1. 神田大介の経験
  2. サザエさんとバイトくん
2024-06-14 10:04

サザエさんとバイトくん

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あとはですね、やっぱり親の影響で外せない漫画といえば、サザエさんですね。サザエさんはですね、もちろん当時からアニメもやってましたけれども、やっぱり私にとっては4コマ漫画なんですよ。
父方のサザエさん、それからちょっと前にも話も出てきましたけど、母方の祖父、おじいちゃんの家にもサザエさんの単行本は両方ありました。
そして父方の単行本、姉妹社のですよ、朝日新聞社のじゃないですよ、姉妹社刊のですね、サザエさんは全刊、まだいまだに家にありますね。
これはダンボール箱にしまってあるんで、特に誰も読んでないんですけれども、なんとなく取ってありますね。
サザエさんもね、まあ本当に面白い漫画ですよね。
サザエさんに関しては、これも何ですか。たまに図書館にあるんだよな。あんまりたくさんはなかった。図書館だったかな。
まああるんですよね。さすがに新聞連載漫画であれだけの国民的漫画ということになると、いくらかを置いてあるっていう。
より抜きサザエさんとか置いてある場合もありましたからね。小学生のいい子の場になるっていう。
サザエさんは結構世相反映しているので、その時代その時代の話をそれで知る。
私も昭和のこと、昭和のことっていうか、昭和50年代生まれなって昭和の中でも下っ端なわけですから、昭和64年で終わっちゃいますからね。
昭和20年代30年代のこととかっていうのはサザエさんとかから学ぶわけですよ。
鍋底ケーキか、鍋の底に消毒ケーキが置いてあるっていうのを覚えてますけど。
鍋底ケーキなんて聞いたことないですもん。基本的に昭和50年代ってずっと右肩上がりの時代なんで、景気良かったですからね。
日本が戦後の復興の中でだんだん明るくなっていく感じとかっていうのもサザエさんの中にもいろいろ出てきましたよね。
例えばサザエさんが訪問着っていうのを推しがあるわけですけど、訪問着って今言わないですもんね。
これ何かっていうと着物ですよ。昔の日本人は着物を着ていて、とりわけ女性にとっては着物を着ていく何かのフォーマルな場ですね。
お呼ばれをするとかっていう時には着物を着ていくっていう文化がまだあったわけですけれども、今でもありますけど本当に少なくなったでしょ。
その中でも事務地とか身内用に着るんじゃなくて、訪問着、どっか行くとき訪問するときに着るものっていうのはやっぱりちょっと違うんですよね。
柄がちょっとね、おしゃれだったりっていうようなのが欲しい。ただ着物高いんですよね。知ってますか?着物Tクラスとか。
100万円は下らないでしょ。今の値段わかんないか。でも当時の感じでもそれぐらいはするんですよね。
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だから本当に親から受け継いで代々大事に着るっていう、それが着物ですけれども。着物を買って欲しいわなんていうのがおねだりの最高級クラスってことになりますよね。
ミンクのコート。当時ミンクのコートに人気だったっぽいですね。今全然聞かないですけどね。
だいたい毛皮なんてね、動物虐待っぽいし、フェイクファーの方がいいかなって感じすらありますもんね。だけど昔は高級品といえばミンクのコートですよ。ミンクのコートとダイヤですよね。でっかいね。ナンカロップとかあるやつね。
あとだから、ジョニークロとかコニャックとかを飲んでるんですよね。お父さんたちがね。
コニャックで一杯飲むって約束だったろう。いや俺はコンニャックって言ったんだっつってね。なんか賭けかなんかをしてね。
負けた方がおごるっていう約束だって。で、おごる約束がコニャックなのかそれともおでんで一杯のコンニャックなのかっていうことで揉めるっていうね。コニャックだろそれ。
ジョニークロとかっていうのはすごい高級酒。ナポレオンとジョニークロですよね。
両方ともウイスキーかブランデーか。それを隣の奥からしずしずと来客が来ると取り出してくるみたいなのとか。
そういうのって私自身は全然知らないですよ。だけどサザエさんの漫画の中の話として知っているし、時代背景的にも一応延長線上にはいたっていう感じですかね。
サザエさんはだからそういう昭和の時代のことをよく知ることができる。
長谷川和夫みたいだねみたいなのがね、イケメンの代名詞として出てくる。長谷川和夫っていうのは歌舞伎役者ですね、俳優。
で、うちの母のばあちゃんは私のことをね、アントニオン大輔は長谷川和夫みたいだねって言ってね、褒めてくれて、誰だよそれって思ってましたけど。
そういうことですね。なんかね、それ思い出しますね。だから芸人さんとかがボケてもわかんない時代が続くわけですよ。
ビートたけしさんとかが表彰式ボケみたいなので、最優秀作品はオハナハンというわけですよ。
オハナハンって昔の連続テレビ小説NHKの朝やってるやつね、朝ドラ。今はやってますよね、シリーズね。半年に1回変わるみたいです。
あれのヒット作なんですけど、君の名はみたいな。いや知らねえしっていうね。オッシンぐらいからですよ、私が知ってるのは。
だけどそういうのがわかんないと笑えないわけですよね。教養って大変なもんで。
早く追いつかないかなと思ってたんですけども、追いついちゃいましたね。
ただやっぱりいまだに我々の世代ってボリューム結構あるから、いまだにドラゴンボールとか言ってるのはちょっと下の世代に気の毒なって感じますけどね。
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たださすがに令和ロマンとかやってるネタはよくわかんなくなってきましたね。
モロハとか言われても最初はわかんなかったですもんね。当たり前ですね。
時代が私を追い越していくって、それは当然のことだろうと思いますけれども。
でも昔の1個前2個前の世代のことを知るには、さぞやさんって本当に格好の勉強になりましたですね。
あと私が好きだったのは石井久市先生ね。これも親の影響で、特に父親の影響ですよね。
父は石井久市先生の漫画っていうのをすごい持ってたんで、バイトくんから頑張れ田淵くんね。読みましたねこれね。
だから私すごいバイトくんみたいな大学生活に憧れあって、本当に汚い下宿に住んでやろうと思ったんですよね。
ところがですね、私の進学先にはあんまりそういうバイトくんの世界だと中野層っていうね、本当に長屋みたいなところが出てくるんですけど、
なくて結果的に一軒家の離れみたいなところをね、家賃、月額3万5千円で借りるってことになりましたけど、そんな感じ。
憧れたような、風呂なかったもんなうちもな。風呂なしの生活がちょっと憧れるところがありましたね。
ビームグラフィーはちょっとかっこよかったんだよな、当時の。
そういう石井久市先生の漫画なんですけど、やっぱりね、もう本当に面白かったんですよ。めちゃくちゃ。
バイトくんとか本当に面白いし、私好きだったのは地底人ですね。
死と地底人対最底人とかね、すげえめちゃくちゃ面白いですよね。最底人はアホしか言えないんですけど、そういうレベルの低い戦いとかね。
あとあれで全教頭世代のことを知ったっていうのもあるよな。別にそういう積極性漫画では全然ないんですけれども、常に学生たちがデモをやってるんですよね。
あれも時代ですよね。だんだんそのデモっていうのがね、あんまりちゃんとやってないんで、このバイトくんの中に出てくる人たちはね。
おかしな方向に行くんですけれども、成田投資とかやってる頃ですもんね。
それも知らないですよ。浅間三相事件とかも直接見てませんからね。
そういうところっていうのは、近過去、私が物心つく前に起きていたことっていうことで、だけどメディアの中にはいっぱい漫画とかに出てくるわけですね。
それで知ってるっていうことがすごく多いですね。
安保闘争とか知るわけないですもんね。60年代とかやってるわけだから、私75年の生まれなんで知るわけないんですけれども、そういう形で知ってるっていう、その入り口になってたのは漫画ですね。
結局、石井久市先生の家でも影響が大きいですね。
それを受け継いでファンになって。
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今はさすがに、最近石井先生が個人的に書きたいって言って、同人誌的に売ってるロカっていうストーリーなんですけど、ポルトガルのファドをやってる女の子の話なんですけどね。あれとかは買いましたね、通販でね。
普通に良かったなっていう感じ。あんまそこまで漫画にも思い入れがないんだろうな、私ね。
私はやっぱり本当にナンセンスな石井先生の世界が大好きなんで、加藤芳郎先生と同じですね。吉原、杉吉原とかどうしたのさっき。
加藤芳郎先生です。加藤芳郎先生は連想ゲームとかも出てましたもんね。タレントでもあったんだな。
石井久市先生は逆に全くマスコミには出てこない人ですよね。
昔々の写真がいくらか残ってるぐらいの話で、いつまでも元気に漫画を書き続けてほしいなと思いますけれどもね。
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