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2024-10-08 16:22

人の性格は一つではない 【対人関係論】

平野 啓一郎
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【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#スピリチュアル #楽に生きる #人間関係 #人間関係のコツ #分人主義 #ペルソナ
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こんばんは、カズです。今日のタイトルは、「人の性格は一つではない」というテーマでお話ししていこうと思います。
今日は、スピリチュアルっていうよりはちょっと心理学っぽい、そっち寄りな話になるかなと思うんですけど、かなり興味深いテーマだと思うんでね。
誰しもが関心あるテーマじゃないかなと思うんで、人間関係の話なんですけどね。なので、ぜひ最後まで聞いてくれたら嬉しいなと思います。
人の性格は一つではないっていうのは、人の性格っていうのがあるじゃないですか、あの人はこういう人だよね、こういう性格だよね、こんな人だよねっていう、そういうやつですね。
この人はこういう人、だけどこういうところがあってね、そういうのがあの人の悪いとこなんだよね、みたいな、そういう、なんていうのかな、素朴な、あの人は○○みたいな、あの人はこうだよね、みたいな固定のイメージですよね。
そういう素朴な人間感っていうのがありますよね。性格、いわゆる性格みたいなね、あの人はこう、みたいな、そういうラベル付けというか、そういうのが普通の雑談の会話の中でもよく出てくる、そういう人間の認識のパターンだと思うんですけど、だけど実はですね、この素朴な人間感っていうのは、実はね、これ間違っているんですよね。
で、これね、心理学においてはね、あまりにもみんなこの普遍的でね、普通に使うじゃないですか、みんなあまりにも間違いまくってるんで、この間違いについては心理学的なね、特別な名前があってですね、これね、貴族性の語尾って言います。
貴族性の語尾、貴族っていうのは、どこどこに貴族するっていう、原因をそこに求めるみたいな意味の貴族なんですけど、貴族性の語尾って言いますね。
この貴族性の語尾っていうのは、人間が普遍的に持っている、すごくね、代表的な認知バイアスの一つになります。
なので、このイメージってね、あの人はこうだよね、こうこう、でもあの人はすごい良い人だよね、こんな人だよね、みたいなそういうやつですね。これが実は間違ってるんだっていう話ですね。
で、ここから先は僕の考えが結構ね、多く入ってくる話になるんですけども、心理学ではペルソナっていう概念がありますね。これ、ユングが多分提唱してると思うんですけど、ペルソナっていう概念が心理学であります。
どういうやつかっていうと、まあでもね、みんな感覚的にすぐわかる話だと思うんですけど、実家で自分の母親と接する時の自分の姿と、例えば職場で他の社員さんと接する時の自分の態度、姿と、また機能を受ける友達と接する時の自分と、
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わかると思いますけど、全部違うじゃないですか。
自分は自分で一つ、体一つだし、自分は自分だってみんな思うかもしれないですけども、その人間関係によって自分の接し方、態度を変えてるわけじゃないですか。
これ、意識的に変えてるっていうよりも、無意識的に自然とそうなってるっていう感覚になると思うんですよ。
これは本当に、友達に接する自分ってさっき表現しましたけど、友達は友達でも、またAさんと接する時の自分と、B君と接する時の自分と、C君と遊ぶ時の自分とは違うんですよ。
Aさんと接する時の自分と、B君と接する時の自分と、C君と遊ぶ時の自分とは、また微妙にその友達の枠だけでも違ってきてるはずだと思うんですよね。
つまり、これがペルソナなんですけど、ペルソナって仮面っていう意味なんですけどね。
だから、人間関係一つ一つのその繋がりにおいて、一個一個自分の仮面を変えてるっていう意味なんですよね。
これ結構、日常の感覚に照らしてもらえれば、わかる、わかってもらえる話じゃないかなと思うんですけど、だから人間関係一つ一つで違う自分を見せてるはずなんですよね。
これが心理学で言うペルソナなんですけど、同じような話で、平野圭一郎さんっていう作家の方が文人主義っていうことを提唱してます。
文人主義っていうのは、本当の自分っていうのは固定的な、一つの自分っていうのが固定的なもんじゃなくて、そうじゃなくて、自分っていうものの中にたくさんの文人っていうんですけど、
だからさっき言ったペルソナが平野さんの言う文人みたいな、ほとんど同じ意味だと思ってくれていいと思うんですけど、自分の中にたくさんの文人がいるんだっていうことなんですよね。
で、どれが本当の自分っていうこともなくて、それらすべてがトータルで自分なんだよみたいなことなんですよね。
だから本当の固定的な自分なんていないんだっていうような主張を、この文人主義っていう言葉でね、言ってたりするんですけど、
つまりね、ここのペルソナとか文人主義の話で言いたいことはですね、つまり人間の性格っていうのは一概に決められるもんじゃなくて、すごく多面的なもんなんですよね。
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さっきも言ったように自分が持つ、自分が気づいてる人間関係の繋がりの数だけ、その相手側から見た自分っていう人間像が、そのラインの数だけ存在するんですよ。
相手から見た自分っていう、それが自分のペルソナだったり文人だったりってことなんですけど、
それがもう人間関係の数だけ存在してるっていう、そういう見方なんですね。
もしこれが真実だとしたら、真実だとしたらば、だったら簡単にあの人はこうだよねっていう断定はできなくなるっていうことだと思うんですよね。
みんな人間関係ってたくさん繋がりがあって、大勢の人と繋がってますけど、その繋がりごとに違う側面の自分を出してるってことなんですよ。
ってことはそのすべての繋がり、たくさんの違う側面、その人の側面があるわけで、違うペルソナ、違う文人があるわけで、どれが真実の自分とかじゃないんですよね。
どれが真実の自分とかは言えないので、だから簡単にあの人はいい人だよとか、あんなことする人は悪い人に違いないとか断定するっていうのはできないんですよ。
簡単に安直にその人の人間性を一概にジャッジ判断するっていうのは、こういう理由でナンセスなんですよ。
ナンセスっていうのは、そういうジャッジ判断の仕方っていうのはまといていないっていうこと、そういう意味で言ってます。
そういうことなんですよね。
なので、人間関係の実際っていうのはこういう感じだと思うんですよ。
こういうことが真実だとしたらば、発想を逆で考えてみると結構面白いんですけど、
ってことはですよ、自分が見ている相手っていうのもその人の一側面に過ぎないわけなんですよね。
自分が見ているその人っていうのは、その人の一側面、一ペルソナ、一文人でしかない。
その人の全てじゃなくて、その人の自分との人間関係のこの一つの繋がりにおいて引き出される相手の側面がそのような見方で見えるっていうだけの話なんですよね。
もしそうだとしたら、他の自分にはそう見えるんだけど、そのお相手さんの自分以外の他の人間関係では全く自分とは別の人格のように振る舞うその人がいるかもしれないっていうふうに想像することができると思うんですよ。
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極端な例だと、すごい犯罪を犯して牢屋に収監されている囚人の人なんかでも、だから一般的なイメージはすごいネガティブ、なんか悪い人みたいになりがちだと思うんですけど、
でも家族から見たその人っていうのは全く違う印象、全く違うイメージかもしれないですよね。だから本当のその人っていうのはわかんないわけなんですよね。
言いたいことはですね、つまりどんな人にもその人の良い面とか悪い面とかたくさん多面性がある中で、人当たりが良いその人と当たりが強い悪いと判断できる、感じてしまうような面っていうのがあるわけなんですよね。
だとしたならば、ここから自分視点でものを考えるってことですけど、人間関係を自分自身が良好に保ちたいならばどう振る舞うべきかっていう話なんですけどね。
人間関係を自分が良好に保ちたい、いい感じで人間関係っていう問題を乗り切りたいなっていう思いがあるとしたらどうすればいいかっていうと、他人の自分に対する、
他人の自分に対するペルソナ分陣、だから自分に対してその人が見せてくるペルソナ分陣があるわけじゃないですか。
そのペルソナ分陣をできるだけその人の良い側面を引き出すように自分が努力しようっていう意識がすごく大切になってくると思うんですよ。
これちょっと言葉で言うとちょっと難しいんですけど、だからさっき言ったように、どんな人の中にもその人のすごく良いペルソナ分陣とすごく悪いペルソナ分陣とあるわけじゃないですか。
だからピンから切りまでその人の中に可能性、その人の人格の側面の良いものと悪いものとすべての可能性があるわけなんですよね。
で、何を引き出すかは自分次第なんですよ。人間関係をその人と結んで、その人が自分に対して見せてくれる、自分と接した時に自分に対して見せてくれるペルソナまたは分陣っていうのは、
これね、どんなその人を引き出せるかは自分次第なんだっていうことなんですよ。だから自分の接し方次第でその人はすごく良いペルソナまたは分陣を自分に見せてくれるかもしれないし、自分がその人のことを存在に扱ったとしたらその人が自分に見せてくれるその人のペルソナっていうのはすごく悪いもの。
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悪いものっていうか、自分が嫌だなこの人って感じる、感じてしまうネガティブなペルソナを自分に対して出してくるかもしれないんですよ。
なんかちょっと抽象的な話をしてるかもしれないですけど、結構これね、人間関係においてすごく大事な逆転の発想みたいなことじゃないかなと思うんですけど、なので自分の周りの多くの人間関係の繋がりにおいて、その繋がってる先の相手のできるだけ良いものを引き出そう。
できるだけ清い愛の部分のその人を自分が引き出そうっていうふうに意図して接するっていうことです。
そうすると、すごくね、周りの人間関係っていうものは全体的に良いものになってくるはずです。
全体的に自分の周りの人間関係が良いものになっていくとどうなるかっていうと、自分自身がめちゃくちゃ楽になるっていうことなんですよね。
なぜなら自分の周りの人間関係が全部良いものになるから、周りの人間関係の質が高まるんでストレスがなくなってくるんですよね。
そうすると自分もすごい楽に振る舞うことができます。
そしてさらにですね、自分が楽になるだけじゃなくて、漏れなくですね、そうした良い側面を引き出すことによって人間関係がどんどん楽になっていくと、周りからの評判もめちゃくちゃ良くなってくるっていうことになるんですよね。
そうすると周囲からは、あの人はいい人だよねーみたいな高い評判もついてくることになります。
だから自分というのが周りにいて、ちょっとイメージしてほしいんですけどね、自分というのが周りにいて、自分の周りにたくさんの線がピピピピって繋がってて、いろんな人と自分はラインをつなげているわけなんですよ。
その繋げている先のみんながね、自分に対してすごく良いペルソナを自分に対して見せてくれてるとしたら、自分の人間関係って天国状態みたいになるわけじゃないですか。
その時に自分の評価がどうなるかっていうと、みんなあの人はいい人だねっていう評価をしてくれるわけなんですよね。
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こうなれたら、人間関係クリアというか、ストレスフリーですごく楽な状態にすることができるんじゃないかなと思うんですよね。
結構抽象的なんですけど、その人間関係どうやって立ち回ればいいかっていうか、気づいていけばいいかっていう、そういうちょっと抽象度の高い方向性とか、そもそもの考え方の話を今回はさせていただきました。
結構深い話だと僕は思ってるんで、もしね、響いたり、いいなって思ってくれるところがあれば、ぜひ日常に生かしていただいて、より楽しく楽に生きやすい人生の創造のためにお役立てしていただけると僕も嬉しいなと思います。
それでは今回はこんなところで失礼したいと思います。どうもお聞きくださりありがとうございました。
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