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こんばんは、カズ☆です。 今日もちょっと気が乗ったので、おしゃべりしていきたいと思います。
心と世界の主従関係というタイトルでやっていきます。 すごく大事なポイントだと僕は思っているところです。
どういう話かって言うとですね、
心と世界。 心、あなたと世界の主従関係って言ってもいいですね。
あなたの心があるから世界があるんだよっていう話です。 これね、逆ではないんですよっていうことです。
あなたの心があるから世界、宇宙があるんですね。 この逆ではありません。
世界があるからあなたがいるっていう、この図式ではないっていう話なんですよね。
世間一般では、そのように言われていると思いますけども、 だから世界があって、宇宙っていうフィールド、空間があって、その中に肉体としてのあなたがいるっていう構図ですね。
世界、宇宙があるからこそあなたが存在できるんだっていう図式なんですけど、 世間一般ではこのように言われている、こう思わされていますが、
もうはっきり言っちゃうとですね、もうこれは嘘です。 嘘ですね。
あなたがいなければ、あなたの体験しているその宇宙も存在しないっていうことなんですよね。 これが真実です。
あなたがいなければ、あなたの体験しているその目の前の世界、 宇宙っていうのも消えてなくなるんですよね。
なぜならあなたは肉体じゃなくて、その気づいている意識そのものだからなんですよね。 その現象を生じさせている基盤そのもの、スクリーンそのものが本当のあなたなんですよ。
真実は。 だからあなたがいなくなったら、あなたの宇宙ももろとも消えるんですよね。 だからこそ世界はバーチャルだとかゲームだとか夢だとか言ってるわけなんですよ。
電源入れなければモニターには何も映らないですよね。 だから電源入れなければモニターには何も映らないんで、そこには
オンラインゲームでプレイできるようなゲームの世界っていうのが 存在できないわけなんですよね。
電源入んないと。この例えでいくと、電源っていうのがあなたの心、意識なんですよね。
だから そうした場合
電源、電気があってからこそのゲーム世界であって、ゲーム世界があるからあなたという存在、あなたというキャラクターが存在できるわけじゃないですよね。
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この例えでいくと、ゲーム画面の中心にいる主人公のキャラクター、これがあなたの肉体なわけなんですけど、
だから自分をこの肉体だと思っていると、世界があってその広大なフィールドの中に自分がいるよねっていう構図になると思うんですけど、
それが多くのスピリチュアルで示唆されている、言われているように、これ幻想なんですよ。
肉体っていうのは自分じゃないんですよね。本当の自分ではないです。それ妄想なんですよ。
本当の自分っていうのは、気づいている意識そのものであるので、
この例えでいくと、電源が自分の意識、心であるって言ってもいいと思うんですけど、電源、電気ですね、だから動力ですね。
それなしではゲームの世界そのものが成立しない、生じ得ないんですよね。
そういう意味で奇跡講座的に言うと、この世界、宇宙は神の子が見ている夢なんだっていう表現をするんですけど、そういうことなんですよ。
だから真実を言えば、世界があって宇宙があって、その中に自分が、ちっちゃい自分がいるっていう構図じゃなくて、だからこれはもう、はっきり言っちゃうけど嘘なんですよね。
こう思ってた方がいろいろとね、都合がいい方たちがいっぱいいるんで、積極的にそのように思わされているっていうのもあるんですけど、
本当に、本当の真実は逆で、自分の方が世界、宇宙より大きいわけなんですよ。
あなたがいなければ、そもそも世界もないし宇宙もないんですよね。
ということが真実です。
そうなんだけど、やっぱりそのようなね、世間一般で言われているパラダイムで考えちゃうと、すごくね、自分が全く大したことないちっぽけな人間、ちっぽけなトルに足らない存在かのように思えてきちゃうっていうことがあると思うんですよ。
自分一人が消えても、それでも世界に影響ないよね、みたいな感じですよね。
それでも世界は何事もなかったかのように、自分が消えたとしても、明日も何でもないような顔をして、明日も回り続けていくんだ、みたいなね。
だから、自分という人間の代わりなんてね、別に自分が明日から職場にいなくなったところで、会社は変わらず回っていくだろうし、とかね。
そういう道具的な見方、役割的な見方で考えると、もう自分みたいな存在は全然大したことないんだ、ちっぽけな人間で、代わりなんていくらでもいるんだ、みたいな気持ちになってくるかもしれないんですけど、
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これはだからね、妄想なんですよね。このような感じがするのは思考マインドが言ってくる妄想です。
うん、これ全然そうじゃないんですよね。さっきも言ったように、あなたという人っていうのは、もうあなた一人しかいないんですよね。
で、それは全く代替可能な、交換可能な存在ではなくて、他の誰一人としてあなたの代わりができる存在っていうのはいないわけなんですよ。
あなたはこの遥かな宇宙の中で、もうたった一つで、もう交換不可能な、だいたい不可能なあなたという、もう唯一無二の人生の物語を紡いでいる、かけがえのない存在ということなんですよね。
なぜなら、さっきも言ったように、あなたが消えたら宇宙が消えるっていうことです。そのくらいすごい存在なんですよね。
だから、奇跡講座もね、そのような僕らのことを神の子と言っているわけなんですよ。
あなたという存在は、宇宙全体よりも遥かに大きな存在だっていうことですね。
宇宙の中にあなたがいる、宇宙の中にあなたという存在が入っているのではありません。
あなたという存在、あなたという大いなるもう心、気づきという意識の中に、あなたの宇宙が生きしている、生じているっていうことです。
本当にそういうことなので、だからですね、その騙されないでくださいっていうことですね。
だから、そんな自分の本当の自分のことをですね、本当の自分の素晴らしさとか、その価値、すごさっていうのを誇ってほしいんですよね。
もう、世間とか社会が言うような、もう変わりはいくらでもいるちっぽけな存在だ、みたいなね。
そんななんか世の中のマスメディアの言うようなことに騙されて、そういうのを真に受けてね、自分のアイデンティティとして受け入れちゃダメなんですよ、本当に。
もうあなたが消えたら、宇宙が消えますっていうくらいすごいんですよ。
宇宙全体よりもあなたという存在の方が大きいんですよ。
なぜなら、現実というのは、いつも言ってるようにあなたの心が映し出した鏡に過ぎないからなんですよね。
だからここのトリックに騙されないでください。
本当にその、交換不可能で、唯一無二で、かけがえのない存在なんです。誰もがです。一人一人がね、そのような宇宙の創造種だからです。
で、哲学の分野でもね、哲学者のマルティン・ハイデガーという人がいますけど、
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この人も、このような取り替えの効かない唯一無二の存在として、なんかそういう存在として人間を捉え直した時に、
やっぱり単に人とかね、人間っていうその呼び方が不適当だっていう、不適切だっていうことで、
わざわざね、現存在っていう、ハイデガーが作った造語をね、新しく自分で作って、それを使ってるくらいなんですよ。
だから、その真実の見方っていうか、感覚っていうのは、そういう感じなんですよね。
あなたの人生物語、今、目の前に視界が広がって、そこで体験が起きてるわけですよね。
フィールドが展開していて、フィールドってあの、まぁ世界ですよね。なんか僕すぐゲーム用語味走っちゃうんですけどね。
で、あなたの人生が目の前に展開されているわけじゃないですか。で、そのあなたの人生物語は、
その目の前の光景とか、あなたの体験してきた人生、それは物語として記憶の中にあると思いますけども、
その人生物語、人生ストーリーっていうのは、この宇宙広視といえども、もう上映回数はたった1回だけなんですよ。
たった1回、上映回数たった1回ぽっきり。もう2度と未来英語を絶対に宇宙広視といえども、絶対に再放送されることはないんですよ。
唯一無二の物語を、今まさに生きてるわけです。そんな人生を一人一人が生きてるんですよね。
それだけかけがえのないもの、存在なんですよ。人の人生っていうのは。
あなたもそうだし、目の前のその人も同じように、そのようなかけがえのない存在なんだっていうことなんです。
この自覚が本当にあったら、日々の自分の過ごし方とか、一日の過ごし方とか、自分に対する
自分自身の扱い方というか、そういうものも自然と変わってくると思うんですよね。
だから本当に、世界とか社会とか、そういうものを自分の上に置いちゃダメなんですよ。
あえて何かちょっと断言してますけど、今日は。
自分がいる、だからこその世界なんですよ。自分がいて初めて世界があるので、決して逆じゃないんですよ。
もちろんここで言う自分っていうのは肉体としての自分ではなくて、意識の主体、気づきそのものの意識、
創造者としての自分っていうことなんですけど、こちらが本当のあなたなので。
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だからちっぽけな自分っていうのは、妄想をそのまま受け入れちゃって勘違いしているだけの状態であって、決して真実ではないんですよね。
そう、世界があってあなたがいるのではなくて、あなたが存在しているから世界がそこに存在できてるんですよ。
そのくらいすごい、かけがえのない存在です。奇跡講座もこういうことを言ってるんですよね。
今、ちょっと引用しますけど、奇跡講座はね、こういうことを言ってます。
あなたは神の心の中で取り替えのきかない存在である。 誰もそこであなたの持ち場を埋めることはできない。
あなたがそこを空っぽにしている間、永遠の場所はただあなたの帰りを待っている。 神が創造されたままの自分を受け入れることが傲慢にはなり得ない。
それは傲慢さは否定することだからである。 自分の小ささを受け入れることこそ傲慢である。
それはあなたが自分自身について神ではなく自分の評価を信じていることを意味するからである。
っていうことを奇跡講座は言ってます。 これなかなか感動的な言葉ですごく僕も好きなんですけど、
あなたは神の中でですね、神の心という中で取り替えのきかない、かけがえのない存在なんだ。
誰もそこであなたの持ち場を代わりに埋めることはできないんだ。 だから、あなたが
そこを空っぽにしている間、あなたがその本当の自分という自分のアイデンティティを忘れてちっぽけな肉体、それが自分自身なんだって言って夢を見続けている間、
その間あなたの持ち場空っぽになっているわけなんですけど天国において。 でもそのあなたが持ち場を空っぽにしている間、その永遠の場所はただあなたの帰りを
永遠に待ち続けているんだよ っていうことです
で 神が創造されたままの自分を受け入れることが傲慢にはなり得ない
だから 本当の自分の存在のすごさ
あの奇跡講座が言うあなたは神の子だっていうそれが本当のアイデンティティなわけなんですけどそれを受け入れることっていうのは傲慢じゃないんですよね
逆に自分の小ささちっぽけな自分の なんか肉体としての自分これが私なんですって
自分の小ささを受け入れることこそが傲慢なんだ と言ってます
それはあなたが自分自身について神ではなく自分の評価を信じていることを意味するからである なんですよね
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神はあなたが
あなたの本当のアイデンティティは神の子なんだって言ってます 夢見る主体
であると言ってますね その夢の中の構造物の一つではなくて夢を生じさせている主体があなたなんだっていうことを言ってるんですけど
その評価を受け入れることは むしろ傲慢じゃなくて謙虚なんだっていうことを言ってますね
むしろその神 がそう言ってるのにそれを拒否していや私はそんなにたいそうなものじゃなくて
ちっぽけな人間一人の人間に過ぎないんですっていう 神に対してそのような返事をするっていうことは
これこそが傲慢なんだって言い方を奇跡講座はしてます なぜなら神はあなたの本当のアイデンティティは神の子なんだよって言う
ことを言ってるのにそれを受け入れるのを拒否して いや私はそんなたいそうなものじゃありませんちっぽけな存在なんですっていう
これは神を拒否して自分を信じるっていうこと になってるのでそれこそが傲慢なんだっていうことをここでは言ってます
ね だから本当のあなたのアイデンティティ
あなたは神の子である宇宙の創造主であるっていうことですこれを受け入れること っていうのは傲慢ではなくてむしろ謙虚なんですよ
これが真の謙虚さ なんだっていうことを奇跡講座は
言ってますね ということでした
あの だから
そんなねあなたの たった1回限りの
目の前の人生ですよね唯一無二の人生
どんだけこれが素晴らしいものかっていうことなんですよね これをぜひあの
自覚してですね ぜひどんどんとあのそれをね輝かせて楽しく本当に最高のものに
おのおのねしていってください
はいというわけで今日はこれで終わりたいと思います 何かね心に少しでも響いた場所があれば嬉しいなと思いますではお聞き
くださりどうもありがとうございました