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2024-03-15 34:29

〈後編〉言葉にとらわれすぎない【言葉は二元性世界のツールである】

〈前編〉

https://stand.fm/episodes/65e538a0dbfdcec533da5adb

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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

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元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
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といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#言葉 #本質 #スピリチュアル #ソシュール #悟り #ニサルガダッタマハラジ #パワーかフォースか #仏教 #奇跡講座 #奇跡のコース
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00:05
こんにちは、カズです。〈後編〉言葉の意味にとらわれすぎない、〈言葉は二元性世界のツールである〉という音声の後半を撮っていきたいなと思います。
前回、前半戦のお話のおさらいなんですけど、前半戦はソシュールの話までしたと思います。
ソシュールは、〈言葉は差異のシステムである〉という言葉を言ったという話をしました。
これはどういうことかというと、こちらが持っている価値観によって、恣意的に世界を切り分けて区別して、その中からこれというふうに、恣意的に取り出すという、それが名前をつけるということの本質なんだということですね。
そのような世界を、こちらの必要に応じて、恣意的に思考の上で切り分けるということが、思考とか言葉というものの本質なんですよ、という話をしました。
あと、言葉では真実、スピリチュアルを表現できないということも話しました。
もともと言葉というツールでは、真実、スピリチュアルというものを完璧に描写することというのは、絶対に不可能なんだということですね。
この辺をお話しさせていただきました。
これらを抑えた上で、また後編を話していこうと思います。
スピリチュアルリーダーが言う言葉というのを鵜呑みにしてはいけないということなんですよね。
それらを抑えた上で言いたいことは、スピリチュアル情報というのを言葉だけで、言葉そのものを鵜呑みにしてはいけないということです。
これは特にスピリチュアルのジャンルではそうという話なんですよ。
他の学問領域の話なら結構まだいいと思うんですけど、特にスピリチュアルジャンルではこれ気をつけてくださいよということを僕は言いたいですね。
なぜなら、スピリチュアルジャンルではですね、みんな人それぞれその状況とかその質問者とかですね、対話とかね、よくありますよね、対話編とかね。
聖者と質問者の対話とかですね。
みんな人それぞれその状況とかその質問者さんに対して、その場その場で適切適当だと思われる言葉を選んで話しているだけだからということです。
つまり臨機応変に話す内容を変えているということですね。
これはスピリチュアルではすごくよくあることです。
03:05
例えばイエス・キリストもよく例え話を使って臨機応変に教えを語っていましたし、ブッダも人それぞれで教え方を臨機応変に変えていたと言われてますね。
臨機応変に変える理由は、何で臨機応変に変えているかというと、そもそも言語で表現不可能なものを伝えようとしているからというのがまず一つあります。
前編でお話しした通り、言葉で完璧に表現可能な真実だったら臨機応変に変えるなんてことをしないで、その真実である言葉を誰に対しても伝えるだけでいいはずですよねということなんですよ。
あと二つ目の理由は、その真実なるものに到達するために必要な気づきを促すための言葉というのを投げかけてその到達を促しているわけなんですけど、その言葉っていうのは人によって違うからなんですね。
つまり刺さる言葉っていうのが人それぞれで違うからということです。
だからイエスキリストもブッダも人それぞれで言葉を変えて臨機応変に、例え話とかも使って説法していたという事実があります。
特に仏教では臨機応変に教え方を変える、この年ブッダの教え方、教えた方法を待機説法と言います。
待機説法っていうのは、さっき言ったようなことなんですけど、例えば医者が診断して、その診断に基づいて薬を処方するみたいなことなんですよね。
人によって言葉を変える、表現を変えるっていうのは、医者が診断に応じて、診断によっていろんな病気が変わってくるから、その病気の内容によって処方する薬も変わってくる。
薬っていうのが伝える言葉であるっていう例えなんですけど、ここでは。
なのでそういうことをやっていくと必然的に言語的に論理的に矛盾が出てきます。
わかると思うんですけど。
この時は、お釈迦さんがこう言ったのに、別の経典ではこんな違う言葉を使っている、これはおかしい、矛盾してる、とかね、そういうことなんですよね。
こういうことが起こってきちゃう。
僕らが思考一変等で考えちゃうと、そう思っちゃうっていうことなんですよね。
こういうことがスピリチュアルを探求していくにあたり、訳がわからなくなってくる原因としてあることだと思います。
06:07
論理的にこっちの教えとこっちの教えが矛盾してるっていうのは、本当にスピリチュアルではあるあるだと思うんですよね。
例えばね、自由意志はあるとかないとかですね。
輪廻転生が人によってあるとかないとかですね。
いろんな主張が飛び交って訳がわからなくなっているのが実態じゃないかなと思うんですけど。
例えばその輪廻転生についてです。
ニサルガダッタマハラジ、有名な悟りに至った偉大な聖者の一人だと思いますけど、
すごい有名なマハラジも、彼は明確に輪廻転生を否定しています。
否定しているポジションを取ってるんですよね。
誰が輪廻転生するのかみたいにね、言ってると思うんですけど。
だから輪廻転生はないって言ってるんですよ。
そういう立場を表明してるんですね。
しかし、別の質問者さんとの問答の中で、
あなたを過去世でこうこうこうでうんたらかったらみたいな言い方もしていて、
だから輪廻転生は明らかにありますとは明言していないものの、
明らかに輪廻転生を認める、示唆する言説っていうのも実際にしてるんですよね。
だからマハラジは、そういう言語の上で言ったら矛盾してるってことなんですよ。
矛盾したことを言ってるんですね、この悟った聖者も。
実際そういうことがあるんですよね。
こういう意味で、ブッダがこう言ったから、マハルシがこう言ってるから、
マハラジがこう言ってるからっていう、これだけの氾濫残量で、
それをもう絶対意識してはいけないってことですね。
神聖なものにしちゃいけないってことですね。
奇跡講座も、僕は奇跡講座をすごい信頼してて、
たびたび音声配信の引用に出すんですけど、
間違いないのはその内容は論理的に完璧に首尾一環してるんですよ、奇跡講座っていうものは。
なんですけど、もっと細かい言語的な意味を拾って、論理の穴を探そうと思ったら、
結構論理的矛盾っていうのは奇跡講座の中でも見つけることができるんですよね。
でもそれは言語的な表面部分だけをすくって拾って考えてるから、
矛盾のように思われるだけであって、
それらの言葉が指し示しているメッセージの確信部分、本質部分、
そういうものについては全く矛盾がないんですよ。
09:00
そういうわけなんで、こういうことに気づかずに思考一辺倒で心理探求するとどうなるのかっていうと、
言葉だけを文字通りの意味に捉えて、矛盾してる、だからおかしいみたいになって、
こっちが正しいはずだから、じゃああっちは間違いだよねっていうことになっちゃうんですよ。
言葉だけをそのまま捉えると、こういう論理的なミスマッチっていうのが至る所で起こってくるわけです。
こういうミスマッチが発端になって、言い争いになっちゃってとかですね、
そういうつまらん言い争いが起こるわけですね。
これの行き着く先が宗教の原理主義者ですよね。
原理主義者っていうのはバイブルの言葉は一語一句絶対に間違ってない、その意味そのままが真実みたいに捉えて、
その他の解釈する奴はもう絶対認めないみたいなこと、そういう立場を取る人たちのことだと思いますけど、
だからすごく言葉に捉われているってことですね。
言葉に捉われるとこうなっていくんですよ。
その言葉の上でのミスマッチ、矛盾が許せなくて言い争いになっていくんですよね。
つまらん言い争いになっていく。
そのつまらん言い争いの成れの果てっていうのが宗教戦争ですよね。
大体世の中の戦争っていうのは政治的、イデオロギー的な思想の違いっていうのがあって、
だからその意味でほとんど全部宗教戦争であると言ってもいいかもしれないですけど、
だからそれって思考のミスマッチというか、そういう宗教戦争っていうのは解釈の言葉の上でのつまらんミスマッチを問題視しすぎて、
それが発端となって起こった成れの果ての現象が宗教戦争ということですね。
この言葉そのものと、その言葉が指し示そうとしている真実という、ここがやっぱりポイントなんですけど、
パワーかフォースかっていう本の中にコンテンツとコンテクストっていう、
そういう章というか概念が登場して紹介されてるんですけど、これがすごく大事なんですよね。
これは文脈があって初めてその内容物の意味が特定できるみたいな、そういう話なんですよ。
内容物っていうのがコンテントで、文脈っていうのがコンテクストですね。
これ結構深い話なんで、ぜひパワーかフォースかを実際読んでいただきたいくらいに思うんですけど、
12:07
すっごい雑に説明するとすると、例えばですね、東京の人がお前本当にバカだなって言ったとする。
で、大阪の人があんたほんまアホやなって言ったとする。
二通りありますよね。これ違うじゃないですか。そういうような話です。
コンテンツとコンテクストっていうのをすげえ雑に説明するとこれなんですよね。
言語的意味っていうかコンテント、内容物としては同じ意味なはずなんですよね。
お前本当にバカだなっていうのとあんたほんまアホやなっていうのは結局同じこと言ってるじゃないですか。
なんですけど、文脈情報、状況のシチュエーションという雰囲気とかいろいろありますよね。
違うだけで意味がその言葉の指し示す意味が全く異なったものになっているっていうそういう例ですよね。
これがコンテンツとコンテクストなんですよね。
だからその真意を知るにはコンテンツだけだと不十分なんですよ。文字情報だけだと不十分。
コンテクスト、文脈、背景まで抑えなければ真意はわからないってことです。
本当の意味はわからなかったりします。
だから哲学とかでもその思想を唱えた時代背景とか歴史とかその当時の価値観とかそういうものを文脈情報、コンテクストを抑えてないとその思想家、哲学者の言いたい真意がわからなかったりするんですよね。
僕はほとんど情報源が読書からだったんで、いろんなスピリチュアル本を読んだんですけど、そういうふうにいろいろなスピリチュアル本を読んでいると、その文字全ては活字情報ですよね。
つまり言語ですよね。
言語イコール論理なので、言葉にした途端、言葉にした瞬間ですね、その意味とか形とか差し示す内容がその時点で割とかっちり確定するっていうのがあるんですよね。
言葉にした時点で確定されちゃうじゃないですか。
言葉の上ではかっちり確定しちゃうから、だからそれじゃ矛盾だとか、さっきのつまらん言い争いの発展の種みたいになっちゃうんですけど、それを全部思考で捉えようとするとそうなっちゃうっていうことなんですけど、
これも実体験としてシータヒーリングをやっていると、想像主からのメッセージを聞くっていう、そういうこともよくやるんですけども、
だから要はチャネリングメッセージですよね。
15:05
その想像主からのメッセージを聞く時の実際の感覚としては、想像主のメッセージを聞くとは言っても、想像主が直接言葉を話している、その言葉を直接聞くっていうそういう感じではなくて、
実際の感覚としては想像主のもやっとくるメッセージを受け取るっていう、想像主のメッセージを受け取るってまず意図するんですよね。
その意図した後に自分に訪れる非言語的なもやっとした感覚を受け取れるんで、それを言葉に翻訳してそれを伝えるっていうことが実際の感覚。
実体はこういう感じに近いことをやってるっていうのがあります。
この時に最初の想像主からのメッセージっていうのは、もやっとした感覚そのままなんですよね。
これは非言語的なんですよ。
鮮度100%のままそのもやっとした非言語の感覚、ニュアンスとかそのままを、それそのものを伝えられたら一番いいんですけど、やっぱりそれができないので。
それはテレパシーならできるかもしれないですけど、なので人に伝わるようにするためには言葉に直さないといけないので、それを言葉に直すんですけど、
でも言葉に直した時点でそれはその最初のメッセージの近似値でしかないっていうことですね。
それそのものとはちょっと違くなるんですよ、言葉に直した時点で。
これはシータヒーリングをやっててそういうもどかしさみたいなのが結構感じられるところだったりします、実は。
チャネルリングメッセージと呼ばれているものっていうのはおそらく全てこういうことなんだろうと思います。
というのもですね、やっぱり高次の宇宙存在や天使がですね、人間の言葉を直接的にしゃべるわけではないんですよね、やっぱり。
しかも日本語ですね。
それはチャネルラーと呼ばれる人間の中でその上から来るメッセージがあるじゃないですか、それは非言語で感覚的に来るんですよ。
それがチャネルラーの中で受け止められて、それでチャネルラーの中で言語情報として一回翻訳されてから言葉として周りに伝えられるっていう、そういうプロセスを得てるはずなんですよね。
なので、スピリチュアル情報ってチャネルリングメッセージがとても多いんですけど、それらは全てそれそのものではないっていうことなんですよね。
翻訳済みのメッセージであるっていうことなんですよね。
次はですね、心理そのものを言葉では完璧に描写しきることは原理的に不可能だっていう話を前回のソシュールの言葉は差異のシステムであるのところとかでも言ったと思うんですけれども、
18:07
その真理を絶対に言葉では描写不可能っていうのと、ソシュールの言葉とは差異のシステムであるっていうのをちょっと合わせてですね、
その無理ゲーなことをやろうとしているっていうその感覚、それをちょっと原理的にどういうことなのかっていう感覚をつかんでほしくて話をしていきたいんですけど、
スピリチュアルでは分離と統合って言ったりしますね。
分離と統合っていうのは並木さんの言い方だと思うんですけど、並木さんの言い方が有名だと思うんですけど、
要は僕らの本質は本当はワンネス、非二元、分離はない、すべて一つっていうことなんですよね。
であるのに分離の夢を見てるんで、私とあなた、あれとこれみたいな、そういう二元性のゲームをやってるっていうことなんですよね。
本質のスピリチュアルっていうのは思考によって分離されたこの分離世界ですよね、二元性世界ですよね。
だからこの分離世界から統合の方向へと向かうこの流れ、このベクトルにあること、これが本質のスピリチュアルだと思うんですけど、
これを感覚的に分かりやすく例えるならどうなるかなっていう話なんですけど、
例えるならA4の白紙の紙が1枚あるとします。
これが絶対真理だとしましょう。
絶対真理っていうのは非二元、ワンネス、愛一元、神そのものっていうことですよね。
真っ白な白紙の紙なんで、何の参照点も問題もなくすべてが一つであり完璧なんですよ。
白紙の紙1枚見せられても別に言及することないじゃないですか。
うん、真っ白だね、みたいな言うことあんまないじゃないですか。
絶対の完璧さってそういうようなことじゃないかなとまず思うんですけど、
その白紙の真っ白な紙に1本の線を引いたとしますよね。
そうすると、あちら側とこちら側っていうふうに1枚の白紙の紙が分かれますね。
これが分離っていうことなんですよ。
例えて言うなら、これであちら側とこちら側っていう分離が完璧なワンネスなのに起こったじゃないですか。
もっとたくさん線をその紙に足して引いていったとします。
そうするとジグゾーバズルみたいに1枚の白紙の紙が細かい断片にピースに見かけの上では、
21:01
分かれていきますよね。
縦横たくさん斜めね、たくさんバーって、
イメージの上で白紙の紙に線を引いていってほしいんですけど、
そういうことをやっていくとどうなるかっていうと、
前の音声で住所の話をしましたけど、
そのようにですね、1枚の白紙の紙もたくさん線を引いていくと、
その白紙の細かいポイントについて、思考の上で議論することができるようになるわけなんですよ。
全くの白紙状態では、もちろん真っ白なんで、特に参照点がないんですね。
完璧くらいにしか思えません。
で、その白紙の細かいポイントについて、
その白紙の細かいポイントについて、思考の上で議論することができるようになるわけなんですよ。
完璧くらいにしか思えませんでしたが、
つまり、思考で取り扱ってあれこれ取り上げるっていうことができなかったんですよね。
白紙のまんまだと真っさらだから。
でも、分離の線をたくさん引くことで、
あのピースはこのピースよりも面積が小さいねとか、
そういう分析になるものができるようになるわけなんです。
住所の話のようにですね、白紙の上にあるポイントですね、
白紙の中にあるポイントを指し示そうとする場合、
それを伝えたい場合ですね。
真っ白、真っさらだと、ここだよ、ここだよみたいな、
なんか言え、伝えられないじゃないですか。
なんですけど、分離の線がたくさんあればあるほど、
取り上げることのできるポイントも多くなるし、
その位置もより詳細に議論できるようになるんですよ。
何番目の線の上のこのポイントだよとかね、
それが可能になるわけじゃないですか。
で、その線がたくさん増えれば増えるほど、
その白紙のパズルピースがどんどん細かくなって、
細かい議論が可能になるわけなんですね。
要はこれが語彙を増やすっていうことなんですよ。
ボキャブラリーを増やすってことですね。
語彙を増やすと、だから言葉の数を、
言葉の表現、言葉のツールを増やせば、
テレビの解像度がどんどん上がって鮮明になっていくのと同じように、
より精妙で、なんか微妙で繊細な言語表現ができるようになってくるわけなんですよ。
この白紙の例えですけど、ここまでで結局何をやってるのかっていうのを
ちょっと振り返ってみてください。
結局やってることっていうのは、
ここの白紙の例えで線引いてやってることっていうのは、
結局は1枚の白紙に線を書き足して分離を増やしてるっていうだけやってましたね。
やってることっていうのはそれしかやってないんですよ。
24:00
元の白紙の紙は今ではもう線が書き足されまくってて、
もう白紙には磨け状見えないかもしれないんですけど、
でも元の白紙の紙っていう、その紙自体ですね。
それは相変わらず存在していて、紙自体は破れたものでも何でもなくて、
以前のまま変わりがありません。
なんだけど、その紙そのものは変わりがないんだけど、
そこに分離の線を書き足しまくって、
もう原件が何だか分かんなくなっちゃってるんですよね。
もう白紙でまっさらで完璧っていう元の白紙の姿が分かんなくなっちゃってるんですよ。
これが僕が、
人間性の世界に生きている、分離の世界に生きている状態っていうことなんですよ。
僕らは思考により分離しまくって、分離しまくっている人間性の世界を今生きています。
三次元世界っていうのはそういうことです。
それっていうのは白紙の紙に分離の線を書き足しまくって、
だからシータで言えば思い込みですね。
を作りまくって、
作りまくるともはや世界が最初からそういうものとしか捉えられなくなっちゃってるんですよ。
もはや元の姿の白紙の完璧の状態が全く思い出せなくなっちゃってる状態なんですよ。
そういうわけなんで、
スピリチュアルでは分離をやめて統合へ向かいましょうって並木さんも言いますけど、
そういうことがよく言われます。
この例えで言うと、
統合をやってた先に何が待っているのかって言うと、
元の完璧な分離のない白紙の姿なんですよ。
これが二元性、ワンネス、神あり、だからGod isですね。
あと愛一元とかですね。
これがスピリチュアルの到達したい最終的な状態なんですよ。
これが分離のない白紙の姿なんですよ。
これが分離のない白紙の姿なんですよ。
これがスピリチュアルの到達したい悟り、真実なんだっていうことです。
この元の白紙状態が。
今言った説明でですね、こういうわけだから、
真実というものには思考によっては絶対に到達できないってことが感覚として分かってもらえたんじゃないかなと思います。
つまり真実ってのはスピリチュアルが到達したい白紙状態のことですね。
でも思考っていうのはイコール言葉、イコール分離なんですよね。
思考っていうのができることは線を描き足すっていうことしかできないんですよ。
それがタイトルのね、言葉は二元性世界のツールであるっていうことの意味なんですけど、
思考言語にできることっていうのは線を引くことしかできないんですよ。
分離することしかできないんですよ。
だからスピリチュアルが本当にやりたい白紙状態を思い出すっていうことの役には立たないんですよね。
わかりますかね。
27:01
僕が思考という手段では原理的に絶対無理だよっていうのは感覚的にはこういう話だからです。
思考イコール言語、そして言語イコール分離なんですよ。
で、ソシュールも言う通り言葉は差異のシステムであるなんですよ。
だから言葉は白紙の紙に線を書き足すことしかできないんですよね。
書き足して細かくして分析する。
ここはこうなってるよね。ここはこうで、ここの面積はとかそういう分析はできるんですけど、
だからそっち方向のベクトルのツールが言葉っていうことですね。
分離方向のツールが言葉なんですよ。
統合方向のツールじゃないんですよね。
でも僕らが向かいたい先っていうのは分離じゃなくて統合方向ですよね。
白紙に線を書き足していく先の、だから分離をどんどんしていく先の世界じゃなくて、
そういう分離の線が書き足される前の以前の姿を思い出すっていうこと、
完璧の世界を思い出すっていうこと、そっちに僕ら行きたいわけじゃないですか。
だから言葉はそのために適切なツールかどうかっていうことを考えながら、
そのために適切なツールかどうかって言ったら逆ですよね。
だから原理的に言葉では無理だよっていう、そういう話になります。
というわけで、今までの話を全部総括してっていうことですけど、
言葉っていうのは意味内容は、その言葉の意味する内容は
言葉の上では、つまり言語的な意味では割とかっちり確定、特定できるんですよ。
つまり言語的意味というのは言葉の上で表面的にすくい取ることができる。
だからコンテンツだけでも意味がわかるってことですね。
つまりそれは論理の素条に乗るってこと。
僕らは今、思考万能の世界に生きてます。
思考万能っていうのは科学万能ってことですね。
科学っていうのは思考というものを使って行う営みなので、
思考万能、科学万能の世の中に生きているということもあって、
すべての問題が思考によって解決できると思い込んでるんですよ。
なんですけど、言語で指し示した、さっきの白紙の話を思い出してほしいんですけど、
僕らが生きたいのは、文理の世界じゃなくて、文理の方に生きてほしい。
文理の世界じゃなくて、文理の方向じゃなくて、白紙の方向、統合の方向に向かいたいわけなんですよ。
だから思考や言語っていうのは、文理へ向かうためのツールであって、
統合の方向へは言語によっては進んではいけないんですよね、原理的に。
30:04
言葉で表現することはできない。指し示すこと、示唆することしかできないんですよ。
ここの方向性の違いっていうのに、矛盾というか無理げたるゆえがあるんですね。
だから言葉だけで、思考だけであれこれやるだけでは絶対に真理、白紙状態に到達することは無理ということです。
これが科学とか思考論理の力で、悟りとか真実に至ろうとすることが絶対にできない理由ですね。
科学とか哲学、哲学っていうのも思考論理の力で真理に至ろうとする営みであると言っていいと思うんですけど、
だから思考だけでは絶対に無理っていうことですね。
そういうわけで、この前編後編長らく話してきましたけど、最終的なアドバイスとしてはこれだと思うんですよね。
あなたが本当にこれは確かに真実だなと思うこと、腑に落ちることだけを採用してくださいっていうことです。
他のどんな権力者の意見とか知名度のある人の意見っていうのも無条件に鵜呑みにして、もう頭から信じちゃいけないってことですね。
それは結構危険なんですよね。
これについてはブッダも言ってるし、並木さんも言ってます。
並木さんはあなたにとっての真実が本当の真実なんですよみたいな言い方をしてると思いますね。
というわけなので、もちろん僕のこの音声内容の情報も鵜呑みにはしないでください。
もちろん僕としては信じてほしいし、自分の中で確信のあるものだけをお伝えするように精一杯努めていますけれども、
でも実際のところ過去の音声を聞き直して、こう話しちゃったけど厳密にはちょっと違うんだよなとか、
あとで思って悔しい思いをすることも結構しばしばあります。
なんか取り直したいなってね。
実はこの後編の音声も納得いかなくて取り直したんですけど、
しかしですね、今日の音声で確認してきたように言葉である異常は絶対ないんですよね。
だからそういうことも致し方なしです。
言葉で完璧な表現は不可能なんでね。
というわけで僕のこの音声チャンネルも含めて、
スピリチュアル情報の全ては言語ではもともと捉えることのできない、
つまり視察すること、指し示すことしかできない、
そういうものを扱ってるんだよっていうことですね。
だから最終的には自分の心で判断して、
これは本当に真実だなって自分で腑に落ちて思える情報だけを取捨選択していけばいいっていうことです。
これについてちょっと不安に思う方もいるかもしれないんですけど、
これは絶対大丈夫です。
心に従っていれば。
33:00
なぜならあなたは神の子であり、あなたの心には精霊がいて、
精霊は正しい方向を絶対的に分かっている、
そういう存在なので、そういう心の部分のことなんで、
あなたを正しい方向へ絶対に導いてくれますと奇跡講座はそう言ってます。
なので、安心して自分の心が本当にしっくりくるもの、
本当にこれは真実だなって腑に落ちるものだけを選択して取り入れていってください。
現時点で分からない情報については、とりあえず保留にしておくっていうのがいいと思います。
あなたにとって必要な情報であれば、必要なタイミングで絶対に届けられます。
なぜなら、みんな神の子だから天国に至れないなんてことは絶対にできない。
みんな神の子だから天国に至れないなんてことは絶対にないからです。
それを信頼してくださいってことですね。
ちょっと長くなってしまいましたが、前編の音声、そして後編の今回の音声では、
そんなようなことを分かっていただけたら、ここまで話した甲斐があるかなと思います。
ここまでであなたのご参考になることがいくらかでもあれば幸いだなと思います。
それでは長らくお聞きくださり、どうもありがとうございました。
34:29

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