医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、同志科ドクター、アイジュです。そして、
人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働く、ゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう?人生をもっと豊かにするには、
そんなテーマを軸に、お金や家族、そして生き様について、
自由気ままに恩恵で語り合う、雑談型フォトキャストです。
ゆーさんにちょっと触りたかったのは、やっぱり右絵習いというか、
みんな同じことしてるのが大事なんじゃないですか、日本人って。
まあまあまあ、そうでしょうね。
もちろん僕もそう思うし、僕も日本で生まれそうだった。
全然変なことするよりも、みんなと同じことをやった方がいいと思って生まれてきた時期に生きてきたけれども、
今は僕らってあんまり普通の先生と違うことやってるじゃないですか。
まあそうですね。
じゃあ、久しぶりにゆーさんも含めて、結構たくさんの医療関係者とかお医者さんとかもあって、
ゆーさんと一緒に食事したりとかしましたけども、
そのお医者さんとか若い子たちもあって、
僕、違う会とかでも若い先生にお会いしたりとか、結構してたんですけど、
同級生とか、後輩とか先輩にもお会いしましたけども、
たくさんミスしたんですけども、
いい意味で道逸れたがらないなって思ったんですよ。
ああ、今の現状結構やっぱり医療危ないじゃないけど、将来不安っていうのが見えてるけれども、やっぱりそこからは外れたがらない。
僕はすごい今回感じた。
ああ、そうなんだ。
で、例えばゆーさんと僕が一緒に出てたいっていうのは、パーソナルドクターね。
そうですね。
カルフィケーション・ウェルネットさんっていう会社の本心会みたいなのがあったり、そこにいらっしゃる先生方なんで、
やっぱりパーソナルドクターをやっている、普通の臨床とは違う働き方、稼ぎ方、社会との関わり方とやっていらっしゃる先生たちだから、
やっぱりそれでも普通よりは違うことをやられてると思うんですよね。
おっしゃる通りですね。
ゆーさんも含めてですね。
ただ、そうじゃない元医局員とかもあったんですよ。
ああ、なるほど。
学会とかでお会いした先生とか、いろんなところでもお会いしたので、
なんかそうトータルで考えると、やっぱりまだまだ僕もゆーさんも他の人たちにあんまりやってきていない、
右へならえのことじゃないことをやってる人っていうのは少なくて、まだまだ選挙者のままにいられるんだなって思ったんです。
ああ、なるほど、なるほど。
それでちょっとゆーさんにも、今日本にいらっしゃる立場で、すごい僕お聞きしたいなと思ったのは、
今散々、そもそも僕ら医局の外で会いましょうっていう話し始めてますけど、タイトルつけてやってますけれども、
実際にね、医局の外を出るっていうこと自体が大きな一歩っていう考え方があるじゃないですか。
まあそうですね。
今話題になってるじゃないですか。
医局の外に出るっていうのを、ものすごい大変でした。
今なんでこの話したいかというと、自分がやっぱり右ならえで仲間うちでやったりとか、
他の周りのことを気にする目っていうのは、やっぱり日本人の魂に刻まれてるから、
それを考えた時に、医局の外を出るっていうことも結構大変な労力だっていうのがついてる。
インスタグラムの話題になっていて。
で、これを僕らはやっていて、かつその先までやり始めたから、
医局辞めるっていうのはそんなハードルだったっけって僕思っちゃって。
ああ、なるほどな。
なんか医局の外で会いましょうっていうこのタイトルに救われるという、
このタイトルがいいって言ってくれてる方っていうのは、
そういうふうに言っていただける方いらっしゃるんですけど、
じゃあ、にゅうさんは医局の外に出るの大変でした?
そうですね、自分はなんだかんだで、結局まだうまく出れた方ではあったと思うんですよね。
すごい問題が大きくなってぐちゃぐちゃで出てきたっていうよりは、
比較的綺麗な形では出れてですね。
っていうのも、やっぱり一般的にその医局を抜ける抜けないっていうのが話として出てくるタイミングって、
なんか教授戦がどうこうっていうところからってくるじゃないですか。
で、実は僕はまさにその最中に抜けたタイプなんですよ。
交代のタイミングでね。
なので、教授がいない。
で、次期教授を選ばないといけない。
そういうタイミングで、もうここしかないっていうふうに思って、
声かけて、結局押し通す形で抜けたので、
そういった意味では、何ですかね、すごい派閥があってとか、
そういうところもないままに抜けてこれてるので、
めちゃめちゃ大変だったってわけではないかなと思うんですけど、
ただ、でも実際に医局を抜けようって思ってから、
実際に転職して抜けるっていうところまでは、
1年以上はかかってます。
なるほどね。
抜けるのに時間がかかるのは多分ね、
純粋にそんな急に言われてもっていう、
当たり前の医局のつもりもあるでしょうし。
そうです。
優さんも焦ってなかったとかいうのもあると思うんで、
辞められるならね。
そこらへんも、1年っていうのは人によるのかなと思うんですけど、
最近Twitterでも、医局辞めるのすげえ大変みたいな。
抜けられないとか。
あと九州の大学でね、医局で。
出ましたね、ニュースになってましたね。
ああいうのを見ると、
本当に日本って島国根性というか村社会だっていうのを、
より親切に感じて、
あの報道とかもそうですけども、
今回日本に帰ってて、
やっぱり古き良き日本を大事にするっていう意味では、
僕もその精神好きだし、
日本はいつまでも変わらないだろうなっていう安心感はあるとともに、
これだけ私たちもキャリアとかね、
人生のキャリアとか、
医者のキャリアとかを考えるためにこういうポッドキャストをやらせてもらってますけど、
そういうのを考えてる人ってまだまだ少数派で、
もっとキャリアのこととか考えてくれていいんじゃないかな、
変わっていくというか、
一歩踏み出して、
みんな同じことやらなくていいんじゃないかなっていうふうな社会というか、
そういう気づきって、
もっと皆さん会っていいんじゃないかなって、
これね、医者に限らず思ったんですよ。
要は今ここで働くための理由をそこで作ってたりとかしてる気がしてて、
多分じゃあその何年後かには新たな目標ができてて、
なお動けないっていう状況になったりするのかなっていうのはちょっと思ってですね、
そこのところはある程度、
何て言うんですかね、もう踏ん切りつけてやめちゃわないといけないというか、
絶対そんなメリットがあればデメリットも当然あるわけで、
そこのところはある意味目を瞑ってエイギアでやめる勇気って絶対必要なので、
そうそうそうそう。
なんかそう思う。
そこのところがあまりになんか恐れすぎてる部分もあるのかなっていうふうには自分も思いますよね。
思いますよね。
なんか不必要に恐れるというか、やっぱりね、
そうそう今回帰って思ったのはそういう変わらないんだな、変われないんだなって思ったのと同時にね、
やっぱりね、一歩を踏み出す勇気がやっぱ失敗を恐れすぎるあまり日本人はね。
なんか一歩を踏み出す勇気を称えられないというか、
なんかそういうのがなくなっちゃってますよね。
そうか、新たなことに挑戦して、そこで失敗した人としてもいい経験できたよねっていう感覚がないんですかね、やっぱりそれで。
だから僕って結構前も前回のポッドキャストというか前回の収録でも話した通り、
常に挑戦する、常にあの時の景色を追い求めてるって感じで言ってますけど、
多分少数派なんですね。
なるほど。
だから安定して一番家族が大事で、今この生活を守ってくれる人が大事。
それはそうなの。
今の生活が維持できる。
それはもう、それはそれだけで幸せっていう。
日々なんかね、特殊なプレゼントよりも毎日の当たり前のこの生活が好きとか、
それはわかるんだけど、
もう当たり前のこの生活が環境が変わっても当たり前になってくれたらもっと楽しいじゃんって僕は思っちゃうタイプなんで。
自分の能力っていうんですかね、新しい踏み出し方っていうかですかね、
なんかそういうのがまだまだ足りないなっていうのをすごい感じましたね、今回の日本。
変われない日本を踏み出せないね、やっぱり勇気がないというか。
はいはい。
やっぱりリスクを過度に恐れるっていうのは日本人の傾向としてありますよね。
何ですかね、これも投資につながったりするんですかね、結局リスクが怖くて投資できないとか。
でもそれがやっぱり一番最初の冒頭でというか今回の収録の冒頭で伝えた横並びなんですよ、小学生。
失敗恐れがあまり底辺というか下に合わせようとするから失敗を犯してでも挑戦しろっていう教育は我々受けてこなかったじゃないですか。
確かにそれは言われてきたことはないですね。
だから結局やっぱ教育というかそこにつながるなと僕は思っていて。
そこでこれは教育でどうにかなるものなのか、生活とか親の影響がどれくらい強いのかとか僕は難しいと思うんですし。
遺伝の閉める割合が結構多いっていうのも最近の学力の学問的な問題でもよく本とか読んでてもできるんですよね、何とも言えないけれども。
でもやっぱいつまでも挑戦する心を自分では持ってないと思うし、子どもたちにもそれを持ってほしいと思って生きてるから。
やっぱ異曲を辞めるとかもそうだし、新しいことを生み出す投資もそうだしね、ゆうさんが言われたとき。
もちろん運もあるから、というかもう基本運だから。
運をいくらに引き寄せるかっていうのが人生じゃないですか。
つかめるか、いかにつかむために努力するかっていう問題であって、努力したから成功するんじゃなくて、
努力することによってつかめる成功をつかむ確率を上げてるだけだから、我々はね。
そういうのを勘違いしちゃいけないと思うんですよね。
そうやって得た先に、自分が殻を破って初めて一歩外に出た、それを一回でもやっちゃえば多分変われるっていうか、変わることってそんなに難しいことじゃないっていうのが分かる、気づくと思って。
その時に変わった変化が、たとえちょっと想定より悪かったりとかしたときにも、
本人はもちろん下を見ちゃいけない、落ち込んじゃいけないし、それを一緒に見てるパートナーの方々も悪く言わないでほしいな。
確かにそうですよね。そこであっちの方が良かったじゃないっていうのが入ってくるとちょっと落ち込みますよね。
そういうのを多分世の中は嫁ブロックとか妻ブロックとか言うんでしょうね。
でもそうですね、確かに確かに。
だって実際、異極を辞めて、ゆうさんとかキャリアも全然変わったわけで、日常生活とか普段の生活とかさ、全然働き方も違うんでしょ?変わったでしょ?
全く違いますよ。全く違います。家にいる時間めちゃめちゃ長くなりましたもん。
でしょ?だから異極を辞めることによって、エンドポイントである家族の時間を作るっていうのも達成されてるわけでしょ?
そうです。もうもちろん。
もう多分研究途中でストップしていいぐらいに、ゆういさんをもって良くなったわけでしょ?
間違いないですね。めちゃめちゃ時間もできたし、当初はそれこそ収入的なところも一旦下がるのもやむなしと思ってはいたんですよね。
要はもう働く日数自体を減らしたので、週それこそ異極にいるときは週5、6当たり前。当直当たり前みたいな感じのところから1回週4まで減らしてるんで、週4上金って形で減らしたんで、まあ収入は1回減るよねっていうところではあったんですけど、
ただまあ週4ぐらいになってちょっとゆとりが生まれてくると、やっぱり何ですかね、僕としてももうちょっと何かやりたくなるなって、新しいことやってみたいなとか、そういう考えを巡らす余裕が出てくるっていうのは正直あって。
さらにね、やっぱり異極辞めるっていう一歩を踏み出したことによって、一時的には悪かったかもしれないけど、その先が思わぬ形で出てくるっていう典型、すげえ良いモデルケースじゃないですか。
いやまあそうですね、だからもうそこで、たぶん日々暴殺されてて何も考える余裕がなかったところに、ある意味ちょっとした空白な時間というか、自分の時間を設けることができるようになって、で何やろうかなっていうふうに思ったときに、まあじゃあ実は僕も異極辞めるときバイトとかしたことなかったので。
そうなんですか。
そうなんですよ。もうずーっと公立病院で来てたので、バイト禁止の病院で来てたので、まずバイトやってみよう、バイトやってみたりだとかしてたら意外に収入も、まあ働く時間が、まあそれ多少は増えたことによって、まあ収入も全然、やっぱりでも週6も働いてないですよ。もう週4.5とかにしても、それでもう年収は超えたし。
ただまあなんか一個、当時悩んだのは、やっぱその意思としてのキャリアを考えずに辞めたんですよ僕は。もうそもそも家族の時間を設ける、そのために辞めるっていう大義名分だったので、それが達成されたときに自分のキャリアをこと考えてなかったんですよね。
自分、まあ普通に医局から出て、まあ普通に民間病院で勤めて、消化器内科として勤めました。でも医療の最先端からは外れるわけじゃないですか。で、そうなったときに、俺、医者としてここからどうやって成長したらいいんだろうとか。
なんかここで成長自体は結構途絶える感じになるのかな。何を目指して医者を、まあ言ったら歩んでいったらいいのか。まあ生活のだけにやっていく形になるのかなっていうのを思ったときに、結構そのときは焦りましたね。この先の医者人生どうやって歩んでいったらいいんだろうっていうのがわかんなくなって。
めっちゃいいじゃないですか。それ多分同じふうに思ってる先生たくさんいますよね。
いや、そう。で、もうそこで、もうやっぱりロールモデルは当然いなかったので、その自分の周りも当然医局にいる人ばかりだったので、医局の外に出た人の話を聞く機会も当然なかったし。で、出てみたらやっぱり自分と同じような形で働いてる人。
当然そんなに出ようわけでもないので。ってなって、いやもうわかんねえなってなったときに、とりあえず医者と何か他の医者との出会いを求めなきゃって思って、当時それこそSNSとかでのオンラインコミュニティみたいなのができ出したタイミングだったんですよ。
医者のコミュニティみたいなのができ出したタイミングだったんで、とりあえずもう何か無料で入れるようなところは片っ端から入っていくみたいな。で、ちょっと他の人、そういうところに入ってる人はやっぱりある意味ちょっと視点が違ったりする人もいるのかなと思って入って、そういうところで何か交流しながら最終的に自分がこういう人になりたいなとか、こういう形で医療に携わりたいなっていうのが思い描けるといいなぐらいな形で。
ただもう当時は将来の自分どうやって医者、どういう医師として働いていこうかっていうのを、医師像を追い求めてそういうのに参加はしてましたね。
いやでもかっこいいですね。今の若手、ゆうさんはそれ何年目ぐらいですか?
それが10年目かな。
それでも専門医も取ったりとかですよね。
そうですね。ちょうどコロナの影響でちょっと延期になったタイミングではあったので、ただ資格としては専門医が取れる、試験さえ通れば専門医取れるようぐらいのところの状態ではありましたね。
まあそういうぐらい、それまで達してない先生方はちょっと話が変わってきたかもしれないけど、それぐらいの先生で将来俺ってもう成長できないのかなって思ってる先生って少なくないと思うんですよ。
だけどそういうふうなことを考えずに自分の、ゆうさんのプライオリティである後悔しない人生のために子供との時間を作るっていう選択をしたのに、結局違う方向に成長することができて今に至ってるじゃないですか。
それ素晴らしいと思うんだけど、他の先生にもぜひ多くの先生に聞いてほしいんだよな、こういう話って。
すごい大雑把に言えば、「いや、なんとかなんだよ。」っていう話ですね。
やっぱり自分の信念を一番に考えるのってすげー大事だよっていう、この2つがゆうさんの今のお話を聞いてるとポイントになるんじゃないかなと思って。
めちゃめちゃいい話だと思うんだけどな、これ。
話は尽きないところですが、今日はここまで。
いかがでしたか。最後にお二人からのお知らせです。
さて、今日の異極の外で会いましょう。もうそろそろお開きの時間となりました。ゆう先生、今回もあっという間でしたね。
いや、ほんとですね。楽しい時間あっという間ですね。
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それでは今回も最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
またねー。