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2023-10-18 24:52

「価値」の本質【価値とは何なのか?】

目次
世間一般で言われている「価値」という言葉
「値段=価値」なのか?
「価値」は商品それ自体に内在しているわけではない
「価値」と「欲求」
誰もいない森で木が倒れたら音はするのか?
「価値」が変動するための2つの変数
一億円のダイヤモンドに価値はあるのか?
「価値」と「選択」
一万円札の価値
あなたの人生を幸せにするために

#価値観 #人生哲学 #哲学
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はい、こんにちは。カズです。今回は、価値とは何かっていう話をしたいと思います。
価値って、これは価値があるよね、とか、この商品には価値があるよね、これはいくらいくらの価値があるよねっていう時の価値ですね。
でも、その本質をみんな意外と正しく認識できてはいないんじゃなかろうかと思いまして、今回改めてそれを深く考えてみようと思い、価値とは何かっていう音声を録りたいと思います。
まず、普通、どういう使われ方をされている言葉かというと、価値という概念ですね。これは価値があるよねってみんな言うと思うんですけど、一番わかりやすいのは物の値段ですね。商品価値。
値札がついていれば物の価値って数字でわかるじゃないですか。だから一番わかりやすい価値の代表例だと思うんですけど。
改めてね、でもここで考えたいのは値段イコール価値なのかっていうことなんですよね。これ、実はイコールではないです。
例えばですね、丸3日間砂漠をさまよって飲まず食わずの人の目の前に突如現れた差し出された100円のミネラルウォーター。
これ多分10万円とかでも買うと思うんですよね、この人は。なぜならこれ買って飲まないと死にかねないからですよね。
でもその差し出されたミネラルウォーターはその辺に売ってる普通に自販機で100円で買える南アルプスの天然水だったりするわけなんです。
でもその人はその状況だと10万円で買うわけじゃないですか。
なぜこういうことが起こるんだろうかっていうのを深くちょっと考えたいんですけど、
これ別にそういうちょっと特殊な丸3日間さまよってる人の例を出さなくても普通に現実世界でも発見される事例ですね。
富士山の山頂で売られている自販機で売られているミネラルウォーターは500円だったりしますね。
物が変わってるわけじゃないんですよ。
その辺のコンビニで100円で売られている自販機で100円で売られている南アルプスの天然水って全く同じ商品でも富士山の山頂に持って行ってそこで売った途端500円になるっていうことです。
こういうことですね。
なぜここで値段が上がったのかっていうのを改めて考えてみたいんですけど、
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さっきも言ったように物は変わってないんですよね。
ミネラルウォーターそのものの100円のそのものは変わってない。
何が変わったかというと状況が変化したからですね。
ここから言えること、このようなすぐに確認できる当たり前の事実がありますよね。
ここから何が言えるかというと、
価値という言葉、価値という概念は何かこととか物、何でもいいんですよ、商品だったりサービスだったり、
そのものの中に内在しているものではないということがここから言えるわけです。
だってそのもの自体に価値が内蔵されていたらどこ持って行っても値段変わるはずないじゃないですか。
価値変わらないんだから。
そうですね、商品だったらその商品価値というものは商品それ自体の中に内在しているわけではない、
封入されているわけではないということが言えます。
価値というものは何かそのもの、そのものだったりことだったりサービスだったりとか有形無形ありますけど、
そのものの中に内在しているものではないということがまず確認できますよね。
じゃあその価値という言葉、価値という概念の本質って何なのかっていう話ですけど、
価値というものを考えるときに欲求というものと絶対分けては考えられないと思います。
欲求っていうのは必要性とかニーズとかと言い換えてもらってもいいと思うんですけど、
その欲求が成り立つためにはその欲求、必要性、ニーズを感じる人、感じている人とその欲望をしている対象、対象物ですね、
という2つの要素がこれ絶対に必要になってきます。
これ改めて考えると、あ、そうだなって分かることと思うんですけどね。
というわけでですね、改めて価値に戻るんですけど、価値というのはすごく曖昧な抽象的な概念なんですけど、
これをよくよく考えてみるとですね、人とものという価値を感じる人、欲求する人と何か欲しい対象物ですね、
人とものという2者間のこの関係性の間に欲求というニーズが、その人がね、その欲求を、
欲求という必要性、ニーズが生じたことによって、その人とものの関係性の中にその時初めてぼんやりと生まれ出てくるもの、
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そういう概念が価値だっていうことです。
ちょっと抽象的な哲学チックな言い回しになりましたけど、もう1回言いますね。
まず何か物だったり人だったり、物単品では発生しない概念だっていうことですね。
人ともの、まず2つの要素があって、そのうちの欲求を感じる人が、
人が欲求という必要性、ニーズをその心で抱えた瞬間に、その関係性の間にですね、ぼんやりとそこで初めて生じてくる概念、
現象と言ってもいいのかもしれないですけど、それが価値だっていうことです。
重要なのは、今2者間のっていう話をしましたけど、これがやっぱり大事だと思うんですけど、
どっちか片っぽでは、1つの要素だけでは価値って発生してないんですよ。
冷静に考えると。
2つの要素があって初めてそこに価値が生まれる、それは前提条件だからですね。
この話は哲学的な話で、誰もいない森の中で木が倒れたら、それは音がするのかっていう哲学的な問題があるんですけど、
これと似てる話ですね、この価値の話は。
なのでちょっと、誰もいない森で木が倒れたら音はするのかっていう問題も考えてみたいんですけど、
これ音するとどうですかね、思いますかね。
誰もいない森で突然木が倒れたらそこに音はするのか。
誰もいなくても木が倒れたら音はするだろうって思うかもしれないですけど、
これ実は音という現象をどう捉えるかっていう話にもちょっと関連するんですけど、
音っていうのは科学的などういう現象かっていう説明をするならば、
周りの音波を人間が、動物がでもいいんですけど、
その聴覚器官でその音波をキャッチして、脳内で心的現象として知覚されたのが音っていうことですよね、音という現象は。
音をそういう定義として、音を音として捉えるなら、
この誰もいない森で木が倒れたら音はするのかっていう問いの答えは音は発生してないっていうことになります。
これが正解になりますよね。
音を心的現象として捉えるならば、なぜならば音は発生してないっていうのが正解になる。
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なぜならば誰もいなければその音波の受け手が不在だからです。
音波の受け手がいなければ、例えば木が倒れたとしても、
それはそこにあるのはただの空気振動があるだけで、
それが聴覚でキャッチして脳内で音っていう現象を生み出すに至らないわけなんですよね。
誰もいなければ、音波の空気振動の受け手がいなければ、ただ空気振動で終わるだけであって、
心的現象までは至ってないんですよね。
だから音として成立してないんですよ。
だから音はしないっていうのが、一応この誰もいない森で木が倒れた音はするのかの正解になります。
こんな感じですね。
この例でも音っていう現象が成立するには、
倒れる木っていうものとそれを聞く人っていう2つの要素があって、
初めて音という現象が成立するよっていうことですね。
価値の話をしてきましたけど、価値の話も価値っていう現象、価値っていう概念の成立もそれと同じなんだっていうことなんです。
欲望する人とその欲望を受ける対象ですね。
その2つの要素が価値の成立には、価値という概念の成立には、現象の成立には絶対に必要なんだよっていうことです。
ということは、価値の要素は欲望する人と欲望を受ける対象、2つが価値の要素としてあって、
そのどちらもは絶対必要だよっていうことを話しましたけど、
ということはですね、その価値が変わる、価値が変動するときはどういうときかって言ったら、
その欲望をする人か、欲望される対象か、あるいはまたそのどちらか、
あ、違った、その両方ですね。
その欲望する人か欲望される対象のどちらか、または両方が変化する必要があるんですよね。
だから例えばですね、さっき100円のミネラルウォーターが富士山の山頂に行ったら500円で売られますよって言ったのは、
欲望する人、その水を飲みたいと思ってる人のシチュエーションが変わったから、その価値が変わったわけですよね。
物自体に変化はなくてもね。
で、また逆にですね、欲望する人の状況は変わらなくても、
例えば普通に普段生活してて、いつでもどこでも水が飲めると。
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で、歩いて5分先のコンビニ行ったら100円で水が普通に売ってる状況なんだけど、
ある日、何か新発明のですね、新開発されたすごく美味しい水みたいなのが、わからないですけどね、商品開発されて、
それが150円で売られてたら、なんかその人は買うかもしれないですよね。
それは欲望する人の状況は変わらないけれども、その欲望される対象、つまりミネラルウォーターの方で変化が起きたから、
すごく味が美味しくなったっていうね、その変化が起きたから、買いたいなっていう、その結果としての価値が動かされて、
150円でも成立したってことですね。
150円の価値として成立したっていうことですね。
だから、すいませんね、ちょっと抽象的な話が続いてますけど、価値っていう、変数と言ってもいいんですけど、
価値という現象、概念の変数はこの2つがあるよってことです。
欲望する人か、その欲望される対象物か、価値の変数はこの2つってことです。
大体ね、僕の言いたいことはなんとなく伝わったかなと思うんですけど、
これね、改めて冷静に考えてみると、そうだよねって感じだと思うんですけど、
意外と見落とされがちじゃないですかっていうことなんですよね。
歩いて5分のコンビニで買える水も、富士山頂の自販機で買える水も、
どちらもその商品は全く同じ南アルプスの天然水だとしましょう。
どっちも同じものなのに、その値段はですね、5倍くらいになってくるんですよね。
何が変わったのかって言ったら、それは外部状況。
変わったのは、あなたがそのミネラルウォーターと遭遇するシチュエーションが変化したから、みたいな言い方もできるかなと思います。
こういうことなんですよね。なので、そのもの自体に価値があるわけじゃないんですよ。
1億円のダイヤモンドは、1億円の価値がそのダイヤモンドの中にもともと内在しているから、
1億円のダイヤモンドであるわけではないんですよ。
そのダイヤモンドに1億円の価値を感じる人が現れることによって、その時点で初めてダイヤに1億円という値段がつくということですね。
ダイヤを欲しいと思う人がいて、初めてそのダイヤに価値という概念が生じるということです。
もともとダイヤの中に価値があるのではなくて、そのダイヤを欲しいと欲望する人たちが周りにいるから、
そのダイヤモンドのその周辺に価値という概念がですね、ぼんやりと生成されるみたいなことです。
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これが、具体例を示せば明らかなように、この捉え方が真実であって、
僕らが素朴に思うんですね、これはいくらいくらで売られてるからこのぐらいの価値があるよねっていうそういう言い方、
この商品の中にいくらいくらの価値が内在されているよねっていう考え方、そのパラダイムですね、これはもう端的に言って間違いだっていうそういう話です。
なので、この音声を聞いた方はですね、もう今日からそのパラダイムは古い、端的には間違いだということが判明しましたので、
それをちょっと改めてほしいというかね、間違ってるんだって思ってほしいんですよね。
具体例を示せば明らかのようにそうではありませんということですね。
価値とは何なのかっていう話をしてきましたけど、当然のことながらですね、もう既にしてますけど、
価値の話とお金の話っていうのは、これもね、すごく分かちがたく結びついている話であります。
あなたは日々ですね、何に対して価値を感じてお金を使っていますかっていう話ですね。
これもついでに話しますと、何か物を買う、購入するということは選択であるとも言い換えられると思うんですよね。
何か選択するってことです。
そして人生とは選択の積み重ねであるということもできると思います。
この言い方も真実である、間違ってないと思います。
人生とは選択の積み重ねである。
何か物を買う、購入とは選択であって、人生は選択の積み重ねなんですよ。
こういうことを改めて考え直してみるのもすごく有益な時間になるんじゃないかなと思いますね。
自分は何に対してお金を払っているんだろうか。
お金を払うってことは、その物に欲望している、価値を感じているってことですね。
価値を感じるのはあなたが欲望するから、それに価値が出るってことですね。
さっき1億円のダイヤモンドの話をしましたけど、何でダイヤの話したかというと、
ダイヤには価値があるだろうみたいにみんなが思っているものだから、代表例的なものだからわかりやすいと思ってダイヤモンドの話をしたんですけど、
実はダイヤ以上にもっとみんながそれそのものの中に価値が内在している、
それそのものの中に価値があるだろうって言ってみれば、勘違いして信じ込んでいる、
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そういう身近な代物がよく考えてみるとありますよね。
さあ、それは何でしょうか。
ということですね。ちょっと考えてみてほしいんですけど。
すぐ正解言っちゃいますけど答えはお金ですね。
1万円札には1万円分の価値が絶対的にあるってそう思っていませんかっていう話なんですよ。
これ先ほど具体例で話したようにこれは間違いです。
1万円札に1万円分の価値が内在しているわけではありません、実際のところ。
これを示すための具体例を挙げることも実は結構簡単ですね。
あなたのお財布の中の福沢諭吉さんを江戸時代の日本に持って行ったら、
それはどうですか、何の役にも立たないですよねっていう話ですよね。
何の役にも立たなくなるのは福沢諭吉さんの中に1万円分の価値が内封されているわけではないからですよ。
その証明なんですよね、役に立たないのは。
別にこういう試行実験的なタイムスリップの話を使わなくても、
実際に今海外のどこかの国で日本円を使おうとしたら使えなかったりとか、
あとは何とか族の部族で1万円札で何かものを買おうとしても絶対売ってもらえないと思いますね。
このことの理由と全く同じ話です。
このお金の話っていうのも結構、本質は何なのかみたいなことを突き詰めて考えていくと結構深みに入る話で長くなってしまうので、
あんまり深みはちょっとこのくらいでやめときますけども、
僕が言いたいのはですね、だから幸せに、あなたが幸せに生きていくために、
さっきね、人生とは選択の連続であるという言い方もできるっていう話をしましたけど、
あなたが幸せに生きていくために幸せな選択、言い換えるなら幸せな購入という側面もあるかもしれないですね。
幸せな選択、幸せな購入をしていくためのコツというのは、このお話からですね、私にとっての価値は何なのかっていうこの自問自答、
これを考えることがやっぱり大切になってくると思います。
私にとっての価値は何なのかという自問自答が大切になってくる。
なぜなら、世の中のあらゆるものにはそれそのものの価値が内在しているわけではないからです。
あなたにとってのそのものに対する価値があるだけです。
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それはもちろん人によってバラバラです。
違います。
なぜなら人によって価値観が違うからですね。
でも、それが真実なはずなのに、みんな値段がついてるとそれがわかんなくなっちゃうんですよね。
なので、それそのものの中にいくらいくらもの価値があるんだって信じ込んじゃう、勘違いしちゃうんですけど、
しがちになっちゃうんですけど、でもそうじゃないってことです。
コマーシャルで花々しく宣伝されているから、その車に価値があるわけではありません。
あくまでもあなたが欲しいと思うから、その時点でその車に価値が生じるんです。
っていう話です。
そのテレビコマーシャルをもしあなたが見てなかったとしたら、その商品を本当に欲しいと思ってましたか?っていうことです。
これ自問自答してみると、意外とそうでもなかったなって思うことが多いと思うんですけど、
もしそのコマーシャルを見てなかったら、その宣伝見てなかったら、それ買ってましたか?っていうのを改めて自分の胸に聞くとですね、
意外とそうでもないっていうね、答えが多いかも。
だから要は言いたいのは、どれだけ周りのこれがすごいです、これが価値があります、これ買ったら人生変わりますみたいな、
そういう宣伝文句に僕らがどれだけ踊らされているのかっていうことがなんとなくわかるんじゃないかなと思います。
自分の人生を本当に後悔しない、本当の意味で幸せに生きていくためには、だから結局自分を見つめないといけないよって話ですよね。
だって人によって価値って、今これの話でね、話した通り価値は人によってバラバラ違うからです。
だから万人共通の価値というものがどっかにあるわけじゃなくて、個人個人それぞれにとっての価値が存在しているだけです。
それはもう100円のミネラルウォーターのペットボトルの例からも明らかですよねっていう、そういう話ですね。
長くなってしまいましたけど、価値とは何なのかっていう話をちょっと深みに入って、改めて本質がどこにあるのかっていうのを考えて話してみました。
僕も価値ってそれそのものの中にあるわけじゃなくて、関係性の中にあるんだ、関係性の中にしかないんだっていうことですね。
これを気づいた時には結構な衝撃だったりしたんで、こういう気づきってね、僕は結構面白いなって思うんですよね。
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この面白さっていうのがパラダイムシフトって言われて、その価値観が変わる瞬間というか、世界の見え方が変わる瞬間みたいな、こういうパラダイムシフトの体験ってすごく面白いもので、
読書の中ではそういう面白さがあったりするんですけど、それはちょっと最後余談だったんですけど。
というわけで、今回は価値とは何なのか、価値の本質とは何なのかみたいな話を僕が考えるところにお話しさせていただきました。
何かのお役に立てれば幸いです。
では、ちょっと長くなりましたね。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
24:52

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