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2025-07-25 24:47

Vol.303 イギリス人女性イザベラ・バードが語る明治期の新潟 彼女が歩いた道を現代の学生が辿って見えたものとは?:敬和キャンパスレポ 20250725

7/25の敬和キャンパスレポは、ゼミ活動の中でイザベラ・バードという人物の日本での活動内容を調べ、現地調査に伺った荒木ゼミの英語文化コミュニケーション学科4年の松本菜々さんにお話をうかがいました。

イザベラ・バードとは、明治時代に日本各地を旅したイギリス人女性です。彼女は旅の途中で新潟を訪れています。彼女の目に当時の新潟はどのように映ったのでしょうか?

また、松本さんは、バードがたどった道を実際に歩いたそうです。松本さんが見た景色や、現地調査で感じた事とは?

MCは高橋円、宇佐見。

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サマリー

このエピソードでは、イギリス人女性のイザベラ・バードが1878年に明治時代の新潟を旅した経験について掘り下げられます。学生たちはバードの足跡を辿るフィールドワークを行い、彼女の観察や新潟の風景に対する感想を共有しています。イギリスの探検家イザベラ・バードの記録に基づき、明治期の新潟を現代の学生が歩きながら、景色や道の状況を体験しています。彼女の著作に描かれた景色と現代のニュアンスの違いを探る貴重なフィールドワークが行われています。

敬和キャンパスレポの紹介
宇佐見優奈
敬和キャンパスレポ、この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお届けします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科3年の宇佐美優奈と、
高橋円
国際文化学科4年の高橋光です。どうぞよろしくお願いします。
今日は3年の宇佐美さんがMC初参加となりました。一言、自己紹介お願いします。
宇佐見優奈
私は今までは広報として番組に関わっていたのですが、今回からMCにも参加することになりました。
わからないことや不慣れな部分も多くあると思いますが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、イザベラバードという人を調べた学生にお越しいただきました。
英語文化コミュニケーション学科4年の松本奈菜さんです。どうぞよろしくお願いします。
松本菜々
はい、ご紹介に預かりました。英語文化コミュニケーション学科4年の松本菜々と申します。
本日はどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
高橋円
では、早速私、高橋から松本さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
松本奈々さんは村上市のご出身で、村上桜が丘高校をご卒業後、
敬和学園大学の英語文化コミュニケーション学科に入学されています。
現在4年生で、英語文学の荒木ゼミと、サブゼミとして哲学の井西先生のゼミに参加されています。
教職課程も履修されていて、この収録の直前まで教育実習に行かれていました。
お疲れ様でした。
松本菜々
はい、ありがとうございます。
高橋円
どうでしたか?子供たちは可愛かったですか?
松本菜々
はい、非常に可愛くてですね、私が受け持っていたのが、学級が1年生で、授業が3年生という風にちょっとバラバラだったんですけれども、
それぞれの年によって3年生は落ち着きがあるなとか、1年生は無邪気だなとか、いろんな良さもありながら、
どちらの生徒たちとも深く関わって、学びを得ながらも思い出を作ることができました。
高橋円
はい、ゼミの話に行きたいんですけれども、荒木先生はアメリカ文学がご専門ですけれども、ゼミではどんなことをされているのでしょうか?
松本菜々
私は実は2年生まで別の先生のゼミに所属しておりまして、3年生から合流であったんですけれども、そこから分かることとしては、
やはりアメリカ文学がご専門の先生でいらっしゃるので、課題となる本、私たちは3年生の時は、
イザベラ・バードの日本お口気候を読んでですね、それぞれ場所だとかパートごとに分かれて文章を要約して、
松本菜々
その時の時代背景から見る日本のその時の状況だとか、
松本菜々
なんでバードはこういう風な表現をしているのかなっていうようなことを考察しながらスライドを作って、
松本菜々
ゼミのメンバー内で発表するというようなことだったり、
松本菜々
あとはイザベラ・バードが一通り落ち着いた後は、旅行記ということを取り扱って、
様々な国に行った作者がその土地に根付いた、いわゆるその国での有名な著作ですね、書籍を一例として取り扱って、
松本菜々
こういう文化の本がありますよという紹介みたいな本もあって、
いろんな国が扱われているんですね、エジプト、フランス、インドとか、
その中で自分が行きたい国をチョイスして、その本の要約とか、
あと日本から自分の選んだ国に行くにはどういう飛行機でどういう道のりをたどってとか、
松本菜々
実際に旅行するプランを立てるような感じで、実際にかかる旅費だとかいうのを調べ上げて、
松本菜々
ゼミのメンバーに発表するというようなこともしました。
宇佐見優奈
さて、では今回のメイントピックであるイザベラ・バードについてです。
荒木ゼミでバードについて取り上げてフィールドワークもされたとお聞きしています。
まずは、イザベラ・バードは何者かについてです。
敬和学園大学名誉教授の神田より子先生が以前に書かれた原稿から紹介しますと、
1878年に日本を訪れたイギリス人の女性で、横浜から入国し、東京、新潟、東北、北海道、関西と
日本各地を通訳とともに旅をしたという人物とありました。
どんな方だったのでしょうか。
松本菜々
はい、イザベラ・バードはイギリスの女流作家ですね。
自身で目で見たものをそのまま客観的に見て書き表すことのできる女性でした。
当時ですね、日本にいた外交官、イギリスの外交官のパークス氏がいたんですけれども、
松本菜々
彼からの職名ですね、ミッションを与えられて、その外交官自体は東京都市部にいたので、
松本菜々
日本のことは知ってはいるものの田舎の部分、山間地区、そういういわゆる壁地のことはよく知らないわけなんです。
松本菜々
そのことを知りたいので、そういう客観視してちゃんと書き表すことのできるバードの腕を買ってですね、
彼女に日本を回って現状を教えてくれというミッションを与えてですね。
松本菜々
バードからしたらそのミッションはミッションとしてありつつも、自身の著作として本として書けるということもあって、
松本菜々
それを引き受けて日本に来日ということになりました。
高橋円
なんかこうスパイみたいですね。偉い人の依頼を受けて各地の状況を調べてください。
パークスさんも、もしかしたら興味関心があって、自分じゃいけないからよろしくっていう依頼だったのかもしれないですけど。
松本菜々
実際にその外交官からのミッションということで、一応イギリス国から免許状みたいなものが渡されるんですね。
松本菜々
イザベラバード、彼女はこういう目的があって日本各地を回っています。
本国イギリスの人物ですけれども怪しいものとかじゃないから通してあげてください。
松本菜々
当時はまだ赤書とかがあったので、そういう免許状パスポートみたいなものをイギリス国から発行して、
松本菜々
実際に日本全国を回るというようなこともしていたそうです。
高橋円
イザベラバードが書いた著作とかには新潟のことってどういうふうに書かれていたんですか?
松本菜々
全体的に見ると新潟のことは酷評されているんですね。
なんですけれども、それはバードの偏見とか本人の気持ちからとかいうものではなく、先ほど述べたように彼女は見たものをそのまま事実として伝える能力に長けているので、
フィールドワークの実施
松本菜々
当時の新潟の様子が本当によくわかる表現をされています。
松本菜々
もちろん酷評をしていたというだけではなく、もちろん褒めているところもありまして、横浜から新潟に入ってきて津川という土地がありますが、津川から川を下って新潟市に行くんですね。
急流下りというようなことで、その急流下りをしているときの景色については非常に彼女は絶賛しています。
松本菜々
流れる川に、船に乗って川を下っていくわけですけれども、この景色をずっと見ていたいというような、すぐ終わってしまうのがもったいないというような表現もしていました。
先ほど言った酷評をしているというようなことなんですけれども、当時の日本人というか新潟の山間の人たちは暑いと衣服を脱いでというか、非常に薄着だったり、あるいは何も着ていない状態でうろついているということが、
あったわけで、それを当時のイギリスの女性が見るとなると、彼らは気高いので、なんて道徳性のない人間たちなんだというような表現をしています。
高橋円
文化の違いとかもある。
松本菜々
そうですね。
高橋円
さて、ここで1曲お届けいたします。
今日の曲は、黒井でドリッピンデザート。
黒井は日本の5人組バンドで、公式サイトでは、R&B、ファンク、ソウル、ロック、ヒップホップなど、あらゆる音楽ジャンルから影響を消化したミクスチャーな音楽性を提示する5人組バンドと紹介されています。
それでは聴いてみましょう。
黒井でドリッピンデザート。
宇佐見優奈
お届けした曲は、黒井でドリッピンデザートでした。
今日の敬和キャンパスレポは、明治時代に新潟を旅したイギリス人女性、イザベラバードについて、英語文化コミュニケーション学科4年の松本奈々さんにお話を伺っています。
イザベラバードは1878年の日本に来て、新潟を含め、日本各地を巡ったそうです。
新潟ゼミではフィールドワークとして、バードが辿った場所に実際に行かれたと聞いています。
松本さんはどこへ行かれたのでしょうか。
松本菜々
はい、私は3年の後期に、山形と新潟の県境にある宇津峠というところを、同じゼミ生の山下と一緒に登ります。
宇佐見優奈
宇都峠の字って、漢字はどうやって書くんですか。
松本菜々
宇宙の宇に津南の津に峠。
で、宇津峠と言います。
新潟から山形にかけて、越後13峠。
松本菜々
13峠。
松本菜々
峠がバーって13個あって、その中の一つとして宇津峠というのがあります。
その13峠の中で最もレベルの高いというか、ちょっと過酷と言われている峠が宇津峠です。
高橋円
登るだけで病んじゃいそうですけどね、私が。
今だとそっちの方にね、そういう人もいるんじゃないか。
宇津峠を越えた、越えるっていうのはどういうルートで、そのイザベラワードが通った道をそのまま通ったということですか。
松本菜々
そうですね、前半にお話しした通り、彼女は新潟に入って、その後どんどんと県北に向かっていくんですね。
新潟から次中城、その次関川。
関川から峠を経て小国で山形に入る道ですね。
松本菜々
その中で宇津峠を彼女は通っていたので、そのルートを通ったんですが、
松本菜々
バードと同じ関川から山形方面に入るために宇津峠を通るとなると、それこそ私、山からスタートしないといけないので、
一度山形県に入り、手ノ子駅のところに。
高橋円
手のこ。
松本菜々
手のこ駅。
字は。
松本菜々
ハンド。手のひらの手。
松本菜々
手のひらの手。
松本菜々
手にノがあるじゃないですか。カタカナのノと一緒。
松本菜々
と、子供の子。
松本菜々
で、手ノ子駅というところが。
松本菜々
というところが山形県にJRの駅としてありまして、
松本菜々
今ちょっと普及作業がまとまっちゃってるんですけど、
松本菜々
米坂線の駅としてありまして、
私は当日ですね、地元の坂町駅から代行バス、米坂線の代行バスに乗車して手ノ子駅で降車。
松本菜々
で、そこからですね、当日のガイドをしてくださった宇津峠部会という方々にですね、
手ノ子駅からピックアップしてもらって、宇津峠にまで来るまで送っていただきました。
宇佐見優奈
部会。宇都峠部会って何なんですかね。
松本菜々
峠がいっぱいある中で、特に宇津峠の環境保全だったり、
あとはバードが通った、実際に通ったということで、
松本菜々
バードが実際に見た景色や道はここだったんじゃないかというような、
一種研究ですよね。
そういうことをされている手ノ子地区の方々になります。
高橋円
地元の人にとっても、
イザベラバードが通った道っていうのは結構いい意味っていうか、
松本菜々
ターニングポイントになっている部分があるんですよね。
松本菜々
そうですね。一つの記念として重宝されているので、
実際に宇津峠の入り口のところには記念碑が建てられています。
それ以外にもバードは山形県全域をてんてんと歩いているので、
至るところにバードの訪れた記念碑っていうのもあります。
高橋円
話を戻しますけれども、宇津峠と手ノ子、
宇津峠部会の方が案内してくださって、そこはどういうふうに通ったんでしょうか。
松本菜々
宇津峠から入山というか入りまして、そこから登っていく中で、
松本菜々
バードと逆の方向と言いますか、新潟方面に遡る感じで、
小国につながる道の直前まで行って、Uターンして帰ってきたというようなルートをたどりました。
高橋円
実際に歩こうと思ったら本当に大変な道になっちゃうと思うんですけど。
でもそれでも結構長い時間歩いたんじゃないですか。
松本菜々
そうですね。2、3時間は歩いていて、
それこそ、わりと秋近い残暑後半かな、結構涼しいかなって言って、
松本菜々
一緒に行ったゼミ生とも、まあこんぐらいでいいでしょうというような服装で行ったんですけど、
バードの道を歩く
松本菜々
まあ暑いし、しかも山なので蚊に刺されることもあって、
でも私も峠っていうから、そんな山ほどゴリゴリじゃないだろうなと思って、
普段履いているスニーカーで行ったんですね。
もう一人のゼミ生が、普段履いているスニーカーが厚底のスニーカーで、
松本菜々
山道なのでぬかるんでいる場所もあったりとか、
あと本当にガードレールとかがない、本当にここ落ちたら死ぬみたいな場所も。
本当にそういうところを歩いたので、危ない危ないって言いながら声かけ合って、
松本菜々
部会の方々にはちょっと厚底スニーカーがやっぱり特殊に映ったようで、
花魁道中みたいだなっていう風に言われていましたね。
高橋円
やっぱり通る人は山靴とかね、もうちょっと山に適した靴を履いてくる人がいるだろうけど、
松本菜々
僕はちょっと厚底に履くの聞いたことないですけどね。
松本菜々
あれは本当に異常だったと思います。
高橋円
2025年3月にはイクネス新発田でフィールドワークの活動を発表されていたと聞いています。
一戸ゼミの映像制作の発表もされていて、宇佐美さんも参加されたんですよね。
宇佐見優奈
はい。私も急遽当日の司会を当時4年生で番組MCとしても活躍されていた木村さんと一緒に務めました。
当日の松本さんたちの発表はフィールドワークの時の写真などが多くあって、聞いていた私も行ってみたいなと思えるような発表でした。
松本菜々
ありがとうございます。
高橋円
行くときは絶対厚底で行かないように。
宇佐見優奈
大変そうだなと思いながら見てました。
高橋円
本当に行きたいですか?2時間3時間の道のりは。
松本菜々
面白そうだなと思いました。
実際に登ってみると本当に綺麗な景色があって、それこそバードも著作の中では見た景色については非常に絶賛をしていて、
松本菜々
小説によると彼女が見た景色というのは今宇峠津を登って見れる場所とは違うところなんじゃないかというふうに推測もされていて、
私たちが見たのはここじゃないかもしれないという場所ではあったんですけど、景色は開けて急に開けるんですよ。
松本菜々
下の市街地だとか遠くの山々を見渡せる非常に綺麗な景色も見入れつつ、
松本菜々
あとはバードの聖地巡礼ということで、当時の彼女が見た景色、道の状況だとかっていうのを体験しながら学ぶことができた経験です。貴重な経験でした。
食文化との出会い
高橋円
景色が良かったってことは結構標高が高かったんですね。
松本菜々
そうですね。
高橋円
大変ですわ。
やっぱり今だといろいろ整備されて、人が整備した道なので、やっぱり昔の人がどういう道通ったかっていうのはわからないところがあるんですけど、
そこも今の現代の人が想像を膨らませながら歩くことで、やっぱり面白みが増すかもしれないですよね。
それはちょっと僕も今話聞いていきたくなっちゃいましたね。
最後にイザベラバードについて今後どのような活動をしていきたいと考えていますか。
松本菜々
今日収録しているのが7月1日なんですけれども、
ちょうど週末の7月6日日曜日にですね、
松本菜々
イザベラバードが巡った場所を巡る明治と現代のツインタイムトラベルというようなツアーがあります。
ツインタイムトラベル。
高橋円
ツインタイムトラベルってどういう意味合いなんですか。
松本菜々
バードが来日していたのが明治時代。
私たちが実際にツアーに行くのが現代、今令和の新潟ということで、
松本菜々
長年の時を経て見る新潟の違いだったり、
そこから実際にバードが訪れた場所っていうのは今どうなっているのかっていうのを比較しながら見ていくというようなもので、
私がそれこそ途中から荒木ゼミの参加だったので、
松本菜々
本来であれば2年生の後半に新潟市でイザベラバードの政治巡礼というものを行ったんですけれども、
私はちょっとそれに参加できていないので、
これを機にですね、今の3年生の荒木ゼミのゼミ生たちと一緒に新潟市を回ってですね、
松本菜々
バードが見た景色、そして今はどういうふうに変わっているのかっていうのをフィールドワークしていきたいと思っています。
宇佐見優奈
今日の経和キャンパスレポは、明治時代に日本各地を旅したイギリス人女性、
イザベラバードとフィールドワークとしてバードが訪れた場所をたどった、
英語文化コミュニケーション学科4年の松本菜々さんにお話を伺いました。
どうもありがとうございました。
松本菜々
ありがとうございました。
高橋円
さてエンディングです。
今回ですね、イザベラバードの道のりを旅するっていう話だったんですけども、
やはり旅っていう中ではですね、食べ物が欠かせない存在だと思うんですよね。
今回このイザベラバードの道のりをたどる旅の中で、どのような食べ物に出会いましたか?松本さん。
松本菜々
私たち自身は別に何の食べ物にも見かけない。
宇佐見優奈
食べてない。
松本菜々
いないんですけど、ちょっとバードに関連する食べ物として、
さっきお話しした宇津峠の道中でですね、
松本菜々
1日で動ける範囲っていうのは決まっていますので、
その土地の民家に泊まらせていただくこともあったわけなんです。
バードが宇津峠を訪れた当時夏場だったんですけれども、
その民家で出されたものはですね、
松本菜々
ゾッとするようなもの、怖い方じゃなくて、
吸ってゾッとするような、麺をすする音ですね。
というようなゾッとしたものを食べたっていう風に言っていて、
松本菜々
バードは日本を巡るときに一緒に伊藤というような通訳者も一緒にいたんですね。
松本菜々
彼女は伊藤っていう風に呼んでいるんですけど、
その伊藤が7皿も食べたという風に言っていて、
松本菜々
いろいろそれが何の食べ物なのかっていう憶測が広がってはいるんですけれども、
納豆なんじゃないかっていう説もあって、
ただそれこそさっきちらっとお話ししましたけれども、
宇津峠部会の方々が時期的な問題、当時の夏っていう状況を考えて、
松本菜々
納豆じゃないんじゃないかということで、
7皿も食べるということで、ところてんなんじゃないかというような推測をされています。
高橋円
夏にぴったりですので、私食べないですけど。
松本菜々
食べないですけど。
宇佐見優奈
私も食べたことないです。
高橋円
僕は結構食べますからね。
ところてんだったのか本当に、もしくはね、
よっぽど大完食でご飯食べまくったのか。
松本菜々
7皿も食べた。
高橋円
7皿も食べたんですね。
では、今日の放送はこの辺で。
敬和キャンパスレポは、
X、note、Instagram、Youtubeなどで番組情報を発信しています。
番組名、敬和キャンパスレポで検索して、
フォロー、チャンネル登録よろしくお願いいたします。
今日の敬和キャンパスレポ終了の時間です。
皆さまおやすみなさい。
敬和キャンパスレポは、
実践するリベラルアーツ、
敬和学園大学の提供でお送りしました。
24:47

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