1. 神田大介の経験
  2. 地方でも生きられる条件
2024-08-29 10:17

地方でも生きられる条件

サマリー

地方では人口減少の影響で生活環境が厳しくなり、コンパクトシティの進行が見られます。地域共同体が成立しにくい状況の中でも、アイスランドのような地方での生活が可能であることや、自分の生き方を選ぶ主体性が求められる時代について考察されています。

地方の厳しい現状
今の地方で何が起きているかというと、もはやイオンが維持できなくなっているんですよね。
イオンがショッピングモールを撤退させるという動きが出始めてますよね。
かなり地方にとっては厳しい事態というのがやってきているなと思いますね。
おそらくコンパクトシティ化、例えば都道府県においても県庁所在地であるとか中核市というようなところに集中していくという流れは避けられないんじゃないかなというふうには思いますね。
それは人口が減るからです。人口が減った時にその地方を維持していく余裕というのがなくなると。
海外の国々でも既に日本よりも早く少子化が進んでいる国なんかもあるわけなんですけれども、
これよく誤解されるんですけど、地方がなくなるとか地方に住むことができなくなるということとは違うんですが、
合理的な選択を求める人が都市に出ていくようになるということの流れ自体は多分変わらないんじゃないかなと。
その時にはインフラ、例えば鉄道なんかはそちらの引力になる。つまり都市部に行く方の引力になるんだろうなというふうには思うんですよね。
そもそも先祖が生まれ育った地を大事に守っていくっていうようなこと自体が今後は難しくなっていくでしょう。
というのもそういうものって、例えばお寺に紐付けられてるんですよね。母大寺があってそこの段下としていて、お墓がそこにあってっていうようなことも、
お寺が多分維持ができなくなっていくんで、そうするとその墓地の管理をする人もいなくなりますし、
そんなに遠くなくですね、人は日本においてもですね、お墓に入るっていうことが唯一の選択肢じゃなくなるんだろうなと。
現状すでに都会ではそれこそタウンみたいな立体駐車場みたいなところにですね、お骨を入れる位配を置くっていうようなことが起きてますけれども、
もうあれなんかはすでにお墓がなくなるっていうこととほぼ等しいですよね。
で今無縁遺骨っていうようなね、要するに亡くなってからも引き取り手のない遺骨っていうのがだいぶ増えているっていうような話もありますし、
まあおそらく制度的にですね、亡くなった後の遺体っていうのは自治体において処分されるっていうような世の中は相当からず来るんじゃないかなというふうに思いますね。
つまり地域共同体っていうものがそこにおいては地方ではもうもう成立しなくなっていくっていうことがあるのかなと。
かなり厳しい予測にはなりますけれども、人口が減るっていうのはおそらくそういうことなんだろうと思いますね。
主体性と選択
ただ他方、私もアイスランドとか行ったことありますけれども、アイスランドって人口30万人超くらいですね、40万人いなかったですかね。
それなりにちゃんと地方もあるんですよ、そういう人もいる。
だからその暮らし自体を妨げるっていうことはできないので、コストは多分かかるでしょうし、いざとなった時に困るっていうこともあるかもしれませんが、
それ自体は尊重されるべきだし、多分日本においても続いていくんじゃないかなと思いますね。
結局、自分がどのような人生を選択していくのかっていうことの主体性をより求められるっていうことにはなっていくんだろうなと。
だって実際製造業がたくさんある愛知県で、製造業にはつきたくなくて東京に出ていくっていうような動きっていうのはまさにそういうことですよね。
自分で自分の生き方に責任を持って自分の考えたとおりに人生を歩んでいくというようなことっていうのは、
今後尊重されこそすれ、そんなことできませんよっていう世の中にはならないでしょう。
そうした時に、じゃあそれを全部自分で責任を負っていくっていうことができるのかどうかですよね。やっぱりできませんと。
地元で暮らしていきますっていうのもこれは立派な選択肢だと思うんですよ。
そういうところはそういうところで尊重されてほしいし、そういう人が別にひけ目を感じる必要もないですし、
まあ率直に言って昭和の時代に比べればですね、別にどの地方に住んでいようが、それこそインターネットの回線すらあればですね、コンテンツの消費は容易ですよね。
別にYouTubeとかNetflix見るのにどこに住んでいるか関係ないですからね。映画館なくても見られますから。
あと発信もできますよね。つまり生配信みたいなことをTikTokで生配信であるとかYouTubeライブであるとかっていうのも別にどこに住んでいるとかって関係ないじゃないですか。
なので昭和の頃に比べればそういったことで自己実現を果たしていくっていうことは簡単なはずなんですよね。比較的に容易なはずなんですよね。
そういうような生き方っていうのが認められていくようになっていくっていうことが肝心なのかなと。
地方はやっぱりね、それが難しいってところがあると思うんですよ。本当に未だに世間体であるとか、世間様から見た時にどう思われるかみたいなことを気にする人って多いですから、都市の良いところってそれがないところなんですよね。
自治体と価値観の変化
東京とかにいるとみんな他人ですから、それが悪いところでもあるんですよ。誰も世話焼きしてくれませんからね。でも良いところでもあるし、ゆえに人を集めているというところがあるわけですよね。
だから私本当は願わくは、そういう東京式の他社に干渉しないような地方都市ってのがあると最高だと思うんですよね。
やっぱり東京は人口が集中している分、本当に家賃も高いですし、様々なコストがすごい高いんですよね。
もうその名古屋みたいな都市ですら、家賃的にも東京の2分の1ぐらいなんじゃないかって思わせるような感じですもんね。
なので大変外に対して開いていて、あれこれ人のことに何か注文横やりみたいなのを入れてこず、ジェンダーみたいなことに関しても、東京というか世界で今一番基準とされるようなことをきちんと受け入れることができるっていうような、
そういう都市があれば、そこに工場とかある必要ないんですよね。だってみんな製造業したくないわけだから、農業と一緒で土地に縛られるっていうことはないっていうのを逆手に取れる。
東京並みの価値観であるとか、住み心地、匿名性だな、多分価値観と匿名性っていうものを提供することができる自治体があれば、それは相当勝負できるんじゃないかなと思うんですよね。
例えば気候的に言うと温暖化が進んでるから、北海道東北とかってすごく有利になっていくと思うんですよ。実際青森とか過ごしやすいって話ですし、去年の夏、串浪とか根室とか行ったら本当に夏でも涼しかったですからね。
そういったところが有利性を持っていく。北海道とかって土地もまだ本当に広くありますから、そういうところに魅力がある。魅力っていうのがだから、いわゆる仕事があるっていうことよりもリモートワークとかできることを考えたら、確かに干渉しないみたいなね。
そういうところになっていくんだろうなぁと思うんですよね。ただこれが一番難しそうなんて気がしますね。やっぱり地方っていうのは、地方ならではのそういうお節介なんだけれども暖かいみたいなところを皆さん重視されますからね。どうなっていくんでしょうね。それも変わるのかもしれませんけどね。
私はそういう都市があったら、ぜひ移住したいなというふうには思いますね。東京には別に何の思い入れもありませんので、ずっと住むつもりもありませんし、東京何するものぞっていう気持ちも未だ別になくならないですもんね。
ただ難しいのはですね、こういうのって例えば自治体が有意できることじゃないんですよね。自治体ができることってそれこそ工場がですね、来るように誘致する補助金を出したりですね。電気代をその間持つみたいなことをやってみたりとかいうことであって、社会の価値観って自治体が変えられる行政が変えられるものじゃないんですよね。
そこに住んでいる人たち一人一人が変えられるかどうかっていうところで、そういうところで言うと長崎新聞のNNNっていう番組でやってた大村市っていうのがすごく解明的というか面白かったですよね。
性的マイノリティに対しても権利を認めるような動きがあるんだけど、むしろ保守的な場所なんだと。なんだけれども、なんかそういうふうにしたいっていう人がいるなら困っているならそうしたらいいじゃないかっていうようなそういう考え方が自然とできるっていうね。
なんかそういうところにすごく地方自治というものの原点を見る思いがしますよね。そこに住んでいる人がやりたいことを困っていることを助ける、やりたいことを手助けするっていうような、なんか当たり前なんだけれども、そこにそのイデオロギーにとらわれずに進むことができるっていう自治体が多分今後選ばれていくんじゃないかなっていうふうには思いますね。
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