今回ご紹介する物語、大変短い物語になるんですけれども、主人公はもともと象の長居士をしていたお坊さんになります。
彼がある時、アチラバティという川の岸におりましたら、そこに象の長居をしている人に出会います。
インドは野生の象が生息しているぐらい、象が身近でございまして、古代においても戦争の時には象兵を使ってですね、象を一つの兵器として扱って戦に臨むということをよくやっていました。
有名な話だと、マウリア王朝の初代王にチャンドラグプタという人がいるんですけれども、
その人がですね、ギリシャ系の王様セレウコスという、アレキサンダーの配下にもともといた王様なんですが、セレウコスに象をプレゼントするんですね。
このプレゼントした象がですね、実はすごくおじいさん、老僧だったらしくて、象としては良くない象なんですけれども、
それをプレゼントしますと、この象がですね、後々セレウコスが別の人と戦をした時に大活躍をしまして、セレウコス軍を勝利に導いたということが残っています。
だから今でいうと戦車みたいな扱いだったんだろうと思うんですけど、老僧ですらこの象がないところと戦うと大変強いわけです。
それ以外にも象はこのサーカスであったりとか曲芸ですね、あとは移動手段としても扱われていました。
有名な話でいうと、最有機のモデルになった玄奘三象法師でおられますけれども、この玄奘三象がインドに行って、インドのナーランダーというお寺に留学をしまして、
このナーランダーから外出をする時には、玄奘三象は象に乗って外出をしていたということが記録されています。
それぐらい象は短いになるんですけれども、だからこの象を聴教するというのは非常に大事なことなんですね。
でもその時にこのお坊さんが出会った聴教師は、うまく象を扱えてなかった、聴教できてなかったんですね。
その様子を見たお坊さんは、昔の血が騒ぐと言いますかね、聴教師だった頃の血が騒ぎまして、
で、象の聴教師に対して、こうすれば象が言うことを聞くよって言ってアドバイスをするんです。
実は仏教では、昔の仕事を、出家する前の仕事を出家後にやるっていうのは、これダメだって書いてあるんですよ、律にはね。
それをやっちゃってるんです。
で、ただそのアドバイスがこうそうしまして、で、象の聴教がうまくいきます。
で、その話が話題になって、やがて仏陀の耳にも届いてしまうんです。
で、話を聞いた仏陀は彼を呼び寄せまして、ことの真偽を確かめますと、それが本当だってことがわかりましてね、それで彼を叱責します。
愚か者、君にとって象が聴御されたからと言って何になるんだと、そのような聴御された乗り物に乗っても悟りにはいたれない。
よく聴御された自分によって悟りに至ることができる。
だから自分だけを聴御しなさい。
こう説かれまして次の詩をお唱えされました。
なんとなればこれらの乗り物によっては未踏の地悟りに行くことはできない。
そこへは慎みのある人が己自らをよく整えて赴く。
すごく短い簡潔な話ではあったんですけれども、私いい話だなと思うんです。
幸せというものは他の誰かによって導かれるわけではないんですね。
自分によって導かれるんです。
中国の禅の逸話で私がすごく好きなものがあるんですけども、東大の禅僧に常修という和尚がおられまして、
この方が弟子から仏教の究極のところっていうものを教えてほしいって質問されるんですね。
するとこの常修和尚はこう言われるんです。
聖弁、おしっこに行くということはつまらないことだけれども、必ず自分で行かないといけないんだと。
つまり自分でやるしかないよって。
人に聞いてどうするんだと。
自分で行って確かめないとならないだろうってことも言われてるんですね。
この戒の働きっていうのは三つの側面から捉えることができまして、
それは習慣と防護と倫理です。
それぞれ説明していきたいんですけれども、まず習慣という側面から。
よくこの戒を保って生きるということが、
自分をがんじがらめに縛るもの、不自由にさせるんだと言われることがあるんですけれども、
それは違うと思うんですね。
5世紀頃にスリランカで活躍したブッダゴーサというお坊さんが、
この戒というのは自分の行動を縛りつけるものではなくて、
健全な行動の習得なんだというふうに説明をされています。
最初は意識して守っていくルールが、やがて自然な振る舞いとして消化されていく。
折り目正しい振る舞いが習慣化されていくんだと。
戒はそういうものだよっていうふうに言われてるんです。
例えば、健康的な生活を送るために食生活に気を配る方、少なくないですよね。
私もそうでして、健康のために1日の摂取カロリー、
あと、タンパク質、脂質、炭水化物、3大栄養素ですね。
PFCバランスと言われたりしますけれども、これを意識しながら食生活を、食事をとっています。
これ最初のうちはめんどくさいんですけれども、
慣れてくると習慣化してくるので、自然とそういう食生活が送れるようになってくるんですね。
何よりも健康にいいわけです。めんどくさからほうが。
自分のためになるんですね。
貝を守って生活するというのも全く同じでして、厳密に守って生活していくというのはやっぱりなかなか難しいと思うんです。
摂取を1つとってもそうですね。
全く生き物を殺さないで生きることというのがどれだけ難しいか。
たとえ鯉ではなくても、道端を歩いてて虫を踏み殺してしまったりとか、そういうこともあるでしょうし、
あと現代だとウイルス、手指消毒とかでもそうですね、たくさんの命を奪ってしまうことになる。
ただそれでも貝を保って生活しようと心がけて、それが習慣化されることで、私たちの生活は確実にいい方向に進むんですね。
自分のためになるんです。食生活と同じようにですね。
誤解の中で守るのが難しいことが出てきたり、つい破ってしまうことも出てくると思うんですけれども、
それはその貝の項目と自分の欲望がその間で摩擦が生じている、コンフリクトしているって言われたりしますけれども、
そういうことなので、自分がどういう欲望が強いのかってことがわかるんですね、それによって。
貝持ってなかったらあんまり気づかないと思うんです、自分がどうあるかっていうのが。
でも貝を持っていることによって自分のどういう欲望が強いかわかる。
良くないところがわかるっていうのはすごく大事で、それによって改善の仕様があるんですよね。
自分の良くないところがわかってないと改善の仕様がない。
で、ブッダはムク教っていう、これソウブ教典というものに収録されてるんですけれども、
そういうお経の中でこんなこと言われてまして、自分に汚れがあるとわかっている人はそれを解消しようと努力する可能性があるから、
汚れがあると知らない人よりも優れているんだって説かれています。
これ本当にそうだろうと私も思っています。