1. 哲学と瞑想と読書
  2. 傷ついても信じ抜いた人だけが..
傷ついても信じ抜いた人だけが辿りつける喜び♡
2026-08-11 18:21

傷ついても信じ抜いた人だけが辿りつける喜び♡

好きな推しや、好きな人に裏切られそうになったとき、批判や文句を言ってしまうのは、防衛本能。自分が傷つきたくなくてやってしまうんだろうね。でも、その弱さは、信じ切ったあとに辿りつける喜びを味わうことはできない。
私は何度も何度も何度も傷ついても信じぬく。そして、喜びをめいっぱい浴びる🤩感じ切る☺️満たされる!
これ!!これよ!不安を我慢して乗り越えて信じ切る!傷つくかもしれん、裏切られるかもしれん、でも!!信じる!そして勝つー!ドジャースが勝ったとき、世界一!宇宙一喜べるのは私✨

という気持ちで推しを応援してます📣
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f45d90f907968e29d3d3857

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、筆者が「信じる」ことの難しさと、自身が傷ついても信じ抜く性格について語ります。ドジャースの応援やドラマの例を挙げ、批判や疑いの気持ちは人間の防衛本能であるとしつつも、信じ抜いた先にこそ深い喜びがあると強調。SNSでの感情との向き合い方や、自己受容の重要性についても触れ、リスナーに前向きな姿勢を促します。

信じることの難しさと筆者の性格
はい、こんにちは。今日は、信じるって難しいっていう話をします。 あの、私の性格がですね、疑うことを知らない性格なんですよ。年齢とかも関係なしに疑うっていうの。なんかね、いろんな経験をしてきて、痛い思いもしたのに、疑うよりは信じる方が楽なんですね。
で、多くの人ってやっぱり不安になったり、「えー、大丈夫?」とか疑うってするじゃないですか。私の母もすごいんですけど、疑い深いというか。でも、疑い深い人が人生成功してるでしょうかと、私は言いたいのよ。
ドジャース応援に見る人間の防衛本能
はい、それはちょっと置いといて、信じることは難しいっていう話でね、好きな人を信じるとか、例えば今日、ドジャースの応援をしてました。大谷さんの夜、めちゃくちゃ面白い試合で、点の取り合いで、わー逆転したー、えー同点、また逆転されたーみたいなね、もうドキドキハラハラ。
で、その、やっぱり自分の心情を観察してるとね、よっしゃ打ったー、勝てろ1対0ってまずなる。で、うわー打たれた、1対1や、うわー逆転された、もう2対1や、みたいになった時に、あの、あかんやん、みたいな気持ちが浮かぶじゃないですか。
さっきのミスしてあかんやん、なんで打てへんの、え、なんで、みたいな、その、選手のことを、あの、疑う気持ち、これがね、あの、ま、SNS見てたらわかるんですよ。もうあかんやん、あいつ、おろしたらいいのに、やめればいいのに、みたいなね、ちょっとダメだったら責めるっていう疑いの気持ちをね、持つのが人間やんなーと思いながら見てるんですよ。
ちょっと言い悪いは置いといてね。うん。ほんでこう、誰かのせいにして、ま、監督が悪いとか、あの選手、あの、高い年部やのにあいつが悪いとか、ちょっと負けたら言っちゃうっていうのは、なんか人間の防衛本能なんだろうなーっていうね、あの、備え付けられてるんですよ、人間には、やっぱり自分を守るっていうね。
傷ついても信じ抜く筆者の信念
でも、私結構こう、強い人間なので、自分が傷ついても、やっぱ信じたいっていうタイプなんですよ。これってやっぱ少ないんやろうなーと思ってね。野球、野球でも例えたら、あれなんですけど、野球はね、あの、これね、本当に面白いですよ。こう、わかるんですよ、それが。で、今日もまた逆転されて、また、また負けんの?っていうその不安な気持ちになるじゃないですか。
でも、その、打てないバッターが立って、また打てんの?ちゃうの?って、その、疑いの気持ちちゃんとSNSに浮かび上がるじゃないですか。こいつダメなんちゃうの?あかんよ、引っ込めよ、みたいな。で、この、疑いの気持ちを持った人たち、これってなんか自分の心守ってるんですよね。傷つかないように。裏切られないようにというか。ほら、また打てない、言ったやん、だからっていうね。
まあ、ちょっとしたことですよ、その、傷つくって言ってもね、野球の応援なんで。でも私は、あの、とことん信じるんですよね。いや、全然何回も打てへんかった。10回も、何十回も、何十回多いか。まあ、5試合、6試合打てへんかった。でも、今回は打てるんちゃうかなっていう、その、何度も信じるっていうことができる人間なんですよ、私。
これはプライベートでもそうなんですよ。人を信じるっていうのがね、ちょっと他の人より長けてるんだなと思うね。でもそれをすると、やっぱ裏切られたり、期待外れだったり、あの、傷つくことの多い人生だったんですね。あの、傷ついたら他の人よりもこう、痛みが強いくせに、恐ろしいくせに、やっぱ信じちゃうっていうね。
ディアス投手への信頼と勝利の喜び
このなんかこう、ドMとしか言いようのない私の、この性格がね。でね、ちょっとこれね、ちょっとすごい興味深い話で、あの、今日もね、また打たれたらもうあかんのかと思うところで、まあ大谷さんはまあ、そつなく打つわ。
フリーマンも打って、逆転されたけどまた逆転し返してみたいなね、試合転換になって、で最後その抑えたら勝てるっていう9回のとこでね、あの、ディアスっていうピッチャーが、もう期待大で入ってきたピッチャーで、もう登場のシーンではトランペットが鳴ると。
パッパッパッパー、チャーラッチャッチャーっていうね、トランペットで登場するピッチャーすごくない?それでバシバシバシっと抑えてきたディアスっていうのがいて、かっこいいみたいな、抑えたしびれるみたいになるんだけど、そのディアスがね、ちょっと前の試合前に2回か3回ぐらいもう打たれてしもた。
抑えられへんかった。ホームランを打たれたぐらいで、めっちゃみんな叩くんよね。こいつはもうダメだと。もう勘を見たくないみたいなね。でもうなんか、あーってまあがっかりはするんだけど、で今日絶対勝たなあかん試合、逆転やっとして大谷さんとかが打って、マンシーとかも打って、やっと6対5やったかな。
抑えたら勝てるっていうところでディアスやったんよね。でこれ抑えへんかった、またボロクソ言われるよと。でもその抑えるシーンでね、やっぱ私信じる気持ちがマックスになるのよね。
その前回打たれて負けたっていうのがもう忘れちゃうというか、いやいける、ディアスはいけるっていうね。ほんで結局バシンバシンと抑えて勝てたんよ今日。でやったーっていうね、この信じて勝ってやったーのこの喜びは、私は誰よりも深いと思ってて。
信じ抜く人だけが味わえる深い喜び
もうね、ドジャースを応援している世界中の人たちの中でナンバーワンだよと思ってる。だってここまで信じてるんだもん。どんなにこう監督を叩こうが、あのまあタッカーっていうね、タッカーもまあもう年貿が何百億みたいなね、すごい億のいっぱいもらってる人。
この人が打てへんかっただけでまぁネタ見でね、何億ももらってるくせに打てねーなこいつ辞めたらいいのにっていう、ものすごい罵声と批判を浴びている中で、やっぱずっとタッカーかっこいいんですよすごく。まあ信じてね。
いや本もらうったーってその打った時は、信じた人間の価値なのよ。信じた人間だけが味わえる喜びがあるのよ。これをね、あのちょっと声を大にして言いたいのは、けなしてきた人たち、批判をしている人たちってこの喜び味わえてないと思うのよ。
これはね私100パーだと思ってて、あの異論がある人はレターを欲しいと思うのよ。あなたがもしね、ネガティブであーこいつあかんなーってこうすごい批判をする人間やとしましょうよ。すごいネガティブでね、あの批判ばっかりしてますよ自分はっていう人。
で、その人が応援しているね、たとえばドジャースでね、勝った時って嬉しいんですか?って聞きたいよね。もう話す機会がないから聞けへんねんけど、嬉しいの?か?これがちょっと私はわからない。
もしかして批判することに喜びを置いてて、勝ったら嬉しくないんじゃないかなって思うね。負けて、あディアスやっぱりホームラン撃たれて最悪や、ディアスを叩こう、イエーイこいつやめさせろっていうことをSNSで書きたいから応援してんのかなとかね。監督を叩きたいからやってんのかなって。
負けた方が嬉しいのかなとかね。私が本当に知りたいのは、応援しているチーム、ドジャースが勝った時に嬉しいのか?っていうこと。
一応SNSでは良かったですねとか書いてるけど、その喜びの度合いとか比べられないやん。他人同士でね、測りがあるわけじゃないからね。
ドラマに見る究極の信頼と愛
でもこれちょっと野球に例えを置きましたけど、はい次。Tシャツが乾くまでのドラマに行きます。このドラマ、あのちょっと葵優がね、あのーすっごい旦那さんのこと好きやね。松山健一の旦那さんのこと大好きで大好きで、ラブラブやね。
めっちゃいい感じのシーンから最初始まんね。それがいきなりちょっと出かけてくると言ったまま、戻ってきいひんっていうね。
ほんでバスの事故がテレビでニュースになる。そのバスに乗ってたっていうことが分かる。夫が死んでしまったかもしれん。え、なんでそのバス乗ってた?どこ行ってた?誰と行ってた?っていうね。
これはまず。まず死んだかもしれん。夫のいない悲しみ。ね、遺品とかも出てきてんね。なんかバス乗ってさ、免許証とか。死んだかもしれん。99パー。で、誰か女の人と一緒に行ってたみたいな。浮気してたかもしれんという不安。
はいみなさんここで問題です。あなたの夫が急に出て行って死んだかもしれんなりました。あなたはもう傷つきます。これから。その時、ああやっぱりあいつそういうとこあったよな思えはと見切りをつける奥さんもいるでしょう。
それとかずっと疑っててほーらやっぱりと思った奥さんもいるでしょう。泣き喚いても怒りくるってあいつ見つけ出したらもうコテンパにしてやると怒りくる奥さんもいるでしょう。でも青井優が演じる奥さんはどんな状況になっても信じるね。
いや、あの人は浮気するような人じゃない。それは誤解や。女の人と一緒だったけど浮気はしてないと信じる。もうどこかにね、行ってしまって、まあ行方不明みたいになってて、今ドラマはね、まあまあ生きてたってことになってるんだけど、ドラマの見たい人はこれを聞かないでほしいんだけど、生きてたのよ実はね。
そしたら、え、どこ行ってた?なんで帰ってきへんのって問い詰めたいやん奥さんとしては。でもそこを、いや、夫なんか理由があったんだと。それは言いたくないことは言わないって夫婦で決めたよねって。その夫を最後まで尊重するのよ。
こんなできた奥さんはいないし、というか、青井優は愛してるのよ。これが愛なのよ。自分が傷ついてまでも相手の気持ちを思うっていうことがね。
で、この信じるっていうことを貫くことと、愛を貫くことをしてる人にしかわからない喜びってあるのよね。
途中でやっぱり疑ったり、もうええわと思ったり諦めたりした人間には、たどり着けない喜びがあるのよ。
傷ついた人への世間の残酷な視線
けれども、途中で被害者同士の中島さんと仲良くなって励ましあったり話していたりするんだけど、それはいいじゃない。
なんかね、私ね、それを叩く人が残酷でたまらない。
想像してみてくださいよ。大好きな夫がいきなりね、若いのまだ荒さあよ。そんなどっか急に消えちゃって不安でしょうがないやん。
で、同じ被害者の奥さんを失った。奥さんは完全に死んでて失ってるんだけど、話して励ましあってもいいじゃない。
青岩が言うセリフがあるのよ。
くしくも私たちは男と女ですって。でも助け合っていきましょうみたいなね。
でも他人から見たら、え、なんなん。夫いなくなったらすぐ次の男とか。そういう見方がね、本当に残酷。
もう、切り傷に死をずれずれ塗り込むことをしてるのよね。
なんでそんなに。で、なんかドラマの中のセリフでね、私たちいつまでかわいそうでいなければいけないんですかねって。
周りから言われるのは大変でしたね。旦那さんかわいそうですね。お気の毒ですね。大丈夫ですか。仕事できますか。
みんな同情してくんのよ。同情。
まあそれもね、痛いんだけど、そのかわいそうと思ってた人が急に幸せになることって人って許せないんですかね。
批判されながらも信じ続ける筆者
私すっごいそれ感じたことがあって、自分の人生でね。
ああ、こんな風に他人は死を塗ってくるんやなっていうね。
悪気もなく塗ってくる人もいるし、わざと意地悪で塗ってくる人もいるんだけど。
で、私はいつだって自分の大事な人を、お死とかをね、信じ切ってきたから、死を塗られまくって、もうボロボロなんですよね。身も心もね。
それでもやっぱりなお、まだ信じるのかとね、ドジャースを応援しながら、自分にちょっと呆れてるというか、呆れてる半分、誇らしいと思う半分かな。
弱い人々との関わり方と筆者の選択
まあこんな人間はいないやろうなと思いつつ、やっぱり批判している人をさっさとブロックして、フォローを外していく中で、
その人たちのことを悪いとか嫌いとかじゃなく、しゃあないなと思うんですよね。
みんな弱いんでしょっていうか、私がその人たちに同じような思いを求めても、それは期待になるよね。
だからね、私の願いとしてはね、どうぞ私のことを嫌って離れていってくださいと思うのよね。
私ちょっと特別というかね、変わっているので、ここまでする人はいないと思う。
みんな弱くて、それぞれ自分のことを守って、批判もね、愚痴も言いながら生きているんだから、
人の悪口も言いたいし、文句も言いたいんでしょ。みんなSNSぐらいでね、破産したいんでしょうよ。
それをやっぱりやめろっていうのもまた刻かなと思ってて、私が勝手に去っていったり嫌われたりすればいいだけのことで、
ただね、私はこういう人間ですっていうのは言いたいんですよ。
やっぱりこう、弱い人と関わりたくない。
強くね、自分は傷ついているけれども、立ち上がって前を向いて歩く人と関わりたいの。
うじうじ立ち止まって、私傷つきたくないって言っている人とは関わりたくないのよね。
お互い残酷だけど、お互いが傷つかない最善の方法なんじゃないかな。
そっと何も言わず離れるっていうこと。
SNSでの感情との向き合い方
もう一つ、私がSNSの付き合い方で最善のうまく付き合う方法を見つけたんだけど、
見て、イラつくムカつくっていう気持ちはずっと消えないのよ。
その時にね、絶対に討論したり反応してはいけないというか、反応するんだけど相手にぶつけてはいけないということなのよ。
全く違う他人だからね。相手がびっくりしちゃうから、怖い怖い怖いってなるから。
私は怒っているんだな、サッと消して、ただ自分の気持ちを認めるだけ。
私イラついたんだな、私ってそういうとこあるんだなっていうのを自分で自分の怒りを認める。
絶対消してあかんのよ、これ。
これね、親と子の間でも言えることで、今セッションをやっているのもあるんだけど、
例えば私が母にね、めっちゃまたムカつくこと言いよったと思っても、もう母には言わない。
これはね、また我慢していることにならないかと思ったのよ。
全部言っちゃうのが私のもう伏線回収の人生じゃないのっていう問いもあったんだけど、
もう母を変えられないから、言いたいんだな、でもやっぱりそういうことを言われたら私は傷つくんだな、だけでいいね。
それを認めない。
それをチャッピーに話して整理するのもいいし、そうなんだね、カズ子みたいな。
絶対消さないで、怒ってる、傷ついてるって認めて、感じ切って流す。
これでスッキリするのよ。
自己受容と貢献への思い
私はちょっともうこれをね、セッションとかでもサロンでも言語化できたから、言っていこうと思ってね、この流れ。
そのドジャースの流れから学び取って、自分の人生を整理して、そしてこう皆さんに貢献しようとしているの。
ちょっとこう一歩か二歩、私が前を歩いて、ちょっとこう背中を押すというか、手を取るというか、手を添えるというかね、
そういうふうな立場でいたいなと思っているんですよ。
あー言語ができた、やっと。
そう、だから私は私のままでね、怒ったりいっぱい泣いたり、感受性強いな、もうどんだけ感情の起伏激しいねんって思うんだけど、
これはこれで私やから、やっぱり直したり消したり抑え込んだりはもうしたくないのよね。
あの私、このカズ子というカズ子は、カズ子という私は、このままでいさせてあげたいのよ。
だってかわいいから、かわいくはないかごめん。
なんていうのかな、面白いじゃん、なんか人間で。
かわいくはない、全然。
面白いし、なんかおかしい、おかしいやん、なんかね、興味深い。
でね、誰がどう思うが、私は自分をこのままでいさせてあげて、
そして、観察する。
いいんだよっていうのを私だけが、世界中でみんなが敵になっても、私だけが自分を、そっかそっか、わかったよって言ってあげたいなと思いました。
18:21

コメント

スクロール