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みなさん、こんにちは。 ダルマー競馬場です。
このポッドキャストは競馬の文学や歴史など文化的な視点にもスポットを当てていき、
競馬ファンとしての視野を広げていこうという番組です。 さて、今週も
始めていこうと思います。 2024年の第1回中山開催が今週で
最終週っていうね、もう早くない? この勢いで速攻ダービーとか来そうですけどね。
あ、やばい、もうダービー行っちゃった。 ってことは来年のPOGの馬、10頭選ばないといけない。赤ボン買ってないみたいな風になります。
ちなみに赤ボン派でございます。
第1回の中山開催といえばお馴染みの アメリカジョッキークラブカップ、通称AJCCでございますけども、
このAJCCはですね、日米の親善と友好を目的として、ニューヨークのジョッキークラブからですね、
優勝杯の寄贈を受けて1960年に創設された 優勝競争らしいんですね。
先生、ジョッキークラブってなんすか?
ねえ、という声が聞こえてきましたけども、 ということでお伝えしていきたいと思いますけど、
各国競馬を統括する組織のことをですね、 昔はジョッキークラブというふうに呼んでいたそうで、
例えばですけども、アメリカで言うと各機種へのですね、免許だったり、 聴教師への免許の交付権だったりとか、
あとは各競馬場の運営であったりとか、 競馬のルールを作ったと言われるのがこのジョッキークラブなんですね。
イギリスだとレーシングカレンダーとか、 あとはジェネラルスタッドブックって、
この決闘書にジェネラルスタッドブックっていう、 この決闘書に馬の名前が載っていればサブラブレットとして認定しますよ みたいな決闘書を交換したりとかしていたのがこのジョッキークラブですね。
で、競馬がイギリスからアメリカに持ち込まれたのが 17世紀ごろらしいんですけど、
まあまあ言うてアメリカって結構大きいじゃないですかね。 東西にも大きいし、南北にもあるしっていうので、
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各州いろいろとありますけども、その州ごと、各地域ごとにジョッキークラブっていうのが 17世紀当時はあったそうなんですけども、
アメリカ全土を統括するジョッキークラブっていうのはなかったそうなんですよね。
イギリスで言うと、イギリスの競馬のすべてを統括するのがジョッキークラブ。
昔はそういうふうに運営されていたそうなんですけど、 今ではないんですけど、アメリカに持ち込まれた時っていうのは、
そのイギリスを模範としてジョッキークラブっていうのを 全土で作りたかったそうなんですけども、
まあまあ大きすぎるんで各地域ごとになったっていう感じらしいですね。
しかしですよ、ニューヨークのジョッキークラブから優勝杯を寄贈された1960年よりももっと前にですね、
アメリカの競馬の中心、言ってしまえばジョッキークラブの中心地がニューヨークになっていきます。
時はですね1865年、レナード・ジェロームさんとオーガスト・ベルモントさん、この2人が中心となってジェロームパーク競馬場っていうのを開設したそうなんですね。
その開設と同時にアメリカンジョッキークラブっていうのを発足させたそうなんです。
それはそうですよね、競馬場ごとの運営とかをやっていくのがジョッキークラブって、
まあ先ほどお伝えした通りで競馬場を開設するにあたってジョッキークラブを作ったっていうのもまあまあわからなくない話ではありますけども、
このアメリカンジョッキークラブよりも前にですね、ニューヨークにはジョッキークラブがあるわけですよ。
そう、ニューヨークジョッキークラブっていうのがもうすでにあるのに、この2人はアメリカンジョッキークラブっていうのを発足させたそうなんですね。
しかしその30年経たないぐらいの後ですね、1891年にですね、このジェロームさんがですね、亡くなってしまいまして、
このジェロームさんが発足させたアメリカンジョッキークラブもですね、
いやいやいや、うちが先にジョッキークラブあったじゃんみたいな、このニューヨークのジョッキークラブとアメリカンジョッキークラブが対立してて、
このジェロームさんが亡くなったことによってアメリカンジョッキークラブが解体してしまったそうなんですよね。
しかしっすよ。その3年後の1894年にですね、なんと、ジェームズ・ロバート・キーンさんっていう方を筆頭にですね、
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当時の大葉の人たちが集まって、なんとまたさらにアメリカンジョッキークラブっていうのが設立されたそうなんですね。
あれ?ニューヨークジョッキークラブってなに?結構嫌われてた感じだ!みたいな感じなんですけど。
この新生アメリカンジョッキークラブっていうのが競馬のルールを作ったそうなんです。
なんとしかも、このルールがですね、翌年のアメリカンジョッキークラブができた翌年ですよ。
1895年にですね、ニューヨーク州の裁判所から、このルールがニューヨーク州の競馬場に全てに適用されますっていうので、
アメリカンジョッキークラブのルールが適用されたそうなんですよね。
おい!マジかよ!ニューヨークの競馬を俺たちニューヨークジョッキークラブがやってたんだぜって。
そりゃなりますけども、いきなりこのアメリカンジョッキークラブ、まあそうっすよね。
大馬主さんたちがね、やってますからね。いろいろね。わかんないですよ!わかんないですよ!わかんないですけども!
なんかいろんなことがね、あったんじゃないかというふうには思いますけども。
さらにはですよ。
しかも、びっくりなのが、このアメリカンジョッキークラブのルールがニューヨーク州の競馬場全てに適用されますってなったのを機に、
アメリカ全土の競馬場がそのルールにのっとります!って言って、そこにね、右習いしたそうなんですよね。
えー!みたいな。
おお!ということはですよ、アメリカンジョッキークラブがですね、ここでアメリカ競馬全体の統括をする権力をですね、手に入れるわけなんですよね。
ついにやりました!全国制覇!
いや、長かったー!ってなるんですけども。
しかし、そこから40年ほどがたったですね、1930年代ですね。
時は世界大恐慌時代。
時の大統領、フランクリーン・ルーズベルトが、なんとですね。
各州それぞれに競馬を統括する競馬委員会っていうのを設立させたそうなんですね。
えー!なんで?なんでいきなり来た?
ルーズベルトはなんでそんなことをしたんだい?と。
ちょっとそこまではわかりませんでしたけども。
まあまあ、ただいきなり出てきたお役所様たちに、
はい!そうですか!言って、じゃあ競馬場の運営お願いします!言って、
アメリカン・ジョッキー・クラブはですね、競馬に対する権力を全部、その委員会に渡すわけがございません!
そりゃあそうですよ!何十年もかかってですよ。
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アメリカ全土を統括するルールを作ったりとかして、運営をしてきて、
いきなりポッドでのお役所さんたちに、はいどうぞ!なんてするわけがない!
したくはない!わかんないけど。
まあこの委員会はできたはいいけど、その時はですね、やっぱりこの委員会の方々も、
ちょっとすいません、この辺とかってどうだったんですかね?みたいな感じで、
やっぱりアメリカン・ジョッキー・クラブの方々に、やっぱりお伺いしなきゃいけないことが多かったみたいで、
それなりにこのアメリカン・ジョッキー・クラブは統括団体として、
権力、影響力っていうのを持っていたそうなんですけども、
そこからですね、1930年代といえば、世界大恐慌からの時代は進むと、
第二次世界大戦が始まるわけですわ。
この第二次世界大戦が終わった1951年に、なんとニューヨーク州の裁判所がですね、
このニューヨーク州における競馬の運営は、このアメリカン・ジョッキー・クラブに任せまーすって言った判決が、
まさかの覆るっていう、えー!?みたいな。
そんな5、60年前の判決って覆るんですか?今さら?みたいな感じに判決が覆りまして、
権利というのはですね、各州の競馬委員会に、
アメリカン・ジョッキー・クラブから譲渡されていくわけですね。
で、このジョッキー・クラブっていうのが、その権利のほとんどを失ってしまって、
全国を統括する組織としての役割をね、完全に終えてしまったそうなんですね。
ん?あれ?ちょっと待ってください。ダルマさん。質問です。
はいどうぞ。
アメリカン・ジョッキー・クラブが、
ニューヨークのジョッキー・クラブから優勝杯を寄贈されてできたのが1960年って言ってましたよね。
あれ?今判決が覆ったのが1951年って言ってましたよね。
これ、亡くなったんじゃないですか?
この51年でニューヨークのジョッキー・クラブって亡くなったんじゃないですか?って思いましたよね。
普通に思いました。私なんと、この台本を書いてる最中に思いました。
あれ?なんで?というのでね、調べました。
このアメリカン・ジョッキー・クラブって、亡くなったわけじゃないですよ。
えー、亡くなってないの?みたいな。
今、完全に亡くなったテンションで話してましたけど、
この1951年に別に亡くなったわけではないんですよ。
その全国を統括する組織としての役割を終えただけで、
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このアメリカン・ジョッキー・クラブっていうクラブ自体は残ってるんですよね。
このジョッキー・クラブ、アメリカ全土を統括する役割を終えて、
何今やってんだい?ということで確認したところ、
決闘書の管理だとか、競争場の登録の管理とか、
アメリカン・スタートブックって、
ジェネラル・スタートブックって全世界版なんですけど、それのアメリカ版みたいな。
それを発行している組織になってるそうなんですね。
日本で言うと、
ジャパン・スタートブック・インターナショナル的な感じなんですかね。
多分そんな感じの活動を今でもしているんだと思います。
その競争場の管理をする、決闘とかの管理をする組織から、
1960年に優勝杯を寄贈されてできたのが、
アメリカン・ジョッキー・クラブカップということなんですね。JCC。
いやー長かった。長かったっすねー。
なんでも、できた当初、1960年当時は非常に賞金が高額だったみたいで、
このアメリカン・ジョッキー・クラブよりも賞金が高いレースっていうのは、
4つしかなかったそうなんですね。
その4つが、有馬記念、日本ダービー、菊花賞、天皇賞だけだったそうなんですよね。
えーそうなんだー。新年一発目、おめでとうございます!みたいな感じでね。
お年玉でーす!って言って、出走してくださーい!みたいな。
全然今の噛み方だったらね、絶対出走してこないですね。
ねーもう噛み噛みでしたね。ごめんなさい。すいません。失礼いたしました。
まあこのAJCCはね、歴代の勝ち馬ね、あの見ていくと、もう早々たる個性派ぞろい。
なんでね、今年の勝ち馬も、
だいぶ個性がね、ある馬が勝つんじゃないかなというふうにはね、思っておりますけどね。
さてさて、そんな週末に、今週末ね、行われるAJCCはですね、中山開催になるんですけども、
同じ日にはですね、京都で東海ステイクスが行われます。
今年は中京じゃないので注意してくださいね。2020年以来の京都開催でございます。
東海ステイクスっていうのもね、やっぱりここからここを勝って、
あのダートのマイル路線、中距離路線のね、主役にね、上がってった馬たちが多いので、
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これもやっぱね、どういうレースになるかっていうのがね、だいぶ気になってきますよね。
1着馬にはですね、フェブラリーステイクスの優先出走権が与えられるんですけども、
ちなみに、今ね、ちなみにボタンを押させていただいたんですけども、
これをね、先輩から使っていいよっていうことでいただきましたので、このちなみにボタンを押しました。
この東海ステイクスはですね、中央競馬におけるダートグレード競争の中で唯一のG2競争なんですよね。
えー、あ、うん?あ、確かにほとんどG3っすよね、みたいな。
あ、あとはでもほら、G1にね、フェブラリーステイクスチャンピオンズカップがあって、
あ、あとは全部G3なんだ、みたいなね。
あのー、国際格付けがない、あのJPN、あのJAP2とか、あのG、あれ、JAP2、JAPAN2みたいな感じで書いてあるやつ。
あるじゃないですか。あれでG2って読むんですけど、あれだと結構あるんですよね。
ねー、まあそうよってね、唯一のG2がね、開催されますから。
あ、ちなみにあのAJCCもG2ですんでね。
東西で重症競争が今週行われます。
いやー、アメリカのジョッキークラブの歴史が意外と複雑でしたね。
あの最初にアメリカンジョッキークラブをですね、あのー、言い忘れてたんですけど、
設立した、ジェロームパーク競馬場を設立した2人ですね。
レナード・ジェロームさんとオーガスト・ベルモントさん。
この2人はですね、今でもジェロームステイクスとベルモントステイクスという形で、
えーっと、このアメリカンジョッキークラブを発足させた功績を称えて、
レース名にですね、名前がね、刻まれてるというね。
アメリカ結構この名場とかね、あのー、
上京師の方とか、あとジョッキーの方とかね、
あの競馬の発展に貢献された方々の名前とかがね、
あのレース名になってたりするんでね。
そのレース名をたどっていくと、その歴史がね、見えてくるっていう。
これもまた面白いですよね。
今年がJRA設立70周年で、メモリアルという形で活躍した競走馬の名前がね、
レース名についたりするイベントもね、あったりとかするんで、
まあそういった時に、その馬の話とかできたらいいなというふうに思っております。
結構このアメリカのジョッキークラブの歴史が複雑だったのもあって、
結構割愛したところもあるので、
ちなみにボタン押していただいて、
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こんなこともありますよっていうね、
ご意見とかご感想ありましたら、
どしどしお待ちしておりますので、
ぜひよろしくお願いいたします。
そして最後になりますが、
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ということで、また次回の経話研文録でお会いしましょう。
さよなら。