1. 神田大介の経験
  2. 拝啓、ここは名古屋です
2024-04-18 10:11

拝啓、ここは名古屋です

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前回お話しした通りですね、名古屋、愛知県というのは、全国でも交通死亡事故数ワースト1位という記録を重ねてまして、愛知県警とか、もう大変不名誉なことであるという風になってですね、もう、どうやったら交通事故を減らせるのかって、やっきになってる。
それは後に私が新聞記者になって愛知県警を担当したときにも、私は交通部は担当してませんでしたが、もう変わらずそういう感じはありましたが、ともあれですね、そうやって交通事故が多い。
で、そこがどういう関係しているのかわかんないですけれども、集団投下校というのがあると。
ただ、私はそこには、交通事故を少しでも減らすというところにも集団投下校というのが絡んでるんじゃないかなと見ているところがありまして、なんでかっていうとですね、なかなかね、これ名古屋出身の人に話をしても知らないって言われちゃうことが多いんですけれども、
私が通っていた白鳥小学校ではですね、集団下校の日に、みんな下校するときにまず運動場に出てくるわけですよ。
で、そこで分団ごとに分かれて、揃ったらじゃあ帰りましょうねってことになるわけなんですけれども、いっぺんに出ていったらパニックになるじゃないですか。
だから順番に出ていくんですよね。どこそこの分団、遠いところからだったと思いますけれども、学校から。
だから出ていきましょうみたいな感じで、そうしないとコーマが溢れちゃうから。で、出ていくと。
いうときに、音楽がずっと流れてるんですよ、BGMみたいなのが。
学校ってそういうのありますよね、運動会のときにもね。
みたいな音楽って流れるでしょ。校舎にスピーカーついてますよね。
あれでね、ずっとね、交通安全の啓発ソングが流れてたんですよ。
タイトル覚えてます?風のメロディーラインっていう曲でしたね。
ゆっくりと心の速さで ハンドル握れば一本の道
っていう名調子。
これがね、でもね、インターネットで調べても全く出てこない。
どうなってんですかね、私幻でも聞いたんですかね。
妻も愛知県出身なんですけども、妻も全然知らないっていうわけですよ。
その後だから名古屋出身のね、知り合い、友達みたいにも聞きましたけど、
まあ知られてなくて、え、なんなのって思いましたけど、
ひょっとしたらその学校が特別そういうことに意識は、交通事故に意識は向いてたのかな。
よくわかりませんね。
なんかそれで思い出しましたけど、小学校って縄跳びとかよくやりますよね。
で、縄跳びとかはいいんですよ。
縄跳びの時の流れっていうのは、一本でも人参だったと思いますけど、
一本でも人参のあれね。
それは別に普通にかかってる歌じゃないですか。
でね、そうじゃなくて、白鳥小学校っていう学校、白鳥は白鳥って書いて白鳥って読むんですけど、
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白鳥小学校の白鳥体操っていうのがなんかあったな。
あれ誰が作ったんだろう、体育教師かな。
それは、曲自体は、
あれだ、春を愛する人はだ。
あの曲、タイトルわかんないですけど、あれに合わせて体操をするんですよね。
なぜか知らないですけど、動物に動きをなぞらえる。
最初はラッコさんです、みたいな。
なんかラッコのポーズを取るみたいなね。
おとなしくラジオ体操をやっとけよって思いましたけど、
そういうのを作ってみたりとか、
なんかでも体操とかに対する意識が強かったなぁとは思いますね。
すごい昭和の学校の感じがありますよね。
今は全然もっとリズミカルだったり、ヒップホップだったりしますから、
本当に時代が変わったなと思いますけれども。
ともあれね。
曲。
あのね、そう、曲で覚えてるのが、
当時、だから私が小学生ぐらいの時に、
NHKがですね、
NHK名古屋放送局が、
愛知、名古屋、マイソングみたいな企画立ててて、
なんかその、愛知県だったり名古屋のいいところを歌にしてですね、
盛り上げていこうぜみたいな。
なんて盛り上げていこうぜ。
ただあれですね、デザイン博っていうのがあって、
これ皆さん知ってます?
1988年にオリンピックが韓国のソウルで開かれました。
パルパルオリンピックってね、
ソウルが、ソウルというか韓国が、
その後、アジアニックス、もしくはアジアニーズって名前変わってきましたけど、
として、新興国として大変勢いを増していくきっかけになった、
大きなイベントだったわけですけれども、
で、そのソウルオリンピックがしかし、
その候補地として争っていたのが名古屋だったんですよね。
名古屋負けたんですよ。
だから、しょうがないなっていう。
ソウルには負けんだろうって気がしますけど。
じゃあ代わりに何かしようって言って、
同じ年にやったのがデザイン博、
名古屋デザイン博覧会っていうのがあったんですよね。
デハクって略されてましたけれども、
デハクはね、3会場あって、
なんだっけ、どこだったかな。
会場の一つが、だから白鳥会場って言って、
まさに私、白鳥小学校にいましたけど、
白鳥ですよ。
学校からめちゃくちゃ近いところでやってました。
神宮公園とかの先ですよね。
で、もう一つは港会場でしてね。
もう一個どこだったかな。
ごめんなさい、忘れちゃいましたけど。
多分、しだみとかあっちの方にあるじゃないですか。
森山区のね。
デハクってのがあって、
そのデザイン博の盛り上げみたいなのもあったのかな。
ひょっとしてね、絡んでた気がしますよね。
1988年か。
私75年生まれだから13歳。
中1とか中2とかか。
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だからすごい開幕して、
直後にデザイン博行きましたもんね。
学校から。
それ以降は覚えてますね。
別の話ですけど。
で、愛知名古屋ナイソングっていうので、
多分、普通の一般の人から募集するわけですよね、曲をね。
何曲か、
大賞みたいなのがあったと思いますけど、優秀賞みたいなのね。
大賞かな、だから一番これは素晴らしい。
応募されたものの中で一番素晴らしいんですっていうのに選ばれた曲が、
曲名は、
背景ここは名古屋です。
それで歌詞が始まりますからね、歌がね。
背景ここは名古屋です。
僕はとても元気です。
転校したての頃はちょっぴり寂しかったけど。
っていう歌で、
おい、名古屋転校したって俺のことじゃん。
っていうね、勝手に自分をなぞらえるわけですけど。
いや、勝手にともいえない。
というのもね、その後歌がどう続くかっていうと、
すぐに友達できたよ。
ほんといい奴だけれど野球の話になるといつも喧嘩してるんだってなって、
映像がテレビですからね、バックに流れるわけなんですけれども、
ドラゴンズの帽子をかぶっている中に一人だけジャイアンツ、
ヨミヨミの帽子をかぶってるっていうシーンが出てくるんですよ。
これつまり東京から名古屋に引っ越してきたっていうことですね。
おそらく描写としてはね。
俺じゃんっていう。
俺別に超人ファンじゃないけどよ。
っていうね、そういうことがありましたよね。
っていう歌。
その歌の背景、ここは名古屋ですっていう歌のサビのところが、
仲間仲間、名古屋の仲間に僕も入れてもらったよ。
っていう歌なんですよ。
これどう思います?
名古屋の仲間に入れてもらった。
この名古屋目線ね。
仲間に入れたるわ、お前みたいもんも。
これこれ、これなんですよね。
名古屋の自意識ね。
本当ね、私もハイブリッドですからね。
東京と名古屋のね。
なんとも本当に複雑な気持ちがありますけれども。
確かにね、名古屋の人っていうのはね、
内か外かをめちゃくちゃ分けるんですよね。
自分の身内だと思ったらすごく優しくなるんですけれども、
外人間に対しては冷たい。
これは後々大人になってから聞いたんですけれども、
全国の企業、東京とか大阪から全国に進出した企業って山ほどありますけれども、
東京大阪だけじゃないですけど、
そういう企業でも名古屋、愛知に視点を置かなくなって、
例えばどこかから出張してくることになる。
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東京とか大阪の視点から出張してくることになると、
あんたのとこはね、名古屋から出て行ったんでしょ。
ええわっつって、全然商売をしてくれなくなるとか、
すっげえ冷たくなるみたいなのが本当にあるそうで。
恐ろしいですね、この身内意識の強さね。
気をつけたほうがいいですよ。
しかもね、タチ悪いのはね、そこら辺をあんまり普段明確に見せない場合もある。
今みたいなやつは当てこするみたいな感じでね。
東京行ったんでしょっていう感じなんですけれども、
そうじゃなくて、しらーっとね、いつも通りこんにちはこんにちはでやっといて、
中では切ってるみたいなこともありますからね。
これね、でも考えてみてください。
私が転校初日に言われた、
なんで東京から名古屋に引っ越してきたんですか?
これなんですよね。
すっげえわかるって思って、
あとこの歌を1位に選んでしまうNHKよって思いましたけどね。
名古屋プロパーの人が多いんですからね。
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