1. 神田大介の経験
  2. 名古屋の厚着文化
2024-04-19 10:02

名古屋の厚着文化

00:06
小学生としては、名古屋の印象ですごく強かったのが、厚着なんですよね。
東京って、東京って言っちゃっていいのかわからないけど、私の通ってた世田谷区立三原寺小学校は、大変薄着が尊ばれる文化でして、冬でも薄着で行こうと。
寒風摩擦みたいなのと相通じるところがあるのかなと思いますが、前にもこれ言いましたけどね、服に点数をつけるんですよ。
点数が多くなればなるほど厚着が過ぎるっていうことで、点数が小さいほどこいつはすごいってことになるんですよね。
僕のクラスの学期大将だった、小学2年生のときの学期大将だった、由川くんは7点とかだったんですよね。
由川くんとか平原くんとかっていうのは、7点とか8点とかで、7点になると冬でもタンクトップみたいなそういう格好なんですよね。
半袖、短パンだと8点じゃなかったかな。
その半袖がタンクトップになると7点になるんだよ、確か。
ちょっとごめんなさい、句よく曖昧ですけど。
っていうような感じで、とにかく薄着が尊ばれるとかっこいいという風潮だったんですが、名古屋は真逆でしたね。
私が3年生で引っ越して、その年の冬を迎えるわけです。
私は三原寺の流れを組んでますから、普通に半袖短パンぐらい、半ズボンぐらいでね、学校を通ってたんだと思いますけれども、
私ぐらいのものですね。
誰もそんな半ズボンを履いてる奴はいなくて、ボコボコに厚着してるんですよ。
顔真っ赤にしてるっていうね、ほっぺたをね。
とりわけ生地なんかも、コールテンっていうような生地あるじゃないですか、コーデュロイね。
あれが多かった印象ですよね。
あれ生地分厚いですもんね。ジャンパーとかもすげー羽織ってるしね。
びっくりしたんですけど、びっくりしてるのは向こう、彼らでしたね。名古屋の子たちね。
で、そのキーに移るらしくてですね。
私が太ってたっていうこともあってね、またそういう、よくからかわれましたけれども、なんでそんな薄着してるんですかね。
出刃厚がりなのか。
それだけならば、いざ知らずですね。
私のハンズモン履いてるから、当然足は無防備ですよね。
そのモモ、名古屋ではモモタって言いますけれども、なんかベッチンって叩いてくるやつとかいるわけですよ。
わかります?
私はただ単にハンズモンで生活を送ってるだけなんですが、クラスメイトの男がですね、私のモモを狙ってですね、平手打ちをかましてくるんですよ。
モモは真っ赤に腫れ上がりますよね。
で、それを見て、うけけけけーとか言って逃げ去っていくっていう。
これはどうですか、皆さん。
私はね、世田谷区にずっと育ってね、そんなことをされたことは一度だってないですよ。
03:01
ていうか、どういう理由だか知らないですけど、子供のことだから喧嘩とかもちろんあるけれども、なんかそういう感じのいたずらっていうの。
なんかクソガキっていうか。
いなかったですよね。初めて見て、これがカルチャーショックでしたよね、またね。
でもそのうちすぐ慣れちゃうんですけど、そういうのにも。
本当ね、なんだろうな。
例えばクラスで、僕の友達にいたアサイくんって子がいましたけど、彼なんかはいつもスウェットを着てたんですよ、上下ね。
楽ですからね。
そのスウェットの長ズボンって、しかしほら、ベルトとか、ベルトは小学生はあんまりしてないと思うけれども、ずるっとしてるんじゃないですか。
あれをね、だからね、背後からこっそり、アサイくんの背後からこっそり近づいててね、ズボンをずるんとこうね、こう下ろすと。
そうするとパンツいっちゃうようになるわけですね。
あるいはもう勢いよくいった時にはパンツもずり落ちるみたいなね。
でまた、うけけけけけーですよ。これ。
いや、なかったわー、世田谷には。なかったわー。
プロレスごっこみたいなのはありましたけど、そういういたずらみたいなのはなかったわー。
あのね、遊び方が違うんですよ。
後にそれに私も入っていくんですけど、マンションの屋上に行って、
でそのマンションとか団地の屋上から水風船をですね、いっぱい作って持ってって、歩道に向かって投げるっていうね。
当然歩行者を驚かせるためにやるんですけど、危ないしね。
人間に当たったこともあったと思いますよ。僕は投げたんじゃないですけどね。
別にそんな言い逃れする必要ない。
で、うけけけけけーですよ。でもう大人も本気で怒るってね。
こらーっつって、でみんなで走って逃げるみたいな。
なんていうか、野蛮ですよね。ほんとにね。
あと人を林立てる歌とかもほんとにぎついし、
なんか当時の時代背景もあってか、デブだブスだね、ハゲだチビだって当たり前みたいな。
動物でいうね、だから豚とかちょっとすばしっこいやつは猿だし、
なんかね、これも世田谷では言われた記憶がないよな。
まあまあまあまあまあ、吉谷市なんでね、そこはね。
名古屋が全部そうだとも思いませんし、白鳥小学校が。
いやそれね、実は言われたことがあって、
妻が同居、愛知県なんですよ、名古屋じゃないんですけど、
妻の学校ではそういうことはなかったらしく、
まあ私たちのいたところがですね、大分とそういう、
何だろうな、熱田区って言っても私の学区である白鳥小学校とかって、
もう昔は海だったところにすごい近いんですよ。
06:00
だからうちの母方の、名古屋の方の祖先は漁師だったっていうふうに言われてましたんで、
で祖父の代までは蒲鉾工場とかやってたらしく、
だからそういう海産物がすごくたくさん獲れる場所だったんですよね。
近所に、実家の近所に公園があって、大瀬湖公園って言うんですけど、
には貝殻がいっぱいあるんですよ。
つまりは昔々に獲ったアサリとかの貝殻がそのまま残ってるんですよね。
昔々っていうほどでもないのか、昭和とか。
で名古屋でも南区とか港区って、熱田区よりもだいぶ南の方にいっぱい土地があるんですけど、
埋め立て地が多いんですよね。
もともとあったところもありますけれども、埋め立てられたところもかなりあって、
昔は入江みたいな感じで熱田の方まで海があって、
ゆえに七里の渡しって言いますけれども、東海道って途中宮之宿って言いますけれども、
熱田から三重県の桑名までは船なんですよね。
あれがまさに七里あるから七里の渡しって言ってたわけですけれども、
そこで道路が途切れて、そこから先途中船で行ってもらいますと、
東海道ってご存知、東京と大阪を結んでいた道路ですけれども、
海を行く区間っていうのがあったわけですね。
っていうのも熱田がもともと港だったってことを指してると思いますが、
そういう土地柄ですからね、何が言いたいかっていうと、
港って結構やっぱ荒っぽいって言うじゃないですか。
知りませんよ、本当かどうかはね。
網本とかがいて気風の良い漁師たちがそこにいたっていうような話はどこでもあると思うんですけれども、
例えば東京の築地なんかもね、そういった威勢の良い感じがあったって言いますから、
そういう影響がひょっとしたらあったのかもしれないなっていうことも思いますが、
ちょっと荒っぽいところではありましたよね。
とにかくただ厚木をしてるんでね、
私はそれには最後まで抗っていたような気がしますが、
長ズボンとかあんま正に合わなかったですもんね、小学生の時はね。
中学生になると制服が長ズボンなので自動的に長ズボンでしたけど、
その頃からすでにあんまり人と同じっていうことは好きじゃなかったですもんね。
だから東京の時には大変、私の自我を満足させていたドラゴンズファンであるっていうマイノリティさは、
名古屋に来ると一切失われちゃうわけで、その点にちょっと物足りなさを感じたりしてましたもんね。
ただとにかくこうやっていたずらをするというか、
名古屋ってすげえとこだな。
小学生の時にはほんとにすげえとこ来ちゃったなってギャップにめまいがする思いでしたね。
09:04
すぐに慣れちゃうんだよな、子供の適応力が強いっていうのかなんというのかね。
だから私ももうメンタリティとしては完全に名古屋側に行ってしまいましたんで、
今更東京のようなことはできないっていうところもあろうかと思いますけどね。
ちなみに3年生で引っ越してすぐに学芸会があったんですよ。
もうなんか翌週だか翌々週だかにもう本番ですみたいな感じだったんで、
私だけ突然変なカッパの役を当てられましてですね、
何の劇だったか全然覚えていませんけれども、
そうだそうだみたいなことをね、言うだけっていうそういう役回りでしたね。
5年生、学年でやるんですけど、5年生の学芸会では主役を張ることになるという、
そういう道のりですけれども、
名古屋になれるっていうのもなかなか大変、子供心にも大変でしたね。
10:02

コメント

スクロール