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2025-12-16 12:57

私がコーチを志した原点は、バーのマスターだった

20代の頃、出張続きの仕事で友達と予定を合わせることも難しく、ひとりで抱え込むことが多かった時期がありました。

そんなとき、いつ行っても話を聞いてくれたのが、行きつけのバーのマスターでした。多くを語る人ではなかったけれど、自分の軸を持っていて、「俺はこう思うよ」と、必要なことだけを静かに伝えてくれる。

その言葉に何度も救われて、仕事も、プライベートも、前を向いて頑張れた気がしています。

「話を聞いてくれる存在」がいること。

今、私がコーチという仕事を志している原点は、あの頃の経験にあるのかもしれない。そんなことを、今日はお話ししました。

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放送を聞いていただきありがとうございました。

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*けいこのプロフィール*

20年勤めた会社を辞め、家族で地方へ移住。
自宅も手放し、“がむしゃらに働く毎日”から、“自分と家族を大切にする暮らし”へ。
自分のペースで生きたい人の味方として、心に寄り添うコーチとして活動しています。

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サマリー

このエピソードでは、ライフコーチのけいこさんが、コーチングの原点について特にバーのマスターとの関係を通じて語っています。仕事の忙しさや人間関係の悩みを抱えた彼女は、マスターから受けたサポートや影響が今のコーチングに繋がっていることを振り返ります。

コーチングのきっかけ
こんにちは、ライフコーチのけいこです。今日は12月16日、火曜日ですね。
私は明日、北海道の札幌で行われる、
優しいトレーナー育成コーチ、山口哲也さん主催で、
で、講師が、私のコーチである、おはなしやなおとさんのね、お二人が開催するセミナーがあるんで、それにね、参加するんですよ。
で、出発は明日なんですけど、すごい今から楽しみです。
福岡の今日の天気は最高気温12度なんですね。それでも朝方は2,3度ぐらいまで下がるんで、寒いなぁなんて思ってたんですけど、
明日の札幌の天気を見たら、最高気温が確かマイナス2度だったかな? 最低がマイナス6度とか書いてありまして、
一日を通して0度を超える気温ではないという、いつも生活している場所では感じたことのない寒さを、明日は体感できそうで、今からとても楽しみです。
まず本題に入る前に一つ告知をしようと思います。 ただいまですね、体験セッションを受け付けております。
家事、育児、仕事に追われる忙しい毎日を変えたいという方、または働き方を変えたいと思っているんだけれども、どうしたらいいかわからないという方に受けていただきたいと思っています。
少しでも気になるなぁと思った方がいましたら、公式LINEの方からご連絡をお待ちしております。
そうですね、今日は話すことが苦手意識があったけれども、
私がコーチになりたいと思った原点みたいなものはここだったのかなというところを、ふと最近思い出したので、その話をしていこうと思います。
それは私が20代の頃の話ですね。私が会社に入ったのが20歳の頃だったので、20歳で会社に入社して、そこから仕事をしていて、
出張が多い生活をずっと続けていたんです。なかなか出張が多い生活をしていると、会社の同期とか友人と予定を合わせてご飯に行く、または旅行に行くとか、遊びに出かけるということが難しかったんですよね。
せっかく予定を入れても、仕事が入っちゃった、出張が早まっちゃったって言って、ごめん、行けないっていうことを何度か繰り返すうちに、気づいたらね、
配属されて2、3年経った頃かな、友人に誘われなくなってきてしまったんですよね。
たぶん、私は誘っても、いつも直前で断ったりキャンセル入るから、行けない人というふうに認識されたっていう思いもあると思います。
私の方も、出かけようとかご飯食べに行こうって誘いたい気持ちはあるんだけれども、やっぱり急に予定が入ってキャンセルになると申し訳ないじゃないですか。
相手の友人とかに申し訳ないんで、途中から人を予定に誘う、自分の行きたいところに誘うということを、あらかじめ予定を組むか、それをしなくなったんですよ。
誘うのも申し訳ないし、キャンセルするのも申し訳ないしっていう思いで。
どうなったかというと、私は出張がないときは、自分で一人でふらふら、いろんなところに行くようになりました。
その中で、私が当時住んでいた神奈川県藤沢市の藤沢駅の最寄りの賃貸に住んでたんですね。ずっと私10年近く住んでたかな。
そこの近くにあるバーに、私23、24くらいからかな、行くようになりまして、そこからもう5、6年ずっと通ってました。
出張が入っているときはいけないので、出張から帰るとも必ず行く。
で、多いときは週に3回とか行ってました。
私はバーに行くと言っても、お酒が得意ではないんですね。ビールはいくら飲んでも好きになれなかったし、ウイスキーとかそういうものも全く飲めないんです。
唯一飲めるのがカクテルなんですけど、それでもやっぱりバーとかで出すカクテルって結構アルコール度数が高いものとかもあって、なかなか飲めなかったんですよ。
で、何回か行くうちにですね、バーに通ううちにそのバーテンダーさんが、私の名前をけいこちゃんって呼んでくれて、けいこちゃん、あんまりお酒強いの飲まないよねって言われて、そうなんです、飲めないんですよって言って、
あ、じゃあわかったわかった、アルコール度数低くしとくよって言って、アルコール度数低めの飲みやすいカクテルを作ってくれるようになったんです。
そういうふうにオリジナルでね、私に合ったカクテルを作ってくれるバーテンダーさんがいてくれる、そこが嬉しくて、私はずっと通ってました。
そこのマスターがね、一人でね、お店を切り盛りしてやってるんですけど、私より6個ぐらい上の男性だったかな。
そう、かっこいいね、立ち姿がかっこいいオールバックの髪型をしているお兄さんだったんですけど、
その人と話すのが楽しくて、お酒を飲みながら話すのが楽しいというより、私は途中からマスターと喋りたくて、ずっとお店に通っていた記憶があります。
仕事でうまくいかなかった日、あとは当時付き合っていた彼氏に、彼氏とうまくいかなくて、恋愛の相談をした日もありましたし、
身内の不幸があってね、あまりにも元気出せないタイミングで、そこに行ってね、少し話を聞いてもらったりとか、
コーチとしての成長
いろんなことが5、6年の間にあったんですけど、その辛かった時、楽しかった時を含め、ずっとそこに通って、そのマスターに話を聞いてもらった記憶があります。
でね、そのマスター自身も別に話をたくさんするのが好きというわけではないんですよね。
もちろん他のお客さんもいるので、私との話もするけれど、やっぱり他のお客さんともお話しますし、
そう、あまり多くは語らない人でしたし、こちらのことも私のことも多くのことを聞いてこないという、何か一定の距離を保った関係だったんですよね。
お客さんとそのマスターという関係でしたし、深いことは聞かないという感じでしたし、押し付けるようなことは一切言わないという人でした。
ただ、話をしていてこのマスター好きだなって思ったのは、やっぱり自分は個人でお店をやって、
もう開けて数年経ってるって言ってるタイミングで行ったのかな。なので自分はこういうスタイルでお店もやっていきたいし、
こういうスタンスで仕事をやると考えてるんだよねっていうところは、もう自分の軸みたいなものでしっかりある人だったんですよね。
それがすごいこう、羨ましく見えたんですね、当時の私には。
そう、私は結構ね、ずっと他人の意見を優先するような他人軸で生きてましたね。
昔は本当に会社員の時はずっとそうだったと思います。他人の顔色を伺い、他人の意見を優先し、自分の意見より他の人の方がいいと思って、
そちらを優先するような生活をしていました。やっぱりそういう生活に疲弊していたんですよね。疲れちゃってたんです。
でもどういう生き方がいいのかも、その当時はね、何にも分かってなかったし、まあこういう疲れながらも生活していくのが大人なんだろうなと、
いうふうに思っている中で、そのマスターがね、いつも自分の軸がしっかりして、いろんなことを話している時にね、
何でもかんでもいいよねっていうわけではなくて、いやいやそれは僕はこう思うけどね、みたいなことをさらって言うみたいなね。
そこがかっこいいと思いながらいつも聞いていて、やっぱこういう大人って憧れるなっていうふうに思ってね、私はずっと通ってましたね。
そう、たぶん時にはこう開店、オープン6時だったんですけど、で閉店がね、夜の1時だったかな、1時半ぐらいなんですよ。
なのに私オープンから閉店までずっとお店にいて、あまりにも帰らないもんだから、この後ご飯でも食べに行くって言って、夜中の3時にマスターとご飯食べに行ったこともあります。
それぐらい仲良くしていただいたマスターでした。
いや今思うとね、そういう関係性の人が一人いてくれて、私は本当に20代救われたなっていうふうに思います。
やっぱり出張が多かったし、その当時の仕事がね、男性ばっかりで、なかなか思うように仕事ができないとか、いろいろ考えることはあったんですよね。
もちろん職場の人でね、相談できる人は何人かいたのでね、そういう人に相談しつつも、そういう相談できる人が海外に行っていて、なかなかすぐ連絡取れないとか、そういう時ってあったんですよね。
時差があったりとかもしますしね、そういう状態の時に誰かに話を聞いてもらいたいって思ったら、真っ先に頭に浮かぶのがその場のマスターで、
私は困った時とか何か聞いてほしい時は、大体そこに行くようにしてました。かなり頼ってましたね。
多分その場のマスターの存在があったからこそ、私は当時の仕事をね、きつかったけれども、10年続けると自分で決めて続けたんですけど、
やっぱり続けられたのは一人、自分一人の頑張りの成果じゃないなと、そのマスターの話を聞いてもらうのもそうですし、
同僚に話を聞いてもらう、もちろん先輩とか後輩とかいろんな人にね、支えながら何とか続けてこれたんだなっていうふうに今は思います。
そして、そういうね、頼りになる存在がいて、やっぱ話を聞いてもらえるってすごい嬉しいんだなっていうことをね、
20代の時に感じていたからこそ、私は今、コーチという仕事をしているのかもしれないなって思いました。
やっぱりあの時、誰も話す人がいない、どうしようっていう場で、少しでも自分の話を聞いてくれて、こうじゃないっていうふうに、
押し付けるような意見ではなく、俺はこう思うけどねっていう、自分の意見も言いつつ、押し付けないように、いろいろね、お話ししてくれるっていう存在って、
すごい心強かったから、たぶん自分もね、悩んでいる人に対して、私からはこう見えますよっていうことで、その人の悩みがね、少しでも軽くなるようなね、
もちろん問題とか悩みとかを解決するのは、当時した悩んでいる人本人ではあるんだけれども、やっぱその手助けとなるような、
言葉をかけられるような存在になりたいなって思ったから、このコーチという仕事を今しているんだろうなっていうふうに思います。
今日はですね、私がコーチになろうと思った原点って、もしかしたらここだったのかもしれないなっていうことで、
20代の頃にね、結構通っていたバーのマスターの話をさせていただきました。
ここまで聞いてくださった方は、既読の意味合いでいいねをお願いいたします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
それではまた。
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