ポッドキャストを始めたきっかけ
みなさん、こんにちは。Nessieと申します。
東京の片隅にあるマンションの一室から、Podcastをお届けしております。
今日が第1回目となるのですが、そもそもどうしてPodcastなんて始めようと思ったのかと言いますと、
私がいつもお世話になっている高円寺のお店の店主の方や、そのお店に関わるいろいろな方がPodcastを次々と始めていらっしゃいまして、
どれも楽しく聞かせていただいているんですけれども、
みなさん、思い思いに自分自身の好きなことや、最近あったことや、テーマを設けて真剣に語ったりなどですね、
すごく自由におしゃべりをされているっていうのが、なんかすごくいいなぁと個人的に思っておりまして、
私自身もその高円寺のお店にちょこちょこ飲みに行ってですね、
音楽の話を中心に話をしながら、1杯飲んで、2杯ぐらい飲んで帰ってくることもあるんですけれども、
じゃあ自分の好きな音楽だったりとか、音楽に関わるトピックなんかを深掘りして話すPodcastでもやってみようかなと思いまして、
それで今、机の前にマイクをセッティングして語りかけております。
さあ、それでは早速第1回目始めていきましょうかね。
Podcast東京の片隅から。
改めましてこんにちは、ネッシーです。
この番組は東京の片隅にあるマンションの一室から、私ネッシーが一人でお送りしております。
幼少期から中学校時代の音楽遍歴
さて、今日第1回目となりますので、私の自己紹介と言いますか、音楽の返力について話していこうかなというふうに思っております。
私自身はですね、1980年代の初めぐらいにですね、群馬県に生まれまして、
幼少期の音楽から遡ってお話をすると、保育園に通っていたんですけれども、
そこでお遊戯会で歌ったり踊ったり、先生の弾くオルガンとかピアノに合わせて歌うみたいなことはやってはいたんですが、
それ以外の上層教育ではない音楽への触れ方として、当時はヒカルゲンジとか忍者といったジャニーズ系の音楽がヒットを飛ばしておりまして、
その時代のポップスのヒット曲をですね、カセットテープに録音されたものを聞いていたりしました。
で、聞いていた場所っていうのが、ちょっと私の幼少期は少し変わっていると言いますか、通っていた保育園が母親が勤めている病院のすごく近くにあったんですね。
母親はそこで看護師として働いていたのですが、車の送り迎えの中でよくそういった音楽を聞いていたように思えます。
ヒカルゲンジの音楽とかだけではなくて、昔の日本のアニメの主題歌集のようなものであったりですとか、本家本元ではないんですけれども、
昔のそのアメリカでヒットしたポップソングを他の人がカバーしたコンピレーション集っていうんですかね、そういったカセットテープなんかを保育園の送り、
迎えの車の中で毎日のように聞いていたという記憶がありますね。
そういった中で一緒にその音源に合わせて自然に歌っていたりっていうことはやっていたように記憶していますね。
一応小さな頃からピアノ教室には通っていたんですが、よく子供のバイエルとかああいった教本に沿ってレッスンを受けていたんですけれども、
案の定あんまりそういう椅子に座ってずっと単調でつまらないメロディーを弾き続けるような音楽の形っていうのがあんまり僕は好きじゃなかったんで、
2年くらいでやめてしまったんですけど、そういった意味でそうですね、小学校くらいまではそんなにピアノっていうのがあんまり好きではなかったような記憶がありますね。
小学校、高学年くらいになってくると周りの特に女の子が結構J-POPの曲とかを聴き始めて、ドリカもいいよねとか、なんかそういう話をし始めた頃にJ-POPっていうものの存在を少しずつ意識するようにはなってきて、聞くようにもなってきました。
当時はそうですね、ミスチルとかビーズとかがすごく売れていた時代だったかなと思いますし、ドリカムもそうですし、なんかそういったJ-POPのアーティストを、当時はまだ子供だったのであんまりね遅い時間まで起きれなかったんですけど、
ミュージックステーションを見て、そういう音楽があるということを認識したりしていました。
で、中学校くらいに入ると、あの頃はそうですね、小室さんの音楽がものすごく広がって、一大ムーブメントのようなものを起こしていた時代ではあったので、結構たくさん聞いていましたね。
それこそあのヘイヘイヘイっていうダウンタウンが司会を務めていた音楽番組であったりですとか、そういった番組をよく見ていてはいたので、結構そういうところにもやっぱり感化されているところっていうのはあるんじゃないのかなと思っています。
ただ、まあそんな感じで結構J-POPっていうものが興味を持って好きになっていったので、ラジオとかを聞き始めたのもだいたい中学2年とか中学3年生ぐらいの頃でしたね。
当時はNHK FMのミュージックスクエアという番組であったりだとか、文化放送、日本放送、東京FM、ナックファイブ、JWAVEといった番組で、特にカウントダウン番組とかゲストが出演するような番組っていうのはかなりたくさん聞いていたように思います。
あとはカウントダウンTVがお昼頃にやっていたこともありましたよね。
王様のブランチの中の小さな番組といいますか、カウントダウンTVリピートなんかもすごくよく見ていましたね。
そういうちょっとJ-POPのランキングにかなり夢中になっていたような中学生時代だったかなと思っています。
そんな中学生時代だったんですが、11月か12月頃にですね、聞いていたFM番組、ナックファイブだったと思うんですけど、
歌田ひかるのオートマティックがパワープレイでかかり始めまして、で、歌田ひかるちゃんは実は僕と全く同い年なんですよ。
で、こんな同い年の女の子が作って歌っている歌だとは思えないくらいの衝撃をその時感じましたね。
今までにこういうR&Bとかすごくブラックミュージックのテイストを持っているアーティストっていなかったので、
それが自分とも年の変わらない女の子がそれを体現しているということに当時は結構衝撃を受けたように思います。
実はその年、僕はそういったブラックミュージックに少し傾倒し始めた時期でもあって、
当時は繰り返しテレビで放送されていたとは思うんですけれども、
金曜ロードショーかなんかで天使にラブソングを2っていう、
ウーピーゴールドバーグ主演のゴスペルの映画がすごく好きで、というかものすごく衝撃的で見ていたんですけれども、
その映画に出演されていたローリンヒルですね。
彼女が後にミス・エデュケーション・オブ・ローリンヒルというアルバムを出すんですけれども、
それも発売されて少し経った後で中学3年生の時に購入して繰り返し聴いていたんですね。
やっぱり彼女のそのラップのスキルとか歌唱力であったりだとかっていうのもすごく衝撃的ではあったので、
結構初めて買った洋楽のCDだったんじゃないのかなというふうに思っています。
それくらいあのアルバムは思い入れが強かったんですけれども、
そんな彼女とすごくテイストの似たR&Bという音楽を僕と年の変わらぬ女の子がやっているっていう現象を目の当たりにした時に、
なんかついに日本の音楽ってこういう域まで来てしまったのかみたいな、
なんかそんなことを中学3年生なりに思いましたね。
高校時代の音楽体験
で、ファーストラブがリリースされて少しした後で僕は新学校に進学したんですけれど、
その高校っていうのが隣町にあったんですが、片道自転車で40分くらいかかるところにあったんです。
向かい風とかがすごく強い地域ではあったので、足をパンパンに腹しながらですね、朝早くから自転車を越えて登校していた記憶がよみがえるんですが、
高校が終わった後、帰り道の途中にレンタルCD屋さんがあったので、やっぱりそこにもう毎日とは言わないまでも結構な頻度を通っていてですね、
新譜が出たらレンタルをして、で、お金がもったいないので借りたその日にMDに全部録音してですね、
翌日の朝ポストに返すみたいな日々だったように思います。
またラジオもそうですね、高校生時代も音楽に関するラジオはよく聞いていたので、よくあるじゃないですか、
宇宙発オンエアみたいな言葉と一緒にですね、まだ未解禁の曲を、リリース前の曲をかけるっていうことがよく行われていたんじゃないかと思うんですけれども、
それをいち早く自分のものにしたくてですね、宇宙発オンエアっていうキーワードが聞こえたら、
MDをですね、当時持っていたKENWOODのMDランページっていうコンポの中に入れてですね、
録音スタンバイして、それで新曲をMDに録音をして、
翌日学校に持って行って、友達に新曲だよって言って聞かせて、熱に浸るみたいなことをしていました。
そんな風に音楽を聞いて過ごしていた高校時代だったかなと思っています。
で、私が高校時代の頃っていうのは、
もう小室さんのようなプロデュース的な音楽っていうのはあまり世の中には出てこなくなってしまっていて、
どちらかというとやっぱり自分自身で詩や曲を書いて、それを自分で歌って表現する、
いわばシンガーソングライター的なアーティストが台頭してきたような時代だったように思います。
まあなので自分自身も歌うことはとても好きだったので、
自分自身で曲を書いて、いつの日か歌って人前で発表できるようになれたらいいなぁみたいなことを、
漠然とそんなに強くは思っていなかったかもしれないんですけれども、
なんか潜在的にそんなことを考えていたような気がしています。
当時はすごかったですからね。
歌田ひかるをはじめ、椎名林檎とか愛子とか、
そういった自分自身で曲を書く歌姫的なミュージシャンがたくさん出てきていた時代でしたもんね。
なので少なくともそういった人たちの音楽に自分自身は影響を受けているんじゃないのかなというふうに思っています。
大学時代のバンド活動とジャムセッション
それから少し私は浪人生活を経てですね、大学に進学するんですが、
やっぱり生演奏をバックに歌ってみたかったので、
慶恩サークルにボーカルとして入ったんですけれども、
最初はやっぱり歌のことしか考えないでサークル活動に臨んでいたんですね。
ただその最初に組んだバンドのドラマーの男の子が、
フュージョンとかをよく聴くすごい上手な男の子だったんです。
で、その子と新入生ライブを終えた後の打ち上げの席で、
次はこんな曲がやってみたいんだよねっていうふうに言って聴かせてくれたのが、
森ひろたかという男性のシンガーソングライターなんですが、
ジャンルとしてはファンク系で、
ファンクっていうのもやっぱりアレンジメント的にはブラックミュージックに属するものなので、
すごくかっこいいなと思って、
彼の曲を含めて新しくバンドを作ってみようというふうになりまして、
大学2年生の時でしたかね。
大学は関西だったんですけど、
鳩緑地公園の音楽堂でそのバンドでライブをやったことがあります。
ライブ自体は複数の大学が参加するタイプの合同イベントだったんですけれど、
イベントのトップバッターとして私が所属しているバンドが歌うことになりまして、
そこで初めて森ひろたかの曲を含む計5曲を演奏した記憶があります。
森くんの曲をコピーしたりだとかして、
やっぱり思ったこととしてはアンサンブルの重要性であったりだとか、
音楽を演奏する上でグルーヴというものの存在がものすごく大切なんだなということにその時気づかされたんですね。
そのプレイヤー一人一人が持っているノリというものが組み合わさることでグルーヴっていうのが作られるものだと思うんですけど、
各メンバーが音源聞いた通りに演奏はするんですけど、
一人一人のタイム感ってやっぱり音源通りにはいかないんですよね。
なので何回コピーしても音源通りのグルーヴにならないねみたいな壁を感じていたような記憶があります。
なので自分自身も歌を歌うだけではなくて、
他の楽器を使って演奏している人たちの立場というものを知っていないといけないような、
そうじゃないと他のバンドメンバーとコミュニケーションが取れないじゃないかっていうふうに意識するようになりまして、
そこからアコースティックギターを持つようになったり、
かなりアンカーではあったんですが、
シンセサイザーなんかを購入してお家で少しずつ弾いてコードというものを覚えていった記憶があります。
当時持っていたアコースティックギターは確かモーリスのアコギで、
親戚のおじさんが持っているのをちょっとそのままお借りしていたものでしたかね。
そして自分が初めて買ったシンセサイザーはヤマハのMM6っていう結構奥行きのあるシンセサイザーだったかなというふうに思っています。
ボーカルではありましたが、コード書きくらいは持っておいた方がいいんじゃないかとも思いましたし、
結構音感というものがすごく大事にはなってくるので、
そういったものをちょっと所有していたっていう時期がありましたね。
なんですけど、自分がやりたいファンクとかソウルとかR&B的なブラックミュージック的な音楽っていうのは、
あんまり所属していたサークル内では需要がなくてですね、
やりたいですって言ったところで、難しくてできないんだよねっていうふうに言われることも多く、
なかなか自分自身のやってみたい音楽の形っていうのが実現できなくて、
それでフラストレーションがどんどん溜まっていき、
2年も経たないうちに自分から退部をしました。
で、何らかの形でやっぱりそういう音楽をやっていたいなというふうに思っていたので、
当時ミクシーって流行ってたじゃないですか。
あのコミュニティの中でジャムセッションというものがあるらしいと。
で、そのジャムセッションに参加をして、最初はジャズから入ったんですけど、
アドリブで少しメロディーを変えて歌ってみたりだとか、スキャットなんかを入れたりしてやってまいりました。
ただジャズではないんだよなーみたいなことは思っていたんですけど、
当時は兵庫県に住んでたんですが、大阪の方まで行けば、
そのソウルやファンク系のセッションもあるよっていうのを聞きまして、
大阪まで足を運び、そういったセッションに参加するようになりました。
当時やっていたものとしては、
マイケル・ジャクソンとか、スティービー・ワンダーとか、マーヴィン・ゲイといった、
すごくエヴァーグリーンなセッション向きの曲たちばかりでしたね。
やっぱり誰かと一緒にバンド、楽器、音を通して音楽で会話をするじゃないですけど、
なんかそういう時間がものすごく自分の中では楽しかったですし、
あとバンドを結成するっていうのも、
結構人間関係とか、時間の調整とか、結構めんどくさいじゃないですか。
そういっためんどくささっていうものがセッションにはないので、
何の後腐れもなく、しかも僕はボーカルだったので、
その身一つでつるっと歌って帰ってくるだけだったので、
ものすごく楽な気持ちで音楽ができていたんですよね。
そういった時間がすごくなんか楽しかったように思っています。
大学院時代とシンガーソングライターとの出会い
で、大学を卒業し、その後大学院に行くことになるんですが、
大学院は大阪だったんですよね。
大阪はやっぱり音楽が比較的盛り上がっている地域ではあるので、
ジャムセッションもそうなんですけれども、
当時は北節地域に住んでいたので、
茨城市とか高槻市といったところまで足を運んで、
ライブバーにお邪魔させていただくこととかも結構ありました。
で、その茨城市のライブバーでですね、
今も活動はされていらっしゃると思うんですけれども、
ブルース系の男性、シンガーソングライターの方なんですけど、
栗田ひろきさんという方とお知り合いになりまして、
彼と初めて会った時に、
僕もたまに歌を歌っているんですっていう話をしたら、
君歌えるの?って言われて、
ちょっとなんか曲をギターで弾くから歌ってごらんよって言われてですね、
ちょっとしたセッションが始まったんです。
で、その時歌ったのがスティービーワンダーの
Isn't She Lovelyだったと思うんですけど、
こんな本当にわざわざギターを後ろで弾いてくださる機会だなんて、
ちょっと言われて嬉しかったもんですから、
結構思い切って歌ってみたところ、
なんか君もっと歌った方がいいよねみたいなこと言われまして、
正直照れくさかったんですけど、
ただその方は本当に脱サラをして、
本格的にギター1本で音楽活動をされていた方だったので、
なんかそういう人に私の歌を評価してもらえたっていうのが、
なんかすごくリップサービスだったかもしれないんですけど、
すごく嬉しかった記憶がありますね。
まあ私自身堂々と歌えばするんですけど、
どこかしらやっぱり自分自身の声とか歌声とか、
技術的な面で自信がないところもあったりするので、
すごくそういうふうに評価していただけていたっていうことが、
少し自分自身の中で自信になったと言いますかね。
そんなことがありました。
それでそのクリッタさんにはいろいろなミュージシャンの仲間がいらっしゃって、
松本たかおみさんという方ですとか、
そういった人たちとも結構会場でお会いして、
お酒とかを飲みながら音楽の話をさせていただいたりもして、
大阪にいた時代はそういった意味ですごく楽しかった時代でしたね。
で、その後私はなんやかんや会って、
東京での音楽活動と高円寺トランポリン
今東京に移り住み8年ほどが経過しているんですけど、
やっぱり東京の方がそういった音楽シーンとしては、
もう本当にど真ん中の地域ではあるので、
池袋とか大久保にあるセッション箱に時折通ったりして、
ジャムセッションを楽しんでいた時期がありました。
そしてそれと同時に東京に来たばっかりの時期に、
高円寺のトランポリンというお店にも初めて顔を出して、
トランポリンがオープンしてから1年ぐらい経った後ぐらいだったと思うんですけど、
初めてそこにお邪魔させていただいた時に、
そこのお店は音楽のライブも見れるような構造にはなっていたので、
大阪にいた頃に通っていたライブバーになんか少し雰囲気が似ているような、
すごくアットホームな感じの雰囲気が似ていたような感じもあって、
すごく気に入ってちょこちょこ通わせてもらっております。
で、私セクシャリティーがゲイなので、
たまにその東京の2丁目とかには関西に住んでいた時期なんかも、
たまに東京まで足を運んで夜のイベントだったりとか、
参加していたこともあったんですけど、
なんかその2丁目の独特なノリみたいなものは、
もう自分いいかなみたいなふうに思っているところもあって、
で、そこの高円寺トランポリン店主のトラさんも、
以前はエバーグリーンというお店で雇われママとして働いていた時期があったんですけれども、
そこを一旦お店を閉店した後は、
高円寺で自分のお店を構えたいんだっていう目標があったんじゃないのかなと思うんですけど、
まあオープンされてっていうお店なんですね。
で、トラさんはすごく音楽が本当に好きな方なので、
ライブもできるような場所になっているんですけど、
自分自身もあの場所はすごく気に入っています。
で、5年ぐらい前ですかね、
そのトランポリンの中でオープンマイクというイベントが始まるようになりまして、
オープンマイクっていうのは、
そのお店にあるスピーカーとかマイクとかアンプとか、
そういった機材は貸し出して、
そこのスペースを使ってですね、
お店に来たお客さんがギターや鍵盤を使って歌を歌ったり演奏することができる、
ステージを開放して音楽を楽しむイベントみたいな感じですね。
それで私自身もギターやキーボードは持っていたんですが、
あんまりそういったものを使って人前で演奏をするっていう機会が全くなかったんです。
まあなので、ちょっとそういったイベントに参加してみるのもいいかなと思いまして、
不定期的にではあるんですが、参加させてもらっています。
で、私自身そんな楽器の演奏っていうのがあんまり得意ではないので、
弾き語り自体もものすごく緊張しながらしているんですけれど、
まあでも結構のめり込むようなところもあったりするので、
わりと楽しくオープンマイクの方にも参加させていただいているという感じですかね。
なので、今結構Apple Musicなんかで聞いている音楽は、
弾き語りのものとかも結構多くなってきて、
こういうテクニックを使うといいのかなみたいなところも、
すごくそういったところまで結構耳を傾けて聞くようにはなりました。
ただそれがね、自分自身でできるかどうかって言ったら、
それはまた別で難しいんですよね。
その歌のふわりとギターの刻み方っていうのが一致しなかったりするので、
結構弾き語りって奥が深いんですよね。
そういった奥深さとか難しさっていうのも楽しみながら、
今は音楽に触れることができているような感じですかね。
はい、こんな感じで今に至ります。
エンディングと今後の展望
はい、エンディングです。
えー、トータルでだいたいもうこれ30分ぐらいずっと喋っていたんじゃないんですかね。
皆さん、最後までこれ聞いてくれているのかわからないっていうか、
重要あるかなーっていうちょっと話になってしまったんですけど、
はい、こんな感じでですね、
今日は第一回目ということで、
私の音楽変歴のようなものをお送りさせていただきました。
ここで話したこと以外にも音楽にまつわるエピソードを掘り起こそうと思えばたくさんあるんですが、
まずはまあ自己紹介がてらーと言いますか、
こんな感じで今日は終わろうかなと思っています。
えー、この番組なんですが、今のところ特にお便りとかの募集っていうのは考えていなくて、
まあ何かしら重要あるかわからないんですけどね。
しばらくは私の方でテーマを決めてですね、話していければなーと思っています。
それでは東京の片隅のワンルームマンションの一室からネシーがお送りいたしました。
じゃあね。