ゲームの価値観の影響
はい、こんにちは、カズです。 今日のタイトルは、「何のゲームをやっているのかで正解は変わります。」というタイトルで、ちょっとお話ししていこうかなと思います。よろしくお願いします。
何のゲームをやっているのかで正解は変わります。 どういう意味かという話をまずしたいんですけど、なんだ、えーっとね、それぞれね、ゲームをプレイしてるんですよね。
ゲームっていうのはまあ、これからお話ししていきますけど、価値観みたいな話です。 えーっと、今日の話を言い換えると、論理の前には必ず価値観が存在するよ。
で、価値観が変わったら正解不正解も変わってくるよっていう、そういう話を僕はしたいんですよね。 このテーマを今回話す理由っていうのがですね、
今現状ですね、世の中で起きている争いの多くは、その理由はですね、ここのところが分かってないから起きているっていうことがあるからなんですよ。
だからすごく大事なテーマじゃないかなと僕は思ってます。 いわゆる正解と不正解とか、善と悪とか、正しいと間違いとかね、そういうような根本にかかるような話なんですよ。
ちょっと深いテーマなんですけどね、なるべくわかりやすくちょっと話していければいいなと思ってます。
常々僕の配信で言ってる通りですね、よく言うように、スピリチュアルではね、よく言うようにですね、宇宙には良いも悪いもそもそもありません。
もともとこの世界、人間性の世界ですけどね、ゲームの世界ですけど、この人間性宇宙に良いとか悪いとか潜在的に埋め込まれているものって何一つないっていうことなんですよ。
善悪はありません。宇宙はニュートラルですっていうことです。これがまずね、基本のキーの部分ですね。
なんですけど、まああの世間一般の人っていうのはまだね、大多数のマジョリティの人たちはそういう世界観じゃないじゃないですか。
正解不正解っていうのをね、持ってて、さっき言ったやつですね、正解と不正解、善と悪、正しいと間違いっていうのが
存在していると多分思っていると思います。思っているっていうか、潜在意識的に思い込みとして持っているっていうようなね、意味で捉えてくれればいいと思うんですけど、
ただこういう正解不正解、善と悪、正しい間違いみたいなね、こういうパラダイムを前提として持っているとどうなるかっていうとね、これが症状というか、
実際的な言葉の端々に現れてくるわけなんですよね。あなたは間違っているとか、あいつらはおかしいとか、普通こうでしょうとかね、
あとこうあるべきだとか、○○しなければならないとかね、なんかね、そういう言葉が多くなってくるわけなんですよ。
こういう善悪みたいなものをたくさん持っていると。
で、つまりこういう言葉、これらの言葉っていうのは全部争いの種なわけなんですね。
もう一度タイトルに戻りますけど、何のゲームをやっているのかで正解は変わります。
で、言い換えれば、さっきちょっとね、このテーマを言い換えればですね、論理の前提には必ず価値観が存在するよっていう、
正解とは何か
そう言い換えてくれても構わないみたいなことをさらっと言ったんですけど、これなんですよね。
論理の前提には、論理の前に必ず価値観が存在するんですよ。これ原則だと僕は思うんですけど。
これね、結構ね、何だろうな、論理っていうのはすげー簡単に言ったら、まああの因果関係の鎖みたいなことで1たす1は2だよねっていうね。
まあそれがざっくり論理だと思ってくれていいと思うんですけど、だから何だろうな、ある一定の状況に対して論理の鎖でつなげば必ず正解は1つに特定できるみたいなね、論理が完璧ならそうだと思うんですよ。
ある状況の将棋の譜面を用意してAIに解かせてみたら、100発100中で同じような、同じ手を支持する、ある程度ね盤面が進んでからだとは思いますけど、だからそういう場合には正しいっていうのが出力として出すことができるんだけど、でもその前に必ず価値観っていうのが存在するっていう話なんですよ。
だから正しいとか間違ってるとか善悪の話をする前に言いたいことはですね、この価値観の部分を確認しましょうよってことを言いたいわけなんですね。
論理の前提には必ず価値観が存在するので、この価値観の部分を共有しないまま議論を叩かせたって本当に無駄なんですよね。
意味がないんですよね。
っていう話をしていきますね。
なぜならそれぞれ別のゲームをプレイしているんだからっていうことなんですよ。
極端な話ですね。
車が走るのは道路の左側か右側かどちらが正しいのかっていうね、そういう議論っていうのは不毛ですよね。
意味ないですよね。これどっちが正しいどっちが間違いで戦っても意味ないわけです。
日本は左側走るけどアメリカは右側走りますよね。
これどっちが正しいとかじゃないんですよ。
でもそもそもこの宇宙ってそうなんですよ。
そもそもニュートラルで何が良いとか悪いとか決まってないんだから、そもそもこういうことなんですよね。
今日のテーマ、何のゲームをやっているのかで正解は変わりますってことなんで、ちょっとゲームでこの感覚を例えたいと思うんですけど、
現実の見方
1個問題出しますね。
このボールを敵チームに相手チームに奪われないように運びつつ、相手のゴールポストにこのボールを入れなさいっていう設定のゲームがあったらあなたはどうしますか?
っていうね、これちょっと各々考えてほしいんですけど、
僕だったらですね、もう一回言いますよ。
このボールを相手チームに奪われないように運びつつ、相手のゴールポストに入れなさいっていう設定のゲーム。
僕だったらこのお題出されたら多分ですね、取られちゃいけないんでボールを取られないように手でね、覆って抱え込んでゴールまで走っていくと思いますよ。
僕だったら多分ね、一番効率の良い正解としてこういうことをやると思うんですけど、でも種明かしで実はこれは実はサッカーという名前のゲームでしたっていうことになったらどうでしょうか?
っていうことなんですよ。
サッカーだとね、もちろん足で蹴るスポーツなんで、手でボール触ったらいけないじゃないですか、ルール違反になっちゃうんで。
だから僕はその間違った選択をしちゃったわけなんですけど、つまりここで言いたいことはですね、プレイしてるゲームによって、プレイしてるゲームっていうのは前提としている価値観なんですけど、
プレイしてるゲームによってその後のベストな展開とか行動とか選択とかっていうのは変わってくるんだよっていうことなんですよ。
プレイしてるゲームっていうのはもうその前提となる価値観ですね。何のゲームをやってるのか、サッカーなのか野球なのかバスケなのか、プレイしてるゲームによってルールが変わるんですよね。
ルールが変わったら正解も変わるんですよね。
っていうことです。
プレイしてるゲームによってその後のベストな行動、選択、展開は変わってくるんですよ。
ここで言うその後のベストな行動、選択、展開っていうのが、いわゆる正解とかどうプレイするのかっていう部分ですよね。
どうマネージメントするのかって言い換えてくれてもいいと思うんですけど、
正解不正解どうプレイするのか、どうマネージメントするのかっていう問いの前に、how toの前に絶対に価値観っていうのが絶対にあるんだっていうことなんですよ。
ここを見逃しちゃいけないよっていうことなんですよ。
なんとなくちょっと分かってくれたらいいなと思うんですけど、
そういうことでひるがえってね、じゃあ現実を見てみましょうということで、現実を見てみましょうと。
一見みんな同じような世界に住んで、同じようなゲームをプレイしているように見えるかもしれないですけど、
価値観の多様性
実はですね、それぞれ一人一人の価値観とか、その個人が目指している景色っていうのは、実は多種多様で一人一人違うものだったりするんですよね。
つまり価値観が違うっていうことは、ここで言うところの、僕ら一人一人違うゲームをプレイしているんだよっていうことです。
だから違うゲームをプレイしているんだから、だから互いにお前は間違ってるとか叩き合っても不毛だよ、意味ないよ、ナンセンスだよって僕は言いたいわけです。
本当に価値観を共有しないまま喧嘩になるっていうのが、マジで何の意味もないと思うんですよ、僕は。
だから人間は早くこれに、できるだけ早く全員が気づくべきだと思うんですけど、今べきって言葉を使ったのは、これは僕の価値観、僕のゲームの中の価値観の話なんですけど、ややこしいんですけどね。
だからですね、ダメじゃないかそんな手でボールを抱え込んで走っちゃう、ダメじゃないかふざけてるのか真面目にやれよみたいに怒鳴ってその人を怒ったとしても、実はその人はサッカーっていうゲームじゃなくてバスケットボールっていうゲームをやってたかもしれませんよね、っていうことなんですよ。
だから同じように多種多様な価値観を持った人間が、例えば同じ職場の中で働こうとする場合ですね、よくあるのが業務を効率的にやっていきたいっていう価値観の人、そういう価値観を持っている人と、同じ職場の人同士なんだから仲良くやっていくべきでしょうっていう価値観の人、そういうゲームをしている人とやり方が合わない、衝突しがちっていう場合があります。
だからこの場合もこれはもうどちらが良い悪いとかそういう話ではないっていうことです。どっちが正解も不正解もないってことです。車が左側走るのか右側走るのかの違いでしかないんですよ。
っていうことです。だから相手がどんな価値観を持っているのか、どんなゲームをプレイすることを望んでいるのか、そういうのをお互いに対話を通して話し合って聞き出してお互いね、議論の素条に載せないとテーブルの上にお互いの価値観を上げないとお互いのニーズを上げないと意味ないんですよっていうことですね。
なので、これを聞いている皆さんに最低限覚えておいてほしいのはですね、何か自分にとって間違っているとか、いやあの人おかしいでしょって思うことがあっても、もしかしたらですね、相手は違うゲームをしているのかもしれないですよ。違う価値観を持っているのかもしれないですよ。
だからまずは相手を知りましょうっていうことですね。どうしてそう考えるのかっていう、そこにちょっと好奇心を持ってみる、関心を持ってみるってことです。どうしてあの人はそのように考えるのかなとか、じゃあそう考えるに至ったこの人のこれまでの人生っていうのはどんなだったのかなっていうね、想像するだけでも結構違うと思います。
で、ちょっと想像するだけでもね、これね、違うと思うんですよ。こういうのが意外となんかスピリチュアリティの高いところと結構リンクしてくるんじゃないかなと僕は何となく個人的に思ってるんですけど、こういうことをしているときですね、このときあなたはその相手に対してすごく誠実な関心を寄せているっていうことになると思うんですよ。
で、そのマザーテレサの有名な格言で、愛の反対は憎しみではありません。無関心ですっていうことをマザーはね言ってるんですけど、だからそういうことなんですよね。だから誠実な関心をどうしてこの人そう考えるんだろうとかね。
じゃあどのような人生の背景があってそう考える、こういう価値観を持つに至ったんだろうとかね、そういうことを想像してみるっていうことです。だからこれだけでもうそれは愛への第一歩になるんだと僕は思います。
ちょっと簡単にですけど、何のゲームをやっているのかで正解は変わりよ。だから前提となる価値観が変わってくれば正解は変わってくるんだよっていう話をしてみました。
誠実な関心
この話ですね、すごく奥が深くて、根深くて、もっと鍛錬に僕は整理して煮詰めて話したいなと思っているテーマでもあるので、また気が乗ったらちょっと繰り返ししゃべっていこうかなと思います。
では今日はこのくらいにして終わろうと思います。どうもお聞きくださりありがとうございました。