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025 日本の高度経済成長の裏に、超古代の「電気物理」があった!?[2026.9.18放送]
2026-09-28 30:00

025 日本の高度経済成長の裏に、超古代の「電気物理」があった!?[2026.9.18放送]

インタビュアーのMacott(マコット)です。


今週の放送は、日本の高度経済成長の裏に、超古代の「電気物理」があった!?


戦後の日本がモノづくりで急速に復興を遂げた背景には、世に出なかったカタカムナの「電気物理」が水面下で応用されていたという驚きの説が……!


今回の放送は、歴史や物理が好きな人にはたまらないロマンが満載です!


物理学者の楢崎先生が、わずか数枚の葉っぱでお湯を沸かすラウサン老師に満州で出会い、日本の古代文明「アシア」や特殊な文字の存在を知らされたエピソードや帰国後、神戸の金鳥山で研究を続けていた楢崎先生の前に現れた、謎の猟師がもたらしたカタカムナの巻物の秘密など、カタカムナの歴史やどのようにしてカタカムナが受け継がれてきたかなど、カタカムナを通して日本の歴史が紐解かれていきます。


また、神社の本殿に飾られているのは、美しい彫刻ではなく、ただの「鏡」。

そこに映る「自分自身」に向き合うという、日本人の粋で美しい演出の秘密や居心地の良い場を作るために、床下に「炭」を埋める空間の整え方(イヤシロチ【弥盛地】とケガレチ【氣枯地】)

そして、現代の健康法や食事法にも、実はカタカムナのルーツが息づいていることなど、聞きどころ満載です。

ぜひ今週も、最後までお楽しみください!

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サマリー

今回は『はじめてのカタカムナ』をもとに、カタカムナ文献の発見経緯と、日本の歴史・科学・暮らしとのつながりを語る。物理学者の奈良崎光月先生が満州でラウサン老師に出会い、アシア族や特殊な文字を知らされ、帰国後に金鳥山でカタカムナの巻物と出会ったという話が紹介される。カタカムナは農業、健康法、マクロビオティック、ヨガ、土地の整え方などにも関係するとされ、床下に炭を埋めるイヤシロチの考え方や、戦後日本のものづくりを支えた電気物理の説にも触れる。後半では、カタカムナを宗教や派閥に固定せず、生活で実践する姿勢が強調される。神社の鏡に自分自身を映し、特定の神像ではなく自分を見つめる日本独自の演出についても話が広がる。

「いま」の音から見る日本語の抽象性
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はじめてのカタカムナ
この番組は、書籍、はじめてのカタカムナを、より詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形でお伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
ごきげんよう、マコットです。
マコさん、今週もよろしくお願いいたします。
お願いします。
先週のね、最後、「考えるは神に変える」、「神に変える。」
すごいなーって、すごいこうジーンと感じましたね。
大元に立ち戻ると答えがわかるっていうね、すごいなと思います。日本語って。
本当にそうですよね。
本当。
だから、それまでは考えるって悩むみたいなイメージでしたけれども、
神様に変えていくんやって思うと、どんどん考えようって思いました。
源にね、よみがえると答えを持って帰れる、ちょっとファンタジックじゃないですか。
そうですね。
ねー。
ぜひぜひ皆さんもそういうことを参考にしながら、
楽しんでいただきたいですね。
このはじめてのカタカムナを味わってください。
では今週もお願いします。
はじめてのカタカムナ
では子さん、どんどんいきましょう。
ありがとうございます。120ページのですね、今といまを聞き分ける。
こうやって音読すると一緒ですもんね。
そうですよね。
音の組み合わせで言葉ができるということに関して、もうちょっといまという言葉を例に見てみましょう。
例えば小学生の子がお友達を呼びに行って、まるまるちゃんいるーって尋ねるとします。
お休みとか放課後とかね。
いまいるよって言われるか、いまにいるよって言われるかで、
意味の違いは小学生のお子さんも聞き分けることができます。
いまいるよだったら、さっきまでお出かけしてたけど、いまならいるよっていうことですよね。
で、現象に出る瞬間の時間のことを言っています。
いまにいるよと言ったら、おにかえじゃなくてリビングにいるよってこと。
現象に出る瞬間の、この場合は空間のことを言っています。
いは現象に出る瞬間なので、そしてまは時間のことも空間のことも両方を表すことができます。
こうしてどちらもいまと表現できてしまうように、日本語というのは抽象度が高い言語なんです。
それゆえにあいまいな言語だと言われるのは、いろいろな意味合いを同時に多く含むためでしょう。
想像ではありますが、おそらく古代では一つの音で全部が伝わる感覚だったのかもしれません。
多くを語り、細かく説明しなくても通じある感性が、もしかしたら私たちにももともとはあったんではないかと思います。
こうやって改めて聞くというか感じると、そうだなと思うんですけど、このいまといま、普通に使い分けてますもんね。
そうですね。リビングっていまは言うけど、いまなのかいまなのか、標準語だったり関西弁だったり、イントネーションでアクセントをどこにつけるかで変わるみたいなのは、やっぱり不親切ではあるわけですよね。
学ぶ人からすると、えぇーみたいになっちゃうわけですけど、でも現象に出る瞬間の時間か空間なのだって考えれば、よくみんながいるところがいまだから。
で、いうことを考えると辻褄はあってるわけです。それこそその時にその文脈だとか、何しに来たのか、どういう流れがあったのかっていうナラティブを考えると、どっちのいまなのかがわかるっていうことですよね。
で、そういった忖度も含んでその表現になってるわけなので、それは曖昧だって言われてもしょうがないところはあります。でもその抽象度が高いんではないかっていうことが、いまっていう音を一つとっても感じていただけるんじゃないかなと思います。
だからそれに対してこの多くを語り、細かく説明するっていうのがいわゆる英語で言うコンテキスト文化って言うんですよね。
例えば裁判所で通用するような主語は誰で動詞が何で目的は何っていうことを明確にしないと表現したってならない。
あとで問題になるわけですよ。え、こっちのいまだったんじゃないの?みたいな。
なので、明確にしないといけないっていうのは文化の違いとか、言わないと伝わらないっていう前提だからですよね。
でも異心伝心ができるんだったら、まあね。で、わかっちゃうわけ。そういう共感力の高い文化背景があるであろうということです。
カタカムナ文献の発見と奈良崎先生の物語
で、あ、この章が終わった。終わっちゃいましたね。7章だ。はい、カタカムナの背景にあるもの。
で、124ページ。カタカムナはこうして発見された。やっとね、ここでこの話をするんですけど。
まあその、そもそも何なの?っていう。例えば語り目として語ってる私がお前誰なんだっていうこともそうですけど、
でもどこでどう発見されたものなの?っていうこともね、初めての方ご興味あると思うんで。
で、戦後にカタカムナ文献と言われるものが解読されたのは物理学者の奈良崎光月先生で、それまでは世に出てないものだったんですよね。
で、奈良崎先生は戦時中に満州におられて、あるとき先生という意味で老子に出会ってお茶をいただいたというお話が伝えられております。
ラウサン老子って人だったんだって。で、この葉、わずか数枚でお湯が沸く釜を見て不思議に思って尋ねたら、
まあこれは物理学者の先生だから、この金属熱伝導率おかしいってわかるんですよね。
これは何ですか?ちょっと研究してみたいですって言ったら、日本には古代よりアシア族という高度な文明を持つ人たちがいて、
八卦の八卦神の文字を使っていた。で、特殊な金属のこの釜ももともとは日本のものだよっていう風にその先生から聞かれたそうです。
で、その後奈良崎先生は日本に帰られてから将来は測量難になるだろうとの予測もあって、兵庫県は神戸の六甲山中にある金鳥山と言われるところで土地の伝位の研究を続けておられました。
で、その時に不思議な漁師風の平十字と名乗る人物であって、カタカムナの巻物のことを知ったとされています。
で、アシア族というと神戸のそのあたりにはアシアという土地があるし、今でも自然も豊かでいわゆる木の流れも良いためか、
古くからお金持ちが済むっていうね、大切にされている有意所あるお年柄で、そういえばアジアともことが似ていますということです。
このあたりの経緯は、近年YouTubeとかでもいろいろ言われるようになっているわけですけれども、私やっぱ神戸出身というのもあってね、カタカムナをお伝えするあれがあるのかなとは思っているんですが、
金鳥山ってどこにあるのとか、ねみとろ返しの沼って実際どこにあったのとかその文献出てくることはね、ロマンがあるじゃないですか。
探検してくださる男子たちとかもね、結構今たくさんいらっしゃったりだとかね、されているところだと思います。
でもこの成崎先生が、戦争の中に満州におられたっていうこととかも、その時の老子教だったかな、ラウサン老子っていう方も相当に不思議な方で、
すごい広大な敷地のね、何時頃どこの門から成崎先生がお見えになるかっていうのはわかっていて、そこに立っていらっしゃったっていうようなことが当たり前にね、直感力のね、インスピレーションの優れた方だったっていうのはね、成崎先生ご自身ももちろんそうでしょうし、
農業・健康・土地に広がるカタカムナ
この次のページ、125ページ、日本独自の考え方のルーツ。
カタカムナには現代科学でも解明されていないような宇宙の仕組み、物質や生命の成り立ち、宇宙の本質、農業技法、病気の治し方までもが記されているといいます。
カタカムナを残してくれた上古代の人々は、もしかしたら今よりによほど感受性も鋭く豊かで、天文学、物理学、科学、生態学、発生学、心理学、医学、農学までを熟知していたのかもしれないと言われるゆえんです。
カタカムナは愛に通った姿を表すものなので、相似性ってそういうことなんですよね。
応用の範囲もあまりに広いわけですが、何らかの分野の突き詰めがあるとき、どういう節理なのかがふと踏み落ちるものなのではと思います。
例えば私であれば感覚的だったりとか心理学的な捉え方をしているのみですが、今までお会いした方々の中には先ほどの各分野をはじめ周波数に関することやデザインとか色とかアート音楽に造形が深い方もいらっしゃいましたし、
それぞれの身で積み重ねてこらえたことがあって、これを読んだり聞いたりしてくださる皆さんがどういったことを生業にされているか、また下地をお持ちなのかによってカタカムナはいろんな分野で踏み落ちるというか、生かされていくように思います。
その分野でこういうことを言ってるのかなっていうのは、それこそまこちゃんいつも言ってくださるように、同じことをいろんな先生方がいろんな表現でしてくださっていますよね。
順調なときはいいと思うんですよ。でもこれまじでどっちかなって思うとき。そのときが物差しが必要になる。
ということでカタカムナ1個持っておいてもらったらいいんじゃないかなっていうのは思っていて、126ページカタカムナが根底に流れるものは農業技法である植物派農法。
難しい本残ってますよ。メルカリとかなんか出てくるんじゃないかな。炭素循環農法単純農法って呼ばれたりしているものも炭素に注目しているところだとかもカタカムナからのもので各地で長年実践されている方もいらっしゃって、
土地を表す癒し路地、穢れ地っていうことも結構最近知ってる人多いんじゃないかな。そうですよね。癒し路地っていう本は有名な船井総合研究所の船井先生が5本昔に出されていますから、カタカムナっていうものから出てきたワードが癒し路地。
だからそこから親しんでおられる方もね。そこにいると癒される土地と木が枯れてしまう土地っていう意味で建築などで床下に墨を埋めて場を良くするようなこともカタカムナの考え方から来ています。炭素を活用しているということでね。
他にもそこに関してマクロビオティックの周りてめくる小宇宙結びの会岡部先生の5本が知られてたりとかして、そこからカタカムナが気になったという方もおられますし、カタカムナを解読された長崎光月先生とマクロビオティック提唱者の桜沢常一先生はご交流があったそうです。
ゆきかぜ先生ですね。
なので、なんとなく、例えばヨガとかもですね。
沖ヨガとか、昔からの古来の武術だとか相対法とかご存知の方は、一回ね、お話し会に来てくださったのは和道ヨガっていうのをされている方がいらっしゃったんですね。和の道のヨガね。
で、三木座膝っていう、例えば正座をすることを三木座膝って言うんですよ。カタカムナでね。九肥の悟りとかってね。体を整える方法もたくさん教えられてるんですけど。
で、そういったことを教わるんだけど、でもカタカムナそのものが何なのかっていうのは先生は教えてくださらなかったんだって。やっぱ危ないって知ってたんだと思うんですけど。
カタカムナそのものについては何も伝えてくださらなかったので、聞きに来ましたっていう方がいらっしゃいました。
戦後の日本で生かされた可能性も、っていうので、健康や医療に関することも今でこそ聴覚、勤覚とかね。
特に免疫とかコロナとか言われたときね。古くからは血液は腸で作られるなど、千島学説を唱えられた千島貴子先生もまた、
ならさき先生とご縁があった方なのだそうで、他にも体を整える方法にも活かされており、その中ではカタカムナから来ている言葉も広められていたようですと。
文字自体については教わることがなかったので、と概要を尋ねに来てくださったり、こうして日本において、
哲学的、物理的な独自の根幹のようなものが根底でカタカムナとつながっていることも多くあるように思いますし、
電気物理と戦後日本のものづくり
また戦後の日本は電気を使ったものづくりで元気になったと。
淡路市も、うちが最初に住んでいた近辺は産業電気の井上さんという創始の方。
神戸でも塩屋のジェームス山とか、井上さんが最終的には購入された有名な高級住宅地だったりだとか、
そういうところ、日本が高度成長期にものづくりで急速に復興したのは、世に出なかった舞台の電気物理が水面下で役立てられたからではないかということも伝えられているんですよ。
このあたりも、まあそれこそ突き詰めるとね、石油資源がどうこうとかフリーエネルギーがどうこうという話になっちゃうから、
表だって言っちゃダメだよってことになってたと思うんですけど、このあたりも今じゃんじゃんね。
そうですよね、結構出てますよね。
はい、あのもう七崎先生がニコテスラだみたいなことがね、いろいろ言われたりもしているので、
あの電気物理がお別れになる方は、そもそも片上奈が語っていたことが、マイナスの電気とプラスの電気の成り立ちが非常に興味を持たれるんじゃないかなと思うので、
例えばお母さんは興味なかったとしても、生まれてくる男の子が例えばもうなんか機械をすぐ分解しちゃうような子っているじゃないですか。
そういう子だったりしたら、もしかしたら片上奈がしっくりくるかもしれないみたいなね、プログラミングとかね。
興味持つ子は、なんかあの水を向けてみてもいいんじゃないかなと思ったりします。
宗教化・派閥化を避けて実生活に生かす
神秘的、宗教的に捉えないこと。これが127ページですね。片上奈で言う音の響き。
一応一応に意味があるっていうのは、いわゆるその日本古来の神道とか古神道で音玉とか言玉って呼ばれる捉え方ともちろん一緒なんで、根っこが私の思うにね、似てます。
もちろんルーツが同じなんだから当然だと思いますが、音玉こと玉というとちょっと神秘的な感じになっちゃう。
戦後日本の神道、古化神道と言われるものとなんかごちゃになっちゃったりとかあるらしくて、私はなんとなくそのように表現しないようにはしてます。
あくまで片上奈は宗教的なもの、神秘的なものとして扱わないようにっていうことがね、すごい厳しく大事に言われてたんでしょう。
これはなぜかというと、そのように扱うと必ず上下関係が生まれるからだそうで、そうすると自ずと互いの相違もはっきりとしてしまうということかもしれません。
あくまで個々の感受性でどのように受け取るかを大切にするということを示しているように思います。
だからね、上下関係が生まれるというのは組織化されちゃうんですよ。
派閥ができたり。
できますね。
何何派、何何流、何何式っていうのでどんどん枝分かれしていくっていうのが今までの流れだったと思うんで、悪いことじゃないですけどね。
で、それがやっぱり上下関係ができるっていうのはね、今日もちらっといろんな話してましたけど、やっぱり組織になっちゃう。
もう、表選挙裏選挙みたいな。
なんで対立しちゃう。どっちが本物だ。
そうですよね。
なので、そうするとちょっと切ない世界に文化分離しちゃうばっかり。
で、病院の診察内容とかを何々か何々かっていうのを見てるといつも思うんですよ。
だからもう、信用機関の中に、循環機関の中にどんだけあるんだみたいな。
大きい病院行くとびっくりしません?そんなに分かれてんの?みたいな。
で、その一部をもうすごい正確に精査してみて、そこで何か問題を見つけていって治療しようみたいなのが、近代医学はどんどん文化分離していくっていう感じじゃないですか。
でも、逆に元々の、例えばチベット医学であるとか、中医学であるとか、東医学みたいなのは、ホリスティックに見るわけですよ。
全体の中で、例えば腎臓で起きていることが、例えば膝に現れてるとかいうことがあったりは、実は全体で成り立ってるんであるわけなので。
そういう、今は、おもとの原理と両方を踏まえていく時代なのかなと思うので、その時にカタカムナがね、宗教的神秘的に扱っちゃうと分かれちゃう。
そうですよね。別に分かれてもいいですけど、対立さえしなかったらね。
そうなのよ。だからもうね、そこで喧嘩してるとかが本当にもう、もともともないというかね、あのことなんだなと思います。
だから、私、天の整備先生という方とね、活動をしばらくさせていただいてるわけですけど、やっぱり、もともとうの先生から直接に教わったっていうのが天の先生でいらっしゃるので、
やっぱり、平和のためにあるものだからって、本当にそういうふうにおっしゃって、なんか対立があるとすごく悲しそうになさるんですよね。
でもまあ、もうご引退もね、されていく5年目になられてるので、まあそうだと本当に平和ありにね、私たちがね、本当に水面下で自分たちの暮らしにあくまで生かしていけるといいなっていうふうに思っています。
そうですよね。やっぱり、あこさんの話を聞いてて常々思うのは、本当に知ってて役に立つというか、それを活用すること、実践というかね、その生活の中に取り込むことによって、よりこの良さみたいなものが出てくるのかなと思いますし、
なんかその派閥でどうのこうのとかよりも、いえいえ、そんなことよりも使って自分たちが幸せになろうよみたいな感じの方が、僕としても嬉しいかなと思いますけどね。
だから音の響きをね、掘り下げたり深めたりね、なんかここなんでこう呼ぶんだろうとか、僕なんでこんな名前になったんだろうとかって考えるのってね、お金もかからないじゃない。
いくらでも楽しめるし、私とかだったら各地お邪魔するときにね、もともとの土地の名前とか探すの本当大好きだから、だからもう駅名では消えてるんだけど、公園の名前とか橋の名前に残っているんですよ。
ここもそういう土地だったのかとか、ここはあっちと繋がってたのかっていうのがね、発見できるのはもう本当RPGみたいで楽しいですよね。
そういうラストダンジョンだと思いますよ、日本なんて。そういう紐解いていける宝地図みたいな土地だなって。
そうですよね。地方行ったときに、あれここにも違うところでもあった地名が一緒だよねみたいなところって結構ありますもんね。
そうなんですよ。上手い具合にわかりにくくされてるんですよ。
本当ですね。
そういうのもね、探りながらいろいろな土地を見に行くっていうのも面白いかもしれないですね。
ぜひぜひ。仲間はね、そういう人いっぱいいますからね。だからもう機内説、九州説とかだけじゃなくて、実は岡山に一番隠れてるとか、実は愛知に埋め込まれてるとかね、北海道にとかね。
それぞれの土地にヒントが隠してあるポケモンGOみたいなもんだと思っていて。
なるほど、なるほど。
あっちこっち行けば行くほど面白いのって。これね、他ないですよ。
あっても薄いっていうか、少ないっていうか、申し訳ないけど。
日本ってやっぱりすっごい凝縮されてるんですよ。この狭い土地にどんだけの人口が住んでるかっていうことを考えても、やっぱりもう縮図だなっていうのはまさに思いますね。
はい、次ですね。
日本の神社にある鏡と自分自身
特定の名前やお姿のない世界。128ページです。
カタカムナが伝えるものは、物の理、あくまで物理だということが重要で、それはただそうなっていると表現されています。
東から日が昇り、西へ沈む。そうしてなぜか次の日、また東から昇ってくる。ただそうなっているっていう様子においては、特別に偉い人は存在しないんですよ。
誰かがおじさまを押し上げたり、押し下げたりしてないじゃない?
引っ張ったりしてないじゃない?
特定の姿や名前もないのです。世界の主な争い事は、どの神様が好きなのかで起こっていると言われてるというか、私言ってるんですよね。
先祖代々、小さい頃から国や地域で敬って染み込んでいる宗教感、男女感が色濃い場合は、今後変化していくとしても気の遠くなるような時間がかかるように思えます。
何々教、何々教で教えられていることですよね。
ところが日本では、私たちの多くは初詣に行くし、お墓参りするし、ハロウィンで騒いでクリスマスを祝います。
それどころか山にも滝にも樹木にも湧き水の一滴にも八百万の神様が宿っていらっしゃるという独特な元々の感覚も未だに根付いてますよね。
そうですよね。
今のところ先進国と呼ばれる国で、そんな不可思議なところが他にあるでしょうか?いな!
そうですね。
ないんですよ。
ないですよね。
行ってみて、まじで他の国。
ないからっていうことを一生懸命言ってますね。
全てのものにスピリットがある。そういう感性でなければできないことが今後あるように感じています。
特定の唯一絶対的な、これが一神教と言われるものですよね。
唯一絶対的な存在がはっきりしていないからこそ、多様な個性にもフラットに捉えられることがこれから大切であるような気がするんです。
みんな違ってみんな良いとか簡単に言うけどね。
一神教の国でそれは言えないわけですよ。
そうですね。
絶対の神は絶対だから。
それがなかったら生きていけないんだから。
信仰ってそういうものじゃないかと思うので、
本当にそこで生まれて育って、おじいちゃんおばあちゃんもそこを信じ、その信仰を持ってきた人には
それを奪ってしまうのは背骨を失うようなものだと思うんですね。
その感覚が日本人にないんですよ。
ですよね。
背骨になってないもん、それが。
代わりになるのだとしたら、母国語っていうものなのかなと思うんです。
共通して持てる倫理とか道徳とか、そういったものもいただきますであるとか、おかげさまであったりとか、そういったものと言えるのかなと思います。
だってすごいですよね。
普通だけど日本人にしたら神社行ってね、大事な日に手を合わせてお参りするわけでしょ。
そこに掲げてあるものは鏡なんですよ。
カタカナ知っていれば、ヤタの鏡とかヤタカタカミの神って言うと鏡だよねって思うけど、でもそこに映るのは自分なんですよ。
そうですよね。
そんな宗教ある?
ないですよね。
なんかおじさんがぶら下がってたりとか、ごめんなさいね。
とても美しい人が描かれてたりだとか、そういったものじゃないんですよ。
鏡なんですよ。
あなたですよね。
お前だよって。あんたですよって。帰り見てって言われてる感じ?
そうですね。
我が身を帰り見てって。
なんかハッってなりますよね、鏡見ると。
そうですね。
ピカピカに磨いてあればあるほど。
で、そこにあるものに自分にお願い事するんですよ。あれ不思議じゃない?
そうですね。
それはもう他の国の人からしたらめちゃめちゃ不思議なわけ。
すごい美しい存在とか、
敬いたくなるような荘厳な彫刻とかじゃないわけですよ。
白い紙一枚みたいな。
本当ですね。
本当にそうなんですよ。びっくりしますよ。
白い紙一枚の不思議をね、日本によくあるお仏壇とかもね、
空とか雲とか描いたりして、上に貼り付けたりするじゃない?
あれで上に何もないことになる。
すごいずるいですよね。
雲って描きますからね。
本来ならば一番上の階で神棚を祀るのに、その上に階があったら、
これ雲って貼ったらいいんだよとか。
申し訳ないから雲のことにしようみたいな。
そうですよね。
もう充実の世界ですよね、こんなの。
本当に出雲さんとかにお参りすると、やっぱり神迎えをする時に、
お姿は見えないんだけれども、そこにいらっしゃることにするという時に、
白い布を運びながら、おやしろにお休みいただくっていうね、
禅公からの神様を迎えして、出雲のおやしろにお連れする時は、
白い布を使うわけですよね。
その辺もね、もうプロデューサー誰だみたいな。
本当ですね。
ジブリじゃないだから。
演出家すごいみたいな。しかも予算かからない。
本当ですね。
いやもう本当、ディレクターとしてはびっくりしますよ、あの演出は。
でもみんなでそこにないものをあることにすることが、
うやうやしく成り立っているんです。
そうですね。
もうこんなことができるのは、日本しかない。
本当。
本当に。何の話やって思われるかもしれないですけど、
次回もぜひついてきてもらいたいと思います。
それも含めて楽しみにしていきたいなと思います。
ありがとうございます。
30:00

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