毎日のコラムとその目的
誰にも褒めてもらえないシリーズで言うとですね、私、毎日コラムみたいなのを書いてるんですよね。
これは別に連載としてやってるわけでは何でもないんですけれども、どういうことかというと、
私の勤務先であるところの朝日新聞社のアプリがありまして、朝日新聞のアプリには記者コミュニケーションキーノッツがあってですね、記者をフォローすることができるんですね。
Xインスタとかでフォローするのと同じ要領ですよ。
そのフォローした人が、記事を書けばね、それが告知されると。
私の場合はポッドキャストを自分が出ている番組が配信されれば、それがですね、告知される。
このポッドキャストが配信されましたよというふうに表示されるんですけれども。
これですね、つぶやきと記事のピックアップっていうことができるようになってるんですね。
2つあります。つぶやきっていうのは本当にツイッターじゃないですけれども、ただ何でも書けるんですね。
時数制限もね、確かありますけれども、ツイッターXとかでもだいぶ緩いですね。
140字とかっていうことは全くないですね。
ピックアップっていうのは朝日新聞社内のコンテンツに限るんですけれども、朝日新聞の記事だけだな、朝日.comのドメイン配下にある記事だけだと思いますけれども、
取り上げてこの記事について私はこう思いましたとか、自分が書いた記事だったらこういう背景がありますみたいなことを書けるっていうね、そういう機能ですね。
私はですね、そのピックアップを必ずするようにしている。
つぶやきのほうをすることもありますけれども、なんかね、お便り機能ってのがあって、これを読んだ人、読んだ人っていうのはこれ登録しないと読めないんで。
だからまず前提条件として朝日新聞のアプリの有料簡易であると。これね、月額980円からいけますんで、ぜひちょっとオッドキャストの概要欄から有料簡易になってもらえるとね、すごく私の成績評価に反映されるんですけど、別にどっちもいいですけど。
だから最低月額980円からの朝日新聞丸学校デジタル版の有料簡易であるというのが前提条件で、その上で私をフォローしないと、記者としてフォローしないと中身読めないんですね。
私基本記事書いてないんですよ。記事に関しては一番最後のところにフォローボタンがついてるんですね。そうすると、さっきのつぶやきとかしたときにもそれが表示されるようになるんですけど、ちなみにピコーンみたいな通知は飛んでこないです。
それから私ないんで基本的に。よくそれでたどり着いてくださるなと。たまにTwitterとかDiscordとかで始めた頃は告知をしてましたけど、ここでこんなことをつぶやいてますみたいなね。やってないんで、定期的にやった方がいいんでしょうけどね。
それでちょこちょこ増えてはいるんですけれども、Xのフォロワー数って私知らないんですけど、2万人ぐらいですよね。2万人は超えてると思いますけど、ニック比べると本当に桁二つ違うみたいな、数百人みたいなレベルしか私の文章を読んでくださる方はいらっしゃらないんですが、それも開いてないかもしれないんでよくわからないですけど。
いずれにしてもそれやってるんですね。それは会社の方針でそういう記者と、私が記者なのかっていうのは議論があるんでしょうけど、私は自分は記者だと思ってますけど、つながることによってより朝日新聞社のコンテンツに対して親しみを持ってもらいたいというようなことですよね。
だから毎日記事をピックアップして、それで何がすごいってね、結構ちゃんとしたことを書いてるってことなんですよ。これ読んでほしいんですけど、本当に登録して私をフォローしてくださいよ。せっかく書いてるんでね。
コラム執筆のプロセス
記事取り上げてすごく興味深いのでぜひ読んでくださいみたいなことは僕は全然一回も書いてなくて、その記事を読んで自分の中で考えたことをちゃんと構成つけて書いてるんですよね。
気象転結かどうかはともかくとして構成はちゃんとついてますし、ちょっとなんか知見が深まるようなことも書いてますし、少なくともそれだけで記事として出しても全然成立するようなことは書いてるつもりなんですね。
機内紙とかにもなると思いますよ。機内紙とかに乗せられる。なんで機内紙。JALとかあんなところに乗ると入ってるやつ。全然いけるレベルだと思いますけど、書いてるんですよ。すごくないですか。誰も褒めてくんねえって誰も読んでねえんだろうな。
なんでそんなことをしてるかなんですけれども、これはやっぱりそういうコミュニケーション機能みたいなのを使って、ポッドキャストのリスナーさんを少しでも増やしたいっていう気持ちがあるからなんですが、
一番大きい理由はできるからなんですよ。できちゃうんですよね。本当にやってみてほしい。絶対誰もできないと思う。誰もって言っていいすぎだな。
そうですね。やれる人、例えばたまにここでも話を出します。船越さんとかは私に近い回数は書いてて、彼はデスクだから僕よりも仕事をしなきゃいけない時間、占有時間。
要するに自分の意思で動かせない時間は多分僕より長いので、例えば会議とか絶対出なきゃいけない会議とかは私よりかなり多いと思うんですけど、私出てねって言われた会議もあんまり出てないので、だからそうなんですよ。
自由にできる時間は私の方が確実に多いはず。ただ朝書いてるんで、これも昨今の働き方改革を真に受けて働いてるとですね、就業時間になるはずなんで、私6時とかからその作業してますけど、朝飯の時間ですね。
子どもたちが飯食ってる時間なんですけど、別に勤務票に6時から働いてるっていうふうにつけてるかっていうと、別につけてないんで。またそれをたぶんこれ聞いてね、それこと言っちゃうんだっていう人もいると思いますけれども、そんなのね、私がここでしゃべってることなんて何の裏付けもない話ですからね。
勤務票に載ってることが全てですから。そういうことがわかんない人が本当に多いんだよなぁ。
何とかしてほしいですね。私が好きでやってるっていうか、私の裁量で私の人生を決めることに口を出さないでくれっていうふうに強く思いますけどね。
あなたはあなたの人生を歩んでくれればよくて、なんであなたの価値観を私に押し付けようとしてくるんですかっていうのは常に思いますけどね。私は自由に生きさせてもらいますよ。
そんなことはどうでもいいんですけど、突然切れるよね、こいつ。じゃなくて、書いてるんですけど、一回だけ読者の方に聞かれたんですけど、どれくらい時間を使ってるんですか?つって。
その日の朝日新聞の記事を見て、紙面を見るときと、デジタル版のトップページに7本記事が載ってるんで、それを見るときとありますけれども、見て、これ面白そうだなみたいな。
だから読んで、これ書けるなって思った記事で、即興でその場で書いてるんですね。文章なんでそれなりに形にするのに、ポッドキャスト、この番組とかよりも、今私が喋ってることとかよりも、時間がかかるというか手離れは遅いんですよね。
だってこれ喋ってることを修正できないんで、私はしてないので。そう、ポッドキャストって修正する一つしない人の流派があって、結構著名なポッドキャストでこの人お話うまいなとかこの番組グルーヴしてるなみたいなのも、編集の技でそうしてる番組ってあるんですよね。
ひょっとしたら名誉に関わるかもしれないというか、別にそんなの人に知らせてほしくないと思っているかもしれないので、知っているケースもあんまり言わないほうがいいのかなと思うんですけれども、これまで私がこの番組の中で言及してきたものの中でも、すごい細かく、例えばフィラーを切ると。
AとかRとかですね。切るっていうこととか。それから本当に、例えば和写が2人いた場合にAという和写とBという和写で間があったら詰めるだけじゃなくて、和写Aと和写Bの話し出しみたいなところも細かく調整して、すごいテンポよく話が進んでいるかのように編集するっていう。
マイク別に撮っていれば。そして普通、ポッドキャストって2人で撮る場合にはマイク2つ使って撮りますね。全然可能なんですよね。
本当に、楽曲、音楽、ボーカル並みにそういうふうに編集して出してるポッドキャストもあるんですよね。
というかやっぱり、上位のポッドキャストはすごいそういうのありますよ。結構。編集してる画面とか見たことありますけど。
それと言うと、朝ポキは全くそういう、全くじゃないんだよな。知ってるやつもありますね。編集者によって違うんですけど、私が関わってるものは基本的に知ってないんですけど、知ってほしくないですし。
でも勝手にやってくれてるってことはあるし、それは善意なんで、そのままさせていただいているというかありがとうございますとは思いますけれども、善意ですからね。
私は基本的な方針としては、自分の喋ることっていうのは、間とか調整はしないんですよ。
別にしなくてもちゃんと面白いからなんですけど。そういうふうに喋ってますからね。手離れがいいっていうのは、そういう編集の手間が必要ないから、そのまま出ていくのでってことですね。文章はやっぱり一応遂行しますし。
やっぱり見直しても5時ってあって、朝日新聞の記者コミュニケーション機能のアプリケーションっていうのは、わざとあえて訂正ができないようになってるんですね。後から文章を変えられないようになっているので、一旦出しちゃったらもうそれはリツイートみたいな形で、すいませんここ5時でしたとかっていうことはできますけれども、
基本的にもう私それもやってなくて、だから今までに忘れちゃいましたけど、3つ4つぐらいは5時からそのまま、この間も同様と同様、同じ様の同様と動く揺れるの同様を間違えて変換したままそのまま行っちゃったみたいなのもありましたね。
まあわかるからいいかっていう。ポッドキャストと一緒なんですけどね。あ、あかんな間違ってんなバーカって思って、自分の脳内で訂正してくれればいいんで、それは読者の方への信頼、リスナーさんへの信頼なので、本当にそれでいいんですけど。
ただそれやっぱりね、文章だからこの表現こうしようとかここ重ね二重になっているなみたいな表現ですね。同じことを2回言っているなみたいなのを消したりとかするんですけど、そんなに時間かけないですね。
で、朝ごはん食べたりとか、朝って忙しいんで、子どもが食べ終わった食器片付けたりとかですね、ニュース見たりとかなんだかんだやってますから、とはいえ6時から始めたら8時とか、その間なんか大きく時間が取られることもあるんですね、洗濯物干すとか。
そういう場合でも9時ぐらいまでには何か出せるといいかなと思って投稿をしてるんですけれども。これがねえらいもんで土日もやってるんですよね私ね。完全に勤務日にしてないところもやってるんですけど、なんでやってるかっていうと、できるからですね。できちゃうから。
悔しかったらやってみろっていう。一人ですね、一人相撲をとってるんで。そうですよ、一人相撲ですよ、こんなもんだって誰も知らないんだもんね、そのことね。
アイデアと表現
でもそうなんですよね。毎日中身のあることを、角度をそれなりにつけて書くっていう、言ってみれば訓練ですね。このポッドキャストも最初はそうだったんですよ。ニュースの学校っていう10分でしゃべる番組を作ろうと思って、それを始めるにあたって、
10分っていうのはどれぐらいの時間のおしゃべりなのかっていうのを体得するためにこの番組って始めてるところがあるんで、いくつかの理由の一つとしてそうなんで。
体力できたと思ったんで更新頻度が下がってるんですけど、この間1時間くらいのやつがありまして、もうその10分でしゃべるっていうことの目的は達成したので、ニュースの学校も始まってもう半年以上経ちますから。
それはいいんですけど、ただ他の理由であるところの自分の記録を後世に残すと。子供たちが後から聞いてくれると嬉しいなみたいなのっていうのの目的がまだ残ってるんで、日常の記録として過去の記録の思い起こしとして、このポッドキャスト自体は存在を続けてるんですが。
これも何の台本もなくそのまま喋ってるわけなんですけども、そうすると構成とかって喋りながら考えるんですよね。
一定の構成みたいなのは何かしらあったほうがいいとは思ってます。ただ事前に準備はしていません。
喋りながらそれをつけていくっていうのはまさに私の自分の普段の番組作りのやり方なので、その訓練というほどのことじゃないですね。
どっちかっていうと、だからあれなんですよね。今後のポッドキャストとかで話すネタになりそうなこととかをブレインストーミングするのに使ってる感じですかね。
ブレインストーミングはもともと人間と一緒にやるものでしたけれども、なんか私もいい歳になってきちゃって、そうすると相手してくれるのはだいたい後輩部下ということになるじゃないですか。
後輩の時間使うのは忍びないですもんね。じゃあAIとやれよって話だと思うんですけど、まだちょっとAIだと私物足りないというか、そうやったら一人で喋ったほうが
自分の脳みそをより回転させられる感じがしていて、やってるんですけど、そのうちAIカビウチになるかもしれませんね。
で、文章を作るっていうことと話すっていうことでは、頭の使い方が違うんですよね。
脳の使い方の違い
じゃあどう違うのか説明しろって言われると言語化がめんどくせえなって思ってるんですけど、明らかに脳みその中で使っている部分が違う感じはしますね。
使われるところが違うんですよね。文章を書くことによって使われる脳みその部分と、考えながら喋ることで使う脳みそ部分って違うんですよ。
それは明確に違いますね。今も脳みそのこの辺が動いてるなみたいな感じながら喋ってるんですけど、脳科学的に言うとそこでシナプスが爆発した電気が通ってるんだと思いますけれども、違うんですよね。
ということは多分ね、できるその中身も違うんですよ。コンテンツ、コンテキスト、やっぱりだって文章になって出てくるものとこうやって喋りながら考えていることの思考って違いますもんね。
所詮人間なんてのはインターフェースでしかないですから、自分なんてものもないし、ということで言うとツールによってその現れ方が同じことが発想の基になっていたとしても別のものが出てくるっていうことなんですよね。
エアーっぽいですよね。何回も同じ質問聞いたらちょっとずつ違うこと言ってくるじゃないですか。あれですよね。文章にはその文章の良さがあって、やっぱりその最後世に出す前に一旦構成を考えられるっていう、これはポータキストでは絶対逆立ちしてもできないんで。
やろうともできるかもしれないですけど、めちゃくちゃ時間かかりますしね。圧倒的にテキストの方が簡単に編集できますから、そこはそのテキストならではの面白さがありますね。
というわけで頑張っているのでぜひ読んでくださいよ、本当に。しかしなんでしょうね、このアウトプットってね。そんなに人間ってアウトプットしなきゃいけないんですかね。いや、したほうがいいんだろうな、でもな。
明らかにアウトプットしようと思ったらインプットしなきゃいけないから、あれですよね。本当に筋トレみたいなもんだと思いますよ。飯食って筋トレやるみたいな。私筋トレ全然やってないですけど、飯食ってって言ったらプロテイン飲んでとかなるのかな。そうしないと筋肉つかないじゃないですか。
筋肉の量が増えるとそういう、何ですか。代謝の量が上がって体が健康になりますよみたいなね。そういう話。あんまり行き過ぎると何でもよくないんですけど。脳って一定そのインプットとアウトプットを繰り返さないと活性化しないのかなっていうね。
そう、だからそれで最近思ってたのは、これをちょっと説明したいなとずっと思ってたんですけど、なぜ人は映画を見るのかっていうことなんですよね。
これ結局、映画を見ることによって我々って感想を持つじゃないですか。で、それを人と話したくなりますよね。私の場合は妻と話したり、なんかポッドキャストで人と話したりしてるんですけれども。
それって、それ自体には多分意味ないんですよ。物語を消費して、何ですか。結構学問的にも意味合いがあるような映画であったとしても、そんなものはコンテンツの消費という意味では一緒ですからね。
コンテンツを消費して、それを解説、自分なり分析する。そして他者と共有して、コミュニケーションの一つの種とするというところ。
だから自分とのコミュニケーションと他人とのコミュニケーションのガソリンとして映画があるっていうか、映画って多分それをすごく上手にやらせてくれる装置、種なんでしょうね。
もともと映画とかない頃にはそれは文革だったと思うし、今でもそうだっていう人はいますよね。面白い小説を読んだとか、そういうことによっていろんなエンジンが回っていくってことですよね。
それを読んで、人にこんな面白い小説あるんだよって話したりとか、それから自分でもそういう小説を書いてみるとか、小説の評論をするとかっていうエンジンになるわけですよね。
エンジン、ガソリンね、ガソリンになるわけですよね。映画って本当にそういう燃料なんだろうなっていうふうに思うんですよ。
コラムを書くことの意義
だからみんな映画見に行くんだろうなと、コンテンツを消費するんだろうなと思うんですよね。コンテンツの消費って単にそれを受けてるだけだったら、あんま大した意味ないですよね。
っていうかなんかデブになりますよね。やっぱり発散しないとね。それで言うと子供の頃って漫画とかアニメとか私も浴びるほどバラエティ番組とか見てましたけれども、別にそれをどっかに発散とかしてなかったんで、どんどんひまんたんになったんですよね。
だけど、こういう例えばポッドキャストのしゃべりとかもそうですけど、こんな完全に例えば当時見てたバラエティ番組の影響絶対ありますからね。ラジオも聞いてましたけれども。何がどうとかじゃないんですけれども、それは様々にあると思うんですね。
勉強と一緒ですよね。どこでした勉強がどの試験のどの問題に生きたかなってことは説明はなかなかできないですけれども、そうしたもんじゃないですか。
だからやっぱり摂取した分しか排出はできないっていうところがあると思いますので、やっぱり摂取する。新聞記事読んでて思いますけどね。新聞記事面白いですよ。本当。全然自分では思いもしなかったような面白い見つけられないような話。
やっぱりYouTube面白いYouTube見つけてくるの骨折れるもんな。それこそなんか、例えばポッドキャストで大島康憶さんと南川さんの炎上キッズ炎上みたいな番組とかからこういう面白いYouTubeがあるんですよってリスナーさんが投稿ホテルしてるの聞いて、ああそういうのあるんだみたいな風に見つけるみたいな。
自分で探すのめっちゃ大変ですよね。アルゴリズムでね。結局私も同じようなのばっかり見ちゃってますもんね。
に比べると新聞って本当簡単にそういうのが見つけられるんですよね。これなんかうまく宣伝できないのかな。
だから毎日そうやってコラムをめいたことを書くのがそんなに苦痛じゃないんですよね。これは多分、もちろん私がこれまで25年ほど新聞記者をやってきたとか、ということはイコールその間ずっと新聞読んでるってことでもあるんで、蓄積は当然あるんだと思いますけれども、それにしても結構コラム書きやすい。
新聞記事って圧倒的に書きやすいですよ。ポッドキャスト聞いて何か喋りたいなって思うことももちろんあるんですけれども、そんなのよりも全然書きやすいです。ハードルがめちゃくちゃ低いですね。
ポッドキャストで聞いたことって意外と言語化するの難しくて、これを話すっていうのって結構前提条件が整ってないと、前からこれ気になってたって自分の心の中でモヤモヤモヤモヤ考えてたことっていうのがポッドキャストがきっかけで喋れるってことあるんですけど、そうでもないとテキストの方が新聞記事の方ができる。
本当に毎日素振りしてるような感覚ですよね。
素振りも別にやることはできるんだけど、実際にやる必要はないですよね。やっぱり大定原さんとか一郎さんとかってすごい練習の鬼だったって話あるじゃないですか。大谷さんもそうですよね。ビールかけの日ですら筋トレは怠らなかったみたいな。
それと一緒って言うとおこがましいんですけど、毎日やるっていうことってやっぱすごい、本当ごめんなさいね。一流の証だと思ってるんで。やりますよ。できないから皆さんは二流なんですよ。
もうだめだ。本当にこうやってどんどんと人が離れていくっていうね。私は本当に友達がいませんね。しょうがないですね。