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2024-12-09 10:09

高校入学

サマリー

高校入学にあたって、愛知県の旭川高校に進学した経験が語られています。スポーツテストの結果や運動に対するコンプレックスを克服するための活動が描かれ、特にボート部への入部を決意する過程が詳しく述べられています。

高校生活の始まり
さてね、高校時代の話をしていこうかなと思うんですけど、
中学3年で受験をしたときの話はしたと思いますけど、高校に入りましたと。
一応、愛知県の中では名もとされている旭川高校に入ったわけなんですけれども、
いやいや、それは愛知県中とは言わないな。
尾張地方から頭のいい子たちが集まってくるわけですもんね。
そうですね。驚いたことというか、「おお!」って思ったのが、やっぱり勉強は難しかったですよね。
ただ、これはどうだろうな。どっちが鶏卵みたいな話で。
まず、部活に入ろうと思ってたんですよ。
というのは、これは私の生き方戦略に関わってくるんですけど、
コンプレックスを潰すというやり方を私はしてるんですよね。
これまでの話でもしてきましたが、8歳で父親が死にましたと。
それまでは泣き虫大ちゃんでしたと。
これじゃいかんと。やっぱり古いジェンダー価値観ですけれども、
この家庭の中に母と妹、男は俺一人だなと。
私がしっかりしなきゃいけないっていうのは、これは本当に思いましたよね。
あと、この時思ったのが、俯瞰して物を見るみたいなのがすごい良い。
そこで学んだというか、得られたものがありましたけどね。
本当、父親が死んだ時、私、俯瞰でその場のことを映像として記憶してるんですよね。
まあまあ、その辺はまた別の話として。
だからコンプレックスというのは、要するに引っ込み事案というか、
あんまり人前で話すのが得意じゃない自分っていうのを変えなきゃいかんというふうに思って、
転校して名古屋でカルチャーショックを受けるわけですけれども、
そんな中でもクラスの中で積極的に発言をして笑いを取っていくみたいなことをするようになったんですよね。
そんなことは一年生の時とか全然してなかったはずですね。
スポーツとコンプレックス
隣の子と喋るのが世紀の山って本当に普通の子でしたけれども。
つっこみ型でしたけれども、先生とかクラスメイトが言うことをちょっとね、
茶化したりして笑いを取るみたいなのは非常に得意になっていくわけなんですけれども。
ただ、そんな私のですね、次に抱えている、次っていうかずっとなんだけど抱えているコンプレックスがやっぱり、
デブとですね、クソデブ、メガネデブ。
ひどいね、言い方が。体育の授業とかで全く活躍ができないと。
土地主は2位でしたからね、5段階でね。何度も言ってるけど、2ってことはないと思うんだけどな。
3だよな。相対評価なんだよね。2になるんだよな。
まあともかくですね、それをなんと教えてもらったんですよ。
実際に太ってたし、中学2年3年で背が伸びたんで、180センチ伸びたんで、
なんとなく全体的にそんなひまんじって感じではすでになかったんですけど、
やっぱりポーチありではあったような確率に。体重何キロあったんだろう。実は増えてないですけどね。
で、もう1年生、高校1年生になって、スポーツテストっていうのが早速ありますよね。
5月だから6月だからね。なんかでもう全然やっぱり足も遅かったですし、
ボールも遠くまで投げられないと、県水もできないという、そういうひどいもんでしたよね。
っていう自分は非常に不甲斐ないなっていうのはずっと思っていて、
一発運動部入ろうと、自分を変えようっていうのは思ったんですね。
まさに自分のコンプレックスを潰そう戦略ですよね。
ちなみにこれが後に社会人になってからは、英語コンプレックスを潰すっていう方向に行くんですけど、
大学でアメリカに留学したんですけど、やっぱり話したり聞いたり全然できないんで、やべえなと思って。
これこのまま放置しておくのやだなと思って、特派員を目指したっていうのがありますね。
もちろんそれだけじゃないですよ。特派員になりたいと思ったのは、世界にいる人の声を届けたいと思ったっていう、
真っ当なやつもあるんですけど。
でもやっぱり英語をこのままにしておくのも良くないっていうのも半分ぐらいはあったと思いますね。
まあまあ、いずれにせよですよ。
高校で運動しようとなったときに、やっぱもうすでにみんながやってるのはやだなと思ったんですよ。
典型的には野球ですよね。あんなもん小学校もひょっとしたら一郎さんとかもっと前からですよね。
彼らやってるんじゃないですか。いかないっこないじゃないですか、今さら。
サッカーでもそうですね。無理無理って思って。
バスケ、バレー、テニス、卓球とかね。
卓球とかやるつもりなくて、やっぱりもっと激しいのやった方がいいだろうと思ったんですよね。
で、残ったのはラグビーとボートだったんですよね。
ラグビー部って中学にあるところもいくらかあると思いますけれども、やっぱ激しい体をぶつけたりするスポーツなんで、
体ができてからしか基本やらないんですよね。
なので、あんまりやってるやつが多くない部活がいいと思ったんですよ。
ボートはゼロでしょうね。っていうか大人になってもやってるやついないスポーツですけど。
ボート部の活動
高校と大学ぐらいしかあんまり見ない。いやいや、社会人やってる人はいるのは知ってますけど。
真っさらスポーツじゃないですか。
球技に対する今からやるのがめんどくさいな感があったんですよね。
だってドッジボールとかだって僕は常に当てられる側だったし、
いやコンプレックスを取り除くんだったら球技に行くっていう選択肢もあったと思いますよ。
ハンドボールとかね。
なんかその時にはそれよりはむしろ、球技は正直いわゆる運動神経ってやつ、そういう神経は特にないみたいですけど、
スポーツ能力が如実に反映されるなと。
多分僕が高校からやるんだったら体力勝負に近いものの方が良かろうなと思ったんですよ。
ラグビーはラグビーだって球技ですけれども、スクラブとか組むやつってそんなにボールをこうね、
野球、サッカー、バスケみたいに、あとハンドボールみたいに器用に扱う必要はなさそうに見えたんですよね。
実際後に体育の授業でラグビーやりましたけど、なんかあのボールって意外といいんですよね。
変わった。まさにラグビーボールの形したやつ。
ラグビーボールだからね。扱いやすい。
どっち飛んでくかわかんないところも変えていいみたいなね。
サッカーとかだと本当にテクニカルにどこを蹴ったらどっち飛んでくみたいなことができるやつとかもうすでにいるわけじゃないですか。
ラグビーってそこまでじゃないんで、その辺もすごいいいなと思いましてね。
で、あとそういうボール扱いをするのは他のやつに任せられるみたいな。
僕は突進していく。そうじゃないと分かりますけど、とはいえとはいえですよ。
ちなみに体育の授業でプロップとかしかやったことないですもんね。
体はそれなりに大きかったんで、体力系がいいと思ったんですよね。
で、ただ走るのも苦手だったり陸上も違うなっていう話ですね。
あと水泳ですか。水泳部ね。なんで水泳部行かなかったのかな。ちょっとよくわかんないです。
ただボート部にしましたね。なんかやっぱり全然やったことないことがやりたかったんですよね。
ボート部は試走会。試しに漕ぐ会で試走会っていうのをやってまして、それに行ったと。
お菓子とかね。お菓子食べてジュース飲んでとかしてね。
なんとなく馴染んで、ここでいいやって思ってボート部入ったと。
でね、しばらくは中川雲賀っていう名古屋にある川でボートを漕いでたんですけど、
1年生は最初入った時にはいけなくて、というのもですね、その後編って結構インターハイ予選とか新人選とかですね。
新人選は重要じゃない。インターハイ予選ですね。
特に3年生にとってはその3年間の集大成になるような試合があるんですよね。
なのでインターハイ予選であったり、その後は中日本レーガーとかあって、
インターハイ予選の後には東海選抜、だから中部選抜だとか、要するにいろいろ試合あるんですよ。
1年生の背は見てらんないということで、最初の3ヶ月ぐらいは学校で陸上トレーニングをするんですよね。
大したトレーニングなかったんですね。
けどもうその時点で他のやつとは圧倒的にレベルが違うというか、
まずそもそもぶら下がりっていうのがあって、鉄網にぶら下がるんですよ。握力を鍛えるためでしょうね。
あれが持たなくて落っこちちゃうんですよね。
3分ぶら下がってなきゃいけないんですよ。
これが3分ぶら下がれたのって何でいつだろうな。
もうだいぶ後になってからですよ。2年生とかになってから間違いなく。
毎日やるんですけどね、ぶら下がりとかね。
いわゆる腕立て腹筋バーピーとかでサーキットトレーニングっていって、
腕立て腹筋、背筋、ぴょんこってなんて、ぴょこぴょこ飛ぶんですよね。
ジャンプ。だから足の筋肉、ボードってね、足の筋肉すごい大事なんですよね。
を鍛えるとか、そういうことやってあとちょっと走ったりとか。
もうでも酷かったですよ。本当にね、走らせても女子部員より私遅かったですからね。
本当に酷かったですけどね。そういう日々が始まった。
勉強なんかしてる暇なかったんですよね。
ご視聴ありがとうございました。
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