こころとは何か
養護施設に育てられた盲目男の大きな独り言ということで、今日も聞いていただいてありがとうございます。
2025年の9月のね、今日は7日日曜日ということでございます。残暑が厳しゅうございます。
昨日は素敵なイベントにちょっと参加させていただいて、
生まれつき全盲の友人、全盲って全く目が見えない友人と、そしてトランスジェンダーのね、
お二人の方のコラボ、トークショーみたいな感じで、そして素敵な話をいっぱい聞かせていただいたので、また何かの檻に
シェアできたらいいかなというふうに思っております。今日はですね、こころについてお話ししたいなと。
こうなのでね、言葉とかね、ちょっと迷ったんですけど、ちょっと今回はこころにしようかなと思います。
で、こころってね、あの結構曖昧ですよね。こころって別にね、気持ちとか意識とかね、そういう言い方ができたりもしますよね。
意識で言うとね、意識っていうのは健在意識、潜在意識みたいなのもあるので、心とか気持ちっていうのは多分健在意識になるのかなというふうに思いますね。
気持ちと心、どう違うんだっていうことなので、この辺りはね、感覚的なことなのかなと思ったり、ネットで調べたりAIに聞いたりすると明確な違いがあるのかもしれないんですけども、
まあこの場ではね、僕の感覚でお話をするということなので、あえてネットとかで調べずに話しております。
でもこころってね、いろんな言い方ありますね。心模様とか、心を込めるとか、心遣いのできる人とか、絵心があるねとか、真心を込めてとか、そういうね、こころっていっぱいありますよね。
心と忙しさ
で、気持ちもね、気持ちが入るとか、気持ちいいっていうのは、気持ちいい、気持ち悪いとかも含めて、どちらかというと、なんとかな、物理的なというか、感覚的なものがより強いのかなっていう、肌に熱さがまとわりついて気持ちが悪いっていう表現も使ったりとかするところを見ると、
あんまりね、こころとはちょっとまた違う、もっともっと日常に即した、日常に寄り添ったものなのかな、こころってのはもうちょっとこう、なんていうか、頭の中というか、表現とか、そういうところでね、ただまあ心を込めて伝えますとかね、気持ちを気持ちいっぱい伝えますみたいな使い方もするので、そのあたりは曖昧な部分なのかなと思ったりしますよね。
ただまあなんかね、僕もよく心を込めてとか、僕もあの、自分のね、やってるお店がまごころ、なんていうな、店の名前がついてるので、心っていうのをすごく大事にしてるわけですけども、なんかこうね、あの、心を言葉に込めて、で、手先に込めてとかっていう、そういうのをね、すごく意識しながら、
しております。あとね、こう、忙しいっていうことがありますね。忙しいってのは心をなくすっていうことをね、言いますよね。なので、あんまり忙しい忙しい言ってバタバタバタバタしてる方っていうのは、もう周囲が見えないというか、あの、そういうような感じで、あんまりこう忙しい忙しいっていうのをね、口癖にする。そしてそれをこう良しとして、
昔はね、僕たちもね、僕なんかも忙しさがなんかこうステータスみたいな、これだけ忙しくしてるぜみたいなね、ところあったんですけど、今はね、もっともっとゆるーく無理なくしていても忙しいんですけど、結果的には。ただもうその忙しさの意味が違うっていうかね、心がなくなるほど忙しくない。心がなくなるような忙しさは、
過ごしてないぞっていうね、そういう感じでございます。今日もね、うまく伝わったかどうかわかりませんけど、心っていうのでちょっとお話ししてみました。なかなかね、こうやって言葉にしてみると曖昧というか、なんか気持ちの方が生活に寄り添ってるなぁみたいなことまで話しながら分かって、とても僕も勉強になりました。
あなたもですね、心、気持ち、意識。意識っていうのもね、面白いですよね。意味の意味とか意見の意味を識別する、識ですのでね、意を感じる、意を識別するみたいな感じですよね。
なのでまたね、これについてもまたお話しできたらなというふうに思ったりしてます。潜在意識、健在意識、深い内容になってきますよね。ということで、今日も聞いていただいて本当にありがとうございました。またお会いしましょう。