文字の数と系統
言語の数に比べると、文字の数っていうのは、かなり少ないんではないかと思います。
それにかなり、系統がはっきりしているというか、かなりのところまで遡れるんですよね。
例えば、日本語のかなっていうのは、中国大陸まで遡れるものですし、
ヨーロッパで使われているローマ字、あるいはキリル文字っていうのは、最終的にはエジプトのヒエログリフにまで遡れるんですね。
ヒエログリフっていうのは、あらゆる文字の源流みたいな感じで、ヨーロッパだけではなく、アラビア文字、モンゴル文字、インドのデバナガリなど、
様々な文字が、最終的にはヒエログリフまで遡ることができるんですね。
BGMです。
始まりました、4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。半澤直樹です。
もともとヒエログリフっていうのは、標語的にも使われていましたが、音を表す標音文字としても使われていました。
標語的にも標音的にも使われていて、だんだん音専用の文字ということになっていきます。
アルファベットっていうのは、標音文字専用ですよね。アルファベットの文字、一文字で何か意味を表すということはなくなっています。
標音文字の方は細かく言えば音節文字と音素文字というふうに分けられて、日本語のカナっていうのは音節文字です。
韓国朝鮮語のハングルっていうのも音節文字で、シーンと母音のセットみたいなのを表していますが、
アルファベットの音素文字というのは、シーン1個母音1個みたいな感じですよね。
文字の歴史っていうのはだいたいそんな感じになっています。つまり標語文字的な特徴から標音的な特徴へと移り変わっていくんですね。
さらに遡れば標語文字っていうのは、絵とか絵文字っていうのから派生しているでしょうが、
流れとしてはだんだんそういう意味を担っていたものから音だけを表すようになるということですね。
日本語もそうですよね。漢字っていうのは標語文字で、漢字一文字である意味意味というのを表していたわけですが、
それが音だけを表すようになって、日本語の場合はそれがさらにかなという別個の文字に変わったわけですが、
新しい標音文字、音節文字を発明しました。 似たような状況はくさび方文字でも観察されて、
このくさび方文字と日本語の初期体系が似ているという話は関連エピソードがあるのでそちらを聞いてほしいんですが、
くさび方文字、特にアッカド語で使われたくさび方文字っていうのは、
標語的に使われていた、つまり漢字っぽい特徴を持っていたくさび方文字を標音文字として、音を表すものとして使い始めたっていう、
そういった経緯があるんですよね。 面白いですよね。その文字の方向として文字一文字で意味を表す、
人とか家とか何でもいいですけど、そういう標語的な特徴から音を表す、
標音的な特徴へと変わっていき、
さらにそこから、死因だけ、亡因だけっていうアルファベットへと流れていくんですね。
現在使われている文字は全部そういう経緯で出来上がっていると思います。
いきなり音を表す標音文字がポッと現れたとか、 そういったものは見つかっていません。
ですので日本語に古代文字があったとかね、何とは言いませんけど、
そういうものが主張されたりしますけど、 日本語固有の標音文字があったならば、その前段階となる
標語文字ないし、標位文字というものがあるはずなんですが、 そういったものが見つかってないので、
日本語の古代文字っていうのはちょっと、 存在は怪しいということになります。
アルファベットと一神教の同時発生
最近、教養としての世界史の読み方という本を読みました。 これは元村良二先生が書いてらっしゃるもので、
僕はね結構この教養としてのとか、教養っていうのがタイトルに入っていると、 読む気がちょっと失せちゃうんですけど、
ただこの本は非常に面白かったですね。 読んだことある方もねいらっしゃると思うんですが、
でその中で、 その世界史の流れの中で
あることが同時に起こる、同時に発生するっていうことがあるというような話が出てきます。 具体的に言うと、
アルファベットと一神経とカヘイというのが同時に、同時代に誕生したっていうような話が出てくるんですよね。
カヘイの話はちょっと一旦置いておいて、アルファベットも一神経もどちらも システムというか体験の単純化っていうことができます。
さっき言ったようにアルファベットっていうのは ある意味で文字の最先端というか
標語文字から標音文字に 変わっていくわけですけど、
標語文字っていうのは世界のあらゆるものを 表さなきゃいけないので、文字っていうのは大量に必要になりますよね。
漢字が山ほどあって、 皆さんもね知らない漢字たくさんあると思いますが、
一言で言えば標語文字の体系っていうのは数が多くて複雑です。 それに比べて標音文字っていうのはシンプルですよね。
特に音素文字、アルファベットっていうのは 一つの音について一つの文字っていうふうにね、理想はそうなっているわけですけど、
英語だったら26文字ですか、文字がある。 それしかないわけで、そういうアルファベットを使っている
和者にとっては、 知らない文字があるっていうのはかなり考えられないというかね、想像できないことだと思います。
そして一神教っていうのも要は単純化ですよね。 たくさんいる神様の中で
他の神様を否定したりとか、あるいは階層の下に置くことで 唯一神を信仰するということなので、
神様が一人だけというね、単純化した構造になっています。 文字の発展と同様にその多神教と一神教の関係も一方向的なんですよね。
必ず多神教を経て一神教というのに至っています。 一神教に至っていない宗教もたくさんありますが、
逆はないんですよね。 一神教から多神教に行くとか、そういうことはないということになっていると思います。
元村先生はこのアルファベットと一神教の 発生というかね、誕生を
平行的に捉えているわけですよね。 兵語文字を経てというか、兵語文字から兵音文字、アルファベットになるっていう流れと
多神教から一神教になる流れっていうのが同じ単純化が起こっていて、 しかもそれが同時代に起こっているということを指摘しています。
これはなかなか面白いですよね。 文字の方ではヒエログリフからフェニキア文字という兵音文字が生まれ、
このフェニキア文字が後にね、ローマ字なんかにつながっていくわけですが、 あるいはクサビ型文字から
ウガリット文字という 別の兵音文字が生まれています。
このフェニキア文字とウガリット文字という 2つのアルファベットが同じ時代に生まれているんですよね。
それが前2000年期ということです。 このアルファベットの誕生とまた同じ時期に一神教が生まれていて、
それがユダヤ教ですよね。 そのユダヤ教からキリスト教とかイスラム教がある意味派生したと考えられています。
この一神教の成立過程についてはモーセと一神教というフロイトが書いた本があって、 これについては過去で取り上げたことがあるので、
ぜひそれも聞いていただけたらと思います。 なぜ一神教が生まれたのかということについて
本村先生の仮説があります。 それがまさにアルファベットが
関わっていて、大昔の人は 神の声っていうのが聞くことができて、
それは右脳の声だったそうです。 それが後に文字、アルファベットが発明されてそれを使うようになると、
左脳が右脳の働きを抑えつけるようになっちゃって、 そうすると神々の声が聞こえなくなってしまう。
そうなると自分たちの行動の指針を 外に求めるようになって、それが一神教につながっていると言うんですね。
仮説と結論
大昔は右脳と左脳は別行に動いていて、右脳の声っていうのが神の声だったと。
それが文字の発明によって聞こえなくなっちゃったっていう、 簡単に言うとそういうことなんですけど、
どうですかね。これもなかなか大胆な仮説だとは思うんですが、 興味のある方はぜひね、教養としての世界史の読み方を読んでみてください。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローも忘れずよろしくお願い致します。
お相手はシガ15でした。
またねー!