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人の力になりたい。でも、自分がしんどくなる。 #54
2026-09-16 1:14:31

人の力になりたい。でも、自分がしんどくなる。 #54

#54 | 身体の教養ラヂオ

人の力になりたいのに、話を聞いた後も相手のことが頭から離れず、自分が疲れてしまう。
そのやり取りの最中に、自分の肩や呼吸がどうなっているかにも、関わり方を見直す手がかりがあります。
相手を大切にしながら自分も心地よく向き合うために、身体について学ぶ意味を考えてみます。

相談相手が黙ると、待つつもりでも次の質問をしてしまう。「肩の力を抜いて」と伝えても、相手がどこをどう動かそうとしているかは、人によって違います。今回は、こうした場面と腕を上げ下げする実演から、身体の知識と話を聞くことのつながりをお話しします。

後半では、私塾での対話練習や塾生の経験、授業の内容も紹介しています。私塾では、解剖学・心理学・臨床の視点に、大沼自身の経験や考察を交えて、身体と人を理解する知識を学びます。人を支える仕事をしている方はもちろん、家族や友人との関わりを考えたい方にも聴いていただけたら嬉しいです。

大沼竜也私塾について
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秋期は9月26日から募集を始める予定ですが、この回を聴いてくださった方には先にご案内します。ご希望の方は、大沼のInstagramへDMをお送りください。返信までお時間をいただくことがあります。
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【目次】
人の力になりたいのに、自分が疲れてしまう
施術中、自分の身体にも目を向ける
沈黙を待ちたいのに、質問してしまう
心と身体を切り離さずに考える
「肩の力を抜いて」は伝わっているか
腕を上げ下げして、感じ方を比べる
人の話を聞く場面で、身体の知識を使う
一人では気づけないことを、一緒に学ぶ
私塾の授業は、知識の学びと対話練習
個別相談と、仕事で生まれた疑問
人を支える学びを、自分の人生にも
私塾に関心を持ってくださった方へ

初めての方へ
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サマリー

このエピソードでは、人の力になりたいという思いと、それに伴って自分が疲弊してしまうというジレンマに焦点を当てています。特に、対人支援の仕事に携わる人々が抱えがちなこの葛藤に対し、身体の教養を深めることの重要性が語られます。話を聞く際に相手の沈黙を待てずに質問してしまう、あるいは「肩の力を抜いて」といった指示が相手にうまく伝わらないといった具体的な場面を取り上げ、これらの状況が身体の感覚や反応と深く結びついていることを解説します。 身体の構造や筋肉の動きを理解することで、相手の抽象的な訴えを具体的な身体感覚に落とし込み、より的確な関わり方ができるようになると述べられています。また、私塾での学びでは、解剖学や心理学の知識だけでなく、実践的な対話練習を通じて、自分自身と他者の身体感覚を理解し、相手を大切にしながら自分も心地よく向き合う方法を探求します。この学びは、専門職だけでなく、家族や友人との関わりを深めたい全ての人にとって有益であると締めくくられています。

人の力になりたいが、自分が疲れてしまうジレンマ
誰かの力になりたいと思って、この仕事をしている。
でも、一生懸命向き合うほどに、自分が疲れてしまうという、
そういう悩みを抱えている方というのは、少なくないと思うんですね。
多かれ、少なかれ。
クライアントの話を聞く、お客様の話を、相談を真摯に聞いていく。
話聞いた後も、あの言い方でよかったのかなとか、
もう少し何かできたんじゃないかなという風に考えている。
でも、その仕事は終わっているんだけど、その気持ちがね、なかなか仕事の状態から離れていかないということもあると思うんです。
だからといって、人のことはもう気にしませんっていうように、
いきたいわけでもないんですよね。
よく境界線、バウンダリーとかって言ったりするけど、
人に全然興味がないわけじゃないし、
やっぱり頼られたらお答えしたいって思うのが、やっぱり人間の差があるんですよね。
やっぱりその人のことが大事で、気になっているっていうことがあるわけだ。
とはいえ、自分を抑えて、人のために頑張り続けるっていうのもしんどいですよね。
でも関わること自体をやめたわけではないっていう、このジレンマがすごい難しいところなんだと思います。
全ての仕事がそうなのかもしれないけど、
事さら人と関わる仕事、特に僕がやっているような、
大人支援でくくられるような仕事はそうかなと思います。
心理職とか、神経とか、生体とか、ヨガ、ピラティス、
体を扱うこと、心を扱うこと、そういう葛藤とかね、苦しさっていうのが、
その仕事の醍醐味でもあるのかもしれないけれども、やっぱりあるんですよね。
僕も、やっぱりこれまでの経験の中で、
施術をしていて、相手の反応ばかり気にしているっていうことがありました。
ああ、ここをこうやってこのくらいの強さで押していくと、
気持ちよさそうにしているな、いい感じにできているなっていうふうに思っている、その時は。
なんだけど、自分はものすごい無理があるような姿勢で、
そのマッサージ主義をしていたっていうことがあったりする。
だから体力には割と自信がある方だったんですけど、野球をずっとやってたからね。
相手の反応を見て、自分のその体感、自分の状態っていうのをそんなに返り見ないでいると、
もう割とクタクタです。慣れてなかったっていうのもあるのかもしれないけど、
半年、1年とか経って、数年とか経った頃かな、結構慣れてきたはずなんだけど、
やっぱりお客さん立て込むと、患者さん立て込むと、
体あちこち痛くなって、これは困ったぞということがあったりしました。
それで僕の場合はきっかけに、自分の体にも目を向けるように施術中、対応中というのもなったんですよね。
どこで余計な力を使っているのか、どうすれば自分も心地よく動けるのかな、
施術しながら楽になっていくってことはあるのかな、楽しくもっと仕事できないかな、
楽しく楽にできた方が、手を抜くってことじゃないですよ、気持ちを抜くわけじゃないんだけど、
変に頑張りすぎてもさ、クライアントがどう感じているかとか、何を考えているかみたいなところ、
そういうところに意識回らなくなっちゃうんですよね。
いっぱいいっぱいになって、からすぶりしちゃったな、みたいなことが結構あったんですよ。
いろいろ施術しながら、こうかな、ああかな、とか、いろいろ試していくと、
一番最初に、僕の場合はインターン先の切骨になったりとか、リラクゼーションでバイトした時の先輩とかだったんですけど、
その時に教わった感じとか、体の構えとか、足の開き方とか、そういったフォームみたいなものの意味が自分の中でも分かってくるようになったんですよ。
僕自身は、人の力になる、何か人に頼られた時に、存分にそれに対して応えられるっていうことが、自分の人生の楽しさにもつながっているんじゃないかなって思うんですね。
なので、ソマティックスタジオのコンテンツもそうだし、僕の発信もそうだし、なおさら私塾っていうのは今自分でやっているんですけど、
その中にいらっしゃる皆さんには、人のために生きるっていうことってやっぱり楽しいよな、もう人生の喜びだよなっていうふうに思っていただきたいなって思ってます。
つねぎものからね。実感してほしいっていうのかな。この人と関われてよかったなっていうふうに思える。うまくいかなかったらもう少し学んでみよう。次はこうしてみようっていうふうに思えるように。
施術中の身体への意識と、学びへの転換
そのために心と体について学んで、実際に人と関わりながら練習するっていうのが、僕の私塾の中で重んじていることです。
今日は人の話を聞くときに自分の体では何が起きているのかというところからお話を進めていこうかなと思います。
これからそうしたことを学びたいっていう学生さんとか、これから会議を目指しているんだとかっていう方にも聞いてもらえたら嬉しいなと思います。
特にこういう仕事は私に関係ないけどなと思う方もね、友達とか家族とか、誰かに頼られること、誰かに頼ること、コミュニケーションっていうのはやっぱり生きていく中で必ずあることだと思うんです。
仕事じゃなくてもそのコミュニケーションというところに通ずる、それをより専門的にやっていくのが対人支援という仕事だけだと思っているので、ぜひ自分ごとに置き換えながら聞いてみていただけたら嬉しいなと思います。
わかっているのにそのままになるとできない。
例えば誰かが悩みを話している途中で黙ってしまったとします。
結構あるんですよ。クライアントの話を伺いしてて、こうであーでーって色々聞いてて、急にクライアントが黙っちゃう。
言葉にできないのかもしれないし、話しにくいのかもしれないし、何でかはその人にもちろんよるんだけど話が止まっちゃうと。
こういった時にね、急がなくていいよ。相手が話し始めるまで待つんだよ。沈黙を怖がらないんだよっていう風に色々な情報があったりとかします。
だからみんな知ってるんですよね。ちゃんと話を聞くんだみたいなことは。
特にこういう対人私職ついてる方だったら、相手に話してもらう。相手の感じてること、思ってることを聞くために沈黙を怖がらないみたいなことは当たり前としてわかっていたりするんだけど、
いざ目の前で黙られるとね、いざ目の前で沈黙が起きてしまうと、なんか言わなきゃなっていう風になるんですよね。
肩に力が入って息を詰めて、ちょっと前のめりになって次の質問を探し始めるということがどうしても起きてきます。
プライベートでもそうだと思うんだけど、やっぱりね、報酬をいただくとか、仕事として、専門家プロとして対事してるっていうものが余計にそうさせるんですかね。
ちゃんとしなきゃみたいな。立派な理由だけどさ、ジレンマですよね。それでどうしたんですかみたいに間髪入れず聞いちゃったりする。
待つつもりだったのに気づいたらもう自分で声かけちゃうみたいなことがあったりします。こんな場面をちょっと思い描いてみてほしいんですね。
この人は待つことの大切さを知らないわけではありませんよね。分かってる。その人の感じてる思ってることを聞くために注目を怖がらない。
でもその場では焦ってしまうんですね。さあどうしようかなと思った時、いやもっと落ち着けばいいんだ。気にしすぎなければいいんだっていう風にしたとしても、
じゃあどうすればいいのかって困ると思うんです。落ち着こうと思ってるよもうすでに。気にしすぎないようにって思ってるんだ。
自分でもできることならそうしたいんだけどそれができないんだよな。
僕はこういう時に考え方だけで変えようとするのには無理があるっていうことを普段お話ししてるんですね。
実際にその場で体はどうなっていたのか、相手とのやり取りの中でどんな感じがしていたのかもここでは重要になってきます。
肩を上げて息を止めて相手の顔をじっと見ていたのかもしれないし、早く何か返さなきゃっていう風にちゃんと聞いてないと思われそうだったのかもしれない。
これは本人に聞いてみないと分かりません。その時の状態っていうのは。
ただ頭の中で待とうと思うことと実際に待っていられるっていうことの間にはこうした体の感じとか相手との関係性もあるわけだ。
自然ともう聞いちゃってるんだもんね。自然ともう体が焦っちゃってるんだもんね。
それは待てないですよね。条件反射。本能的にもうそれに注目に対して質問投げかけてしまうということが起きるわけだ。
心は体から立ち上がる。これも僕が私塾で伝えたいことの一つです。
私塾で中心になるのは実際にやってみることです。実践すること。
いろんな情報とか僕なりの見立てみたいなのはSOMATIC STUDIOの中でもサポーターの方には公開してます。毎週2回配信をしてるんだけど。
インスタとかでもそういったものをできるだけいろんな方に分かりやすく届けられるようにっていう風にやってたりします。
けど私塾では少人数制で僕自身とコミュニケーション取りながら進めていくということを大事にしていきたいんですよね。
やっぱり発信って一方通行だからさ、いくらコメントでいただけるってなってもすごい嬉しいんだけど、
なんていうんだろうな、ポンポンポンポンっていうようなキャッチボールにはなかなかなりにくかったりするんですよね。
それも文通みたいで面白いんだけどさ、コメントみたいなのも。
やっぱり面と向かってオンラインだったとしてもある程度の会話のテンポ感だったりとか、
パッと口をついて出てくる言葉、感じ方みたいなものをコミュニケーションできるのってすごく重要なんだと思ってるんです。
だからこそ対人支援職、専門職の方に僕が指導させていただくという時も、
あくまでコミュニケーションであって、この人は何を考えているんだろう、どう感じているんだろうというところが、
やっぱり僕自身も分からないとお伝えできないし、受け取り側もオヌマはこう感じているんだ、こう思っているんだみたいなものを、
やっぱり僕もまだまだ未熟だからさ、文章でそれを伝えられるかというと多分そうじゃないと思うんです。
ある程度の年月、面と向かってこう話を重ねていく、コミュニケーションを重ねていく中で、
多分こうしたことがお伝えできていくんじゃないかなと思って、そういった意味も込めてこういう支職という形をとっているんですよね。
で、こうしたことをいろいろやってみている、その経験をどんどん積みながら少しずつ身につけていってほしいなと思うんですけど、
僕自身もそうなんだけどさ、身につけていく。
人の話を聞く、クライアントの話を聞く、相談を受けるみたいな時も、僕らは体を持ってそこにいるわけです。
クライアントも同じ。相手の声を聞いて、表情を見て、自分も息をしたり合図地を打ったりしている。
その関わりの中で悲しくなったり、ほっとしたり、次に何を言おうかなって考えたりとかしているわけだ。
話の内容が同じ、つまり言っていることが同じだったとしても、誰から聞くかで受け取り方が変わるとよく言いますよね。
同じように、その人の声とか、話している場面だったり、そのテンポ感とか、みたいなものでもどう受け取れるかというのは変わってきますよね。
すっごい早口で説明されるのと、ゆったりした口調で話されるのと、もしくは自分と同じようなテンポ感で答えてくれるのかというところでも変わってくるし、
もしくは、たとえばおしっこ我慢しながら、こっちがおしっこ我慢しながら話を聞いていたら、なかなか聞き取れなかったりもするよね。
だっておしっこしたいんだもんね。余裕ないもん。
お腹すいてイライラしていたら、疲れていたらイライラしていたら、それをどう受け取るかみたいなものも変わってくる。
こういったところでも違いが出てきます。
こんな風に、僕自身は思考、つまりどう考えるか、思うかというところ、それから感情、どう感じるかみたいなものを、その体と切り離して考えないんですね。
人とか環境、こういったものと関わる体というものが僕らにはあって、ここから心が立ち上がっているというように考えるんです。
その体も関わりの中で変わり続けています。
たとえばさっきの例であれば、相手が黙ってしまった。相談している、聞いている時に相手が急に黙っちゃった。
そうしたら自分も自動的に息が詰まってしまう。
待たなきゃと思いながら、何か言わなきゃいけないかな、この間が何となくちょっとまずいかな、思う前だと思います。
思う、考える、それ以前にもう反応しているんだと思います、体が。
それで口をついて質問が出てきてしまって、相手もそれに答えようとする。
こっちの体も相手のやりとりというものも、相手の返答というものもその都度変わっていきます。
だからこそ話の聞き方を学ぶというのも、どういう言葉を使うか、心理学的にいろんなものがありますよ。
心理療法とかでもさ、たくさん先人たちが積み重ねてきたもの。
オウム返し、リフレクションとかさ、パラフレームとかさ、いろんな、どうやって相手から情報を引き出すか、ちょっと嫌な言い方だね。
どうやってその方が何を感じているのかをどれだけ事細かに伺うことができるか、そういう技法みたいなものとか言葉がいろいろあるけど、
その言葉が何で出てきたのか、その時の体、その考える、思う、以前のところを見ていきたいんですよね。
僕の臨床の中では、僕がお伝えしたい大人生の中では、人が何を感じて、どう考えて、どう動くかというものを体から理解しようとする。
僕はそうした見方を、ソマティックという言葉でお伝えしています。
つまり、どう体験しているかというものを聞いていきたいんだよね。
ここで言う体験というのは、特別な経験とかという意味じゃないんですよ。
相手が黙ってしまった、次の言葉が出てこなくなっちゃったという時に、
こっち、聞く側の方で言えば、なんか胸が詰まる、話しても大丈夫そうだなって思えた感じ。
頭では分かっているんだけど声が出ない感じ。
今その人が実際に経験していることですよね。
間髪入れずに質問を挟んじゃったという時の、その時の体験があるはずだ。
言っちゃったって後悔している時の体験もあるだろうし、
口をついて出てしまった時の、その以前の直前の経験、体験というものがあるはずですよね。
それを理解して働きかけるために、心理と体の知識が必要になるわけだ。
口をついて出てしまったのは、体がこういう状態にあるからだというふうにその体験を紐解いていく。
じゃあ体がそういう状態じゃない、もっと良い状態にあれば、待てたんじゃないか。
もっとクライアントと楽に関われて、楽しく関われて、つまり存分にその人に向き合うことができるようになるんじゃないかということなわけです。
これを理解するために、働きかけるために心と体の知識というものが非常に武器になるわけです。
もちろんこれを無意識にできるという方もいると思うよ。
だけど僕自身やっぱりできなかったんですよね、それが。
なんでこんなにこの人は話を聞くのが上手なんだろう。
なんでこんなに楽しそうに大事に支援をしているんだろう。
僕にはできない。ここには何があるっていう。
逆に何も分からない、できない自分だったからこそここに着目できたのかなっていうのは自分の中でもあります。
だからこそこの部分を解き明かしていくソマティックスというものに出会えたし、
この部分を解き明かして皆さんにお伝えできるっていう経験を積むこともできたし、
同じようにここが何度なくうまくできないんだよな、できない気がする。
なんか大事なピースが抜けてる気がするっていう感覚を持っている方は結構いらっしゃるんじゃないかなと思うんです。
実際に私塾に参加してくださっている方っていう皆さんもやっぱりそこにつっかかりを覚えていて、
僕に共感を持って抱いてくださっていて一緒に今学ぶことができている。
これが私塾っていうところで両方を学ぶ心と体っていうものを学んでいくっていう理由でもあります。
心、心理について知ってるとその人が何を怖がってどういう関係で困っているかっていうものを考えられます。
こういう心の動きをしているようだね。
人っていうのはこういう心の動きをするようだよっていうもの。
そして体について詳しければ、どこがどう動いているのか、どんな働きかけを試せるかっていうのが具体的に考えられます。
緊張すると腕ビリビリするんだよとかっていうのであれば、腕がビリビリするってどの辺ですか?
小指側、小指側ってことは尺骨神経の近くだから、尺骨神経上っていうと腕の内側らへんの筋肉とか人体が緊張、心理的な緊張でギュッと収縮しちゃってたりするのかもしれないねとか、
胸がソワソワする、お腹のところがキリキリするんだよね、緊張するとっていうのであれば、
もしかしてその今触って見てもらっているところって胃の部分だから、緊張すると胃の方が張りやすいのかも。
あれじゃあ日常的に胃が弱ってたりとかあるのかな?胃の調子がいい時っていうのは緊張しにくいのかもしれないぞとか、
そんな風にいろいろ体と心っていうものを往復しながらその人を分解していくことができるんですよね。
その上で本人はどう感じているのかどう考えているのかっていうものを聞いていく。
知識を使って考えたことを実際の体験と照らし合わせていくわけだ。
この人の体験は僕がこさえた知識で言ったらどういう風に言語化できるんだろうっていうことを体験を基盤にして進めていくんですよね。
こういう病気があるからきっとあなたはこう感じているはずです。では順番が逆になってしまっているわけだ。
こうやって自分の経験とか体験みたいなのね、外症化された経験がある方っていうのも少なくないと思います。
それの最たるものが鬱とか適応障害とかいわゆる精神疾患みたいな物理的な気変、
気質的な変化、物理的な変化っていうものが見えない、傷がついていないとかさ、
そういうもので代表される精神疾患に相当されるものとかっていうのは
気のせいじゃないの?とか考えすぎだよっていうことで片付けられてしまったりするんですよね。
気のせいなのはわかっているんだけど、じゃあなんで気のせいになっているかがわからないっていうところがこのSOMATICSでは
ある程度解説できるし、何より実践していくことができる、前に進むことができるっていうのが一番のポイントかなと思うんです。
沈黙を待てない心理と、身体からのアプローチ
これをすることができる。緊張するときに胃がキリキリするのなら、胃の状態を良くするための解剖学的なアプローチというものができたりする。
同じように心理的なアプローチも同時に進めていくことができる。これがSOMATICSの面白いところ、強みなのかなと思います。
「肩の力を抜いて」の具体性と、身体構造の理解
力を抜いてくださいって伝わっているか?体について具体的に学ぶと何が違うのかということです。
別にそんな解剖学なんか学ばなくても、その人の心に私は関与していきたいんですけどっていう方もいるかもしれません。
なかなかね、筋肉と心理状態、筋肉というと筋トレとかも含まれるからな、人体とか骨とかさ、そういう解剖学的な構造っていうのが何で心理的な状態に影響するの?みたいなものっていまいちピンとこない方もいると思うんです。
例えば、肩の力抜いてくださいっていうようなことを言ったりしますよね。そんなに緊張する必要ないよって。これ実際の臨床とかでもあったりするんです。
お医者さんに肩の力抜きなさいって言われたんですっていう風にクライアントの方が言ってたりする。
で、その言ってくださったね、お医者さん、ドクターの方も難しいこと言ってるつもりはないと思うんですよ。肩抜けんねえ、そんなの力抜きなさいと。
でも言われた人はさ、どこに力が入っているかってわかんなかったりするんですよね。
あ、そうですね、肩の力抜けばいいんですねってわかるんだけど、あれ?これって抜けてるのかな?抜けてるつもりなんだけど全然楽にならないぞみたいなことがあったりする。
いや、もっともっと楽にするんだよって言い出しても、今度は楽になろうとして頑張っちゃうっていうこともあったりするわけだ。
ここで知りたいのは、相手がどうしようとしているのかなんですよね、これの場合はクライアントの方が。
力を抜くっていうような抽象的な表現が肩を下げようとしているのか、胸を張ろうとしているのか、力んでいる状態がわかっていれば力んでない状態に生かせようとしているのかとかさ、
いろんな説明はできるんだけど、人によってやっぱり違うんですよ。
あ、力抜こう、肩の力抜くぞって思った時に、ほとんどが無意識なんだろうけど、呼吸でふーっていう風に力を抜く人もいれば、肩を落とすっていう人もいれば、手をブラーンってさせる人もいれば、お尻の穴の力をキュッと緩めるっていう人もいたりする。
本当にいろいろなんです。あなたにとっての力を抜くってどういう感覚ですか?どこに意識が向いている気がしますか?っていうのは結構重要な問いで、
どこも意識していないけどと思いながらも、体、ある行為をする時、ある行為をする時にどこを意識するかっていうのは結構人によって違うんですよね。
目の前のペットボトルを取ってくださいって言われた時に、手の指全部使って、手のひらも使ってガシッて取る人もいれば、小指立てて人差し指と中指だけでスーッと優しく取る人もいる。
右手で取る人もいれば左手も取る人いる。肩甲骨から動いて取る人もいれば、手首とか肘から下だけで取るっていう人もいる。
顔を向けながら取るっていう人もいれば、何もペットボトルなんか見ないで取っちゃう人っていうのもいるかもしれない。
こんな風に細かく見ていけばキリがないくらい、そのある行為、抽象的な行為、行いっていうのの中には、
千差万別いろんな人の無意識の体の動かし方、使い方っていうものが含まれているわけなんですよ。
だからこそ、この人にとっての肩の力を抜くっていうのは、どこに意識がまずいっているんだろう?どこを認識しているんだろう?っていうものを知っていく必要があるわけだ。
じゃないと、逆に力を抜こうとした時に息を止めているっていう場合もあったりする。肩をストーンと下ろすために背中の方に力が入っているっていうこともあったりするわけだ。
で、いろいろ話を聞いていったら、肩の力抜くには良い姿勢がいいかなと思って、良い姿勢ってどういうことだと思っているんだろうって聞いたら、
インスタのリールで見た鎖骨を下げる、肩甲骨を引き寄せるっていうのが良い姿勢だって聞いた。
なるほど、じゃあこの人背中肩も結構張っているのかなみたいな当てにつながっていったりするわけです。
同じ言葉を使っても相手がしていることはこちらの想像と全く違うかもしれない。むしろ違うと思いながら接していくことが重要なんですよね。
その違いをもう少し、もっと詳しく理解するために解剖を学んでいきます。
ここが結構、僕大野本篤也自身の特徴的なところでもあるかもしれない。
肩の動きでいうと、背中の上の方に左右の肩甲骨というのがあります。聞いたことあるよね。肩をすくめるって肩を耳に近づけるような動きだけど、肩甲骨が上の方に上がります。
この動きを挙上という風に言ったりするんだけど、手を挙げる、挙手するの挙に上ですね。
肩甲骨を挙げたり内側へ寄せたり下げたりという動きには僧帽筋とか肩甲虚筋という筋肉が関わっていたりする。
首から背中の上の方に伸びるような筋肉です。
同じ肩に力が入るでも肩をすくめているのか肩甲骨を内側へ寄せているのかではだいぶ動きが変わってきます。
自分の深く感じている小利生じている体の小粟りも人によって違うはず。
骨とか筋肉の場所とか働きというものを知っていくと、この人の肩小利緊張しちゃう、
この人にとっての楽にする肩の力を抜くというのが、
どこを見たりどんな動きを比べたりするかを考えられるようになるんですね。
見た目だけで今この筋肉がどれだけ働いているというふうに決め切ることはできないわけです。
ある程度はわかるよ。ちょっと動いてみてってなったら
あーなんか僧帽筋のあたり、肩甲骨筋のあたり、特に右側が結構張ってるなあ。
当てはつくんだけど
それだけで決め切るっていうのもまた危険な行為なわけだ。
こういう感じがするんだけど
なんかこの人が感じている肩に力が入っている、力が抜けない感じっていうのは
首の方まで違和感あったりしますか?みたいに聞いたりとかね。
こういうふうにスクリーニングをかけていくと
あれどうやらここの筋肉が問題なようだぞ。
っていうことがわかってきたりする。
そうしてこの人の緊張しやすいみたいなものが
右側の肩甲骨筋を解いていくことで感覚をつかみやすくなって
あーリラックスするってこういうことなんだっていうふうに
自分をいい状態に保つための
そのコンパスになるための感覚、指針になるための感覚っていうものは
本人が認識できるようになるんですよね。
肩の力を抜くっていう言葉を
相手が実際に試せること
まで具体的にしていく。
そのためにこの体の構造っていうものを知っておきたいわけです。
何も肩こりとか緊張だけじゃなくて
胸がギューッと苦しくなるとか、そわそわするとか
頭がグルグルするとか
思考が止まらないとかね。
なんかそわそわして、なんか生きてる心地がしなくてとか
そういった抽象的な
心理的な思い込み、考えすぎって言われるような症状
こういったものも実は体の側を見ていけば
細かくここの筋肉の、ここの内臓の
部分がこうなっているかもしれないっていうふうに
予想していくことができるわけです。
自分で試して感じ方の違いを知っていく。
腕の上げ下げで感じる違いと、個々の体験の尊重
ここでちょっと皆さんにもね
一緒にやってみていただきたいなと思うんですけど
椅子に座った状態で
そうだな、手を上に上げてみてほしいんです。
もちろん想像でもいいからね。
上げた状態で、バザーイした状態で
肩周りがどんな感じかっていうのを確かめてみます。
今どんな感じか感じてみてね。
肩周りどうなっているかな。
肘は腕は首は顔は
だんだん辛くなってきた。
ちょっと辛くなるまでやりましょうか。
やったらやだね。わざと辛くさせられているみたいだね。
はい、じゃあ手を下ろしてください。
ふーっとさっきのしんどい感じから解放されるよね。
少し楽になった。
腕を上げている状態よりは楽だよね。
こうなった時、どのあたりで違いを感じたか
確かめてみてください。
腕を上げていた時にしんどかった。
下ろした時に楽になった。
抽象的に言えばそういう言い方になるけど
どの辺が楽になったんだろう。
それはどんな風に楽になったんだろうっていくと
いろんな表現が人にあると思います。
首のあたりが手を上げた時はしんどかった。
肩のところがしんどかった。
肩って言ってもどの辺だ。
この辺。
肩のほんと真上のところなのか
ちょっと後ろら辺なのか
背中のあたりなのか。
結構腕を上げるっていう動作でも
人によって変わってくるんですよね。
同じことを試しても
感じ方っていうのは人によって違います。
動き方自体も違う。
事実としても違かったりするし
それのどこを拾うかっていうのも
人によって違います。
もしかしたら
手術したばっかでお腹に傷がある
みたいな方だったら
今万歳した時お腹痛かったです。きっと。
お腹が痛いって言うと思います。
何がしんどかったって
お腹が痛かったよって言うと思います。
極端だけどさ
こんなふうに意識するところって
認識するところっていうのは
人によって全然変わってきたりするわけだ。
だからこそ誰かに
こういうふうにしてみてって進める時にも
自分が楽になった方法だから
相手も楽になるって
決めきることはできないわけです。
同じようにエビデンスとして
何十万人の人がこういう処方で
楽になったっていうのがあるから
あなたも楽になるよとは
言えないわけなんですよね。
そういう可能性が高いよっていうことは言える。
試すことはできるけれども
さあじゃあこれをやってみて
あなたはどう感じる?っていうふうに
コミュニケーションをしていく必要があるわけです。
骨や筋肉を知ることと
相手の話を聞く
相手の心理状態に
働きかけていくっていうことが
同じ場面で必要になるんですよね。
じゃなければその人のしんどさ
相談を受けた時のそのしんどさみたいなもの
色々ありますよ悩みとしては
パートナーシップの問題
仕事の問題
人間関係
そういったそれぞれの人が経験している
いろんな場面がある中で
こういう場面だから
みんなこういう体験をしてるかって言うと
全く違かったりもするわけです。
だってパートナーシップに問題抱えてる
みたいな場合だって
それを本当にしんどいって感じているか
流せている人もいれば
もうそれで本当に
離婚とかを考える人とかもいるだろうし
仕事を辞めたいって考える人もいれば
なんとかストレス発散しながら
そうやって生きていくもんだよね
っていうふうに明らかんとしてる人もいたりする。
経験っていうものを解いていくために
知っていくために
この解剖、骨筋肉とか神経とか
っていうものと相手の話を聞く
心理的な知識っていうものが
同じ場面で必要になっていくわけだ。
今この人は何をしようとして
どんな感じになっているのか
その体験に合わせて
どういうふうにこの人を導いていこう
説明していこう
働きかけていこうかっていうものを
考えていきます。
私塾での学び:知識と実践、そして対話練習
始熟の中では
図で骨とか筋肉とかの位置を学んだら
自分の体でまず探していきます。
自分の体で感じていく
何々筋みたいなものが出てきたら
自分の体で言うこれかって感覚でね
やっていくわけだ。
目をつぶって人差し指を動かして
見てください、皆さん。
人差し指わかりますよね。
目をつぶっても動かしてやれば
これが人差し指、これが中指だ
っていうふうにわかるわけです。
それぞれの体の細かな部位も
全部自分でわかるんですよ。
心臓の拍動
呼吸で肺が動く
肋骨、胸郭が膨らむ、へこむ、しぼむとかね
そんなふうに知識を学びながら
自分の体感に落とし込んでいくことで
より相手の体験を
想像することができる
自分の中である種追体験のようなものを
することができるようになるわけです。
でもかといってそのしんどいものを
全部受け取るわけじゃないんだよ。
自分に体感があるということは
それをほどいていくこともできるからです。
クライアントのほとんどは
辛い体験をして相談に来る。
治療してほしくて来てくださる。
辛い体験、心理的な状態というものがあるということ
辛い心理的な状態があるということは
背景に辛い体験があるということ。
辛い体験があるということは
その背景に体が辛くなっているということがあるわけですよね。
じゃあその体が楽になれば
体がいい状態になれば
僕らの体験には心地よいという体験が出てくるし
心地よいという体験に包まれていれば
そこから立ち上がってくるのは
楽しいとか嬉しいとか
生きているという感覚になるわけです。
こういったものを知識を学びながら
人によって違うその体験に触れていくことができるわけです。
自分が人の話を聞く時にも使ってみる。
最初の一番最初冒頭でね
相手がクライアントが
お客様が話ししている時に急に黙っちゃった。
そうしたら自分も焦っちゃうという場面に戻ってみたいと思います。
今やってみたことで
体の肩の感じというのが変わったとしますよ。
それだけで相手の話をついて聞けるようになったとは言えないと思うんです。
ああ確かにこの人と話している時ここ張っているな
というのが分かったとしても。
始熟の練習なら
話す側と聞く側に分けて
短いやり取りをするというセッションの練習をするんですね。
これは哲学対話だったりとか
対話練習と言われるものだったりとか
というものですね。
いわゆるロールプレイングとは違って
実際に熟成同士で話を重ねてみる。
毎回そのいろんなテーマを設定して
そのテーマについて自分の考えていることを感じたこと
体験していることというのを引き出していくし
相手に伝えていくということをやっていきます。
例えばここで聞く側の人がこう話したとします。
相手が黙ってしまった瞬間
なんか前に乗り出してた気がします。
背中の方がすごく張ってた感じがした。
ちょっと焦って息が浅くなっている感じもあった気がする。
でもちゃんと聞いているということを
伝えたかったんだと思いますというふうに話した。
そう聞いたら、例えば僕だったら
どうしてそう考えたのかな?
実際に相手はどう感じていたのかな?
というのを一緒に確かめたいです。
話す側は考える時間が欲しかったのかもしれないし
続きを話したかったのかもしれない。
何か聞いて欲しかったのかもしれない。
黙っているということだけでは決められないですよね。
例えば話す側から少し考えたかったんだけど
早く話さなきゃという気持ちになりました
というふうに返ってきたとします。
その返事を聞いて
どんな姿勢でどんなタイミングで質問をしていたのか
というものを振り返っていきます。
自分の関わり方が相手にどう伝わっていたのかを
考えられますよね。
そうやって今度はどんな姿勢なら自分も無理なく聞けそうか。
ゆったり焦らずに聞けそうか。
相手が考える時間をどう取れそうかというものを
本人に考えていただいて
もちろん僕の中での
僕が指導するわけじゃないですよ。
こうだと思いますよというふうにお伝えするんじゃなくて
僕だったらこう捉えるかもなあ
というのは捉えちゃうかもなあというふうに
言ってもいいかもしれない。
あくまで女自身の見方というものを伝えた上で
あなたはどう感じたのかというものを
相談、対話していく。
で、もう一度やってみると
楽な姿勢がいつも同じ形になるわけでもありません。
姿勢をビシッと良くして
ちょっといつもより声をワントーン上げて
テンポ良く話そうみたいにしても
なんか今日はちょっと緊張しちゃうなあとか
なんか今日いつものテンポ感と違うなあ
ということもあると思う。
仕事をしててね。
なんか今日調子悪いなあとか。
かと思えばなんか今日はスルスル
相談進むぞとか。
なんかスルスル相手の話も聞けるぞ
みたいなこともあったりする。
ここでの目的というのは
ずっと力を抜いている人になることではないんですよ。
相手の話を聞いて
必要なら質問をして
自分の考えも伝えられるし
その人のやりとりに応じて
開かれた状態と閉ざされた状態:対人支援におけるコミュニケーション
自分も動けるようにしていきたいわけです。
つまり自由な状態に
自分の状態を置いておきたいんですよね。
これを開かれとか閉ざされって
僕は言ったりするんですけど
開かれた状態っていう風に言ったりします。
なんかちょっとね
抽象的で怪しい言葉選びかなあ
とも思ったんですけど
割と的確に表現できてるかなと思うのね。
対人支援もそうだし
僕ら生きてることっていうのは
自分一人がこうだろうって感じて
一方通行で全てを物を成してるわけじゃないですよね。
こうかなあと思って感じて
相手に働きかける。
ああなんか喉渇いてるのかなあと思って水持っていく。
そしたらなんか水が飲みたいわけじゃなくて
ちょっと息切れしただけだから
っていうような応答が返ってくる。
ああそうなの?
じゃあちょっとそこの木陰のところで休んだらみたいに
コミュニケーションをしながら
相手にとって
できるだけいい手助けっていうものを
やっぱしたくなりますよね。
これがコミュニケーションになっていない
いわゆる僕の中で閉ざされっていう風に言ったりします。
閉ざされの状態にあるっていうのは
つまり体がこう余ってて
相手がどういう表情してるか
相手が何を求めてるかを
いろんな情報で本当は判断するんだけど
それができない状態になってしまう。
そうすると
この人喉乾いてるんだろうな
水をあげよう。
そしたら喜んでくれるはずだぜ。
みたいに水を渡して
2個出て飲んでくださいって言って
そこを去るみたいな
中学生男児みたいなことが起きてきてしまうわけです。
自分の生涯に閉ざされてしまっているんですよね。
だからすごいなんだろうな
強い言い方をすると
一人よがりで
自己満足的な
対人性になってしまいかねない。
それで結果が出ないと
相手はこういうパターンだったから
ダメだったのかなとか
続けてきてくれないからダメなんだよ
っていうようなことになってしまいかねないわけなんですよね。
一方、開かれっていうのは
相手がどういう状態にあるかを
いつでも受け取れる状態
つまり開かれた状態にあるということでもあります。
でもこれって自分に余裕がなければできない。
心理的な余裕があるってことは
身体的な余裕があるっていうことでもあります。
つまり体がほどけていて
身体合理性が高い状態になければいけないわけなんですよね。
これを
いろんな知識を身につけながら
実践してやっていく。
この開かれの状態で
対人支援をこなしていくために
仕事を
人生を歩んでいくために
この私塾の中では
知識と実践というものに
重きを置いてやっていっています。
私塾生の声と、学びの継続性
こうした私塾で学んだことっていうのを
自分の日常でも使っているっていう方もいらっしゃいます。
実際の私塾生の方で
リラクゼーションの仕事をしている方でした。
最初の頃入ったばっかの時は
人からどう思われるかっていうのを
頭の中でいろいろ考えてしまっていて
疲れ切っちゃう。
あることないことを自分の中で考えちゃって
そんなに考えすぎない方がいい。
そんなこと
あるわけないと思いながら
もうぐるぐるぐるぐる考えちゃう
っていうことを自分でおっしゃっていたんですね。
気持ちを自分の中でノートに書いたりとかして
っていうことも試していたりしました。
怒りが湧いた時
自分がカーッとなった時に
こうだったんだよねってことを話してくださったんですよ。
自分の体を揺らしたりとか
ほどいたり
具体的なほどき方っていうのを
私塾ではお伝えしてますからね。
これを実践していくことで
私は何で怒っているのかっていうのが
内省できたっていうことを
おっしゃっていただいたんです。
怒りが起きた時に
体を動かして落ち着こうとしながら
自分がなぜ怒っているのかも振り返れた。
自分の体について学んだことを
日々の中で試している様子が
伝わってきますよね。
こういうことっていうのは
一人で勉強しているだけだと
なかなか気づきにくいところもあるわけです。
骨とか筋肉の名前は覚えられるし
話の聞き方とか心理学的な知識みたいなものは
本とか
情報たくさんあるからね。
情報科、社会、動画もあるし
たくさん学べるんです。
でも実際に相手とやりとりしている時に
自分が何に気づいて
何を見ようとしているかっていうのは
自分だけでは分からないということがあるんですよね。
例えば肩の動きについて
詳しく説明できる。
肩何度挙上で
どこどこ筋がこういう風に出力してみたいな。
でも相手はどう動かせばいいか
分からなかったかもしれないわけです。
肩を90度挙上させて下さいと言っても
挙上って何ですか?90度ってどういうこと?
こういう感じだよって言って
同じ動きをするとかさ。
毎日30分歩って下さい。
30分歩くっていうのがその人にとっては
とてつもなく辛いことかもしれないし
歩き方っていうものも非常に抽象的な
その行為の表現でもあるからね。
毎回右膝の古傷にダメージを負わせてしまう
ということもあったり
その肩、独特の歩き方のせいで
測定になっちゃうとか
怪犯防止がひどくなっちゃうみたいなことも
あったりするわけだ。
相手の気持ちを理解したつもりでも
自分の経験に当てはめちゃうみたいなことも
あったりする。
なので僕自身は私塾で練習した方に
何を見てそう考えたのかとか
どうしてその方法を選んだのか
っていうものを聞いていったりもします。
その上で実際の返事とか実際の動きと比べて
僕なら何を考えるかな?
次に何を試せそうかな?
こういったところは
僕にもなかった見解だよみたいに
意見を交換する場として
この場が成立しているのかなと思うんですね。
解剖の知識が足りないところは
具体的に学べるし
話をどう聞けばいいかわからないなら
聞き方から練習していくこともできる。
知っていたけれどその場では使えなかった
ってなったら何が難しかったのか
いつもの自分の聞き方の癖というものが
型というものが多分あるのかもしれない。
そんな風にやっていきます。
じゃあ事前知識ないと参加できないのか
っていうとそういうことでもありません。
これから学ぶ方に
既に仕事で使っているという方も
それぞれのわからないところは迷うところを
学ぶ材料にしていくことができます。
知らないっていうのはすごく大切なことで
僕なんかはもういろんな知識にまみれてしまっている
つまり偏りにまみれてしまっていることでもあるので
いろんな人と関わることで
なるほどそういう視点もあったんだっていう風に
その偏りを解いていくような作業でもあるんですよね。
多くの知識を学んでいる方というのも
やっぱりそうなんだと思います。
わからないからこそ引っかかるところを
教えることができるんですよね。
それってどういうことなんでしょうか。
知らないからごめん教えてではなくて
これがちょっとわからないと感じたんです
っていう風に率直に意見交換できる。
お互いに学ぶことができるっていうのも
この私塾のすごくいいところだと思っています。
同じ説明を聞いても
自分とは違うところに気づいている。
自分が楽だった動きでも
その人はやりにくいっていう風に言ったりする。
そうした違いを知っていくと
自分がわかったことだけで
相手のことまでわかったつもりには
なれないんですよね。
同じ時期に私塾に参加してくださった別の方は
最初文章を書くのが苦手だっておっしゃってました。
ちゃんとしたことを書こうとすると
まとまらなくなるっていう風に話してたんだけど
少しずつ投稿を続けて
最後にこんな言葉を残してくれました。
アウトプット苦戦したけど
今でも苦手だけど
上手に書こうとしちゃう自分がいるのがわかると。
だけど少しずつ上達していくとか
こうやったら上手になれそうだなっていう
実感があると。確信があると。
そんな風にちょっとずつ思えるようになってきたよ
っていうことをおっしゃっていただきました。
苦手は残ってるけど
それでもこの人たちとなら
上手くできないままでもやってみようと思えると。
少しそれが関わっていくこと自体が
上達していけることでもあるんだろうし
何よりこの関係が
こうやって取り組むこと自体が楽しいんだよ
っていう風に言っていただいたんですよね。
まさに僕が理想とする学びの場として
この場が成立したものでもあるなという風に思いました。
僕自身勉強して知識が増えていく中で
目の前の人の体験が
おろそかになってしまっていたっていう時期も
間違いなくあったと思います。
今でも多分自分が気づかない範囲でね
昔に比べたらだいぶマシにはなっていると思うんだけど
やっぱり自分の体験で
相手が感じていることを
和尚化してしまうということは
少なからずやっぱり起きることだと思っています。
でも限りなくそれを小さくしていく
っていうような努力が必要だし
それがほどけていくっていうのがすごくね
対人支援の一番面白いところ
醍醐味でもあるかなと思うんですね。
それをしていくために
相手がどう感じているのか聞いて
自分の理解が合っているのかっていうのを確かめながら
その人と伴奏していける
支えていけるということに
すごくやりがいを感じます。
これが私塾でも
その人が実際にどう感じているのかっていうものを
一緒に理解していける。
だから僕の中では
友人とか家族とかとのコミュニケーションも
クライアントとのコミュニケーション
お客様とのコミュニケーションも
私塾でのコミュニケーションというのも
全部地続きなんですよね。
これを皆さんにも
ぜひ感じていただければなと思います。
やっぱりコミュニケーションしていくの楽しいからさ
私はこう感じているんだけどさ
大沼はこう感じているんだとか
そういったものを
やっぱり会話の中でできるっていう機会って
すごく貴重なんだと思うんですよね。
SNSとかいっぱいこう見たりとかさ
ネットの記事とかいろいろ見るのも
面白いんだけど
そこに閉ざされずに
人と実際に会話しながら
一緒に学んでいけるっていうのがすごく
現代的には特に重要な場所なのかなと思うわけです。
はい、ということで
私塾の授業内容と、学びの構成
こんな感じで僕の私塾の中では
大体
毎週木曜日に
夜9時から
基本の1時間を
私塾の授業として行っています。
毎週木曜日9時からですね。
大体解剖、前半の解剖20分と
セッションの練習、対話練習ということで
40分で進めています。
解剖というところでは
骨とか筋肉の位置とか動き方
っていうのを自分で実際に確かめていく。
その過程で僕はクライアントに
こういう風に指導をしていたりするよとか
こうやって解くことを実践していたり
こういう風に感じるという方もいるみたいだよ
ということを
僕の中の経験の話を存分にお伝えしています。
セッション練習の中では
それぞれの塾生のペアごとに分かれていただいて
毎週1ペア、2ペア、3ペアくらいの
方の部屋にお邪魔してお話を
一緒に僕もお伺いして
あるテーマに沿って
対話練習をしていただきます。
その中で得た皆さんの疑問だったりとか
なんかうまくできたぞみたいなもの
ザクバラな感想みたいなものをいただいて
それについて1個1個
全てにフィードバックを行います。
僕自身のフィードバックっていうのはさ
ある種おまけのようなもので
ペアを組む相手っていうのは
既存の主塾生だったりとかの場合が多いです。
なのでうまくリードしてくださったりとか
話の聞き方ってこういうふうに
話を広げていくんだなとか
ここを広げるんだなとか
話した後にすごくスッキリしたなとか
もしくはなんか今回のセッション微妙だったな
もうちょっとここを聞けばよかったな
みたいなものがやっぱり実践の中で
たくさん湧いてくるんですよね。
こういったものを
塾生同士でコミュニケーションを取りながら
一緒に切磋琢磨して
気づいていくことができる。
そしてわからなかったことを
調べることもできるし
僕に聞くこともできるし
他の塾生の皆さんに聞いていくことも
できるということになります。
それを補足するような
解剖の知識だったりとか
心理学的な知識みたいなものも
存分にお伝えしていきます。
だからその時に感じたことっていうのは
その場で言語化して
自分の中に蓄積していくことができる
という意味で
うまくこの塾の構成っていうのが
できているのかなと思うんですね。
これも最初からこの形になっていたわけではなくて
実際に参加してくださっている
塾生の皆さんから
こういう形がいいな
もっとこういうことを知りたいな
みたいなものを
しくいちごくコミュニケーションいただいて
その中で改善改善を重ねていっています。
なので今が一番いい
というふうに自分の中では思っています。
常に思っているものを感じているもの
それから蓄積しているものは
皆さんに全部公開しているつもりですし
聞かれたら全てお伝えしたいと思います。
こうして身につけた心と体の
両方の知識というのを
実際に生きている自分とか
目の前の人の体験に照らして使っていく
そんな時間を基本的には授業オンラインで
12ヶ月間全48回ですね。
毎週木曜日の9時から10時を
基本として行っています。
この12ヶ月間というのも
基本的に12ヶ月間で設定していて
優先的に12ヶ月に満たない
私塾生の方にフィードバックを行ったり
DMで細かいやり取りとか
というのもしています。
なんだけど
基本的に私塾に参加してくださった方は
SOMATIC STUDIOもパートナーとして
ご案内しています。
やっぱり一緒に同じことを
切磋琢磨して学んでくださった皆さんなので
やっぱり僕は友人だと思っているんですよね。
そういう方は
ジャイアン風に言うと心の友だと思っています。
なので今後のコンテンツとかも
僕の考えていることとか
活動みたいなものも
やっぱり見ていただけたら嬉しいなと思うし
皆さんのやっていることっていうのも
SOMATIC STUDIOの中で紹介したいし
力にもなりたいし
皆さんがどう感じて
どう思って発信しているのか
というものも
やっぱり見ていたいんですよ。
なので基本的にコンテンツは
僕がSOMATIC STUDIOをやる限りは
ずっと見れますし
基本的には無料で
全部行っています。
そして録画も毎回用意しています。
録画してアーカイブも
資料でまとめたものを
皆さんに共有しているので
毎回参加しなきゃいけない
ということでもありません。
都合がいい時に
ぜひ参加していただいて
ちょっと今日都合悪いんだよな
という時は後から見直せばOKです。
12回分
完全に綺麗に並べられているかというと
全くそうではなくて
基本的に12回で
全ての僕が重要だなと思うところを
網羅できるように設計してはいるんですけど
それだけじゃないじゃないですか
勉強とか人間のことってね
なのでところどころ
細かい不要的な知識
具体的な知識というものも
たくさん合わせながら
48回をやっていきます。
なので
1年過ぎた後も
なんか大沼はまた
言っていたことと
違う言葉が出てきたりしているな
この間言っていたことの
あれにつながることなのかというものも
たくさん出てくると思うんですね。
そういったものも含めて
これからの人生
対人支援のお仕事だったりとか
人と関わることっていうものを
ぜひ僕自身と一緒に
僕と一緒に
学んでいく場所だと思っていただければと思います。
ここでこういう風にできるようになるとか
もちろんそれも嬉しいんだけれども
それよりも
一緒に学ぶ時間を
得ていただくというところに
重きを持っていただけたら
嬉しいなと思います。
個別相談と、仕事・人生への応用
受講期間中は
基本的に45分の個別相談
というものを用意しています。
1on1ですね。
集団の授業とは別に
個別相談できます。
一応用意してはいるんですけど
12ヶ月以内に
昇華しなくてもいいし
連絡いただければ
全然Zoomの時間とかも取れます。
実際そういう風にやっている方も
いらっしゃいますので
気軽にちょっとこれ聞きたいんだけどとか
なんかこういう相談があるんだけどとか
ちょっと飲み会するんだけど来ないとか
も言っていただけたらすごく嬉しいです。
基本的にその12ヶ月の期間中は
DMとか質問とか
相談というものを優先的に行います。
学んだことをね
自分の仕事で使おうとすると
授業の時には思いつかなかった
という疑問もたくさん出てくるんですよ。
その疑問をね
実際の自分に体験に
紐づいた疑問じゃないですか。
悩みじゃないですか。
何よりのやっぱり
勉強の材料なんですよ。
それを
僕はじめ他の熟成の皆さんとも
共有しながら
こういうことなんじゃない。
ああいうことなんじゃない。
こういうふうにしてみようかな
というものを聞いて上で
次の実践でまた試せるように
また
主軸の講義の中で練習していく。
セッション練習に
活かしていくということができます。
体のことを詳しく知りたいとか
人の話をどう聞けばいいか学びたいとか
自分の支援について
誰かと一緒に考えたいとか
今どこで困っているか
というところによって
必要な学びも変わってきます。
特定の知識を調べたいという段階なら
本とか公開している配信とか
Googleにたくさん起こっていますから
そこで調べることもあります。
その先で
実際に人と試したいとか
大沼の考え方を知りたいとか
大沼だったらどう考えるのか聞きたい。
もしくは
ここのSomatic Studioに
大沼の周りに集まっている人の話を聞きたい
というふうに思っていただけた場合には
ぜひ私塾の方も見ていただけたら
嬉しいなと思います。
ここの配信とかを聞いてくださって
私塾気になるなと思ってくださる方がいるとしたら
適性は間違いなくあると思っていますので
安心していつでも来ていただけたら
嬉しいなと思います。
最後に
人の力になりたいけれど
自分もしんどくなってしまうという話をしました。
相手のことを大切に思うという気持ちは
僕は何より大事にしてほしいなと思うんです。
やっぱり嬉しいじゃないですか。
答えたいという気持ちを抱くこと自体がさ。
その上でどう関われば
自分も心地よくその人と向き合えるのか
存分にその人に向き合うことができるのか
これはね、気持ちだけで頑張ろうとしなくても
具体的に学んでいけることがあるんですよ。
自分の体を知って
相手が今どんなことを体験しているかというのを
知ろうとする。
学んだ知識を使って
お答えして
その後どうなったかというのを一緒に確かめて
また一緒に歩みを重ねるということができるわけだ。
そうして人と関わるということが
自分自身を知ることにもなっていきますよね。
相手のために学んだことが
自分が生きる上でも役に立ってくれる。
生きるということ自体が変わっていく。
そうして自分が変われば
またさらに相手に答えられるようになっていく。
僕自身そういう学びを続けていきたいと思っています。
こうした発信とか配信活動みたいなものも
まさにそのためにやっています。
治療の一環でもあるし
専門家の育成の一環でもあるし
コミュニケーション、人と関わるということの一環でもあるわけです。
つまり僕の生きることの一環なわけだ。
もちろん人を支える仕事ではね
難しいこともたくさん起きていきます。
思ったようにいかないこともたくさんあると思います。
そのために自分の中だけで抱えるのではなくて
僕とか大沼達也とか
そこと一緒に学ぶ
熟成の皆さんと
一緒に話をしてみてほしいんですね。
自分では思いつかなかったことを
そういう見方を知ったりとか
あれこんなこと自分思ってたんだということが
話の中で引き出されるということも
まあまああります。
同じところで迷っているという人が
いたりもするかもしれません。
そのやりとりを通じて
一緒に学ぶ仲間として
対人心を志す仲間として
お互いのことも少しずつ知っていける。
誰かの力になるということを
自分がすり減っていくことだけで終わらせたくないと
人と関わって学ぶこと自体を楽しみながら
自分の人生も良くしていきたい。
そのための学びを
就職で一緒に続けていけたら
嬉しいなと思います。
学びの継続と、共に歩む姿勢
最後に長い配信
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この今回のBotcastを
最後まで聞いてくださった方には
本来9月の26から
募集を開始する予定なんですけど
優先的にご案内できたらなと思っています。
やっぱりここまで僕自身の発信とか
言葉を聞いてくださる方っていうのは
それだけこの始熟の中でも
一緒に学んでいけると思っているんですね。
なので
この後
DMを僕自身の方にいただければ
優先的に受講の条件とか
応募フォームそれから授業の内容とか
細かいものを載せたページがありますので
そちらをご案内させてください。
たった今の瞬間から
応募を受け付けます。
その中から
一応26日から応募開始なので
それまでにかな
時間を要するかもしれないんですけど
必ずご返信はしますので
ぜひ気になる
大沼と一緒に学びたい
っていう風に思っていただけた方は
ぜひDMをお待ちしています。
ぜひあなたの心差しというものを
僕自身も
一緒に伴奏しながら
生きていけたらなと思っています。
ちょっと大げさかもしれないけどね。
ということで
ちょっと長くなってしまいましたが
今日は
こんな感じの話で終わりにしたいと思います。
新体能共有ラジオ
今日ものんぺんだらりといきましょう。
またお会いしましょう。
01:14:31

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