はじめてのカタカムナ
この番組は、書籍、初めてのカタカムナを、より詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形でお伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
ごきげんよう、マコットです。あっこさん、今週もよろしくお願いいたします。
お願いします。
いやいや、この収録と収録の間、深い話になっちゃいましたね。
合間にどんだけ喋んねんっていうね。
そうですよね。いやでもね、この話は、今もあっこさんとちょっと喋ってて、
この音声だけではなく、ちゃんとしたセミナーとかね、なんかそういうのに参加していただいて、
あと多くの人にこのカタカムナを通して、自己解放というか、何て言うんですかね、自己成長?みたいな感じのことを。
生成発展でございますね。
そういうのもちょっと感じていただけたらなと思いますね。
それがね、何かの経典とかいうことではなく、日本語っていうものが元になっているとね、非常にカジュアルでフラットだなって思うんで。
そうですよね。ぜひぜひぜひ。ゆくゆくはね、そういったセミナーとかも案内させていただけたらなと思いますので、
まずはラジオでこの本の中身をちょっと熟読というかね、感じていただいて、自己成長につなげていっていただけたらなと思いますね。
ありがとうございます。では今週もよろしくお願いいたします。
初めてのカタカムナ。
では改めまして、今週もあっこさんよろしくお願いいたします。
今日は114ページからですね、見えないところでつなぐ音でございます。
猫のねえですね。
このカタカナで書いたときの音のね、イメージもしていただいたらとは思うんですけど、女性の名前によく使われるのがねですね。
我が家には3姉妹がおりますが、女子たちは年長ぐらいになるとすでにグルーピングを始めます。
Aちゃんグループ、Bちゃんグループが出来上がって、他のグループを横目に見ながら、ちょっと嫌な感じですよね。
ねーっと示し合ったりします。
いかにも女子っぽいんですが、これは大人になってからもオフィスの片隅やランチの時にも見られるやりとりですよね。
なんでこれ女子はグループになるんでしょうね。
暗黙の了解ってやつですよね。
女子がグループになる理由はやっぱりアワーは、集団で生きることによって生き延びる確率が高まったっていうことにほかならないと思います。
集団に所属すると、コミュニティであそこの先生高野でとか、あっちの方が安いでとか、そういうのって生き延びる術ですよね。
やっぱりその情報が入ってこないと生き延びられないですからね。
そうなんです。周りと仲良くするっていうことが、アワーの身近なところにつながりを持つっていう術だったと思うので。
だからここですね、例えばPTAでお母さん方は会の後廊下にちょっと出てから、これは教室ではやらないんですよね。
行動とか。
そこでは本当にその場ではことあげをしない、喧嘩をしないっていうのが文化ですよね。
会の後廊下にちょっと出てから、目を見合わせることがございますよね。
その場で具体的にことあげなどしない。
名指しにもしませんが、後で暗黙の了解であるカフェに行って、誰かの家におやつ持って集まって、好きなだけおしゃべりをします。
今年の京都ってああやったなとか、あの事件ってやっぱりこうやったみたいなね。
おやつはいくらまでみたいな。
もう情報がその根の一音に詰まってるんですよ。
それはね、やっぱりお母さんたち皆さん納得されますよね。
そうやなっていう。
根は一音で全てを押し量ることができる優れたコミュニケーション術です。
そして根っこであるからこそ基本は表に出ません。
水面下の動きです。
私たち根底でつながってるわよねっていうのが根のやりとりです。
内緒のライングループとかね、あるわけですよ。
だから根深いし、根ちっこいし、ねちねちしてるとも言いますが、
同時に例として農業されている方は、
稲花の植物、雑草がいかに生命力が強いかということをよくご存知だと思います。
生えてきた時、目に見えるまで減少化した時にはもう遅い。
そうですね。
時すでに遅しい。梅雨が明けたらもうダメです。
地下ではすでに根が広がっています。
広がってますよねこれね。
根回しが出来上がってるんですよ。
それぐらい生命力が強く、ヒデリア水害にも頼るイネが、
長らく日本で人々を養うための主食になっているゆえんでもあるのでしょう。
本だとその上の方にイとネとウィなんですけれども正確に。
図書を組み合わせるとこんな風になるって非常に安定感があり。
そうですよね。
ネって音はカタカナの図書だと、だってもう米印だから。
本当にそうですよね。十字架というかプラスに四小弦の中に丸が四つあって。
普通に米屋にこう書いてあります。
米っていう字ですよね。
そうなんです。辻褄が合いすぎると言いますかね。
だからネっていうのは、次ですね。
116ページにも表も裏も共感の音と書いてあります。
そんな風にネという音にも表裏両方の意味があります。
ネっていうインな感じのコミュニケーションも表に返すと変わってくるので。
これがね、パーティーとかで通訳をしてた時の体験なんですね。
これどうやって訳そうかなと迷ったフレーズは良かったネっていうコメントだったんです。
日本語は、海外で勉強されてる方とかもね、いつもここに文句があるみたいなんですけど、
曖昧な言語なので主語がないって言われる。
一人称二人称がないって。
例えば無事に赤ちゃんが生まれて良かったネっておばちゃんが言う時の主語は誰でしょうか。
本当ですね。
これがネをつけずに良かったーって言う時に主語は明らかに私なんだなってことが分かるんですよ。
違いがはっきりするんですよ。
あの地震でどうやったって無事やったネ良かったーって言ったらもう私個人が安心したですよね。
でも良かったネって言ったら途端に感覚的な主語はみんなになるんですよ。
そうですよね。
私ばかりでなくですよね。
もちろん私も嬉しいし、ご家族お友達も、親類ご偏者の方々もね、見えないご先祖とか全てみんな喜んでるネっていうぐらいまで主語が広がっちゃうんですよ。
本当言われてみないと分からないですけど言われたら本当にそうですよね。
本当にその語尾で主語変わるのやめてくれるっていうね。
よく日本語を学ぶ人は。
だから何々しますかしませんかで、否定か肯定かが一番最後に来るんで聞いてないと分かんない。
でも助詞をよく聞いてると、だからがなのかはなのかとか松永先生がいつもおっしゃるのはね。
それこそ文脈を理解してたらだんだんこれは肯定をしようとしてるのか否定をしようとしてるのかっていうのを私たちはやっぱり推し図っていて。
だから空気読んでるんですよ。
ヤバくない?
もう勉強してる人かわいそうって感じなんですけど。
そうでしょうね。
主語が広がっちゃうので根っこはつながり広がって同じ気持ちだよねっていうものだからなんですね。
だからこんな風に私もあなたも同じように感じてるよねっていういわゆる同調圧力なんですよこれ。
だからみんなでマスクしなきゃねみたいな。
一人でも打ってなかったらヤバいことになるって言われる保育園とかのワクチンとかね言われちゃうのも結局同じことの裏表なのかなとも思うんですね。
なので良くも悪くも共感の音なわけですよ。
私の思うに日本語の万能のコメントというのはですから、前回のマと組み合わせてね。
これですよ。
わかります?何にも言ってない。
そうですね。
これ相手が怒ってても喜んでても使えるコメントで実は内容的には否定も肯定もしていません。
要するに何にも意見を述べていないのにもかかわらずなぜかその場が収まっちゃう。
それはマの威力と根の威力が合わさっているからで、マは全ての隙間を埋める音であり、まあまあまあいいじゃないのっていう音ですよね。
根は全てを繋ぐ音であればこそだと思いますと言っております。
だからそれこそあの教徒どう思うって言われた時に同意するのもまずい。
同意しないのもまずい。
そういう時にまあそうだよねってよく。
なんて都合のいい言葉だよ。
いやほんまそうなんですよ。何でも収まっちゃう。素晴らしいと思います。
でもどうもーもそうなんですよ。
どうもどうもどうもですまわしちゃうってよく言われるじゃないですか。
とうともうっていうのはまあ時計合わすと方向するでしょうね。
もうはやっぱモヤモヤよくわかんない状態なんですよ。
どうもどうもどうも。いや間埋まるよなそれあって。
思っちゃったりね。
なんかモヤモヤを統合してモヤモヤを統合してみたいな。
うまいこと間を繋ぐわけですよね。
次の流れになるまでの関係性とか時間とかうまいことを繋いでいって
波風立たない角が立たないっていうことをみんなでそれこそ和を持って唐突をなすに繋がるわけですよね。
その時ってどうもどうもってまあねーって。
いい言葉ですね。
いいですよ。ほんま不思議だったんですよ。
否定も肯定もしてない。何の意見も述べてない。
だからね訳すとき困るんですよ。
あーそうかそうか。
まあねーっていうとき。なくはないですよ。そういう英語の表現とかも。
うぇおーとか言ったりするし、なんかそうそうとかね。
いろいろ言い方はあるんですけど。
でも日本語のようになんかそういう決まりきった表現というか。
それでみんなが納得しちゃうなんてすごいなと思います。
結局は私の意見はこうですっていうことを明確にしないとやっぱりこう欧米の言語では
まあその人が一人前と認められないというかね。
そうなんですね。
意見を持ってないってことになりますよね。意思表示をしなかったっていうことになる。
なるほどね。
だから日本だと逆っぽいですよね。
自分の意見を押し通すのは幼い子供だみたいな。
沈黙は気になるみたいな。
そうですね。
それはねやっぱり存在感を呼んでるんですよ。その場合。
その方がすべてを踏まえた上で何も言わずにそこにいらっしゃるのか。
もしくはほんまに何もわかってないのか。
それってそこにいる人が多分共通で共感感じ取ってると思うんですよね。
同じ沈黙でも。
おさまるかどうかっていうの。おさであるかどうかっていうのはね。そんな気がします。
深いなあ。
日本語ねすごいですよ。
次ですね。117ページ。
次は14の形の成り立ちのことをお伝えしていきたいと思います。
カタカムナにはカの音が2回も出てきます。
カの形は十字の最初のところに丸があります。
ここに丸があるのはヒとかアとかカーなどの音で、
日本語で言うとどれも明るい始まりのニュアンスがなんとなく感じられるというか、
ですのでカっていう音も共通して始まりの元の始源のという思念、ニュアンスがあると思っててください。
それからカっていう音には外側の大きい丸がありませんので、
お本持ちの方は見ていただきたいと思います。
118ページの方に載ってます。
外側の大きい丸は惑星で言うと、惑星の軌道を表すっていうことをね、
前回前にお伝えしたかと思うんですけど、惑星の軌道はレールが敷いてあるわけではないですよね。
お月様とか太陽系とか。
でもそこからそっちをはみ出したり飛び出したりは急にはしないものなので、
この制限周期性を持ってこの範囲内で動きますということは何万年かぐらいはこのまま動くわけですよね。
で、この大きな丸、惑星で言えば軌道がないっていうことは制限がない、無限のということを表してるんですよ。
なので、合わせるとカっていう音は、資源の無限のっていうニュアンスがあるってことなんです。
資源があるので、例えば月物を取るとき、私は年代だと織田武道さんとか覚えてます。
月物を取るときにカーって言われますね。
叫んだり、上司からカツを入れられるとか、先輩からコーチからとかね。
カっていう音は確かに強い感じですね。だってカって書いてパワーって読むんだからね。
力と読むように、同じ存在でも呼び名によってママだと柔らかいけど、母ちゃんは確かに絶対的権力者のように聞こえます。
おかみさん、母ちゃんはそうですよね。
だからね、時々言うんですけど、前も言いましたっけ。
私はマミーって呼ばれるんですね。子供たちからは。
私みたいな性格の人間を、さぬき女をですね、いわばよく喋るような、本書いちゃうようなさぬき女は、母ちゃんとかカッカとかって呼ばせたら、もうちょっと強くなりすぎて、手がつけられないみたいな感じになっちゃうと思うんですね。
だからマミーっていう音で和らげたりとかしていて。
逆に本当ね、カッカとか母ちゃんと呼ばれてる人って、存在感がすごい優しすぎるぐらいの柔らかい人が多かったりするんですよ。
当社調べ。
私個人の統計によると。
だからその存在感をどういうふうに呼ぶかによって、一人称たくさんありますからね。
どういうふうな表現にするかによって弱めたり強めたり、バランスとってるなって思うことがとってもあります。
なるほどね。本当に呼び方一つでその表現というかエネルギーとかって変わりますもんね。
そうですそうです。
だから家族の中で例えば男の子が夏休みとか境に俺って言い始めたみたいな。
とか言うの、僕だったのにとか。
でももうビジネスやりだしたら私になったりだとかね。
そういうやっぱり存在感をバランスとっていく。
変容させていくっていうのもね。
やっぱ言葉に合わせていくっていうのってね、あったりしますよね。
なるほどな。
カタカムナで言う神とは。
神っていう言葉もカタカムナ神って出てくるんですけど、
あくまで、か、資源の、無限の、そして、み、その本質という意味になります。
カタカムナで捉えられている神は特定のお姿やお名前のある概念ではないんですね。
どちらかというとネイティブの方たちの大自然を指すGreat Spiritとかね。
サムシンググレートとかね。
大いなる創造主みたいな近い感覚ではないかなと思います。
だって大自然を生み出している大元のことを言ってるもんね。
そうですね。
で、川神っていう時の神も同じで、
その資源の無限の川の源のことを言ってますよね。
川は水が山で自然と湧き出したりだとか、雨が降ったりしたものがいつしか、
いわし水とかですね、大きく集まってきたもので、
私たちはありがたいことによって、その恵みによって潤ったりとか、
食べ物を養ったりとかして生きています。
川神とは、それをもたらす無限の源の根源のことを言ってる。
ので、上古代の人たちはそういう感覚を持っていたからこそ川神と表現したんでしょう。
なので神、カタカナでいうところの神って、
だって川ってね、源流とか遡ってみたことありません?
僕は実際に見たことはないですけど、テレビとかでやったらポコポコポコポコって出てくる。
これが大河につながる始まりなのかみたいな。
でもこれ一個じゃないですよね。
地下水っていろんなところから湧き出ていて、
ある程度の高度のところになったらそれがいくつかの流れ、
青川になってせせらぎが小川になってみたいな。
それがいくつかまた集まって血管が太くなっていくような感じですよね。
だからわからないんですよ。
誰が飲ませてくれてるのか。
そうですね。
それを便利に出たり止めたりできるようにしたのが水道っていうことですけど、
今回もね、いろんな水害があちこちで、地震も水害もありますけれども、
もともと私たちが汲みに行っていた川とか井戸とか、湧き水とかっていうのって、
誰がもたらしてるかわかんないんです。
本当ですよね。
だけど湧いてるんですよ。
私ね、カタカムナあちこちお伝えに行きますでしょ。
岐阜の中津川ってとこね。
岐阜とか長野とかやっぱすごいお水が豊かですよね。
アルプスとかあるから。
ロッコもね、おいしい水がありますけれども、ロッコとスケールが全然違いますからね。
呼んでいただいたお宅の裏にはずっとザーッて音がしてるんですよ。
すごいですね。
中津川って孫めしくとか妻ごめしくとか行かれたことあるかと。
この前電車で通っただけで、ここが中津川かみたいな感じで。
行ったらびっくりしたんですけど、日本人観光客ほぼいないのね。
もう海外から湾坂バスで乗りつけてきてて、お店のおじちゃんおばちゃんたちも慣れたもんで、
ハンドレッド、ハンドレッドとか言ってるんですよね。
チョコレート、バニラみたいなこと言ってるんですよ。
だからもう全然海外の人ばっかり。
彼らはやっぱり江戸時代から以前から残っている街道が、いまだにトレッキングで回れるみたいなのが、やっぱりすごい価値があるんですよね。
しかも治安もいいし、いろんなものがおいしいし。
だからそのびっくりしたところに行くと、お家の裏に流れてる水が湧き水なんですよね。
すごいな。いいな。
その街道の横もずっとめちゃめちゃ、ほんと今すぐでも全然飲めるような水がずっと流れてるわけですよね。
みんなそれで大根を洗ったりだとか、足を冷やしたりだとか、いろんなことしてるわけなんだけど。
湯水のようにっていう表現が日本語であることはよく言われますよね。
だからもう寝てようが、いらなかろうがずっと流れてるんですよ。
これものすごい、それこそさっきも話出ましたけど、豊かなんですよ。
そうですよね。
砂漠の国の人からしたらはたかれますよ。
本当、湯水のようにってどういうことやねんみたいな。
だからその水の資源の豊かさっていうのがこうやって止まっちゃったりするとよくわかりますよね。
本当そうですよね。そういう災害の時に、そこで感じるっていうのもよくないかもしれないですけど。
よくないけどやっぱり自覚できなくなっちゃうことですよね。
だから当たり前だと思ってしまうっていうところを、時々こういう局所的にいろんなことがあると、思い直させていただけるっていうかね。
やっぱり自分が運べるだけの水の分量で、どれぐらい暮らしていけるかっていう実験をやってみてくださいってよくね。
なるほど、なるほど。
それが例えばタワマンとかに住んでたら、何キロも持って上がれないから絶対に。
なので、どこに住んで何歳の時に何キロ持てるかみたいな。
なるほどね。
そういうやっぱり、10年前持てたものが今持てないじゃない?
持てないですね。
それも変化していくから、やっぱりその時々で見直していただくのがいいかなとかね。やっぱり経験者としてはいつも思っちゃいます。
ということで、神とは何かって。だから、いわゆる偶像ではないっていうことなんですよね。
カタカムネでいうところの神は、御姿や御名前はありません。
無限の源から、ふんだんに与えられているもの、その元の本質のことを神って言うから。
なるほどね。
っていう感じでございます。
やっぱりこうやって一文字一文字紐解いていけるっていうのがこのカタカムネの良さで、
こうやって言っていただいたら、あ、なるほどなーって。いや、それ違うやろって何にするのね。
今まで僕もずっと聞いてますけど、常になるほど、なるほど、なるほどって。
すごい実感が湧くというか。
そうなんですよ。っていうのは、もっと難しい説明とか概念とかもあるんですけれど、
私ごときでというか、私レベルで理解できることを共感していただけるだろうなって抽出してる感じなので。
でも本当に腹から納得できないと、そこから先知りたいと思わないでしょ。
そうですよね。
だからそれはあるあるあるってポンポンポンって押せるやつじゃないと、やっぱりみんなで一緒に進めないなって思うから。
だからこそ、あこさんは初めてのっていうところで入り口を担当してますみたいなところなのかなと思いますよね。
そうですそうです。入り口がわかるだけで十分生きるのが楽になるんだったら、それに越したことはないですよね。
なのでね、やっぱりこの本というかこのラジオの中でカタカムナに慣れ親しんでいただいて、
さらにもっともっと知りたいなーみたいなことはね、ぜひぜひあこさんのアメブロ?
何で検索したら?
アメブロですね。アメブロとかインスタ、フェイスブックにも生息しております。
意外にあちこちでセミナーとかされてたりとかもするので、なんかこうそういうので検索していただいて、
もっともっと知りたいなーっていう方はね、どんどんどんどん沼のように。
たぶん深さがあるんじゃないのかなーとは思いますけどね。
言語に埋め込まれた概念だったり、法則だったりするとするならば、やっぱり本当に何かとぶつかっちゃったりとかね、
するものじゃないと思うから、みんなそれぞれ根差してるじゃないですか、言葉って。
一番安全なんじゃないかなーって思ってるので。
そうですよね。ぜひぜひぜひこれに触れていっていただけたらなと思いますね。
はい、次120ページもいっちゃおうかな。これもね、だからね、そうやって一音一音を考えていくと、
この考えるっていうのはカムにカヘルこと。
古典カナ図解、私昔から好きでね。考えるっていうのは古典カナ図解で書くとカムカヘルって書くんですよね。
でカタカムナのカムナの部分はムを抜いてカナと表すなら漢字では仮のナと書きます。
ただ人名神名と音読みされる漢字では神様のお名前と書かれているものですよね。
でムが消えることで神様が仮になっちゃう。
カムナがカナになっちゃうからと驚きました。
でカが四言の無言のムが見えないけれども充満しているもの、そこに核があるっていうのがカムナという意味になるので、
それから考えるという意味もカムにカヘルんだって。
分かりやすい。
見えない世界に戦勝世界に一回戻るぐらいまで突き詰めるっていうのがカムカヘルってことなんだなって。
で見えないところの根源に帰る、元に帰ると答えが分かるっていうことでしょう。
それがもともとの考えるっていう言葉なんだということを知ったときも、なるほどなと思いました。
本当にそれなるほどなーって思いますね。
だからまあいわゆるスピリチュアルで表現するアカシックレコードみたいなね。
だからそこまでなんでなんやろうなんでなんやろう、究極に言うと例えばなんで生きてるんやろうとか、なんで生まれてきたんやろうとか、
哲学的な問いだとしたら考えるとそうじゃないですか。
でそれをカムに変えると答えが分かる。
それが考えるっていうこと。
そうですよね。
はぁーってなりますよね。
本当に本当にそうですよね。
嬉しい。聞いてる人もちょっとなってくれたら嬉しいですよね。
やっぱりその神に変えるのが考える。
そうなんですよ。
だから古典金塚屋が好きでね、うち両親も本が好きだとか自動文学全集とかあったんですよ。
古典金塚屋の桃太郎とかね、日本のすごい好きだったんです。竹取物語とかさ、
ああいうのが古典金塚屋で書いてあるときに違う表現になっているのがすごく面白くて、
なんでなんやろうなーって、例えばうんうんとかね、そのっていうのとかも漢字で書かれてると小学生だとパッと読めないわけですよ。
でも何回も出てくる、それこそ文脈読むと、あ、これそって読むんだっていうのがだんだんわかってくるみたいな感じをやってたんですよね。
でそれがなんで好きだったのかっていうのも廊下のところでね、一冊ずつ出してきてね、朗読してたんですよ。
すごいですね。
朗読が趣味だったの。で、それどうしてだったのかっていうのをカタカナを知り、カタカナ音読法を知ったことで、
そうだからだったのかって。
なるほどね。やっぱりつながってるんですね。小さい頃から。
そう、無駄はないんですよ。びっくりしました。
だから皆さんにもそういうつながりのあることがね、過去に必ず終わりだと思うので、そういうの見つけていくの楽しいですね。
楽しそうですね。
いやもう本当に今週も深い話ありがとうございました。
ありがとうございました。