誰かの力になりたいと思って、この仕事をしている。
でも、一生懸命向き合うほどに、自分が疲れてしまうという、
そういう悩みを抱えている方というのは、少なくないと思うんですね。
多かれ、少なかれ。
クライアントの話を聞く、お客様の話を、相談を真摯に聞いていく。
話聞いた後も、あの言い方でよかったのかなとか、
もう少し何かできたんじゃないかなという風に考えている。
でも、その仕事は終わっているんだけど、その気持ちがね、なかなか仕事の状態から離れていかないということもあると思うんです。
だからといって、人のことはもう気にしませんっていうように、
いきたいわけでもないんですよね。
よく境界線、バウンダリーとかって言ったりするけど、
人に全然興味がないわけじゃないし、
やっぱり頼られたらお答えしたいって思うのが、やっぱり人間の差があるんですよね。
やっぱりその人のことが大事で、気になっているっていうことがあるわけだ。
とはいえ、自分を抑えて、人のために頑張り続けるっていうのもしんどいですよね。
でも関わること自体をやめたわけではないっていう、このジレンマがすごい難しいところなんだと思います。
全ての仕事がそうなのかもしれないけど、
事さら人と関わる仕事、特に僕がやっているような、
大人支援でくくられるような仕事はそうかなと思います。
心理職とか、神経とか、生体とか、ヨガ、ピラティス、
体を扱うこと、心を扱うこと、そういう葛藤とかね、苦しさっていうのが、
その仕事の醍醐味でもあるのかもしれないけれども、やっぱりあるんですよね。
僕も、やっぱりこれまでの経験の中で、
施術をしていて、相手の反応ばかり気にしているっていうことがありました。
ああ、ここをこうやってこのくらいの強さで押していくと、
気持ちよさそうにしているな、いい感じにできているなっていうふうに思っている、その時は。
なんだけど、自分はものすごい無理があるような姿勢で、
そのマッサージ主義をしていたっていうことがあったりする。
だから体力には割と自信がある方だったんですけど、野球をずっとやってたからね。
相手の反応を見て、自分のその体感、自分の状態っていうのをそんなに返り見ないでいると、
もう割とクタクタです。慣れてなかったっていうのもあるのかもしれないけど、
半年、1年とか経って、数年とか経った頃かな、結構慣れてきたはずなんだけど、
やっぱりお客さん立て込むと、患者さん立て込むと、
体あちこち痛くなって、これは困ったぞということがあったりしました。
それで僕の場合はきっかけに、自分の体にも目を向けるように施術中、対応中というのもなったんですよね。
どこで余計な力を使っているのか、どうすれば自分も心地よく動けるのかな、
施術しながら楽になっていくってことはあるのかな、楽しくもっと仕事できないかな、
楽しく楽にできた方が、手を抜くってことじゃないですよ、気持ちを抜くわけじゃないんだけど、
変に頑張りすぎてもさ、クライアントがどう感じているかとか、何を考えているかみたいなところ、
そういうところに意識回らなくなっちゃうんですよね。
いっぱいいっぱいになって、からすぶりしちゃったな、みたいなことが結構あったんですよ。
いろいろ施術しながら、こうかな、ああかな、とか、いろいろ試していくと、
一番最初に、僕の場合はインターン先の切骨になったりとか、リラクゼーションでバイトした時の先輩とかだったんですけど、
その時に教わった感じとか、体の構えとか、足の開き方とか、そういったフォームみたいなものの意味が自分の中でも分かってくるようになったんですよ。
僕自身は、人の力になる、何か人に頼られた時に、存分にそれに対して応えられるっていうことが、自分の人生の楽しさにもつながっているんじゃないかなって思うんですね。
なので、ソマティックスタジオのコンテンツもそうだし、僕の発信もそうだし、なおさら私塾っていうのは今自分でやっているんですけど、
その中にいらっしゃる皆さんには、人のために生きるっていうことってやっぱり楽しいよな、もう人生の喜びだよなっていうふうに思っていただきたいなって思ってます。
つねぎものからね。実感してほしいっていうのかな。この人と関われてよかったなっていうふうに思える。うまくいかなかったらもう少し学んでみよう。次はこうしてみようっていうふうに思えるように。
そのために心と体について学んで、実際に人と関わりながら練習するっていうのが、僕の私塾の中で重んじていることです。
今日は人の話を聞くときに自分の体では何が起きているのかというところからお話を進めていこうかなと思います。
これからそうしたことを学びたいっていう学生さんとか、これから会議を目指しているんだとかっていう方にも聞いてもらえたら嬉しいなと思います。
特にこういう仕事は私に関係ないけどなと思う方もね、友達とか家族とか、誰かに頼られること、誰かに頼ること、コミュニケーションっていうのはやっぱり生きていく中で必ずあることだと思うんです。
仕事じゃなくてもそのコミュニケーションというところに通ずる、それをより専門的にやっていくのが対人支援という仕事だけだと思っているので、ぜひ自分ごとに置き換えながら聞いてみていただけたら嬉しいなと思います。
わかっているのにそのままになるとできない。
例えば誰かが悩みを話している途中で黙ってしまったとします。
結構あるんですよ。クライアントの話を伺いしてて、こうであーでーって色々聞いてて、急にクライアントが黙っちゃう。
言葉にできないのかもしれないし、話しにくいのかもしれないし、何でかはその人にもちろんよるんだけど話が止まっちゃうと。
こういった時にね、急がなくていいよ。相手が話し始めるまで待つんだよ。沈黙を怖がらないんだよっていう風に色々な情報があったりとかします。
だからみんな知ってるんですよね。ちゃんと話を聞くんだみたいなことは。
特にこういう対人私職ついてる方だったら、相手に話してもらう。相手の感じてること、思ってることを聞くために沈黙を怖がらないみたいなことは当たり前としてわかっていたりするんだけど、
いざ目の前で黙られるとね、いざ目の前で沈黙が起きてしまうと、なんか言わなきゃなっていう風になるんですよね。
肩に力が入って息を詰めて、ちょっと前のめりになって次の質問を探し始めるということがどうしても起きてきます。
プライベートでもそうだと思うんだけど、やっぱりね、報酬をいただくとか、仕事として、専門家プロとして対事してるっていうものが余計にそうさせるんですかね。
ちゃんとしなきゃみたいな。立派な理由だけどさ、ジレンマですよね。それでどうしたんですかみたいに間髪入れず聞いちゃったりする。
待つつもりだったのに気づいたらもう自分で声かけちゃうみたいなことがあったりします。こんな場面をちょっと思い描いてみてほしいんですね。
この人は待つことの大切さを知らないわけではありませんよね。分かってる。その人の感じてる思ってることを聞くために注目を怖がらない。
でもその場では焦ってしまうんですね。さあどうしようかなと思った時、いやもっと落ち着けばいいんだ。気にしすぎなければいいんだっていう風にしたとしても、
じゃあどうすればいいのかって困ると思うんです。落ち着こうと思ってるよもうすでに。気にしすぎないようにって思ってるんだ。
自分でもできることならそうしたいんだけどそれができないんだよな。
僕はこういう時に考え方だけで変えようとするのには無理があるっていうことを普段お話ししてるんですね。
実際にその場で体はどうなっていたのか、相手とのやり取りの中でどんな感じがしていたのかもここでは重要になってきます。
肩を上げて息を止めて相手の顔をじっと見ていたのかもしれないし、早く何か返さなきゃっていう風にちゃんと聞いてないと思われそうだったのかもしれない。
これは本人に聞いてみないと分かりません。その時の状態っていうのは。
ただ頭の中で待とうと思うことと実際に待っていられるっていうことの間にはこうした体の感じとか相手との関係性もあるわけだ。
自然ともう聞いちゃってるんだもんね。自然ともう体が焦っちゃってるんだもんね。
それは待てないですよね。条件反射。本能的にもうそれに注目に対して質問投げかけてしまうということが起きるわけだ。
心は体から立ち上がる。これも僕が私塾で伝えたいことの一つです。
私塾で中心になるのは実際にやってみることです。実践すること。
いろんな情報とか僕なりの見立てみたいなのはSOMATIC STUDIOの中でもサポーターの方には公開してます。毎週2回配信をしてるんだけど。
インスタとかでもそういったものをできるだけいろんな方に分かりやすく届けられるようにっていう風にやってたりします。
けど私塾では少人数制で僕自身とコミュニケーション取りながら進めていくということを大事にしていきたいんですよね。
やっぱり発信って一方通行だからさ、いくらコメントでいただけるってなってもすごい嬉しいんだけど、
なんていうんだろうな、ポンポンポンポンっていうようなキャッチボールにはなかなかなりにくかったりするんですよね。
それも文通みたいで面白いんだけどさ、コメントみたいなのも。
やっぱり面と向かってオンラインだったとしてもある程度の会話のテンポ感だったりとか、
パッと口をついて出てくる言葉、感じ方みたいなものをコミュニケーションできるのってすごく重要なんだと思ってるんです。
だからこそ対人支援職、専門職の方に僕が指導させていただくという時も、
あくまでコミュニケーションであって、この人は何を考えているんだろう、どう感じているんだろうというところが、
やっぱり僕自身も分からないとお伝えできないし、受け取り側もオヌマはこう感じているんだ、こう思っているんだみたいなものを、
やっぱり僕もまだまだ未熟だからさ、文章でそれを伝えられるかというと多分そうじゃないと思うんです。
ある程度の年月、面と向かってこう話を重ねていく、コミュニケーションを重ねていく中で、
多分こうしたことがお伝えできていくんじゃないかなと思って、そういった意味も込めてこういう支職という形をとっているんですよね。
で、こうしたことをいろいろやってみている、その経験をどんどん積みながら少しずつ身につけていってほしいなと思うんですけど、
僕自身もそうなんだけどさ、身につけていく。
人の話を聞く、クライアントの話を聞く、相談を受けるみたいな時も、僕らは体を持ってそこにいるわけです。
クライアントも同じ。相手の声を聞いて、表情を見て、自分も息をしたり合図地を打ったりしている。
その関わりの中で悲しくなったり、ほっとしたり、次に何を言おうかなって考えたりとかしているわけだ。
話の内容が同じ、つまり言っていることが同じだったとしても、誰から聞くかで受け取り方が変わるとよく言いますよね。
同じように、その人の声とか、話している場面だったり、そのテンポ感とか、みたいなものでもどう受け取れるかというのは変わってきますよね。
すっごい早口で説明されるのと、ゆったりした口調で話されるのと、もしくは自分と同じようなテンポ感で答えてくれるのかというところでも変わってくるし、
もしくは、たとえばおしっこ我慢しながら、こっちがおしっこ我慢しながら話を聞いていたら、なかなか聞き取れなかったりもするよね。
だっておしっこしたいんだもんね。余裕ないもん。
お腹すいてイライラしていたら、疲れていたらイライラしていたら、それをどう受け取るかみたいなものも変わってくる。
こういったところでも違いが出てきます。
こんな風に、僕自身は思考、つまりどう考えるか、思うかというところ、それから感情、どう感じるかみたいなものを、その体と切り離して考えないんですね。
人とか環境、こういったものと関わる体というものが僕らにはあって、ここから心が立ち上がっているというように考えるんです。
その体も関わりの中で変わり続けています。
たとえばさっきの例であれば、相手が黙ってしまった。相談している、聞いている時に相手が急に黙っちゃった。
そうしたら自分も自動的に息が詰まってしまう。
待たなきゃと思いながら、何か言わなきゃいけないかな、この間が何となくちょっとまずいかな、思う前だと思います。
思う、考える、それ以前にもう反応しているんだと思います、体が。
それで口をついて質問が出てきてしまって、相手もそれに答えようとする。
こっちの体も相手のやりとりというものも、相手の返答というものもその都度変わっていきます。
だからこそ話の聞き方を学ぶというのも、どういう言葉を使うか、心理学的にいろんなものがありますよ。
心理療法とかでもさ、たくさん先人たちが積み重ねてきたもの。
オウム返し、リフレクションとかさ、パラフレームとかさ、いろんな、どうやって相手から情報を引き出すか、ちょっと嫌な言い方だね。
どうやってその方が何を感じているのかをどれだけ事細かに伺うことができるか、そういう技法みたいなものとか言葉がいろいろあるけど、
その言葉が何で出てきたのか、その時の体、その考える、思う、以前のところを見ていきたいんですよね。
僕の臨床の中では、僕がお伝えしたい大人生の中では、人が何を感じて、どう考えて、どう動くかというものを体から理解しようとする。
僕はそうした見方を、ソマティックという言葉でお伝えしています。
つまり、どう体験しているかというものを聞いていきたいんだよね。
ここで言う体験というのは、特別な経験とかという意味じゃないんですよ。
相手が黙ってしまった、次の言葉が出てこなくなっちゃったという時に、
こっち、聞く側の方で言えば、なんか胸が詰まる、話しても大丈夫そうだなって思えた感じ。
頭では分かっているんだけど声が出ない感じ。
今その人が実際に経験していることですよね。
間髪入れずに質問を挟んじゃったという時の、その時の体験があるはずだ。
言っちゃったって後悔している時の体験もあるだろうし、
口をついて出てしまった時の、その以前の直前の経験、体験というものがあるはずですよね。
それを理解して働きかけるために、心理と体の知識が必要になるわけだ。
口をついて出てしまったのは、体がこういう状態にあるからだというふうにその体験を紐解いていく。
じゃあ体がそういう状態じゃない、もっと良い状態にあれば、待てたんじゃないか。
もっとクライアントと楽に関われて、楽しく関われて、つまり存分にその人に向き合うことができるようになるんじゃないかということなわけです。
これを理解するために、働きかけるために心と体の知識というものが非常に武器になるわけです。
もちろんこれを無意識にできるという方もいると思うよ。
だけど僕自身やっぱりできなかったんですよね、それが。
なんでこんなにこの人は話を聞くのが上手なんだろう。
なんでこんなに楽しそうに大事に支援をしているんだろう。
僕にはできない。ここには何があるっていう。
逆に何も分からない、できない自分だったからこそここに着目できたのかなっていうのは自分の中でもあります。
だからこそこの部分を解き明かしていくソマティックスというものに出会えたし、
この部分を解き明かして皆さんにお伝えできるっていう経験を積むこともできたし、
同じようにここが何度なくうまくできないんだよな、できない気がする。
なんか大事なピースが抜けてる気がするっていう感覚を持っている方は結構いらっしゃるんじゃないかなと思うんです。
実際に私塾に参加してくださっている方っていう皆さんもやっぱりそこにつっかかりを覚えていて、
僕に共感を持って抱いてくださっていて一緒に今学ぶことができている。
これが私塾っていうところで両方を学ぶ心と体っていうものを学んでいくっていう理由でもあります。
心、心理について知ってるとその人が何を怖がってどういう関係で困っているかっていうものを考えられます。
こういう心の動きをしているようだね。
人っていうのはこういう心の動きをするようだよっていうもの。
そして体について詳しければ、どこがどう動いているのか、どんな働きかけを試せるかっていうのが具体的に考えられます。
緊張すると腕ビリビリするんだよとかっていうのであれば、腕がビリビリするってどの辺ですか?
小指側、小指側ってことは尺骨神経の近くだから、尺骨神経上っていうと腕の内側らへんの筋肉とか人体が緊張、心理的な緊張でギュッと収縮しちゃってたりするのかもしれないねとか、
胸がソワソワする、お腹のところがキリキリするんだよね、緊張するとっていうのであれば、
もしかしてその今触って見てもらっているところって胃の部分だから、緊張すると胃の方が張りやすいのかも。
あれじゃあ日常的に胃が弱ってたりとかあるのかな?胃の調子がいい時っていうのは緊張しにくいのかもしれないぞとか、
そんな風にいろいろ体と心っていうものを往復しながらその人を分解していくことができるんですよね。
その上で本人はどう感じているのかどう考えているのかっていうものを聞いていく。
知識を使って考えたことを実際の体験と照らし合わせていくわけだ。
この人の体験は僕がこさえた知識で言ったらどういう風に言語化できるんだろうっていうことを体験を基盤にして進めていくんですよね。
こういう病気があるからきっとあなたはこう感じているはずです。では順番が逆になってしまっているわけだ。
こうやって自分の経験とか体験みたいなのね、外症化された経験がある方っていうのも少なくないと思います。
それの最たるものが鬱とか適応障害とかいわゆる精神疾患みたいな物理的な気変、
気質的な変化、物理的な変化っていうものが見えない、傷がついていないとかさ、
そういうもので代表される精神疾患に相当されるものとかっていうのは
気のせいじゃないの?とか考えすぎだよっていうことで片付けられてしまったりするんですよね。
気のせいなのはわかっているんだけど、じゃあなんで気のせいになっているかがわからないっていうところがこのSOMATICSでは
ある程度解説できるし、何より実践していくことができる、前に進むことができるっていうのが一番のポイントかなと思うんです。
力を抜いてくださいって伝わっているか?体について具体的に学ぶと何が違うのかということです。
別にそんな解剖学なんか学ばなくても、その人の心に私は関与していきたいんですけどっていう方もいるかもしれません。
なかなかね、筋肉と心理状態、筋肉というと筋トレとかも含まれるからな、人体とか骨とかさ、そういう解剖学的な構造っていうのが何で心理的な状態に影響するの?みたいなものっていまいちピンとこない方もいると思うんです。
例えば、肩の力抜いてくださいっていうようなことを言ったりしますよね。そんなに緊張する必要ないよって。これ実際の臨床とかでもあったりするんです。
お医者さんに肩の力抜きなさいって言われたんですっていう風にクライアントの方が言ってたりする。
で、その言ってくださったね、お医者さん、ドクターの方も難しいこと言ってるつもりはないと思うんですよ。肩抜けんねえ、そんなの力抜きなさいと。
でも言われた人はさ、どこに力が入っているかってわかんなかったりするんですよね。
あ、そうですね、肩の力抜けばいいんですねってわかるんだけど、あれ?これって抜けてるのかな?抜けてるつもりなんだけど全然楽にならないぞみたいなことがあったりする。
いや、もっともっと楽にするんだよって言い出しても、今度は楽になろうとして頑張っちゃうっていうこともあったりするわけだ。
ここで知りたいのは、相手がどうしようとしているのかなんですよね、これの場合はクライアントの方が。
力を抜くっていうような抽象的な表現が肩を下げようとしているのか、胸を張ろうとしているのか、力んでいる状態がわかっていれば力んでない状態に生かせようとしているのかとかさ、
いろんな説明はできるんだけど、人によってやっぱり違うんですよ。
あ、力抜こう、肩の力抜くぞって思った時に、ほとんどが無意識なんだろうけど、呼吸でふーっていう風に力を抜く人もいれば、肩を落とすっていう人もいれば、手をブラーンってさせる人もいれば、お尻の穴の力をキュッと緩めるっていう人もいたりする。
本当にいろいろなんです。あなたにとっての力を抜くってどういう感覚ですか?どこに意識が向いている気がしますか?っていうのは結構重要な問いで、
どこも意識していないけどと思いながらも、体、ある行為をする時、ある行為をする時にどこを意識するかっていうのは結構人によって違うんですよね。
目の前のペットボトルを取ってくださいって言われた時に、手の指全部使って、手のひらも使ってガシッて取る人もいれば、小指立てて人差し指と中指だけでスーッと優しく取る人もいる。
右手で取る人もいれば左手も取る人いる。肩甲骨から動いて取る人もいれば、手首とか肘から下だけで取るっていう人もいる。
顔を向けながら取るっていう人もいれば、何もペットボトルなんか見ないで取っちゃう人っていうのもいるかもしれない。
こんな風に細かく見ていけばキリがないくらい、そのある行為、抽象的な行為、行いっていうのの中には、
千差万別いろんな人の無意識の体の動かし方、使い方っていうものが含まれているわけなんですよ。
だからこそ、この人にとっての肩の力を抜くっていうのは、どこに意識がまずいっているんだろう?どこを認識しているんだろう?っていうものを知っていく必要があるわけだ。
じゃないと、逆に力を抜こうとした時に息を止めているっていう場合もあったりする。肩をストーンと下ろすために背中の方に力が入っているっていうこともあったりするわけだ。
で、いろいろ話を聞いていったら、肩の力抜くには良い姿勢がいいかなと思って、良い姿勢ってどういうことだと思っているんだろうって聞いたら、
インスタのリールで見た鎖骨を下げる、肩甲骨を引き寄せるっていうのが良い姿勢だって聞いた。
なるほど、じゃあこの人背中肩も結構張っているのかなみたいな当てにつながっていったりするわけです。
同じ言葉を使っても相手がしていることはこちらの想像と全く違うかもしれない。むしろ違うと思いながら接していくことが重要なんですよね。
その違いをもう少し、もっと詳しく理解するために解剖を学んでいきます。
ここが結構、僕大野本篤也自身の特徴的なところでもあるかもしれない。
肩の動きでいうと、背中の上の方に左右の肩甲骨というのがあります。聞いたことあるよね。肩をすくめるって肩を耳に近づけるような動きだけど、肩甲骨が上の方に上がります。
この動きを挙上という風に言ったりするんだけど、手を挙げる、挙手するの挙に上ですね。
肩甲骨を挙げたり内側へ寄せたり下げたりという動きには僧帽筋とか肩甲虚筋という筋肉が関わっていたりする。
首から背中の上の方に伸びるような筋肉です。
同じ肩に力が入るでも肩をすくめているのか肩甲骨を内側へ寄せているのかではだいぶ動きが変わってきます。
自分の深く感じている小利生じている体の小粟りも人によって違うはず。
骨とか筋肉の場所とか働きというものを知っていくと、この人の肩小利緊張しちゃう、
この人にとっての楽にする肩の力を抜くというのが、
どこを見たりどんな動きを比べたりするかを考えられるようになるんですね。
見た目だけで今この筋肉がどれだけ働いているというふうに決め切ることはできないわけです。
ある程度はわかるよ。ちょっと動いてみてってなったら
あーなんか僧帽筋のあたり、肩甲骨筋のあたり、特に右側が結構張ってるなあ。
当てはつくんだけど
それだけで決め切るっていうのもまた危険な行為なわけだ。
こういう感じがするんだけど
なんかこの人が感じている肩に力が入っている、力が抜けない感じっていうのは
首の方まで違和感あったりしますか?みたいに聞いたりとかね。
こういうふうにスクリーニングをかけていくと
あれどうやらここの筋肉が問題なようだぞ。
っていうことがわかってきたりする。
そうしてこの人の緊張しやすいみたいなものが
右側の肩甲骨筋を解いていくことで感覚をつかみやすくなって
あーリラックスするってこういうことなんだっていうふうに
自分をいい状態に保つための
そのコンパスになるための感覚、指針になるための感覚っていうものは
本人が認識できるようになるんですよね。
肩の力を抜くっていう言葉を
相手が実際に試せること
まで具体的にしていく。
そのためにこの体の構造っていうものを知っておきたいわけです。
何も肩こりとか緊張だけじゃなくて
胸がギューッと苦しくなるとか、そわそわするとか
頭がグルグルするとか
思考が止まらないとかね。
なんかそわそわして、なんか生きてる心地がしなくてとか
そういった抽象的な
心理的な思い込み、考えすぎって言われるような症状
こういったものも実は体の側を見ていけば
細かくここの筋肉の、ここの内臓の
部分がこうなっているかもしれないっていうふうに
予想していくことができるわけです。
自分で試して感じ方の違いを知っていく。