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Vol.359 ハワイと新発田を結ぶ1枚の家族写真。伊藤知明先生に聞く「ハワイの家族」と自身のルーツ 20260821
2026-08-21 33:39

Vol.359 ハワイと新発田を結ぶ1枚の家族写真。伊藤知明先生に聞く「ハワイの家族」と自身のルーツ 20260821

今晩8/21の 敬和キャンパスレポ は、敬和学園大学で英文法などを担当されている非常勤講師の伊藤知明先生をお迎えしました🌴🌺

伊藤先生は、ご自身のハワイ留学と新発田出身の曾祖父・高橋二三(にぞう)さんをめぐる実体験を描いたノンフィクション小説『ハワイの家族』の著者でもあります。

​ハワイに留学していた伊藤先生は、100年近い時を経て、偶然にもカウアイ島に「ハワイの家族」がいることを知ります。

その二つの家族を結びつけたのは、新発田の「吉原写真館」で撮影され、ハワイの家族が大切に保管していたたった1枚の家族写真でした。

​​放送では、ハワイ留学やカウアイ島での「ハワイの家族」との奇跡的な出会い、新発田の「吉原写真館」を訪れた際のお話をお聞きしました。

​また、ハワイ移民が置かれていた過酷な環境や、地域の歴史、そして自身の「ルーツ」を知ることの大切さについてもお話しいただきました。

写真というものが持つ「記憶と関係をつなぐ力」と、地域の歴史の深さに胸が熱くなる30分です📷

エフエムしばた で21時から放送!ウェブからでもお聴きになれます📱➡️https://shibaradi769.com


​MCは江口、辺土名。


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サマリー

本放送では、敬和学園大学の非常勤講師である伊藤知明先生をゲストに迎え、先生の著書『ハワイの家族』を軸に、ハワイと新発田を結ぶ家族写真にまつわる感動的な物語が語られました。伊藤先生は、ハワイ大学での留学中に、自身の曽祖父である高橋二蔵さんが1899年に新発田からハワイへ移民したことを知り、偶然にもカウアイ島に住む二蔵さんのハワイの家族と100年の時を経て対面を果たすという奇跡的な体験をしました。この二つの家族を結びつけたのは、新発田の「吉原写真館」で撮影され、ハワイの家族が大切に保管していた一枚の写真でした。番組では、ハワイでのピジンイングリッシュとの出会いや、過酷な移民の歴史、そして写真が持つ記憶と関係を繋ぐ力について深く掘り下げました。さらに、伊藤先生が自身のルーツを辿る中で、新発田に移住し、地域の歴史や人々の繋がりを知ることの大切さを語り、若い世代へのメッセージも伝えられました。

伊藤知明先生の紹介とハワイ留学のきっかけ
スピーカー 4
敬和キャンパスレポ。この番組は、柴田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
スピーカー 2
今日の進行は、国際文化学科3年の江口悠久と、英語文化コミュニケーション学科2年の片戸中良です。どうぞよろしくお願いします。
今日は、ハワイと柴田との関わりということなのですが、江口さんは、ハワイについての印象とか、ハワイに行かれた経験はありますか?
スピーカー 4
いや、ハワイに行ったことはさすがにないですね。でもイメージって言ったら、やっぱりリゾート地、結婚式とかでハワイに行って結婚式あげるぞ、みたいなのがよくイメージとしてありますけどね。
スピーカー 2
そうですね、確かに。私も行ったことないので行ってみたいですね。
というわけで、今日はあるきっかけで、ハワイと柴田、そしてご自身との関わりについて知り、柴田に移住されることになった非常勤講師の伊藤千明先生においでいただきました。どうぞよろしくお願いします。
スピーカー 1
こちらこそよろしくお願いします。
スピーカー 2
また、市野平先生にも補佐として入っていただきます。
スピーカー 3
はい、たまに入ります。
スピーカー 2
伊藤先生は、今日収録している火曜日に英文法の授業を担当されているということで、朝からおいでいただきました。
スピーカー 3
ありがとうございます。
スピーカー 2
授業前の時間おいでいただきありがとうございます。
スピーカー 1
ありがとうございます。
この後お二人も授業でしょうから、頑張りましょう。
スピーカー 4
はい、頑張りましょう。
スピーカー 2
では、まず伊藤先生のプロフィールをご紹介します。
伊藤千明先生は千葉県のご出身で早稲田大学を卒業後、ハワイ大学広校で言語学を学び、2003年に同大学マノア大学院の修士課程を修了されています。
その後、柴田出身の祖先のことを知り、それがきっかけで柴田の人々との交流が始まり、2012年から柴田市に移住されています。
千葉学園大学ではその後非常勤講師として私たちを指導してくださっていて、現在は英文法を担当されています。
ご自身の経験を書いた小説「ハワイの家族」で、2015年に千葉学園大学が主催していた第7回赤北ロマン賞小説部門の審査員特別賞を受賞されています。
スピーカー 1
ありがとうございます。
こちらの千葉学園大学の方は、2020年から非常勤で教えさせていただいているのですが、その前の2015年にこの赤北ロマン賞を受賞させていただき、
そのときとても幸運だったのは、京技塾大学の元編集長の加藤宗矢さんとか、俳優の石坂浩二さんにこのとき出会えてコメントをいただけたというのは、本当にこのときラッキーだったなと思っていますし、今でも覚えています。
スピーカー 3
当時審査委員長だった加藤先生は、見た文学という文学雑誌の編集長で、知らないご存知かわからないですけど、非常に権威あるですね。文学史の編集長の先生で、その先生は読まれてコメントしてくださった。
特別賞に選ばれた。
スピーカー 1
特別賞。問題作でしたけどね。
スピーカー 3
これだからあれですよね。ノンフィクションですからね。
スピーカー 1
小説というよりは、伊藤先生のご経験がベースになっている。
伊藤先生ご自身がハワイに長く滞在されていたと理解しました。
スピーカー 4
ハワイで言語学を学ぼうとされていたきっかけ。
その後ハワイでの生活について教えていただけますか。
スピーカー 1
言語学。とりあえず人と言葉ということに関して、とても関心が当時あったんだと思います。
人と言葉って、地球上のどこにいてもいろんな言葉を作ってコミュニケーションしていて、それが面白いなと思っていて。
そこに関心があって、言語学を勉強してみようかなと思ったんですよね。
スピーカー 3
日本にいたときは言語学ではなかった?
スピーカー 1
全然言語学とかはやっていなかったですね。むしろ正直なところ、音楽のことが頭の中にある。
スピーカー 3
ハワイに行ってウクレレもやったんですか。
スピーカー 1
実はウクレレもやりましたけど、スラックキーギターっていう、ハワイで特別な奏法があるんですけど、
そのギターには日本にいるときから実は知ってて、それも学べるかなって腹黒いところもあって、ハワイに留学したんですけどね。
スピーカー 3
やりたいことがいっぱいあったので、8年?9年?
スピーカー 1
9年いたんです。
スピーカー 3
結構長いんです。
スピーカー 2
9年は。
スピーカー 1
おかげさまで。
ただ、大学の外っていうのは、確かにハワイなんですけど、大学の中っていうのはやっぱりアメリカのもので、行って遊べるかな?ぐらいに思ってたら、やっぱりとてつもなく勉強させられて。
スピーカー 4
課題とかすごく多そうな。
スピーカー 1
週末はもうほんとてつやてつやの連続で、もう眠れないねっていう日々が結構あるんで。
いや、もう凝りました。
スピーカー 3
なんか気候が良くて素晴らしいけど、大学の中にいるとすごい必死で勉強してるみたいな。
スピーカー 1
そうですね。
特に大学院でホノルヌのマノア湖の方に行った時には、もう山の方にマノアっていうのはあるもので、ダイヤモンドヘッドとかワイキキとか見えるわけですよ。窓の向こうに小さく。
それを見て、うーんって思いつつ。ダイヤモンドヘッド遠いな。
スピーカー 2
遠い。
スピーカー 4
って言いながらもずっと勉強して。
スピーカー 1
そんな感じでしたね。
ハワイでの言語体験とピジンイングリッシュ
スピーカー 3
でも最初に行かれたヒロは違う島?
スピーカー 1
ヒロっていうのはハワイ島ってビッグアイランドとも言うんですけど、一番大きな島で例の火山のある島なんですよね。
当時僕が行った時はラッキーだった。日系人2世の方がまだたくさんいて、その人たちはもう日本語も話しますし英語も話すし。
その経験っていうのは今でも胸の中にありますよ。
スピーカー 1
とても大切な時だったと思います。
スピーカー 2
いいご経験をされてますね。
なかなかないですよね。
スピーカー 1
ただその時のエピソードで一つ言えば、大学に行って、当たり前ですけど英語で授業するわけ。
100%わかったかって言うとそうでもなかったと思うんですけど、授業を聞いてそうですねって。
とりあえず例えば大学から外に出ると、日系人の人たちがいて、日系人のおじさんおばさんとコーヒー飲んで話したりすると、何言ってるかわからない。
何言ってるかわからない。
しまいにはなんで英語わからないって。英語は勉強しに行ってるんだろ大学に。もっと勉強しろって言われて、すいませんって。
なんでわからなかったかわかりましたよね。
やっぱハワイだから鉛とかそういうのがあるんじゃないですかね。
スピーカー 1
その通り。だから日本でも場所によって、実は日本語ってどこでも同じ言葉を話してるわけではなくて。
ハワイっていうのは本土からあれだけ離れてるし、もともとはハワイ語っていう言語があったところだから、英語っていうのは後から来た言葉で。
さらにそこに移民がいっぱいいたわけ。日本人、中国人をはじめフィリピンの。
そういう他の言語の影響を受けてるし、とっても特別な英語がそこにあって、それがわからないとちょっと。
スピーカー 4
なるほど。
スピーカー 3
だからハワイの人はそれ何て呼ぶんですか?
スピーカー 1
それをピジンイングリッシュって言うんですよ。
スピーカー 2
ピジンイングリッシュ?
スピーカー 1
ピジンって言うんですね。
スピーカー 4
ピジンっていうのは何か意味があるんですかね?
スピーカー 1
それ自身に特別な意味があるかどうかはそこまではどこまで知らないんですけど、
たとえば沖縄だったら内縄口って言うでしょ?
スピーカー 4
ありますね。
スピーカー 1
それと同じようにピジンって言う。
どういうことかっていうと、逆に言うとピジンを話すっていうことはその土地のものだっていうことなんですよ。
たとえば沖縄で内縄口って言ったら沖縄の人だよって言うんですよ。
それでちょっと僕もピジンっていうのに興味を持って勉強してみようかなって思ったりもしました。
スピーカー 2
なるほど。
曽祖父・高橋二蔵さんとハワイの家族との奇跡的な出会い
スピーカー 2
さて、そのハワイで伊藤先生はヒンおじいさんである高橋二蔵さんという人物のことを知り、それからの経緯をハワイの家族という作品に書かれています。
概要をご紹介します。
1899年、伊藤先生のヒンおじいさんである高橋二蔵さんが柴田からハワイへ契約労働者として渡ります。
目の病気で渡航を断念した妻とは離れ離れになり、二度と再会することはありませんでした。
伊藤さんはハワイ留学中、偶然にもカウアイ島に住むヒンおじいさんのハワイの家族の存在を知り、100年の時を超えて親戚たちと対面を果たします。
つながった写真、柴田の吉原写真館で撮影され、ハワイの家族が大切に保管していた一枚の家族写真が離れ離れになった二つの家族を再び結びつける鍵となりました。
以上が概要ですが、まずハワイに留学されていた時には、高橋二蔵さんのことをご存知なく、ハワイで勉強を始めてから知るようになったと書かれていました。どのように知ることになったのでしょうか。
スピーカー 1
留学前は高橋二蔵という名前は一切聞いたことがなくて、留学してから母がハワイに住みに来た時に、うちの祖先には高橋二蔵というハワイに移民したものがいるんだよという話をその時初めて聞いたんですよね。
その時母は、僕は伊藤ですけど、高橋家の親戚の叔父から高橋二蔵の話を聞いていたということで、その時に僕は高橋二蔵という名前を初めて聞いて、もちろんハワイにいたもので、それも大学にいたもんですから資料いっぱいあるから、高橋二蔵のいろいろリサーチをして調べたんですけど、
なかなか見つけることはできなくて、正直勉強もいろいろ忙しかったので、そのままになってたんですけど、その後、僕が大学院を卒業した後、友人がカウワイ島でリサーチをしていて、それはカウワイ島で話されている英語のリサーチをしていて、
その時にたまたま高橋二蔵の子孫だっていう人と出会って、それで驚いて日本にいる僕に電話をかけてきて、高橋二蔵の子孫だって人がいるけどどうするっていう、カウワイ島に来るって話になって会いに行ったんです。
スピーカー 3
友達の方はずっと探してくれてたんですかね?なんか俺に触れてこういう人を知ってるみたいなことじゃない?
スピーカー 1
そうじゃなくて、そこがある意味ラッキーだったんですよ。たまたま僕の先祖の話をして、高橋二蔵っていうのが来たんだけど見つからないままなんだって話まではしてたんです。
だけども、たまたまカウワイでリサーチしててその名前が出てきたけどどうする?
スピーカー 3
それで行くことになると?
そうなんです。
スピーカー 3
その時点では写真のことはまだ見てない?
スピーカー 1
そうですね。それでカウワイ島に行くことになって、向こうでハワイの家族の人たちと会うわけですけど、実際もう本当にハワイアンの人たちなので
はて、親戚、血が繋がってると言われてもなーっていう、もう自分一人ぽつん日本人、ピュア日本人、でも周りなんかハワイアンみたいなの多くてね
そういう肌の色も焼けてるような、日焼けしてるようなそういう人たちに囲まれて、はてさてと思ったんですけど
だけども、そんな話をしてる間にある人が、おそらくその高橋二蔵の写真だと思うよって見せてくれたんですよ。ある写真を。
そしたらあれって思って、これは赤ちゃんは僕のおじいさんだし、もう一人子供が写ってたんですけど、その子供は僕のおじいさんの兄にあたる方だし
なんでそれがわかったかっていうと、実は日本に行く前に高橋のお家に、僕のおじいさんやそのおじいさんの兄にあたる方の子供の頃の写真を見せてもらってたんですよ。
だからその面影が残ってたから、僕にはこの二人、もううちのおじいさんとおじいさんの兄じゃないの?と思って。
どうしてこんなハワイで会うんだろうと思って。
てことはこのおじいさんを抱いてる女性って誰ってことになるわけですよね。
そしたらもうひいおばあさんの高橋理恵さんってことになるじゃないですか。
当たり前ですけど、僕はそれまでひいおばあさんの顔は一度も見たことがないから、なんでハワイで理恵さんに会うのかなっていうのはすごい驚きました。
もうひとつちょっと余談ですけど、余談でもないかな。
ハワイに高橋二蔵のお墓があって、その顔が一本に。
そこに写真が埋め込まれてて、そこにも高橋二蔵の当たり前ですけど顔が写ってる。
要は何が言ったらいいかって、ハワイに行って自分の先祖に初めて出くわしたわけです。
初めて顔を見て、これは一体どういうことなんだろうっていう。
すごい驚きました、そのことが。
スピーカー 4
普通ないですもんね。
新発田の吉原写真館での発見とルーツの繋がり
スピーカー 4
そしてハワイで偶然の発見した後で、柴田で吉原写真館を訪ねられています。
吉原写真館の館主は、清和学園大学で視覚経営通論を担当されている吉原先生ですよね。
柴田を訪れた際にはどのような発見があったのでしょうか。
スピーカー 1
ハワイの家族が見せてくれた写真という、そこに実は漢字が印刷されてて、
新潟県柴田、吉原瀬、さらにアルファベットでC・吉原って書いてある。
印刷されてたんです。
その写真のプリントを持って柴田に来たわけですけど、
だからといって僕は単にそこに写真に柴田と印刷されて柴田に来ただけであって、
まさか吉原で撮影した場所があるなんて全然思ってないわけです。
何でかっていうと、100年以上前の話ですから、それが撮られたって。
僕のおじいさんが赤ん坊の頃なんで、そうかと思って。
ただ正直なところ、その吉原写真館を柴田に来て、
最初に発見したのは僕のおじいさんで、
おじいさんが一緒にリサーチに来たんですけど、
スピーカー 1
僕は図書館でいろいろ調べ物をしてたら、そこにおじいさんが来て、
吉原写真館あったよって言う。
いやいやいや、おじいさん、100年前の話ですから、
スピーカー 1
あるかもしれないけど、たまたま名前が吉原だけであって、
それがこの写真を撮影した写真館とは限りませんよって僕は言ったんですけど、
おじいさんが、いやいやいや、いいから黙ってついてこいみたいな。
スピーカー 1
そうなんですか。分かりました。そこまでおっしゃるなら分かりました。
ついて行って、そしたら吉原先生が出てきて、
いやいや、こういう写真があるんですけどってお見せしたら、
そうですねと言って、
これおそらくうちで撮影したものだとは思うんですがと言って、
たまたまその時運が良かったのは、
吉原さんが写真館の蔵でたくさんのガラス看板を発見されてたんですよ。
ガラス看板っていうのは後のフィルムみたいなもので、
当時はガラス看板にみんな印刷したわけなんですよ。
それをみんなデータ化してて、ガラス看板に写ってる人たち。
いろんなものをそれで見せてくれたんですね、その時に。
本当にいろいろ見てるうちにあれ?と思うものは一枚あって、
やっぱり僕がハワイで見せてもらった写真のように、
スピーカー 1
男の人が着物姿の男の人が立ってて、
横に小さな男の子が椅子に座っているっていうような写真だったんだけど、
まず一つ気がついたのは、後ろ背景のスクリーンの模様が全く同じだと。
洋館の西洋っぽい部屋が描かれたものだし、
さらに椅子の装飾の感じ、モールとかの使い方とかも全く同じだったし、
あれ?と思ってその写真の話を聞いたら、
これはうちの写真館3代目の吉原長平のって言うんですよ?っていう立っている男の人がね。
長平さんですか?って、ちょっと待ってくださいねって。
てことは、もしかしてハワイの家族が持ってた写真に書いてあった、印刷された、
C、吉原のCって長平さんってことなんですかね?って言ったら、
そうだと思いますよ?って言うから、そうですか。
さらに長平さんのことをちょっと聞いてみたら、
実は僕のハワイに行った火おじさんの高新層と長平さんってのは同じ年に生まれ、
てことは2人は同じ時代を柴田で生きてて。
スピーカー 4
まさかのですね。
スピーカー 1
片方は柴田からハワイに移民に行って、長平さんの方はその家族の写真を撮る。
スピーカー 2
すごいですね。
新潟県からのハワイ移民の歴史と二蔵さんの歩み
スピーカー 2
では前半はここまで。後半は伊藤先生の火おじいさんにあたり、
二蔵さんの歩みについて伺っていきます。
今日の敬和キャンパスレポは、
敬和学園大学で英文法を担当されている伊藤千明先生においでいただいていて、
伊藤先生の留学先であり、祖先との深い関わりのあるハワイについてのお話を伺っています。
後半もどうぞよろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
さて冒頭ご紹介した通り、伊藤先生は千和県のご出身で、後に柴田に移住されていますが、
火おじいさんの高橋二蔵さんは柴田のご出身で、1899年にハワイに移民されています。
スピーカー 2
大学では一之平ゼミの先輩が沖縄からの移民について映像にしたことがあると聞いていますが、
柴田からの移民というものは多かったのでしょうか。
スピーカー 1
そうですね。新潟県からハワイに行かれた方というのも、結構新潟県のレベルでいると言って、
もちろんおそらく知っているかもしれないですが、ハワイに移民すると言ったら、
広島、山口、それから九州の方で福岡、熊本、ここら辺が多いのですが、
それについて実は新潟県が多いと。
要は東日本で一番多いのは新潟県だと言ったので、
1980年の時には、ハワイに住んでいる新潟県人の人たちの90%以上は実は赤北出身の人たちだった。
スピーカー 1
ここはとても僕にとっては興味深いなと思った。
そうですね。
スピーカー 3
何があったのかわからないですけどね。
スピーカー 1
まだそれを断言するだけのものはないですけど。
スピーカー 3
多いですね。この柴田周辺の地域は。
みんなだからハワイに移民するって言って、今の時代の人は想像つかないですよ。
リゾートに移住しそうみたいな。そういうことではない。
スピーカー 1
過酷な肉体労働を耐えながら生活規模を築いていったってことですね。
プランテーションのために出稼ぎっていうことですね。
砂糖木畑ですよね。
スピーカー 4
そして様々な経緯で二蔵さんは柴田に戻ることはなく、
伊藤先生の姫おばあさんにあたる奥さんの理恵さんは一人で二人の息子を育て、
後に次男で伊藤先生のおじいさんにあたる正蔵さんと共に東京で晩年を過ごされたとありました。
この辺りのことは伊藤先生はどなたからお聞きになったんでしょうか。
実際のところは、この話を僕が聞いたというのは、
スピーカー 1
とにかくおじいさんという人は母には高橋二蔵や理恵さんのことを話を一切していなくて、
だから母からはなかなか聞けなかったんですけど、
スピーカー 4
高橋のおじから逆に聞いたというのが一つありました。
複雑な気持ちがあったかもしれないですね。
なかなか軽々しか言えないかもしれないですね。
スピーカー 3
さっきの写真の話は、理恵さんが写真を撮ってハワイに送るというのは、
ちょっとさらっと説明しましたけど、すごいことですよね。
どう考えてもガラスカンパンで写真を撮るなんていうのは、すごいお金がかかる話ですよね。
だからそうでもして家族写真を撮って、二蔵さんに自分たちの家族の姿を見せたかったというふうには読み取れますよね。
スピーカー 2
二蔵さんは日本に戻らなかったため、その後おじいさんの正蔵さんは、
父は自分たちを捨てたとして伊藤家の養子に入るというような説明になっていました。
これは伊藤先生がおじいさんから直接聞いたお話なのでしょうか。
スピーカー 1
この話も母から聞いたものではなく、おばから聞いたんですけど、
そのおばっていうのも母の弟のお嫁さんなので、
正直なところどうやらおじいさんは自分の子供たちには高橋家の話をしていない。
よそから入ってきたお嫁さんにだけ話しているっていう。
それも晩年になって話しているっていうことですね。
スピーカー 3
いろんな思いがありそうですね。
伊藤家の人にはだからあまり話さなかった。
自分の子供には直接の子供に話していない。
スピーカー 1
なぜかっていうことですよね。
スピーカー 3
そうですね。
スピーカー 2
やっぱりいろんな思いがあったんじゃないでしょうかね。
スピーカー 4
なかなか言えたもんじゃないですかね。
スピーカー 3
柴田との関係はその後も続いては行っていたんですか?
この件で伊藤先生柴田に戻ってきて、
吉原写真館を訪ねてということがありましたけど、
スピーカー 3
その間、伊藤家と高橋家もありますよね。
出ていったこの高橋家と柴田の高橋家の付き合いは続いていたんですか?
スピーカー 1
それはもう続いていたと思います。
高橋家同士は。
スピーカー 3
伊藤家はそういう意味では疎遠人になって、
スピーカー 1
そうですね。
うちのおじいさんが高橋家から伊藤家に吉に入ったもんで、
そこでちょっと遠慮なくなっちゃったかなっていうところはありましたけど。
それがこの写真をきっかけに伊藤を手繰り寄せるように訪ねていくことになるという話なんですね。
ルーツを知ることの大切さと柴田での活動
スピーカー 1
しかもハワイの家族も一緒にっていう展開になっていくと。
スピーカー 4
さて、その後、ハワイの家族との感動の再会があり、
ご親戚とともに写真が撮影された吉原写真館や伊藤さんのお墓を訪ねるなどをして、
ルーツの場所を柴田に住むことになりました。
そしてこの話をノンフィクションとして執筆されて10年が経ちました。
スピーカー 4
ご自身のハワイ移民の研究や柴田での活動について
私たち学生にお話しする機会もあると思います。
若い世代に地域の歴史や自分のルーツを知ることの大切さなどで伝えたいことはありますか。
スピーカー 1
そうですね、僕の場合、まず吉原さんが2012年町おこしのために、
2011年だったかな、写真の町柴田っていうプロジェクトを立ち上げて、
写真という縁もあったので、それをお手伝いするということで、
2012年に柴田に移住してきて、その写真の町柴田というプロジェクトで
いろんなお店を回るんですよ、商店街の。
写真にまつわるいろんなお話を伺って、
そういった活動を通して柴田の町の人とどんどん仲良くなっていって、
ある意味、僕はハワイでヒロという町で感じたのと同じように、
町の人とどんどんつながっていくという感じがすごくあって、
スピーカー 1
どんどん柴田いい町だなと思い出して。
だから、そうやって自分のルーツというのを調べていって、
そこから逆に人とのつながりというのは生まれてきたりする。
ここでは今、二造の話の中心ですけど、
やっぱり柴田のあるお菓子屋さんなんかは、
ハワイに移民に出られた方がいて、
その方はやっぱり二造と同じなんですけど、
向こうでハウスキーパーまで家事をする人なんですけど、
要はサトウキビ畑で働かなくて済むっていう。
ちょっとサトウキビ畑で働くよりもランクとしては上だし、
お金もいっぱいもらえるっていう、
そういうそこまでの仕事について、
彼は、その方はあちらでちゃんと働いて成功して、
日本に帰ってきて、お店を大きくして立派なお店を立てて、
スピーカー 1
そのお店って今でもやってるんですよ。
スピーカー 2
そうなんですね。
柴田って結構歴史あるお店が多いんですね。
スピーカー 1
ハワイ屋さんなんていう野望を持ってる、
当時はまだ聖花店って、
ちょっとした果物とか青物とか売ってるようなお店もあったりして、
あったんですけど、
おそらく興味を持って探してみれば、
まだまだ他にもハワイ屋っていう野望を持ってるお店っていうのは、
柴田以外でも見つかると思いますけれど。
ハワイ屋さんっていうのは、自分で名乗る野望なんですかね。
スピーカー 1
それどうなんですか。
スピーカー 3
周りの人が言うんですかね。
スピーカー 1
そこは僕もわからないですけど、
ただ周りの人が確かに、
あの方はハワイだから、ハワイだからって言った可能性はありますよね。
かもしれないですね。
スピーカー 3
なるほど。それを調べてみるのも面白いですね。
スピーカー 1
そういって、やっぱりルーツってものを調べていくと、
特に祖先とか調べていくと、
やっぱり自分の芯ができるっていうか、
要はその人と血がつながってるっていうことが、
すごく感じられるようになるっていうか。
特に僕が10代、20代の頃って、
自分っていうのはわからないし、
自分って何ができるんだろう。
自分って何者?とか思ってたけれど、
そこに先祖からのものを辿ってみると、
自分がすべきものっていうのが見えてきたりするっていう。
それで、もしかしたら使命みたいなものを、
自分はこうすべきだっていう使命みたいなものを感じるかもしれないし。
ちょっとギャンブル的かもしれないですけど、
僕はそれに賭けてみて、柴田に実は維持してみたんです。
で、まだその延長上にいるっていう柴田に来て、
そういうふうに感じてます。
ハワイの家族との交流と人生への影響
スピーカー 3
ハワイの皆さんとの交流っていうのは、その後続いてるんですか?
スピーカー 1
そうですね。もうそんな頻繁におったことはないですけれど、
何かの時には、
例えばまああれですけど、
お葬式の時とかは、
あちらに行ったりしてます。
スピーカー 2
やっぱルーツを知るって、ただ単に血がつながっているだけじゃなくて、
人生を大きく左右することもあるって、
とてもなんか深いものだなって思いましたね。
スピーカー 1
とりあえず、ルーツ研究とか調べてると、
周りの人たちともどんどんどんどんつながっていくから、
いろんな人たちと結局つながることになるので、
それがまたいい結果を生んだりするかもしれない。
スピーカー 2
そうですね。
番組エンディング
スピーカー 2
今日の敬和キャンパスレポは、
敬和学園大学で英文法を担当されている伊藤千明先生においでいただいて、
伊藤先生の留学先であり、移民として徒行した、
祖先との深い関わりのあるハワイについて、
その知られざるストーリーのお話を伺いました。
どうもありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。
スピーカー 4
ありがとうございました。
では今日の放送はこの辺で。
スピーカー 2
敬和キャンパスレポは、
エックス、note、Instagram、YouTubeなどで番組情報を発信しています。
スピーカー 2
番組名、敬和キャンパスレポで検索して、
フォロー、チャンネル登録よろしくお願いします。
今日の敬和キャンパスレポ終了のお時間です。
皆さんおやすみなさい。
敬和キャンパスレポは新潟で始める。
新しい国際教養。
敬和学園大学の提供でお送りしました。
33:39

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