日常のピンチと卵かけご飯
はい、こんにちは、カズです。 今日のテーマは、卵かけご飯と縁起の話、というタイトルでお話ししていこうと思います。
謎タイトルですね。あの、今日ね、実際に僕に起こった話をね、今回は起点にしようかなと思うんですけど、
あの、起きてね、あの、サプリをね、飲んだんですよね。ビタミン系のね、サプリを僕、あの、毎日飲むようにしてるんですけど、それがね、なんとですね、人生初なんですけど、喉に詰まったんですよね。
で、使えて取れないっていう感じになっちゃって、サプリがね、ちょっと大きめの、あの、錠剤だったんですけど、それがね、喉に使えて取れないっていう状態になっちゃいまして、
で、呼吸はできてるんだけど、あの、つっかかってるとこがね、あの、痛いと。で、なかなか取れない。で、困ったっていう風になっちゃったんですね。
あの、うん、そう。で、結構痛いんですよ。なんか、うーん、我慢できないこともないんだけど、ちょっとね、うーん、な、涙が出てきそうな、みたいなね、で、すごい違和感あるし、苦しいし、でもなんとか呼吸できるみたいな感じの、ちょっと、生き地獄状態みたいな感じになっちゃって、
まあまあ困ったんですよね、それで。で、うーん、でもなんか、受診するほどなのかな、まあ、その、サプリなんで、その、例えば物とかね、あの、電池飲んじゃったとかね、そういう話じゃないんで、あの、まあ、時期に、時間経過で溶けて、まあ、スッと通るだろうとは思ったんですけど、何分苦しいわけなんですよ、僕としたらね。
で、どうしたもんかと思ってね、あの、ネットで検索したんですよね。あの、サプリ、のど詰まった、あの、使えて取れないみたいなね、いろいろ検索で調べてたらですね、あの、Yahoo!の知恵袋で、あの、同じような、あの、症状、症状というかね、あの、トラブルに見舞われた人が質問を投稿してて、そしたらそれに対するベストアンサーの人が答えてた答えがですね、卵かけご飯を食べるといいですよっていうので、
えー、まあ、返事をしてて、それで、あ、卵かけご飯で治りました、ありがとうございますみたいなね、そういうふうに解決してた投稿を見つけたんですよね、過去の投稿で、で、あ、なるほどと思って、で、急いでご飯早炊きして、卵かけご飯にして、あの、食べたらね、治ったんですよ、あの、通ったんですよ、のどが、サプリが落ちて、で、使いが取れたわけなんですよ、っていうね、ことがあって、
あー、助かったっていうね、うーん、のど痛かったっていうね、結構ね、僕個人にとってはピンチだったんですけど、っていうことがありました、で、その時にね、すごい思ったことなんですよね、なんかこういう何気ない日常のちっちゃなピンチだったわけなんですけどね、まあ、僕個人の中ではその時はね、かなりね、やべえと思ってピンチだったわけなんですけど、
まあ、僕がこの時思ったのは、この卵かけご飯食べたらいいと思いますっていう投稿を、あの、Yahoo!知恵袋で答えて、で、ベストアンサーをもらってた人、この人に対して僕はね、めちゃくちゃ内心感謝したわけなんですよ、
あー、もうこの投稿を残しといてくれてマジでありがとうって思ったんですよ、その時、うん、本当に自然に感謝できたっていうね、あの、だって相当な個人的ピンチからそれを見つけたことで、僕が辿ったことで救われたわけですからね、だからすごくこの人に対して水知らずの人ですけど、感謝したわけなんですよ、
なんだけど、この投稿ですね、実はもう15年近く前の投稿だったんですね、
うん、そんなことがあったんですよ、で、このYahoo!くんのね、知恵袋の、あの、その開始をしてくれて、投稿してくれた人はベストアンサーさんに選ばれてて、まあ、その質問の投稿者さんからも、あの、卵かけご飯のおかげで治りました、ありがとうって言われてるわけですから、少なくとも本人は、
あ、自分がこのアドバイスをすることによって、まあ、この人の役に当たったなっていうね、うん、この人の喉の使いは自分のアンサーのおかげで解消できたんだ、よかったなっていう実感を持つことは、一人分は少なくともできてたと思うんですよ、でも、ここでのポイントというかね、僕が気に留めたいのは、15年の時間を経て、
僕が、うーん、なんか困ってる時に、たまたまその、うーん、やり、その当時のね、やり取りに行き着いて、実際僕も救われたっていう、ここなんですよね、で、僕が救われたことは、このベストアンサーしてくれて、卵かけご飯いいって言ってくれた人は、もちろんね、想像だにできなかったと思うんですよ、たぶん一生知ることはないと思いますね、あの、そんな波及効果はね、
なんだけど、めちゃめちゃ感謝してるわけなんですよ、僕は、うん、だから、ほ、ほんと、えー、なんだろうな、だからその人は、めちゃくちゃいいことをしようとしたわけではないと思うんですよね、
まあ、ヤフーチューブクローっていう、うん、コミュニティの中で、たまたま自分の知ってる知識が、ああまあ、うん、なんかもしかしたら役に立つかな、うん、役立ってほしいな、みたいなね、軽い、うん、そんな、なんだろう、医者が患者を救うようなね、そんな重い、えー、モチベーションでやってはないと思うんですよ、この投稿、まあポロッと、うん、特に投稿のリスクもそんなないしね、うん、コストも少ないし、
うん、ちょっとしたモチベーションでやったと思うんですよ、でも、そのちょっとしたモチベーションでやった結果、15年後の結構なピンチに見舞われてる僕は、すごく救われてるっていう結果が、そっから生じてるわけなんですよ、時間を超えて波及して、人の助けになってるんですよ、で、そういう因果まで、とてもその当人は想像だにしていないはずなんですよね、
っていうことなんですよ、だけど、多分ですね、僕が思うのは、世界はこういうふうにできていると思うんですね、こういう感じで、あの、これが演技であり、あの因果の連鎖だと思うんですよ、以前、あの、世界は雑魚でできているっていうね、ちょっと哲学系の本を読んだことがあるんですけど、そこでもね、こんな世界観が書かれていたんですよね、
うん、世界は雑魚でできているっていうのは、まあ、どんな感じのことが書かれていたかっていうと、僕らサブタイトルにその資本主義っていうね、言葉が出てくるんで、こういう経済社会とか文明社会みたいなのにスポット当てているわけなんですけど、僕ら当たり前にこういう社会生活、文明的に経済活動を行ってたりとか、まあ普通に生活してるじゃないですか、いろいろ、
だけど、その当たり前っていうのは全然当たり前じゃないんだよ、実はっていうのを指摘してくれているような本だったんですよね、えっと、なんか水道ひねったら蛇口から、あの、水道からね水が出てくるとか、スイッチ押したら電気が点きますとか、当たり前にやってるけど、全然当たり前じゃないんですよ、それは過去のいろんな人の労働だったり知恵だったり、そういうものが結集して、
紡ぎ合わさった結果として生み出されたもので、だからそれは過去の人たちからの先輩たちからの贈与、プレゼント、ギフトなんだって言っているわけなんですよね、この本は、世界は贈与でできているっていうのは、だから世界はそういう過去の人たちからの贈与、プレゼント、ギフト、贈り物ですよね。
で、こういうものがなければ一切成り立つことのできない、そういう奇跡的な世界の中で僕らは実は暮らしているんですよ、っていうことが書かれてた本なんですよね。
因果関係の無限性
っていうことなんですよ、そういうことをすごく卵かけご飯の例から僕は思ったんですね、今この僕の音声を聞いてくれているあなたが、例えば室内にいるとしたら目の前にはおそらく多くのものがありますよね、視界の中にたくさん確認できると思います。
例えば僕の目の前には今テーブルがあって書棚があって本棚があってドラえもんのマグカップがあってコーヒー飲んでパソコンがあってみたいな感じなんですけど、とにかくすごくたくさんのものが目で確認できるわけじゃないですか。
なんですけど、それらのどれ一つとして自然発生的に生み出されたもの、勝手に何か出現したものってないじゃないですか、当たり前だけど、例えば僕の目の前にドラえもんのマグカップがあるんですけど、このドラえもんのマグ一つとってもこれが今ここ、
この場に僕の目の前にこうして出現している、存在しているっていう、こういう因果が今現実として僕の前にあるわけですけど、これって実はすごいことなんだっていう話なんですよ。
これが僕の目の前にこうしてある。この因果の背景部分を今想像してみると、そこにちょっと表現大げさかもしれないですけど、でも本当に宇宙を感じることができると思うんですよ。
コップの背景には宇宙が広がっているんですよ、っていう話です。確かに目で確認できるし、触れるし、これでコーヒー飲んでるわけですけど、僕の目の前にはドラえもんのマグカップが実際あります。
じゃあこれはどうして僕の目の前に今あるんでしょうかっていうことなんですよね。どうしてっていうのはどのような因果でっていうような意味ですね。どのような因果でどうして今このマグが僕の目の前にあるのかっていうと、これ僕が以前の職場で仲の良かった同僚の人からプレゼントでもらったものなんですよ。
だからそのプレゼントをくれた人ですね、昔の仲良かった同僚の人は僕がドラえもんが好きなことを知っていて、誕生日にプレゼントしてくれたわけなんですね。だからその人との出会いがなければ、このドラえもんのマグは今こうして僕の目の前にあることはなかったわけですよね。
その僕にプレゼントをしてくれた同僚の人は、どっかのお店でこのマグを買ってくれたのかもしれないですよね。ここは聞いてないんでわかんないんで、想像するままに話してますけど、たまたま僕の誕生日が近いということをどっかで意識してくれてて、
たまたまデパートを歩いているときにちょうどドラえもんのマグが目について、あ、そういえばあいつドラえもん好きだな、みたいなね、ふうに思って買ってくれたのかもしれないですよね。
って考えたら、その人が僕の誕生日が近いっていうタイミング、意識してくれてるそのタイミングでそのデパートのそのドラえもんマグが置いてあるコーナーの場所を歩いてるっていう現実がなかったら、今この場でこのマグは僕の元にはなかったかもしれないですよね。ということなんですよね。
もっと言えば、これただのマグカップじゃなくてドラえもんのマグなんで、ドラえもんのイラストがプリントされたマグカップなわけなんですよね。
だからもちろんですね、ドラえもんってこのキャラクターの存在がなければこのマグは世界に存在できなかったじゃないですか。
ドラえもんが生み出されたのは偉大な藤子F、藤代先生がドラえもんを生み出さなければこの世界にドラえもんっていう存在はなかったわけなんですよ。
さらに言うと藤子F、藤代先生がドラえもんを生み出した経緯っていうのがまたあるわけなんですよね。
どうしてドラえもんっていうキャラクターが世界に誕生したのかっていう、そこを考えると先輩漫画家の影響、特に漫画の神様、手塚治先生、
手塚治っていう漫画の神様からのすごい影響とか、時はそうでの環境とかそういうもの全部ドラえもんに効いてるわけなんですよ。
日本にドラえもんという国民的アニメを生み出すに至る必須の因果関係になってるんですよね、そういうの全部。
っていう風に、全然わかる通りキリがないんでこの辺にしますけど、こういう風にですね、僕の目の前のドラえもんマグ一つとってもそこにはもう無限に因果があるわけなんですよ。
これが今僕の元にやってくるに必要だった因果関係っていうのが無限に広がってるわけなんですよね。
それが演技の宇宙だと思うんですよ。
っていう風にね、今の話っていうのは僕のドラえもんのマグ、たまたま手元にあるものを例に考えてみたわけなんですけど、
でも同じような無限の因果の背景を背負ってるものっていうのがあなたの目の前にたくさんあるわけじゃないですか。
で、全く同じことが一個一個言えるんですよね。
っていうことなんですよ。
なんか、僕ら結構当たり前に慣れちゃう生き物なんで、全てを当たり前って捉えがちになっちゃうんですけど、なんかぼーっとね生活してると。
でも、そういう当たり前にあなたの日常生活を支えている一つ一つをちゃんと確認してみる。
全然持ってるとかじゃないですよ、これ。
因果関係の重要性
事実をちゃんと見て確認していくとそういうことが言えるっていう、なんだろう。
その事実を丹念に見ていってるだけなんですけど。
そうすると、身の回りのもの一つ一つの背景に無限の因果の宇宙が実際あるわけなんですよ。
言い換えればですね、それらのものがあるから僕ら生活できてるじゃないですか。
で、物だけじゃなくてね、人もそうですよね、人間関係。
分かりやすいところで言うと、両親がいるから自分が存在できてるわけじゃないですか。
とか、あの時の先生がこう言ってくれたからそれが人生に生きてるとか、
この友達がいたからやってこれてるとか、もう色々無限にあるわけじゃないですか。
言い換えたら、それら全てがあなたのためにそこにあって、
だからあなたの日常生活を支えてくれてるわけなんですよね。
だってそれがなければあなたっていう存在が形作られなかったわけだから。
自分っていうのは関係性の集まりって言ってもほとんど同じ意味だと僕は思ってるんですけど、
だからそういうもの一つ一つあなたの日常生活を支えてくれていて、
あなたという存在を成り立たせてくれてる、
しかもその一つ一つのものとか人間関係とかそういうもの一つ一つには、
あなたとそれらをつなげてる無限の因果が背景にある素晴らしい奇跡たちなんですよ。
その奇跡の集合体の無限の因果が背景に背負ってる奇跡の集まりの中心にいるのが私っていう存在、あなたっていう存在。
あなたっていうか私だよね、自分っていう存在なんだっていうことなんですよ。
だから私っていう存在が成立するためにはその周囲にある無限の関係性たちがあってこその自分なんですよね。
見えるものだけじゃないんですよ。見えなくても空気が確実にね、確かにそこにあるから人間は呼吸できて生きていけてるわけですよね、事実。
じゃあなぜ空気があるのかって言ったら自然環境の中の大気の循環とかがあって地球のある草木が植物たちが酸素を出して二酸化炭素を取り込んでってやってくれてるからなわけですよね。
それで呼吸っていうのが成立してるのはあなたの自律神経が頼まれてもないのにっていうかね、オートで動いてくれてるから自律神経なわけなんですけど。
その自律神経が正常に機能して呼吸っていうのをやってくれてて、休む間もなく正確にその機能に果たしてくれていて、仕事してくれていて、
そのおかげで、酸素を吸って二酸化炭素を吐くっていうサイクルをボーッと生きててもですよ、続けられていて、体中に酸素を届け続けることができてるからなわけですよね。
だから僕ら生きてられるんですよ。
で、こんな風に考えてみると、あなたが今のあなたの当たり前の生活を成り立たせているために、あなた自身が完全に自分の力だけで成し遂げられてることって、実はどの程度あるんでしょうかねっていうことなんですよね。
だから僕らが生きてる、生きてます、この世界でみたいにね、当たり前のように。
で、自分が主体、主語となって生きてるって表現して、それを当たり前だと思ってるけど、実は本当に自分が生きるためにやってることっていうか、
どの程度自分の日常生活を成り立たせるためにやれてることって何割くらいあるのかなっていうのを考えた時にですね、そういう無限の因果とかを、そういうの全部込みでですよ、考えたらもうほとんどないって言っていいかもしれないですよね、と思うんですよね。
だってそもそも、ここにあるマグ一つとっても、僕らの狭い認識からだと、だって友達からもらったからとか、だって私が欲しいから買った、だからあるんだって、それだけで終わっちゃうかもしれないけど、そんな単純な話じゃ実態はないっていうことなんですよね。
その因果の、宇宙の繋がりとか、ちゃんと事実を全部抑えた時にですね、まあ人間なんで視野が限られちゃうのはしょうがないんですけど、それでも、なんか俯瞰して、仮にその因果を全部把握できた時に、人間っていうのは、あ、こんなにも自分を支えてくれるものに囲まれて、今の私の生活が成り立ってるんだっていう理解に絶対なると思うんです。
で、その時に湧く感情っていうのは、感謝じゃないですか。
ね、スピリチュアルでは、もう感謝が大事だとか、全てに感謝しなさいみたいにね、マントラのように言いますけど、むしろこうした認識を持てたら、仮に持てたらね、持って生活ができたら、むしろこの感謝っていう感情は当たり前の感覚である。
もう抱くことが当然みたいなね、そんな感覚であるっていう言い方の方が真実なんじゃないのかなと思うんですよ。
だとしたら僕らは、さっきも言ったけど、この世界、この宇宙の中で生きているって言いますけど、でも実はその実態をよくよく丁寧に観察して暴いてみたら、実は僕らがこの宇宙の中で生きてるんじゃなくて、この宇宙によって僕らは生かされてるんだっていう言い方の方が正確。
事実に即しているのではないでしょうかっていう、そういう話でした。
善意の伝播
ちょっとね、なんだろうな、ちょっとどこまで伝わったのかわかんないですけど、とにかく言いたいことは、卵かけご飯の一例からすごいね、背景の宇宙とか縁起とかそういう繋がり、そしてその繋がりに対する感謝みたいなのをすごい僕は思ったんで、
ちょっとそれをネタにしてお話ししたいなと思いました。
で、なんかこれは余計かもしれないですけど、こういうちょっとした善意の繋がりがこの縁起によって伝播して地球を良くしていくと僕は思ってるんですよ。
本当に何気ないことだけど、ちょっとした笑顔で挨拶するとか、ちょっとこう声のトーンを上げて元気に接するとかね、なんかどっちでもいいんだけど、愛か恐れのどっちでもいいんだけど、でもやっぱ愛かなみたいなね、そういう意味でした、こいつ。
なんか一人一人がそういうちょっとした善意によって日常生活を営んでいくことで、だからこの卵かけご飯のね、ベストアンサーの人もそこまで世界をガチで良くしたいと思ってやった行動ではないけども、愛か恐れかで言ったら愛じゃないですか。
ちょっとした善意、そういうものが結局波及して波及して次に繋がって、その循環によって世界はより良く、より楽しく幸せで平和で愛のあるものになっていくんじゃないのかなっていうそんな話をしたくて、今日はちょっとねこういうわけのわかんないね抽象的な話をちょっと面白いかなと思ってしてみようかなと思いました。
いつも通りですけど、だいぶ長くなりました。
ここまで長らくお聞き下さいましてどうもありがとうございました。