
なかなか、よく話せたかなと思うんで、改めて語ることはここではせず、
スピーカー 1
その後もでも、日本にしばらく滞在して、いろいろあった後に、Ayakaさんは大変な目にあってしまうという。
そうだね。
スピーカー 2
ようやくかな。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
何から話すんですか。
スピーカー 1
何から話そう、まずちょっと日本に帰ってた話をしようかな。
7月ちょっと日本に帰ってて、カリフォルニアでトレイルをした後、
私は沖縄であるワークショップに招待してもらって、それに参加してました。
なんかニューロモジュレーション、アダプティブラーニングみたいな、そういう感じのコースで、
ドーパミンとか、教科学習に関係する研究をそれぞれ話したりする、いろいろ人が集まってっていう感じなんですけど、
OISTっていう沖縄の大学院大学でやってて、
OISTが夏の間、2ヶ月ぐらい滞在してもらって、自由に研究してもらうみたいなのを、
世界中のプロフェッサークラスの人たちに開放してて、
だから半分バケーションっていうかサバーティカルみたいな感じで、本当に世界中から人が来てて、
私はまだそういうプロフェッサーとかじゃないですけど、一緒に参加させてもらってすごい楽しかったです、個人的に。
そこでいろいろ…
スピーカー 2
結構いい場所にあるんだよね、OISTは。
スピーカー 1
そうですね。
ビッチが近くで。
そうそう、海が目の前ですごい綺麗だし、建物も本当にかっこいいっていうかオシャレで、
中の雰囲気もすごいインターナショナルですし、すごい良かったです、行って。
めっちゃ暑かったけど沖縄。
その暑さを除けばというか、本当に綺麗だったし、海も綺麗で、OISTの建物もすごいかっこよくて、
で、来てる研究者たちとも本当に分野が近くて、いろんなところから来てて、共同研究とかも生えたし、そこから。
すごい生えたっていう言い方でいいのか分からないけど、発生した。
コラボがね、発生した。
コラボが生えたって言うんですけど、大体。
コラボが生えたりとかもして、結構良かったですね。
その後に、そうそうそうそう、その後に繋がるなんかね、ネットワーキングみたいなのができたし、すごい楽しかったです。
スピーカー 2
沖縄に行くのも、まず成田に着いて、その翌朝早朝のフライトで行くっていう、なかなかの強行軍だったね。
スピーカー 1
成田に、トレッキング終わって成田にサンフランシスコから着いて、で、一泊成田空港でして、その後りょうへさんは自宅に帰ると。
で、私は成田解散。
スピーカー 2
成田解散だよね。
スピーカー 1
私はそのまま、その足で沖縄に向かって出張っていう感じでした。
で、その後ちょっとしばらく東京に戻って、戻ってる間もね、ほとんどなんか研究室とかに行ってて、
休みっていう休みでは、
そうだね、ビジットが。
そうそうそう、ラボビジットがたくさん予定が入ってたので、あんまり休みっていう休みじゃなかったんですけど、
まあでもね、それでも一応東京のりょうへさんが住んでるお家に、夜は帰れるっていうことで、2人でちょっとゆっくりして、
その後、また私は出張で、
まあでもその時は、りょうへさんも一緒に大阪とかまで来てくれて、
で、週末、りょうへさんの京都とか大阪の友達に会わせてもらったりして、
そこで、不死身稲荷のお祭りがちょうどあったんですよ。
すごいたくさん赤い鳥がある神社で、たぶん有名なとこだと思うんですけど、
ちょうどなんか、たくさんランタンが飾ってあるお祭りに、ちょっと案内してもらって、
その地元の友達に、すごいそれが面白かったっていうか、
なんかめっちゃ日本の夏だっていう感じで、個人的にはテンション上がりました。
スピーカー 2
あの、ちょうちん買ったりしてね、
なんていうんだろう、手持ちのちょうちんで、LEDのまめ電器が中に入ってるんだけど、
それで結構雰囲気のある鳥とかが並ぶところをみんなで歩いて楽しかったね。
スピーカー 1
はい、めっちゃ楽しかったです。
元宮祭っていうのかな、不死身稲荷大社の。
そこに行きましたね。
なんか久しぶりに、ああいうなんか日本のお祭り、
なんていうんだろう、屋台が出てるやつとかめっちゃ久しぶりだったから、すごい良かったです。
スピーカー 2
お祭りといえば、うちの、東京の家が所属するっていうのかな、
街のお祭りも、なんか僕がたまたまその機会があって、
その祭りの手伝いをしてたっていうかさせられてたっていうかなったので、
それの手伝いが終わった後に一緒に行ったりもした。
スピーカー 1
確かに確かに、そうですね。
いや、そういう意味ではすごい、
スピーカー 2
結構夏を感じる滞在だった。
スピーカー 1
ね、2年ぶりかな、たぶん。
その前の夏いなかったから、2年ぶりの日本の夏をエンジョイしてって感じでした。
その後、大阪大学に出張して、
あとは神経科学学会でいろいろ自分の発表があったりとかしたので、
それに参加してっていう感じでした。
ハワイへの乗り換え便
スピーカー 1
なんとそこで、経営の仲を高校生から聞いてますっていう人に声をかけてもらったりして、
すごいな、そういう人が今大学生になって学会に来るようになってるっていうのは、
スピーカー 2
嬉しいね。
スピーカー 1
ね、すごいなと思いながら、いろいろ。
熱い。
自分の。
スピーカー 2
確かに、もう4年目になるから、そういう人がいても全然おかしくないっていうか。
スピーカー 1
ね、そうそうそう。嬉しいです、そうやって声かけてもらえるのは。
そう、で、なんか、私自身はこっちでやってる研究をポスターで発表したりとか、
あと、トレッキング中に、ちょっと、何だろう、賞の先行があった、その賞をもらうことができて、
それの受賞式に参加したり。
スピーカー 2
おめでとうございます。
スピーカー 1
トレッキングの間と間に、Zoomでプレゼントかしてたんですけど、
それが実った形でよかったんで、それの受賞式に出たり、
あと、なんか、討論会みたいなのがあって、
ランチョン大討論会みたいなのに呼んでもらって、
それはあれだよ、日本の研究の将来を売れる。
売れるというか、よくわからんけど、
そうですね、これから研究費とかどうやっていくべきかとか、
どうやって、新規科学コミュニティとして、何か意見を統一して出していくかみたいな、
そういう話を、ちょっと、なんか、末席を擁護させていただいてという感じで、
それで、大体、私の日本出張終わりかな。
それで、
スピーカー 2
で、帰ってきて、一泊して、で、アメリカに戻る。
スピーカー 1
そうそう、東京に帰って一泊して、ニューヨークに戻るんですけど、
そこで事件は起きた。
スピーカー 2
そこで事件は起きた、確かに。
直行便じゃなかったんですね、今回。
足を捻挫した悲劇
スピーカー 1
そう、今までね、ニューヨーク便は大変なのもあって、直行が多かったんですけど、
今回ちょっといろいろあって、ギリギリにしか便が取れなかったのもあって、
乗り換え便にしたんですよね。
で、一番安かったのが、ハワイ乗り換えだったんですよ、その時。
スピーカー 2
結構長いよね。
スピーカー 1
フライト時間はね。
でも、分割具合としては結構ちょうどいいというか、6時間。
ちょうど中間地点ぐらい。
そうそう、8時間プラス8時間みたいな感じだったと思うんで、
結構、何て言うんだろう、14時間ずっと乗ってるのって結構、それはそれできついじゃないですか。
そうだね、確かに。
意外と途中で休めるのはいいかもな。
あと、乗り換えの時間が結構あったんで、それもいいかなと思って、
ちょっと待ち見たりもできるなと思って、行ったんですよ。
で、ちょっと待ち見れるなと思うじゃないですか。
で、私は8月後半にちょっと弟の結婚式でハワイに行く予定があるので、
それもあって、ちょっと下見をしようと。
私、行ったことなかったから、ハワイ1回も。
乗り換えですら行ったことなかったんで、
で、ホノルルちょろっと見てみようと思って、
ふらーって歩いてたんですよね。
で、そしたら、あ、泊まる予定のホテルはここかみたいな、ちょっと下見をしてて、
で、そのホテルに向かおうとしてたんですよ。
そしたら、隣で、隣か、そんなめちゃめちゃ近くはなかったけど、
少なくとも今いる建物のすぐ横で工事をしてて、
すごいなんか怖いっていうか、何だろう、
すごい絶妙なバランスで成り立ってそうなクレーンが、
あるじゃないですか、結構。
でっかいクレーンね。
そうそう。
スピーカー 2
海外のクレーンでかいからね。
スピーカー 1
そうそう。めちゃくちゃでかくて、しかも結構不安な構造っていうか、
まあ大丈夫なんだろうけど、別に。
なんかこう、こんなでかいものをこんな細い構造で支えて大丈夫かみたいなことを考えながら、
スピーカー 2
そのキリンの首部分が長い。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
いや本当にでかくて、しかもで、じーっと、この重さここで支えられるんだろうか、
まあ大丈夫なんだろうけど、下は飛びたくないなとか思いながら、
こうクレーンをじーって見ながら、その手前の建物を出たんですよ。
そしたら、入り口の時にはなかった段差があって、
そのまま、もう2段ぐらい階段を気づかず落ちちゃって、
で、めちゃくちゃ足をねん座したんですよ。
多分、今まで人生生きてきて、一番のねん座をそこでしてしまい、
そう、っていうことがありました。
で、そのまま、あの、ホノルルに、空港にまっすぐ帰ればよかったんですけど、
直後は結構歩けたから、まあ大丈夫だろうと思って歩き回ってて、
歩き回っててって言ったら、そんな距離は歩けなかったんですけどさすがに痛くて、
しばらくまあ座って休んだ後、まあなんかさすがにお昼とかぐらいは食べてから、
空港に戻りたいと思って、で、こういろいろ近所を歩いて回ってたんですけど、
なんかこう安定した椅子がある感じのところが全然なんか見当たんなくて、
で、なんか走行してるうちに結構フラフラフラフラ歩き回って、
どこも見つけられないみたいなオチになって、
で、なんかアサイーボールとアボカドトーストが食べたいとか言いながら、
一人でウロウロして、足を、傷んだ足のまま歩き回って、
スピーカー 2
本来の目的を達成せずに帰るわけにはいかないっていうような、
そうそう、
ちょっとズヒって言ったごときで、
スピーカー 1
でも、もうなんかどんどん痛くなってきて、歩けなくなってきて、
で、これやばいなと思って、もう結局何も食べれずにとか言いながら、
ペラートくらいは食べたんだけど、
諦めてもう、
スピーカー 2
諦めてない。
スピーカー 1
Uberを呼んで帰ったんですよね。
スピーカー 2
アボカドトーストは諦めたと。
スピーカー 1
空港にとりあえず帰って、
で、もうそのあたりから全然歩けなくなってきて、
で、空港の人になんか松葉杖みたいなの借りれないかって言ったんですけどなくて、
その代わりなんだろう、空港の中を移動してるなんか車みたいなのあるじゃないですか、
車っていうか、
スピーカー 2
あるね、確かに。
スピーカー 1
あれに乗せて、ターミナルどこだって言って連れてってもらったり、
その後、近所で、結局まだ私何も食べ物を買えてない状態だったから、
食べ物を買いたいってなったときに、
なんか車椅子乗せて連れてってあげるよみたいに言われて、
ハワイでの捻挫とその影響
スピーカー 1
で、その車椅子も自分じゃ押せないやつなんですよ。
誰かに押してもらわないと、
自分で押すとこがついてないやつだったから、
誰かに押してもらわなきゃいけなくて、
それでなんか押す専用の人みたいなのがいるらしくて、
それで私は、もうその頃にはもう全然体重かけれないぐらいの状態になってたので、
それで連れてってもらったりとかしてっていう感じでしたね。
大変でしたね。
そう、で、乗せてもらって、飛行機にも。
で、タクシーまでも連れてってもらって、
だからすごい空港スタッフの人にはよくしてもらったんだけど、
スピーカー 2
で、そこからね、私はニューヨークに帰らなきゃいけないし、
そっからさらに階段登って家にまで着かなきゃいけないと。
で、荷物もあるっていう。
スピーカー 1
そう、荷物は、だってトレッキングの後の荷物もあったから、
半端ない量の荷物があって、
で、普通にトレッキング旅行と日本に3週間帰った時のものと、
出張用のものと全部あったから、どうするって状態で、
でもまあ、あとアメリカで私病院行ったことなくて、
これ初めてだったから、
これ何からどうしたらいいのかがわからないみたいな状態で、
で、私も、
スピーカー 2
初手何したらいいのかわからない。
スピーカー 1
そう、初手何したらいいのか本当にわかんなくて、
でもこれはちょっとさすがに、
多分コステとはしてないと思うけど、
でも人体断裂ぐらい行っててもおかしくないなっていう感じの、
ではあったし、
スピーカー 2
いや心配だったよ。
スピーカー 1
両兵衛さんはコステつかもしれないから絶対病院行って、
病院行って行ってみたいな感じで言われて、
いや私は病院行かなくても、
どうせ家にいて寝てれば治るってみたいな感じのテンションだったんだけど、
両兵衛さんはもう絶対に病院行け絶対に病院行ってって、
で、
スピーカー 2
何から始めたらいいかとか、
どういう病院行ったらいいかとか、
同僚の人のチャットグループがあるから、
聞けばいいじゃんって言ったんですけど、
もう忘れられない彩香さんがその時の答え、
いや知られたくないと。
どういう負けず嫌いなんだろう。
スピーカー 1
いや負けず嫌いとかじゃないけど、
いやなんかちょっと恥ずかしくない?だって足ひねっちゃったとか、
なんかちょっと恥ずかしいなと思って、
いやいいから、いいから聞けよって言われて、
で、おとなしく聞いたらみんなすごい優しくて、
優しくて、そりゃそうだよ。
心配だよみんな。
そう、みんなすごい心配してくれた。
で、なんかこうしたらいいよ、あしたらいいよみたいな、
年座なんて家で寝てるしかなくない?みたいな、
って言われるよどうせって私言ってたんだけど、
みんな家で寝てるしかなくない?とか全然なかった。
もうみんな病院行った方がいいとか、
なんかその、なんかER、そのエマージェンシーとか行くとすごい高いから、
多分その、そうでもないけど緊急性のあるもので、
一応アージェントケアっていうのがあるので、
そこに行くのがいいって言われて、
で、私はその足専門医を最初から探してたから、
ニューヨークで行くとしたらと思って、
でも、いやそのエクスレイが取れるアージェントケアに行くのが一番いいよって言われて、
で、あ、そうだねってなって、
で、療養士さんがもうその場で翌朝私が空港、
空港着いてからニューヨークの空港に朝着く予定だったんですけど、
その空港着いて直行できそうなところを療養士さんが探してくれて、
で、それにもう空港から直行でそのケアのところまで行ったっていう、
スピーカー 2
タクシーで病院にお願いしますって言って、
スピーカー 1
そうそうそうそう、
直行してっていうことが、
そこまでね、その前日の時点でできてたっていうのはすごい助かりましたね。
で、前日というか飛行機乗る前にできて、
飛行機乗って着いたらもう朝っていう状態だったんで、
そうそうそう、
スピーカー 2
それもね土日とかじゃなくてよかったね。
スピーカー 1
あーそうだね、それは本当によかったけど、
スピーカー 2
朝だったから本当に朝一の待ち時間ない、
病院への訪問と医療体験
スピーカー 2
そのまま行けたし、
スピーカー 1
うんうんうん、
そう私もその頃にはこれは経験したことがないレベルの念座だっていうのが、
いたかったの?
うん、そう結構、
シップとかもその辺に売ってないんですよね、
そうだね、ドラッグストアみたいなのが空港にあるみたいだから、
そうそうそう、だから日本のドラッグストア、
日本の空港とか神なんですよ、その辺、
松木屋とかあるから、
スピーカー 2
松木屋とかあるし、
スピーカー 1
うん、その出発前にめちゃくちゃいろいろ買ったりできるし、
私も実際、その日本を出発する前に、
なんか松木屋のドラッグストアでいろいろ必要なものとか、
最後追いショッピングしてたから、
そういうのってでもないんですよ、
そういうものは空港にはなくてですね、
まあどっかにはあるのかもだけど、渋谷とかが、
でもなんか私がいたターミナルの周りには全くなくて、
まあちょっとしたお土産屋さんと食べ物が売ってる、
なんか売店ぐらいしかなかったんですよね、
スピーカー 2
そういうやっぱ研究対応みたいな、
なんかその柔軟な立ち回りがなかなかできないよね、
スピーカー 1
そうそうそうそう、
そうなんですよね、
で、自分でそういう杖とか用意しようにもどうしようもなくて、
でももう多分杖とかがないと歩けないみたいな状態だったんですよ、
その時、
だからもうどうしよう、けんけんするしかないんですよ、
でも荷物は、
そう、荷物は山のようにあるっていう状態で、
だから私は本当に、
とりあえず病院に行って、
で、病院で結構もうその場で薬も取ってくれて、
時間は結構かかったんですけど、
でももうその場でちゃんといろいろ固定とかしてくれたし、
で、骨もちゃんとエクセル取ってみた上で骨は大丈夫だけど、
多分その人体はこんな腫れるっていうことは絶対なんかあるから、
あの、MRIも取ってもらった方がいいよみたいに言われて、
で、専門医を紹介してもらってっていう感じのあれで、
でもなんかもう一番不安だったのは、
とにかくいくらかかるかわかんないっていうのがすっごい怖くて、
で、
いや、いまだに確定はしてないんですけど、
スピーカー 2
恐ろしいこと、
スピーカー 1
そう、
スピーカー 2
いくら請求されるのかまだわからない、
誰に聞いてもわからない、
スピーカー 1
そう、誰に聞いても保険がするからみたいな感じで、
で、保険会社もだいたい請求、病院から請求があってから1ヶ月ぐらいしてから、
私たちに連絡が来るみたいな感じなんで、
まだわからないです、ちなみに、
はい、
スピーカー 2
でも一応なんか目安みたいなのは、
スピーカー 1
うん、調べた、
一応自分の保険のプランからこういうことをした場合はいくらぐらいでっていう、
上限がいくらみたいな、
そうそう、あるから、まあ多分そんなに目玉が引き抜くほどではなかろうという感じだけど、
でももう、いろいろ処置を受けたけど、これが一体いくらになるのかわからないまま全てが進んでいくっていうのがもう怖すぎるよね、本当にね、
スピーカー 2
確かに、お医者さんに、じゃあMRI取りましょうとかって言われても、
えっ、いくらかによりますけどっていう感じじゃん、
で、日本も、
そんなにね、言っても1万円とか、1枚でたかってなるけど、
アメリカは1万円で済んだらラッキー、
スピーカー 1
平気で1000ドルとか、15万円とかですよね、なんか要求されますからね、
で、そうなんですよ、で私が入ってる保険は、
まあ少なくともそのネットワークの中とかだとかなりいろいろカバーされてるものだったんですけど、
でもその、なんかネットワークの中でもレベル1、2、3みたいなのがあって、
系列病院以外だとどんどん高くなっていくし、みたいな感じなんですよ、
で、アウトオブネットワークとかだと本当に、なんかネットワークの中に入ってないとこだと、
ほんとただの初診、診療、しゃべるだけとかで、
多分いくらって言われたかな、200ドルとか取られる、
スピーカー 2
やば、3万円からスタートってことね、
日常生活の困難
スピーカー 2
で、何かなんか板倉庫でも張ってもらおうもんなら、
5万円、10万円、
スピーカー 1
分かんないけどね、その辺は、
そうだから、結構その辺もあって、なかなか難しいんですよ、
で、まあそれもあったから、同じ保険に入ってる同僚に聞くのがいいっていう風に、
りょうさんが言ってくれて、それはもう本当に正しくて、
で、彼らがカバー、ここはカバーされてると思うって言ってくれてた、
そのアージェントケアのところにまずは行ったっていう感じですね、はい。
スピーカー 2
それはでもほんと助かったよね、
スピーカー 1
うん、ほんと助かった。
スピーカー 2
ミサイリエンザーをまさにした人も多分いたと思う。
スピーカー 1
そうそう、で、なんか、
いや折れてるわけないって自分も思ったんだけど、
でも、折れてるかもよって言われて、
ちゃんとエクセル取ってもらったから、あなたもそうした方がいいって言われて、
結果的には本当にそうしてよかったと思うぐらい結構長引いて、
やっと今、2週間半ぐらい経ったのかな、
2週間半経ってやっと歩けるようになってきたんですけど、
それ、ちょうど2週間ぐらい経つぐらいまで、
ほんと足をついて歩けないぐらいの感じで、
うっけつがひどくてっていう感じだったので、
そう、だから結構ね、
私は少なくとも今まで経験したことない重症度の、
多分まあ重症度2ぐらいの念座だったと思うんですけど、
そう、なんで結構ね、大変でしたね。
大変だったね、おつかれさまでした。
そう、念座話。
あと、やはりアメリカで生きていくのに一番大事なものは健康だと思いました。
スピーカー 2
そうだね、確かにね。
健康だったら楽しい、いろんな可能性があるけど、
病気をするといかがかかるのかわからないと。
スピーカー 1
もう一つこれを話したい。
私は今ね、5階の階段で登らなきゃ、
階段しかないとこに住んでるんです。
エレベーターなし、5階住んでて、
それはなんか、エレベーターなしのとこしか私は、
最初入ろうと思ったときに、
車宅みたいなとこに入ってるんですけど、
かなり安くね。
そう、かなり安く住めてて、
で、車宅2つの選択肢のうち、
歩いて上がる2階か5階か選べる感じだったんですよ。
で、5階の方が防犯的にも安心かなっていうのと、
他にもいろんな理由で5階を選んで、
で、そっちの方が安かったんですけど、
結果的にはなんか良かったなって、
今まで満足してたんですよね、わりかし。
でも、今回のことになって、
なんで5階にしたんだ?
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
本当に死ぬほど後悔をして、
病院の帰り、タクシーで空港から直接病院に行って、
病院から家に帰るところで、
絶望するわけですよ、どう考えても。
スピーカー 2
確かに。
スーツケースでっかいのと、まずリュックもあるし。
スピーカー 1
リュック2つあったからね、
だからもう終わりなわけですよ。
もうその時点で結構ツンって出て、
どうしようってなって。
スピーカー 2
まず、玄関のドア開けるまでに3段ぐらい階段あるからね。
スピーカー 1
そうそう、そこすら上がれない。
そこすら上がれないって状態で、
どうしよう、どうしようって思って、
で、そしたらもうね、
本当に神のように優しい人が声をかけてくれて、
スピーカー 2
アメリカは結構そういう人いるんだよな。
スピーカー 1
本当にね、マジで優しかった。
優しさに助けられる
スピーカー 2
意地悪の人はひたすら意地悪なんだけど、
優しい人は神のように優しかった。
スピーカー 1
神のように優しい、本当に。
マジで優しくて、
で、なんか、
多分ちょっと一瞬通り過ぎたんだけど、
私がタクシーから降りて、
荷物をエチラエチラ運んでるのを見て、
これどう見たって無理やろと思って、
助けるって決めて戻ってきたから助けさせろみたいな感じで言ってくれて、
多分20代ぐらいの若い黒人の男の人だったんですけど、
助けるからって言って、
私はとりあえず玄関まで3段のやつを、
数段のとこ入れて、
玄関の廊下みたいなところに到着した時点で、
ありがとう助かったよみたいに言ったんだけど、
え、でもこれ階段しかないじゃんみたいな感じで、
スピーカー 2
エレベーターないじゃん、この建物。
スピーカー 1
何回か言ってみなよって言われて、
いやいや大丈夫ここまでで、
ありがたいありがたいみたいな感じで言ってたんだけど、
スピーカー 2
断られましたね。
スピーカー 1
いやもうこれは無理だから、
多分ここまで来たんだから、
家の前まで運んであげるよって言ってくれて、
優しい。
もう神ってなって、
いや申し訳ない、誤解なんだって言って、
もうね、
誤解かよ。
誤解かよって向こうを、
もう誤解かってなって、
それはそれはみたいな感じで、
スピーカー 2
それは無理だけど、
俺5階までこれ運ぶのか、
スピーカー 1
なかなか重いから、
スピーカー 2
日本からでもありったけの美味しいものとかね、
いろいろ詰め込んできた。
スピーカー 1
そうなんだよね、
スピーカー 2
欲望が詰まってる。
スピーカー 1
日本にいる時はさ、
そんなことになるなんて思ってないからさ、
カステラとかさ、
お菓子とかいっぱい入ってるのも、
別に対してすぐ必要なものでもないんだけど、
いやだからもう私は諦めてた、
そのスーツケースを持って上がるの、
その日には、
だからもうしばらく、
着替えだけ持って上がれば、
そうそうそうそう、
最低限のものだけ下に持って上がって、
スピーカー 2
カステラとかは、
スピーカー 1
ちょっと下に置かせてもらおうと思ってたんだよね、
で足が治ってからって思ったけど、
結局、
多分普通に松葉税なしで歩けるようになったのに、
2週間半ぐらいかかったから、
2週間ちょっと置きっぱにするとね、
物がちょっとダメになっちゃったりしてたんで、
だからもう本当にあの人がいて、
よかった、
本当にありがたかった、
で、
でも一緒に持って上がってくれて、
だから私は自分が持てる範囲、
リュックとちょっとした荷物ぐらいだったんですけど、
それだけ持って、
私がゆっくりゆっくり松葉税で上がってる間に、
向こう側に往復してくれて、
荷物を全部、
あ、そうだね、
スピーカー 2
スーツケースとリュックと2つあるから、
それを往復して持ってきてくれた、
スピーカー 1
で、私すごいそれを今でも、
自分のこととして後悔してるんだけど、
私はまだ3回ぐらいの段階で、
もう向こうは全部運び終わったっぽかったんですよ、
で、
あ、もうここでいいんだよねみたいな感じで、
もう両方運んだからみたいな感じで、
帰るねみたいな感じで帰ろうとしてくれてて、
でも本当にありがとうみたいな感じで、
ここでいいんだよねって言われたんですよ、
で、
多分、
それ4回で、
5回じゃないなって思ったんですけど、
あそこで4回と5回が分かりづらくて、
私はもう、
スピーカー 2
構造的にも、
なんか全く同じ見た目だし、
スピーカー 1
そうそうそうそう、
スピーカー 2
なんか5回って思ったより遠いから、
4回ぐらいで、
もう着いたなって思う。
スピーカー 1
そう、いつもそう思って、
ただ私たまに1個、
自分の下の階の家の人の開けそうになるから、
私ですら、
私ですらやりそうになるミスだから、
初めての人だと絶対やっちゃうと思うんだけど、
でも向こうは、
2往復した上で、
4回荷物を置いて、
これでいいよね、
じゃあね、
みたいな感じで、
だから、
私としては、
いや、実はもう1回上でって言い出せなかったんですよ。
一瞬言おうかなって思ったけど、
一瞬言おうかなって思ったけど、
でももう言えなくて見送っちゃったの、そこで。
で、
そういう人は本当に紙で優しかったんだけど、
で、
4回荷物置かれた状態で、
私は、
あ、
どうしよう積んだってなる。
スピーカー 2
終わった。
終わった。
だって体重かけれないもんね、
片足には。
そうそうそう。
スピーカー 1
でもね、
結果的には何とかなったっていうか、
何とかした。
無理して。
で、
その時は本当にね、
いろいろ後悔した。
あ、
あの時なんで言わなかったんだとか。
確かに一言ね。
そう、
スピーカー 2
一言言えばみたいな。
スピーカー 1
もうそこまでお願いしたんだから。
スピーカー 2
そうで、
スピーカー 1
いや、
でも無理だから、
ちょっと誰かあと1回だけ運んでくださいみたいな、
その、
なんか書き置きを書いてた形跡があるからね、
私の部屋に。
メモが今ある部屋に。
誰かどうにか、
どうにかこれを、
あと1回分上に。
スピーカー 2
自分だけは上がって、
とにかく。
そう、
スピーカー 1
荷物、
あとリュックの方は、
一応その今、
その時私が松端で最初に持ってたやつを1回部屋に置いて、
で、
あとリュックとスーツケースが残されてたんですよ、
でっかいリュックとスーツケース。
で、
リュックの方は、
松端でついてても持てるから、
それで持って帰って、
残るはスーツケースだけと。
で、
スーツケースは、
松端で両方ついてたら無理なんですよね。
だから、
だからもう無理だ、
どうしよう、
どうしよう、
ってなって、
で、
まあ、
最終的にどうしたかというと、
まあ、
あの、
ほぼけんけんしながら、
1段ずつ、
1段ずつ、
1段ずつ上げて、
部屋まで持って帰ったっていう、
まあ、
でも、
もうそれを、
1回から5回までやるのは絶対に無理だったと思うから、
1回だったから何とかなったんで、
いやもう本当にあの人には感謝してもしきれないし、
いやもう話を聞くと、
いやちょうど、
その、
近所の病院の、
私が勤務してる、
その病院の近くだったに、
まあ、
その、
車宅があって住んでるんですけど、
そこに、
あの、
なに、
お母さんの見舞いに来たところだったから、
あの、
もう、
車から降りてヤバそうだって思って、
もう助けようって決めたから助けさせてくれ、
みたいな感じで、
言ってくれて、
いい人や。
本当にいい人すぎて、
神、神、神みたいな感じだった。
ね。
病院での経験
スピーカー 1
っていう感じで、
だから、
もうアメリカの大変なところと、
なんか、
あったかいところを両方感じましたね、
本当に。
そうだね。
スピーカー 2
結構本当にそういうのほっとけなくて、
助けてくれる人いるイメージだわ、
アメリカって。
スピーカー 1
うん。
いや本当にね、
優しいですね。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
助かったね。
まあその人だけじゃなくて、
まあ、
その、
病院、
病院から移動するときとかもそうだったし、
まあいろいろ助けてくれる人はいて、
よかったんですけど、
まあかと思えば、
病院のこう、
よくわかんない不親切さとか、
まあやっぱ、
初めて、
この年になって初めて病院来てるって、
向こうもやっぱ思わないじゃないですか、
だから、
対応としてもまあやっぱり、
一からは説明してくれないから、
わかんないことだらけで、
こっちからすると。
確かにね。
うん。
まあね、
スピーカー 2
結構その。
え、お金教えてくれないんですか?
っていう。
ね。
スピーカー 1
いやそういうもんだよっていう。
そうそうそう。
当然というか、
え、こっちが把握してるわけなくない?
みたいな感じだと思う。
多分誰も把握してないまま。
それ仕事じゃないか。
そうそうそうそう。
うん。
最終的には全部保険会社がやるでしょ、
みたいな感じ。
うん。
で、こっちはこっちで請求するだけだし、
みたいな感じなんだよね。
だからなんか、
うん。
あなたが最終的にいくら払うことになるのかは、
病院側は全く知りません、
みたいな感じだし、
まあ、
いろいろね、
不便はあったんですけど、
でもまあ、
全体的には、
外出再開の感動
スピーカー 1
結果的にはまあいろいろよかったですね。
うん。
人体も幸い断裂までは行ってなかった。
うん。
まあ、かなり傷ついてはいたみたいですけど、
まあでも本当に、
なんか、
まあ、
大変だったなっていう、
スピーカー 2
いやー。
スピーカー 1
この2週間半。
2週間ね。
ね。
家から出れないんですよ、やっぱ。
家出るところが一番障壁だから、
5階分の階段が。
そうだね、確かに。
昨日初めて、
その、
外を歩いたっていうか、
まあ、
ちょいちょい外には病院とかで出てたんですけど、
その、
初めてちょっと、
まあ、
散歩みたいな感じ、
リハビリ兼散歩みたいな感じで、
初めて外を歩いて、
はあ、
外を歩けるみたいな、
目的地に行く以外で、
感動。
こうちょっと、
そろそろ外を歩くというか、
うん。
まあ、
ぶらぶら歩いて、
って言っても、
そんな距離は歩いてないですけど、
まあでもなんか、
それだけでもう感動しました、
私は。
うん。
いやあ、
そう、
バリアフリーみたいな意味ではね、
なんか日本の方がだいぶいろいろ楽ではありますね。
うん。
その、
スーツケース持って移動するのとか、
めちゃくちゃ大変で、
多分、
スピーカー 2
ニューヨークだと。
スピーカー 1
そうだね。
そもそもその、
電車に乗るときとかは、
あの、
スピーカー 2
まあ、
スピーカー 1
ほとんどエスカレーターないからね。
エスカレーターもない、
うん。
エスカレーター、
エレベーターないところ、
階段しかないところがやっぱ多いので、
地下鉄圧倒的に。
スピーカー 2
うん、
あ、しかし悪いとニューヨークちょっと住めないっていう。
スピーカー 1
いやあ、
住んでる人いるけどね、
うん。
うん。
まあ、
バスで行ける範囲ならっていう感じなんじゃないかな。
うん。
まあ、バスと、
まあ、でも車に乗るのも大変だからね、
そうだね、
確かに。
ハワイでの念座
スピーカー 1
車を支配するのも大変だから。
うん、高いし。
まあ、
タクシーとバスを駆使して行けるならって感じなのかな。
まあ、でも、
うん、
そんなこんなでね、
本当に大変で。
いやあ、
スピーカー 2
うん。
まあ、
まあ無事でよかったけれども、
大変でしたね。
スピーカー 1
うん、
スピーカー 2
ていうことがありました。
スピーカー 1
おつかれさまでした。
はい、
まあ、
この辺、
ほとんど念座の話をしてた気がするけど、
うん、
福岡での学会参加
スピーカー 1
念座話。
この辺が私の近況としてはあって、
近況。
まあ、
今日はなんか別にもう一つ話をしたいねって言ってた。
スピーカー 2
うん、
いや、でもちょっともう念座話でだいぶこう、
あの、
一区切りついたので、
今回はこんな感じにしますか。
スピーカー 1
あ、
いいですよ、
はい。
スピーカー 2
うん。
じゃあ念座をした話。
また、
まあ、
その有意義な日本滞在でしたっていうことかな。
スピーカー 1
はい、
スピーカー 2
そうですね。
うん。
いや、
ほんとなんか日本全国ツアーみたいな感じだったね。
スピーカー 1
あ、
そうだね、
確かに確かに。
スピーカー 2
いや、
コロナ移動いっぱいしたし。
あ、
スピーカー 1
そうなんですよ、
学会が、
その、
福岡であったっていうのもあって、
だから沖縄行って、
東京戻って、
うん。
で、
大阪、
すごい今日。
京都行って、
で、
スピーカー 2
あの、
スピーカー 1
寮師さんの実家の岡山。
スピーカー 2
僕の実家、
スピーカー 1
そうそうそう。
うん。
岡山行って、
大阪、
京都行って、
福岡で学会があったんで、
福岡に行って、
うん。
で、
沖縄に行ってっていう。
スピーカー 2
実家も帰ってるから、
サセボも帰ってるから。
スピーカー 1
あ、
そうだそうだ。
で、
サセボに行って、
サセボから飛行機で東京に戻って、
東京から、
ハワイ、
ハワイから、
スピーカー 2
えーと、
スピーカー 1
ニューヨーク。
すごい移動。
やばいよね。
うん。
いや、
まあ、
スピーカー 2
でも、
福岡の学会は、
スピーカー 1
まあ、
学会自体もよかったですけど、
うん。
その、
福岡グルメもたくさん堪能できて、
うん。
すごい楽しかったですし、
まあ、
今回結構、
あの、
神経科学学会自体が、
なんか多分、
合同大会みたいな感じで、
結構、
精神科とか神経内科のお医者さんも、
一緒に参加してる感じだったので、
私たちとしては、
結構、
なんか、
コラボレーターを増やす機会みたいな、
うん。
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
いろいろな、
うん。
で、
なんか、
そう、
福岡、
福岡で思い出したんだけど、
念座の話、
若干戻していい?
ああ、
どうぞ。
で、
あの、
そう、
いや、
私がその、
念座について、
よりやっぱ、
心配してたのが、
小学校の時、
あ、
私、
生まれた時から、
右足がちょっと内半足って言って、
うん。
ちょっと曲がって生まれてたんですよ。
うん。
右南半足って言って、
うん。
で、
右南半足って言って、
内側に、
足の甲の骨が曲がって生まれちゃうっていうやつで、
うん。
骨の形がちょっと変わってるから、
なんか、
あの、
まず1歳の時に、
アキレス腱をなんかちょっと伸ばして、
なんか治すっていう手術をしてて、
うん。
それだけだと完全にはちょっと治んなかったから、
だんだんなんか成長に伴って痛くなってきて、
10歳の時とかに、
福岡の子供病院っていうところに入院して手術したりしたんですよ。
うんうん。
その時は結構なんか大掛かりな、
ドリルとか使う感じの手術で、
うん。
骨を削って、
あの、
こう、
まっすぐにして、
その、
内側に曲がってるってことは、
外側の骨が多いわけですよね。
うん。
長すぎるわけですよね。
だから外側の骨をちょっと削って、
こうまっすぐして、
こう、
なんか、
なんだろう、
ホッチキスのすっごいでっかいやつみたいなのを、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
こう骨、
骨と骨の間をくっつけるためにこうガシャってやって、
うん。
で、
固定するっていう、
うん。
そのまま多分、
1年ぐらい入れっぱなしにしとくのかな?
ああ、
そのホッチキス。
2年ぐらい、
そうです。
そのホッチキスを2年ぐらい入れっぱなしにした後、
小学6年生の時に取り出す手術をするっていうので、
それで福岡に結構入院してた時期があったんですよね。
学校も休んで入院してたから、
その時ちょっと院内学級みたいなのも行ってたり、
うん。
して、
で、
それが初めて私サセボから離れて済んだ経験なんですよ。
それ以外で、
子供時代の思い出
スピーカー 1
そもそもね、
10歳だし、
まだ親と離れて済むとか経験なかったし、
うん。
だからなんか、
すごいその、
病院に、
3ヶ月ぐらい入院してたのかな?
なんかもう、
か月の間隔が分かんないや。
1ヶ月とかだったっけ?
うん。
いや、でももうちょい長かった気がするな。
うん。
3ヶ月ぐらい入院してた。
スピーカー 2
まだ長く感じるだろうね。
スピーカー 1
うん。
ね、小学生にとっては長いよね。
ね。
そう、親もと離れてだったし、
うん。
そう、
それで、
子供専用の整形技科みたいなのがあるところなんですよね。
で、
すごい、
同世代の子供がたくさん入院してて、
私はたぶん結構軽症なほうで、
もっとまあいろいろ、
足を全体的に伸ばす治療とかもあるんですよ。
それとか結構大変そうな治療で、
本当にたくさん、
なんだろう、
悔いみたいなのを足に打って、
その間を伸ばすことで足を伸ばすっていう感じの治療。
で、先天的になんかちょっと片方の足が短くて真っ直ぐ歩けないみたいな、
そういう骨の治療を主にやってる病棟だったんで、
そこでこう中高生とかと仲良くなったりして、
で、逆に自分よりちっちゃい子とかもいたりして、
だから、誰々君だってしっかり入院できてるんだから、
もっとちゃんとしなさいとか看護師さんに言われたりとかしながら、
そう、入院してた。
スピーカー 2
寝れなくてね。
スピーカー 1
そうそう、寝れなくてナースセンターに入りびったってたら、
はよ寝ろって怒られるっていう。
スピーカー 2
誰々君もちゃんと寝てるんだから。
スピーカー 1
誰々君はちゃんと寝てるんだからみたいな感じで。
スピーカー 2
そういう年が離れた子供と触れ合う機会って、
スピーカー 1
なかなか普通小学校ってない。
ないから、
みんな九州中から集まってますからね、
基本的に。
一生俺が。
スピーカー 2
そんな町福岡。
スピーカー 1
そう、だからすごい懐かしい場所っていうか、
私的には幼少期の思い出の場所って感じですね。
だし、なんか自分的にはやっぱ、
サセボにはないようなきらびやかなものがあるっていうイメージもあるわけじゃないですか。
なんか、アミュプラザとかキャナルシティとか。
キャナルシティ、確かに。
そう、で、なんかその辺は子供の頃はほんとにすごいみたいな感じのイメージ。
で、すごいキラキラしたイメージがあったし、
やっぱ入院って結構つらいし、やっぱ普通に痛いじゃないですか。
痛いし、リハビリも大変だったからすごい。
たぶん1ヶ月とか固定しちゃってると、
ほんとにね、足首がすごい固くなっちゃって歩けなくなるんですよね。
で、その歩けるようになるまでとか結構いろいろね、
最初は車椅子でだんだん松葉杖使うようになってて、
で、最終的に歩けるようになって退院っていうそういう感じ。
そういう感じだったんで、
だから結構その間いろいろ院内学級通って先生といろいろスライムで作ったりとか、
あと院内学級新聞みたいなの作って、
いろいろ看護師さんに仕事のやりがいは何ですかとか聞いたりして、
新聞作ったりとかして、
結構なんか当時の資料を見ると私は結構エンジョイしてたっぽいんだけど、福岡生活を。
スピーカー 2
あ、その新聞とか残ってるんだ。
スピーカー 1
あ、残ってる。
そう、うちの親が結構ね入院してた時のギブスにみんな寄せ書きとかするんだよね。
で、ギブスを外す時にすごい大事なやつとかは切り抜きを残してくれてて、
で、うちの親がそれを取っててくれてるんだよね。
たぶん、手術、私たぶんこの話全然したことなかったと思うんですけど、
生まれた時から足がちょっとそうやってっていうことだったから、
うちの親は本当にそのことをすごい気にしてて、
で、私が手術するって決めた時とかもすごい泣いたりとかしてたらしくて、
一応たぶん手術しなくても薬とかリハビリとかでごまかしごまかしやってったりはできたと思うんですけど、
スピーカー 2
痛みはあるけれどもって。
スピーカー 1
痛みとか、ちょっと歩き方変になったりするかもだけどっていうのあって、
でも骨を治したほうが長期的にはいいだろうみたいな。
でもやっぱ当時10歳の子供が全身麻酔でそんなドリル使うような手術をするって結構怖いじゃないですか。
麻酔とかもやっぱりね、全身麻酔とかも怖いしね。
それでなんか結構そうですね、もちろん手術の後とかもすごい痛いし、
私が一番覚えてる一番痛かったのは、なんか傷がちょっと開いてきちゃうんですよ。
足ってあんまり皮膚がないから。
私結構当時痩せ方だったので、皮膚が突っ張っちゃって、傷口が開いてきちゃうんですよ。
だからもう一回縫い直さなきゃいけなくて、極小麻酔だけで。
それが一番痛かったっていうかグロかったかな。
みたいな感じで結構、当時小学生がやるっていうには、
どんなことが起こるか分かってたら多分あれだったんだろうけど、
でも一応説明を受けて、私がやるって決めたらしいんですよね。
親的には、やるかやらないかは本人次第みたいな感じだったらしいから。
その時とかすごい泣いてたり、
うちの親的には子供の、私の幼少期の思い出としてはそれがすごいでかいみたいで、
だからそれもあっていろいろギブスとか取ってくれてたらしいんですよ。
そういう背景があって、私右足一応手術してたから、
それもあって結構不安だったんですよね。
骨大丈夫だよって言われても、確かに細かい破片とかはないんだろうけど、
でもこのまま普通に治して、特殊なリハビリとかしなくていいのかなっていうのが分かんなくて不安で、
私子供の頃こうだったんだけどって、
言ってもあんまりそれに対して有益なアドバイスみたいなのをくれなくて、
親にそれについて後で電話して聞いてみたら、
手術の影響と不安
スピーカー 1
当時どういう風に手術をしたのかとか全く資料がないらしくて、親の手元にも。
ギブスとかは取ってる。ギブスの切れ端とか学級新聞とか取ってるのにねって言われて、
それでそういうの取ってたんだって思ったんだけど。
だからそういう、私がどんな手術を右足受けているのか分からなかったからずっと不安だったんですよね。
歩けるようになるまでこれでいいのか。
スピーカー 2
足に粘着したって聞いて、どっちの端って聞いて、そっちの足だったから結構それで不安でしたね。
スピーカー 1
今さらどうしようもないというか、結局保存療法で何もせずに歩けるようになってるからあれなんですけど、
固定の仕方とかリハビリの仕方とかなんかもっといい方法があるんじゃないかとか、
いろいろそういうのを心配してて、結果的にはいろいろ自分でYouTubeで、
今ってたくさん整骨医の人とかがマッサージとかリハビリの仕方とかいろいろ載せてるんで、
そういうのを参考にしながら自分で結局やっちゃったんですけどね。
手術するかしないかみたいなのも、しないでだましだましっていうこともできたっちゃできたんですけど、
手術してなかったら今どうしてたかっていうのを今の時点から遡って予測するのは難しいんだけど、
でも手術した後、実際私陸上部入って短距離走を走ってたし、高校生のときね。
その後もこのポッドキャストにもたくさん話してますけど、トレッキングしたり、
それこそ何十キロって歩いたりとかできるようになったから、
そういう意味ではあの時手術してたのが良かったのかなって思うことの方が多いです。
保存療法に頼らず1回骨を根本的に直して、ちょっとちっちゃくなっちゃってるんですけど、右足の方が。
それでもいろんなことができるようになって、その後運動して、
実際基本的に右足が痛くてかばっちゃうと左足にばっかり筋肉が付いてバランスが悪くなっちゃうんですけど、
そうやって運動することである程度右足にも筋肉付けたりすることができたんで、
そういう意味ではあの時自分が何考えてたかっていうのは、
実際とかだから多分何もわかってなかったと思うんだけど、
今から振り返ればあの時手術してて良かったなって思ってましたね。
だからこそ足が腫れてて、過去の手術がどう影響してるのかがわからなかった。
で、骨は何も問題ないとしか言われてなかったから、え、じゃあどうしたらいいんだろうみたいな。
過去の手術の情報みたいなのも、今私の手元にあるわけでも親の手元にあるわけでもなかったし、
その福岡の病院にあったっていう感じなので、
なんかそのね、もう当時の手術の先生とかも、
まあ1年に1回ぐらいは中学生の時も福岡行って見てもらったりはしてたんですけど、
多分高校生ぐらいからもう大丈夫だねって感じでいかなくなって、
で、それ以降はもう全くその病院にお世話にならずに、足については健康に生活できてたから、
それ以降の情報みたいなのが全然なくて、
でその、これで仮になんか人体が傷ついて、なんかどっか伸びちゃったりした時に、
それのせいでせっかく手術したのに、すごいなんか内側に曲がったままになっちゃったりしたらどうしようっていうのがすごい怖くて、
あんなにちっちゃい頃、自分頑張ったのに、てか自分だけじゃなくて、
親もすごい頑張って福岡まで来たり、連れて行ってくれたりしたわけですよね。
まあ2時間ぐらい、2時間半ぐらいかなかけて結構通院とかもしてたから、
で、あれだけいろいろ頑張ったのが、今回こんなしょうもない理由で念座して、
こう無駄になったらどうしようっていうのがすごい怖かったんですよね。
まあ結果的にはね、たぶん大丈夫なんだけど、
でもまあ、これをきっかけにもうちょいちゃんと大人になってからも子供の時の何半足由来で、
なんかちょっとやっぱ足の形とかが普通の人とはちょっと違うんで、
そういうのを見てもらえるところは長期的には探した方がいいのかなって思いましたね。
捻挫の体験
スピーカー 1
これが最後の念座とも限らんし。
スピーカー 2
そうだね、確かに。
まあでも念座に対する一般的な対処法というか、理解ってのは、
スピーカー 1
いや本当に、めっちゃ理解は進みましたね。
まあ私、前にちょっと人体の骨とかについて学んだりしてたので、
自分が学部とかの時にある程度骨の名前とか、県がどうとかそういうのも、
一般的にね。
その上で、今回念座についてどこが傷ついてどうやって治すかみたいなのを、
いろいろ今はね、たくさん生活委員とかの人がYouTubeをやっていて、
そういうのを見ながら、これはこういう動きをして、
ここに圧をかけるといいとかなんかそういうのをいろいろ見たりして、
そう学んでね、それを実際自分の足で実践してっていうのができたんで、
ある程度それで自分的には良かったんですけど、
それは全部ね、そうやって何も今まで手術とかをしたことがない人の場合っていう感じだと思うので、
私もあんまり会ったことないですからね、自分の周りで、
幼少期にそうやって骨削る手術しましたみたいな人って。
だから、そんなに。
確かに。
スピーカー 2
なんかその話はね、聞いた時に結構印象に、
なんかじわじわ残ってるというか、結構なんかあやかさんの人格形成にかなり影響しているんじゃないかなっていう。
どういうこと?人格形成って。
聞いてて、なんかちょっと思ってます。
というのは、なんか結構、ある意味ジャンプというか、
そのままでも大丈夫だけど、変化を望んだ結果すごく良かったっていう経験を割と早めに。
そういうふうに思ったことなかったけど、そっか。
でもなんかそれとなんか近いような決断をその後、たぶんしやすくなったりもするのかなと思ったかな。
まあなんか留学とかも結構短期的には結構大変だったりするけど、
なんか実際に行ってよかったって思うことはあるかもしれないし、
それが実際に正確に予測するって難しいから、もう永夜で行く行かないと決めるしかないんだけど。
スピーカー 1
たぶんその時ね、小学2、3年生の時くらい当時困ってたのって、冬になると痛くなって、
本当にだから1歳の時に手術した後にちょっと足が張る感じで痛くなるというか、
それでちょっと体育とか冬の間休んでたりとかする感じのが何回かあったくらいかな。
だからまあちょっと痛いかなぐらい以外はそんなに困ってなかったんだけど、
でもそもそも私小学校がさ1キロ先だったんだよね。
1キロ、2キロか、たぶん2キロぐらいあったはず、たしか。
あれ?たぶん2キロだったと思う、歩いて。
結構遠いね、大人でも2、3歳とかから。
たぶん小学生で2キロって結構だよね、片道2キロとかだったと思うからたしか。
で、だからその行き帰りで結構疲れた、で足が痛いのは結構しんどかったっていうのあったかもしれないね。
それが何回かあって、それってでも年に何日も、何日かはあったけど、年の大半ではなかったわけ。
たまにそういう日があるっていうだけだったんだけど。
だからまあそのままたぶん痛い日はあるが、そのまま生きていくこともできたかもしれないけど、
そこでやっぱ手術して、いろんな人にそこで出会ったんだよね。
なんか私はもう超軽症な方だった、そこの子供病院に入院してた人たちは、
どっちかというとたぶん本当に地元の病院では手術できないクラスの人たちが集まるっていう感じの場所だったから、
私みたいに片足しかも足だけっていうのはかなりラッキーな方で、もっと本当にふくらはぎとか広い範囲、
足とか整形外科だったからそういう外科的な手術してた人が多かったけど、
やっぱり大人になってからの方が手術大変みたいなのもあったし、
成長期の途中だったからより良かったと思った。
そういうのとかいろいろ見たりもしたし、初めて多分事故か何かだと思うんだけど、
ナースステーションの隣にいた人とかは、もう多分半身不遂っていうかほぼ全身不遂なんだと思うんだけど、
全然動けない感じの人もいたんだよね。
子供、みんな基本的に子供なわけよ。
でも、そういうことが人生にありえるんだってすごく思うし、
自分より、例えば別の回とかだと本当に心臓病の患者さんとかもいるし、
スピーカー 2
いろいろ小病気で直面してる人が多い病気だった。
スピーカー 1
しかもほとんどみんな私より小っちゃかったりっていうこともあったし、
そういうのを見て、やりたいことはやらなきゃみたいな感覚も多分あっただろうし、その時に。
そこで手術したこともそうだし、病院にいたこともそうだと思う。
周りがみんな大人だったらもっと甘えてたかもしれないけど、
周りもみんな子供だったからより、みんな頑張って自分のことに向き合って頑張ってるみたいな。
私は、なんで小学校に手術する人とかいなかったわけだからさ、
なんで私だけ?みたいに思うわけじゃん、最初。
痛い時とか特にそう思うけど、
でも、私の痛いなんて全然たいしたことないって思えるぐらい、みんなすごい何かと戦ってる子がやっぱ多かったから、
そういうのを見て、私も頑張らなきゃとか思えたかなっていうことがありましたね。
結構大きい体験だったね。
今思い返すと本当にいろいろな、自分にとっては転機があったかな。
あとなんか初めて多分そこで、ある意味ちょっと特殊な体験をして、
それについて多分書いた作文が賞をもらったりとかしたんだよね。
それで、着目されて新聞に載ったりとかもして、
そういうのを通じて文章を書いて自分が考えたこととか伝えたりすることに対してすごい興味が湧いたし、
院内新聞作ったのが楽しかったから、新聞記者になりたいってその時言ってたし、
物を書くことを書いて人に伝えることに対する興味みたいなのが湧いたのは、
やっぱその時に伝えたいことがあったからだったろうなって思うんだよね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
はい。
で、
あともう一つ、すごいどうでもいい話なんですけど、
ハワイでこけたのは、これ日本帰りだったからもあるんじゃないかなと思うんですよね。
そう、なんであんなとこでこけたんだっていうの。
まず、アメリカ的コンストラクション、なんか日本のと比べると明らかにでかいクレーンがすごい危ういところにつってあるっていうのにまず目を奪われてしまった。
で、のと、あと、日本ってこう段差、すっごいちっちゃい段差でも段差注意とかめっちゃ貼ってあるじゃないですか。
で、ああいうのってちょっとダサいなって思ってた。見栄えがあんま良くない、おしゃれじゃないって思ったけど、
いやでもあれめっちゃあそこにあれば良かったのにって思って、そう段差注意マークあれ役に立ってたんだって思う。
大事だよね、実際。ないと困っちゃう。
私は今回ね、幸い骨折せずに済んだんですけど、
これ自分の上に報告した時は意外と全然心配されなくて、何でかって言うと、そういううちの父親が何でもないところで転んで、それは山だったんですけど、救助隊に来てもらったみたいなことがあって、
で、その時骨折してたんですよ、っていうことが。で、骨折して入院してたから、それに比べたら骨が大丈夫なら大丈夫みたいな感じで、父親は結構。
俺と同じ段かったんだったら大丈夫やねんって。
さらに、また母のお兄さんも2、3段ぐらいを見逃して転けて骨を折ってたらしくて、で、私は骨を折らなかったから大丈夫っていう。
大丈夫判定だったんだ。
家族の反応と支え
スピーカー 1
私は何でこんなしょうもないところで転けちゃったんだろうって凄いへこんでたんだけど、いやそういうもんだからみたいな感じで結構励まされましたよ、うちの母親には。
で、段差注意マークがめっちゃある日本から来て、で、あんな、だって入り口片方にはないのに片方には段差があったら絶対日本だったら段差注意って書いてあるようなところだったんですよ。
で、しかもすごい分かりづらい段差っていうか、ちょっとしばらく歩いてからある段差だったんですよね。すぐ店から出てすぐじゃなくて、ちょっと歩いてからいきなりなんかだんだんかあってっていう感じだったんですけど、
そうでその段差の最初の一段に気づけなかったっていうのは、なんかちょっと日本ボケがあったのかなっていう感じがしました。
で、逆にアメリカにしばらくいたら特にニューヨークとか結構意味不明な段差っていうかがいっぱいあるから、し、なんか足元に常に注意をかけてないといけない状況が結構ある。
そもそも階段の高さが一定じゃないんですか。
高いしね、一個一個。結構一個一個の階段の高さが高かったり、なんか段差ある意味あるかみたいなところに結構段差があることが多いので、
だから結構多分ニューヨークにしばらく慣れていればこけなかっただろうなと思うし、そこのちょうど乗り換えっていう特殊な状況と目の前で工事をしていたっていう状況が合わさってあの時こけたんじゃないかなっていう気がします。
スピーカー 2
なるほど。
はい。
スピーカー 1
こけい分析でした。
みなさんも気をつけてください。本当にね、こうしょうもなさそうなところでこけてこれで、私は今回折れなかったけど、折れることも全然あるし、
スピーカー 2
いや、そうだよ、確かに。
スピーカー 1
アメリカで骨折るとすごい大変なことになってただろうから。
気をつけましょう。
本当にね、みなさん気をつけてください。
ね。
スピーカー 2
折れてなくてよかったっていうことと、
ぜひ気をつけてください。
でもハワイ行ったら検証できるんじゃないですか。そこに一人怪我をした人がいるにもかかわらず、お知らせがだなさ注意が張られてないかもしれないし、
スピーカー 1
いや、張らない、張らない。
張ってあるかもしれないし。
だってお店の人には誰にも心配されなかったもん。
張らないか。
でも道行く人がすごい心配してくれて、
まあ確かに、てか本人もまあ痛いけど大丈夫かっていう感じだったんだもんね、その時も。
いや、こけた瞬間これはめちゃくちゃ痛くて、
でももうなんか遠いすがりの2人、あのカップルがすごい心配してくれて、
あら、大丈夫、大丈夫、私は大丈夫だ、みたいな。
ただ、もう、でも、そう。
心配されると大丈夫って言った。
いや、本当はもうその場でうずくまってしばらく立ち上がりたくなかったぐらい痛かったんですけど、
うんうん。
大丈夫。
スピーカー 2
うん、だけど。
スピーカー 1
そうそう、心配されるから。
心配されるから。
立ち上がって、
スピーカー 2
このハワイ観光の、
スピーカー 1
ハワイ観光をしてる、
その2人を。
アメリカ人のカップル2人を止めたくない一心で、
とりあえずこう、うーってこう起き上がって、
大丈夫。
その場の近くの適当な段差にまた座って、
で、そしたら、
スピーカー 2
いや、はやかさんらしい行動です。
スピーカー 1
そうだそうだ、そうやってしばらく座ってるのがいいと思うぞ、みたいな感じで言われて、
そうする、そうするわ、つって、
本当に大丈夫?なんか、
救急車とか呼ばなくて平気?みたいになって、
大丈夫?大丈夫?
大丈夫?
で、そしたら、大丈夫?大丈夫?みたいな。
言ってもらったんだけど、
そう、みんなめっちゃ心配してくれるからこそ、
なんか大丈夫なふりしちゃうんだよね。
スピーカー 2
なるほどね。
そういうとこありますよね。
スピーカー 1
うん。
はやかさん。
そうそうそう、なんかそんなこんなで、
結局なんか足の病院の先生と言って紹介してくれて、
あらゆる見てくれた先生も、
まあ大丈夫だよみたいな感じで、
まあなんかその、
まあ大丈夫だよっていうかその、
まあ正直その外科手術のことについては、
自分は専門外だから分かんないみたいな感じで、
また別の先生に回されてみたいな感じで、
てかもうそれはそれで大変だったっていうこともあって、
そうそうそう、
ていうことがあったっていうのもあってね、
スピーカー 2
座はね、結構心配ではありましたけど、
ホームシックの感情
スピーカー 1
心配でしたね。
まあでもね、歩けるようになってきたんで、
スピーカー 2
うん、まあ無事治りつつあるということで、
スピーカー 1
そうそうそう、
ね、いやでもまあ、
でも、
これがね、あのハイキング中とかには起こらなくてよかったね、
本当にね。
スピーカー 2
いやーまあ本当だよ、確かに。
うん、そんな状態になって、
それが途中だったらね、
うん、ちょっと怯って、
あと20キロ歩かなきゃいけない。
スピーカー 1
戻るの進むの20キロっていう、
無理でしょ、無理でしょ。
それはもうさすがにレスキュー減り物だよね。
スピーカー 2
いやでもそれこそいくらかかるんだっていう、
スピーカー 1
いやほんとほんとほんと、
ことじゃないです。
スピーカー 2
ちょっと怖い。
スピーカー 1
恐ろしい。
ね、まあだから辛うじて、
家に帰る途中だったっていうのがまあ、
まだ救いだったけど、
いやでもなんか、
今までで一番のホームシックを感じて、
それこそまた、
スピーカー 2
あー日本に帰りたい。
スピーカー 1
そうそうそう、
3週間のその日本滞在がまあ結構充実してた、
仕事面でもプライベート面でも充実してたっていうのもあったし、
いろいろ家族とかにも会えたしね、
で、なんか、
その後、
私が、
あの、
ハワイの空港に早く着いたって言ったじゃないですか、
すごい早く着いて、
で、あの、
しかも、
こう、なんか、
車みたいなので、
もう、
自分が乗る、
あの、
出発ゲートまで連れてってもらった?
うん。
ゲートまで連れてってもらったから、
そしたら、
もう、
まだ来てないっていうか、
まだ、
ゲートが別の便に使われてたんですよ。
どこだったと思いますか?
ニューヨーク行きじゃなくて、
なるほど。
羽田行きだったんですよ。
どこだったんですか?
スピーカー 2
あー、
帰りたいと。
スピーカー 1
これ乗ったら帰れるじゃんっていう、
これ乗ったら、
羽田に帰れるんだみたいな。
で、
したらよっぽど、
自分的には、
慣れてるわけじゃないですか、
その時が、
今までで、
今まで過去の中で、
もっとも、
こう、
ホームシックを感じたっていうか、
日本に帰りたいと、
一番思った瞬間がそれだった。
スピーカー 2
確かになぜ、
ニューヨークに行くのかと、
ここから。
スピーカー 1
ここからね、
そうそうそうそう。
スピーカー 2
で、
スピーカー 1
そして、
スピーカー 2
5階の家に帰るのかと。
スピーカー 1
そうそうそう。
で、
日本に帰ればさ、
全部エレベーターで移動できるじゃん。
スピーカー 2
ね、
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
病院のシステムわかるし。
スピーカー 1
そうなんだよ。
スピーカー 2
で、
同じぐらい遠いからね。
スピーカー 1
余計ね。
スピーカー 2
そう。
スピーカー 1
ハワイからだったら、
もう距離一緒なんですよ、
ほぼ。
で、
わっ、
このままの、
これに乗ったら帰れるみたいな。
しかも、
目の前で、
なんか、
スピーカー 2
多分、
誰か、
こう、
スピーカー 1
人家族。
ああ、
スピーカー 2
ハワイから帰る。
スピーカー 1
そう、
スピーカー 2
ハワイから家族帰る。
スピーカー 1
人家族遅れてたから、
結構、
なんか、
待ってたんですよね。
誰とか様、
誰とか様、
みたいな感じで、
え、
これ空きあったら乗れるんじゃね?
みたいな、
一瞬考えたもんね、
もはや。
スピーカー 2
うん。
まあでもね、
スピーカー 1
荷物預けちゃってるからね。
そう、
そう、
荷物はニューヨークまで行くことは、
このままほっとくと、
そうなるし、
まあ、
普通に、
病院を取り直したら、
ね、
お金もかかるし、
まあ、
普通にニューヨークで、
いろいろ仕事もあるし、
あの、
どっちを離れるのもな、
というのもあって、
サクッと戻ってきたけど、
いや、
あの時が、
一番、
スピーカー 2
このまま帰りたいと思う。
スピーカー 1
帰りたい。
逆に言うと、
まあ、
そこまでホームシックになったこと
なかったのかもしれないけどね。
うん、
スピーカー 2
うん、
うん。
いやー、
ね、
大変ですよ。
健康第一っていうことですね。
スピーカー 1
うん。
あと、
スピーカー 2
歩く時は油断をしてあげません。
スピーカー 1
いや、
本当だよね。
いや、
あの時は、
本当に、
でも、
そのおかげでつらかったのが、
あの、
スマホは、
一応今もまだ生きてるんですけど、
うん。
その、
画面の端が割れたんだよね、
スピーカー 2
こけた時に。
あー、
確かにね。
うん。
スピーカー 1
で、
いつ死ぬか分かんないっていう、
うん。
不安もあったね。
うんうんうん。
そうそうそう、
携帯が壊れた中で、
足が痛くて、
どこに、
誰にどう連絡して、
みたいなのも分かんなかったから、
うんうん。
それも結構不安要素としては、
でかかったかな。
うん。
確かに。
うん。
スピーカー 2
いやー、
大変でしたよ、
ここ、
2週間の1番のニュースといえば。
スピーカー 1
あははは。
うん。
ね。
いや、
もっと語るべきこと、
たぶん日曜にあるんだけどね、
なんかたまたまちょっと、
スピーカー 2
年材について。
ちょっとデカすぎて、
スピーカー 1
ニュースが。
語りました、
はい。
スピーカー 2
うん。
という感じで、
スピーカー 1
まあそれでもね、
今、
歩けるように一応、
スピーカー 2
ね、
スピーカー 1
なって回復して、
なりました。
はい。
いますっていうことで、
はい。
スピーカー 2
頑張って、
生き抜きました、
はい。
スピーカー 1
うん。
でも、
たぶん、
りょうえいさんの方が先に、
りょうえい君、
りょうえいさんの義両親、
で、
私にとっての義両親、
りょうえいさんのご両親に先に報告してから、
また、
りょうえいさんのご両親に先に心配されるっていう。
あははは。
スピーカー 2
確かに、
本人はそれどころじゃなくて、
自分の親にはまだ言ってない。
スピーカー 1
そう、
アメリカでの怪我の不安
スピーカー 1
私は、
スピーカー 2
そっち起因で知ったりしてたんじゃないかな。
あ、
スピーカー 1
いや、
まあ、
それはなかったと思うけど、
さすがに。
今回は、
うん。
なんか、
ニューヨークに着いて、
全部一通り終わって、
部屋の、
部屋に着いて、
ふーふーふーってなってから、
あの、
連絡しましたね。
うんうん。
というわけで、
スピーカー 2
まあ、
スピーカー 1
とりあえずね、
よかったですが、
まあ、
そんなこんなで、
いろんな事情があり、
うん。
はい。
スピーカー 2
アメリカで怪我をすると大変ですって。
いや、
スピーカー 1
本当にね、
本当に、
いや、
いろんな不安が、
いろんな不安が頭をよぎります。
うん。
スピーカー 2
本当に。
みなさんもお気をつけください。
スピーカー 1
はい、
みなさんもお気をつけくださいということで、
はい。
こんな感じかな。
スピーカー 2
じゃあ、そんなとこですかね。
はい。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
じゃあ、
それではまた、
次回も聞いてください。
スピーカー 1
はい。
さよなら。
さよなら。