藤井風の音楽とスピリチュアリティ
はい、こんばんは、カズです。 今日のタイトルは、藤井風さんとスピリチュアルということで、
ミュージシャンの藤井風さんについて、今日はあのすっごく緩めにお話ししていきたいなと思います。 よろしくお願いします。
藤井風さん、すごく有名ですよね。 昨年末の紅白にも出てたと思いますけどね。
藤井風さんの曲を最近、僕はよく聴いてるんですけど、本当にすごいっていうことなんですよ。
タイトルにもある通り、このスピリチュアルと藤井風さんの関係についても語っていきたいなと思うんですけど、
前から多分ね、スピリチュアル界隈では、前から多分話題になってたと思うんですよ。 その藤井風さんすごいみたいなことで、すごく冷静が高いんですよね。
スピリチュアル度が高い、スピリチュアルな真実をずばり抑えた歌を出してるみたいなところで、多分前から話題にはなってたと思うんで、
だからちょっとね、僕このタイミングでこれ話すの、今更感すごいあるかもしれないんですけど、別にそこはそこっていうことでね。
僕の場合はですね、藤井風さんの曲を聴くようになったのはですね、以前からずっとお世話になっているヒーラーの先生から、藤井風さんのグレイスっていう、これがいいよって紹介されて、
そこからちょくちょく聴くようになってたんですよ。 でも、なんかいい歌だなぁとは思って、確かにスピリチュアルだなぁと思ったんですよ。
でも、なんかそれ以上ね、突っ込んで調べたりするっていうのはあんまりなかったんですよ。 だから藤井風さんのことあんまり知らなかったんですよね。
で、なんかね、その時僕が思ってた、なんとなく藤井風さんのことどう思ってたかっていうと、すごくスピリチュアリティの高い、冷静の高い、波動の高い曲をすごい確かに作ってるなっていう感じはあったんだけど、
なんか感性の産物だと僕は思ってたんですよね。
なんか、多分天才性が、天才的な感性で、そのインスピレーションを宇宙のところから、高いところから、感性によってキャッチして、それを世に放っているのかなっていう。
だから、要は明確なスピリチュアルみたいなね、そういう明確な意識的な、そういうことではないと、僕勝手に思ってたんですよ。
でも結果的にすごい冷静高いよ、みたいになって、世間では騒がれてるみたいなね、そんな風に僕勝手に思ってたんですけど。
でもね、どうやらね、ちょっと調べてみたらですね、実は違ったということなんですよね。
どういうことかっていうと、藤井和さんは明確にそういうスピリチュアルな考え方、宗教観とか資生観とか言ってもいいですけど、そういうのを意識的に明確に意識して、その明確な意図のもとで曲を作ってたってことが分かりましてですね。
あ、そうなんだっていうね、ここちょっと個人的には驚きだったんですけど、なんかね、そのYouTubeの動画をね、いくつか僕見たんですけど、ハイヤーセルフっていう言葉を本人の口から言及してたんですよ、その動画の中で、めちゃくちゃスピリチュアルなワードじゃないですか。
で、他にもね、えっとね、僕がびっくりしたのはね、身体にアイデンティティを置いていることが全ての問題の根源である、みたいなことを本人が言ってたんですよね。
いやもうこれとかね、めちゃくちゃスピリチュアルの本質じゃないですか。
身体、自分のアイデンティティが身体だ、自分は肉体なんだって思ってる。そう思ってることが問題の根源であるみたいなことを藤井和泉さんが言ってたんですよ。
めちゃくちゃ本質ですよね、なんかね。そう、だからそういうこと分かった上で、健在意識で分かった上で、意識レベル高い曲を作ってたっていうね、ことだったらしいんですよね。
なんかそこを僕知らなくて、ああそうなんだっていう感じだったんですけどね。
で、えっとまぁ、最近そんなことを知って、でまぁその曲がね、あのすごくいいわけですよ。藤井和泉さんの最近聴いてるやつは、旅路っていうね、あの曲を結構リピートで聴いたりしてるんですけど。
すごくいいんですよ、なんかね。若いのに本当にすごいなぁ、もう発覚してますね、もう悟っちゃってますね、みたいなね、そんな感じなんですけど。
なんか僕が聴いてる、その藤井和泉さんの楽曲から伝わってくる価値観みたいなものについて話すと、あのどういう価値観が連想されるかというとですね、手放しとか。
手放しっていうのはよく出てきますね、あの歌詞にも直接手を離すとかね、いう表現が多くあると思うんですけど、その手放し、あと許し、あとキーワードとしてはキーワードとなる価値観みたいなところで言うと非執着、あと解放みたいなね、そういう感じじゃないかなと思うんですよ。
そしてその先にある愛とか光とか自由とかを見ている、表現しているとか、なんかそういう楽曲なんじゃないかなと思うんですよね、あの僕が聴いている感じね。
ということで、もうまさにね、スピリチュアルの本質だと思うんですよ、もう手放しとか許しとかね、非執着とか、それによって結果的な愛とかね、なんかね、そういうことなんですよ。
僕は結構理屈人間なので、理屈っぽいことが好きというか、なんかどうしてもそういう思考になっちゃうので、理屈っぽい発信をずっとやってますけど、そんな僕の、めちゃくちゃ僕の言葉でこういう感覚をまた言い換えてみるとね、幻想の世界、人間性のゲームの世界ですよね。
だからこの幻想の世界のその幻想性、この世界は夢なんだっていうことなんですよ、夢なんだっていうことをどんどん踏み落として、その幻想性を理解して、その幻想性を理解することによって執着を手放すことができるんですよ。
愛、夢なんだ、夢だったら執着しないですからね、ということで執着を手放して、結果として僕らの本当のホーム、お家である愛、神様のもとに帰っていきましょうみたいなね、そういう感じなんですよね。
だからめちゃくちゃいつも言ってるようなことを見事に歌い上げている人なんだな、なんかすごいな、みたいな感じなんですよね。
旅路の歌と価値観
実際藤井和さんのね、僕最近旅路をリピートしてるって言ったんですけど、ずっと聞いてるとなんかね、なんとなくエゴによる分離の壁みたいなのがどんどん薄まってくるような感じがするんですよね。
周りと自分が溶けていくみたいなね、あーもうみんな一つで繋がっているんだよな、みたいな、なんかね、そういう感じにだんだんなってきたりするんですよね。
あとね、YouTubeの、まあこれもね、YouTubeの動画の中で聞いた話なんですけど、ファーストアルバムのタイトルの話題も出てきてね、この話もなんかすごく良かったな、なんか僕はすごいね驚いたというか、良かったなっていうことがあったんですけど、
藤井和さんのファーストアルバム、どういうタイトルにしたかっていうと、HELP EVER HEART NEVERっていうね、ファーストアルバムを出されたらしい、まあ出されたらしいというか出してるんですよね。
で、この意味はですね、あの、助けられるあらゆる時には助けて、でも決して傷つけないみたいなね、そういう意味だと思うんですよ。
助けられるあらゆる時には助けて、決して傷つけない。
これ、えーと、まあ動画、そのね、動画の中で言ってたのは、父親から、まあ小さい頃からね、あの、教わった言葉だと、で、自分の中に浸透してる価値観だということを話されてたんですけど、もうすごくね、優しいじゃないですか、なんかね、これすごく僕共感したんですよね、この感覚というか、あの、考え方というか。
助けられるあらゆる時には助けて、でも決して傷つけないっていう。
なんかすごくね、僕もこの感覚あって、あの、なんか僕個人の感覚で言うと、なんかこの世界においていいことだけして消えたいみたいなね、そういう感覚がすごくあるんですよ。
いいことだけして、で、悪いことはしたくない。
いいことだけ、いい遺産だけを残して帰りたいみたいなね、そんな感覚がすごく自分の中にもあって。
うーん、まあ、あの、宇宙から、まあ、あの、ね、地球がホームではないということで、あの、僕らもっと高波動の宇宙が本当のお家というかホームなわけじゃないですか、本当はね。
で、そこから、まあ、あの、地球ゲームに参加して、肉体持って今人間やってますみたいなね、ことだと思うんですけど、だからね、今日もこうやって、あの、ログインしてね、肉体まとって今喋ってますけど、だから、うーん、まあ、それこそね、旅路だと思うんですよね。
あの、旅の途中なんですよ。で、だから、束の間の夢というか、本当は人間じゃないんだけど、でも旅の途中、人間のふりして、まあ、人間やってますと、でもいつか帰ってくわけですよ。
うん。っていうことなんで、で、その旅の途中ですね、うーん、なんか荒らして帰りたくないんですよね。あの、なんかいいことだけして帰りたいなーって、僕ずっと、なんかそういう感覚がなんとなくあって、うーん、あの、あの、来た時よりも美しくっていう、なんかあるじゃないですか、そういうスローガンが、遠足とかね、いた時も、
ゴミとか撒き散らして荒らして帰るんじゃなくて、いや、むしろ来た時よりちょっと、あの、綺麗になるくらいな意識で、まあ、ゴミとかね、ちゃんと、あの、なんか拾って、それで帰りましょうみたいなね、うん、そういう来た時よりも美しくっていう、なんかこれをなんとなく、あの、思ってたんですよね。
うん。
うん。なんか、そう、自分が存在することで、ちょっとでもなんか綺麗にして、それで、まあ、宇宙なり、愛なり、なんかそっちの方に帰りたいっていう、うーん、なんかね、どうせ夢なんですから、あの、ね、あの、お金もね、資産もね、なんだ、そういう物理次元に属するようなものをね、持っていかないといけないんですよね。
愛の重要性
そういう物理次元に属するものは何一つ持って帰ることはできないんだから、だったら、なんだろう、自分の存在した遺産として残すのは来た時よりも、なんかちょっと綺麗にして帰りたいっていう、そういうところが本当に、まあ、自分の、うん、なんだろう、この地球にいた意味になるんじゃないかな、みたいなね、なんとなくそういうところが、思うところがあったんですよね。
なので、えっと、そうそうそう、その藤井和さんのファーストアルバムのタイトルの話でしたけど、ヘルプエヴァーハートネバーですね、っていうのはすごく、いや素晴らしいな、なんか、うん、って思いましたね。
で、まあ、なんか色々ダラダラ今日はね、喋ってきましたけど、なんか最後に言いたいのは、うん、この話題の流れで、なんか改めて思ったことは、やっぱりそうだよねっていうね、やっぱり愛が大事だよねっていう、そういうことをなんかね、僕は思ったんですよ。
最近の配信で、あの、幻想の世界なんで、あの、善も悪もありませんよ、うちはニュートラルですよ、正解も間違いもないんだよっていうね、そういうことを話したりしましたけど、これはもう本当に真実なんですよ。
だから、まあ愛が大事だよねとかね、言いましたけど、別に愛が絶対正解っていうわけでもないんですよ。
結局そう言うと、じゃあ愛以外を選択した奴らは全員間違いだよねってことになっちゃうじゃないですか、それも違うっていうことなんですよ。
本当にニュートラルで、ただ価値観の問題、どういうゲームを自分がプレイしたいかだけの問題なので、だから本当にどっちでもいいんですよ。
どういう映画を楽しむかはもう個人の自由なのと同じように、その、恐れでも愛でも選択は自由なんですよ。
そこが逆にね、神様の優しさでもあると思うんですよ。
僕らの自由意志を信じて尊重してくれるってことでね、だと思っているので、だから本当に正解も不正解もない、善も悪もないんですよ。
これはもう真実なんですよ。
だけどですね、そんな世の中の中でこそ明確に、いやこっちでしょみたいなね、いややっぱ愛でしょみたいな、そういう価値表明していくことってやっぱ大事だよなっていう風に思ったんですよね。
恐れとか不安とか恐怖とか、そういうだから分離に向かうってことですよね。
そういう分離ゲームと言ってもいいかもしれないけど、そういう分離ゲームも人間性のゲームにおける立派な楽しみ方の一つなわけですよ。
っていうか前もお話した通り、あえて分離を楽しむために人間やってますってことですから、だから全然間違ってないんですよね。
そっちを選択するっていうことも、全然間違ってないんですけど、だけどやっぱり僕の感覚だとそっちに自分はとりあえずね、まず行きたくないと本当に思うし、
で、さらにみんなもきっとね、本心では行きたくないと思ってるはずだと思うんですよ。
心の本当の本心では、そういう分離ゲーム、恐れとか不安とか恐怖とか、そういう暗い、つらい、楽しくないみたいなゲーム体験じゃなくて、
本当はそういうものよりも喜びとか楽しみとか、自由、愛、平和、調和みたいなね、そういう方が絶対望んでるはずだと僕は信じてます。
ということで、やっぱりそのね、喜び楽しみ、愛、平和みたいな、幸せみたいなね、そっちの方がやっぱりね、いいに決まってるんですよ。
やっぱりいいに決まってるんですよ。で、あえて断言しちゃう。明確に一生死するっていう、そういうことが大事なのかなということです。
だから今ね、もういいに決まってるんですよって言ったんですけど、別にこれは正解なんだ、真実なわけじゃないんですよ。
一つの価値観に過ぎない話なんで、だからそれが正解とかそういう話ではないんですけど、僕の勝手なね、どういうゲームをプレイするかの価値観の表明に過ぎないんですけど、
でもやっぱり愛がいいに決まってるじゃないですか。っていうことなんですよ。で、それを表明していくことがやっぱり大事っていうことですね。
最終的に僕らね、神の子なんですけど、全ての神の子たちは一人一人がその自由意志、神様にその自由意志は100%尊重されてます。
さっきも言いましたけどね、愛か恐れかどっちも選択していいっていう、だからそういうね、どういう遊び方をしてもいいんだよって言って、全てが許されてる世界、人間性の世界の中で僕ら夢を見て遊んでるわけですよ。
藤井風さんと共に愛に帰る
でも最終的には愛の方をね、それぞれが選択して、愛に帰っていくわけです。
これはもう価値観のゲームというか決まってます。絶対最終的に愛に帰結するんですよ。
でもその個々人がいつその愛に帰るのかっていうそのタイミングっていうのはもう本当に自由意志なのでそれぞれなんですよ。
だからそれは自由。で、その愛に戻る旅路なんですけど、その過程において恐れを選択しちゃう。恐れの方がいいって言って、その自由意志で恐れの方に向かっていく人たちっていうのも全然いるわけなんですよ。
だからそれは自由。それも正解とか間違いとかじゃないんですよ。
ないんですよ。だけどそうは言っても、全然自由なんだけど、そういうことは僕は恐れを選択するっていうのはもう二度と絶対やりたくないし、また僕の価値観ですけどやるべきではないと思うし、やるべきではちょっと強いから僕はやんないし、
あえて言うなら、恐怖とか不安とか恐れとかそういうのを増長させる人もいるわけじゃないですか。世の中にはね。
意図的にそういう波長を伴った電波をばらまいてというか、周りをその不安とか恐怖とかそういう分離ゲームの方に引っ張っていくっていうことをやる人たちもいるわけじゃないですか。
そういうのを僕は愛と言うなら正しいことだともう到底思えないわけです。やめようぜって思うわけなんですよ。
だから藤井和さんの曲を聴いて思うのは、みんなも藤井和さんの曲とか聴いて、愛のほうが絶対いいんだから、いいに決まってんだから、みんなでホームに愛に一緒に帰りましょうよっていうことですよ。
今日は論理的な話じゃないんですけど、なんかいいなと思ってくれたら僕も嬉しく感じで喋ってますけどね。本当に藤井和さんのやってる仕事ってすごいと思うんですよね。影響力めちゃくちゃあるわけじゃないですか。
やっぱりこういうのが日本だけじゃない世界に受け入れられて今すごく人気になってるっていうのはすごい冷静が高まってる証拠だと思うし、だから本当はみんなこっちがいいわけですよと僕は思うんで、
ぜひね、こういうのって一人一人が波及効果の影響力の起点になり得る話だと思うんで、僕のこのすごいちっちゃなスピリチュアルなこじんまりしたチャンネルですけど、
これをね、ここまで聞いてくれてるありがたい皆様にはですね、またね、皆様も愛の方がいいに決まってるんだからっていうね、みんなで愛行こうぜっていうね、お化け屋敷からもうやめようぜっていう、分離のゲームやめようぜっていう、そういう分離ゲーム、不安とか恐れとかそういう怖いゲームじゃなくて、
もっと愛と幸せと平和のゲームをどんどん開始していける、そんな起点に一人一人がね、なっていければどんどん地球は良くなっていくんじゃないのかなと思います。
というわけで、そんなことを願って、ちょっと今日はね、よくわかんない、だらだらですけど、好きなことを好き勝手ね、おしゃべりさせていただきました。何かね、ちょっとでも面白いなと思っていただけたら嬉しいなと思います。はい、ちょっと長くしゃべりすぎましたね。ここで今日は終わろうと思います。どうもお聞きくださりありがとうございました。